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ミャゼディ碑文

索引 ミャゼディ碑文

ミャゼディ碑文(ミャゼディひぶん、မြဇေတီ ကျောက်စာ)は、ミャンマーのバガン近郊で発見された石碑で、四面のそれぞれにパーリ語、ピュー語、モン語、ビルマ語で碑文が刻まれている。ビルマ語最古の碑文として有名である。 2015年にミャゼディ碑文はユネスコ記憶遺産に登録された。.

20 関係: 大修館書店寄進世界の記憶仏塔仏滅紀元ミャンマーチャンシッターバガンモン語パーリ語パガン王朝パゴダビルマ語ビルマ文字ピュー語エメラルドスイス石碑西田龍雄2015年

大修館書店

株式会社大修館書店(たいしゅうかんしょてん)は、辞典類・教科書・参考書などを刊行する日本の出版社。.

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寄進

寄進(きしん, )とは、ものを「寄せまいらせる」の意であり、寺院や神社などに土地や金銭、財物を寄付することである。 寄進の類義語に「勧進」があり、「勧進」が人に勧めて金銭や物品を奉納せしむる行為であるのに対し、「寄進」はみずから進んで奉納寄付するというニュアンス上のちがいがある。寄進の趣旨や品目などを書いた文書を寄進状という。寄進される財物は寄進物とよばれ、日本では太刀や甲冑、弓矢などの武具や馬、米、銭貨などが寄進物となった。なお、中世日本では「寄進されたものは悔返や徳政令の対象にならない」という慣習があった。 歴史的にみて重要な寄進物は土地であり、土地を寄進する行為は、しばしば世俗の権力と宗教権力とをとりむすぶ役割を果たしてきた。.

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世界の記憶

世界の記憶(せかいのきおく、Memory of the World: MoW)は、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が主催する事業の一つ。危機に瀕した古文書や書物などの歴史的記録物(可動文化財)を保全し、広く公開することを目的とした事業として、1992年に創設された。日本政府は2010年に日本ユネスコ国内委員会の小委員会で「記憶遺産」と訳すことを了承したが、「」など遺産を意味する英単語が正式名称に含まれていないことから、外務省や文部科学省では2016年6月から直訳である「世界の記憶」を用いている。.

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仏塔

仏塔(ぶっとう)とは、仏舎利(釈迦の遺体・遺骨、またはその代替物)を安置した仏教建築をいう。卒塔婆(そとば)、塔婆(とうば)、塔(とう)、ストゥーパ、供養塔とも呼ばれる。.

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仏滅紀元

仏滅紀元(ぶつめつきげん、Buddhist calendar)とは、釈迦が入滅したとされる年、またはその翌年を元年とする紀年法である。 仏暦(ぶつれき)ともいう。東南アジアの仏教徒の多い国などで用いられている。.

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ミャンマー

ミャンマー連邦共和国(ミャンマーれんぽうきょうわこく、ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်、Myanmar)、通称ミャンマー/ビルマは、東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家。独立した1948年から1989年までの国名はビルマ連邦。ASEAN加盟国、通貨はチャット、人口は 5,142万人(2014年)、首都はネピドー(2006年まではヤンゴン)。 南西はベンガル湾、南はアンダマン海に面する。南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接する。インド東部とミャンマー南西部はベンガル湾をはさみ相対している。 多民族国家で、人口の6割をビルマ族が占め、ビルマ語が公用語である。他に、カレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ビルマ族、シャン族、北東部に中国系のコーカン族などの少数民族がおり、独自の言語を持つ民族も多い(言語参照)。.

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チャンシッター

チャンシッター(ကျန်စစ်သား、1030年7月21日 - 1113年)は、パガン王朝の第3代の国王(在位:1084年4月21日 - 1113年)。パガンに最盛期をもたらした王として評価されている生田、石澤『東南アジアの伝統と発展』、199頁。日本語ではチャンジッタとも表記される。名前の語源はチャン・シッ・ター(探索から生き延びた者)、あるいは下級役人を表す単語「カラン」を短縮化した「チャン」と兵士を意味する「シッター」の二語を合成したと考えられている。.

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バガン

バガン(ビルマ文字: 、ラテン文字表記: Bagan)は、ミャンマー・マンダレー地方域にある地名で、旧名はパガン。カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡のひとつと称され、イラワジ川中流域の東岸の平野部一帯に、大小さまざまな仏教遺跡が林立している。バガンとは、広くこの遺跡群の存在する地域を指し、ミャンマー屈指の仏教聖地である。その一部の城壁に囲まれたオールドバガンは、考古学保護区に指定されている。点在するパゴダや寺院のほとんどは11世紀から13世紀に建てられたもので、大きいものや小さいものがある。本来は漆喰により仕上げられた鮮やかな白色をしているが、管理者のない仏塔は漆喰が剥がれレンガの赤茶色の外観となる。仏塔の数は、3000を超えるといわれている。.

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モン語

モン語はオーストロアジア語族のモン・クメール語派に属する言語である。話者はモン族の人々である。.

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パーリ語

パーリ語(、巴利語、略して巴語)は、南伝上座部仏教の経典(『パーリ語経典』)で主に使用される言語。バーリ語とも。なお日本における仏教関連の辞典や書物では pl などと略称される。.

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パガン王朝

パガン王朝(ပုဂံခေတ်)は現在のミャンマーに存在した、ビルマ族最初の王朝である。ビルマ語による年代記(ビルマ語王統史)での雅称はアリー・マッダナ・プーラ(征敵の都)である大野『謎の仏教王国パガン』、100頁。首都はパガン。「パガン」とは「ピュー族の集落」を意味する「ピュー・ガーマ」が転訛したものと考えられている。国王が55代続いたと言うことが一連の伝統的な王統史には書かれてあるが、出土品と碑文によってこの論はおおむね否定されている大野『謎の仏教王国パガン』、130頁。43代以前の王で唯一碑文に名前が刻まれているのはソー・ヤハンであるが、それでさえも彼が王であったことを実証しているとは言い難い。.

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パゴダ

パゴダ (pagoda) とは仏塔(ストゥーパ)を意味する英語である。日本ではもっぱら、ミャンマー様式の仏塔のことを意味する。 日本の仏塔と同様、仏舎利(釈迦仏の遺骨等)または法舎利(仏舎利の代用としての経文)を安置するための施設である。.

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ビルマ語

ビルマ語(ビルマご)は、シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派(チベット・ミャンマー語派)に属し、ミャンマー連邦共和国の公用語である。ミャンマー連邦の総人口約5,114万人の約70パーセントを占めるビルマ族が母語とする言語で、他にバングラデシュ・マレーシア・タイなどにも話者がいる。なお現在のところ、日本の公教育においては東京外国語大学及び大阪大学外国語学部で専攻語として開講されているのみで、専門的な学習の機会や場は多くない。ミャンマー語と呼ばれることもある。.

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ビルマ文字

ビルマ文字は、主にミャンマー連邦共和国(旧ビルマ)の公用語ビルマ語の表記に用いる文字である。 ビルマに住むモン族が使っていた文字が、改変され11世紀後半ごろにビルマ語に使われるようになった。子音を表す基本字母の周囲に母音記号と声調が組合わさり文字が形成される。文字は、全体的に丸っこい形が特徴的であるが、それは昔、文字を書くのに紙代わりに用いられていた貝多羅葉(タラバヤシの葉)が裂けてしまわないよう、直線を使うのを避けたためであるといわれている。左から右へと綴る。 ビルマ語以外に、シャン語、モン語、カレン語、パラウン語、およびサンスクリットやパーリ語などを書くのにも用いられる。.

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ピュー語

ピュー語()とはシナ・チベット語族に属する消滅した言語で、1千年紀までのビルマ(ミャンマー)中央部で使用されていた。 ピュー語は、紀元前2世紀から9世紀にかけて繁栄していたピュー族の都市国家で公用語として使用されていた。また、ピューの宮廷ではサンスクリットとパーリ語もピュー語と共に使用されていた。中国の史料には、800年と802年に楽人を伴ったピューの使節が唐の宮廷を訪れ、舞踏とサンスクリットの歌曲を披露したことが記録されている。雲南の南詔から進出したビルマ族がピューの都市国家を圧迫した9世紀後半から、ピュー語の使用頻度は減少していく。ビルマ族が建国したパガン王朝時代の碑文にもピュー語は使用されており、ビルマにおける公用語としての地位を喪失した後も12世紀末までは使用されていた。パガン王朝の元でビルマ語が主要な地位を占めるようになり、13世紀に入るとかつてのピューの支配領域だった上ビルマでもピュー語は消滅する。.

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エメラルド

メラルドの原石 エメラルド(emerald)は、ベリル(緑柱石)の一種で、強い緑を帯びた宝石である。和名は、翠玉(すいぎょく)、緑玉(りょくぎょく)である。.

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スイス

イス連邦(スイスれんぽう)、通称スイスは中央ヨーロッパにある連邦共和制国家。永世中立国であるが、欧州自由貿易連合に加盟しているほかバチカン市国の衛兵はスイス傭兵が務めている。歴史によって、西欧に分類されることもある。 ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインに囲まれた内陸に位置し、国内には多くの国際機関の本部が置かれている。首都はベルンで、主要都市にチューリッヒ、バーゼル、ジュネーヴ、ローザンヌなど。.

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石碑

ルーン石碑 石碑(せきひ、)とは、人類が何らかの目的をもって銘文(碑文ともいう)を刻んで建立した石の総称。「碑(いしぶみ)」ともいう。墓石としてなど他の目的を持たず、銘文を刻むこと自体を目的とするものをいう(ただし、英語の stele の場合は、木製のものや墓碑も含む場合がある)。なお、何かの記念として建てられたものを記念碑(きねんひ)、和歌・短歌や歌の歌詞を刻んだものを歌碑(かひ)、俳句を刻んだものを句碑(くひ)、詩を刻んだものを詩碑(しひ)という。.

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西田龍雄

西田 龍雄(にしだ たつお、1928年11月26日 - 2012年9月26日)は、日本の言語学者、京都大学名誉教授、学術情報センター名誉教授、元日本学士院会員、文化功労者、日本学士院恩賜賞受賞。.

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2015年

この項目では、国際的な視点に基づいた2015年について記載する。.

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