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三笠宮

索引 三笠宮

三笠宮(みかさのみや)は、大正天皇の第四皇男子崇仁親王の宮号であり、崇仁親王の妃とその子孫の宮家(直宮家)である。現当主は崇仁親王妃百合子。.

61 関係: お印千家典子千容子千宗室 (16代)大勲位大正大正天皇子爵宮号宮家宮内庁宀部寛仁親王寛仁親王妃信子崇仁親王妃百合子三笠宮崇仁親王三笠山彬子女王御称号ヒイラギカツラ (植物)カエデカシワクスノキ皇室典範皇室経済会議皇族秩父宮絢子女王瑶子女王直宮家裏千家高円宮高円宮憲仁親王高松宮高木正得貞明皇后近衛忠てる近衛やす子茶道阿倍仲麻呂赤坂御用地臣籍降下長男東京都桂宮桂宮宜仁親王木部春日山 (奈良県)昭和...日本赤十字社憲仁親王妃久子承子女王10月22日12月2日1915年1935年1941年1988年2012年2016年 インデックスを展開 (11 もっと) »

お印

お印(おしるし)は、日本の皇族が身の回りの品などに用いる徽章・シンボルマーク。御印章とも。.

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千家典子

千家 典子(せんげ のりこ、1988年〈昭和63年〉7月22日 - )は、日本の元皇族で、出雲大社権宮司・千家国麿の妻。結婚前の名と身位は典子女王(のりこじょおう)で、皇室典範における敬称は殿下。高円宮憲仁親王と同妃久子の第二女子。姉に承子女王、妹に絢子女王がいる。お印は蘭(らん)。栄典は宝冠牡丹章(旧勲二等宝冠章に相当)。学位は学士(心理学)。.

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千容子

千 容子(せん まさこ、1951年(昭和26年)10月23日 - )は、日本の元皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第二女子。旧名は容子内親王。千宗室(茶道裏千家第16代家元)夫人。お印は楓(かえで)。勲等は勲一等。学位は法学士(学習院大学)。.

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千宗室 (16代)

千 宗室(せん そうしつ、1956年 - )は、茶道裏千家家元16代玄黙宗室で斎号は坐忘斎。本名政之。若宗匠時代は宗之。裏千家の家元は代々『宗室』を襲名する。.

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大勲位

大勲位(だいくんい).

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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大正天皇

大正天皇(たいしょうてんのう、1879年(明治12年)8月31日 - 1926年(大正15年)12月25日)は、日本の第123代天皇。諱は嘉仁(よしひと)。幼少時の御称号は明宮(はるのみや)。お印は壽(じゅ)。 明治以降で初の一夫一妻制を採った天皇。.

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子爵

子爵(ししゃく、 )は、中国で儒教の経典によって古代より用いられたと主張された爵位(五爵)の第4位。伯爵の下位、男爵の上位に相当する。近代日本の華族の爵位にも取り入れられた。ヨーロッパ諸国の貴族の爵位の訳語にも使われる。.

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宮号

宮号(みやごう)とは、宮家の当主たる皇族男子に与えられる「○○宮」という形式の称号。.

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宮家

宮家(みやけ)とは、日本において、宮号を賜った皇族の一家のことである。親王および諸王の家を指すこともある。 宮(みや)とは、元々、天皇および皇族の邸の事を指し、転じて住んでいる皇族のことを指すに至った。さらに、親王の身位とともに「○○宮」との称号(宮号)を世襲することが認められる例が生じ、これが「宮家」と呼ばれるものであり、個別には宮号に応じて「○○宮家」と呼ばれることがある。ただし、現行法上はいずれも法的な根拠を持つものではない。「○○宮」の称号は宮家の当主たる(あるいは生前当主であった)親王個人の称号であり、その家族は用いない。 宮家のうち天皇の子女や兄弟が創設した宮家を直宮家という。 当今の天皇との血統の遠近にかかわらず、代々親王宣下を受けることで親王の身位を保持し続けた宮家を世襲親王家という。.

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宮内庁

宮内庁(くないちょう、Imperial Household Agency)は、日本の行政機関の一つである。 「皇室関係の国家事務、天皇の国事行為にあたる外国の大使・公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務をつかさどり、御璽・国璽を保管する内閣府の機関」である。 なお、宮内庁はかつて総理府の外局」であったが、現在は内閣府の外局(内閣府設置法第49条・第64条)ではなく「内閣府に置かれる独自の位置づけの機関」とされている(内閣府設置法48条)。官報の掲載では内閣府については「外局」ではなく「外局等」として宮内庁を含めている。.

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宀部

right 宀部(べんぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。康熙字典214部首では40番目に置かれる(3画の11番目)。宀の字は交差して覆う屋根をかたどり、家屋を意味する。 偏旁の意符では主に家屋や屋根の名称・家屋に関わる形容詞・動詞であることを示している。 宀部はこのような意符を構成要素とする漢字を分類している。.

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寛仁親王

寬仁親王(ともひとしんのう、1946年(昭和21年)1月5日 - 2012年(平成24年)6月6日)は、日本の皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第一男子。今上天皇の従弟、麻生太郎元内閣総理大臣の義弟にあたる。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は柏(かしわ)。勲等は大勲位。称号 (現学位)は政治学士(学習院大学)、鈴鹿国際大学名誉客員教授。そのほか名誉学位として名誉博士(アンカラ大学)の称号を有する。 髭をたくわえた容貌から、「ヒゲの殿下」の愛称で知られていた。皇統譜上の記載は「寛」の旧字体である「寛に『、』が付く字」であるため、政府による公式表記及び本人の著述活動においては旧字体が使用されるが、報道等では新字体で表記されることも多い。生前の住居(寬仁親王邸)は、東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内。2013年7月31日より旧寬仁親王邸は三笠宮東邸と称されている。 姉に近衛甯子、弟に桂宮宜仁親王と高円宮憲仁親王、妹に千容子がいる。.

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寛仁親王妃信子

寬仁親王妃信子(ともひとしんのうひ のぶこ、1955年(昭和30年)4月9日 - )は、日本の皇族で、寬仁親王の妃。旧名、麻生信子(あそう のぶこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は花桃(はなもも)。勲等は勲一等。 麻生セメント会長の麻生太賀吉の娘。第45・48・49・50・51代内閣総理大臣・吉田茂の孫。第92代内閣総理大臣麻生太郎の妹。.

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崇仁親王妃百合子

崇仁親王妃百合子(たかひとしんのうひ ゆりこ、1923年(大正12年)6月4日 - )は、日本の皇族。三笠宮家当主。三笠宮崇仁親王の妃。旧名は高木百合子(たかぎ ゆりこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。勲等は勲一等宝冠章。お印は桐(きり)。皇室会議予備議員。公益社団法人日本赤十字社名誉副総裁。華族・高木子爵家の出身。 2016年(平成28年)、夫である三笠宮崇仁親王の薨去に伴い、現在存命中の皇族の中では最年長者となった。また、大正生まれの皇族としては最後の存命者である。.

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三笠宮崇仁親王

三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう、1915年(大正4年)12月2日 - 2016年(平成28年)10月27日)は、日本の皇族、歴史学者(専攻は古代オリエント史)、陸軍軍人(最終階級は陸軍少佐)。大正天皇と貞明皇后の第四皇男子。昭和天皇の末弟、今上天皇の叔父にあたる。御称号は澄宮(すみのみや)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。勲等は大勲位。称号は東京芸術大学名誉客員教授。お印は若杉(わかすぎ)。 「三笠宮」の宮号内閣告示や宮内庁告示等の表記では、皇族に宮号が冠されることはなく(「皇太子」を除く)、それらの告示が掲載される官報では、「崇仁親王」と表記される。一方、同じ政府による表記でも、国民一般向けのウェブページなどでは、宮号を用いて表記される。皇室典範に定める敬称は殿下。は、1935年(昭和10年)12月2日に崇仁親王が成年式を行った際に賜ったもので、奈良市の三笠山にちなんで命名された。日本軍に従軍経験のある最後の皇族であり、日本の皇室で残っている記録としては最長寿の皇族であった(臣籍降下をした元皇族は除く)。.

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三笠山

三笠山 (みかさやま).

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彬子女王

彬子女王(あきこじょおう、1981年(昭和56年)12月20日 - )は、日本の皇族。寬仁親王と同妃信子の第一女子。第123代大正天皇の皇曾孫。第125代今上天皇の皇従姪。身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。お印は雪(ゆき)。勲等は勲二等宝冠章。学位はオックスフォード大学博士(D.Phil., Oxford University, 2010)朝日新聞 2010年1月22日「」、2010年2月21日閲覧。現在、内親王・女王では最年長。 心游舎総裁、日本・トルコ協会総裁、日本職業スキー教師協会総裁、中近東文化センター総裁、三笠宮記念財団総裁、京都産業大学日本文化研究所専任研究員、立命館大学衣笠総合研究機構客員協力研究員、法政大学国際日本学研究所客員所員、京都市立芸術大学芸術資源研究センター客員教授、國學院大學特別招聘教授、国士舘大学大学院人文科学研究科客員教授。.

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御称号

御称号(ごしょうごう)とは、名詞「称号」に接頭辞「御」がついたもので、日本の皇室の、一部の皇族に与えられる幼少時の呼び名。 近現代の皇室では「~宮」(~のみや)とすることが慣例だが、これは宮号・宮家としての「宮」とは別のものである。(例:文仁親王の御称号は礼宮で、宮号は秋篠宮).

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ヒイラギ

ヒイラギ(柊・疼木・柊木、学名: )は、モクセイ科モクセイ属に分類される常緑小高木の1種。和名は、葉の縁の刺に触るとヒリヒリと痛むことから、「ヒリヒリと痛む」旨を表す日本語の古語動詞(働き言端)である「疼(ひひら)く・疼(ひいら)ぐ」の連用形・「疼(ひひら)き・疼(ひいら)ぎ」をもって名詞(なことば)としたことによる。.

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カツラ (植物)

ツラ(桂、学名:Cercidiphyllum japonicum)は、カツラ科カツラ属の落葉高木。.

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カエデ

デ(槭、槭樹、楓)とはムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属 (Acer) の木の総称。 モミジ(紅葉、椛)とも呼ばれるが、その場合は様々な樹木の紅葉を総称している場合もある。童謡などで愛でられるものはそれである。赤・黄・緑など様々な色合いを持つ為、童謡では色を錦と表現している。また、英語圏では一般にMaple(メイプル、メープル)と称する。.

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カシワ

ワ林(北海道中札内村) カシワ(柏、槲、学名Quercus dentata)は、ブナ目ブナ科の落葉中高木。英語では Japanese Emperor Oak, Kashiwa Oak, Daimyo oak, chêne de Daimyo (フランス語)などと称する。.

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クスノキ

ノキ(樟、楠、)とは、クスノキ科ニッケイ属の常緑高木である。一般的にクスノキに使われる「楠」という字は本来は中国のタブノキを指す字である。別名クス、ナンジャモンジャ(ただし、「ナンジャモンジャ」はヒトツバタゴなど他の植物を指して用いられている場合もある)。 暖地で栽培される変種としてホウショウがある。食用となるアボカドや、葉が線香の原料となるタブノキ、樹皮が香辛料などに利用されるセイロンニッケイ(シナモン)は近縁の種である。.

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皇室典範

皇室典範(こうしつてんぱん、昭和22年法律第3号)は、日本国憲法第2条及び第5条に基づき、皇位継承及び摂政に関する事項を中心に規律した皇室に関する法律である。 1947年(昭和22年)に、日本国憲法第100条及び第2条、第5条に基づき、日本国憲法施行前に、憲法に附属する法律の制定手続によって、枢密院の諮詢及び帝国議会(衆議院・貴族院)の協賛を経て、現在の「皇室典範」(昭和22年法律第3号)が制定された。.

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皇室経済会議

皇室経済会議(こうしつけいざいかいぎ)は、皇室経済法に基づいて設置される合議機関。.

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皇族

女王旗)皇室儀制令19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗」。 皇族(こうぞく)は、天皇の親族のうち、男系の嫡出の血族(既婚の女子を除く)およびその配偶者の総称。すなわち、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃および女王の総称であり、天皇は含まれない。天皇を含む場合は「皇室」という。.

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秩父宮

秩父宮(ちちぶのみや)は、宮家の一つ。 1922年(大正11年)6月25日、大正天皇の第二皇子淳宮雍仁親王が、20歳の誕生日を迎えるとともに創設。.

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絢子女王

絢子女王(あやこじょおう、1990年〈平成2年〉9月15日 - )は、日本の皇族。高円宮憲仁親王と同妃久子の第3女子。第123代大正天皇の皇曾孫。第125代今上天皇の皇従姪。姉に承子女王、千家典子がいる。身位は女王。皇室典範における敬称は殿下。お印は葛(くず)。栄典は宝冠牡丹章(旧制度での勲二等宝冠章に相当)。学位は修士 (福祉社会・城西国際大学)。現在、女王では最年少。.

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瑶子女王

子女王(ようこじょおう、1983年(昭和58年)10月25日 - )は、日本の皇族。寬仁親王と同妃信子の第二女子。第123代大正天皇の皇曾孫。第125代今上天皇の皇従姪。身位は女王。皇室典範における敬称は殿下。お印は星(ほし)。勲等(称号)は勲二等。学位は学士(日本文化)(学習院女子大学・2006年)。.

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直宮家

宮家 (じきみやけ)は、宮家のうち直宮(天皇の子女や兄弟)が創設した宮家を指す。 1947年(昭和22年)10月14日に11宮家が皇籍離脱した際には、秩父宮、高松宮、三笠宮の3直宮家だけが皇族として残った。.

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裏千家

裏千家(うらせんけ)は、茶道流派の一つ。「裏千家」の語は、家元とその家族らで構成される宗家を指すことも、「一般財団法人今日庵」などの法人組織を指すことも、弟子・門下生を含む流派組織を指すこともある。茶道諸流派中最大の流派である。 裏千家の名称は、千利休からの家督を継いだ本家の表千家(不審菴)に対し、今日庵が通りからみて裏にある意。宗家は京都市上京区小川寺之内上ルにあり、表千家宗家と隣接している。その茶室・今日庵(こんにちあん)は裏千家の代名詞でもある。なお、今日庵の由来は、宗旦が亭主をつとめた茶席に遅れた清巌和尚に、所用があるとして留守にした宗旦が明日の来席を請うた際に残した清巌和尚の「懈怠比丘不期明日」の書き付けから。「千家」といえば本来、本家の表千家のことであったが、裏千家の活躍もあり、近年になって分家である武者小路千家と併せて「三千家」というようになった。.

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高円宮

円宮(たかまどのみや)は、三笠宮崇仁親王の第3男子で大正天皇皇孫の憲仁親王が1984年(昭和59年)12月6日に創設した宮家である。1947年(昭和22年)10月15日以降では初の直宮家以外の宮家創設である。現当主は、憲仁親王妃久子。 1986年(昭和61年)12月2日に、東京都港区元赤坂二丁目1番6号(赤坂御用地内)に高円宮邸を新営した。.

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高円宮憲仁親王

円宮 憲仁親王(たかまどのみや のりひとしんのう、1954年(昭和29年)12月29日 - 2002年(平成14年)11月21日)は、日本の皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第三男子で、兄に三笠宮寛仁親王、桂宮宜仁親王がいる。昭和天皇の甥・今上天皇の従弟にあたる。身位は親王。お印は柊(ひいらぎ)。勲等は大勲位。学位は法学士(学習院大学)。 高円宮の宮号は昭和天皇から賜ったものである。父宮の三笠宮の宮号の由来となった奈良県奈良市の三笠山付近にある高円山から採られた。諱である憲仁は高倉天皇と字面・読みともに同じである。.

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高松宮

松宮(たかまつのみや)は、かつて存在した日本の皇室の宮家。1913年(大正2年)7月6日創設。伏見宮系皇族の臣籍降下後に存続した宮家のなかでは、もっとも創設時期が古い。ただ、有栖川宮の祭祀や財産を継承していることから、宮家としての伝統はさらに遡るとも言える。.

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高木正得

木 正得(たかぎ まさなり、1894年1月20日 - 1948年)は、日本の昆虫学者、貴族院議員、子爵。.

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貞明皇后

貞明皇后(ていめいこうごう、1884年(明治17年)6月25日 - 1951年(昭和26年)5月17日)は、大正天皇の皇后。九条道孝(華族・公爵)の四女。ハンセン病の予防など救らい事業や福祉事業、蚕糸業(絹糸)奨励などに尽力した。旧名は、九条 節子(くじょう さだこ)。.

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近衛忠てる

近衞 忠煇(このえ ただてる、 - )は、現近衞家当主で国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長。特定非営利活動法人日本紛争予防センター顧問。公益財団法人日本国際フォーラム参与。 初名は細川 護煇(ほそかわ もりてる)。.

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近衛やす子

近衞 甯子(このえ やすこ、1944年(昭和19年)4月26日 - )は、日本の元皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第一女子。旧名、甯子内親王。近衛忠煇(日本赤十字社社長)夫人。お印は楠。勲等は勲一等。学位は文学士(学習院大学)。.

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茶道

茶を点てる様子。写真は、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。 茶道(さどう、ちゃどう)は、日本伝統の湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)。また、それを基本とした様式と芸道。 元来「茶湯」(ちゃとう)、「茶の湯」といった。千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という語も使っていたが、江戸時代初期には茶道と呼ばれた(『茶話指月集』『南方録』など)。「茶道」の英語訳としては tea ceremony のほか、茶道の裏千家と表千家ではそれぞれ the way of tea、chanoyu を用いている。岡倉覚三(天心)は英文の著書 The Book of Tea(『茶の本』)において、Teaism と tea ceremony という用語を使い分けている。 主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。 現在一般に、茶道といえば抹茶を用いる茶道のことだが、江戸期に成立した煎茶を用いる煎茶道も含む。 広間の茶室の例 道具は左から風炉と釜、建水、柄杓立と柄杓、水指、煙草盆と火入・灰吹。床の間には掛物(一行書「明月和水流」)と花入、香合を飾る。 草庵風茶室の例(高台寺遺芳庵) 草庵風茶室の例(如庵).

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阿倍仲麻呂

阿倍 仲麻呂(あべ の なかまろ、文武天皇2年〈698年〉 - 宝亀元年〈770年〉1月)は、奈良時代の遣唐留学生。姓は朝臣。筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫。中務大輔・阿倍船守の長男。弟に阿倍帯麻呂がいる。 唐名を「朝衡/晁衡」(ちょうこう)とする。唐で国家の試験に合格し仲麻呂が科挙を受験し合格した、との説には異論もある。唐朝において諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国を果たせずに唐で客死した。.

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赤坂御用地

赤坂御用地(あかさかごようち)は、東京・赤坂にある皇室関連施設の名称であり、宮内庁のウェブサイト、平成24年4月2日閲覧、敷地内には以下の御所・宮邸がある、宮内庁のウェブサイト、平成24年4月2日閲覧。.

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臣籍降下

臣籍降下(しんせきこうか)は、皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りることをいう。賜姓降下(しせいこうか)とも言い、そのような皇族を俗に賜姓皇族という。皇族女子が臣下に嫁すことで皇族でなくなる場合は臣籍降嫁(しんせきこうか)とも言った。また日本国憲法施行後は皇籍離脱(こうせきりだつ)の語が用いられる。.

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長男

長男(ちょうなん)とは、親から見て最も年長の男子をいう。長男についで親から二番目、三番目の男子を二男(次男)、三男という。 長子(ちょうし)ともいい、史的には「はじめに生まれた男子、総領」を長子と呼ぶ。.

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東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

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桂宮

桂宮(かつらのみや)は、四世襲親王家の一。および桂宮家の宮号。安土桃山時代に創設され、明治時代に断絶した。主な所領が平安京近郊の桂周辺にあった。石高3000石余は宮家中最大。八条宮→常磐井宮→京極宮の流れをくむ。.

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桂宮宜仁親王

桂宮宜仁親王(かつらのみや よしひとしんのう、1948年(昭和23年)2月11日 - 2014年(平成26年)6月8日)は、日本の皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第二男子。今上天皇の従兄弟にあたる。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は桂(かつら)。勲等は大勲位。学位は政治学士(学習院大学)。「よしひと」という名は、父方の祖父である大正天皇と同音異字となる。。 戦後初めて、独身で宮家を創設した。住居(正式には「御仮寓」)は東京都千代田区三番町6番地18宮内庁分室。.

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木部

木部(もくぶ、xylem)とは、維管束の一部であり、いわゆる木材をなす部分である。.

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春日山 (奈良県)

春日山(かすがやま)は、奈良県奈良市、春日大社の東側にある標高497メートルの花山(はなやま)もしくは西隣の標高283メートルの御蓋山(三笠山・みかさやま)の通称。御蓋山を「(春日)前山」・花山を「(春日)奥山」と区別する場合もある。また、両山および香山(高山)・芳山などの連峰の総称としても用いられる。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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日本赤十字社

日本赤十字社(にっぽんせきじゅうじしゃ)は、日本における赤十字社。1952年(昭和27年)に制定された日本赤十字社法(にほんせきじゅうじしゃほう)昭和27年8月14日法律第305号によって設立された認可法人。社員と呼ばれる個人及び法人参加者の結合による社団法人類似組織である。略称は「日赤」(にっせき)。Société de la Croix-Rouge du Japon、Sociedad de la Cruz Roja Japonesaである。 名誉総裁は皇后(現在は皇后美智子)。名誉副総裁には、代議員会の議決に基づき、各皇族が就任している。代表者である社長は近衞忠煇(旧公爵近衛家当主。夫人は、三笠宮崇仁親王第一女子である近衛やす子)。 日本赤十字社は全国に92の赤十字病院、79の血液センターを運営し、赤十字病院は第3次医療機関に指定され救急医療の最後の砦を担っている。血液事業は日本で唯一献血を原料とする製剤を製造する。またセンター、病院、支部などには常備救護班(医師1名・看護師長1名・看護師2名・庶務(事務)担当の職員である主事2名の計6名で1個班が構成される)を複数個保有し、地震・台風などの災害時や旅客機墜落・公共交通機関の大事故など、消防で対応し切れない大人数の負傷者発生の際には救援活動を行っている。 赤十字のマークは、赤十字の標章及び名称等の使用の制限に関する法律により、日本赤十字社及びその許可を得た者以外が使う事が禁じられており、違反者は6ヶ月以下の懲役又は30万円以下の罰金が課されることとなっている。.

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憲仁親王妃久子

憲仁親王妃久子(のりひとしんのうひ ひさこ、1953年(昭和28年)7月10日 - )は、日本の皇族で、高円宮憲仁親王の妃。旧名は、鳥取 久子(とっとり ひさこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は扇(おうぎ)。勲等は勲一等。学位は博士(芸術文化学)。称号(名誉学位)として名誉法学博士(アルバータ大学、プリンスエドワードアイランド大学)。憲仁親王薨去後は、高円宮家の当主を務めている。.

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承子女王

承子女王(つぐこじょおう、1986年(昭和61年)3月8日 - )は、日本の皇族。高円宮憲仁親王と同妃久子の第一女子。妹に千家典子、絢子女王がいる。身位は女王。皇室典範における敬称は殿下。お印は萩(はぎ)。栄典は宝冠牡丹章(旧制度での勲二等宝冠章に相当)。学位は学士 (国際教養学)。.

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10月22日

10月22日(じゅうがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から295日目(閏年では296日目)にあたり、年末まであと70日ある。.

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12月2日

12月2日(じゅうにがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から336日目(閏年では337日目)にあたり、年末まであと29日ある。.

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1915年

記載なし。

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1935年

記載なし。

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1941年

記載なし。

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1988年

この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。.

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2012年

この項目では、国際的な視点に基づいた2012年について記載する。.

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2016年

この項目では、国際的な視点に基づいた2016年について記載する。.

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