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レノックス (戦列艦・初代)

索引 レノックス (戦列艦・初代)

レノックス (HMS Lenox) イギリス海軍の70門3等戦列艦。デットフォード工廠で1678年8月18日に進水した。設計はジョン・シッシュ。 レノックスはデットフォードで1701年に再建造を行った。1721年5月2日には再々建造が発令され、チャタム工廠で1719年の寸法規定に従って工事が行われた。再々進水は1723年9月19日である。 レノックスは1756年に防波堤として沈められるまで現役であった。.

18 関係: チャタム工廠バルフルール岬とラ・オーグの海戦パッサロ岬の海戦 (1718年)イギリス海軍イギリス海軍戦列艦一覧シップ (帆船)砲列甲板戦列艦1678年1701年1719年の寸法規定1721年1723年1756年3等艦5月2日8月18日9月19日

チャタム工廠

チャタム工廠(-こうしょう)はイギリスのケント州にあるメドウェイ川に面した造船所で、敷地の2/3がジリンガムに、残り1/3がチャタムに含まれている。宗教改革後のカトリック諸国との関係が悪化していた時期に創設された。 チャタム工廠は414年間に500隻以上の軍艦をイギリス海軍に供給し、造船、建築産業の最前線と言える存在で、最盛期には10,000人を超える熟練工が働いており、敷地は400エーカーにわたった。工廠は1984年に閉鎖されたが、現在ではジョージ朝期のドックヤードなど84エーカーが海事博物館として一般に公開されている。.

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バルフルール岬とラ・オーグの海戦

バルフルール岬とラ・オーグの海戦(Battle of Barfleur and La Hogue)は大同盟戦争中の1692年5月29日 - 6月4日(ユリウス暦5月19日 - 24日)に発生した一連の海戦のことである。まずバルフルール岬付近で、次にコタンタン半島のシェルブールやサン=ヴァースト=ラ=ウーグでイングランド王国、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)連合艦隊とフランス王国艦隊との戦闘が起きた。 1692年5月、フランスはイングランド王位を廃されたジェームズ2世を支持しており、彼の復位のためにフランス・アイルランド連合軍を侵攻させようとトゥールヴィル伯アンヌ・イラリオン・ド・コタンタン提督の指揮する戦列艦44隻を集結させた。2年前のビーチー・ヘッドの海戦での勝利は上陸の現実性を感じさせるものであったので、バルフルール岬でトゥールヴィルは英蘭連合艦隊の82隻を相手に勇敢に戦った。 しかし、激しくはあったが決定的ではない衝突で双方の艦隊は大きな損傷を受け、トゥールヴィルは霧に隠れて数日間逃走を試みたが結果的にフランス艦隊は分散し、シェルブールで3隻、ラ・オーグで12隻を失ってイングランド侵攻計画は霧散した。.

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パッサロ岬の海戦 (1718年)

パッサロ岬の海戦(パッサロみさきのかいせん、Battle of Cape Passaro)は1718年8月11日にシチリア王国の沖で生起した、ジョージ・ビング提督率いるイギリス艦隊と、フェルナンド・チャコン(Fernando Chacón)両提督率いるスペイン艦隊の間の戦闘。戦闘は四国同盟戦争の宣戦布告がなされる4か月前に起こった。.

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イギリス海軍

王立海軍(おうりつかいぐん、Royal Navy)は、イギリスの海軍。イギリス海軍、英国海軍などとも表記される。.

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イギリス海軍戦列艦一覧

イギリス海軍戦列艦一覧はイギリス海軍が過去に建造、計画、あるいは捕獲した戦列艦の一覧である。戦列艦の定義は海軍本部にしたがって1660年の王政復古から1880年前後の戦艦の出現までの範囲の大型艦とする。 目次.

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シップ (帆船)

ップ(ship)とは、3本以上のマストを持ち、そのすべてに横帆が張られた帆船のことである。18世紀から19世紀初頭に使用された帆装形式で、同時期に使用された類似した帆装形式であるスクーナー、バーク、バーケンティン、ブリッグ等と区別するためにフルリグド・シップ(Full rigged ship、全装帆船)と呼ばれる。この型の帆装を「フリゲート」と呼ぶ場合もある。 「シップ」という名称は軍艦としても用いられるが、正式には「シップ・スループ」と呼称する。10から20の砲門を持つ船のうち、3本のマストを持つ帆船を定義している。砲門とマストの数で定義されるため、帆の種類は前述したような横帆に限定されない。単に「スループ」と呼ばれることもある。.

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砲列甲板

列甲板(英語:Gun deck、ガンデッキ)とは、主にの大砲を配置する(甲板)を指す用語である。 しかし、たくさんの砲を配したフリゲートや等級の無い船、上部甲板、、はガンデッキとは呼ばない。一方、上部甲板下の天井に覆われた甲板は、砲が無くてもガンデッキと呼ばれる。.

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戦列艦

戦列艦(せんれつかん、ship of the line)は17世紀から19世紀にかけてのヨーロッパ諸国で使用された軍艦の一種。単縦陣の戦列 (line of battle)を作って砲撃戦を行うことを主目的としていたのでこの名がある。.

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1678年

記載なし。

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1701年

18世紀最初の年である。.

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1719年の寸法規定

1719年の寸法規定 (1719 Establishment) はイギリス海軍向けに建造される軍艦の大きさを数種類定めた規定である。これは1706年の寸法規定に替わって制定され、大砲30門以上の再建造を含むほぼすべての新造艦に適用されていた。ここでいう「再建造」とは艦から板材を剥がして腐食している部材を取り除き、同時に艦の大きさも変更するような改装工事や、あるいは艦を完全に解体してその資材を全く新しい軍艦に流用するような行為を意味していたLavery, Ships of the Line vol.1, p78-79.

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1721年

記載なし。

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1723年

記載なし。

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1756年

記載なし。

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3等艦

3等艦(third-rate)とはイギリス海軍における戦列艦の等級の1つで、砲を64門ないし80門搭載した艦のこと。通常この種類の戦列艦は2層砲列甲板を備えていた。 1670年代に制定された最初の制度では3等艦は砲70門、2等艦は90門、そして4等艦は54-60門と定められていた。しかし後代になると上記に当てはまらない搭載数の艦も建造されるようになったため3等艦の定義は64門から80門の範囲に拡張された。このクラスの艦の乗員は大体500名から720名程度である。  この定義は後に戦列艦で最も多用される74門艦を含んでいたため、3等艦は特に一般的な等級となった。より大きな艦より操艦が容易で、なおかつ1等艦に対抗しうる最低限の火力を保持しているからである。また運用経費も比較的安価だった。 等級制度はイギリス海軍でしか使用されなかったが、イギリスの作家などはフランス海軍の74門艦も「3等艦」と言及することもある。この制度は18世紀末までに一般的でなくなり、戦列艦は「74門艦(74s)」のように砲の数を直接言及するのが普通になる。 Category:イギリス海軍の歴史 Category:戦列艦.

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5月2日

5月2日(ごがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から122日目(閏年では123日目)にあたり、年末まではあと243日ある。誕生花はスズラン。.

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8月18日

8月18日(はちがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から230日目(閏年では231日目)にあたり、年末まであと135日ある。.

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9月19日

9月19日(くがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から262日目(閏年では263日目)にあたり、年末まであと103日ある。.

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