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上山藩

索引 上山藩

上山藩(かみのやまはん)は、江戸時代,出羽国(羽前国)村山郡の上山(現在の山形県上山市)周辺を領有した藩。藩庁は上山城に置かれた。.

100 関係: お家騒動大坂城代天保外様大名奥羽越列藩同盟寛永山形県山形藩岩槻藩上山城上山市上山藩鼓笛楽隊上山温泉上野山義直上杉景勝中村新右衛門三島郡 (新潟県)三田藩久保田藩庭瀬藩五十嵐于拙庄内藩延宝延享伊予国伊予松山藩伊達氏会津藩土岐頼行土岐頼殷北越戦争刈羽郡備中国出羽国元和 (日本)元禄米沢藩美濃国羽州街道羽前国直江兼続飛騨国飛騨高山藩譜代大名鯖江藩越後国越前国軍楽隊郡上藩能見松平家...薩摩藩藩校蒲生忠知蒲生忠郷金子万嶽金子清邦金森頼時長禄陸奥国松平信古 (上山藩主)松平信宝 (上山藩主)松平信安松平信将松平信亨松平信庸 (上山藩主)松平信行松平信通松平信愛松平重忠松平重直松平長恒村山郡江戸薩摩藩邸の焼討事件江戸時代最上義光最上騒動最上氏戊辰戦争戦国時代 (日本)明和新庄藩文化 (元号)摂津国改易慶長慶長出羽合戦1458年1600年1622年1626年1678年1691年1697年1747年1771年1809年1834年1868年1871年 インデックスを展開 (50 もっと) »

お家騒動

お家騒動(御家騒動、おいえそうどう)は、江戸時代の大名家における内紛である。現代においては、比喩的に企業(同族経営の会社に多い)や家族といった組織における内部抗争をお家騒動に擬えて呼ぶことがある。.

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大坂城代

大坂城代(おおさかじょうだい)は、江戸幕府の役職の一つ。将軍直属で有力な譜代大名が任じられ、大坂城主である将軍に代わり大坂城を預かった。.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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外様大名

外様大名(とざまだいみょう)は、譜代大名に対して、関ヶ原の戦い前後に新しく徳川氏の支配体系に組み込まれた大名を指す。.

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奥羽越列藩同盟

奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)は、戊辰戦争中の1868年(慶応4年/明治元年)5月6日に成立した同盟でTBS系列「水トク!林修の歴史ミステリー」2017年11月15日放送。仙台藩主・伊達慶邦の命を受け、『仙台藩の坂本龍馬』とも称された仙台藩士・玉虫左太夫が、薩長を中心とする新政府軍に対抗する「奥羽越列藩同盟」を成立させるために東北諸藩を回った。、陸奥国(奥州)、出羽国(羽州)、越後国(越州)の諸藩が、輪王寺宮・北白川宮能久親王を盟主とし、薩長中心の新政府の圧力に対抗するために結成された。 新政府軍に対抗すべく、現在の東北地方と新潟県に位置する諸藩が『東日本』として独立することが同盟の目的であるが、最初は、奥羽諸藩が会津藩、庄内藩の「朝敵」赦免嘆願を目的として結んだ同盟(奥羽列藩同盟)であった。よって両藩は同盟の盟約書には署名していなが会庄同盟を結成した。しかし、この赦免嘆願が拒絶された後は、同盟は新たな政権(北部政権)の確立を目的とした軍事同盟に変化した。 同盟のイデオローグ・理論的指導者として仙台藩の大槻磐渓の存在が挙げられる。そして、同じく仙台藩の玉虫左太夫は、仙台藩主の伊達慶邦の命を受けて東北諸藩を回り同盟を成立させた立役者の一人として知られる。なお、加盟各藩はいずれも当初は、薩長など新政府が仙台に設置した奥羽鎮撫総督(おううちんぶそうとく)に従っていた。 .

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寛永

寛永(かんえい)は日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1645年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。.

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山形県

山形県の地形図 山形県(やまがたけん)は、日本の東北地方南西部の県。日本海に面する。県庁所在地は山形市。.

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山形藩

山形藩(やまがたはん)は、出羽(羽前)村山郡山形(現在の山形県山形市)に居城(山形城)を置いた藩。本項目では山形藩と関係の深い大森藩(おおもりはん)、朝日山藩(あさひやまはん)についても記述する。.

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岩槻藩

岩槻藩(いわつきはん)は、武蔵国埼玉郡(現在の埼玉県さいたま市岩槻区大字太田)に存在した藩。居城は岩槻城。.

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上山城

上山城(かみのやまじょう)は、山形県上山市にあった日本の城である。別名、月岡城。江戸時代には上山藩の藩庁が置かれた。.

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上山市

葉山 上山市(かみのやまし)は、山形県南東部にある市。江戸時代には上山藩の城下町や羽州街道の宿場町として栄え、現在は上山温泉で知られる。城下町・宿場町・温泉街の3つを兼ね備えた都市は、全国的にも珍しいとされる。.

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上山藩鼓笛楽隊

上山藩鼓笛楽隊(かみのやまはんこてきがくたい)は、戊辰の役の頃に上山藩でフランス式の軍隊調練を行った際に奉奏されたことが始まりと伝えられる鼓笛隊(軍楽隊)である。 この鼓笛隊は廃藩置県によって消滅したが、1927年(昭和2年)に復活した。「上山藩鼓笛楽」が1973年(昭和48年)に上山市の無形文化財に指定された。上山藩鼓笛楽保存会が継承にあたる上山藩鼓笛楽譜。.

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上山温泉

上山温泉(かみのやまおんせん)は、山形県上山市(旧国出羽国、明治以降は羽前国)にある温泉。古くは同じ山形県の湯野浜温泉、福島県の東山温泉と共に「奥羽三楽郷」に数えられた。.

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上野山義直

上野山 義直(かみのやま よしなお)は、江戸時代初期の武将。最上氏の家臣。最上義光の五男。初名は、光広(みつひろ/あきひろ)。.

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上杉景勝

上杉 景勝(うえすぎ かげかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。豊臣政権の五大老の一人。米沢藩の初代藩主。上杉宗家(山内上杉家)17代目で、同家16代目上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目。 上田長尾家出身で、初名は長尾顕景。同じ長尾家出身の叔父・上杉謙信の養子となり、名を上杉景勝と改めた。実子のいない謙信の死後、上杉家の家督相続を争った御館の乱で勝利し、謙信の後継者として上杉家の当主となった。 豊臣秀吉に仕え、豊臣家五大老の1人として、会津藩120万石を領した。秀吉の死後、徳川家康が景勝討伐に向かい関ヶ原の戦いが幕開け。景勝は、石田三成ら西軍に付き敗北。戦後に、徳川家康から上杉氏の存続は許されたが米沢藩30万石へ減封となった。.

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中村新右衛門

中村 新右衛門(なかむら しんえもん)は、江戸時代中期の出羽上山藩士。諱は直雄(なおかつ)。 父は中村喜左衛門直興。明和4年(1767年)7月に家督を相続し、藩主の松平信亨に仕えた。安永2年(1773年)11月に馬廻・普請方に任命され、翌年には徒頭・御側目付・納戸役に任命された。安永9年(1780年)9月に郡奉行に任命され、藩政に参与する。当時の上山藩では藩主の信亨が藩政に無関心で奢侈な生活を送って財政難の状況で、藩内では主導権をめぐって保守派と改革派で争っていた。中村は改革派に属していたが、保守派によって讒訴され、それを信じた信亨によって天明3年(1783年)1月に全ての職を解かれて永蟄居とされた。 その後は生活に貧窮し、失意の内に翌年7月に死亡した。享年38。.

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三島郡 (新潟県)

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三田藩

三田藩(さんだはん)は、摂津国有馬郡三田(現在の兵庫県三田市)周辺を領有した藩。藩庁は当初三田城、のち三田陣屋。.

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久保田藩

『天保国絵図』より「出羽国秋田領」 久保田藩(くぼたはん)は、江戸時代の藩の一つである。秋田藩(あきたはん)とも呼ばれる「秋田市史 第四巻」7頁。。久保田城を居城とした。藩主は佐竹氏で、室町時代以来の常陸守護の家柄であったが、関ヶ原の戦いにおける挙動を咎められて出羽国(後の羽後国)秋田へ移封された。石高は約20万石(実高は約40万石)。家格は大広間詰国持大名。 支藩として、新田分知された家が2家有る他、2代義隆の実家亀田藩(岩城氏)が事実上の支藩となっていた時期もあった。.

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庭瀬藩

庭瀬陣屋跡(石垣と堀) 庭瀬藩(にわせはん)は、備中国賀陽郡庭瀬村(岡山県岡山市北区庭瀬)に藩庁(庭瀬陣屋)を構えた藩である。庭瀬陣屋は旧庭瀬城二の丸を使用して築かれた。.

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五十嵐于拙

五十嵐 于拙(いがらし うせつ)は、出羽上山藩の藩士・儒学者。諱は光春(みつはる)。.

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庄内藩

庄内藩または荘内藩(しょうないはん)は、江戸時代の日本で、出羽国田川郡庄内(現在の山形県鶴岡市)を本拠地として、現在の庄内地方を知行した藩である。 譜代大名の酒井氏が一貫して統治した。明治時代初頭に大泉藩(おおいずみはん)と改称した。 藩庁は鶴ヶ岡城。枝城として酒田市に亀ヶ崎城を置おいた。支藩に大山藩・松山藩がある。.

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延宝

延宝(えんぽう、旧字体: 延寳)は日本の元号の一つ。寛文の後、天和の前。1673年から1681年までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱、徳川綱吉。.

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延享

延享(えんきょう)は日本の元号の一つ。寛保の後、寛延の前。1744年から1748年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇、桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗、徳川家重。.

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伊予国

伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。.

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伊予松山藩

伊予松山藩(いよまつやまはん)は、江戸時代、伊予国温泉郡(現在の愛媛県松山市)を中心に久米郡・野間郡・伊予郡などを知行した藩。藩庁は松山城。 松山城大天守(国の史跡・重要文化財).

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伊達氏

伊達氏(だてし/いだてし)は、鎌倉時代から江戸時代まで東北地方南部を本拠とした一族で、桓武平氏繁盛流常陸大掾と称する。伊予国・但馬国・駿河国などに庶流家がある。.

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会津藩

若松城 会津藩(あいづはん)は、陸奥(後の岩代)会津郡を中心に現在の福島県西部と新潟県および栃木県の一部を治めた藩。藩庁は若松城(会津若松市)。最大版図は陸奥国北会津郡、耶麻郡、河沼郡、大沼郡及び越後国東蒲原郡、下野国塩谷郡の一部(三依村)。.

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土岐頼行

土岐 頼行(とき よりゆき)は、摂津高槻藩の第2代藩主。後に下総相馬藩主を経て、出羽上山藩の初代藩主となる。沼田藩土岐家2代。松本一指に学び、自得記流を創始した槍術家でもある。.

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土岐頼殷

土岐 頼殷(とき よりたか)は、出羽上山藩の第2代藩主。のちに越前野岡藩を経て、駿河田中藩の初代藩主となった。沼田藩土岐家3代。.

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北越戦争

北越戦争(ほくえつせんそう)は、戊辰戦争の局面のひとつとして長岡藩(現・新潟県長岡市)周辺地域で行われた一連の戦闘の総称である。.

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刈羽郡

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備中国

備中国(びっちゅうのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.

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出羽国

出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。.

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元和 (日本)

元和(げんな)は日本の元号の一つ。慶長の後、寛永の前。1615年から1624年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川秀忠、徳川家光。.

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元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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米沢藩

戦国時代から江戸時代初期にかけての上杉氏系図。米沢藩の初代藩主・上杉景勝から第3代藩主・上杉綱勝まで。 江戸時代中期から昭和時代までの上杉氏系図。4代藩主・上杉綱憲から現当主まで。 米沢藩(よねざわはん)は、出羽国(明治維新以降の羽前国)置賜郡(現在の山形県東南部置賜地方)を治めた藩。藩庁は米沢城(米沢市)。藩主は上杉氏。家格は外様で国主、石高は30万石、のち15万石から18万7千石。.

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美濃国

美濃国(みののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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羽州街道

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羽前国

羽前国(うぜんのくに)は、東北戦争終結直後に出羽国を分割し制定された、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は羽後国とあわせて、または単独で羽州(うしゅう)。領域は現在の山形県のうち、飽海郡と酒田市北部(最上川以北)を除いた大部分にあたる。.

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直江兼続

江 兼続(なおえ かねつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。米沢藩(主君 上杉景勝)の家老。兜は「錆地塗六十二間筋兜」 立物は「愛字に端雲の立物」。.

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飛騨国

飛騨国(ひだのくに、)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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飛騨高山藩

飛騨高山藩(ひだたかやまはん)は、飛騨国を領有した藩。藩庁を高山城(現在の岐阜県高山市神明町)に置いた。単に高山藩とも言う。 高山陣屋.

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譜代大名

譜代大名(ふだいだいみょう)は、江戸時代の大名の出自による分類の一つである。もともと「譜第(譜代)の臣」と言うように、数代にわたり主家に仕え(譜第/譜代)、家政にも関わってきた家臣のことをさす。主家との君臣関係が強く、主家滅亡時に離反すると、世間から激しく非難されることが多かった。 譜代大名のはじまりは徳川家康が豊臣政権のもとで関東地方に移封された際に、主要な譜代の武将に城地を与えて大名格を与えて徳川氏を支える藩屏としたことに由来する。それに対してそれ以外の家臣は徳川氏の直轄軍に編成されて後の旗本や御家人の元となった。.

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鯖江藩

鯖江藩(さばえはん)は、越前国(現在の福井県の敦賀市から北部分)に存在した藩。鯖江陣屋に藩庁が置かれた。.

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越後国

越後国(えちごのくに)は、かつて日本の行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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越前国

越前国(えちぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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軍楽隊

軍楽隊(ぐんがくたい) とは、軍隊に属する音楽隊。.

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郡上藩

郡上藩(ぐじょうはん)は、江戸時代に美濃国(現在の岐阜県郡上市八幡町)に存在し郡上郡の大半と越前国の一部を統治した藩。藩庁は八幡城。八幡藩(はちまんはん)とも。.

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能見松平家

能見松平家(のみまつだいらけ)は、三河国の松平氏の庶流。松平信光の八男・光親を祖とする。三河国額田郡能見(現在の愛知県岡崎市能見町)を領したことから能見松平家と称す。.

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薩摩藩

薩摩藩庁が置かれた鹿児島城 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、間接的に沖縄県の大部分を服属させた。.

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藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。.

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藩校

弘道館(水戸藩) 藩校(はんこう)は、江戸時代に、諸藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校。、、藩学校ともいう。 内容や規模は多様だが、藩士の子弟は皆強制的に入学させられた。後に、皆に開放された藩校もある。広義では医学校・洋学校・皇学校(国学校)・郷学校・女学校など、藩が設立したあらゆる教育機関を含む。藩校は、藩の費用負担により藩地に設立されたが、一部の例外として江戸藩邸に併設された学校もあった。藩士に月謝の支払い義務はない上に、成績優秀者には藩から就学支援金を給し、江戸等に遊学させることがあった。 全国的な傾向として、藩校では武芸も奨励され、7〜8歳で入学して第一に文を習い、後に武芸を学び、14〜15歳から20歳くらいで卒業する。教育内容は、四書五経の素読と習字を中心として、江戸後期には蘭学や、武芸として剣術等の各種武術などが加わった。 藩校の入学における主な試業(試験)は素読吟味であり、四書(儒学の基本文献。「大学」「中庸」「論語」「孟子」の総称)のうち、抜粋した漢文を日本語訳で3回読み上げる。内容の解釈はともかく、読みの誤謬(読み間違い)、遺忘(忘れてしまうこと)の多少で合否が決まる。江戸幕府では10月頃に行われていた。藩校の入学試験に合格しても、次から次へと試験を行わなければならず、落第した者には厳罰が課せられる。特に三度の落第者には厳しい厳罰が設けられている。それは藩校によって様々だが、主な厳罰として、嫡男なら相続の際、家禄の減俸。更に親の役職を継ぐにもままならず無役のまま生涯を送ることもなりかねない。.

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蒲生忠知

蒲生 忠知(がもう ただとも)は、江戸時代前期の大名。出羽上山藩主、後に伊予松山藩主。諱は「ただちか」とも。.

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蒲生忠郷

蒲生 忠郷(がもう たださと、慶長7年(1602年)- 寛永4年1月4日(1627年2月19日))は、陸奥会津藩第2代藩主。初代藩主蒲生秀行の長男。母は徳川家康の三女・振姫。正室は藤堂高虎の娘。官位は従三位参議、下野守。幼名亀千代。.

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金子万嶽

金子 万嶽(かねこ ばんがく)は、出羽上山藩の家老。諱は清英(きよひで)。 宝暦14年(1764年)3月に兄の清房の養子となって跡を継ぎ、上山藩主の松平信亨に仕えた。寛政5年(1793年)11月に中老となり、次いで家老に列して100石3人扶持の禄高を与えられた。当時の上山藩では先代の信亨が藩政に無関心な上に奢侈な生活を送って藩財政の悪化を招き、信古(信亨の長男)も父親と同じような人物だったため、藩内で主導権抗争が起こった。万嶽は農村改革派の中心人物であり、領民に重税を強いることで財政再建を図る保守派と対立。しかし藩主の信古は保守派であり、万嶽は信古と対立して寛政6年(1794年)に信古に対して諫書を差し出して隠退し、上山を去って江戸に出た。 江戸では麻布に住居を構え、俳人となった。多くの門人を擁して。晩年に常両軒・古調庵・道機居士と号した。文政4年(1821年)2月27日、江戸で死去。享年は93という長寿であった。 幕末同藩で藩政を主導した金子清邦は同族。.

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金子清邦

金子 清邦(かねこ きよくに)は、江戸時代末期の出羽上山藩の中老で死後に家老となった横山他 (1998)、p.232。 上山藩に仕えた家老(中老)である『山形県史:近世編下』 (1987)、p.842。天保11年(1840年)に陸奥仙台藩の大槻平泉の門下となる。弘化4年(1847年)に藩校である明新館の都講となる横山他 (1998)、p.233。以後、藩校の改革に専念し、中沢雪城など有能な人材を多く招聘して校風刷新と士風の振興に尽力した。 このときの実力を藩主からも評価され、家老に任命された。清邦は積極的な藩政改革(産業振興・文武奨励・洋式軍隊の整備等)を行なった。慶応3年(1868年)12月25日、藩主の松平信庸に従って江戸三田における薩摩藩邸襲撃に参加したが(江戸薩摩藩邸の焼討事件)、このときに流れ弾に当たって重傷を負い、それが原因で翌日に死亡した。享年45。.

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金森頼時

金森 頼時(かなもり よりとき)は、江戸時代前期の大名、側用人。飛騨高山藩第6代藩主、のち出羽上山藩主、美濃郡上藩主。能書家で、和歌や茶を嗜んだ。.

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長禄

長禄(ちょうろく)は、日本の元号の一つ。康正の後、寛正の前。1457年から1461年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇。室町幕府将軍は足利義政。.

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陸奥国

奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。.

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松平信古 (上山藩主)

松平 信古(まつだいら のぶふる)は、江戸時代後期の大名。出羽上山藩の第5代藩主。藤井松平家嫡流11代。.

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松平信宝 (上山藩主)

松平 信宝(まつだいら のぶみち)は、江戸時代後期から幕末の大名。出羽上山藩の第8代藩主。藤井松平家嫡流14代。.

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松平信安

松平 信安(まつだいら のぶやす)は、幕末から明治時代の大名、華族。出羽上山藩の第10代(最後)の藩主。藤井松平家嫡流16代。.

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松平信将

松平 信将(まつだいら のぶまさ)は、出羽上山藩の第3代藩主。藤井松平家嫡流9代。.

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松平信亨

松平 信亨(まつだいら のぶつら)は、江戸時代後期の大名。出羽上山藩の第4代藩主。藤井松平家嫡流10代。.

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松平信庸 (上山藩主)

松平 信庸(まつだいら のぶつね、天保15年8月11日(1844年9月22日) - 大正7年(1918年)3月5日)は、江戸時代末期の大名。出羽上山藩第9代藩主。藤井松平家嫡流14代。松平信宝の長男。正室は小笠原長国の娘直子。子は松平信恭(長男)、松平信鑑(次男)、松平鉱(三男)、勝子(山内豊尹継室)、仲子(市橋長寿正室)。幼名は菊太郎。官位は従五位下、山城守。 文久元年(1861年)12月16日、従五位下安房守に叙任する。後に山城守に改める。文久2年(1862年)4月6日、父信宝の隠居により、家督を相続する。藩政としては、領内に灌漑用の堤(忠川堤)を築造した。慶応3年(1867年)9月、江戸市中取締を命じられる。同年12月、庄内藩とともに薩摩藩の江戸藩邸を攻撃する(江戸薩摩藩邸の焼討事件)。この際、家老の金子清邦が死亡した。慶応4年(1868年)6月、戊辰戦争に際し奥羽越列藩同盟に参加した。明治元年(1868年)9月、明治政府に降伏し、同年10月、江戸の菩提寺・松光寺に入り謹慎した。同年12月7日、3000石を没収の上で隠居を命じられた。家督は異母弟の信安が相続した。明治3年(1870年)7月、知藩事信安の後見補佐を命じられた。大正7年(1918年)3月5日、75歳で死去した。 のふつね Category:上山藩主 Category:譜代大名 Category:幕末の大名 Category:1844年生 Category:1918年没.

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松平信行

松平 信行(まつだいら のぶゆき)は、江戸時代後期の大名。出羽上山藩の第7代藩主。藤井松平家嫡流13代。.

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松平信通

松平 信通(まつだいら のぶみち)は、江戸時代中期の大名。大和興留藩主、のちに藤井松平家嫡流の家督を継ぎ備中庭瀬藩主、出羽上山藩の初代藩主。藤井松平家嫡流6代。.

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松平信愛

松平 信愛(まつだいら のぶざね)は、江戸時代後期の大名。出羽上山藩の第6代藩主。藤井松平家嫡流12代。.

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松平重忠

松平 重忠(まつだいら しげただ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名。遠江国横須賀藩2代藩主、出羽国上山藩初代藩主。杵築藩能見松平家2代。.

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松平重直

松平 重直(まつだいら しげなお)は、江戸時代前期の譜代大名。出羽上山藩第2代藩主、摂津三田藩主、豊後竜王藩主、豊後高田藩初代藩主。杵築藩能見松平家3代。.

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松平長恒

松平 長恒(まつだいら ながつね)は、江戸時代中期の大名。出羽上山藩の第2代藩主。藤井松平家嫡流8代。.

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村山郡

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江戸薩摩藩邸の焼討事件

江戸薩摩藩邸の焼討事件(えどさつまはんていのやきうちじけん)は、薩摩藩が江戸市中取締の庄内藩屯所を襲撃した為、幕末の慶応3年12月25日(1868年1月19日)の江戸の三田にある薩摩藩の江戸藩邸が江戸市中取締の庄内藩新徴組らによって襲撃され、砲火により焼失した事件のことである。この事件からの一連の流れが戊辰戦争のきっかけとなった。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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最上義光

最上 義光(もがみ よしあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名。最上氏第11代当主。出羽山形藩の初代藩主。伊達政宗の伯父にあたる。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、最上家を57万石の大大名に成長させて全盛期を築き上げた。.

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最上騒動

最上騒動(もがみそうどう)は、江戸時代前期に起こった出羽山形藩の最上氏によるお家騒動である。.

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最上氏

最上氏(もがみし)は、清和源氏の足利氏の支流である。三管領の一つ斯波氏の分家にあたる。室町幕府の羽州探題を世襲できる家柄で、のち出羽国の戦国大名として成長した。斯波最上氏とも斯波出羽家とも呼ばれることがある。.

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戊辰戦争

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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明和

明和(めいわ)は日本の元号の一つ。宝暦の後、安永の前。1764年から1772年までの期間、施行された。この時代の天皇は後桜町天皇、後桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

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新庄藩

新庄藩(しんじょうはん)は、出羽国(羽前国)最上郡全域(現在の山形県新庄市周辺)と村山郡の一部(現在の北村山郡大石田町・村山市・河北町)を統治した藩。居城は新庄城。.

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文化 (元号)

文化(ぶんか)は日本の元号の一つ。享和の後、文政の前。1804年から1818年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇、仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。 町人文化が顕著に発展した時期であり、後続する文'''政'''期とあわせ、化政文化という。.

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摂津国

摂津国(せっつのくに、旧字体:攝津國)は、日本の令制国の一つ。畿内に属する。現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたる。.

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改易

改易(かいえき)は、律令制度では現職者の任を解き新任者を補任することを、鎌倉時代・室町時代には守護・地頭の職の変更を意味した。江戸時代においては大名・旗本などの武士から身分を剥奪し所領と城・屋敷を没収すること。除封ともいう。所領を削減されることを減封という。.

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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慶長出羽合戦

慶長出羽合戦(けいちょうでわかっせん)は、慶長5年(1600年)出羽国で行なわれた上杉景勝(西軍)と最上義光・伊達政宗(東軍)の戦いで、「北の関ヶ原」といわれる。東軍が勝利。.

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1458年

記載なし。

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1600年

400年に一度の世紀末閏年(16世紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年となる(グレゴリオ暦の規定による)。。.

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1622年

記載なし。

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1626年

記載なし。

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1678年

記載なし。

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1691年

記載なし。

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1697年

記載なし。

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1747年

記載なし。

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1771年

記載なし。

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1809年

記載なし。

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1834年

記載なし。

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1868年

記載なし。

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1871年

記載なし。

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