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ロバート・マックノート

索引 ロバート・マックノート

バート・マックノート(Robert H. McNaught, 1956年 - )は、スコットランド出身のオーストラリア国立大学に所属する天文学者である。デイヴィッド・アッシャーとともにアーマー天文台で観測を行った。 彼は、サイディング・スプリングサーベイに参加し、1988年以降多くの小惑星を発見し(最初に発見した小惑星には、尊敬していた本田実にちなんで(3904)本田と命名している)、2016年現在481個に上る。また、サイディング・スプリング天文台のウプサラシュミット望遠鏡を用い、2006年8月7日に非周期彗星マックノート彗星 (C/2006 P1)を発見した。これは、最近数十年で最も明るい彗星となった。2007年1月12日には近日点を通過し、南半球では肉眼で見ることができた。マックノート彗星という名前がついているものは全部で22個あり、マックノートが発見した彗星は合計で82個に上る。 小惑星番号3173番の小惑星マックノートは彼の名前にちなんだものである。.

17 関係: 天文学者小惑星マックノート彗星マックノート彗星 (C/2006 P1)デイヴィッド・アッシャー (天文学者)ダストトレイルオーストラリア国立大学スコットランドサイディング・スプリング天文台サイディング・スプリングサーベイ非周期彗星近点・遠点肉眼本田実1956年1988年2016年

天文学者

リレオ・ガリレイはしばしば近代天文学の父と呼ばれる。 天文学者(てんもんがくしゃ)とは、惑星、恒星、銀河等の天体を研究する科学者である。 歴史的に、astronomy では天空で起きる現象の分類や記述に重点を置き、astroplane ではこれらの現象の説明やそれらの間の差異を物理法則を使って説明することを試みてきた。今日では、2つの差はほとんどなくなっている。プロの天文学者は高い教育を受け、通常物理学か天文学の博士号を持っており、研究所や大学に雇用されている。多くの時間を研究に費やすが、教育、施設の建設、天文台の運営の補助等にも携わっている。アメリカ合衆国のプロの天文学者の数は少なく、北米最大の天文学者の組織であるアメリカ天文学会には7,700人が所属している。天文学者の数の中には、物理学、地学、工学等の別の分野出身で天文学に関心を持ち、深く関わっているの者も含まれている。国際天文学連合には、博士課程以上の学生を含めて89カ国から9259人が所属している。 世界中のプロの天文学者の数は小さな町の人口にも満たないが、アマチュア天文学者のコミュニティは数多くある。多くの市に、定期的に会合を開催しているアマチュア天文学者のクラブがある。太平洋天文協会は、70カ国以上からプロやアマチュアの天文学者、教育者が参加する世界最大の組織である。他の趣味と同様に、自身をアマチュア天文学者だと考える多くの人々は、月に数時間を天体観測や最新の研究成果を読むことに費やす。しかし、アマチュアは、いわゆる「アームチェア天文学者」と呼ばれる人々から、自身の天体望遠鏡を所持して野望を持ち、新しい発見をしたりプロの天文学者の研究を助けたりする者まで、幅広く存在する。.

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小惑星

光分(左)と天文単位(右)。 ケレス(右)、そして火星(下)。小さな物ほど不規則な形状になっている。 メインベルト小惑星の分布。縦軸は軌道傾斜角。 軌道長半径 6 AU までの小惑星の分布。縦軸は軌道傾斜角。赤い点はメインベルト小惑星。 小惑星(しょうわくせい、独: 英: Asteroid)は、太陽系小天体のうち、星像に拡散成分がないものの総称。拡散成分(コマやそこから流出した尾)があるものは彗星と呼ばれる。.

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マックノート彗星

マックノート彗星(マックノートすいせい、Comet McNaught)は、オーストラリアの天文学者ロバート・マックノートが発見した彗星である。 2009年9月現在、マックノートが単独発見した彗星は39個存在する。これ以外に、マックノートが他の観測者と共同発見し、彗星名の一部に彼の名前を含む彗星が12個ある。 マックノートが発見した彗星のうち代表的なものとしては、1987年10月に発見されて7等台まで明るくなった C/1987 U3 や、2007年1月12日に近日点を通過して-6等台まで増光し、1965年の池谷・関彗星に次ぐ最大光度を記録した C/2006 P1 、2010年夏に肉眼彗星となることが期待されたものの位置が悪かったうえ、5等級に終わったC/2009 R1がある。.

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マックノート彗星 (C/2006 P1)

マックノート彗星 (Comet McNaught, C/2006 P1) は2006年8月7日にオーストラリアのロバート・マックノートによって発見された非周期彗星である。マックノート彗星は2007年1月12日に近日点を通過して、1965年に出現した池谷・関彗星以来の明るさとなり、白昼に肉眼で見ることができる大彗星となった。「2007年の大彗星(The Great Comet of 2007)」とも呼ばれる。.

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デイヴィッド・アッシャー (天文学者)

デイヴィッド・ジョン・アッシャー(David John Asher, 1966年 - )は、イギリスの天文学者。スコットランドのエディンバラ出身。 1984年からケンブリッジ大学で数学を学んだ後、1988年からはオックスフォード大学で物理学を学んで「おうし座流星群の流星物質複合体」で博士論文を取得。さらに1992年から1年間エディンバラ大学で学び、人工知能の研究でサイエンス・マスターを取得。 1993年から2年間、アングロ・オーストラリアン天文台に勤めた後、1996年に東京大学木曽観測所、1997年に通信総合研究所(鹿島市)に勤め、1998年からは北アイルランドのアーマー天文台に勤務し、2000年からは日本スペースガード協会の客員研究員となって現在に至っている。 アッシャーの最大の功績は、ロバート・マックノートと共に1999年に発表したダストトレイル理論である。この理論は、しし座流星群の1998年の出現状況を見事に説明するものであった。また、1999年、2001年のしし座流星群の出現予想をし、ほぼ的中させたことから一気に彼の名は有名となった。 これまでにサイディング・スプリング天文台で10個の小惑星も発見している。.

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ダストトレイル

ダストトレイル(Dust trail)は、流星群の理論的な空間分布を考える際、その流星物質の集団の名称として使われる言葉。1999年、イギリスの天文学者デイヴィッド・アッシャーがロバート・マックノートと共に提唱した。 母天体(彗星・小惑星)が特定の近日点通過日付近で、太陽熱の作用で流星物質を集団で放出したと仮定して、その特定の近日点通過年を冠して、たとえば、「しし座流星群の1899年のダストトレイル」、「しし座流星群1998年近日点回帰時における、3公転前のダストトレイル」(この例では同じ物の言い換え)というふうに、その流星物質の集団の名称として使われる。従って個々は、特定の流星群の、流星物質総体のうちの、更に一部分を指している。 なお、ダストトレイルは提唱されたときにはあくまで理論的な概念であり、近年まで直接観測された例は無かった。しかし、2002年に東京大学木曾観測所により22P/コプフ彗星のダストトレイルが撮影され、スピッツァー宇宙望遠鏡が2005年に48P/ジョンソン彗星と129P/シューメーカー・レヴィ第3彗星の、2006年には73P/シュワスマン・ワハマン第3彗星のダストトレイルの撮影に成功した。2016年にはすばる望遠鏡でのヒクソン・コンパクト銀河群59観測中に67P/チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星が偶然映り込み、ダストトレイルも撮影されている。 なお、アマチュアの天文家によっても観測が行われており、2009年には日本でコプフ彗星のダストトレイルが撮影され、2010年7月には、フランスと日本で10P/テンペル第2彗星のダストトレイルが撮影された。 ダストトレイルの語から、個々の流星物質は、「塵の道」を車のように移動するかの印象を受けるが、実際には流星物質は車ではなく、道路の材料そのものである。「塵で出来た道」に近い。 個々のダストトレイルを形成している流星物質同士の間に、強力な万有引力が働いている訳でも無いので、何十公転もしているうちに、流星物質個々の公転周期のわずかな差や、大惑星への接近のしかたの違いで、いずれは煙が拡散するように、それはバックグラウンドに溶け込んでしまうはずである。なお、この場合のバックグラウンドとは、流星群に属さない、散在流星の事ではなくて、毎年現れる流星群であれば、平穏な年の平均的な流星群を形成している流星の事である。 以上の事からダストトレイルの研究は、流星群が平穏な年よりも活発である状態や、もともと普段の年はほとんど群流星が出現しない弱い流星群が、突発的に多数出る場合の理論究明に使われる。流星群の活動が特に強い、突発的な1時間程度の時間幅の活動に、観測した時点から見て比較的新しい近日点通過年に形成されたダストトレイルが、関与している場合が多いとされている。 太陽系では太陽の引力がずば抜けて大きいため、天体の軌道はほぼ楕円であり、小さな初期速度ベクトルの差では、楕円同士の形や向き、大きさに大差は生じにくい。その事から、かなり前には各ダストトレイルは、母天体から発してその軌道前後に、母天体の軌道にほぼ沿っており、その存在確率は、母天体の軌道から離れるに従って、単調に減少して行くようなモデルがとられていた。このイメージは流星群の進化の説明として、今でも一般に使用されている。なお平穏な年の流星群の流星物質の軌道の観測から、その流星群の母天体の判定をするような場合には、今でもその考えが有効である場合も多い。 しかしダストトレイルの挙動を実際に計算してみると、惑星に接近した部分だけが大きく位置を変えるため、個々には、流星群の分布領域の内部で、曲がった細いフィラメント状になっている場合があり相当複雑であった。特に観測時点から見て、新しい近日点通過年のダストトレイルが、普段は幾らか流星を降らす程度の流星群が、流星雨になる場合に寄与が大きいため、計算をするかしないかで、強い出現の予測の精度が大きく変る場合があった。.

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オーストラリア国立大学

ーストラリア国立大学(、略称:ANU)は、オーストラリア連邦の首都キャンベラに位置する研究型大学であり、オーストラリアで唯一の国立大学である。"Group of Eight" や環太平洋大学協会(APRU)のメンバーでもある。2016年のQS世界大学ランキングでは総合19位。.

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スコットランド

ットランド()は、北西ヨーロッパに位置するグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)を構成するカントリーの一つ。1707年の合同法によってグレートブリテン王国が成立するまでは独立した王国(スコットランド王国)であった。 スコットランドはグレートブリテン島の北部3分の1を占め、本島と別に790以上の島嶼部から構成される。 首都のエディンバラは第2の都市であり、ヨーロッパ最大の金融センターの一つである。最大の都市であるグラスゴーは、人口の40%が集中する。 スコットランドの法制度、教育制度および裁判制度はイングランドおよびウェールズならびに北アイルランドとは独立したものとなっており、そのために、国際私法上の1法域を構成する。スコットランド法、教育制度およびスコットランド教会は、連合王国成立後のスコットランドの文化および独自性の3つの基礎であった。しかしスコットランドは独立国家ではなく、国際連合および欧州連合の直接の構成国ではない。.

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サイディング・スプリング天文台

イディング・スプリング天文台(サイディング・スプリングてんもんだい、)は、クーナバラブラン(オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州)近郊にある天文台である。 オーストラリア国立大学の運営する2つの天文台の1つ(もう1つはストロムロ山天文台、キャンベラ)で、海抜1,165m、 Warrumbungles, サイディング・スプリング山にアングロ・オーストラリアン天文台とともに立地している。ギャラリー、土産店もある。 サイディング・スプリング天文台はオーストラリア国立大学(ANU)が所有し、ストムロ山とサイディング・スプリング観測研究学校の一部である。ストムロ山観測所の原型は1924年に連邦政府によって設立された。第二次世界大戦で光学部材が軍に拠出された後、1940年代末まで太陽系から星の研究に変えられた。1953年から1974年にオーストラリア最大となる口径74インチの反射望遠鏡がストムロ山に設置された。(岡山天体物理観測所の望遠鏡の姉妹機) 1950年代からキャンベラの光害でストムロ山では多くの微光天体の観測に支障をきたすようになっていた。1962年、サイディングスプリングがANUによって他の多くの候補地に比べ暗くて晴天が多いということで選ばれた。1960年代半ばよりANUは3基の望遠鏡と舗装路、宿舎、電気、水道等の支援施設を設置した。1984年、首相ボブ・ホークが臨席してANU最大の望遠鏡で低経費、革新的な2.3m開口望遠鏡が開設された。 1950年代より、サイディングスプリングの開発は独立して行われて来た。オーストラリアとイギリスの政府は超大型望遠鏡の設置について交渉してきた。これらの交渉は1969年に結実して4mの開口アングロ・オーストラリア望遠鏡(AAT)が設置された。 1970年代初頭AATの建設中イギリス科学研究学会がAATドームの北東1km地点にUKシュミット式望遠鏡を建設、広視野で掃天観測がより速くなった。興味深い天体の発見と細部の調査がこれらの装置で連携して行われた。1987年、シュミット式望遠鏡はAATに合併された。.

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サイディング・スプリングサーベイ

Siding Spring Survey (SSS) は、オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州サイディング・スプリング天文台にて行われている、主に地球近傍小惑星の捜索を目的としたプロジェクト。天文台コードはE12。アメリカ合衆国アリゾナ州にて行われているカタリナ・スカイサーベイ、レモン山サーベイと協力することで全天をカバーしており、2008年現在最も成果を挙げているサーベイプロジェクトである。.

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非周期彗星

非周期彗星(ひしゅうきすいせい)は、軌道離心率が1以上の彗星である。放物線軌道または双曲線軌道を持つ。公転周期は定義できず、一度太陽に接近した後は、二度と戻ってこないか、仮に摂動などによって戻ってくるとしても数十万年以上未来である。非周期彗星に対し、離心率が1未満の楕円軌道の彗星を周期彗星という。 ただし、非周期彗星は、長周期の周期彗星と区別する意義が少ないので、あわせて長周期彗星として論じられることが多い。 離心率1の軌道は放物線軌道、離心率が1より大きい軌道は双曲線軌道である。ただし現実には、離心率がぴったり1になるようなことはない。発表されている軌道要素で離心率が1になっているのは、観測が不十分だったため、離心率を1と仮定して、自由変数を1つ減らして求めたものである。現実には、双曲線軌道か、長周期の楕円軌道であろう。 非周期彗星には、軌道長半径 (a)、遠日点距離 (Q)、公転周期 (P)は定義できない。ただし計算上、放物線軌道では、a、Q、Pは全て無限大になる。双曲線軌道では、aとQはマイナス、Pは虚数になる。 非周期彗星の離心率は1以上だが、そう大きく超えるわけではなく、最大級のボウエル彗星 (C/1980 E1) でも1.058程度である。これは、力学的エネルギーがほぼゼロであったこと、すなわち数万AUというような"遠方"では速度および角速度がゼロに近かったことを意味する。ただし、そうであるからといって、必ずしも"遠方"から来たとは限らない。惑星等の他天体との重力相互作用によって軌道が変化した可能性があるからである。.

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近点・遠点

近地点と遠地点の位置関係 近点・遠点(きんてん・えんてん、periapsis and apoapsis) とは、軌道運動する天体が、中心天体の重力中心に最も近づく位置と、最も遠ざかる位置のことである。両者を総称して軌道極点またはアプシス(apsis) と言う。 特に、中心天体が太陽のときは近日点・遠日点(きんじつてん・えんじつてん、perihelion and aphelion )、主星が地球のときは近地点・遠地点(きんちてん・えんちてん、perigee and apogee )、連星系では近星点・遠星点(きんせいてん・えんせいてん、periastron and apastron)と言う。地球を周回する人工衛星については英単語のままペリジー・アポジーとも言う。主星が惑星の場合、例えば木星の衛星や木星を周回する探査機(ジュノーなど)の軌道の木星に対する近点・遠点は近木点・遠木点(きんもくてん・えんもくてん、perijove and apojove)、土星ならば近土点・遠土点(きんどてん・えんどてん、perichron and apochron)と表現することもある。 中心天体の周りを周回する天体は楕円軌道を取るが、中心天体は楕円の中心ではなく、楕円の長軸上にふたつ存在する焦点のいずれかに位置する。このため周回する天体は中心天体に対して、最も接近する位置(近点)と最も遠ざかる位置(遠点)を持つことになる。遠点・近点および中心天体の重力中心は一直線をなし、この直線は楕円の長軸に一致する。 中心天体の重力中心から近点までの距離を近点距離(近日点距離、近地点距離)、遠点までの距離を遠点距離(遠日点距離、遠地点距離)といい、それぞれ軌道要素の1つである。軌道長半径、離心率、近点距離、遠点距離の4つの軌道要素のうち2つを指定すれば、軌道の2次元的な形状が決まる。通常、軌道長半径と離心率が使われるが、放物線軌道・双曲線軌道(特に、彗星の軌道)については通常の意味での軌道長半径を定義できないので、近点距離と離心率が使われる。なお、人工衛星については近地点高度・遠地点高度という言葉もあるが、これらは地球の海面(ジオイド)からの距離である。 他の天体による摂動、一般相対論的効果により、近点は(したがって遠点も)少しずつ移動することがある。これを近点移動(近日点移動、近地点移動)という。.

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肉眼

肉眼(にくがん)とは光学機器を付けずに観測すること。 またその行為である。.

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本田実

本田 實(ほんだ みのる、1913年2月26日 - 1990年8月26日)は日本のアマチュア天文家。生涯に彗星12個、新星11個を発見した。鳥取県八頭郡八頭村(現八頭町)出身。八東町名誉町民第1号。 本田は1923年ごろ(当時10歳)、生家の星空の美しさを意識し始め、ためた小遣いで口径28mmのシングルレンズと焦点距離25mmのラムスデン式接眼鏡を買った。32倍の屈折望遠鏡を自作して下弦の月を見たのが、望遠鏡による初めての天体観測となった(当時17歳)。 対物レンズは桐の小箱に大切に保管され、「我ニ太陽ノ黒点ヲ 木星ノ四大衛星ヲ 土星ノ環ヲ 最初ニ見セテクレタレンズ 28ミリシングルレンズ」と表書きがされている。 1930年ごろ、東京天文台の神田茂著『彗星の話』を読んで、彗星発見を決意。1932年には金星のそばに彗星らしきものを発見し、京都大学の花山天文台に報告したが、「恐らくゴースト」と指摘するハガキが届いた。 これを契機に、同天文台長・山本一清の指導を受け、日食や黄道光を観測した。黄道光観測所(当時・広島県福山市)時代の1940年に初の彗星発見となる岡林・本田彗星を発見。1941年から、岡山県倉敷市中央の全国初の民間天文台である倉敷天文台で活躍した。 戦争中も、戦地のマライ半島では星図もなかったが、星雲状の移動天体を捜索、「彗星発見か」と、シンガポールから東京天文台へと送られた。新彗星ではなかったものの、グリグ・スケレルプ周期彗星であることが判明し、「空に科学する兵士」と報じられ、内地の慧夫人に居場所を知らせることになった。 本田には「プレアデス星団(日本名・すばる)の星が27個見えた」との逸話があるが、1941年、従軍中の旧満州から滋賀県の田上天文台の山本一情教授に宛てたハガキにある「プレアデスを数えてみますと、實に27個の星を数えました」の記述により実証された。 倉敷の街が明かるくなり、新天体発見が困難になったため、暗い空を求めて移動観測していたとき、賀陽町(現・吉備中央町)の地域の人のはからいで、1981年に私費で建設した観測所を「星尋山荘(せいじんさんそう)」と名付けた。星尋山荘で通算1453回目の観測を行った2日後の1990年8月26日、倉敷天文台内で永眠。倉敷市名誉市民となった。 小惑星の名前の中に、本田實((3904) 本田)と慧(さとる)夫人((8485) 慧)、そして星尋山荘((11442) 星尋山荘)がある。.

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1956年

記載なし。

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1988年

この項目では、国際的な視点に基づいた1988年について記載する。.

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2016年

この項目では、国際的な視点に基づいた2016年について記載する。.

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ロバート・H・マクノート

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