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ヤルムーク川

索引 ヤルムーク川

ヤルムーク川(ヤルムークかわ、Yarmouk、Yarmuk、アラビア語:ナハル・アル=ヤルムーク, نهر اليرموك, Nahr Al-Yarmuk, ヘブライ語:ネハル・ハ・ヤルムーク, נהר הירמוך, Nehar HaYarmukh, ギリシャ語:ヒエロマス, Hieromax)は、ヨルダン川最大の支流で、シリア・ヨルダン・イスラエルの三カ国を流れている。 ヨルダン川には、ガリラヤ湖と死海の間で東から三本の大きな支流が流入し、それぞれが大きな険しい渓谷を形成している。北から順に、ヤルムーク川、ヤボク川(ザルカ川、Jabbok/Zarqa)、アルノン川(ワジ・ムジブ、Arnon/Wadi Mujib)である。ヤルムーク川はシリア南西部に発し、ゴラン高原の東から南へ回り込んでヨルダンとシリアの国境を形成し、次いでヨルダンとイスラエルの国境となり、ヨルダン川に流れ込んでいる。ヨルダン北部の大きな都市イルビド、古代都市ガダラの遺跡(現ウンム・カイス)や温泉リゾートのハマト・ガデルなどはヤルムーク川渓谷付近にある。 ヤルムーク川はゴラン高原の南の境界線にもなっている。正統カリフに率いられたアラブ人のイスラム国家が東ローマ帝国を破ったヤルムークの戦いは、636年にヤルムーク川の南で起こっている。.

19 関係: ハマト・ガデルヤルムークの戦いヨルダンヨルダン川ヘブライ語アラブ人アラビア語アルノンの奔流の谷イルビドイスラエルガリラヤ湖ギリシア語ゴラン高原ザルカ川シリア東ローマ帝国正統カリフ死海636年

ハマト・ガデル

日中のハマト・ガデル 夜間のハマト・ガデル ハマト・ガデル(ヘブライ語:חמת גדר)はイスラエルのティベリアス湖に近いヤルムーク川にある温泉保養地。イスラエル、ヨルダン、シリアの国境が交わる地点に位置し、イスラエル領となっている宇野「ハマットガデル」『世界地名大事典』3、770頁。その名の『ガダラの温泉』は50℃以下の鉱物泉が複数あることに由来する。ガダラは現在のヨルダン領ウンム・カイス(Umm Qais)であり、ここから4kmの距離にある。アラビア語では「温泉」を意味する「ハンマ(al-Hanma)」と呼ばれている。.

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ヤルムークの戦い

ヤルムークの戦い (アラビア語:نهر اليرموك、ヘブライ語: נהר הירמוך)は、東ローマ帝国とその同盟国のが、正統カリフ勢力のアラブ軍とヨルダン川の支流のヤルムーク川で激突した戦い。この戦いに完勝した正統カリフ勢力によって東ローマ帝国のシリア支配は終わりを告げ、預言者ムハンマドの死後始まったイスラームの「大征服」時代の幕開けとなった。これ以後、キリスト教の影響が強かったレバント地方は急速にイスラーム化が進む。 ヤルムークの戦いでの勝利は、「アッラーの剣」の異名を持つアラブ軍の指揮官の一人ハーリド・イブン・アル=ワリードの代表的な軍事的功績とされている。この戦勝で、ハーリドは偉大な戦術家、卓越した騎兵指揮官としての名声を確立した。.

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ヨルダン

ヨルダン・ハシミテ王国(ヨルダン・ハシミテおうこく、)、通称ヨルダンは、中東・西アジアに位置する立憲君主制国家である。首都はアンマン。イスラエル、パレスチナ暫定自治区、サウジアラビア、イラク、シリアと隣接する。イスラエル・パレスチナ暫定自治区とはヨルダン川と死海が境である。 立憲君主制をとり、イスラームの預言者ムハンマドの従弟アリーとムハンマドの娘ファーティマの夫妻にさかのぼるハーシム家出身の国王が世襲統治する王国である。 国民の半数余りは中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々(パレスチナ難民)とその子孫である。.

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ヨルダン川

ヨルダン川(נָהָר יַרְדֵּן Nehar ha-Yarden 、 Nahr al-Urdunn)は、中東の国際河川。「下降する川」を意味する。.

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ヘブライ語

ヘブライ語(ヘブライご、עברית, Ivrit, Lingua Hebraea)は、アフロ・アジア語族のセム語派に属する北西セム語の一つ。ヘブル語とも呼ばれる。.

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アラブ人

アラブ人(アラブじん、العرب،عربي)は、おもにアラビア半島や西アジア、北アフリカなどのアラブ諸国に居住し、アラビア語を話し、アラブ文化を受容している人々。 7世紀にムハンマド(マホメット)によってイスラム教が開かれ、中東・北アフリカを中心に勢力を拡大した。 もともとアラビア人をアラブと呼ぶが、日本では誤訳から始まった呼び方で定着した。.

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アラビア語

アラビア語(アラビアご、اللغة العربية, UNGEGN式:al-lughatu l-ʻarabīyah, アッ.

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アルノンの奔流の谷

アルノンの奔流の谷は旧約聖書に登場する川である。死海東岸モアブ最大の川である。現在のワディ・エル・ムジブであると言われている。 南部アラビアの丘陵地帯、レジュンの地域に水源があり、南北80kmに及ぶ地帯多くの支流を集めつつ東から西に流れ、死海東部の中間の南、エン・ゲディの反対側で死海に注いでいる。その流れの大部分は、深い渓谷を通っている、渓谷の幅は4km以上に達する箇所もある。河床の両側の断崖は高さ500mに及ぶ。 アルノン川は、モアブ人とエモリ人との境界であり、イスラエルの民はアルノンを南から北に渡るように命じられた。後に、アルノン川はルベン族の相続地の南の境界になった。しかし、モアブ人はアルノン北部にも領土を拡大した。 アルノン川には多くの渡し場があった。.

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イルビド

イルビド(, Irbid、イルビット、イルビッドとも)はヨルダン北西部の都市でイルビド県の県都。首都アンマンの北70kmにあり、ヨルダン川東岸の険しい台地ギレアド(ギレアデ、Gilead)の北の縁に位置し、シリアとの国境の近くにある。イルビドは古代はアラベラ(アルベラ、Arabella)と呼ばれていた。1992年の国勢調査によれば人口は208,329人であるが、2007年の推計では327,543人となっており、ヨルダンでもアンマン、ザルカに次ぐ第3の都市である。またイルビド県も、ヨルダンでは2番目に人口の多い県である。イルビドの住民にはパレスチナ人難民も多い。 イルビドは、ベイト・ラス(Biet Ras)、(古代のガダラ)などデカポリスの古代都市とは等距離にあり、これらの遺跡を巡る観光客の拠点となっている。また周囲の町や農村の農産物の集散地であり、南のアンマン、東のマフラク、北のシリア方面(ダルアーを経由しダマスカス)への公共交通の中心地でもある。 イルビド周辺にはいくつかの大学があり、そのうちヨルダン科学技術大学とヤルムーク大学が重要な存在である。.

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イスラエル

イスラエル国(イスラエルこく、מְדִינַת יִשְׂרָאֵל メディナット・イスラエル、دولة إسرائيل ダウラト・イスラーイール、State of Israel )、通称イスラエルは、中東のパレスチナに位置する国家。北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南にエジプトと接する。ガザ地区とヨルダン川西岸地区を支配するパレスチナ自治政府(パレスチナ国)とは南西および東で接する。地中海および紅海にも面している。首都はエルサレムであると主張しているが、国際連合などはテルアビブをイスラエルの首都とみなしている(エルサレム#首都問題を参照)。 イスラエルは、シオニズム運動を経て1948年5月14日に建国された。建国の経緯に根ざす問題は多い。版図に関するものではパレスチナ問題がよく報道される。.

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ガリラヤ湖

リラヤ湖 ガリラヤ湖(ガリラヤこ、、)は、イスラエル北部地区に位置する、国内最大の湖である。.

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ギリシア語

リシア語(ギリシアご、現代ギリシア語: Ελληνικά, または Ελληνική γλώσσα )はインド・ヨーロッパ語族ヘレニック語派(ギリシア語派)に属する言語。単独でヘレニック語派(ギリシア語派)を形成する。ギリシア共和国やキプロス共和国、イスタンブールのギリシア人居住区などで使用されており、話者は約1200万人。また、ラテン語とともに学名や専門用語にも使用されている。省略形は希語。.

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ゴラン高原

ラン高原(ヘルモン山付近、1978年)。ドルーズ派住民の入植村の遠景。 ゴラン高原(ゴランこうげん Haḍbatu 'l-Jawlān / مرتفعات الجولان Murtafaʻātu l-Jawlān、 Ramat HaGolan、)は、イスラエル、レバノン、ヨルダンおよびシリアの国境が接する高原である。以前はシリア高原と呼称されていた。 シリアおよび国際連合は同高原をアル・クナイティラの施政区域(クネイトラ県)の一部であると考える。シリアの砲台のある土地であったために、イスラエルは第三次中東戦争以降同地の占拠を続け、「ゴラン高原」の用語の使用に反対を示している。.

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ザルカ川

ルカ川(Zarqa、アラビア語:ナハル・エッ=ザルカー, نهر الزرقاء, Nahr ez-Zarqa)はヨルダン西部を流れる川でヨルダン川の支流。険しく深い渓谷をなし、ヤルムーク川、アルノン川などと並ぶヨルダン川東岸の大きな支流の一つ。ザルカ川とは「青い川」の意味であるが、ダマスカスとメッカを結ぶ道の途中にあるザルカの砦の近くを通るからともされる。 旧約聖書にも登場するヤボク川(Jabbok、ヘブライ語:נחל יבוק)は、現在のザルカ川に同定されている。 ザルカ川(ヤボク川)の源流はヨルダンの首都アンマン付近にあり、北へ流れた後、西へ向きを変える。ヨルダン川東岸の険しい山地(旧約聖書ではギレアド Gilead またはギレアデと呼ばれる)の東部に発しその中を東西に貫くザルカ川(ヤボク川)は、途中キング・タラール・ダムで人工湖を形成した後、ステップ地帯の中の険しい渓谷を抜けヨルダン川沿いの盆地に出て、ゲネサレトと死海の間でヨルダン川に合流する。長さ100km余りのザルカ川(ヤボク川)はヨルダンの重要な水源だが、水量の減少や汚染などの問題を抱える。.

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シリア

リア・アラブ共和国(シリア・アラブきょうわこく、)、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。「シリア」という言葉は、国境を持つ国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともある。.

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東ローマ帝国

東ローマ帝国(ひがしローマていこく)またはビザンツ帝国、ビザンティン帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域、国家である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現在のトルコ共和国の都市であるイスタンブール)であった。 西暦476年に西ローマ帝国がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされた際、形式上は最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥスが当時の東ローマ皇帝ゼノンに帝位を返上して東西の帝国が「再統一」された(オドアケルは帝国の西半分の統治権を代理するという体裁をとった)ため、当時の国民は自らを古代のローマ帝国と一体のものと考えていた。また、ある程度の時代が下ると民族的・文化的にはギリシャ化が進んでいったことから、同時代の西欧からは「ギリシア帝国」とも呼ばれた。.

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正統カリフ

正統カリフ(せいとうカリフ、الخلفاء الراشدون - al-Khulafā’u r-Rāshidūn、アラビア語で「正しく導かれた代理人たち」の意)は、イスラム教・イスラム帝国の初期(الخلافة الراشدية - al-khilāfat ar-Rāshidīyah - en)の時代においてイスラム共同体(ウンマ)を率いたカリフのことを指すスンナ派の用語。正統カリフ4代のうちアブー・バクルを除く3代の正統カリフが暗殺されてこの世を去っている。.

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死海

死海(しかい、البحر الميت, יָם הַ‏‏מֶּ‏‏לַ‏ח)は、アラビア半島北西部に位置する塩湖。西側にイスラエル、東側をヨルダンに接する。湖面の海抜はマイナス418mと、地表で最も低い場所である。歴史的に様々な名前で呼ばれたが、現在の英語名(Dead Sea)はアラビア語名に由来する。.

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636年

記載なし。

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