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リー・メトフォード

索引 リー・メトフォード

リー・メトフォード(Lee-Metford、別名マガジン・リー・メトフォード、略してMLM)は、1888年にイギリスで採用された、ボルトアクションライフルである。 スコットランド系アメリカ人ジェームズ・パリス・リーの後部ロッキングボルト機構と、ウィリアム・エリス・メトフォードが設計した7条のライフリングの銃身と、10発入り弾倉とが結びついた小銃であった。9年間の、開発とトライアルの後に、1888年からマルティニ・ヘンリー銃を置き替えたが、1895年から同様のリー・エンフィールドに置き替えられるまでの短い間だけ軍に留まった。.

15 関係: 二脚弾倉マルティニ・ヘンリー銃リー・エンフィールドルイス軽機関銃ボルトアクション方式ボーア戦争ブレン軽機関銃インチイギリス帝国無煙火薬照準器黒色火薬村田銃.303ブリティッシュ弾

二脚

上自衛隊の89式5.56mm小銃。二脚を標準装備している 二脚(にきゃく、Bipod)は、三脚や一脚に類似した二本の脚を持つ支持装置。銃に取り付ける二脚銃架が広く用いられている。一般的にはバイポッドと呼ばれている。.

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弾倉

STANAG マガジンの絵。横に寝かせ上から見た図。手前側(絵の右下部分)を銃に差し込む 弾倉(だんそう、Magazine)は、火器の弾薬をあらかじめ装填しておき、発射の際に次弾を供給するための、銃の部品のひとつである。英語の発音をそのまま借りてマガジンとも言う。 外付けのもの(脱着式)と、銃に内蔵されているもの(固定式)がある。前者は半自動式拳銃(セミ・オートマチック・ピストル)や自動小銃・軽機関銃に、後者はボルトアクション方式など手動小銃や回転式拳銃(リボルバー)でよく見られる。改造品や模造品、また、正規品であったとしても"仕様"として極稀にオートマチック式で固定式の物もあれば、回転式で脱着できるものもあるため、一概には言えない。.

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マルティニ・ヘンリー銃

マルティニ・ヘンリー銃(マルティニ・ヘンリーじゅう、英:Martini-Henry)は、イギリスで採用された、後装式・レバー作動方式の小銃である。作動にはフリードリッヒ・フォン・マルティニの設計(特定箇所や、基本形状がヘンリー・ピーボディの開発したピーボディ銃と類似しているとして、しばしば指摘されている)が加えられ、旋条の入った銃身の設計は、銃匠であるスコッツマン・アレクサンダー・ヘンリーが行った。この銃が軍務に就いたのは1871年のことで、スナイダー・エンフィールド銃と代替された。また派生型は30年間を通じてイギリス帝国に用いられた。本銃は、金属製薬莢を採用した真の後装式としては、最初のイギリス軍制式小銃であった。 ピーボディ銃の閉鎖部 マルティニ・ヘンリー銃には4つの形式が存在する。マークI(1871年6月開発)、マークII、マークIII、マークIVである。また、1877年には派生型の一つにカービン銃が存在し、これはガリソン砲兵用カービン銃として分類される砲兵用カービン(マークI、マークII、マークIII)であり、またより小型の派生型が陸軍士官学校の訓練用小銃として設計された。マルティニ・ヘンリー小銃のマークIVは1889年に生産終了した。しかし、大英帝国における軍務での使用は第一次世界大戦の終結まで続き、アフガニスタンでは、少数が部族民の手によりソ連のアフガン侵攻に対して使用された。 マルティニ・ヘンリー銃は、パキスタン北西辺境州の銃器製作者たちによって大規模に複製された。彼らの製作した兵器は、王立小火器工廠やエンフィールドと比較して貧しい品質であったが、これは性能試験の正確さが低下していたことによる。主な製作者たちはアダム・ケール市のアフリディ族である。彼らはカイバル峠の周辺に居住していた。このため、イギリスの言葉でこのような兵器はPass made rifles(峠製の銃)と呼ばれた。こうした兵器の生き残りの多くは、アフガニスタンの国際治安支援部隊に参加している部族の戦士に売却された。.

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リー・エンフィールド

リー・エンフィールド(Lee-Enfield)は、イギリスで開発されたボルトアクションライフルである。1895年の採用以降、長年に渡りイギリス軍の制式小銃として配備されていた。 リー・エンフィールドという名称は、設計者である(James Paris Lee)の姓と、王立小火器工廠がある地名のエンフィールドに由来する。.

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ルイス軽機関銃

ルイス軽機関銃(ルイスけいきかんじゅう、Lewis Gun)とは、主に第一次世界大戦期にイギリスで生産された軽機関銃である。 連合国側で広く使用されたほか、第二次世界大戦でも一部で使用された。標準弾薬は.303ブリティッシュ弾(7.7mm)だが、他の弾薬を使用するバリエーションもある。.

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ボルトアクション方式

ボルトアクション方式(ボルトアクションほうしき)とは、ボルト(遊底)を手動で操作することで弾薬の装填、排出を行う機構を有する銃の総称である。日本語では鎖閂式(ささんしき)とも呼ばれる。.

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ボーア戦争

ープ植民地 ボーア戦争(ボーアせんそう、First Boer War、Eerste Vryheidsoorlog)は、イギリスとオランダ系アフリカーナー(ボーア人あるいはブール人とも呼ばれる)が南アフリカの植民地化を争った、2回にわたる戦争。南アフリカ戦争、南阿戦争、ブール戦争ともいう。イギリスはシネマトグラフにより、世界で初めてこの戦争を動画で記録した。イギリスは戦果をふまえ、オランダの背後にあるドイツ帝国を脅威と受け止めた。そして三国協商と日英同盟・日仏協商・日露協約による包囲網を急ピッチで完成させた(三国同盟も参照)。それまでイギリスが栄光ある孤立を維持できたのは、ユグノー資本が民間レベルで列強の国際関係に干渉できたからである。しかしドイツの飛躍的な国力増大を前に、政治を利用した総力戦で伸張を阻む作戦が立った。.

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ブレン軽機関銃

ブレン軽機関銃(ブレンけいきかんじゅう、Bren Light Machine Gun)、通称ブレンガンは、1930年代から広く使用されたイギリス製の軽機関銃である。特に第二次世界大戦中、イギリス軍とその同盟国軍で、歩兵部隊に欠かせない軽機関銃として作戦に多用された。その後も、朝鮮戦争、フォークランド紛争、湾岸戦争に至るまで使用され続けた。.

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インチ

インチ(inch、記号:in)は、ヤード・ポンド法の長さの単位である。国際インチにおける1インチは正確に25.4ミリメートルと定められている。1インチは1国際フィート(.

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イギリス帝国

イギリス帝国(イギリスていこく、British Empire)は、イギリスとその植民地・海外領土などの総称である。大英帝国(だいえいていこく)ともいう。 帝国は時代ごとの性質により、以下のように区分できる。.

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無煙火薬

203mm自走りゅう弾砲の射撃。無煙火薬でも白煙は発生するのが分かる 無煙火薬(むえんかやく)とは、爆発時に大量の白煙を放出する黒色火薬や褐色火薬(有煙火薬)に対し、発煙低減のために開発された火薬のことである。 その基本はニトログリセリン、ニトロセルロース、ニトログアニジンの3つが基剤となる。ニトロセルロースは古くは脱脂綿などの繊維を濃硝酸と濃硫酸の混酸によりニトロ化することで製造されていた。ニトロセルロースだけを原料に用いたもの、ニトロセルロースとニトログリセリンを用いたもの、3つの物質を用いたものの3種類に大別できる。それぞれ、シングルベース火薬、ダブルベース火薬、トリプルベース火薬と称される。 無煙火薬は主に火器の発射薬(ガンパウダー)として使われ、燃焼後の灰分が減った副産物として銃砲の清掃周期が延び、また、薬室内部に滓がこびりつく頻度も減ったので、速射砲や機関銃のような自動火器の信頼性向上に大きく貢献した。 なお、誤解されがちであるが「無煙」と称されるものの完全に煙が出ないという訳ではなく、大量の煙を出す黒色火薬に比較して発煙量が少ない程度と理解する必要がある(発煙は大量の装薬を使う、火砲発射時などで顕著である)。ただし、黒色火薬と比較して発生した煙が晴れるのは早い。.

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照準器

照準器(しょうじゅんき、英:sight)は、銃・火砲などの射出式武器・兵器の狙い(照準)を定めるための装置。照準器は射手との接点のため、命中率を大きく左右する要素である。照準具(しょうじゅんぐ)、サイト(sight)などとも。.

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黒色火薬

黒色火薬(こくしょくかやく、)は、可燃物としての木炭と硫黄、酸化剤としての硝酸カリウム(硝石)の混合物よりなる火薬の一種である。硝酸カリウムの代わりに硝酸ナトリウムを使用する場合もある。この3成分の配合比率は品種によって異なる。反応時にはかなり大量の火薬滓と白煙を発生させる。.

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村田銃

村田銃の設計者、村田経芳 村田銃(むらたじゅう)は、薩摩藩・日本陸軍の火器専門家だった村田経芳がフランスのグラース銃(金属薬莢用に改造されたシャスポー銃)の国産化を図る過程で開発し、1880年(明治13年)に日本軍が採用した最初の国産小銃。 建軍当時の大日本帝国陸海軍は、陸軍がイギリス製のスナイドル銃、海軍が同マルティニ・ヘンリー銃を使用していたが、村田経芳が十三年式村田銃の製造に成功したことで、初めて「軍銃一定」(主力小銃の統一・一本化)が成し遂げられた。このことが後の日清戦争において、雑多な小銃を用いる清軍に対し、日本軍の優位につながる一因となった。 村田銃の出現は火縄銃以来の300年の欧米とのギャップを埋め、国産銃を欧州の水準へ引き上げた。また、旧式化した後に民間に払い下げられ、戦前戦後を通じ日本の猟銃の代名詞的な存在ともなった。.

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.303ブリティッシュ弾

.303ブリティッシュ弾(303ブリティッシュだん)または7.7×56mmRないし7.7x56Rmmは、最初は1888年にリー・メトフォード小銃用の黒色火薬を使用する実包として、次にリー・エンフィールド小銃用の無煙火薬を使用する実包として、イギリスで開発された、.311インチ口径のライフル、カービン、機関銃用の実包である。 1889年から、7.62×51mm NATO弾と置き換えられた1950年代まで、イギリスとイギリス連邦の標準軍用実包であった。.

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