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ポリュカルポス

索引 ポリュカルポス

ポリュカルポス ポリュカルポス(、69年頃 - 155年頃)は、2世紀のスミルナの主教(司教、監督)であった。彼は殉教者として死んだ。火刑にされたが、それでは死なず、刺し殺された。ポリュカルポスは、東方諸教会、正教会、ローマ・カトリック教会、聖公会、ルーテル教会で聖人である。日本正教会では中世以降のギリシア語と教会スラヴ語からポリカルプと転写される。 「彼は、ヨハネの弟子であった」と記録される。このヨハネは使徒ヨハネ、長老ヨハネ、福音記者ヨハネと同一視されている。 彼はローマのクレメンス、アンティオキアのイグナティオスと共に三人の使徒教父の一人である。彼の書いた「ピリピ教会への手紙」が残されている。 Category:教父 Category:使徒教父 Category:キリスト教神学者 Category:キリスト教の殉教者 Category:教会の監督 Category:司教 Category:正教会の主教 Category:非カルケドン派の聖人 Category:正教会の聖人 Category:カトリック教会の聖人 Category:聖公会の聖人 Category:ルーテル教会の聖人 Category:60年代生 Category:155年没.

23 関係: 司教主教使徒教父ヨハネ (使徒)ルーテル教会アンティオキアのイグナティオスイズミルカトリック教会ギリシア語クレメンス1世 (ローマ教皇)福音記者ヨハネ監督聖人聖公会長老ヨハネ東方諸教会正教会殉教者日本ハリストス正教会教会スラヴ語155年2世紀69年

司教

司教(しきょう、Episcopus, bishop)は、カトリック教会の位階の一つで、ある司教区(教区)を監督する聖務職のこと。 正教会や聖公会などではこれに相当するのは「主教」と呼び、福音主義(ルター派)教会やメソジストでは「監督」と呼ぶ。 なお、カトリック教会でも中国語・韓国語では訳語に「主教」を採用している(例:天主教台湾地区主教団)。.

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主教

主教(しゅきょう、Επίσκοπος, Episcopus, Bishop, Епископ)とは、正教会、聖公会における高位聖職者主教について、「最高位」(英語では"highest" もしくは"supreme")に類した表現を使用して居らず、「高位」(英語では"high")に当たる言葉も使っていないケースもあるが(、 )、一方で「最高位」 ("highest") を使用している文献もある。ここでは大辞泉での表現「高位」に拠った。。複数教会によって構成される教区を管轄する(大辞泉)正教会の出典:聖公会の出典:。 カトリック教会では司教と呼ばれる。「主教」は正教会に属する日本ハリストス正教会、および聖公会に属する日本聖公会などで用いられる訳語。なお朝鮮語および中国語では、カトリック教会の司教も「主教」である。ルーテル教会やメソジストでは監督と呼ばれる『キリスト教大事典』519頁、教文館、昭和48年9月30日 改訂新版第二版。 2世紀初頭には既に主教職があり現代に至っているが、教派ごとにその位置付けは異なる。.

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使徒教父

使徒教父(しときょうふ、Αποστολικοί Πατέρες, Patres Apostolici, Apostolic Fathers)は、1世紀末から2世紀前半にかけての、新約聖書に収められた文書以外の、主要な文書を執筆した者達の総称『キリスト教大事典 改訂新版』484頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版。 そのまま語義をとれば「使徒時代の教父」となるが、実際にはその執筆された文書群は使徒後時代に位置づけられる。「使徒教父」の術語の起源は近世(17世紀後半)にあり、コテリエ(J.B.Cotelier)が1672年に使徒教父の著作集を出版したのが嚆矢となっている。 使徒教父文書として以下が挙げられる。.

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ヨハネ (使徒)

使徒ヨハネ(しとヨハネ)は、新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。洗礼者ヨハネと区別するために特に「使徒ヨハネ」と呼んだり、ゼベダイの子ヨハネ、福音記者ヨハネと呼ぶこともある。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。 日本ハリストス正教会における呼称では教会スラヴ語から転写しイオアン。聖使徒福音者神学者イオアンとも呼ばれる。 正教会での記憶日は10月9日(修正ユリウス暦使用教会では9月26日)。カトリック教会での記念日は12月27日。.

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ルーテル教会

ルーテル教会(ルーテルきょうかい、, )は、マルティン・ルターによりドイツに始まる、キリスト教の教派または教団。ルター派(ルターは)とも呼ばれる。プロテスタントの一つであり、全世界に推定8260万人の信徒が存在する。発祥の地ドイツを始め、北欧諸国では国民の大半がルター派であり、そこから移民が渡った先のアメリカ合衆国、カナダ、ブラジル等の南アメリカ各国でも信徒数が多い。 パッヘルベル、J.S.バッハ、テレマン、メンデルスゾーンなど著名な音楽家が多く所属し、作曲家や音楽家に縁がある教会としても知られる。.

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アンティオキアのイグナティオス

アンティオキアのイグナティオス(35年頃 - 107年?永眠年について、「107年」とするものと、「98年から117年の間」とするものがある。在位年間も諸説ある。)は、アンティオキアの第2代主教(司教)プロテスタントの出典:『キリスト教大事典』74頁、教文館、昭和48年9月30日 改訂新版第二版当時はまだ総主教制は形成されていない。。正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人とされる。使徒教父の一人。 正教会では「神品致命者」という称号のほか、「捧神者」(ほうしんしゃ、Θεοφόρος, Богоносец)という称号を付されて呼ばれるΘεοφόρος(古典ギリシア語再建音:テオフォロス、現代ギリシア語転写:セオフォロス)につき、キリスト教大事典では「神を宿すもの」との訳をあてている。。イグナティウスと表記されることもある。.

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イズミル

イズミル(İzmir)は、エーゲ海に面するトルコ西部の都市。古くはスミュルナ(Smyrna, スミルナとも。ギリシア語でΣμυρνη)と呼ばれた。人口は約400万人(2012年時点)で、イスタンブールやアンカラに次ぐトルコ第3の都市である。イズミル県の県都。.

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カトリック教会

トリック教会(カトリックきょうかい、)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座に置くことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。.

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ギリシア語

リシア語(ギリシアご、現代ギリシア語: Ελληνικά, または Ελληνική γλώσσα )はインド・ヨーロッパ語族ヘレニック語派(ギリシア語派)に属する言語。単独でヘレニック語派(ギリシア語派)を形成する。ギリシア共和国やキプロス共和国、イスタンブールのギリシア人居住区などで使用されており、話者は約1200万人。また、ラテン語とともに学名や専門用語にも使用されている。省略形は希語。.

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クレメンス1世 (ローマ教皇)

レメンス1世(Papa Clemens I)もしくはローマのクレメンス(Clemens Romanus, Κλήμης Ρώμης, ? - 101年?)は、初代教会時代のローマ司教。のちにローマ教皇の第4代として列せられている(在位:91年? - 101年?)。英語名(Clement)からクレメントと呼ばれることもあり、また日本正教会では教会スラヴ語再建音からクリメントと転写される。 使徒教父の一人。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。カトリック教会での記念日は11月23日。正教会での記憶日は12月8日(修正ユリウス暦では11月25日)。 正教会では神品致命者ロマの「パパ」クリメント(ロマの「パパ」=ローマ教皇のこと、鍵括弧は原文ママ)として記憶される。.

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福音記者ヨハネ

福音記者ヨハネ(ふくいんきしゃヨハネ、John the Evangelist)はヨハネによる福音書の記者であるヨハネを指し、キリスト教では伝統的に使徒ヨハネ(ゼベダイの子)と同一視されてきた。使徒ヨハネの項を参照のこと。 しかし、高等批評の影響を受けた近代聖書学者で彼らが同一人物であると考える者は少ない。ヨハネ文書の項も参照のこと。.

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監督

監督(かんとく)とは、多くの事柄や人々・組織など見張ったり、指図をすることで取り締ることである。転じて、それらを行う人や組織のこともいう。.

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聖人

聖人(せいじん[漢音]、しょうにん[呉音])とは、一般的に、徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物のことをさす。主に特定の宗教・宗派の中での教祖や高弟、崇拝・崇敬対象となる過去の人物をさすことが多い。一般的な読み方は「聖人」(せいじん)であるが、仏教の場合は「聖人」(しょうにん)と読むことがある。.

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聖公会

聖公会(せいこうかい、Anglicanism, Anglican Church)は、イングランド国教会 (Church of England) の系統に属するキリスト教の教派。「聖公会」とは聖なる公同の教会(holy catholic church)という意味であり、1887年から日本で、その後中国でも用いられるようになった名称である。 聖公会は自らを、西方教会におけるカトリック教会とプロテスタントの中間として位置づけ、そのことから「中道(Via Media)」の教会であると自認している(系統概略図も参照)。 世界各地にある聖公会の諸教会の世界的連合を、アングリカン・コミュニオン (Anglican Communion)という。アングリカン・コミュニオンはイングランド国教会を母体とし、カンタベリー大主教の指導的地位を認めるが、裁治権はカンタベリー大主教にはない。聖公会の教会組織は、国家ごとに独立して自治を行う形態をとっている。.

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長老ヨハネ

長老ヨハネ(ちょうろうヨハネ)は、新約聖書中の『ヨハネの手紙二』、『ヨハネの手紙三』の冒頭で「長老のわたし」と名乗る、これらの手紙の差出人と目されることがある人物。『ヨハネの手紙一』にはこのような署名は無い。 4世紀の聖書学者ヒエロニムスらは、使徒ヨハネとは別人の長老ヨハネが『ヨハネの手紙二』と『ヨハネの手紙三』を書いたとの見解を示した。 しかし、これらいずれも使徒ヨハネによるとし、別人の長老ヨハネの存在を否定する説もある。.

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東方諸教会

東方諸教会(とうほうしょきょうかい、東方正統教会・東方キリスト教などとも)は、西ヨーロッパからみて東方に位置する地域で主に信仰されているキリスト教の諸教派のうち、正教会にもカトリック教会にも帰属しない教会の総称である。東方教会に分類される。 「東方諸教会」には、エフェソス公会議で既に分れた(つまり「非エフェソス」であって「非カルケドン」ではない)アッシリア東方教会が含まれる用例(この場合、非カルケドン派+アッシリア東方教会=東方諸教会)と、アッシリア東方教会を含まず非カルケドン派正教会と同義として扱う場合がある。 日本では東方正統教会等と呼んでいる事例がある。.

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正教会

Σημειώσεις από τις παραδόσεις τού καθηγητού Ι. Δ. Ζηζιούλαより)。 正教会(せいきょうかい、Ορθόδοξη Εκκλησία、Православие、Orthodox Church)は、ギリシャ正教もしくは東方正教会(とうほうせいきょうかい、Eastern Orthodox Church)とも呼ばれる、キリスト教の教会(教派)の一つ。 日本語の「正教」、英語名の"Orthodox"(オーソドックス)は、「正しい讃美」「正しい教え」を意味するギリシャ語のオルソドクシア "ορθοδοξία" に由来する。正教会は使徒継承を自認し、自身の歴史を1世紀の初代教会にさかのぼるとしている『正教会の手引き』8頁 - 11頁。 なお「東方教会」(とうほうきょうかい)が正教会を指している場合もある。 例外はあるものの、正教会の組織は国名もしくは地域名を冠した組織を各地に形成するのが基本である。コンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、エルサレム総主教庁、ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会、ギリシャ正教会、日本正教会などは個別の組織名であって教会全体の名ではない。いずれの地域別の教会組織も、正教として同じ信仰を有している。教会全体の名はあくまで正教会であり、「ロシア正教に改宗」「ルーマニア正教に改宗」といった表現は誤りである。 なお、アルメニア使徒教会、シリア正教会、コプト正教会、エチオピア正教会なども同じく「正教会」を名乗りその正統性を自覚しているが、上に述べたギリシャ正教とも呼ばれる正教会とは別の系統に属する。英語ではこれらの教会は"Oriental Orthodox Church"とも呼ばれる。詳細は非カルケドン派正教会を参照。.

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殉教者

殉教者(じゅんきょうしゃ).

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日本ハリストス正教会

函館ハリストス正教会復活聖堂 聖マトフェイ聖堂 日本ハリストス正教会(にほんハリストスせいきょうかい)は、キリスト教の教会。自治独立が認められている正教会所属教会のひとつである。ハリストスは「キリスト」の意(こうした独自の表記・翻訳については後述する)。英語表記は"Orthodox Church in Japan"である(略号はOCJ)。 通称・略称として日本正教会とも呼ばれる。1970年以前、自治正教会となっていなかったころにも、日本の正教会は日本人正教徒およびロシア人正教徒から「日本正教会」と呼ばれていた。 正教会は一カ国に一つの教会組織を置くことが原則だが(日本正教会以外の例としてはギリシャ正教会、ロシア正教会、ルーマニア正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉しているわけでは無く、同じ信仰を有している。 19世紀後半(明治時代)に、ロシア正教会の修道司祭聖ニコライ(のち初代日本大主教)によって正教の教えがもたらされ、これがその後の日本ハリストス正教会の設立につながった。聖ニコライによって建立されたニコライ堂(東京復活大聖堂)、函館の復活聖堂、豊橋の聖使徒福音記者マトフェイ聖堂は、国の重要文化財。 本項では日本ハリストス正教会で用いられている用語を断りなく用いることがある。.

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教会スラヴ語

教会スラヴ語は古代教会スラヴ語より後、11世紀~17世紀頃に東・南スラヴで用いられた文章語である。 古代教会スラヴ語を教会スラヴ語と呼ぶ場合があり注意が必要である。.

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155年

記載なし。

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2世紀

ャーナ朝の全盛期。カニシカ王の時代に現在のパキスタンにあるガンダーラで多くの仏像が作られた。画像は東京国立博物館蔵のガンダーラの仏像。 ティオティワカン。メキシコシティの北東50キロにある遺跡でこの当時新大陸で最大の宗教都市遺跡であった。1世紀から2世紀半ばまでをツァクアリ相と呼び、画像の「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」はこの時期に建設された。 「武氏祠画像石」。2世紀半ばに建てられた山東省嘉祥県の武宅山の麓にある豪族武氏一族の石祠の画像石。この時代の人々の世界観が表れている。 武威(甘粛省)は後漢後期に造営された雷台漢墓で有名である。画像は雷台漢墓から出土した銅奔馬で、その疾走する姿から「馬踏飛燕」の別名がある。 倭国大乱。この時代には大規模な環濠集落が形成され軍事的な緊張があったと考えられる。紀元前3世紀から紀元後3世紀まで継続した吉野ヶ里遺跡は環濠集落の遺跡の代表である。 五賢帝の2人目であるトラヤヌス帝の末年までにローマ帝国の領土は最大に拡がった。画像の記念柱はローマに建立されたものでドナウ川北岸のダキア人との戦いが詳細にレリーフに刻まれている。 五賢帝時代の終わり。五賢帝時代はローマ帝国の最盛期であり安定した統治が行われていたが、五賢帝最後のマルクス・アウレリウス帝の時代には帝国周辺の諸民族の動きが慌ただしくなってきた。画像は哲学者としても知られるマルクス・アウレリウス帝の騎馬像(カピトリーノ美術館蔵)。 繁栄する属州アエギュプトゥス。ローマ帝国の穀倉エジプトでは豊かな生活が営まれていた。ファイユームで発掘されたいわゆる「ミイラ肖像画」は多くの絵画作品が失われたこの時代の風俗の貴重な資料となっている。画像はルーヴル美術館蔵の女性のミイラ肖像画。 ミトラ教の隆盛。ローマ帝国には多くの宗教が混在していたが、イラン起源のミトラ教は軍人などから広範囲に広がった。画像はサンタ・マリア・カプア・ヴェーテレのミトラ教神殿壁画で牡牛を屠る姿のミトラ神が描かれている。 2世紀(にせいき)とは、西暦101年から西暦200年までの100年間を指す世紀。.

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69年

記載なし。

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