ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

ムアンチエンラーイ郡

索引 ムアンチエンラーイ郡

ムアンチエンラーイ郡はタイ・北部の郡(アンプー)。チエンラーイ県の県庁所在地(ムアン)でもある。.

29 関係: ミャンマーマンラーイチャオプラヤー川チェンライ国際空港チエンラーイ県チエンセーン郡バンコクムーバーンムアンムアンチエンマイ郡メーラーオ郡ラーンナーワット・ロンクンパホンヨーティン通りパグワピン川アムプーアユタヤ王朝エメラルド仏カーウィラコック川スパトラディット・ディッサクンタチレクタムボンタイ北部タイ王国タイ語元 (王朝)1262年

ミャンマー

ミャンマー連邦共和国(ミャンマーれんぽうきょうわこく、ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်、Myanmar)、通称ミャンマー/ビルマは、東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家。独立した1948年から1989年までの国名はビルマ連邦。ASEAN加盟国、通貨はチャット、人口は 5,142万人(2014年)、首都はネピドー(2006年まではヤンゴン)。 南西はベンガル湾、南はアンダマン海に面する。南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接する。インド東部とミャンマー南西部はベンガル湾をはさみ相対している。 多民族国家で、人口の6割をビルマ族が占め、ビルマ語が公用語である。他に、カレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ビルマ族、シャン族、北東部に中国系のコーカン族などの少数民族がおり、独自の言語を持つ民族も多い(言語参照)。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とミャンマー · 続きを見る »

マンラーイ

マンラーイ王はラーンナー王朝の創始者。もとはピン川地域のタイ族勢力の首領であったと考えられ、クメール人やモン族を現在のタイ北部地域から排除し、現在のタイ北部地方の基礎を作った。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とマンラーイ · 続きを見る »

チャオプラヤー川

チャオプラヤー川(チャオプラヤーがわ、タイ語:แม่น้ำเจ้าพระยา 、ラテン文字転写:Chao Phraya)は、タイのバンコクなどを中心に流れる、タイ国内の大きな河川の一つである。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とチャオプラヤー川 · 続きを見る »

チェンライ国際空港

チェンライ国際空港(チェンライこくさいくうこう、タイ語:ท่าอากาศยานแม่ฟ้าหลวง เชียงราย、英語:Chiang Rai International Airport)は、タイ王国のチエンラーイ県ムアンチエンラーイ郡にある国際空港。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とチェンライ国際空港 · 続きを見る »

チエンラーイ県

チエンラーイ県(チエンラーイけん、タイ語: จังหวัดเชียงราย)はタイ・北部の県(チャンワット)の一つ。パヤオ県、ラムパーン県、チエンマイ県と接する。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とチエンラーイ県 · 続きを見る »

チエンセーン郡

チエンセーン郡はタイ北部のチエンラーイ県にある郡(アムプー)の一つ。現在は国境のメコン川を船で渡るとラオスのボーケーオ県に入国出来る。メコン川上流は、船舶航行協定によって、プーアル茶で有名な中国の普洱市(プーアル市, 旧「思茅市」)からラオスのルアンパバーンまで、全長886キロメートル区間で自由貿易が出来る。チエンセーン港から中国の景洪まで船が運航されている。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とチエンセーン郡 · 続きを見る »

バンコク

バンコク(フランス語:Bangkok,,)若しくはクルンテープマハナコーン(,)略語クルンテープ(,,)は、タイ王国の首都である。人口8,249,117人(2010年)、面積1568.737km²。都市圏人口は2016年時点で1500万人を超えており、世界有数の大都市圏を形成している。東南アジア屈指の世界都市でもある。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とバンコク · 続きを見る »

ムーバーン

ムーバーン(Muban、)タイ語・ラオス語の語彙で村と言う意味。ムーという集まりを意味する言葉と、バーンという家を意味する言葉からなる。略してバーンと言う言い方もされ、ラオスではバーンの語が地方行政区分として使われている。 タイにおいては、ムーバーンは正式にはバーンと略されないで使われる。こちらもラオスと同じく地方行政の単位で、タンボン(町)の下位にあり、地方行政最下位の組織である。通常「村」と訳される。ラーマ5世のチャックリー改革によりモントンと呼ばれる州制が確立されたときに、現在のムーバーンの形態が確立していた。この行政区の長の村長()は住民から直接選挙によって選ばれ、その他2名の村人がその秘書となる。モントン成立当時から、この村長の選挙には男女参加の選挙が行われていたという。しかしながら、村の行政は村長に任せっきりになっており、秘書などの人材は有効には使われていないと言われる。なお、バンコクでムーバーンというと路地裏を中心とする一つの住宅街のことを意味する。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とムーバーン · 続きを見る »

ムアン

ムアン (タイ語: เมือง、ラーオ語: ເມືອງ、シャン語: ဓူိင္‌း) は歴史上タイ族の世界において多数の村のハブとして存在した都市や国主(チャオ)により治められていた街や村々の全体領域を表す言葉であり、村々の上位にある単位を表す言葉である。古くは都市国家をさした。現在では国、都市などを示す言葉となっている。ラオスではムアンは県の下位の行政区分である郡を表す行政用語である。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とムアン · 続きを見る »

ムアンチエンマイ郡

ムアンチエンマイ郡(ムアンチエンマイぐん)は、タイの北部にある郡(アムプー)。チェンマイとも。チエンマイ県の県庁所在地(ムアン)でもある。ラーンナータイ王国の首都として、メンラーイ王により1296年4月12日建造された。王国の首都として古くから発展し、ラーンナータイ王国が廃止された現在でも北部の文化・経済の中心である。人口では東北部のナコーンラーチャシーマーを下回るが、その歴史の長さや都市の格から、一般にバンコクに次ぐタイ第2の都市とされている。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とムアンチエンマイ郡 · 続きを見る »

メーラーオ郡

メーラーオ郡はタイ北部・チエンラーイ県にある郡(アムプー)。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とメーラーオ郡 · 続きを見る »

ラーンナー

ラーンナーとは、マンラーイ王によって1292年に成立したとされるタイのラーンナー王朝(อาณาจักรล้านนา)、もしくはその王朝の領土であったラーンナー地域を指す。また、これらの地域ではぐくまれた文化をラーンナー文化という。またチエンマイ王朝ともいう。元の冊封を受けた際には八百媳婦国と呼ばれた。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とラーンナー · 続きを見る »

ワット・ロンクン

ワット・ロンクン(วัดร่องขุ่น)はタイ王国チエンラーイ県ムアンチエンラーイ郡にある、現代的で因習にとらわれない様式を持った仏教寺院。国外では「ホワイト・テンプル」の名でよく知られ、元画家のアーティストであるが1997年にデザインした。歴史の浅い寺院であるが、チェンマイ〜チェンライ間の観光バス周遊コースでは定番のスポットになっている。 この建造物はタイの伝統芸術と超現実主義の融合であり、本殿が白く塗られているのは仏陀の清浄さを象徴するためである。一方、建物内部に入ると壁面にはバットマン、スーパーマン、プレデター、マトリックスなどポップカルチャー由来のモチーフが、仏教的文脈における善悪を表現するよう描かれている。チャルムチャイはこの寺院を、人々が仏陀の教えを学び瞑想する場所にしたいと考えている。最終的には、3エーカーの敷地に塔や庵などを含めて9つの建物を作る予定だという。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とワット・ロンクン · 続きを見る »

パホンヨーティン通り

パホンヨーティン通り(ถนนพหลโยธิน、Phahon Yothin Road)は、タイの国道1号線にあたり、同国を代表する道路。バンコクの戦勝記念塔を起点とし、北は遥かミャンマー国境の街メーサイまで続いている。総延長1,005km。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とパホンヨーティン通り · 続きを見る »

パグワ

パグワ王(? - 1388年)はタイのアユタヤー王朝の3代目の王。別名はボーロマラーチャーティラート1世。1369年、ロッブリー家出身で対立関係にあった前王のラーメースワンがクメールの討伐に失敗し、当時スパンブリーの王であったパグワが援軍を派遣した。これが成功し王宮内でボーロマラーチャーを望む声が大きくなったため、ボーロマラーチャーを自称し王位に就いた。即位中はスコータイ王朝を解体し旧勢力の弱体化を行い、ピッサヌローク、カムペーンペット、チエンマイを討伐した。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とパグワ · 続きを見る »

ピン川

ピン川(Ping River)は、タイを流れる河川で、ナーン川と共に、チャオプラヤー川の主要な支流の一つである。 水源はチエンマイ県のチエンダーオ郡。チエンマイを流れた後は、ラムプーン県、ターク県、カムペーンペット県と流れ、ナコーンサワン県でナーン川と合流し、チャオプラヤー川となる。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とピン川 · 続きを見る »

アムプー

アムプー(Amphoe、、アンプーとも)はタイの地方行政単位の一つ。 チャンワット(県)の下、タムボン(町)の上の地方行政単位で、通常「郡」と訳される。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とアムプー · 続きを見る »

アユタヤ王朝

アユタヤ王朝(1351年 - 1767年)は現タイの中部アユタヤを中心に展開したタイ族による王朝。創設者はラーマーティボーディー1世(ウートーン王)。王統は一つではなく、隣国の征服や重臣の簒奪で、5つの王家にわかれる。三番目の王家(1569-1629)は、スコータイ朝の王家の末裔である タイに起こった各時代の王朝同様、中国とインド、ヨーロッパ方面を結ぶ中間に位置する地の利を生かし、貿易が国の富として重要であった。アユタヤ王朝でも王家を中心として、独占的な貿易が行われた。主に中国への米の輸出で国力を付けたほか、日本、琉球などの東アジア国家、東南アジア島嶼部、アラブ・ペルシア方面や西洋と活発に貿易を行い、莫大な富を蓄えた。この富を背景にアユタヤでは当時繁栄していたクメール文化を吸収しつつ、中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの文化の影響を受けた独自の華やかな文化が開花した。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とアユタヤ王朝 · 続きを見る »

エメラルド仏

メラルド仏 エメラルド仏 エメラルド仏(エメラルドぶつ)は、タイのバンコク、ワット・プラケーオにある仏像。玉仏(ぎょくぶつ)とも呼ばれる。タイ語ではプラ・ケーオモーラコット (พระแก้วมรกต) 、または単にプラ・ケーオ (พระแก้ว) ともいう。正式名称はプラ・プッタマハーマニーラッタナパティマーコーンケーオモーラコット (พระพุทธมหามณีรัตนปฎิมากรมรกต) 。エメラルドでできていると一部ではいわれているが、実際にはヒスイ製である。タイ人のアイデンティティーの1つでもあるとされるこの仏像は、民間では霊験あらたかな仏像とされるため、タイ人のみならず、東南アジアの上座部仏教国からも巡礼者が巡礼に訪れる。タイ国王の手によって年に3回、夏・雨季・乾季のはじめに衣替えがあり、王室の重要な行事の1つである。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とエメラルド仏 · 続きを見る »

カーウィラ

ーウィラ公は、タイ王国のチエンマイ県にあったチエンマイ王朝(復興ラーンナー王朝)の王である。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とカーウィラ · 続きを見る »

コック川

ック川 (แม่กก หรือ แม่น้ำกก) はミャンマー・シャン州およびタイ北部を流れる、メコン川水系の川である。シャン州、モンサート(ムアンサート、ムーンサート)付近に源流を持ち、タイ、チエンマイ県、メーアーイ郡に流れ込み同郡でファーン川と合流、その後チエンラーイ県・チエンラーイでラーオ川と合流、ウィエンチャイ郡、メーチャン郡、ドーイルワン郡を経てチエンセーン郡でメコン川に流れ込む。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とコック川 · 続きを見る »

スパトラディット・ディッサクン

モムチャオ=スパトラディット・ディッサクン(ディスクンとも、หม่อมเจ้าสุภัทรดิศ ดิศกุล、1923年11月23日 - 2003年11月6日)は、タイの考古学者、美術史学者である。国賓がタイに訪れた際には、ワット・プラケーオおよび王宮のガイドをつとめるなど歴史にも造詣が深かった。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とスパトラディット・ディッサクン · 続きを見る »

タチレク

タチレク (Tachileik) は、ミャンマーのシャン州にある都市。タイのチエンラーイ県メーサーイ郡と国境を接している。国境線にはが流れている。 タイ側から観光客や買い物客が多く押し寄せており、通貨もバーツが通用する。国境から数キロの範囲は、ビザ無しで数日間滞在できるため、外国人観光客にも人気がある。 観光スポットとしては、比較的大きいパゴダが2,3あるほか、首長族などが土産物屋を営む、民族村のような施設がある。 タイ、ラオス、ミャンマーの3ヶ国の国境が交わる黄金の三角地帯からも近い。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とタチレク · 続きを見る »

タムボン

タムボン(Tambol, Tambon、)は、タイの地方行政組織の一つで、アムプー(郡)の下位、ムーバーン(村)の上位組織である。日本語に当たる言葉がはっきりしないため「集落」、「町」、「準郡」などと訳される。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とタムボン · 続きを見る »

タイ北部

タイ北部 (ภาคเหนือ) はタイ王国の地方の一つ。場合によっては、さらに北部と中北部に分けられる。文化・経済の中心はチェンマイ。 北部の北地方は、北タイ族(あるいはユワン)と呼ばれるタイ族の部族がスコータイ王朝・アユタヤ王朝とは別系統のラーンナータイ王朝を建てたことに始まり、そのラーンナータイが倒れるとビルマの占領を受けたためミャンマー文化の影響を受けて、寺院建築や、タイ文字よりはビルマ文字に似るラーンナータイ文字に代表される独特の文化を創り上げた。 言語的には北タイ語と呼ばれるラーオ語に似た方言を話す。北中部にはかつてスコータイ王朝が存在しており、タイ文化の源流でもある。 特に北部は山岳地帯になっており、ミャンマーの上ビルマ地方・中国雲南省・ラオス北部・ベトナム北部などとともに多様な山岳民族が住む地域となっている。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とタイ北部 · 続きを見る »

タイ王国

タイ王国(タイおうこく、ราชอาณาจักรไทย )、通称タイ(ประเทศไทย )は、東南アジアに位置する君主制国家。東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国、通貨はバーツ、人口6,718万人、首都はバンコク。 国土は、インドシナ半島中央部とマレー半島北部を占める。南はマレーシア、東はカンボジア、北はラオス、西はミャンマーと国境を接する。マレー半島北部の西はアンダマン海、東はタイランド湾に面する。 2014年にプラユット将軍率いる国軍が軍事クーデターを起こし、従来の憲法(2007年憲法)と議会を廃止し実権掌握以降、軍事独裁政権が継続している。 2016年10月13日にプーミポン・アドゥンラヤデート(プミポン)国王が崩御。 同年12月1日にワチラーロンコーンが国王に即位した。 2017年4月7日に新憲法が公布され、同日施行された。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とタイ王国 · 続きを見る »

タイ語

タイ語(タイご、 )はタイ王国の公用語。短縮形は「ไทย(タイ)」。タイ・カダイ語族カム・タイ語派に属する。 タイ・カダイ語族はシナ・チベット語族に属するとされてきたが、独立した語族であるとするのが通説である。欧米の学者を中心に、タイ・カダイ語族をオーストロネシア語族と合わせる説(オーストロ・タイ語族)や、さらにオーストロアジア語族およびミャオ・ヤオ語族とも合わせる説(オーストリック大語族)もある。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡とタイ語 · 続きを見る »

元 (王朝)

元(げん)は、1271年から1368年まで中国とモンゴル高原を中心領域として、東アジア・北アジアの広大な土地を支配した王朝である。正式の国号は大元(だいげん)で、元朝(げんちょう)とも言う。モンゴル人のキヤト・ボルジギン氏が建国した征服王朝で国姓は「奇渥温」である。伝統的な用語上では、「モンゴル帝国が中国に支配後、中華王朝に変化した国」というように認定されたが、視点によって「元は中国では無く、大元ウルスと呼ばれるモンゴル遊牧民の国」と、様々な意見もある。 中国王朝としての元は、唐崩壊(907年)以来の中国統一政権であり、元の北走後は明(1368年 - 1644年)が中国統治を引き継ぐ。しかし、中国歴代征服王朝(遼・金・清など)の中でも元だけが「政治制度・民族運営は中国の伝統体制に同化されなく、モンゴル帝国から受け継がれた遊牧国家の特有性も強く持つ」のような統治法を行った。一方、行政制度や経済運営の面では、南宋の仕組みをほぼ潰して、中華王朝従来の体制を継承してることとは言わない。.

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡と元 (王朝) · 続きを見る »

1262年

記載なし。

新しい!!: ムアンチエンラーイ郡と1262年 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

チェンラーイチェンライチエンラーイ

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »