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今出川通

索引 今出川通

今出川通、寺町付近から西方向を見る 今出川通(いまでがわどおり)は京都市中心市街地北部の主要な東西の通りの一つ。.

83 関係: 千本通叡山電鉄同志社大学同志社女子大学同志社女子中学校・高等学校堀川通天神川 (京都市)寺町通小学館川端通左京区上七軒上七軒通上京区上立売通中立売通七本松通市町村道市電一条通平安京京福電気鉄道京福電気鉄道北野線京都大学京都市京都市三大事業京都市営地下鉄京都市内の通り京都市道181号京都環状線京都市道182号蹴上高野線京都市電今出川線京都市考古資料館京都市LRT構想京都府立医科大学京都府道101号銀閣寺宇多野線京都府道31号西陣杉坂線京都府道32号下鴨京都停車場線京都府道38号京都広河原美山線京都御苑京都御所京阪電気鉄道五辻通今出川駅御前通御蔭通志賀越道北区 (京都市)北野天満宮北野白梅町駅北野駅 (京都府)...ライトレール哲学の道冷泉家出町柳駅元誓願寺通国道367号神楽岡通立命館大学等持院駅烏丸通相国寺白峯神宮白川 (淀川水系)白川通百万遍交差点衣笠 (京都市)衣棚通西大路通馬代通高野川 (京都市)鴨川 (淀川水系)鹿ヶ谷通黒門通東大路通東洞院通河原町通油小路通洛中新町通慈照寺智恵光院通1976年1994年 インデックスを展開 (33 もっと) »

千本通

千本通(せんぼんどおり)は京都市の主要な南北の通りの一つ。二条通以南は、平安京の朱雀大路に該当する。.

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叡山電鉄

叡山電鉄株式会社(えいざんでんてつ、)は、京都府京都市左京区の出町柳駅から八瀬・鞍馬への路線を運営する鉄道会社。通称「叡山電車」。略称は「叡電」(えいでん)。本社は京都市左京区山端壱町田町8番地の80(修学院駅に隣接)、本店は京都市左京区山端壱町田町14番地の1。 1985年に京福電気鉄道(京福)の完全子会社として設立されたが、1991年11月に京阪電気鉄道(京阪、現・京阪ホールディングス)が筆頭株主となったのち、2002年3月からは同社の完全子会社となっている(後述)。 全国登山鉄道‰会に加盟している。.

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同志社大学

記載なし。

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同志社女子大学

記載なし。

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同志社女子中学校・高等学校

同志社女子中学校・高等学校(どうししゃじょしちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、京都市上京区今出川にある学校法人同志社が運営している、私立の女子中高一貫校である。略称は同女。制服は無く、生徒は私服通学である。12月半ばに生徒によって毎年クリスマスページェントが行われる(歌、朗読によって進行するキリスト誕生までの無言劇)。高等学校の卒業生の大部分は同志社大学または同志社女子大学に進学する。.

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堀川通

四条通交差点より南を見る、6車線 四条上ルより北を見る、自転車レーンもあり歩道も広い 七条堀川 堀川にかかる一条戻り橋 堀川通(ほりかわどおり)は京都市の主要な南北の通りの一つ。平安京の堀川小路にあたる。一部区間には堀川を挟んで、東堀川通と西堀川通があるが、通常は西堀川通を堀川通と呼ぶ。.

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天神川 (京都市)

北野天満宮境内(もみじ苑)にて 天神川(てんじんがわ)は、京都府京都市を流れる淀川水系の一級河川。現在は上流部を紙屋川とも呼ばれるが、江戸時代までは紙屋川の名が一般的であった。古くは西堀河と称した。 「天神川」の名は、中流で北野天満宮の西を流れていることによる。なお、その北野天満宮と接する付近に御土居が残る。 また、四条~西京極橋の左岸にはソメイヨシノの桜並木が延々と続き、開花シーズンになれば壮麗な眺めになり、桜の名所の一つとして市民に親しまれている。.

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寺町通

寺町京極商店街 寺町通(てらまちどおり)は京都市の南北の通りの一つ。北は紫明通から南は五条通まで。途中の三条通で以北に比べ以南は西に少しずれており、真っ直ぐではないのが特徴。三条以北は平安京の東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)にあたる。 都の東端の大路であったが、右京の衰退や相次ぐ戦乱等によって京都御所が移転してきたため、現在は京都御苑の東を限る通りとなっている。豊臣秀吉による京都改造によって天正18年、通りの東側に寺院が集められたことからこの名前になった。本能寺もこの時、現在の中京区元本能寺南町からこの通りに移された。寺町三条にある通りのずれは、ここに大寺である誓願寺が現在の上京区元誓願寺町から移されたため生じた。 寺を集めた目的は、税の徴収の効率化と京都の防衛であった。東の御土居に沿うように寺を配置することで東から進入する軍勢の戦意の低下をねらったと言われる。急遽移転させられた寺院の負担が大変であったことがフロイスの『日本史』に書かれている。鴨川に近く、狭隘な敷地が多かったためしばしば水害や火災に見舞われた。この頃、洛中北部にも、聚楽第の北辺を守る形で京都改造の一環として同じく寺院集中地区である「寺之内」が形成されたが、寺町と違って水害の不安の無い高燥地で、法華寺院のしかもいずれも大寺が配置されたため、寺町との環境の差は歴然としていた。このため、寺町の寺からは「奉行の前田玄以が法華宗だからいい場所を法華寺院に与えた」との不満が出たと伝えられるが、実際は寺町にも本能寺や妙満寺などの法華寺院が移されていた。相次ぐ火災に見舞われて江戸時代中期以降には寺地を寺町から洛東に移す寺院もあり、例えば真如堂も元禄の大火の後、寺町今出川付近から現在の左京区に移っている。 かつては南北方向の主要な通りの一つであり、今出川通から二条通にかけては京都電気鉄道寺町線(のちに買収され京都市電)の路面電車が走っていた。1920年代に河原町通が拡幅されると、市電のルートもそちらに移るなどメインストリートの座を譲った。市電の廃線後、しばらくは代わって市バスが通っていたが、それも廃止され、現在は騒音に悩まされることない静かな通りとなっている。 丸太町通から二条通までは、古美術店や画廊、古書店などが並ぶ寺町会の商店街である。御池通から四条通に至る区間は、アーケードの商店街となっており、日中は車両進入禁止である。御池通から三条通までは、寺町専門店街であり、新京極通と平行する三条通から四条通までは、寺町京極商店街である。また、四条通から高辻通にかけては、東京や大阪と比べると小規模ながら電気街になっており、京都の秋葉原や日本橋といってもよい通りであったが、近年は郊外型や大阪梅田・京都駅近辺の大型家電量販店の台頭で、秋葉原、日本橋や大須同様に、往時と比べて電気店の数が減少し、新しい都心型のマンションなどが建設されている。 御池通から四条通までが路上喫煙等禁止区域である。 鴨沂高校・京都市上京区 京都市歴史資料館・京都市上京区 同志社新島会館・京都市上京区 新島襄旧邸・京都市上京区.

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小学館

株式会社小学館(しょうがくかん)は、東京都千代田区にある日本の総合出版社。系列会社グループの通称「一ツ橋グループ」の中核的存在である。.

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川端通

川端通(左京区荒神橋東詰付近より北方向を望む)。画面左側に鴨川が並行する 川端通(かわばたどおり)は京都市の南北の通りのひとつで、鴨川・高野川の東岸を走る道路。都市計画上の路線名は、高野川東岸線(白川通合流点から今出川通)、鴨川東岸線(今出川通から塩小路通)という。 |.

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左京区

左京区(さきょうく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。.

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上七軒

上七軒(かみひちけん)は、京都市上京区真盛町から社家長屋町に位置する花街である。 室町時代に北野天満宮の再建の際に残った資材を使って7軒の茶店を建てた。これが「上七軒」の由来で、桃山時代に豊臣秀吉が北野で大茶会を開いた折に茶店側は団子を献上したところ大いに誉められて以来、また西陣の結びつきで花街としての繁栄を極める。 毎年春になると上七軒歌舞練場で『北野をどり』が上演されて少数ながらにして良い技芸を磨き披露している。舞踊の流派は明治以前は篠塚流、その後は花柳流。茶道は西方尼寺で習っている。 現在(2015年)、お茶屋10軒、芸妓、舞妓合わせて31名である。.

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上七軒通

上七軒通(かみしちけんどおり,かみひちけんどおり)は京都市上京区の東西の通りの一つ。七本松通と今出川通の交差する上七軒交差点から西やや北へ、北野天満宮東門前の御前通と五辻通の交差点に至る。全て上七軒の中である。.

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上京区

沂高校 京都市歴史資料館 京極小学校、左手に二宮金次郎の像が現存している 上京区(かみぎょうく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。市の中心部に位置し、かつての京都の北側に該当する。東側には鴨川が流れる。京都府庁もこの区に置かれている。.

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上立売通

上立売通(かみだちうりどおり)は京都市内の東西の通りの一つ。東は寺町通の本満寺門前から西は馬代通まで。途中六軒町通から平野通まで中断する。平野通から西は一筋南へずれ、中断区間では七本松通西入から平野通の平野神社門前まで、延長線上を平野門前通(ひらのもんぜんどおり)が通る。 現在の室町通との交差点付近は、室町時代において店舗を構えず商売を行う商人(立売)が多く存在し、「立売の辻」と呼ばれ、これが通りの名前の由来となった。この「立売の辻」には、応仁・文明の乱の後に「四条町の辻」(四条通と新町通(町小路)の交差点付近)とともに高札場が置かれ、それぞれ上京・下京の中心となっていたことが窺える。 相国寺境内を貫き、烏丸通から西、中断区間の東にかけて西陣の機業地を通る。.

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中立売通

烏丸通より西を見る 中立売通(なかだちうりどおり、なかだちゅうりどおり)は京都市の東西の通りの一つ。京都御苑の中立売御門から西へ七本松通で一条通に接続する。堀川通以西は歩道の整備された2車線の道路であるが、堀川通以東は東行の一方通行であり、コミュニティ道路で歩道が広くなっており車道が狭い。また烏丸通から油小路通にかけて京都府などの公共機関が多い。 中立売通の名称は沿道に、店舗を構えない立ち売りが多かったことに由来しているが、平安京の頃は正親町小路(おおぎまちこうじ)と呼ばれており、今でも正親小学校(せいしんしょうがっこう)として名を残す。.

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七本松通

七本松通(しちほんまつどおり,ひちほんまつどおり)は京都市の南北の通りの一つ。平安京の皇嘉門大路にあたる。.

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市町村道

市町村道(しちょうそんどう)とは、道路法上の道路で、市町村の区域内にあり、その市町村の議会で路線が認定された道路である。管理は、その路線がある市町村で行なわれる。.

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市電

市電(しでん)とは、「市」を走っている路面電車の略称である。もともとは市営電車の略称で、市営(公営)の路面電車のことであると一般にいわれているが、市街電車・市内電車の略称として市営以外、いわば民間企業が運営する路面電車について呼ぶことも多い。東京都電にしても、もともと東京市を走る市営の路面電車であったためにいまだ「市電」と呼ぶ層も多い。また、路面電車ではない市営の鉄道路線を市電と呼んでいた例もある(下記参照)。 大分交通別大線など、これら以外の路面電車や併用軌道の存在した鉄道については日本の路面電車一覧を参照。.

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一条通

在の一条戻橋 一条通(いちじょうどおり)は京都市の主要な東西の通りの一つ。平安京の一条大路にあたる。東端は烏丸通。西は右京区花園付近までだが、さらに西に延長して嵯峨野の清凉寺(嵯峨釈迦堂)までを一条通と呼ぶこともある。また宇多野で分岐して周山街道にも通じている。 平安京の北端の通りであったが、平安中期以降は一条大路を越えて北へ市街地が拡大した。御所の北端の大路という位置付けは現在、その北側を走る今出川通が果たしている。現在は市中心部では一方通行の狭い通りである。堀川にかかる一条戻橋が有名である。.

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平安京

平安京復元模型写真(大内裏付近) 平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)は、延暦13年10月22日(西暦794年11月22日)から、一説には明治2年(1869年)まで日本の首都であった都市である。平安城ともいい、桓武天皇によって長岡京からの遷都地に選ばれ、唐の首都長安城に倣って計画都市として建設された。現在の京都府京都市・京都市街であり、当時の街路をほぼそのままに主要都市として現存している。明治2年(1869年)に政府(太政官)が東京(旧江戸)に移転して首都機能を失った。平安京が置かれてから鎌倉幕府が成立するまでの約400年間を日本史では「平安時代」という。.

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京福電気鉄道

京福電気鉄道株式会社(けいふくでんきてつどう)は、京都市内で軌道事業(路面電車)とケーブルカー及びロープウェイを運営している会社である。東証二部に上場している。.

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京福電気鉄道北野線

北野線(きたのせん)は、京都府京都市北区の北野白梅町駅から右京区の帷子ノ辻駅までを結ぶ京福電気鉄道の路線である。嵐山本線とともに嵐電(らんでん)と呼ばれる。 住宅街の中を走っているほか、沿線には名刹が多く駅名にもなっている。また、宇多野駅 - 鳴滝駅間の線路両側には桜並木があって桜のトンネルになっており、春の開花時には夜間ライトアップが行われる。全線が専用軌道である。 駅ナンバリングで用いられる路線記号はB。.

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京都大学

記載なし。

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京都市

京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.

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京都市三大事業

京都市三大事業(きょうとしさんだいじぎょう)とは、明治末年から大正初年に掛けて京都市で行われた都市基盤整備事業。「第二琵琶湖疏水(第二疏水)開削」、「上水道整備」、「道路拡築および市電敷設」の3つを言う。ここでは、三大事業のほか、その後に旧都市計画法に基づき行われた都市計画、道路拡築などの事業についても述べる。.

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京都市営地下鉄

京都市営地下鉄(きょうとしえいちかてつ)は、京都市交通局が運営する地下鉄。烏丸線・東西線の2つの路線があり、西京区を除く京都市内10区と宇治市を通っている。条例上は「京都市高速鉄道」と呼ばれている。.

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京都市内の通り

ここでは、旧京都市街の道路と、道路を基準として所在地を表す方式について記す。 同市街は南北と東西に直交する「碁盤の目」といわれる街路を特徴とし、主要な通りに限らずほとんどの通りが固有の名称を持つ。.

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京都市道181号京都環状線

京都市道181号京都環状線(きょうとしどう181ごう きょうとかんじょうせん)は、京都府京都市東山区東山三条から反時計回りに京都市南区十条河原町に至る主要地方道である。.

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京都市道182号蹴上高野線

京都市道182号蹴上高野線(きょうとしどう182ごう けあげたかのせん)は、京都府京都市東山区西小物座町から同市左京区田中上古川町に至る主要地方道である。.

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京都市電今出川線

今出川線(いまでかわせん)は、京都市の今出川通に敷設されていた京都市電の軌道路線。 明治終期に始まった京都市三大事業の一つである[道路擴築 並 電氣鐵道敷設事業]、京都市区改正設計に基づく大正後期の[都市計畫軌道延長事業]、そして昭和の初期から中期に至る[都市計畫軌道延長 第二期事業(外劃線)]と長い年月を掛けて建設された。白梅町-北野紙屋川町は市電最後の開業区間となった。この区間は京福電気鉄道北野線の白梅町 - 北野間を代替する形で建設されている。 路線は左京区浄土寺から北区北野までの市街を全区間併用軌道で横断していた。 1976年(昭和51年)に丸太町線、白川線と共に全線が廃止された。.

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京都市考古資料館

京都市考古資料館(きょうとしこうこしりょうかん)は、京都市上京区今出川大宮東入ルに位置する考古資料専門の博物館。.

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京都市LRT構想

京都市LRT構想(きょうとしエルアールティーこうそう)とは、京都市において検討が行われている交通政策事案の一つである。.

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京都府立医科大学

記載なし。

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京都府道101号銀閣寺宇多野線

京都府道101号銀閣寺宇多野線(きょうとふどう101ごう ぎんかくじうたのせん)は、京都府京都市左京区から同市右京区に至る一般府道である。.

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京都府道31号西陣杉坂線

北区大宮釈迦谷から撮影 京都府道31号西陣杉坂線(きょうとふどう31ごう にしじんすぎさかせん)は、京都市上京区千本今出川交差点を起点に、北区中川中山(杉阪口)に至る主要地方道である。.

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京都府道32号下鴨京都停車場線

京都府道32号下鴨京都停車場線(きょうとふどう32ごう しもがもきょうとていしゃじょうせん)は、京都府京都市左京区下鴨本町から京都停車場に至る主要地方道である。.

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京都府道38号京都広河原美山線

美山のかやぶき集落を経由している 京都府道38号京都広河原美山線(きょうとふどう38ごう きょうとひろがわらみやません)は、京都市下京区から南丹市美山町安掛に至る主要地方道である。.

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京都御苑

京都御苑(きょうとぎょえん)は京都府京都市上京区にある国民公園。京都御所の周囲の地区を指す。.

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京都御所

京都御所(模型) 京都御所(きょうとごしょ)は、京都府京都市上京区にある皇室関連施設。 14世紀から明治2年(1869年)までの間の「内裏(禁裏)」、すなわち歴代天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所である。現在は宮内庁京都事務所が管理している。.

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京阪電気鉄道

京阪電気鉄道株式会社(けいはんでんきてつどう、英称:Keihan Electric Railway Co., Ltd.)は、大阪府・京都府・滋賀県に路線網を持つ日本の大手私鉄。京阪ホールディングスの子会社である。通称は京阪電鉄または京阪電車で、略称は京阪。 本社事務所は大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号 大阪マーチャンダイズ・マートビル(OMMビル)内、登記上の本店所在地は大阪府枚方市岡東町173番地の1である。営業キロ程は91.1 km(2008年10月19日現在)。 京阪電気鉄道と、その子会社75社(有価証券報告書への記載義務のある連結子会社および有価証券報告書への記載義務のない非連結子会社を合わせた全子会社数)、および持分法適用関連会社3社から構成されている京阪グループの中核企業である。.

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五辻通

五辻通(いつつじどおり)は京都市の東西の通りの一つ。大宮通から西へ、上七軒の北野天満宮東門前の御前通まで。.

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今出川駅

同志社大学連絡口 今出川駅(いまでがわえき)は、京都府京都市上京区にある、京都市営地下鉄烏丸線の駅である。駅番号はK06。.

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御前通

御前通(おんまえどおり)は京都市の主要な南北の通りの一つ。北は寺之内通から南は久世橋通まで至り、南の延長は新城南宮道まで伸びている。途中、札辻通-十条通間で中断する。松原通-七条通間ではすぐ東を東御前通(ひがしおんまえどおり)が並行する。 一条通から十条通の間は、平安京の西大宮大路にあたる。全長は約7.5キロ。.

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御蔭通

御蔭通(みかげどおり)は、京都市左京区内の東西の通りの一つ。東は志賀越道から西は下鴨神社南西の下鴨本通、下鴨中通との交差点まで。今出川通と北大路通の間にある中程度の幹線道路で京都市バスも運行される。 山中越えとも称される志賀越道の起点は京の七口の一つである荒神口であったが、御蔭通と交差する北白川仕伏町から南西は一方通行の狭い道路になるため、現在の京都府道30号下鴨大津線では御蔭通が白川通、東大路通からのアクセスを担う。白川通との交差点(北白川別当)を経て京都大学北部キャンパス(グラウンド、農学部実験農場)あたりまでは大学教授などの多く住む住宅地。東大路との交差点(田中里ノ前)、さらに叡山電鉄を渡り、高野川を御蔭橋でわたれば賀茂御祖神社(下鴨神社)の糺の森の南を画す。.

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志賀越道

志賀越道(しがごえみち)は、京(京都)の七口である荒神口から、近江に至る街道。志賀の山越とも。室町時代には今路道(今道越)とも呼ばれ、近世の文献には山中越の呼称も見られる。.

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北区 (京都市)

北区(きたく)は、京都市を構成する11区のひとつである。住宅地を中心とした平野部と、北部の山間地で構成される。区内には金閣寺や大徳寺、上賀茂神社といった洛北の寺社のほか、立命館大学、佛教大学、大谷大学、京都産業大学などいくつかの大学がある。北大路駅付近と北野白梅町駅付近に商業施設が多い。.

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北野天満宮

北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「星梅鉢紋」。 通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。.

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北野白梅町駅

北野白梅町駅ホーム 駅周辺 北野白梅町駅(きたのはくばいちょうえき)は、京都府京都市北区下白梅町にある京福電気鉄道北野線の駅。駅ナンバリングはB9。.

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北野駅 (京都府)

北野駅(きたのえき)は、かつて京都府京都市上京区東竪町にあった京福電気鉄道北野線の駅(廃駅)である。.

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ライトレール

ンゼルスのライトレール TRAX(ライトレール) ライトレール (Light rail) とは、北米の「輸送力が軽量級な」都市旅客鉄道を指す。北米で公共交通機関の意である「トランジット」を付記し、ライトレールトランジット (Light rail transit, LRT) とも呼ばれる。和訳として「軽量軌道交通」がある。また、ライトレールの車両 (vehicle) はライトレール車両 (Light rail vehicle, LRV) とも呼ばれるLight rail vehicle (LRV) という言葉は、US Standard Light Rail Vehicle(Boeing-Vertol社製造)から始まった。近年のライトレール向け車両は、トラムトレインなどの併用軌道の走行を考慮して設計されているケースが多く、高速大量輸送対応の高規格型路面電車とも設計的に近いことがある。。なお、本項では北米以外でのライトレールの特徴を持つ都市鉄道についても説明を行う。 日本においては路面電車のうちで次世代的なイメージを喚起する路線(さらには車両)を指す際に、類似点があるとはいえ別概念と言えるライトレール (LRT) という名称で呼んでしまうことが見られる。また路面電車の「次世代」性を議論し、区別及び強調する説明が日本でしばしば行われている。についても「ライトレール (LRT)」と呼ぶことがある。-->.

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哲学の道

雪化粧した哲学の道 桜が満開の哲学の道 哲学の道(てつがくのみち)は京都市左京区にある琵琶湖疏水分線に沿った歩道である。.

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冷泉家

冷泉家(れいぜいけ)は、藤原北家御子左家(二条家)の流れを汲む公家。家格は羽林家。代々近衛中将に任官された。家名は冷泉小路に由来する。歌道の宗匠家の内の一つで冷泉流歌道を伝承している。.

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出町柳駅

出町柳駅(でまちやなぎえき)は、京都府京都市左京区にある、叡山電鉄・京阪電気鉄道の駅。駅番号は京阪電気鉄道がKH42、叡山電鉄がE01。 「出町柳」で鴨川左岸(東側)の当駅周辺の地名として定着しているが、元は出町と柳の二つの地名を合わせた駅名である。出町は鴨川右岸(西側、上京区側)の河原町今出川付近一帯を指す俗称、柳は鴨川左岸(東側、左京区側)の当駅周辺の字である(なお、叡山電鉄側の現所在地が「左京区田中上柳町」、京阪電鉄側の現所在地が「左京区田中下柳町」である)。.

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元誓願寺通

元誓願寺通(もとせいがんじどおり)は、京都市の東西の通りの一つ。全ての区間が上京区内に収まり、東は新町通から、西は七本松通まで至る。全長約1.5キロ。 ここでは西の延長である今小路通(いまこうじどおり)についても併せて取り上げる。.

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国道367号

国道367号(こくどう367ごう)は、京都府京都市から滋賀県高島市を経由して福井県三方上中郡若狭町に至る一般国道である。.

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神楽岡通

楽岡通(かぐらおかどおり)は、京都市の南北の通りの一つ。北は今出川通から、南は神楽坂通まで至り、全ての区間が左京区内に収まる。 吉田山(神楽岡)の東麓に沿って通じる。全長約0.9キロ。.

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立命館大学

末川記念会館前の木立に立つ。 第二次世界大戦前から戦中に掛けて、立命館大学は世相を反映して国家主義的傾向が強まっていった。 一方で滝川事件(立命館大学では「京大事件」と呼称)の際には同事件に連座して京都帝国大学を退官した教員を受け入れていた。終戦直後、同事件に連座した、京都大学法学部教授の末川博を総長へ招聘した。その末川を中心に大学の改革へ乗り出す。憲法と教育基本法を尊重して「平和と民主主義」を守ろうという末川の思想が中心となって、立命館大学は「民主的な学園運営」「自主的学習の尊重」の2本柱によって構成され、以下に記載する取り組みが現在の立命館大学に至るまで実施され続けている。末川が立命館大学に与えた影響は極めて大きく、これらの功績を讃えて、同大学では末川を名誉総長として顕彰している。また、末川が構成した思想を「立命館民主主義」と呼んでいる。.

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等持院駅

等持院駅(とうじいんえき)は、京都府京都市北区等持院西町にある京福電気鉄道北野線の駅。駅ナンバリングはB8。.

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烏丸通

京都タワーから北に見る。左手の覆屋のある施設一帯が東本願寺。 8号京都線がおおむね東西に蛇行する。手前は京都駅ビル、左端の建物は京都アバンティ。 烏丸通(からすまどおり)は京都市の主要な南北の通りのひとつ。今朱雀とも呼ばれる表どおりである。本来は「からすまる」と読まれたが、撥音便化を経て音が脱落し、現在は「からすま」と読む(からすまるどほり→からすまんどおり→からすまどおり)。「烏丸家」という公家もあるが、こちらは「からすまるけ」と読む。.

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相国寺

法堂(側面) 相国寺(しょうこくじ)は、日本の禅寺。京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺である。山号を萬年山(万年山)と称し、正式名称を萬年山相國承天禅寺(万年山相国承天禅寺、まんねんざん しょうこくじょうてんぜんじ)という。 本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利義満、開山(初代住職)は夢窓疎石である。 足利将軍家や伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺であり、京都五山の第2位に列せられている。相国寺は五山文学の中心地であり、画僧の周文や雪舟は相国寺の出身である。また、京都の観光名所として著名な鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)である。.

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白峯神宮

白峯神宮(しらみねじんぐう)は、京都府京都市上京区にある神社である。配流されてその地で歿した崇徳天皇・淳仁天皇を祀る。旧名白峯宮。旧・社格は官幣大社。.

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白川 (淀川水系)

北白川地蔵谷町付近(左京区) 二条通付近(東山区) 古川町橋(東山区) 白川(しらかわ)は、滋賀県大津市および京都府京都市を流れる淀川水系鴨川支流の一級河川である。流域のほとんどは京都市東山区及び左京区に属している。.

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白川通

白川通、北山通との交差点付近、京都市左京区 白川通(しらかわどおり)は、京都市の主要な南北の通りの一つ。東大路通よりさらに東にあり、北は宝ヶ池通から南は仁王門通(南禅寺前)まで。鴨川支流の白川沿いを通る。 今出川通(銀閣寺道)から北山通(修学院道)にかけてイチョウとケヤキの街路樹がある。沿道にはレストランやカフェ、ブティック、アンティークな店やエスニック料理店など北山通と並ぶファッションストリートとなっている。東鞍馬口通との交点である上終町(かみはてちょう)には京都造形芸術大学があり、京都大学の学生の下宿街でもあり若年者で賑わっている。また、北大路通以北から周辺には田畑も残っている。 宝ヶ池通より丸太町通との交点である東天王町までは4車線で、花園橋交差点から宝ヶ池駅付近で川端通を分岐するまでの約300mの区間は国道367号、北大路通 - 仁王門通間は京都市道182号蹴上高野線となっている。宝ヶ池駅南側にある叡山電鉄叡山本線との交差地点は自動車専用の立体交差が存在する。 丸太町通 - 仁王門通間は2車線で、春秋の観光シーズンには鹿ヶ谷通と共に南禅寺や永観堂への参拝客のタクシーや観光バスがひしめき合い、付近はしばしば渋滞となる。.

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百万遍交差点

北西から南東を見たところ 百万遍交差点(ひゃくまんべんこうさてん)は京都府京都市左京区にある交差点である。東西に走る今出川通(京都府道101号銀閣寺宇多野線)と南北に走る東大路通(京都市道181号京都環状線)との交点に位置する。交差点やや西寄りから北西方向にのびる細い道(柳通)があるが、これは今出川通の旧道である。 「百万遍」の名は交差点の北東に位置する知恩寺の通称「百万遍」に由来する。元弘元年(1331年)に疫病が大流行したときに、知恩寺の八世善阿空円上人が百万遍念仏を唱えたところ疫病が収まり、後醍醐天皇から百万遍という号を賜ったと伝えられている。 正式な地名ではないが、交差点の周辺の地域も「百万遍」と呼ばれる。.

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衣笠 (京都市)

金閣寺 衣笠(きぬがさ)は、京都府京都市北区の地区名のひとつ。地域としては、衣笠の他に等持院や小松原、平野、北野、大北山などの全域や一部を含むが、そのうち「衣笠」を冠称する町名は23に止まる。本項では同区域にかつて存在した葛野郡衣笠村(きぬがさむら)についても述べる。.

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衣棚通

衣棚通(御池通との交差点付近から南方面を望む)、京都市中京区 衣棚通(ころものたなどおり、ころもたなどおり)は京都市内の南北の通りの一つ。北は賀茂川右岸の加茂街道から南は六角通まで。途中紫明通から200mほど南の玄武公園横まで、また一条通と上長者町通の間で分断されている。一条通以北では何箇所かで東西方向にずれている。 平安京には存在せず、豊臣秀吉による天正の地割で新設され、その後北へ延長されて賀茂川に達した。江戸時代には東隣の室町通同様多くの呉服店があり、これが通り名の由来となった。しかし現在では室町通りと比べ和装関係の業者は少ない。.

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西大路通

西大路通、白梅町から望む左大文字 西大路通(にしおおじどおり)は、京都市中心市街地の西部に位置する主要な南北の通りの一つ。北は北大路通から南は十条通まで。平安京の野寺小路にほぼ相当する。.

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馬代通

代通(ばだいどおり)は京都市の南北の通り。平安京の馬代小路(ばだいこうじ)に該当する。.

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高野川 (京都市)

野川(たかのがわ)は、京都府京都市左京区を流れる淀川水系の一級河川である。流路延長17km。.

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鴨川 (淀川水系)

川(かもがわ)は、京都府京都市を流れる淀川水系の一級河川。.

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鹿ヶ谷通

鹿ヶ谷通(ししがたにどおり)は京都市内の南北の通り。 北は銀閣寺近くの今出川通から、南は南禅寺山内まで、東山北部の山麓を通る。 銀閣寺門前は観光地、南禅寺の近くは広大な庭園を備えた屋敷が続くが、途中は山裾の住宅地である。 西側の白川通と同じく南禅寺や永観堂付近では、観光シーズンに参拝客のタクシーや観光バスで混みあい、しばしば渋滞が発生する。.

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黒門通

黒門通(くろもんどおり)は、京都市の南北の通りの一つ。北は元誓願寺通から南は梅小路通まで至る。途中、丸太町通-押小路通間(二条城)、松原通-五条通間、花屋町通-七条通間(西本願寺)で中断する。 住宅街を通り抜ける、南行き一方通行の通りである。.

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東大路通

東大路通と四条通との交差点、祇園にある八坂神社 東大路通、東山区役所付近、東山区 修学院付近の東大路通 東大路通(ひがしおおじどおり)は京都市の主要な南北の通りの一つ。 平安京の東の端、東京極大路であった寺町通に代わり、現在の市街地東端の南北幹線と認識される。 旧称の東山通(ひがしやまどおり)という呼び方も現在も通用し、交差点名、バス停留所名などには市電時代からの「東山○○」が用いられる。 なお京都市内には、東大路通以外に、大路の名のつくものに北大路通、西大路通、葛野大路通などの幹線道路があるが、いずれも近代以降に設けられたもので、明治以前には存在しなかった。大和大路通(大和街道)は明治以前から存在する。 北は北山通、南はカーブしてそのまま九条通となる東福寺までである。 明治末期から大正初期に掛けての京都市三大事業によって丸太町通から七条通まで、その後の大正 - 昭和初期の都市計画事業によって北は北大路通、南は九条通までが拡幅され、北大路通との交差点である高野から南へ東福寺までは京都市電の東山線が敷設された。 市電の通っていなかった高野から北、北山通の間は道幅が狭くなる。 京都市内の幹線道路にしては珍しく、祇園から五条坂にかけてはかなりアップダウンがある。 東山五条交差点・清水道・祇園を中心として、観光シーズンにはかなりの渋滞が発生する。急行100号系統、206号系統など、京都駅と主要観光地を結ぶ路線バスの主経路にもなっているが、渋滞のために遅れを生ずることがしばしばである。特に東山五条交差点のすぐ北にある五条坂バス停の南行きは、観光シーズンには次々に到着するバスが長蛇の列を作って乗り込んでくる乗客の乗降に手間取り、2車線のうちの左側車線に長時間停車し、右側車線は右折車のために塞がるため、渋滞が深刻となっていた。ここ数年、春秋の観光シーズンには渋滞軽減のため、五条坂バス停を北に200メートルほど(五条坂よりも清水坂の方が近い位置)移動する措置が取られている。 東海道本線の東大路通との交点に東大路駅を設置する要望があり、周辺商店街には多くの「JR東大路駅の早期実現を」の掲示が見られるが、具体化の段階ではない。.

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東洞院通

東洞院通(蛸薬師通付近から北方向を望む) 東洞院通(ひがしのとういんどおり)は京都市の南北の通りの一つ。 北は丸太町通から南は京都駅まで。京都駅を挟んで南側の延長線上に竹田街道がある。.

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河原町通

河原町通 河原町通(かわらまちどおり)は京都市の南北の主要な通りのひとつ。.

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油小路通

四条通より北を見る 城南宮南出入口付近より南を望む 油小路通(あぶらのこうじどおり)は京都市の主要な南北の通りの一つ。平安京の油小路にあたる。北は武殿南通から南にのびる。途中紫明通から上立売通まで中断する。.

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洛中

#中国、洛陽城の京域内のこと。.

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新町通

新町通(しんまちどおり)は京都市の南北の通りの一つ。 北は玄以通から、南は京都駅で分断されるが、久世橋通の南まで延びている。 平安京の町小路(町口小路・町尻小路)にあたる。 町小路から新町通に名前が変わった理由ははっきりしないが、その時期は、およそ元亀の頃から天正初年頃の1570年代前半と推定されている。 京都府庁の東側と東本願寺の西側を通っている。御池通から五条通までは北行き一方通行、五条通から七条通までと八条通から十条通までは南行き一方通行である。 祇園祭で、御池通を西に進む山鉾が左折して新町通を下がり、それぞれの鉾町に帰っていく、巡行の最後の経路にあたっている。そのため、通の上を横断する電線が張られていない。 寺之内通から下立売通に掛けては、第二次世界大戦中建物疎開が行われ、その結果、拡幅された今の形となっている。なお、上立売通から北については新町通が筋違いになっているため、別の部分が拡幅されている。地元では、拡幅されたこの通りを新新町通(しん・しんまちどおり)と呼ぶこともある。.

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慈照寺

東山慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、臨済宗相国寺派の寺院。相国寺の境外(けいがい)塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。 室町幕府8代将軍足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣(ぎんかく)、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺(ぎんかくじ)として知られる。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。銀閣は、金閣、飛雲閣(西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれる。 山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は足利義政、開山は夢窓疎石とされている。夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物(故人)であり、このような例を勧請開山という。.

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智恵光院通

智恵光院通(ちえこういんどおり)は京都市内の南北の通りの一つ。北は北大路通の大徳寺門前から南は竹屋町通の二条城の北の堀端まで、大宮通と千本通の間を走る。途中、寺之内通と丸太町通で鍵の手に折れる。また、下立売通の南方で約25~30m間 北西⇔南東に遷移する区間がある。南の延長線上、御池通から南に矢城通、さらに南に壬生川通(壬生通)がある。 寺之内通以北は住宅地の中を走る細い通り、寺之内通から丸太町通までは両側に歩道も設けられた2車線道路だが、通過する車両は比較的少ない。 1964年1月27日までは京都市営バス25号系統の運行経路の一部として寺之内⇔丸太町間、また1981年5月29日の系統廃止までは今出川⇔丸太町間が設定されていた。 名前は一条上ルにある智恵光院からつけられた。.

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1976年

記載なし。

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1994年

この項目では、国際的な視点に基づいた1994年について記載する。.

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