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ポチテカ

索引 ポチテカ

ポチテカ(Pochteca)は、アステカに存在した交易者。武装した隊商による長距離交易を行い、アステカの中心部であるメキシコ高地から、低地にあるプトゥン人の交易港であるや、カカオ産地のなどへ旅をした。 ポチテカは、地域市場の小売人とは異なり世襲制のギルドを組織し、メシコの首都テノチティトランや商都を中心に12のギルドが存在した。集団内部でも職務が分かれており、アステカの領外で活動する者、奴隷を扱う者、領主たちの財を交換する者などがいた。異国の情報を集めるための諜報活動を行う者もおり、彼らが危害をこうむると戦争の口実とされた。こうしてポチテカはアステカによる征服を後押しした。 交易では貴重品を扱い、飲食や貨幣に用いるカカオ、装飾に用いるケツァールをはじめとする鳥の羽根、ジャガーの皮、金、トルコ石、翡翠、琥珀などの貴金属や宝石などがある。会員がギルド内で昇進するには、仲間の商人を招いて宴会を主催することが義務となっていた。戦士などと並んで、チョコレート飲料をはじめとするカカオの消費を許された階級でもあった。.

20 関係: 交易港人間の経済マイケル・D・コウチョコレートプトゥン人テノチティトランベルナルディーノ・デ・サアグンアンソロジー新世界の挑戦アステカカール・ポランニーカカオケツァールソフィー・D・コウ商人国立民族学博物館玉野井芳郎非市場経済染田秀藤栗本慎一郎樋口幸子

交易港

交易港(こうえきこう、port of trade)は、交易の形態。共同体の外部との交渉を行なう制度であり、物理的な場所でもある。 交易港は、国際市場が成立する以前の普遍的な交易制度とされる。地理的には、海岸、砂漠、河口、平原と山岳など生態学的に異なる地域の境界に多く、内陸にも存在する。交易港が生まれる理由としては、経済的行政管理の必要、政治的中立性の維持、輸送の便の3つがあげられる。取引は市場メカニズムによる価格競争を通してではなく、行政管理的に処理される。 交易港での交易は、沈黙交易よりも大規模なものとされる。沈黙交易は2つの共同体が参加するものだったが、交易港には多数の共同体が参加できる。政治的中立性が重要とされ、敵国人の安全を保証する場合もある。たとえばマンプルシの首長アタビアは、首都ガンバガが交易で栄えると遷都して、ガンバガを自治にゆだねたとされる。一方、交易港を政治的に支配しようとした場合は衰退することがあり、エルナン・コルテスがアカランを支配しようとした事例がそれにあたる。 共同体は、交易港を分離して扱い、外部からの影響が及ぼないようにする。こうした特徴のため共同体の内部とは異なる貨幣(対外貨幣)が用いられ、専門の対外交易者が参加する。対外交易者としては、メソポタミアのタムカルム、古代ギリシアのエンポロス、アステカのポチテカなどが知られている。 交易港の中には、ルーアンやドレスタットのように国際的な市場の近くに地域の市場が開かれている土地もあった。そのような場合は、国際市場と地域市場とは空間が区別されていた。.

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人間の経済

『人間の経済』 (にんげんのけいざい、The Livelihood of Man) は、ハンガリー出身の経済学者カール・ポランニーの遺著である経済史、経済人類学の書籍。.

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マイケル・D・コウ

マイケル・ダグラス・コウ(Michael Douglas Coe、1929年5月14日 - )は、アメリカ合衆国の考古学者、人類学者、碑文研究者。マヤ文明やオルメカ文明の研究で知られ、『古代マヤ文明』『マヤ文字解読』などの著書がある。 兄のウィリアム・ロバートソン・コウ2世(1926-2009)も考古学者・古代マヤ研究者で、ペンシルベニア大学考古学・人類学博物館員であり、ティカルの大規模発掘で知られる。.

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チョコレート

チョコレート チョコレート(chocolate )は、カカオの種子を発酵・焙煎したカカオマスを主原料とし、これに砂糖、ココアバター、粉乳などを混ぜて練り固めた食品である。略してチョコともいう。ショコラ(chocolat)と呼ばれることもある。 近年の工業生産チョコレートでは、カカオマス、砂糖、ココアバター、粉乳といった主要材料以外に、原料コスト削減や加工性 を上げる目的で植物性の油脂などを加えたり、加工コスト削減の目的で乳化剤などを加えたり、風味の向上の目的で香料や甘味料などを加えるなど、様々な添加物が配合されることも多い。.

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プトゥン人

プトゥン人(プトゥンじん、チョンタル人、チョンタル・マヤ)とは、主に後古典期のメソアメリカにおいて、カンペチェ湾岸地方に住むチョンタル語を話す遠距離交易商人として知られていた人々のことをいう。ジェフ・コワルスキー(J.K.Kowalski)は、もっと具体的にメキシコ、タバスコ州のチョンタルパ地方およびカンペチェ州北西部のカンデラリア川流域に住むチョンタル語を話す組織化された遠距離交易商人としている。プトゥンという語は、ユカテコ語で、「プトゥンの言葉」という意味の「プトゥン・ザン(Putun than)」に由来し、タバスコ州のアカラン地方に住むチョンタル語を話す人々のことを指していた。アカランとは、ナワトル語で「カヌーのある場所」という意味で、具体的にはカンデラリア川の上流に沿った地域を指し、プトゥン人の政治的な力が最も強かったことで知られていた。アカラン地方のプトゥン人は、自分たちの住んでいる場所をタマクトゥンと呼び、「マクトゥンの男たち」ないし「マクトゥンの人々」という意味のアマクトゥンないしマクトゥン・ウニコブと自称していた。 プトゥン人は、メキシコ湾岸、テルミノス湖の西端にある重要な交易港であったから、カンペチェ州南部、ユカタン半島を海岸沿いにめぐって、コスメル島を経由して南下し、イサバル湖の近くにある交易で繁栄した町ニトに至り、ホンジュラスのスーラ平原にまで至るまでの海上交易路を用いて繁栄した。その一方で、メキシコ湾岸からユカタン半島を横切る陸路や河川を用いた交易路でマヤ地域と他のメソアメリカ地域を結び付ける役割も果たす商人集団もいた。 プトゥン人がユカタン半島周辺のみならず、メキシコ中央高原にまで進出していた証拠として、マイケル・コウは、カカシュトラの壁画を挙げる。カカシュトラは、アステカ人によってシカランゴを本拠とする「オルメカ・シカランカ」もしくは「歴史的オルメカ人」と呼ばれた人々による祭祀センターであるとされており、その壁画には、マヤ的な服装で、儀仗をもつ人物が描かれ、コウによるとセイバルの石碑の人物像と図像的に同じ様式である、とする。.

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テノチティトラン

アステカ文字表記 テノチティトラン(Tenochtitlan、: Tenōchtitlan )は、アステカの首都。最盛期には人口は約30万人であったと伝えられる。テスココ湖の島上に建設された。現在のメキシコシティに相当する。テノチティトランはナワトル語で「石のように硬いサボテン」を意味する。.

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ベルナルディーノ・デ・サアグン

ベルナルディーノ・デ・サアグン(Bernardino de Sahagún、1499年? - 1590年10月23日)は、スペインのフランシスコ会修道士。メキシコで60年以上にわたってキリスト教の宣教活動を行い、ナワトル語とスペイン語の2言語による百科全書的な絵文書『ヌエバ・エスパーニャ概史』を編纂した。.

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アンソロジー新世界の挑戦

アンソロジー新世界の挑戦(アンソロジーしんせかいのちょうせん)は1992年から1995年にかけて岩波書店から刊行された叢書である。全13巻。 大航海時代叢書(合計42巻)の完結(1992年9月)の完結を目前にして企画され刊行が開始された。先行の大航海時代叢書では、当時のヨーロッパ人の眼に非ヨーロッパの世界がどのように映り、記録されたかに主眼をおいて書目が選ばれたのに対し、本叢書はコロンブスが創めた「世界の一体化」という事業に対し「新世界」がどのように挑戦し、旧世界(ヨーロッパ)の側がどのように受けて立ったかをテーマとした文献が選ばれ、翻訳されており、同時代のユマニストなど、ヨーロッパにおける思想・思潮の動向にも注意が払われている。第1回配本は第1巻『裁かれるコロンブス』(1992年5月刊)で、最終回配本は第8巻『インディオは人間か』であった。大航海時代叢書と同様、大半の文献が日本初訳である。.

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アステカ

アステカ(Azteca、: Aztēcah)とは1428年頃から1521年までの約95年間北米のメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家。メシカ(古典ナワトル語: mēxihcah )、アコルワ、の3集団の同盟によって支配され、時とともにメシカがその中心となった。言語は古典ナワトル語(ナワトル語)。.

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カール・ポランニー

ール・ポランニー(Polányi károly ポラーニ・カーロイ、、1886年10月21日 - 1964年4月23日)は、ウィーン出身の経済学者。経済史の研究を基礎として、経済人類学の理論を構築した。日本語での表記には、カール・ポラニーなどがある。ハンガリー人は姓を先に表記するのでハンガリー語の表記はポラーニ・カーロイである。出生時の名前はPollacsek Károly. ポッラチェク・カーロイ。.

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カカオ

(学名:Theobroma cacao)は、アオイ科(クロンキスト体系や新エングラー体系ではアオギリ科)の常緑樹である。カカオノキ、ココアノキとも呼ばれる。学名の Theobroma はギリシャ語で「神 (theos)の食べ物 (broma)」を意味する。.

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ケツァール

ツァール (スペイン語・英語 quetzal、ナワトル語 quetzalli) は、鳥類キヌバネドリ科の一種である。学名 。カザリキヌバネドリの和名もある。 鮮やかな色彩をもつ美しい鳥として知られている。.

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ソフィー・D・コウ

フィー・ドブジャンスキー・コウ(Sophie Dobzhansky Coe、1933年 - 1994年)は、アメリカ合衆国の人類学者、食物史研究家。父は遺伝学・進化生物学者のテオドシウス・ドブジャンスキー。夫は人類学者でメソアメリカ研究者のマイケル・D・コウ。 ラドクリフ・カレッジを卒業後、1964年にハーバード大学で博士号を取得した。 ソ連のユーリー・クノロゾフによるマヤ文字の表音的な解読方法をコウ夫妻は早くから評価していた。ソフィー・コウは1958年にクノロゾフによる自説の要約を翻訳・紹介した。また、1963年のクノロゾフの著書を抄訳して1967年に出版した。これによってクノロゾフの説が西側でも広く知られるようになった。 先スペイン期のアメリカ先住民の食生活を研究し、雑誌「料理の話」に寄稿、オクスフォードの食と調理法のシンポジウムで研究発表を行う。1994年5月、癌で死去。執筆中だった『チョコレートの歴史』は、夫であるマイケルの手で完成された。.

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商人

商人(しょうにん、しょうひと、あきびと、あきんど、あきゅうど).

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国立民族学博物館

渋沢敬三 前庭のトーテムポール 国立民族学博物館(こくりつみんぞくがくはくぶつかん、National Museum of Ethnology)は、人間文化研究機構を構成する大学共同利用機関である。民族学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っている、博物館を持った研究所である。略称は民博(みんぱく)。大阪府吹田市の万博記念公園にある。現在、総合研究大学院大学のも設置されている。根拠法は、国立大学法人法第2条の3項・4項。 機構長は平川南。館長は吉田憲司。.

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玉野井芳郎

玉野井 芳郎(たまのい よしろう、1918年1月23日 - 1985年10月18日)は、日本の経済学者。東京大学教養学部名誉教授。経済学博士。正四位、勲三等旭日中綬章。弟に発生学の専門家、千葉大学名誉教授の玉野井逸朗がいる。経済学者大河内一男の弟子の一人。.

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非市場経済

非市場経済(Non-market economics)は、経済の形態のひとつ。市場メカニズム以外による経済を指す。非市場経済による社会を非市場社会と呼ぶ。.

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染田秀藤

染田 秀藤(そめだ ひでふじ、1944年12月 - )は、日本の歴史学者、ラテンアメリカ史学者、大阪大学名誉教授。.

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栗本慎一郎

栗本 慎一郎(くりもと しんいちろう、1941年(昭和16年)11月23日 - )は、日本の経済人類学研究者、法社会学研究者、評論家、元有明教育芸術短期大学学長、国会議員経験者(衆議院2期)、元経済企画庁政務次官、有限会社大学総合研究所理事長、健康食品開発者、弁護士登録有資格者。朝日新聞の書評委員を務めたこともある。.

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樋口幸子

樋口 幸子(ひぐち さちこ)はフリーアナウンサー(元新潟総合テレビアナウンサー)。新潟県西蒲原郡分水町(現在は燕市)出身。 NSTの特別番組等でフリー、リポーターとして活動。.

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