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レフィエ85mm砲

索引 レフィエ85mm砲

1870年型レフィエ85mm砲(仏語:Canon de campagne de 7 de Reffye modèle 1870、英語:Reffye 85mm cannon)は、砲兵将軍であるジャン=バティスト・ヴェルシェール・ド・レフィエ(Jean-Baptiste Verchère de Reffye)が、ムードン造兵廠での最高責任者として開発した19世紀のフランスの野砲。1870年にフランス陸軍に採用された。口径85mmの後装式施条砲で、螺式尾栓を採用した。当初は青銅製であった。.

14 関係: 尾栓後装式ミトラィユーズムードン (フランス)ライトール95mm砲ライフリングレフィエ75mm砲フランス第三共和政フランス陸軍ド・バンジュ90mm砲隔螺式青銅野砲普仏戦争

尾栓

尾栓(びせん)は、砲や銃の筒状の部分の末端を密閉する構造のことである。火縄銃では銃身の後端にはめ込まれたボルト状の部品を指すが、後装式の大砲の場合には開け閉めが可能な機械装置となっており閉鎖機(ないし閉鎖器)と呼ばれている。.

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後装式

後装式(こうそうしき)は、銃砲の装填方式を2つに大別した1つで、銃砲身の尾部から砲弾と装薬を装填する方式を言う。銃砲口から装填する前装式の対義語。 後込め(あとごめ)、元込め(もとごめ)、砲尾装填式とも呼ばれる。後装式の銃砲を後装銃、後装砲、ブリーチローダー(breech loader)と言う。後装式では銃砲の尾栓(閉鎖機)に工夫が必要となる。.

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ミトラィユーズ

ミトラィユーズ(フランス語:Mitrailleuse、発音)とは、フランスにおいて一般的にライフル弾を高効率かつ連続で射撃する武器を総称する単語である。したがって、フランス語で“Mitrailleuse”と言った場合は現代的な全自動火器も含まれる。しかし、英語で“mitrailleuse”とする場合は、ライフル弾を用いた多銃身斉発砲のことをあらわす。.

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ムードン (フランス)

ムードン(Meudon)は、フランスのイル=ド=フランス地域圏オー=ド=セーヌ県の都市、コミューン。パリの南西、セーヌ川の湾曲部の南に位置する。穏やかで落ち着いた環境(990ヘクタールの面積のうち520ヘクタールが木立に覆われている)と学術の方面でその名が知られている。ムードンの森は主に市の南西にある。.

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ライトール95mm砲

1875年型ライトール95mm砲(仏語:Canon Lahitolle de 95 mm, ou modèle 1875、英語:Lahitolle 95 mm cannon)は、砲兵士官のド・ライトールが開発したフランス陸軍の野砲。ライトール95mm砲は、フランスとしては最初の鋼鉄製野砲であり、また螺式尾栓を採用した初期の砲の一つである(イギリスとプロイセンは16年前に後装式施条砲をすでに採用した)。1875年にフランス陸軍に採用されレフィエ85mm砲を置き換えた。 ライトール95mm砲は1877年にド・バンジュ90mm砲に置き換えられた。改良型の1888年型ライトール95mm砲が開発された。新型のM1897 75mm野砲の生産が十分でなかったため、ライトール95mm砲はド・バンジュ90mm砲と共に、第一次世界大戦でも使用された。ライトール95mm砲はマジノ線にも配備された。.

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ライフリング

ライフリング(rifling)は、銃砲の銃砲身内に施された螺旋状の溝を意味し、日本語では施条(しじょう)、あるいは腔綫(腔線)(こうせん、綫は線の別体。常用漢字でないため「線」と書くこともある)、もしくは腔施と呼ぶ『銃の科学』(かのよしのり著 サイエンス・アイ新書 2012年)18頁「1-05 ライフルとはなにか」。この螺旋状の浅い溝で銃身内で加速される弾丸に旋回運動を与え、ジャイロ効果により弾軸の安定を図り直進性を高める目的で用いられる。 ちなみにライフリングのない滑腔銃砲身から椎の実弾を発射すると、旋転されない弾丸は空気抵抗を受けて横弾となったり、でんぐり返りながら飛ぶので命中精度は全く期待出来ない(こうしたタイプの銃に、FP-45リベレーターなどの超至近距離用の簡易拳銃が存在する)。なお、同じく滑腔銃身の散弾銃用スラッグ弾は、様々な方法(設けた翼により空気抵抗を受けて回転するなど)でジャイロ効果を発揮させている。.

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レフィエ75mm砲

1873年型レフィエ75mm砲(仏語:Canon de campagne de 5 de Reffye modèle 1873、英語:Reffye 75mm cannon)は、砲兵将軍であるジャン=バティスト・ヴェルシェール・ド・レフィエ(Jean-Baptiste Verchère de Reffye)が、ムードン造兵廠での最高責任者として開発した19世紀のフランスの野砲。1873年にフランス陸軍に採用された。口径75mmの後装式施条砲で、螺式尾栓を採用した。当初は青銅製であった。.

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フランス第三共和政

フランス第三共和政(フランスだいさんきょうわせい、Troisième République)は、普仏戦争さなかの1870年に樹立したフランスの共和政体。1940年にナチス・ドイツのフランス侵攻によるヴィシー・フランス成立まで存続した。 初期は議会で君主制の復権を掲げる勢力が多数だったが、君主の性質などをめぐりボナパルティスト・王党派など様々な対立があり機を逃した。最終的にレジティミストの推すシャンボール伯アンリが1883年に没すると世論は共和政容認が大勢となり、選挙でも共和派が多数を占めた。結果として、王政復古の望みは潰えて「共和政」の名が公的に現れるようになった。 1875年憲法は第三共和制にその基礎となる二院制(上院(元老院)と下院(代議院))の一元主義型議院内閣制を制定した。また、任期7年の共和国大統領が名目的元首となり両院による多数決で選出されることが定められた。 第三共和制下では新たな植民地、インドシナ、マダガスカル、ポリネシア、大規模な領土西アフリカを含むアフリカ領土を20世紀までに獲得した。 20世紀初頭の議会政治は中道右派の民主共和同盟によって進められた。そもそも民主共和同盟は中道左派勢力と結集したが、共和制が定着するにつれて保守勢力となった。第一次世界大戦以降、特に30年代後半に急進党を中心にした左派との政治的対立が激化した。第二次世界大戦によるナチスドイツによる占領、フィリップ・ペタンを主席とするヴィシー政権が誕生したことでフランス第三共和政は終焉を迎えた。 フランス第三共和政は70年で歴史を終えたが、1789年のアンシャン・レジーム崩壊以降の政体としては現在のフランス第五共和政も含めて最長のものとなった。.

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フランス陸軍

フランス陸軍(フランス語:Armée de Terre française)はフランスの陸軍である。.

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ド・バンジュ90mm砲

ド・バンジュ90mm砲(仏語:canon de Bange de 90 mm ou modèle 1877、英語:De Bange 90 mm cannon)はシャルル・ラゴン・ド・バンジュが1877年に設計し、同年に採用されたフランス陸軍の野砲。1870年型レフィエ85mm砲及び1875年型ライトール95mm砲を置き換えた。.

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隔螺式

螺式(かくらしき、interrupted screwまたはinterrupted thread)または断隔螺式は、主に後装砲の尾栓に使用される閉鎖機構。1845年前後に発明された。.

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青銅

十円硬貨。銅95%、スズ1-2%、亜鉛4-3%の青銅製at%。 青銅(せいどう、英、仏、独、葡: bronze ブロンズ)とは、銅Cu を主成分としてスズSn を含む合金である。「砲金」ともいう。.

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野砲

野砲(やほう、Field gun)は、火砲の一種。定義は時代により異なるが、口径100mmクラス以下の軽カノン砲(加農)。.

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普仏戦争

普仏戦争(ふふつせんそう、Guerre franco-allemande de 1870、Deutsch-Französischer Krieg)は、フランス第二帝政期の1870年7月19日に起こり、1871年5月10日まで続いたフランスとプロイセン王国の間で行われた戦争である。ドイツ諸邦もプロイセン側に立って参戦したため独仏戦争とも呼ぶ他、フランス側では1870年戦争と呼称する。なお、日本の世界史の教科書ではプロイセン=フランス戦争と呼称する場合もある。プロイセンは北ドイツ連邦と南ドイツのバーデン大公国・ヴュルテンベルク王国・バイエルン王国と同盟を結び圧勝した。 もともとスペイン王位継承問題でプロイセンとフランスの対立が最高潮に達していたが、ドイツ首相ビスマルクはエムス電報事件でフランスとの対立を煽り開戦させた。フランスは7月19日にプロイセンのみに宣戦したが、ドイツ諸邦はプロイセン側に立って参戦した。野戦砲と鉄道輸送を巧みに活用したプロイセン軍の精強さは、ドイツ国境に侵攻したフランス軍を叩きのめした。防戦一方となったフランス軍は9月2日にセダンの戦いで包囲に置かれ、10万人のフランス兵と皇帝ナポレオン3世が降伏した。 第二帝政は終焉を迎えて第三共和政に移行した。新たに編成されたフランス軍も帝政時代と同じくプロイセン軍に一蹴され、5ヶ月間の北フランス攻撃を経て、1871年1月28日に首都パリを占領された。1871年5月10日、フランクフルト講和条約が締結され、正式にフランスはプロイセンに降伏した。 ジャコブ・マイエール・ド・ロチルドが1817年に設立したロチルド・フレール(de Rothschild Frères ロスチャイルド兄弟とも)は、50億フランにのぼる賠償金を支払うためのシンジケートを組成した。フランスはオスマン帝国に対する膨大な債権を回収してロチルドらに返済するつもりであったが、オスマン債務管理局の利権にドイツ帝国が割りこみ東方問題に佳境をもたらした。そして新たにカリブ海問題も生まれた。.

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