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マルティーノ1世 (シチリア王)

索引 マルティーノ1世 (シチリア王)

マルティーノ1世(Martino I, 1374年頃 - 1409年7月25日)は、シチリア王(在位:1390年 - 1409年)。アラゴン王マルティン1世と王妃マリア・デ・ルナの子。スペイン語名は父と同名で、父(老マルティン)に対して若マルティン(西:Martín el Joven, 伊:Martino il Giovane, カタルーニャ語:Martí el Jove)と呼ばれる。父方の祖母レオノール(アラゴン王ペドロ4世の3番目の王妃)はシチリア王ピエトロ2世の娘であった。.

23 関係: ナバラ王国ナポリとシチリアの君主一覧ペドロ4世 (アラゴン王)マリア (シチリア女王)マルティン1世 (アラゴン王)バルセロナ家レオノール・デ・シシリアブランカ1世 (ナバラ女王)ピエトロ2世 (シチリア王)アラゴン王国アンジュー=シチリア家イタリア語エヴルー家カリャリカスペの妥協カタルーニャ語シチリア王国スペイン語サルデーニャ1374年1390年1409年7月25日

ナバラ王国

ナバラ王国(ナバーラ王国とも、Nafarroako Erresuma、Reino de Navarra、Royaume de Navarre)は、中世のイベリア半島北東部パンプローナより興った王国。824年バスク人の首領アリスタがパンプローナで王として選ばれフランク王国に対する反乱を率いたことによる。ナバラの名は、7世紀のスペインでの西ゴート族の時代が終わりを告げた頃から登場している。.

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ナポリとシチリアの君主一覧

ナポリとシチリアの君主一覧(ナポリとシチリアのくんしゅいちらん)は、ナポリとシチリアの君主を一覧にしたものである。 この2つの地域は現在イタリア領のため、外国王を除き基本的にイタリア語名で表記する。括弧内はイタリア語綴り。.

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ペドロ4世 (アラゴン王)

ペドロ4世(西:Pedro IV, 1319年9月5日 - 1387年1月6日)は、アラゴン王、バレンシア王、およびバルセロナ伯(在位:1336年 - 1387年)。カタルーニャ語ではペラ4世(Pere IV, バルセロナ伯としては3世)。尊儀王(西:el Ceremonioso, カ:el Cerimoniós)あるいは短剣王(西:el del Punyalet)と呼ばれる。アルフォンソ4世(慈悲王)と最初の王妃テレサ・デ・エンテンサの息子。マヨルカ王ジャウメ3世を廃し、バレアレス諸島とルシヨンをアラゴン王国に回復した。また、自ら年代記を書いたことでも知られる。.

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マリア (シチリア女王)

マリア(Maria, 1363年7月2日 - 1401年5月25日)は、シチリア女王(在位:1377年 - 1401年)。フェデリーコ3世と最初の妃コスタンツァ(アラゴン王ペドロ4世の娘)の娘で相続人。.

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マルティン1世 (アラゴン王)

マルティン1世(西:Martin I, 1356年7月29日 - 1410年5月31日)は、アラゴン王、バレンシア王、およびバルセロナ伯(在位:1396年 - 1410年)。カタルーニャ語名ではマルティー1世(Martí I)。また、晩年にシチリア王位にもついた(マルティーノ2世(伊:Martino II)、在位:1409年 - 1410年)。アラゴン王ペドロ4世と3番目の王妃レオノール・デ・シシリア(シチリア王ピエトロ2世の娘)の次男。同名の息子に対して老マルティン(西:Martín el Viejo, 伊:Martino il Vecchio)と呼ばれる。またユマニスト王(西:el Humano, 伊:l'Umanista)と呼ばれる。.

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バルセロナ家

バルセロナ家(Casal de Barcelona、Casa di Barcellona、カスティーリャ語: Casa de Barcelona)は、アラゴン王国およびカタルーニャの君主の家系として中世に興った南ヨーロッパの王家。アラゴン家(Casal d'Aragó、Casa d'Aragona、Casa d'Aragón、カスティーリャ語: Casa de Aragón)とも呼ばれるが、この呼称は後継王朝となったアラゴン系トラスタマラ家や、ナポリ王国の王家となったその分枝にも用いられる場合がある。12世紀から15世紀初めまでの間にこの家系の支配が及んだ地域は、現在のスペイン東部、フランス南部、イタリア南部にまたがる。.

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レオノール・デ・シシリア

レオノール・デ・シシリア(Leonor de Sicilia, 1325年 - 1375年)は、アラゴン王ペドロ4世の3番目の王妃。父はシチリア王ピエトロ2世、母はケルンテン公オットー3世の娘エリザベッタ。イタリア語名ではエレオノーラ・ディ・シチリア(Eleonora di Sicilia)。 1349年にバレンシアで、同じバルセロナ家の又従兄に当たるペドロ4世と結婚し、3男1女をもうけた。.

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ブランカ1世 (ナバラ女王)

ブランカ1世(Blanca I, 1387年7月6日 - 1441年4月1日)は、ナバラ王国の女王(在位:1425年 - 1441年)。ナバラ王カルロス3世(シャルル3世、エヴルー伯)とカスティーリャ王エンリケ2世の娘レオノールの長女。フランス名ブランシュ(Blanche)、イタリア名ビアンカ(Bianca)。.

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ピエトロ2世 (シチリア王)

ピエトロ2世(Pietro II di Sicilia, 1305年7月 - 1342年8月15日)は、トリナクリア王(在位:1321年 - )、シチリア王(在位:1337年 - 1342年)。アラゴン家(バルセロナ家)に属するため、スペイン風にペドロ2世(Pedro II)と呼ばれることもある。フェデリーコ2世とナポリ王カルロ2世の娘エレオノーラの息子。 1321年に、父からトリナクリアの王位を委ねられた。実際にピエトロがシチリアを完全に統治下においたのは、父が死んだ1337年以後のことであった。 ヴェンティミリア家、パリッツィ家、キアラモンティ家、アンティオキア家などの勢力が知られている貴族と王家との強い対立は、ピエトロ2世の王国の特徴だった。いくつかの状況において、ピエトロ2世はこれらの家に立ち向かうことができず、大きな権力や国有地を彼等に譲ることを余儀なくされた。 ピエトロ2世は1342年8月15日に王国を長男のルドヴィーコに遺し、カラシベッタにて急死した。在位はわずか5年であった。そしてパレルモの大聖堂にある先祖フェデリーコ1世(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)の棺に埋葬された。.

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アラゴン王国

アラゴン王国(アラゴンおうこく、アラゴン語: カタルーニャ語: スペイン語:Reino de Aragón)は、中世後期のイベリア半島北東部、現在のスペインのアラゴン州に存在した王国。.

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アンジュー=シチリア家

アンジュー=シチリア家の紋章 アンジュー=シチリア家(仏:maison d'Anjou-Sicile)は、フランス王家であるカペー家の支流の一つで、アンジュー家と呼ばれる家系のうち第3のもの。カペー(家)系アンジュー家(仏:maison capétienne d'Anjou)などとも呼ばれる。.

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イタリア語

イタリア語(イタリアご)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語の1つで、おおよそ6千万人ほどが日常的に使用しており、そのほとんどがイタリアに住んでいる。後置修飾で、基本語順はSVO。イタリアは漢字で「伊太利亜」と表記することから、「伊太利亜語」を略記し伊語と称される。.

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エヴルー家

ヴルー家(仏:Maison d'Évreux, 西:Casa de Evreux)は、カペー家支流に属するフランスの貴族の家系。14世紀から15世紀前半にかけてナバラ王国の王家にもなった。.

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カリャリ

リャリ、カッリャリ(Cagliari )は、イタリア共和国のサルデーニャ島南部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約15万人の基礎自治体(コムーネ)。サルデーニャ自治州の州都であり、カリャリ県の県都でもある。カリアリとも表記される。 カリャリ湾に面したサルデーニャ最大の都市で、郊外コムーネを含めて人口約50万人の大都市圏を形成している。.

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カスペの妥協

王冠を授かるフェルナンド1世、プラド美術館蔵 カスペの妥協(スペイン語:Compromiso de Caspe、カタルーニャ語:Compromís de Casp)は、1412年にカスペで成立した、アラゴン王国、カタルーニャ君主国、バレンシア王国(これらはアラゴン連合王国を構成する)の各国代表による決議およびその合意内容のこと。これは1410年にバルセロナ家のアラゴン王マルティン1世が後継者を定めないまま没した後の空位を解消するためのもので、カスティーリャ王子であったトラスタマラ家のフェルナンド1世が後継者に選出された。.

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カタルーニャ語

タルーニャ語(カタルーニャご、català )はスペイン東部のカタルーニャ州に居住しているカタルーニャ人の言語。カタラン語ともいう。よく見られるカタロニア語という表記は地方名の英語名に由来する。インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する。 カタルーニャ地方のほか、バレンシア州、バレアレス諸島州、アラゴン州のカタルーニャ州との境界地域、南フランス・ルシヨン地方(北カタルーニャ)、イタリア・サルデーニャ州アルゲーロ市などに話者がいる。 アンドラ公国では公用語になっており、またスペインではガリシア語、バスク語と並んで地方公用語(カタルーニャ、バレンシア、バレアレス諸島各自治州)となっている。なお、バレンシア州は同地で話されているこの言語の地域変種の名称を「バレンシア語」と規定しており、このことは同州で話されているこの言語を、カタルーニャ語のバレンシア方言であるか、バレンシア語であるかと言う議論に発展した。また、.

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シチリア王国

チリア王国(シチリアおうこく、Regnum Siciliae, Regno di Sicilia)は、中世から近世にかけて、シチリア島やイタリア半島南部を支配した王国。現在は、その領域はほぼイタリア共和国領の一部となっている。.

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スペイン語

ペイン語(スペインご、)もしくはカスティーリャ語(カスティーリャご、)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語。略して西語とも書く。.

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サルデーニャ

ルデーニャ(Sardegna)は、イタリア半島西方、コルシカ島の南の地中海に位置するイタリア領の島。地中海ではシチリア島に次いで2番目に大きな島である。 周辺の島を含めて、サルデーニャ自治州を構成している。この州は、イタリアに5つある特別自治州のひとつである。州都はカリャリ(カリアリ)。.

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1374年

記載なし。

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1390年

記載なし。

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1409年

記載なし。

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7月25日

7月25日(しちがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から206日目(閏年では207日目)にあたり、年末まであと159日ある。誕生花はインパチェンス、スイセンノウ。.

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