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レギア

索引 レギア

フォルム・ロマヌム内での位置(赤丸) レギア(Regia)はイタリア ローマのフォルム・ロマヌムにある王政ローマ時代には王の執務室、また共和政ローマや帝政ローマ時代には最高神祇官の公邸であった建物のこと。ウェスタ神殿、ディウウス・カエサル神殿とアントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿に囲まれた場所にあり、現在ではその基礎部分が残っているだけである。クリアと同じく、長い古代ローマ時代に何度も建て替えられ、最も古いものは王政時代まで遡ることができる。 伝説によれば、最初の建物は第2代の王ヌマ・ポンピリウスの時代に王宮として建てられたそうである。このとき同時にウェスタ神殿、巫女たちの家なども建てられ、国の政治・宗教の中枢地区フォルム・ロマヌムを形成した。 共和政ローマ時代には最高神祇官の公邸となり、(複数名が任命され権限が制限される執政官としてではなく、国で唯一名の最高神祇官の肩書を用いて国の統治を意図した)ガイウス・ユリウス・カエサルも、この公邸の主となり国を統治した。 また、レギアは神官団の公文書館の役割も果たしており、祈祷や犠牲など宗教儀式に関する文書や聖なる日を定める暦、国事記録、結婚や死去、相続に関する記録文書などが保管されていた。 紀元前390年、前148年、前36年に火災等により焼失し再建されている。カエサル没後8年の前36年の焼失時には、アウグストゥスの側近であったグナエウス・ドミティウス・カルウィヌスにより再建された。 現在見られる遺跡は、幾度もの焼失や倒壊を経て、当初とは別の位置に建て替えられたもので、変則的な形の中庭を持つ建物で、凝灰岩で舗装され木造屋根のポルティコを持った建物であった。この建物は7世紀から8世紀頃に一般住居に改築されていたと考えられている。.

17 関係: 執政官巫女たちの家ローマローマ帝国ヌマ・ポンピリウスディウウス・カエサル神殿フォロ・ロマーノアントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿アウグストゥスイタリアウェスタ神殿ガイウス・ユリウス・カエサルグナエウス・ドミティウス・カルウィヌス凝灰岩共和政ローマ王政ローマ最高神祇官

執政官

執政官(しっせいかん、consul、コンスル)は、古代ローマでの政務官のひとつ。都市ローマの長であり、共和政ローマの形式上の元首に当たる。訳語として執政官のほかに統領を用いることもある。.

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巫女たちの家

巫女たちの家 (Casa delle Vestali) は、フォロ・ロマーノにある建造物で、かまどの女神ウェスタに仕える巫女たちの住居である。.

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ローマ

ーマ(Roma、Roma)は、イタリアの首都。欧州有数の世界都市であり、ラツィオ州の州都、ローマ県のコムーネの一つで、ローマ県の県都でもある。英語とフランス語の表記は「Rome」。.

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ローマ帝国

ーマ帝国(ローマていこく、Imperium Romanum)は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロードの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。 帝国という訳語があてられている事から、狭義にはオクタウィアヌスがアウグストゥスの尊称を与えられた紀元前27年からの古代ローマを指す場合もある。しかし、本来の表現からすればこの場合は帝政ローマ、またはローマ帝政期とした方が正確である。.

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ヌマ・ポンピリウス

ヌマ・ポンピリウス(Numa Pompilius, 紀元前750年 - 紀元前673年)は、王政ローマにおける第2代の王。この時代のローマは史料に乏しく、一般的には伝説上の存在だと考えられている人物である。戦争に次ぐ戦争でローマを拡大した初代王ロムルスとは異なり、43年におよぶ治世中に一度も戦争をせずに内政を充実させたとされている。.

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ディウウス・カエサル神殿

フォルム・ロマヌム内での位置(赤丸) ディウウス・カエサル神殿(Aedes Divi Iulii、Tempio del Divo Giulio)はローマのフォロ・ロマーノ(Forum Romanum)にある古代の建築物である。紀元前29年8月29日に、アクティウムの海戦に勝利したオクタウィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)が神君カエサルを記念して建てたプロスタイル式(前柱廊下式)の神殿。日本語で神君カエサル神殿と表記されることもある。 フォルム(中央の広場)の東に面しており、レギア、カストルとポルックス神殿、バシリカ・アエミリアに囲まれた場所にあり、カエサルの遺体が火葬された場所に建てられている。神殿の一段上がったところはロストラ(演壇)が作られており、アクティウムの海戦で捕縛した船の船首で飾られていたという。この神殿はまた、カエサルの死後(の紀元前44年)に出現した彗星を祀るものでもあり、この彗星はカエサルの魂であるとも、初代ローマ皇帝アウグストゥスの出現を表すものとも言われていた。 Category:ローマの古代建築物 Category:紀元前1千年紀の建築物 Category:イタリアの考古遺跡.

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フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノ(伊:Foro Romano)は、ローマにある古代ローマ時代の遺跡。観光地として有名である。フォロ・ロマーノは、ラテン語の古名フォルム・ロマヌム(Forum Romanum)のイタリア語読みである。 紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて、国家の政治・経済の中心地であったが、ローマ帝国が東西に分裂し、首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪に曝されるようになり、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった。 フォロ・ロマーノの発掘は、19世紀から本格的に行われるようになったが、帝政時代初期までに開発が繰り返されており、遺構も様々な時代のものが混在しているので、発掘調査は難しい。現在の遺跡は、大部分が帝政時代以降のものである。.

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アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿

フォルム・ロマヌム内での位置(赤丸) アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿(Templum Antonini et Faustinae,Tempio di Antonino e Faustina)は古代ローマのフォルム・ロマヌムに存在していた神殿。.

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アウグストゥス

アウグストゥス(Imperator Caesar Divi Filius Augustus インペラートル・カエサル・ディーウィー・フィーリウス・アウグストゥス、Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス、紀元前63年9月23日 - 紀元14年8月19日)は、ローマ帝国の初代皇帝(在位:紀元前27年 - 紀元14年)。志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、地中海世界を統一して帝政(元首政)を創始、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した。ちなみにアウグストゥスは、ラテン語で「尊厳ある者」を意味しており、現在のギリシア語では「8月」の意になっている。.

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イタリア

イタリア共和国(イタリアきょうわこく, IPA:, Repubblica Italiana)、通称イタリアは南ヨーロッパにおける単一国家、議会制共和国である。総面積は301,338平方キロメートル (km2) で、イタリアではロスティバル(lo Stivale)と称されるブーツ状の国土をしており、国土の大部分は温帯に属する。地中海性気候が農業と歴史に大きく影響している。.

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ウェスタ神殿

ウェスタ神殿(ウェスタしんでん)は、古代ローマにあったフォロ・ロマーノの建造物。 かまどの女神ウェスタをまつる神殿。王政期に建造。.

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ガイウス・ユリウス・カエサル

イウス・ユリウス・カエサル(古典ラテン語:Gaius Iulius Caesar、紀元前100年 - 紀元前44年3月15日)は、共和政ローマ期の政治家、軍人であり、文筆家。「賽は投げられた」(alea iacta est)、「来た、見た、勝った」(veni, vidi, vici) 、「ブルータス、お前もか (et tu, Brute?)」などの特徴的な引用句でも知られる。また暦で彼の名称が使用されていた(ユリウス暦)時期が存在していた。 古代ローマで最大の野心家と言われ、マルクス・リキニウス・クラッスス及びグナエウス・ポンペイウスとの第一回三頭政治と内戦を経て、ルキウス・コルネリウス・スッラに次ぐ終身独裁官(ディクタトル)となった。.

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グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス

ナエウス・ドミティウス・カルウィヌス グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス(Gnaeus Domitius Calvinus, 生没年不詳)は、紀元前1世紀の共和政ローマ期の政治家、軍人である。ノビレス出身で紀元前53年と紀元前40年に執政官を務め、ガイウス・ユリウス・カエサル及びアウグストゥス(オクタウィアヌス)の側に味方して戦った。.

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凝灰岩

二上山屯鶴峯産出) 凝灰岩(ぎょうかいがん、、タフ)は、火山から噴出された火山灰が地上や水中に堆積してできた岩石。成分が火山由来であるが、生成条件から堆積岩(火山砕屑岩)に分類される。 典型的な凝灰岩は数mm以下の細かい火山灰が固まったもので、白色・灰色から暗緑色・暗青色・赤色までさまざまな色がある。塊状で割れ方に方向性はない。凝灰岩は層状構造(層理)を持たないことも多いが、大規模な噴煙から降下した場合や水中でゆっくり堆積した場合は層状をなすこともある。.

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共和政ローマ

共和政ローマ(きょうわせいローマ)は、紀元前509年の王政打倒から、紀元前27年の帝政の開始までの期間の古代ローマを指す。 この時期のローマは、イタリア中部の都市国家から、地中海世界の全域を支配する巨大国家にまで飛躍的に成長した。帝政成立以後ではなく地中海にまたがる領域国家へと発展して以降を「ローマ帝国」と呼ぶ場合もある。また、1798年に樹立されたローマ共和国 (18世紀)、1849年に樹立されたローマ共和国 (19世紀)と区別するために「古代ローマ共和国」と呼ばれることもある。.

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王政ローマ

王政ローマ(おうせいローマ、羅:Regnum Romanum)は、古代ローマ最初期の政体である王政期を指す。のちに共和政ローマ、そして帝政ローマへと変遷する。.

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最高神祇官

トーガで頭を覆う、ポンティフェクス・マクシムスの装いをしたアウグストゥス帝 最高神祇官(さいこうじんぎかん)またはポンティフェクス・マクシムス(Pontifex Maximus)は、古代ローマの国家の神官職のひとつである。通常は神官団長、大神官、神官長、大神祇官長などと訳され、公の場で最高神祇官なる表記が使われることは希である。共和政ローマにおいてはすべての神官の長として神官団 (Pontifices) を監督した。閏月を決定する権限を持つ。任期は終身で、他の官職との兼任も可能。 ローマには伝統的なローマ神については専任の神官が存在せず、その職は高い権威と人格を認められた一部のエリートが市民集会の投票で選出された。宗教的権威を統治機構の権威の源泉としていたローマでは、政務官として選ばれるに足る人物でなければ神官職に選ばれることはなく、また神官職の権威は、選ばれた者に政務官としてふさわしいとの権威を与えた。 こうした神官職の頂点に立つポンティフェクス・マクシムスの権威は、他の官職と比べ何の権限も持たない割には非常に絶大で、神官団の中で最も権威と実績を持った高齢者が就任することが通常であった。ポンティフェクス・マクシムスにはフォルム・ロマヌムにあった公邸(レギア)が与えられた。 ローマ帝政の基礎を築いたガイウス・ユリウス・カエサルは自らの政治的成功のためにポンティフェクス・マクシムスの権威を利用しようと目論み、大量の借金で行なった買収工作により異例の若さでこの神職に就任している。こののちユリウス・カエサルの権威を継承したアウグストゥスもレピドゥスの死後ポンティフェクス・マクシムスに就任し、その神聖な権威を元首政の確立に利用した。 アウグストゥス以降もローマ帝国においてはローマ皇帝が兼ねるのを常としたが、3世紀以降の皇帝はポンティフェクス・マクシムスへの就任を拒むことが多くなり、その地位をローマ教皇に譲った。 ポンティフェクス・マクシムスは、現在もローマ教皇の称号の一つである。.

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