ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

モービル湾の海戦

索引 モービル湾の海戦

モービル湾の海戦(モービルわんのかいせん、英:Battle of Mobile Bay)は、南北戦争中1864年8月5日に行われた海戦である。デヴィッド・ファラガット海軍少将が指揮する北軍艦隊が、陸軍の支援も受けて、フランクリン・ブキャナン提督の指揮する小さな南軍艦隊と、モービル湾入口を守っていた3つの砦を攻撃した。 この戦闘はファラガットの無謀とも言える機雷原を突入するという決断で様相が変わった。その機雷によって鉄装甲のモニター艦が1隻沈没させられたばかりの決断だった。北軍艦隊は機雷原を通過し、海岸にある南軍砦の大砲射程範囲からも逃れた。その後南軍艦隊を装甲艦のCSSテネシー1艦まで減らした。しかしテネシーは退却せず、北軍艦隊全部を相手に戦った。テネシーの装甲は優れたものであり、受けた砲弾によるよりも敵艦に与えた損害の方が多かったが、数の不利までは覆せなかった。 テネシーは最終的に動けない船体となり、北軍艦隊に反撃することもできなくなった。その後艦長が降伏して戦闘は終わった。海軍の支援が無くなった陸上の3つの砦も数日中に降伏した。モービル湾下流部全体の支配権が北軍に移った。 モービルはミシシッピ川より東のメキシコ湾岸で南軍が支配していた最後の重要港であり、それが閉鎖されたことで、北軍による海上封鎖の最終仕上げとなった。 北軍はこの戦いに勝利することで、アメリカ連合国に残された3つの海港(他の2つはジョージア州サバンナとノースカロライナ州ウィルミントン)のうちの1つを封鎖したことに加え、陸上では同時期にアトランタを占領しており、北側の新聞で大々的に扱われ、3か月後に予定されたエイブラハム・リンカーンの再選に大きな弾みが付いた。.

47 関係: 南北戦争封鎖突破船北軍北軍による海上封鎖ペンサコーラ (フロリダ州)ミシシッピ川ノースカロライナ州ハバナハンプトン・ローズ海戦ハンツビル (装甲艦)バリアー島バージニア (装甲艦)メキシコ湾モービル (アラバマ州)モニター (装甲艦)モニター艦ユリシーズ・グラントルイジアナ州ヴィックスバーグ (ミシシッピ州)テネシー (装甲艦・2代)デヴィッド・ファラガットフランクリン・ブキャナンニューオーリンズアメリカ連合国アラバマ州アラバマ川アルバート・マイアーアトランタアトランタ方面作戦ウィリアム・シャーマンウィルミントン (ノースカロライナ州)エドワード・キャンビーエイブラハム・リンカーンカリブ海ジョージア州スループセルマ (アラバマ州)タスカルーサ (装甲艦)サバンナ (ジョージア州)装甲艦西部戦線 (南北戦争)陸軍機雷海軍海戦1864年8月5日

南北戦争

青が北部(アメリカ合衆国)諸州、赤が南部(アメリカ連合国)諸州。水色は合衆国に留まった奴隷州。 南北戦争(なんぼくせんそう、American Civil War)は、1861年から1865年にかけて、アメリカ合衆国の北部諸州とアメリカ連合国を称した南部諸州との間で行われた内戦である。奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。この戦争では史上初めて近代的な機械技術が主戦力として投入された。 英語の civil war は「内戦」を意味する語だが、アメリカでは独立後に内戦があったのはこの時だけなので(ユタ戦争など、内乱と呼ぶべき物はいくつかある)、アメリカ国内では通常これに定冠詞をつけ大文字にして The Civil War と表記する。アメリカ以外の国では自国の内戦と区別するため国名を冠して American Civil War と表記する(南北戦争のネーミングを参照)。.

新しい!!: モービル湾の海戦と南北戦争 · 続きを見る »

封鎖突破船

封鎖突破船 (ふうさとっぱせん、英:Blockade runner、独:Blockadebrecher)とは、戦時に敵国によって封鎖された国家または地域に対し、戦争遂行に必要な資源・需品・武器などを封鎖を破って輸送する船を意味する。.

新しい!!: モービル湾の海戦と封鎖突破船 · 続きを見る »

北軍

南北戦争当時、南部の11奴隷州がアメリカ合衆国から脱退し、アメリカ連合国の独立を宣言した。引き続きアメリカ合衆国にとどまった諸州は、アメリカ連合国よりも北に位置したため、その軍隊(陸軍・海軍)を日本語では北軍(ほくぐん)という。アメリカ連合国に対峙した、当時のアメリカ合衆国の代名詞としても使われている。 アメリカ史では北軍・南軍という用語の代わりに、この時代のアメリカ合衆国を特にユニオン(Union)、その軍隊をユニオン軍という。ユニオンは20の自由州と5つの境界州から成った。ユニオンは西部のカリフォルニア州、オレゴン州、ネバダ州(1864年以降)を含み、中西部の州も含まれたが、一般には「北部」と呼ばれた。(かつて日本ではアメリカ連合国を南部連盟と呼び習わしていたが、連合国と連盟の原語はどちらも「Confederacy/Confederation」であり、「Union」の日本語は通常「連合」であることから、混乱を避けるため、北軍を言い換える際には「連合軍」という訳語を用いず「ユニオン軍」とする。).

新しい!!: モービル湾の海戦と北軍 · 続きを見る »

北軍による海上封鎖

北軍による海上封鎖(ほくぐんによるかいじょうふうさ、英:Union blockade)は、南北戦争中1861年から1865年の海軍作戦行動のことであり、アメリカ連合国への貿易製品、物資および武器の出入りを妨害することを目論んで、大西洋とメキシコ湾の連合国海岸の封鎖をアメリカ海軍が大々的に継続したものである。貨物積載量をごく僅かに抑えることで高速で航行する封鎖突破船しか、封鎖を抜けられなかった。これらの船舶はイギリスによって操船され(イギリス海軍の予備役にある士官を使った)、イギリスの供給者が供給基地としたキューバのハバナ、バハマのナッソーおよびバミューダの中立港と南軍が支配している港との間で運行された。 アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは1861年4月19日に海上封鎖を宣言した。その戦略は、ウィンフィールド・スコット将軍のの一部であり、アメリカ連合国の海岸線3,500マイル (5,600 km)と、戦争勃発前は綿花の上位輸出港であるニューオーリンズやモービル、および大西洋岸のリッチモンド、チャールストン、サバンナおよびウィルミントンを含む主要12の海港の閉鎖を求めた。この目的のために北軍は500隻の艦船を就役させ、戦争遂行中に約1,500隻の封鎖ランナーを破壊または捕獲したが、それでも封鎖ランナーは6隻のうち5隻の割合で封鎖を突破する事に成功していた。ただし封鎖ランナーはその性格上通常の貨物量からみれば少量の貨物しか運べなかった。このためアメリカ連合国の綿花輸出量は95%減少し、戦前3年間に1千万俵であったものが、封鎖期間中は丁度50万俵となった。.

新しい!!: モービル湾の海戦と北軍による海上封鎖 · 続きを見る »

ペンサコーラ (フロリダ州)

ペンサコーラ(Pensacola)は、アメリカ合衆国フロリダ州北西端に位置する都市。モービルの東約90km、州都タラハシーの西約300kmに位置する。メキシコ湾につながるペンサコーラ湾に面し、また「海軍航空のゆりかご」と称されるペンサコーラ海軍航空基地をはじめとする海軍関連施設を多数抱える軍事都市・港湾都市であり、また、歴史的建築物と白砂のビーチで知られる観光都市・保養都市でもある。人口は51,923人(2010年国勢調査).

新しい!!: モービル湾の海戦とペンサコーラ (フロリダ州) · 続きを見る »

ミシシッピ川

ミシシッピ川(ミシシッピがわ、Mississippi River)は、北アメリカ大陸を流れる河川の1つである。アメリカ合衆国のミネソタ州を源流とし、メキシコ湾へと注いでいる。全長は3779kmで、これはアメリカ合衆国内においては一番長い川である。かつては長らく世界最長の川と考えられていた。鉄道が敷かれるまでは、水運を担う重要な水路となっていた時期があり、蒸気船が航行する姿はアメリカ発展史における象徴的存在だった。.

新しい!!: モービル湾の海戦とミシシッピ川 · 続きを見る »

ノースカロライナ州

ノースカロライナ州(State of North Carolina)は、アメリカ合衆国の南東部に位置する州の1つである。2010年国勢調査による人口は9,535,483人だった。合衆国50州の中で、陸地面積では第28位、人口では第10位である。州都はローリー市で、最大都市はシャーロット市である。 州の北はバージニア州に、西はテネシー州に、南はジョージア州とサウスカロライナ州にそれぞれ接している。州の東側は大西洋に面している。州内には100の郡がある。元はタバコと家具の生産地として知られたが、過去50年間でバイオテクノロジーや金融分野など多様な経済に転換してきた。 州域の標高は大西洋岸の海面から、アメリカ合衆国東部では最高地点である標高6,684フィート (2,037 m) まで変化が激しい。海岸平原の気候は大西洋に強く影響されている。州の大半は温暖湿潤気候帯に入っている。西部の海岸から300マイル (480 km) 以上入った山岳地では亜熱帯山岳気候になる。.

新しい!!: モービル湾の海戦とノースカロライナ州 · 続きを見る »

ハバナ

ピトリオ(旧国会議事堂、現博物館)。 ハバナ(La Habana 、Havana )は、キューバの首都。キューバ島北西沿岸のフロリダ海峡に接する地点に位置し、カリブ海地域における最大の都市である。人口は約200万人。位置は北緯23度8分、西経82度23分。キューバの公用語であるスペイン語での発音は「ラ・アバーナ」に近いが、日本語では英語音に近い「ハバナ」の名称が広く用いられている。 歴史的な名称はサン・クリストーバル・デ・ラ・アバーナ「サン・クリストバル・デ・ラ・アバナ」とも日本語表記しうる。(San Cristóbal de La Habana)。「クリストーバル」はクリストフォロスのスペイン語読みであり、ハバナの守護聖人である。.

新しい!!: モービル湾の海戦とハバナ · 続きを見る »

ハンプトン・ローズ海戦

ハンプトン・ローズ海戦(ハンプトン・ローズかいせん、Battle of Hampton Roads)、別名モニターとメリマックの戦い(the Battle of the Monitor and the Merrimack)は南北戦争中に生起した海戦。この海戦は鉄板で装甲された動力軍艦(すなわち装甲艦)同士の歴史上最初の戦いとして有名であり、アメリカ合衆国海軍の革新的な設計の装甲艦「モニター」とアメリカ連合国海軍の装甲艦「バージニア」(これは合衆国軍艦「メリマック」の焼けた船体を改造したものである)が交戦した。主要な海戦は1862年3月8日から9日にバージニア州ハンプトン・ローズ河口付近のシーウェルズ・ポイント (Sewell's Point) 沖で行なわれた。 戦闘は二日間続いた。一日目はバージニアの初登場であり、モニター抜きでの戦いだった。北軍の木造艦群は大損害を受け、その日は南軍の決定的優位のままに終わった。しかしながら、二日目にはモニターが到着し、「装甲艦の決闘」として知られる有名な戦闘が始まった。明確な勝敗は付かなかったが、海戦史において深い意義を持つ戦闘となった。この戦い以前にはほとんど全ての軍艦が木材を主な材料として造られていた。この戦いの後、船と海戦の様相は劇的に変化した。世界中の国家が自国の艦隊を先を争って鉄製に変えたのである。なぜなら敵の砲撃に耐える能力において、装甲艦が木造艦より優れていることが明白に証明されたからである。.

新しい!!: モービル湾の海戦とハンプトン・ローズ海戦 · 続きを見る »

ハンツビル (装甲艦)

CSS ハンツビル (CSS Huntsville)は、南北戦争中の1862年から1863年にかけてアラバマ州セルマで建造されたアメリカ連合国海軍(南部海軍)のハンツビル級装甲艦であるが、浮き砲台として使用された。艦名はアラバマ州の都市であるハンツビルに由来する。.

新しい!!: モービル湾の海戦とハンツビル (装甲艦) · 続きを見る »

バリアー島

バリアー島(barrier island)とは、海岸線よりも海側に岸と並行に伸びる、礫や砂でなるいくつかの細長い高まりの連なりを指し、陸を海から守るような姿からこう呼ばれる。バリアー島の海側には砂浜が発達し、多くの島で低い砂丘と灌木等の植生が見られる。また、バリアー島と陸地との間にはラグーン(lagoon)と呼ばれる潟をもち、バリアー島同士の間にはラグーンと外洋とをつなぐ潮流口(tidal inlet)がある。上げ潮・下げ潮の度にラグーンと外洋の海水が潮流口を行き来するので、上げ潮の際にはラグーン側に、下げ潮の際には外洋側に三角州状の地形ができる。これは潮汐三角州(tidal delta)と呼ばれる。また、このラグーンは時間が経過すると潮流口がふさがり、塩沼となることもある。.

新しい!!: モービル湾の海戦とバリアー島 · 続きを見る »

バージニア (装甲艦)

バージニア(CSS Virginia)は、アメリカ連合国海軍の装甲艦。アメリカ合衆国海軍のフリゲート、(USS Merrimack)の船体を元に改装され、南北戦争で使用された。 バージニアは1862年3月のハンプトン・ローズ海戦で合衆国海軍のモニター(USS Monitor)と、世界初の装甲艦同士の海戦を行ったことで有名である。 それまでの軍艦はほとんどが木造船だった。ハンプトン・ローズ海戦の後、軍艦の設計および海戦の性質は劇的に変化した。.

新しい!!: モービル湾の海戦とバージニア (装甲艦) · 続きを見る »

メキシコ湾

メキシコ湾 メキシコ湾(メキシコわん、英語:Gulf of Mexico、スペイン語:Golfo de México)は、北アメリカ大陸南東部とメキシコ北東部に挟まれた湾である。広くは大西洋、カリブ海(アメリカ地中海)の一部として分類される。.

新しい!!: モービル湾の海戦とメキシコ湾 · 続きを見る »

モービル (アラバマ州)

モービル市の中心部 モービル(Mobile、発音:)は、アメリカ合衆国のアラバマ州南部、メキシコ湾岸に位置する港湾都市である。人口は19万5111人(2010年国勢調査)。1993年に千葉県市原市と姉妹都市提携を行った。.

新しい!!: モービル湾の海戦とモービル (アラバマ州) · 続きを見る »

モニター (装甲艦)

モニター(USS Monitor)は、アメリカ合衆国海軍初の装甲艦。本艦は装甲艦同士で行われた初の海戦、1862年3月9日のハンプトン・ローズ海戦でアメリカ連合国海軍の装甲艦「バージニア」(CSS Virginia)と交戦したことで有名である。本艦はその後建造されていくモニター艦の基礎となった。 本艦が建造される以前の軍艦はほとんどが木造船であった。ハンプトン・ローズ海戦以後、軍艦の設計は鋼鉄の装甲を導入し劇的に変化していった。.

新しい!!: モービル湾の海戦とモニター (装甲艦) · 続きを見る »

モニター艦

モニター艦(モニターかん)あるいはモニターとは軍艦の一種で、比較的小型で低乾舷の船体に、相対的に大口径の主砲を砲塔式に搭載したものを指す。基本設計に着目した分類であるため、性能や用途は艦によって異なる。モニターの語は、最初期の例である南北戦争時のアメリカ軍艦モニター (USS Monitor) の艦名に由来する。広義の砲艦の一種に含まれる。 大きく分けると、沿岸や内水域での対艦戦闘を目的としたものと、対地攻撃を目的としたものに分類することができる。いずれも乾舷が低く航洋性能が乏しい傾向があり、移動砲台的な性格を持つ点で共通する。前者は、用途に着目すると海防戦艦の一形態とも見ることができる。.

新しい!!: モービル湾の海戦とモニター艦 · 続きを見る »

ユリシーズ・グラント

ユリシーズ・シンプソン・グラント(Ulysses Simpson Grant、1822年4月27日 - 1885年7月23日)は、アメリカ合衆国の軍人、政治家。南北戦争北軍の将軍および第18代アメリカ合衆国大統領。アメリカ史上初の陸軍士官出身の大統領。南北戦争で戦った将軍の中では南軍のロバート・E・リー将軍と並んで(またそのリー将軍を最終的に破ったことで)最も有名な将軍の一人である。 軍人としては成功したが、大統領在任中の「クレディ・モビリエ事件」を始めとする多くのスキャンダルおよび汚職により、歴史家からアメリカ最悪の大統領のうちの一人と考えられている。.

新しい!!: モービル湾の海戦とユリシーズ・グラント · 続きを見る »

ルイジアナ州

ルイジアナ州(State of Louisiana)は、アメリカの南部の州である。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第31位、人口では第25位である。 州都はバトンルージュ市、最大の都市はニューオーリンズ市である。元フランス領であったが、1812年、アメリカ合衆国の州になった。民法はナポレオン法典が用いられる。また州の下の行政区画として、他州で用いられるカウンティ(county、郡)のかわりにパリッシュ(parish、キリスト教の小教区を意味する。日本語ではカウンティ相当として「郡」と訳される)が用いられるのもフランス植民地時代の影響である。パリッシュがカウンティ相当として使われるのはアメリカではルイジアナ州のみである。 州内幾つかの都市圏では、多文化、多言語の遺産が残っており、18世紀に領域を支配したフランス(本国およびアカディア)やスペイン(ヌエバ・エスパーニャ)の混合文化に強く影響され、また先住民であるインディアンや、西アフリカから奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人の文化の影響も見られる。19世紀初めにアメリカ合衆国の領土となり、アングロサクソン系のアメリカ人が流入して州に昇格する前に、アメリカ合衆国の他州とは幾分異なった文化が形成され、今日に繋がっている。.

新しい!!: モービル湾の海戦とルイジアナ州 · 続きを見る »

ヴィックスバーグ (ミシシッピ州)

ヴィックスバーグ市(英:Vicksburg, Mississippi)は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ウォーレン郡の都市である。ニューオーリンズからはミシシッピ川とヤズー川を遡って北北西に234マイル (377 km)に位置し、州都ジャクソンからは真西に40マイル (65 km)の位置にある。人口の推移を見ると、1900年で14,834人。1910年で20,814人、1920年で17,931人、1940年で24,460人となっていた。2010年の国勢調査では23,856人である。ウォーレン郡の郡庁所在地である。 ヴィックスバーグはウォーレン郡全体を包含するヴィックスバーグ小都市統計地域の主要都市である。.

新しい!!: モービル湾の海戦とヴィックスバーグ (ミシシッピ州) · 続きを見る »

テネシー (装甲艦・2代)

テネシー (CSS Tennessee、後にUSS Tennessee)は南北戦争中の砲郭型装甲艦で、アメリカ連合国海軍(南部海軍)が建造したが、アメリカ合衆国海軍(北部海軍)に鹵獲された。南軍においてはフランクリン・ブキャナン提督が司令官を務めるモービル川艦隊に所属した。1864年8月5日にモービル湾の海戦で北軍に鹵獲され、8月9日-23日のモーガン要塞包囲戦(Siege of Fort Morgan)では北軍艦艇として参加した。戦争終了後の1867年に解体のために売却された。.

新しい!!: モービル湾の海戦とテネシー (装甲艦・2代) · 続きを見る »

デヴィッド・ファラガット

デヴィッド・グラスゴー・ファラガット(David Glasgow Farragut、1801年7月5日 - 1870年8月14日)は、アメリカ合衆国海軍の軍人である。アメリカ海軍では初の海軍少将、同中将、同大将に昇ったHickman, 2010, p.216。南北戦争のモービル湾の海戦で「機雷がなんだ。全速前進!」という命令を出したことで、大衆文化の中でも記憶されている。.

新しい!!: モービル湾の海戦とデヴィッド・ファラガット · 続きを見る »

フランクリン・ブキャナン

フランクリン・ブキャナン(Franklin Buchanan、1800年9月17日 - 1874年5月11日)は、アメリカ合衆国海軍およびアメリカ連合国海軍の士官で、アメリカ連合国海軍ただ一人の海軍大将である。南北戦争初期には装甲艦CSS バージニアの艦長を務めた。.

新しい!!: モービル湾の海戦とフランクリン・ブキャナン · 続きを見る »

ニューオーリンズ

ニューオーリンズ(New Orleans、La Nouvelle-Orléans)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州南部にある同州最大の都市。 メキシコ湾に面し、ミシシッピ川の河口に位置する重要な港湾都市で、元来は穀物・綿花等、ミシシッピ川流域の農産物の輸出港として発展し、のちには工業都市・観光都市としても発展した。英語名New Orleans()およびフランス語名La Nouvelle-Orléans( )は、「新オルレアン」という意味でルイ15世の摂政オルレアン公フィリップ2世に因む。かつてはフランス領ルイジアナの首府であり、市内のフレンチ・クオーターと呼ばれる地区には、今なおフランス植民地帝国時代の雰囲気を残している。.

新しい!!: モービル湾の海戦とニューオーリンズ · 続きを見る »

アメリカ連合国

アメリカ連合国(アメリカれんごうこく、Confederate States of America, 略号:CSA)は、かつて北アメリカに存在した国家。アメリカ合衆国(USA)から分離して独立を宣言した南部諸州によって1861年に創設された。南部連合、南部同盟、アメリカ南部連邦等とも呼ばれる。南北戦争の敗北により1865年に消滅した。「ディキシー」のニックネームでも知られる。 アメリカ連合国が動員した軍事力(アメリカ連合国陸軍、アメリカ連合国海軍)を日本では「南軍」といい、アメリカ連合国の代名詞として南軍が使われている。.

新しい!!: モービル湾の海戦とアメリカ連合国 · 続きを見る »

アラバマ州

アラバマ州(State of Alabama)は、アメリカ合衆国南部に位置する州である。人口は4,779,736人(2010年度)である。州都はモンゴメリー市。他に都市圏では州内最大のバーミングハム、州内唯一の港湾都市モービル、アメリカ航空宇宙局関連施設が集中するハンツビルなどの主要都市がある。北はテネシー州、東はジョージア州、南はフロリダ州とメキシコ湾、西はミシシッピ州と接している。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第30位、人口では第23位である。内陸まで航行できる水路総延長が1,300マイル (2,100 km) あることでは、国内でも最長クラスにある。 南北戦争から第二次世界大戦まで、他の南部州と同様に農業への依存が続いていたこともあって、アラバマ州は経済的に困難な時代を味わった。工業や都市部が成長したにも拘わらず、1960年代までは田園部の白人の利権が州議会を支配しており、都市部とアフリカ系アメリカ人の権利は優先されなかった。第二次世界大戦後、アラバマ州は農業依存経済から多様化された経済に移行して成長してきた。多くのアメリカ軍基地が設立または拡張されたことも経済発展に寄与し、20世紀半ばに農業と工業経済の橋渡し役となった。21世紀の州経済は経営管理、金融、製造、航空宇宙、鉱業、医療、教育、小売りおよび技術に依存している。.

新しい!!: モービル湾の海戦とアラバマ州 · 続きを見る »

アラバマ川

アラバマ川(Alabama River)は、アメリカ合衆国のアラバマ州にある川。モンゴメリーの北約10kmで、タラプーサ川とクーサ川が合流して生まれるhttp://www.britannica.com/EBchecked/topic/11995/Alabama-River。 セルマの西を通った先、モービルの北約72kmでトンビグビー川と合流し、モービル川とテンソー川となってモービル湾にそそぐ。.

新しい!!: モービル湾の海戦とアラバマ川 · 続きを見る »

アルバート・マイアー

アルバート・ジェイムズ・マイアー(英:Albert James Myer、1829年9月20日-1880年8月24日)は、アメリカ陸軍の軍医であり、士官である。南北戦争の直前に最初の信号士官長となり「ウィグ・ワグ」信号(あるいは無線送信術)の発明者となったことで、アメリカ陸軍信号司令部の父として知られ、アメリカ国立気象局の父としても知られている。.

新しい!!: モービル湾の海戦とアルバート・マイアー · 続きを見る »

アトランタ

アトランタ (、現地) は、アメリカ合衆国ジョージア州北西部に位置する都市。同州の州都・最大都市であり、またフルトン郡の郡庁所在地である。市域の大部分はフルトン郡内にあり、一部東隣のディカーブ郡にかかっている。人口はアトランタ市域内で420,003人、フルトン郡を中心に29郡にまたがる都市圏では5,286,728人、アセンズやゲインズビル等をあわせた広域都市圏では5,910,296人を数える(すべて2010年国勢調査).

新しい!!: モービル湾の海戦とアトランタ · 続きを見る »

アトランタ方面作戦

ポッターハウスの前の防柵と逆茂木。1864年撮影 アトランタ方面作戦(アトランタほうめんさくせん、英:Atlanta Campaign)は、1864年の夏に、南北戦争の西部戦線で、ジョージア州北西部とアトランタ周辺で行われた一連の戦闘である。最終的にアトランタが陥落し、終戦への道を歩み始めた。.

新しい!!: モービル湾の海戦とアトランタ方面作戦 · 続きを見る »

ウィリアム・シャーマン

ウィリアム・テカムセ・シャーマン(William Tecumseh Sherman, 1820年2月8日 - 1891年2月14日)は、アメリカ合衆国の軍人。ミドルネームの Tecumseh は、19世紀初頭にアメリカ合衆国と戦ったショーニー族の酋長テカムセにちなんだもの。 南北戦争において、焦土作戦をアメリカ南部で展開。近代戦略の実行者、または近代戦の創始者、最初の近代将軍などと評価される。彼の行ったジョージア州アトランタを焼き払った後の「海への進軍」、およびサバナよりの北上作戦により、南部経済は壊滅し、南北戦争の終結を早めたとされる。 作家、戦略論家としても知られ、数多くの本を出版し、アメリカ軍の戦略論の研究のために士官のための上級学校である現在のアメリカ陸軍指揮幕僚大学(Command and General Staff College)の元になる学校を築くなど、近代戦略論史に多大な影響をもたらした。 弟は独禁法(反トラスト法)発案者で有名なジョン・シャーマン連邦上院議員。.

新しい!!: モービル湾の海戦とウィリアム・シャーマン · 続きを見る »

ウィルミントン (ノースカロライナ州)

ウィルミントン(Wilmington)は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州南部、ケープフィア河岸に位置する港湾都市。人口は75,838人(2000年国勢調査)。2004年の推計では、人口は23.0%増加し、93,292人であると見積もられている(アメリカ合衆国統計局)。市名はデラウェア州の同名の都市同様、イギリス国王ジョージ2世の首相であったウィルミントン伯爵、スペンサー・コンプトン(Spencer Compton)にちなんでいる。 市域はケープフィア川と大西洋に挟まれている。ウィルミントンのダウンタウンには歴史的な街並みが残り、近隣にはビーチが広がる。このことから、同市は観光都市としても人気がある。また、同市は映画産業が盛んで、しばしば「東のハリウッド」と呼ばれる。さらに、同市はNBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンが少年時代を過ごした街としても知られている。.

新しい!!: モービル湾の海戦とウィルミントン (ノースカロライナ州) · 続きを見る »

エドワード・キャンビー

ドワード・リチャード・スプリッグ・キャンビー (Edward Richard Sprigg Canby, 1817年11月9日〜1873年4月11日)は、アメリカ陸軍士官で、南北戦争での北軍とインディアン戦争の時の将軍。.

新しい!!: モービル湾の海戦とエドワード・キャンビー · 続きを見る »

エイブラハム・リンカーン

イブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln 、1809年2月12日 - 1865年4月15日)は、アメリカ合衆国の政治家、弁護士である。名前は、アブラハム、姓はリンカンと表記されることもある。 弁護士、イリノイ州議員、上院議員を経て、1861年3月4日、第16代アメリカ合衆国大統領に就任した。 愛称は、エイブ (Abe)。また、オネスト・エイブ (Honest Abe)、レール・スプリッター (the Rail Splitter)、「偉大な解放者 (the Great Emancipator)」、「奴隷解放の父」とも呼ばれる。.

新しい!!: モービル湾の海戦とエイブラハム・リンカーン · 続きを見る »

カリブ海

リブ海(青)とカリブ諸島(緑) カリブ(イギリス領バージン諸島)の海岸 カリブ海(カリブかい、英語:Caribbean Sea、スペイン語:Mar Caribe、フランス語:mer des Caraïbes)は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。南はベネズエラ、コロンビアといった南アメリカ大陸やパナマに、西は北アメリカ大陸に属するコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島に、北はキューバ、イスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ジャマイカ、プエルトリコといった大アンティル諸島に、東は小アンティル諸島に接している。.

新しい!!: モービル湾の海戦とカリブ海 · 続きを見る »

ジョージア州

ョージア州(State of Georgia )は、アメリカ合衆国の南東部にある州。州都はアトランタ市で、人口で州内最大の都市でもある。1776年にアメリカ独立宣言をした13州の1つである。コカ・コーラやCNN、アフラックの本社などがあることでも知られている。 ジョージア植民地として1732年に設立されており、13植民地の中では最後のものだった。アメリカ合衆国憲法を1788年1月2日に批准しており、合衆国への加盟順位としては4番目になった。1861年1月21日にアメリカ合衆国からの脱退を宣言し、アメリカ連合国建国7州の1つになった。1870年7月15日にアメリカ合衆国に復帰したが、これは最後の州となった。 アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第24位、人口では第8位である。2007年から2008年の人口増加率では州内14郡が国内100傑に入っており、テキサス州に次いで多い数だった。「モモの州」や「南部の帝国州」と呼ばれる。 ジョージア州の南はフロリダ州、東は大西洋とサウスカロライナ州、北はノースカロライナ州とテネシー州、西はアラバマ州に接している。北部にはアパラチア山脈に属するブルーリッジ山脈がある。中央部のピードモント台地は丘陵部から滝線まで広がっており、滝線から川が流れ落ちて南部の大陸性海岸平原に流れ込んでいる。ミシシッピ川より東では最も陸地面積が広い州だが、水域を含む総面積では第4位である(ミシガン州、フロリダ州、ウィスコンシン州に次ぐ)。.

新しい!!: モービル湾の海戦とジョージア州 · 続きを見る »

スループ

ループ(、)とは、.

新しい!!: モービル湾の海戦とスループ · 続きを見る »

セルマ (アラバマ州)

ルマ(Selma, Alabama)は、アラバマ州ダラス郡の都市であり、同郡の郡庁所在地である。アラバマ州のブラックベルトと呼ばれる地域では南西、アラバマ川の岸にある。アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、セルマ市の人口は2010年時点で20,756人となっていた。1965年の選挙権運動と、この市から始まったセルマから州都・モンゴメリーへの行進で知られている。.

新しい!!: モービル湾の海戦とセルマ (アラバマ州) · 続きを見る »

タスカルーサ (装甲艦)

CSS タスカルーサ (CSS Tuscaloosa)は南北戦争中のアメリカ連合国海軍のハンツビル級衝角装甲艦。1862年にセルマ海軍工廠で起工された。艦名はアラバマ州の都市であるタスカルーサに由来する。.

新しい!!: モービル湾の海戦とタスカルーサ (装甲艦) · 続きを見る »

サバンナ (ジョージア州)

バンナ川 サバンナ(Savannah;サバナ、サヴァナとも)は、アメリカ合衆国ジョージア州南東部に位置する港湾都市。チャタム郡の郡庁所在地である。人口は142,022人(2012年推計)。1970年までは、サバンナはジョージア州第2の都市であった。現在、同市の人口規模は州内第4位である。都市圏人口は366,047人を数える(2012年推計)。 市の北側をサバンナ川が流れ、サウスカロライナ州との州境になっている。サバンナ川が大西洋に流れこむ河口からは約20km上流に位置している。かつてはサウスカロライナ州チャールストンと並ぶ奴隷貿易の拠点であった。現在ではチャールストン同様、歴史的な町並みや建築物を再生・保存した観光都市としても栄えている。また、同市は南部的な魅力やサザン・ホスピタリティでも知られている。同市の聖パトリックデーのお祝いは、ニューヨークに次いで全米2位の規模を誇る。 サバンナは小説『真夜中のサバナ』の舞台ともなった。この小説はクリント・イーストウッド監督、ジョン・キューザック主演で映画化された。また、歴史地区内チッペワ・スクエア(Chippewa Square)は映画『フォレスト・ガンプ』のロケ地のひとつであり、ベンチが設置されていた。.

新しい!!: モービル湾の海戦とサバンナ (ジョージア州) · 続きを見る »

装甲艦

装甲艦(そうこうかん)は鉄ないし鋼の装甲を施した軍艦を指す用語である。日本では甲鉄艦ともいい、明治時代にはより一般的な名称であった。装甲艦という種別は装甲の存在を表すものであり、艦の用途や艦形に関するものではない。そのため動力も手漕ぎ、帆走や蒸気機関による機走などさまざまなものが用いられ、船の大きさも数百トン程度から一万トンに及ぶものまで、実に様々であった。 なお、19世紀末以降20世紀前半の戦艦、装甲巡洋艦から発展した巡洋戦艦も、19世紀以来の定義では装甲艦であるが、今日ではこれらを別分類とし、初期の装甲艦のみを指す艦種名称として用いられることが多い。.

新しい!!: モービル湾の海戦と装甲艦 · 続きを見る »

西部戦線 (南北戦争)

西部戦線概観 (1861年–1865年) 南北戦争の西部戦線(せいぶせんせん、英:Western Theater of the American Civil War)は、アメリカ合衆国のミシシッピ川から東、アパラチア山脈から西の地域で北軍と南軍が激突した戦線である。東部戦線とは地理的懸隔もあってやや独立した動きとなっていたが、戦争(1861年-1865年)の後半は東部との連係が重要な課題となった。.

新しい!!: モービル湾の海戦と西部戦線 (南北戦争) · 続きを見る »

陸軍

軍(りくぐん、army, ground force)は、主に陸上において軍事作戦を遂行する軍隊の一種である。.

新しい!!: モービル湾の海戦と陸軍 · 続きを見る »

機雷

EODにより爆破処分される係維機雷。 機雷(きらい)とは、水中に設置されて艦船が接近、または接触したとき、自動または遠隔操作により爆発する水中兵器をいう。水中で人為的に仕掛けられる爆発装置のリムペットマインなどは含まない。機雷は機械水雷の略である。機雷に触れることを触雷(しょくらい)、機雷を設置した海域を機雷原(きらいげん)、機雷を撤去することを掃海という。.

新しい!!: モービル湾の海戦と機雷 · 続きを見る »

海軍

ョージ・ワシントン アメリカ海軍のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦 海軍(かいぐん、navy)は軍事作戦のために主に艦艇を使用する軍事組織を言う。.

新しい!!: モービル湾の海戦と海軍 · 続きを見る »

海戦

海戦(かいせん, Naval battle, Naval warfare)は、狭義には艦艇同士の海上戦闘をいうが、広義には航空機、ミサイルなどを用いて海上で行われる戦闘の総称をいう。 武力紛争は、それが展開される地域の区分に従って、陸上は陸戦、海上は海戦、空中は空戦とされ、国際法はおおむねこの区分に従って規定されている。火薬や大砲の発達、汽走軍艦の出現、潜水艦、航空機、レーダー、ミサイルなどの新技術が登場するごとに、海戦の様相は大きく変化し、新しい戦略戦術が生まれている。.

新しい!!: モービル湾の海戦と海戦 · 続きを見る »

1864年

記載なし。

新しい!!: モービル湾の海戦と1864年 · 続きを見る »

8月5日

8月5日(はちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から217日目(閏年では218日目)にあたり、年末まであと148日ある。.

新しい!!: モービル湾の海戦と8月5日 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »