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ラップランド戦争

索引 ラップランド戦争

ラップランド戦争(ラップランドせんそう、Lapin sota、Lapplandskriget、Lapplandkrieg)は、1944年9月から1945年4月にかけて、フィンランドとナチス・ドイツとの間で、フィンランド最北のラップランドで行われた戦争。フィンランドでは継続戦争のようにそれまでの戦闘とは別の戦争として扱われたが、ドイツでは第二次世界大戦の一環、フィンランド北部とノルウェー北部から撤退するためのとの遂行として扱われた。フィンランド軍は武装解除しつつドイツ軍にフィンランドから撤退させなければならなかったが、フィンランド軍はモスクワ休戦協定の条件を守ることに成功、ドイツ軍はノルウェーへ撤退した。その後、フィンランドとソビエト連邦、イギリス、イギリスの自治領との戦争状態は1947年のパリ条約で正式に終結した。.

66 関係: 南ヨーロッパ巡洋艦上級大将地雷ナチス・ドイツノルウェーモスクワ休戦協定ヤルマル・シーラスヴオラッピ県リスト・リュティロヴァニエミロヴァニエミの戦いロタール・レンデュリックトルネ川トルニオトルニオの戦いプリンツ・オイゲン (重巡洋艦)プダスヤルヴィパリ条約 (1947年)フィンランドフィンランドの大統領フィンランド湾アーロ・パヤリアドルフ・ヒトラーイギリスエルンスト・ルーベン・ラガスエデュアルト・ディートルオーランド諸島オウルカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムキッティラケミケミ川 (フィンランド)ゴーグラント島ソビエト連邦ソダンキュラゾンダーコマンド・ノルトタンネ・オスト作戦冬戦争国防軍最高司令部 (ドイツ)第169歩兵師団 (ドイツ国防軍)第20山岳軍 (ドイツ軍)第6SS山岳師団第二次世界大戦継続戦争疎開駆逐艦重巡洋艦自治領連合国 (第二次世界大戦)...Fw 200 (航空機)Hs 293 (ミサイル)Ju 87 (航空機)梅本弘榴散弾機雷機雷敷設艦潜水艦戦争犯罪戦闘団斎木伸生急降下爆撃機1944年1945年4月25日9月15日 インデックスを展開 (16 もっと) »

南ヨーロッパ

中東 南ヨーロッパ 南ヨーロッパ(みなみヨーロッパ、Europa del Sur、Europa meridional、Europa meridionale)は、ヨーロッパ地域の南部を指す。南欧ともいう。西洋でも特に歴史が古く、主にラテン語系の言語を母語とする民族が住んでいる地中海沿岸の地域である。.

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巡洋艦

巡洋艦(じゅんようかん、)は遠洋航行能力・速度等を生かした攻撃力を持たせた軍艦の艦種。ただし定義は国や年代によって異なる。.

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上級大将

上級大将(じょうきゅうたいしょう、Colonel General、、(陸空軍)、(海軍)、Generaloberst(陸空軍)、(海軍))とは、軍隊の階級の一つで、通常、大将の上に位置し将官の最高位の階級である。.

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地雷

中国製の72式対人地雷 地雷(じらい、land mine)は、地上または地中に設置され、人や車両の接近や接触によって爆発して危害を加える兵器。 本稿では、前近代の同概念の火器の1つである、埋火(うずめび)についても解説する。.

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ナチス・ドイツ

ナチス・ドイツは、アドルフ・ヒトラー及び国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチ党)による支配下の、1933年から1945年までのドイツ国に対する呼称である。社会のほぼ全ての側面においてナチズムの考え方が強制される全体主義国家と化した。ヨーロッパにおける第二次世界大戦が終結する1945年5月に連合国軍に敗北し、ナチス政権とともに滅亡した。.

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ノルウェー

ノルウェー王国(ノルウェーおうこく、Kongeriket Norge/Noreg)、通称ノルウェーは、北ヨーロッパのスカンディナビア半島西岸に位置する立憲君主制国家である。首都は半島南端部に存在するオスロフィヨルドの奥に形成された港湾都市のオスロで、東にスウェーデン、ロシア、フィンランドと国境を接している。 国土は南北に細長く、海岸線は北大西洋の複数の海域、すなわちスカゲラック海峡、北海、ノルウェー海およびバレンツ海に面している。海岸線には、多くのフィヨルドが発達する。この他、ノルウェー本土から約1,000キロメートル (km) 離れた北大西洋上のヤン・マイエン島は固有の領土の一部として領有され、スヴァールバル条約によりバレンツ海のスヴァールバル諸島を領有している。南大西洋にブーベ島を属領として持つ。 による高負担高福祉の福祉国家として知られ、OECDの人生満足度(Life Satisfaction)ではスイスに次いで第2位となった(2014年)。.

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モスクワ休戦協定

モスクワ休戦協定(モスクワきゅうせんきょうてい、露: Московское перемирие、芬: Moskovan välirauha)は、1944年9月19日にフィンランド側とソビエト連邦、イギリス側によって署名された協定であり、これによって事実上継続戦争は終結した。この休戦協定は、1940年のモスクワ講和条約の条件に多少変更を加え復帰させたものである。なお、フィンランド・連合国諸国間の最終的な講和条約は1947年にパリで締結されたパリ条約である。.

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ヤルマル・シーラスヴオ

ヤルマル・フリドルフ・シーラスヴオ(Hjalmar Fridolf Siilasvuo, 1892年3月18日 – 1947年1月11日)は、フィンランドの軍人。最終階級は中将。 1934年、北エステルビョッテン軍区司令官に任命。冬戦争時、第9師団を指揮した。継続戦争では1941年、第3軍団長に任命され、同年6月、ドイツの「ノルウェー」軍の作戦統制下に置かれた。第3軍団は、ウヒン及びケステグ方面で行動した。1942年~1944年、教育総監。1944年、第3軍団長に再任され、カレリア地峡(ケクスゴルム方面)に展開し、ヴオクシン水系を防衛した。1944年中盤、ドイツ特務機関がフィンランドでの軍事クーデターを計画した時、シーラスヴオはその総司令官候補と見られていた。 ソ連との和平条約署名後、1944年9月末、ラップランド軍(約7万5千人)司令官に任命され、ラップランド戦争ではドイツ軍と戦った。同年10月、攻勢を開始し、11月20日までに国境線まで進出した。1944年~1947年、第1師団長。 Category:1892年生 Category:1947年没 Category:ヘルシンキ出身の人物 Category:スウェーデン系フィンランド人 Category:フィンランドの軍人 Category:フィンランド内戦の人物 Category:第二次世界大戦期のフィンランドの軍人.

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ラッピ県

ラッピ県(Lappi、北部サーミ語:Lappi、Lappland)は、フィンランドの行政区。フィンランド最北の県で、面積最大の県でもある。県庁所在地はロヴァニエミ。 バルト海北部のボスニア湾に面している。南で北ポフヤンマー県と県境を接する。また、西はスウェーデン・ノールボッテン県、北はノルウェー・フィンマルク県とトロムス県、東はロシア・ムルマンスク州と国境を接している。.

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リスト・リュティ

リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti、 1889年2月3日 - 1956年10月25日)は、20世紀のフィンランドの政治家、弁護士、銀行家。 フィンランド銀行総裁を務めるなど戦間期のフィンランドで要職を務め、1939年の冬戦争が勃発した翌日に首相、1940年12月にフィンランド第5代大統領に就任、継続戦争末期まで戦時政府を率いた。 1944年の継続戦争終結に先立ち、ソ連と、同盟国であったナチス・ドイツの双方を外交的策略で欺くことによって、結果的にフィンランドの対ソ連単独講和と国家の独立存続を実現させた。その「策略」の責任者として第二次世界大戦後、戦争犯罪人として告発され、禁錮10年の判決を受けたが、まもなく釈放された。汚名を負って救国を成し遂げた功労者としてフィンランド人に尊敬の念をもたれ、その死に際しては国葬をもって送られた。フィンランドで最も偉大な人物ランキングはカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムに続いて第2位。.

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ロヴァニエミ

ヴァニエミ (Rovaniemi) は、フィンランド北部のラッピ県にある都市。.

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ロヴァニエミの戦い

ロヴァニエミの戦い(芬:Rovaniemen valtaus)はラップランド戦争で行われた戦い。戦いはフィンランド機甲師団とドイツ第20山岳師団によってロヴァニエミ南部で行われた。この戦闘に先立ち、町はドイツ軍によってさんざんに破壊された。 ロヴァニエミの町はフィンランド北部ラップランドの県都であった。第二次世界大戦の間はフィンランド北東のペッツァモの北海を望む港リーナハマリに続く重要な交通の拠点として使われた。 継続戦争が始まった1941年、フィンランド政府はソ連との戦闘に備え、ラップランド地方の国境防衛を同盟国であるドイツと協力することを決め、この地にドイツ第20山岳兵団の駐留を認めた。その後この地点を中心としてペッツァモのニッケル鉱山を占領し、ペッツァモ近郊からムルマンスク攻略作戦を発起し、更に連合国のソ連への物資の輸送を阻んだ。更にロヴァニエミはドイツの作戦本部が置かれており、ドイツ空軍ルフトヴァッフェの第五航空艦隊の基地にもなるなどフィンランド北部でのドイツの本拠地になっていた。 ドイツ守備隊とラップランド住民の関係は非常に友好的であった。しかし、フィンランドがソ連と分離講和をしてからは悪化していた。ドイツ軍は20万を超える兵力をフィンランド国内に持っており、それらドイツ軍は未だソ連軍と戦争中であった。ソ連側はフィンランドにドイツ軍を2週間以内に領土内から追い立てるように求めたが、それは不可能な課題であった。ドイツ軍はフィンランドと特に戦わずにゆるゆると退却していた。しかし、ソ連との条約を守っていることを示すためにフィンランド軍はドイツ軍と戦闘。トルニオの戦いでソ連軍にその証拠を示した。また、トルニオ作戦と同時にフィンランド機甲部隊は北部のロヴァニエミに対しての進軍を開始した。 トルニオの戦い以降、ドイツのフィンランド方面の将軍ロタール・レンデュリックはラップランドでの焦土作戦を命令した。この作戦は1942年に既に用意されていた通りに行われた。 ロヴァニエミへの焦土作戦はフィンランド軍の接近を知ったドイツ軍によって1944年10月10日に行われた。木造建築の多かったこの地区では火災が6日間続き、13棟の建物しか残らなかった。ラップランドの町に住む住民はドイツ軍との衝突を予測して、9月には既に避難を完了しており、ラップランド地方の町はもぬけの殻であった。このため住民の被災者はなかった。 Category:フィンランドの戦闘 Category:ドイツの戦闘 category:第二次世界大戦の作戦と戦い Category:1944年の戦闘 Category:1944年のフィンランド Category:1944年10月.

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ロタール・レンデュリック

タール・レンデュリック (Dr.

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トルネ川

流路 トルネ川(Torne river、フィンランド語ではTornionjoki)は、フィンランド北部を流れる河川である。 スウェーデン北部のトルネ湖に源を発し、ボスニア湾へ流れている。長さ522kmはノールボッテン県で最も大きい川である。下流部はスウェーデンとフィンランドの境界となっている。.

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トルニオ

トルニオ(Tornio、Torneå、北部サーミ語: Duortnus)は、フィンランドのラップランドにある町、およびそれを中心とする基礎自治体。後者の面積は1348.55km2で、このうち161.59km2が水域である。人口密度は18.98人/km2、人口は2万2525人(2013年8月31日)。スウェーデンのハパランダ(フィンランド名はハーパランタ)と隣接する。.

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トルニオの戦い

トルニオの戦い(Tornionlaakson taistelut)は、1944年に発生したラップランド戦争の戦い。これまでにもドイツ、フィンランド両軍の間にはタンネ・オスト作戦などの戦いは起こっていたが、これが初めての本格的な戦闘となった。 ドイツ軍はフィンランド軍に領土を渡しつつ、ドイツ占領下のノルウェーに向けて撤退中であった。ドイツの関心は既にフィンランドからソ連に委譲された、ニッケル鉱山のあるペッツァモを保持することに移っていた。さらに、ドイツ軍とフィンランド軍はこれに先立つ継続戦争で共に戦っており、互いに友情を持っていた。そのため、このときまでのドイツ軍とフィンランド軍の戦闘はおためごかしのようなものであり、お互いに敵愾心を余り持っていなかった。 しかしながら、フィンランド軍はソ連との平和条約の中で、武力によって2ヵ月半以内にドイツ軍を追い出すことを求められており、フィンランド軍はゆるゆると撤退するドイツ軍を早期に撤退させる必要に駆られていた。このため、ヤルマル・シーラスヴオ中将はオウルからトルニオ近郊に陸海軍共同作戦で上陸し、同時に陸路ケミを攻撃する進攻作戦を計画し、命令した。フィンランド軍は対空砲を一門装備する3隻の輸送艦を使用した。スウェーデン国境に沿って撤退中のドイツ軍を分断させようというこの作戦の実行はドイツ軍を驚かせた。 トルニオでの上陸 輸送艦は空海軍の支援を得て、オウルからトルニオの80マイルの距離を航行していた。幸い悪天候によってドイツ軍の爆撃隊は出撃していなかった。フィンランド第11連隊の上陸はロイッタ海岸で反撃も受けずに上陸し、同日にはトルニオの町を占拠した。町で防衛を行っていたドイツ軍はモッティ戦術で追い詰められ、降参した。フィンランド軍のトルニオ奪取によって退路を脅かされたドイツ軍は浮き足立った。 第15猟兵部隊はシモを通りケミに進攻した。しかし、こちらは橋にドイツ軍が地雷を仕掛け、吹き飛ばしたために進軍が遅れた。トルニオ鉄道橋はスウェーデンが戦争に介入するのを避けるために爆破されなかった。トルニオにフィンランド軍が上陸した翌日、ドイツ空軍が爆撃を行い、フィンランド軍に60人の犠牲を払わせ、成功裏に終わった。続いてドイツは反撃したが、フィンランド側は第二次揚陸兵や海軍の沿岸砲撃といった援護もありドイツ軍を撃退した。このときの成功によってトルニオ谷には記念碑が飾られている。 250px 当初の計画ではフィンランド軍はケミ近郊でドイツ軍の退路を絶つ計画であった。しかしドイツ軍はロヴァニエミへの退路を隠すことに成功し秩序良く撤退した。一方、トルニオの奪取はドイツ軍をトルニオ川流域とキミヨキ川流域に分断することに成功した。道路の喪失によってドイツ軍はケミ近郊の軍に物資を送るためにロヴァニエミを通差なければならなくなった。これはドイツ軍にケミからの撤退を促した。10月8日にはケミ-トルニオの区画は奪取された。 北方にいたドイツの司令官ロタール・レンデュリックはフィンランド軍のトルニオでの上陸作戦強行は温厚に撤退しようとするドイツ軍に対する背信と考え、これが彼がラップランド地方全体に対する焦土作戦を命令する発端になったといわれている。事実、焦土作戦はラップランドで情勢が悪化した際に使うようにエデュアルト・ディートルが1942年に既に計画していたものであり、既に実行されていてもおかしくはなかった。 トルニオ攻撃はソ連に対してドイツと戦闘が行われていると証明した。また、フィンランドはドイツとの盟約を反故にし、敵対することができる、さらにそうしているのだということを国内外に知らしめた。しかし、その代償も大きいものであった。 Category:フィンランドの戦闘 Category:ドイツの戦闘 category:第二次世界大戦の作戦と戦い Category:1944年のフィンランド Category:1944年の戦闘 Category:1944年10月.

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プリンツ・オイゲン (重巡洋艦)

プリンツ・オイゲン(Prinz Eugen)は、ドイツ海軍の重巡洋艦。アドミラル・ヒッパー級の3番艦。1番艦のアドミラル・ヒッパー、2番艦のブリュッヒャーの設計に若干の変更を加えているため、アドミラル・ヒッパー級第2グループとされている。艦名は17世紀末から18世紀初頭のオーストリアの軍人プリンツ・オイゲンに因んで命名された。強運の巡洋艦として有名。.

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プダスヤルヴィ

プダスヤルヴィ(Pudasjärvi)は、フィンランド・北ポフヤンマー県の町、自治体。オウルンカーリ郡に属する。 人口は2010年3月31日の時点で8924人、面積は5867.23平方キロ(2265.35平方マイル)で、うち228.62平方キロ(88.27平方マイル)を水域が占める。人口密度は1.58/平方キロ(4.1/平方マイル)。2006年時点で町としてはロヴァニエミに次ぐ国内2番目の面積を有する。 雄大な自然で知られ、シウランキラ地区にある35億年前のトロニェマイト岩は欧州連合(EU)域内で最も古い岩とされる 。 また、メロディックデスメタルバンドのカルマとエターナル・ティアーズ・オヴ・ソロウは当地で結成された。.

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パリ条約 (1947年)

パリ条約(パリじょうやく、英語:Paris Peace Treaties)は、第二次世界大戦の平和条約のひとつで、1947年2月10日に締結。旧枢軸国イタリア、ルーマニア、フィンランド、ブルガリア、ハンガリーの各国ごとに連合国21か国と結ばれた一連の条約を指す。.

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フィンランド

フィンランド共和国(フィンランドきょうわこく、Suomen tasavalta、Republiken Finland)、通称フィンランドは、北ヨーロッパに位置する共和制国家。北欧諸国の一つであり、西はスウェーデン、北はノルウェー、東はロシアと隣接し、南はフィンランド湾を挟んでエストニアが位置している。 首都ヘルシンキは露仏同盟以来、ロシアの主要都市であるサンクトペテルブルク方面へ西側諸国が投資や往来をするための前線基地となってきた。同じく直近の旧領ヴィボルグはサイマー運河の出口であったが、現在はロシア領で、ノルド・ストリームの経由地となっている。ロシアと欧州諸国の間にある地政学的な重要性から、勢力争いの舞台や戦場にも度々なってきた。 中立的外交の裏では、外交・安全保障やエネルギー政策を巡り東西の綱引きが行われている。国内には原子力発電所があり、オンカロ処分場は2020年に開設されれば世界初の使用済み核燃料の最終処分場となる。情報産業も政治と関係しており、エスコ・アホという首相経験者がノキア取締役を務めている。 人口や経済規模は小さいが、一人当たりGDPなどを見ると豊かで自由な民主主義国として知られている。フィンランドはOECDレビューにおいて「世界で最も競争的であり、かつ市民は人生に満足している国の一つである」と2014年には報告された。フィンランドは収入、雇用と所得、住居、ワークライフバランス、保健状態、教育と技能、社会的結びつき、市民契約、環境の質、個人の安全、主観的幸福の各評価において、すべての点でOECD加盟国平均を上回っている。.

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フィンランドの大統領

フィンランド共和国大統領(フィンランドきょうわこくだいとうりょう、Suomen tasavallan presidentti、Republiken Finlands president)は、フィンランドの国家元首である。.

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フィンランド湾

フィンランド湾(フィンランドわん、Suomenlahti、Soome laht、Finska viken、p)は、バルト海東部にある湾。北のフィンランド、東のロシア、南のエストニアに囲まれた東西約400kmの細長い湾である。 この湾に面する主要都市は、北岸にフィンランドの首都ヘルシンキ、南岸にエストニアの首都タリン、湾の東奥にロシアのサンクトペテルブルクがある。東のネヴァ川はフィンランド湾に注いでいる。湾の東部はロシア領であり、など重要な港がある。フィンランド湾はサンクトペテルブルクへの航路となっているため、ロシアにとっては戦略上の要地である。.

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アーロ・パヤリ

Juho Pössi、ヴィルホ・ラットー アーロ・オラヴィ・パヤリ(Aaro Olavi Pajari)はフィンランドの軍人。最終階級は少将。主に冬戦争と継続戦争で戦い、マンネルハイム十字章を受賞している。 フィンランド軍の中でも最も勇敢な軍人として知られる。戦略眼だけでなく、前線から指揮する態度が司令官としての地位を確固たる物にし、部下の献身と高いモチベーションを導き出した。特筆すべき業績にはトルヴァヤルヴィの戦いがあり、ここで当時中佐だったパヤリは第16連隊連隊長としてはるかに多数のソ連軍を後退させ、その後の攻撃でソ連部隊は壊滅した。パヤリは冬戦争と継続戦争、ラップランド戦争で大きな役割を果たし、小規模部隊の運用やゲリラ戦での成功から有名になった。1941年8月に1度、ラップランド戦争中の1944年10月16日に1度の2度マンネルヘイム十字章を受けている。 1944年10月21日、政治犯として収監されて、投獄中に暴行を受けたとされる。戦後は心臓の病に苦しみ、オストロボスニアへ向かう途中に心臓発作で亡くなった。.

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アドルフ・ヒトラー

アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、ドイツの政治家。ドイツ国首相、および国家元首であり、国家と一体であるとされた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の指導者。 1933年に首相に指名され、1年程度で指導者原理に基づく党と指導者による独裁指導体制を築いたため、独裁者の典型とされる。その冒険的な外交政策はドイツを第二次世界大戦へと導くことになった。また、ユダヤ人などに対する組織的な大虐殺「ホロコースト」を主導したことでも知られる。敗戦を目の前にした1945年4月30日、自ら命を絶った。.

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イギリス

レートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称の一例としてイギリス、あるいは英国(えいこく)は、ヨーロッパ大陸の北西岸に位置するグレートブリテン島・アイルランド島北東部・その他多くの島々から成る同君連合型の主権国家である。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国で構成されている。 また、イギリスの擬人化にジョン・ブル、ブリタニアがある。.

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エルンスト・ルーベン・ラガス

エルンスト・ルーベン・ラガス(フィンランド語:Ernst Ruben Lagus、1896年10月12日 - 1959年7月15日)はフィンランドの軍人。最終階級は少将。 ラガスはプロイセン陸軍ので義勇兵として訓練を受けた、いわゆるの1人だった。冬戦争ではカレリア地峡に対する兵站を担当する。 その後の継続戦争では、当初は猟兵旅団(Jääkäriprikaati)を率い、後に(Panssaridivisioona)を率いた。1941年7月22日にはマンネルハイム十字章を授与され、最初の受章者の1人となる。その後1942年からフィンランド唯一の装甲師団の司令官として戦線を駆け巡った。彼の装甲師団はドイツ国防軍から供与された突撃砲と大量のソ連軍からの鹵獲戦車で構成されていた。 Category:フィンランドの軍人 Category:フィンランド内戦の人物 Category:第二次世界大戦期のフィンランドの軍人 Category:1886年生 Category:1959年没.

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エデュアルト・ディートル

デュアルト・ディートル(Eduard Dietl、1890年7月21日 - 1944年6月23日)は、ドイツの軍人である。第二次世界大戦ではドイツ国防軍陸軍に所属し、長や第20山岳軍司令官などを務めた。最終階級は上級大将。.

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オーランド諸島

ーランド諸島(オーランドしょとう、 、)は、バルト海、ボスニア湾の入り口に位置する6,500を超える島々からなるフィンランドの自治領百瀬2008、p.136。。住民のほとんどはスウェーデン系で、公用語はスウェーデン語。自治政府の旗はスウェーデンの国旗の意匠である青地に黄色の十字架に、フィンランドの国章に使用されている赤を加味したものとなっている。フィンランドでは、他の県と同じくと書かれるため、日本語でもオーランド(自治)県と表記されることもある。また、2010年1月1日に、オーランドを含むフィンランドの全州が廃止されるまでは、他州と同様にとも書かれたため、オーランド(自治)州と書かれることもあった。.

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オウル

ウル(Oulu: )は、フィンランド中部に位置する都市。北ポフヤンマー県の県庁所在地。オウル郡に属する。スウェーデン語ではウレオボルイ(Uleåborg: )。 オウル州存在時は州都でもあった。2011年の人口は141,742人であり、国内第6位の規模を持つ。フィンランド北部における中核都市。オウル市とその周辺地域はオウル都市圏を形成しており、都市圏人口は約23万人。ハイテク産業が発達していることで知られているが、すぐれた社会福祉サービスと教育システムを持ち、戸外活動なども盛ん。.

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カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム

ール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim 、1867年6月4日 - 1951年1月27日)は、フィンランドの軍人、大統領。フィンランド軍の最高司令官としてフィンランド内戦、冬戦争、継続戦争、ラップランド戦争を指揮した。 士官候補生としてロシア帝国陸軍に入隊し、日露戦争などで実績を積み将軍となった。第一次世界大戦中にフィンランドが独立すると、その後の混乱から起こったフィンランド内戦で、の司令官として闘った。独立早期、フィンランドが君主制を目指した際には摂政として連合国に独立承認を求めた。その後、一時は公職を離れたが、第二次大戦突入前の情勢不安の中で先の実績を買われて国防委員長となり、軍の装備の更新などに力を入れた。その後のソ連との戦争である冬戦争、継続戦争においては最高指揮官となり、フィンランドの防衛を行った。継続戦争の戦況悪化とナチス・ドイツとの同盟の責任から大統領を辞したリスト・リュティを継いで、1944年から1946年にかけて第6代大統領となり、ラップランド戦争でナチス・ドイツと戦い、ソ連との難しい講和を成し遂げ、独立を保った。 2000年のフィンランド国内の調査においてフィンランドで最も偉大な人物として選ばれた。.

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キッティラ

ッティラ(Kittilä、イナリ・サーミ語:Kittâl、北部サーミ語:Gihttel)は、フィンランドの基礎自治体(以下、本稿では便宜上「市」と表記する)。週末のリゾート地として人気がある。 北極圏のラップランドに位置する。人口は6386人(2016年3月末)、面積は8263平方キロメートル(このうち水域が169平方キロメートル)。人口密度は1平方キロメートルあたり0.79人である。 レヴィ高原にあるスキーリゾート・レヴィでは、毎年アルペンスキー・ワールドカップの序盤にスラローム種目が行われる。近隣のカトカ高原とあわせて、滑空やクロスカントリー、スノーシューによる散策なども楽しめる。 2006年6月5日、カナダの鉱山会社アグニコ=イーグル・マインズがキッティラで金鉱の採掘を新たに開始することが発表された。完全に稼働すれば、欧州最大の金鉱山となる。専門家は、同金鉱の埋蔵量は300万オンスを下らないと述べた。鉱山会社は少なくとも13年間は、毎年平均15万オンスの金を産出する見込みである。 キッティラ空港にはブルーワンとフィンランド航空、フィンコム航空が就航している。TUIエアウェイズも、スキーシーズンやクリスマスの時期にイギリス各地を結ぶ臨時便を運航している。トーマス・クック航空も、毎年11月から4月にガトウィック空港から乗り入れている。 キッティラは、フィンランドの観測史上最低気温(1999年1月の-51.5度)を記録したことで有名である。毎年5月29日から7月16日は白夜、12月14日から12月29日は極夜の期間となる。.

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ケミ

ミ(Kemi)はフィンランド、ラッピ県南部の都市。ケミ=トルニオ郡に属する。ケミ川がバルト海北端のボスニア湾奥に流入している地点にある。.

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ケミ川 (フィンランド)

ミ川(Kemijoki, 北部サーミ語: Giemajohka, Kemi älv)は、フィンランド北部のラップランド地方を流れる河川で、長さは550キロメートルとフィンランドで最も長い。.

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ゴーグラント島

ーグラント島(Гогланд、Hogland フーグランド、「高地」の意)は、バルト海のフィンランド湾内に位置するロシア領の島。レニングラード州に属する。サンクトペテルブルクからは西に180km、フィンランドの海岸からは35kmのところに位置し、島の面積はおよそ21km²、最高点は海抜176m。フィンランド語名はスールサーリ(Suursaari、「大島」の意)。.

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ソビエト連邦

ビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、Союз Советских Социалистических Республик)は、1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における共和制国家である。複数のソビエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家でもある。首都はモスクワ。 多数ある地方のソビエト共和国の政治および経済の統合は、高度に中央集権化されていた。.

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ソダンキュラ

ダンキュラ(Sodankylä、イナリ・サーミ語:Suáđigil、北部サーミ語:Soađegilli、スコルト・サーミ語:Suäˊđjel)は、フィンランド北部ラッピ県の北ラッピ郡に属する基礎自治体である。.

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ゾンダーコマンド・ノルト

ゾンダーコマンド・ノルト(Sonderkommando Nord)は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの親衛隊保安部(SD)が編成した特殊部隊。ラップランド戦争最中のフィンランドにおいて、親独派抵抗運動の指導・援護を行ったMcKay, s. 245。.

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タンネ・オスト作戦

タンネ・オスト作戦(Unternehmen Tanne Ost)とは、第二次世界大戦中ドイツ軍が実行した、フィンランド湾に浮かぶスールサーリ島をソ連の手に落ちる前に攻略するという作戦である。スールサーリは、機雷原を守り、クロンシュタットにソ連海軍を封じ込めることが出来るという点で、フィンランド湾で特に重要な島であった。 最初は、この作戦と共にオーランド諸島の攻略(タンネ・ヴェスト作戦 Operation Tanne West)も計画されていたが、それは実行されなかった。 1944年9月15日、第一陣の1400名がタリンで船に乗った。攻撃の前に、ドイツ軍の指揮官はスールサーリのフィンランド軍に指揮官と交渉を試みた。ドイツ軍の指揮官は、フィンランド軍は抵抗せず島を去るだろうと考えていたが、交渉は完全な失敗に終わり、侵攻が開始された。ドイツ軍の船が島に接近すると、島のフィンランド軍は砲撃を開始した。大部分の兵士は上陸に成功したが、フィンランド軍の守備隊は予想よりも多く、困難はさらに続いた。日が昇るとソ連軍がドイツ軍の船の爆撃を開始し、さらに島のドイツ軍とフィンランド軍に対しても爆撃を行った。第二陣は上陸せず撤退した。フィンランド海軍の魚雷艇は、ドイツの船を何隻か沈めた。上陸した部隊との連絡が取れず、ドイツの船は島を離れることを決定した。作戦は完全な失敗に終わり、1231名のドイツ軍がフィンランド軍の捕虜となった。 ソ連空軍はドイツ軍に対し3度の攻撃を行い、その攻撃ではフィンランド軍にも被害が出た。ソ連空軍の脅威があったため、ドイツ軍は重巡洋艦プリンツ・オイゲンを支援に派遣しなかった。 この作戦は、ラップランド戦争と呼ばれる、ドイツ軍とフィンランド軍との戦いの始まりとなった。これ以前は、ドイツ軍は特に問題も起こさずフィンランド北部からの撤退を行っていた。.

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冬戦争

冬戦争(ふゆせんそう、芬:talvisota)は、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソビエト連邦がフィンランドに侵攻した戦争である。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守った。 両国間の戦争が1941年6月に再開されたため、第1次ソ・芬(ソ連・フィンランド)戦争とも言う。なお、後続の戦争は第2次ソ・芬戦争、あるいは継続戦争と称される。.

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国防軍最高司令部 (ドイツ)

国防軍最高司令部(こくぼうぐんさいこうしれいぶ、Oberkommando der Wehrmacht、略号:OKW)は、国防軍最高司令官である大統領(総統)がに直接指揮を負託する従来の仕組みを廃し、最高司令官であるアドルフ・ヒトラー自らが国防軍を直接指揮するために1938年に創設された組織である。.

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第169歩兵師団 (ドイツ国防軍)

169歩兵師団(169.)は、ドイツ国防軍陸軍に存在した歩兵師団である。.

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第20山岳軍 (ドイツ軍)

20山岳軍(独20.

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第6SS山岳師団

6SS山岳師団 ノルト(だいろくSSさんがくしだん―、独:6.

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第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

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継続戦争

継続戦争(けいぞくせんそう、)は、第二次世界大戦中の1941年6月26日から1944年9月19日にかけて、ソビエト連邦とフィンランドの間で戦われた戦争である。戦争当事国の一方であるソ連では、この戦争は大祖国戦争(独ソ戦)の一部である。第2次ソ芬(ソ連・フィンランド)戦争とも呼ばれる。第1次ソ芬戦争については冬戦争を参照。.

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疎開

開(そかい)とは、.

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駆逐艦

駆逐艦(くちくかん、destroyer)は、19世紀末に出現した艦種である。.

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重巡洋艦

摩耶 重巡洋艦(じゅうじゅんようかん、英:Heavy Cruiser)とは、軍艦の一艦種である巡洋艦のなかで大型のものをいう。1930年のロンドン海軍軍縮条約で定義された艦種で、厳密には6.1インチを超え8インチ以下の艦砲を搭載する10,000トン以下の「カテゴリーA」の巡洋艦を指す。重巡と略す。.

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自治領

自治領(じちりょう)は、ある一国(主権を有する独立した国家)の内部において、あくまでも当該国の主権の下に属しながらも、通常の地方自治よりも遥かに高度な自治を行っている特定の領域(自治行政区画)のことであり、以下のような例が挙げられる。.

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連合国 (第二次世界大戦)

ターリン) 第二次世界大戦における連合国(れんごうこく、Allies、United Nations)とは、枢軸国(ドイツ、イタリア、日本など)と敵対した国家連合。一般的に連合国共同宣言に署名した国などが該当する。 第二次世界大戦における連合国は、1939年9月1日、ドイツ国によるポーランド侵攻にはじまる欧州戦線でドイツの陣営と戦った国々と、1941年12月8日の日本によるマレー作戦及び真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争(大東亜戦争)において日本の陣営と戦った国々がある。このうちイギリス、アメリカ合衆国、中華民国、オーストラリアを含む大部分の諸国は参戦の時点から終戦までの期間に日独両陣営と戦争状態にあったが、ソビエト連邦が対日戦に参戦したのは1945年8月のことである。 ドイツやその他の枢軸国から攻撃を受けるなどし、領域を喪失した政府が亡命政府となり、戦争に参加している。戦後これらの亡命政府の多くは帰国したが、ソ連の影響力が強い地域の亡命政府は復帰することができない例や、戦後まもなく亡命政府の継承政権が打倒されることもあった。一方でユーゴスラビアのパルチザンなど交戦当時は国家を代表する存在ではなかったが、国家を代表する存在として連合国の政府として承認される事例もあった。 連合国は戦後処理問題などで比較的緊密な連絡を取った。現在の国際連合 (United Nations) は、戦争中の連合国協議によって生まれた国際機関であり、連合国諸国が原加盟国となっている。特に中心となったアメリカ・イギリス・ソビエト連邦・フランス・中華民国は、国際連合憲章によって安全保障理事会における「常任理事国」の地位が与えられ、拒否権などの特権を有するなど、国際社会において強い影響を持つこととなった。.

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Fw 200 (航空機)

Fw200 コンドル(Focke-Wulf 200 Condor)はドイツフォッケウルフ社で製造された4発エンジンの長距離輸送機(旅客機)である。第二次世界大戦の勃発により軍に徴用され、長距離哨戒爆撃機として船舶攻撃に活躍した。しかし、戦争の後期には主に輸送任務に回されるようになった。.

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Hs 293 (ミサイル)

ヘンシェル Hs 293(Henschel Hs 293)は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが開発した世界初の動力付き誘導爆弾であり、現在の対艦ミサイル(空対地ミサイル)の始祖と言える兵器である。 設計はヘンシェル社のヘルベルト A. ワーグナー教授による。小型機の機体下部に過酸化水素を使用する液体ロケットエンジンを装備し、母機より投下し、目視下において無線を介した手動操縦で誘導し目標に到達、命中させるようになっていた。.

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Ju 87 (航空機)

ユンカース Ju 87 シュトゥーカ(Junkers Ju 87)は、ドイツにおいて第二次世界大戦中に使用された急降下爆撃機である。愛称の「シュトゥーカ」(Stuka)とは、急降下爆撃機を意味する「sturzkampfflugzeug」(シュトゥルツカンプフルクツォイク)の略で、本機が急降下爆撃機の代表として扱われたため、この名が用いられるようになった。日本語では「スツーカ」「ストゥーカ(ステューカ)」とも表記されている。 第二次世界大戦以前の1935年秋に初飛行を行っているにもかかわらず、後継機に恵まれなかったこともあって大幅なバージョンアップも無く終戦まで使用され続けた機体である。.

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梅本弘

梅本弘(うめもと ひろし 1958年– )は、日本の戦史家、戦記作家、モデラー。編集者である市村弘(いちむらひろし)の筆名。.

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榴散弾

榴散弾1:少量の炸薬、シェルケースから前方に弾丸を発射する。2:破片弾(ボール)3:時限信管4:信管から炸薬を起爆するための導爆管5:破片弾を保持するための樹脂、砲弾が爆発するときに煙を出して燃える。6:薄い鋼で出来た砲弾の外殻7:薬莢8:推進薬、コルダイトやニトロセルロースなど 初期の榴散弾 フランス・ヴェルダンの戦場跡にて発掘された榴散弾の散弾 榴散弾(りゅうさんだん、Shrapnel Shell)は、19世紀初頭から20世紀半ばごろまで使われた対人・対非装甲目標用の砲弾で、野砲や榴弾砲から発射する。砲弾内部には球体の散弾(弾子)が多数詰まっており、目標のやや手前上空で弾丸底部の炸薬を炸裂させ(曳火)、散弾を前下方に投射して人や馬を殺傷し軟目標を破壊する。旧軍では榴霰弾と表記した。.

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機雷

EODにより爆破処分される係維機雷。 機雷(きらい)とは、水中に設置されて艦船が接近、または接触したとき、自動または遠隔操作により爆発する水中兵器をいう。水中で人為的に仕掛けられる爆発装置のリムペットマインなどは含まない。機雷は機械水雷の略である。機雷に触れることを触雷(しょくらい)、機雷を設置した海域を機雷原(きらいげん)、機雷を撤去することを掃海という。.

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機雷敷設艦

アミラル・ムルヂェスク 機雷敷設艦(きらいふせつかん)は機雷を海中に敷設するための海軍艦艇である。.

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潜水艦

潜水艦(せんすいかん、Submarine、U-Boot、潛艇)は、水中航行可能な軍艦である。.

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戦争犯罪

戦争犯罪(せんそうはんざい)とは、戦時国際法に違反する罪のことで交戦法規違反をさす。 通常は戦闘員や司令官(交戦者)、あるいは非戦闘員の個人の犯罪行為を対象とし、交戦規則を逸脱する罪が問われる。国際軍事裁判所条例制定に関わる議論のなかでこの概念は拡張されており、国家犯罪(国際的懸念事項)としての平和に対する罪や人道に対する罪が創設された。 戦時反逆罪は戦争法規を犯して敵対行為を働く罪であり、戦時重罪犯、戦時刑法犯として国際法の保護の対象とされない。敵国軍人や占領地住民の違法な敵対行為は戦時反逆罪として軍の処分に委ねられ、軍法会議にかけることなく、軍が自ら定立した刑罰法規で処断し得る(軍律)。軍律及び軍律会議は国際慣習法上認められて来たものでありハーグ陸戦法規第三款42条以下は占領地における軍律・軍律会議を認めたと解されている。軍律や軍律会議は軍事行動であり戦争行為に含まれる。.

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戦闘団

戦闘団(せんとうだん)とは陸軍の複数兵科の戦闘部隊が、諸兵科連合部隊として単一の部隊として編成されたものを指す。この先駆けは第二次世界大戦中のドイツ国防軍のカンプグルッペ(独:Kampfgruppe kampf.

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斎木伸生

斎木 伸生(さいき のぶお、1960年 - )は、日本の国際政治評論家、戦史研究家。研究上の専門はソ連・フィンランド関係とフィンランドの安全保障政策。.

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急降下爆撃機

急降下爆撃機(きゅうこうかばくげきき)とは、急降下爆撃を行うために、特に開発された軍用機である。第二次世界大戦において多用されたが、誘導兵器の発達や、雷撃機との統合により、その役割は攻撃機に集約されていき急降下爆撃の黄金期,白石光,歴史群像,2016年10月号,P105-113,学習研究社、更にジェット化後戦闘爆撃機にその多くの機能が統合された。 なお、大日本帝国海軍では、急降下爆撃を行える機体を爆撃機、水平爆撃および雷撃のみを行える機体を攻撃機と分類・呼称していた。.

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1944年

記載なし。

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1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

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4月25日

4月25日(しがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から115日目(閏年では116日目)にあたり、年末まではあと250日ある。誕生花はシャガ、モッコウバラ。.

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9月15日

9月15日(くがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から258日目(閏年では259日目)にあたり、年末まであと107日ある。.

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