ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

ポタラ宮

索引 ポタラ宮

ポタラ宮(、布達拉宮)は1642年、チベット政府「ガンデンポタン」の成立後、その本拠地としてチベットの中心地ラサのマルポリの丘の上に十数年をかけて建設された宮殿。.

41 関係: お化け博物館吐蕃世界遺産世界遺産の一覧 (アジア)人民元ノルブリンカチベットチベット仏教チベット動乱チベット民族ラサラサのポタラ宮の歴史的遺跡群トゥルナン寺パスポートデプン寺ダライ・ラマ13世ダライ・ラマ14世ダライ・ラマ5世インドオーストリアガンデンポタングーシ・ハーンソンツェン・ガンポサルサンスクリットサソリやかん国際連合教育科学文化機関火鉢補陀落観音菩薩漢民族1642年1950年代1959年1994年2000年2001年7世紀

お化け

新形三十六怪選『おもゐつづら』 お化け(おばけ)とは、本来あるべき姿や生るべき姿から大きく逸脱し、変化(へんか)した姿のこと。「変化(へんげ)」や「化け」、「化け物」、「大化け」ともいう。化けて生ることから「化生(けしょう)」とも呼ばれる。.

新しい!!: ポタラ宮とお化け · 続きを見る »

博物館

大英博物館(イギリス、ロンドン) エジプト考古学博物館(エジプト、カイロ) エルミタージュ美術館(ロシア、サンクトペテルブルク) 博物館(はくぶつかん)とは、特定の分野に対して価値のある事物、学術資料、美術品等を購入・寄託・寄贈などの手段で収集、保存し、それらについて専属の職員(学芸員、キュレーターなど)が研究すると同時に、来訪者に展示の形で開示している施設である。 ミュージアム(museum、)と英語風に呼ぶこともある。 多くは自然史・歴史・民族・美術・科学・技術・交通・海事・航空・軍事・平和など、ある分野を中心に構成され、収集された資料に基づく研究成果を公刊すると同時に、来訪者がその分野について幅広く知識を吸収できるように工夫されている。.

新しい!!: ポタラ宮と博物館 · 続きを見る »

吐蕃

吐蕃(とばん、拼音:TŭbōまたはTŭfān、チベット語:、ワイリー転写:Bod chen po)は、7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国。.

新しい!!: ポタラ宮と吐蕃 · 続きを見る »

世界遺産

世界遺産(せかいいさん、World Heritage Site)は、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リスト(世界遺産一覧表)に登録された、文化財、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産が対象となっている。なお、慣例的な用法として、その中の文化遺産を世界文化遺産、自然遺産を世界自然遺産と呼ぶことがある。 なお、世界遺産の制度では正式な文書は英語とフランス語で示され、日本語文献では英語が併記されることがしばしばある一方、フランス語が併記されることは普通ないため、以下では参照しやすさを考慮して、などに依拠して、主たる用語には英語を併記しておく。.

新しい!!: ポタラ宮と世界遺産 · 続きを見る »

世界遺産の一覧 (アジア)

世界遺産の一覧 (アジア)(せかいいさんのいちらん (アジア))は、アジアにおける世界遺産の一覧である。なお、世界遺産センターの区分では、オセアニア諸国の世界遺産とまとめて「アジア・太平洋」と分類されている。ただし、以下のうち、アゼルバイジャンとイスラエルは「ヨーロッパ・北アメリカ」に、アラブ首長国連邦、イエメン、イラク、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、シリア、バーレーン、パレスチナ、ヨルダン、レバノンは「アラブ諸国」にそれぞれ分類されており、「アジア・太平洋」枠には含まれていない。また、「エルサレム」は国別に行われている地域区分の対象外である。 なお、危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リスト登録に関する情報は、第41回世界遺産委員会(2017年)で決議されたものまでを含む。.

新しい!!: ポタラ宮と世界遺産の一覧 (アジア) · 続きを見る »

人民元

人民元(じんみんげん)は、中華人民共和国の中央銀行である中国人民銀行が発行している通貨である人民幣(じんみんへい、人民币、、レンミンビィ)のことである張(2012年)40ページ。略号はRMB、またはISO 4217での通貨コードのCNY。通貨数量の前に¥(円記号)を用いる。なお、香港とマカオでは、それぞれ独自の通貨単位である香港ドルおよびマカオ・パタカが発行されている。.

新しい!!: ポタラ宮と人民元 · 続きを見る »

ノルブリンカ

ノルブリンカ(チベット語:ནོར་བུ་གླིང་ཀ་;ワイリー方式:nor bu gling ka, 中国語:罗布林卡公园)は、中国・チベット自治区の首府ラサにある離宮とその庭園。ダライ・ラマ7世によって1755年より建設され、1950年代に中華人民共和国に接収されるまで夏期の離宮として機能した。敷地全体が現在では公園になっており、ラサの人々の憩いの場になっている。ラサ中心地にあるポタラ宮から西へ約3キロ。総面積約36万平米。 「ノルブリンカ」は宝(ノルブ)の庭(リンカ)という意味である。 園内には歴代のダライ・ラマがそれぞれの建物を建造した。ダライ・ラマ14世の住居として1954年に建てられた「タクテン・ポタン」は二階建ての豪奢な建物で、当時の家具やラジオ、レコードプレーヤーなどが残されている。他には、「チェンセル・ポタン(ダライ・ラマ13世の離宮)」、「ツォキル・ポタン(湖中楼)」、「ケルサン・ポタン(ダライ・ラマ8世の離宮)」、13世の図書館、博物館、動物園などがある。 2001年にはラサのポタラ宮の歴史的遺跡群の一部としてユネスコ世界遺産に追加された。 毎年8月にはチベット仏教の最大の祭りである「ショトゥン祭(ヨーグルト祭、夏安居明け祭り)」があり、この時期はノルブリンカでチベタン・オペラ(アチェ・ラモ)がチベット各地から集まった劇団により行われる。特にこの時期はピクニックをするチベット人で賑わう。 1959年3月に中華人民共和国の人民解放軍がラサに入った際、ダライ・ラマ14世が密かに脱出し、難を逃れたが、その際の脱出の舞台になった王宮がここである。.

新しい!!: ポタラ宮とノルブリンカ · 続きを見る »

チベット

チベットの旗(雪山獅子旗) チベット(英語:Tibet,,,, )は、東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。.

新しい!!: ポタラ宮とチベット · 続きを見る »

チベット仏教

チベット仏教(チベットぶっきょう)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。チベット仏教は、根本説一切有部律の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上ヨーガ・タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が保存されていることが特徴である。 ラマと呼ばれる高僧、特に化身ラマを尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、ややもすると、仏教とは異質な宗教と見なす向きもあったが、その実態が一般の認識を得るにつれ、ラマ教という呼称は不適切だとして、現在では使用されなくなっている。.

新しい!!: ポタラ宮とチベット仏教 · 続きを見る »

チベット動乱

観点.

新しい!!: ポタラ宮とチベット動乱 · 続きを見る »

チベット民族

ダライ・ラマ14世 チベット民族(チベットみんぞく、Tibetan peopleまたはTibetans)は、ユーラシア大陸中央部のチベット高原上に分布する民族。チベット語を話す。人種的にはモンゴロイドに属する。.

新しい!!: ポタラ宮とチベット民族 · 続きを見る »

ラサ

ラサ(,lha sa)は吐蕃時代の7世紀に成立したチベットの古都。吐蕃時代(7世紀 - 842年)やダライ・ラマ政権時代(1642年 - 1959年)に政権の本拠地がおかれて政治的中枢となり、また政権の変遷をこえて文化的中枢でありつづけた。チベット、モンゴル、満州などの諸民族から構成されるチベット仏教文化圏の中枢でもある。 トゥルナン寺のチョカン(本殿)をとりまくナンコル、トゥルナン寺の境内をとりまくパルコル、パルコルを東の中心、ポタラ宮があるマルポリの丘・薬王山チャクポリを西の中心とする楕円状をなすリンコルの、三重の環状巡礼路をメインストリートとし、ダライ・ラマ政権の末期には、古都ラサの市長「ミプン」はリンコルの内部を管轄していた。 1960年、中国政府により、古都ラサと郊外、ウー地方北部諸県を領域とする地級市拉薩市(ラサ市)が設置された。 中国の統治下で、リンコルの西縁をはさんでマルポリ・チャクポリの周辺に新市街が開発された。 表記はチベット語:ལྷ་ས་ ワイリー方式:lha sa/蔵文ピンイン:Lhasa、中国語簡体字:拉萨/繁体字:拉薩、英語:Lhasa。.

新しい!!: ポタラ宮とラサ · 続きを見る »

ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群

ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群(らさ の ぽたらきゅう の れきしてきいせきぐん)は、中国、西蔵自治区、ラサにあるポタラ宮とその周辺の建造物のユネスコの世界遺産(文化遺産)としての総称である。.

新しい!!: ポタラ宮とラサのポタラ宮の歴史的遺跡群 · 続きを見る »

トゥルナン寺

トゥルナン寺(トゥルナンじ)は、中華人民共和国チベット自治区の首府ラサにあるチベット仏教の寺院である。中国名は大昭寺。一般的には本堂に相当する部分の名称であるジョカンと呼ばれることが多い。また、本堂という意味のツクラカンをつけて、トゥルナン・ツクラカンと呼ばれることもある。 正門前では、五体投地で祈る熱心なチベット仏教徒を多く見ることができる。 内部には多くのマニ車を備えた回廊があり、コルラすることが出来る。 本尊は、ソンツェン・ガンポに嫁した唐の玄宗皇帝の娘、文成公主が中国から持参したとされる釈迦牟尼像である。.

新しい!!: ポタラ宮とトゥルナン寺 · 続きを見る »

パスポート

日本国旅券(10年間有効) パスポート(passeport.

新しい!!: ポタラ宮とパスポート · 続きを見る »

デプン寺

デプン寺(チベット語:འབྲས་སྤུངས་དགོན་པ'bras-spungs dgon-pa)はガンデン寺とセラ寺と共にチベット仏教ゲルク派の3大寺院の1つ。正式名称は、チューデナムキツォボ・ペルデンデプン・チョータムチェレーナムパルギャルワ(chos sde rnams kyi gtso bo dpal ldan 'bras spungs phyogs thams cad las rnam par rgyal ba)。漢字表記は「哲蚌寺」。 チベットの寺で最大で、最盛期には世界中のどの宗教の寺院・僧院よりも大きかった。1416年にゲルク派の開祖ツォンカパの直弟子ジャムヤンチュージェ・タシーパルデンの弟子ケンチェン・レクデンパの発願で開基された。ラサの西郊5kmのガンポ・ウツェ山の下に位置する。 この寺の「兜卒殿(ガンデンポタン)」は、スーナム・ギャツォが1578年にダライラマの称号をモンゴルの首長アルタン・ハーンより受けてから、17世紀にチベットの元首となったダライ・ラマ5世がポタラ宮へ居を移すまで、歴代のダライラマの拠点であり、1642年に発足したダライラマ政権のチベット政府の固有名詞「諸方に勝利せるガンデンポタン」は、この殿舎に由来する。 化身ラマの名跡「ダライラマ」は、五世の時、1642年を境に、「他の名跡と交代で本寺やセラ寺の座主に就くゲルク派の有力名跡のひとつ」から「宗派を超えたチベット仏教最高の宗教的権威」へと位置づけをかえたが、その後も歴代ダライラマはデプン寺で修行を積んだ。 1959年のチベット侵攻以前にはこの寺には15000人もの修行僧があった。 中国の侵攻や文化大革命の中で伽藍は破壊され、僧侶たちも数多く殺害、拘束、追放された。 寺院組織と僧のほとんどは亡命し、南インドカルナータカ州のムンゴッド(Mundgod)のチベット人居留地に本殿・僧坊を再建、5,000人を越える修行僧を擁して活動している。 1980年代以降、チベットに残留した人々によって堂于の一部が修復され、細々と宗教活動を再開しているが、中国政府の弾圧により、現在チベットに住むこの寺の僧は数百人に満たない。そのためほとんど巡礼地や観光地としての役割しか果たしておらず、かつての様な修行の場は取り戻せていない。.

新しい!!: ポタラ宮とデプン寺 · 続きを見る »

ダライ・ラマ13世

ダライ・ラマ13世(1876年2月12日 - 1933年12月17日)は、第13代のダライ・ラマ。法名をトゥプテン・ギャツォと言う。1878年に、ダライラマの生まれ変わりと認定された。 当時のチベットは大清帝国と大英帝国とロシア帝国の渦中に巻き込まれていた。後年フィンランド大統領となるカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムは、モンゴルへの旅の途中で13世に謁見しているが、その際13世はイギリスに対して懐疑的な一方でロシアへの関係樹立には興味を示していたという。しかし1904年にイギリスは軍隊を派遣して、チベットの中心都市ラサに駐留。ラサ条約に調印するが、清がチベットへの主権を主張して対立。13世は北京に避難し清朝廷の庇護下に入るが、1908年にラサへ帰還した。 1910年に今度は清軍が、イギリスの影響を排除するためとしてチベットに侵攻。13世はシッキム、ネパールと転々としインドに向かった。清は13世の廃位を宣言するが、1911年の辛亥革命により清は滅亡。しかしその後も清軍の勢力が残り、チベットの民族政権が清軍を駆逐するには1912年までかかった。清に代わった中華民国は13世の地位を保証したため、1913年1月にラサへ帰還。1914年に英国とシムラ条約と締結する一方で、インド亡命中から近代化に着手した。欧米の議院内閣制に倣ってカシャグ(民会)を基盤として大臣を選出するシステムを確立し、郵便切手や紙幣の発行・西洋式病院の設置などを行った。また今日広く使われているチベット旗を正式に定めている。.

新しい!!: ポタラ宮とダライ・ラマ13世 · 続きを見る »

ダライ・ラマ14世

ダライ・ラマ14世(1935年7月6日(チベット暦5月6日) - 、在位1940年 - )は、第14代のダライ・ラマである。法名はテンジン・ギャツォ()。 1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定され、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に就いていたが、1959年にインドへ亡命して政治難民となり、インドのダラムサラに樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めている。亡命後は、法的には領する国土をもたない亡命政権の長という地位にありながら、世界中にちらばるチベット民族に対して政教両面において指導的立場にある人物と目されている。また、欧米でもチベット仏教に関心のある人や複数の著名人の支持を得、ノーベル平和賞を受賞したことでその国際的影響力はさらなる広がりを見せており、中国は別として世界的にはチベットの政治と宗教を象徴する人物とみなされるようになった。2011年には、自身の政治的権限を委譲したいという意向を表明し、政府の長から引退することになった。これを承けた亡命チベット人憲章改定案では「チベット国民の守護者にして保護者であり、チベット人のアイデンティティと統合の象徴である」と規定され、ダライ・ラマがチベットの政教両面の権威者の座に即くというダライ・ラマ5世以来の伝統を終わらせることになった。 世界的に著名な仏教指導者の一人であり、チベット仏教のゲルク派において最高位の仏教博士号(ゲシェ・ラランパ)を持つ僧侶である。歴史上のダライ・ラマはゲルク派の正式な長ではなく、ゲルク派の教勢が伸長して他派との摩擦が生じた時代に事実上の最高指導者となった学僧ゲンドゥン・ギャムツォ、そしてその転生者に認定されたスーナム・ギャムツォに始まる、ゲルク派の統合の象徴とされた転生系譜であったが、1642年以降(ダライラマ五世の時代)、モンゴルなどを含むチベット仏教圏に影響力をもつ宗教的権威とチベットを統べる政治的権威とを兼ね備えた地位となった。一方、現在のダライ・ラマである14世は亡命後にチベット人全体の政教両面の指導者とみなされるようになったが、この事態はそれまでのダライ・ラマとは異なり、ある種の政治的事情が背景にあるという意見もある(#チベット仏教内の関係参照)。また、本人は「自分は一介の比丘にすぎない」と語ることが多い。世俗的な称号としては、パリ名誉市民「ダライラマ14世を名誉市民に」『朝日新聞』2008年4月22日夕刊2頁参照。、名誉博士(ニューヨーク州立大学バッファロー校)などがある。.

新しい!!: ポタラ宮とダライ・ラマ14世 · 続きを見る »

ダライ・ラマ5世

ダライ・ラマ5世(1617年 - 1682年)は、第5代のダライ・ラマで、法名をロサン・ギャツォ (Lozang Gyatso) という。ダライ・ラマ5世は1645年にポタラ宮の建設を始めた。ポタラ宮は50年余りを費やしてダライ・ラマ5世没後の1695年に完成した。現在のポタラ宮には観世音菩薩の化身としてダライ・ラマ5世が祀られている。 ダライ・ラマ5世は1642年に権力を掌握してから40年にわたってチベットの行政と宗教を支え、「偉大なる5世(ガパ・チェンポ)」と呼ばれたムリン:2006。.

新しい!!: ポタラ宮とダライ・ラマ5世 · 続きを見る »

インド

インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.

新しい!!: ポタラ宮とインド · 続きを見る »

オーストリア

ーストリア共和国(オーストリアきょうわこく、、バイエルン語: )、通称オーストリアは、ヨーロッパの連邦共和制国家。首都は音楽の都といわれたウィーン。 ドイツの南方、中部ヨーロッパの内陸に位置し、西側はリヒテンシュタイン、スイスと、南はイタリアとスロベニア、東はハンガリーとスロバキア、北はドイツとチェコと隣接する。基本的には中欧とされるが、歴史的には西欧や東欧に分類されたこともある。.

新しい!!: ポタラ宮とオーストリア · 続きを見る »

ガンデンポタン

ンデンポタンは、ダライ・ラマを長とし、ラサを本拠として1642年に成立したチベットの政府。1959年、チベット動乱の際、ダライ・ラマとともにインドに脱出、現在はチベット亡命政府として十数万人からなるチベット難民組織の頂点に位置する。.

新しい!!: ポタラ宮とガンデンポタン · 続きを見る »

グーシ・ハーン

ーシ・ハーン グーシ・ハーン(Güsi Qaγan, 中国語:顧實汗/固始汗, 現代モンゴル語:Гүүш-Хаан、1582年 - 1654年)、別名グシリ・ハーン、本名トゥルバイフ(オイラト語: Töröbaikhu, ハルハ語(現代モンゴル語): Төрбайхトゥルバエフ)は、17世紀中頃のオイラト八部のひとつホシュート部の部族長。チベットに遠征し、ダライ・ラマの権威の下にグシ・ハン王朝を樹立した。資料によってはグシ・ハン、グシ・ハーンとも表記される。.

新しい!!: ポタラ宮とグーシ・ハーン · 続きを見る »

ソンツェン・ガンポ

ンツェン・ガンポ(チベット語:、ワイリー方式: 、581年山口『チベット』下、27頁? - 649年もしくは650年デエ『チベット史』、46頁)は、古代チベットの王(在位593年 - 638年、643年 - 649年もしくは650年)。チベット初の統一王国(吐蕃)を樹立し、チベットに初めて仏教を導入した人物として知られる。本名はティ・ソンツェン(、)であり、ソンツェン・ガンポは後世の人間による尊称である佐藤「ソンツェンガンポ」『世界伝記大事典 世界編』5巻、502-503頁。漢文史料では松賛干布、棄宗弄讃と表記される。 宰相のガル・トンツェン(ガル・トンツェンユルスン)の補佐を受けてチベット高原の大部分を支配下に置き、吐谷渾、パイラン(白蘭)、タングートなどの周辺の部族に勝利を収める。640年ごろまでに吐蕃は、北東はツァイダム地方、東は松州、西はラダック、南はヒマラヤ山脈に支配領域を広げた。 彼の事績は早い時代から伝説化され、転輪王にも擬せられた。.

新しい!!: ポタラ宮とソンツェン・ガンポ · 続きを見る »

サル

ニホンザル 日本語におけるサル(猿)とは、通俗的な意味ではサル目(霊長目)のうち、ヒト(古人類を含む)を除いたもののことである。ただし、生物学的観点から見ればヒトもまた「サル」の一種に他ならない。 日本の歴史的文献においては、単に猿といえば日本固有種のニホンザルを指す場合が多い。 一方、英語のmonkey(モンキー)や、いくつかの言語での相当する語は、学術的な定義上はオナガザル科(旧世界猿、old world monkey)と広鼻猿(新世界猿、new world monkey)の総称である。つまり、サルのうち原猿(曲鼻猿とメガネザル)と類人猿を含まない(メガネザルは分類学上の地位が不安定だが、それとは関係なくmonkeyには含めない)。そのため日本語でも、特に翻訳文献で、サルにこれら(特にヒトに最も近いチンパンジー)を含めないことがある。.

新しい!!: ポタラ宮とサル · 続きを見る »

サンスクリット

Bhujimolという書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉)。 サンスクリット(संस्कृत、saṃskṛta、Sanskrit)は、古代インド・アーリア語に属する言語。インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語。文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられた。ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、母語話者は少ないが、現代インドの22の公用語の1つである。 サンスクリットは「完成された・洗練された(言語、雅語)」を意味する。言語であることを示すべく日本ではサンスクリット語とも呼ばれる。 漢字表記の梵語(ぼんご)は、中国や日本でのサンスクリットの異称。日本では近代以前から、般若心経など、サンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神ブラフマン(梵天)とするインドの伝承を基にした言葉である。.

新しい!!: ポタラ宮とサンスクリット · 続きを見る »

サソリ

リ(蠍、蝎)は、節足動物門鋏角亜門クモ綱サソリ目 Scorpiones に属する動物の総称である。前に鋏、尾に毒針を持つが、命にかかわる毒を持つものはごく一部の種類である。 少なくとも4億3千万年以上前から存在したことが確認されており、現存する陸上生活史を持つ節足動物としては世界最古にあたる(ただし初期のサソリは水生動物であり、陸上進出自体はヤスデに後れをとった)。.

新しい!!: ポタラ宮とサソリ · 続きを見る »

やかん

やかん(薬缶、薬罐、薬鑵)は、湯沸かしに用いられる、主に土瓶形の道具である。 英語からケトル(Tea kettle)と呼ばれることもあり、底が丸いものを「やかん」、底の平らなものを「ケトル」と呼ぶこともあるが、両者は明確には分けられないとされる。.

新しい!!: ポタラ宮とやかん · 続きを見る »

国際連合教育科学文化機関

フランス、パリのユネスコ本部庁舎と平和の庭園(日本庭園) 日本ユネスコ国内委員会が入居する東京都の霞が関コモンゲート東館(右側) 国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん、Organisation des Nations unies pour l'éducation, la science et la culture、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization, UNESCO ユネスコ)は、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的とした専門機関である。 1945年11月に44カ国の代表が集い、イギリス・ロンドンで開催された国連会議 "United Nations Conference for the establishment of an educational and cultural organization" (ECO/CONF)において11月16日に採択された 「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立された。 分担金(2016年現在)の最大の拠出国はアメリカ合衆国(22%)、2位は日本(9%)である(米国は拠出金支払いを全額停止しているため、実質的に最大の拠出国は日本であるなおアメリカは2018年12月31日付でのユネスコ脱退を表明している。)。.

新しい!!: ポタラ宮と国際連合教育科学文化機関 · 続きを見る »

火鉢

陶器の丸火鉢 火鉢(ひばち)は、陶磁器や金属や木材などでできた器具で、入れた灰の上で炭を燃焼させ、暖房や湯沸かしや簡単な調理を行うもの。火櫃(ひびつ)や火桶(ひおけ)などともいい、冬の季語。広辞苑第5.

新しい!!: ポタラ宮と火鉢 · 続きを見る »

補陀落

補陀落(ふだらく、Potalaka)は、観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である岩波仏教辞典 2002, p. 866.

新しい!!: ポタラ宮と補陀落 · 続きを見る »

観音菩薩

白衣観音図(狩野元信・画、ボストン美術館所蔵) 観音菩薩(かんのん ぼさつ、Avalokiteśvara)は、仏教の菩薩の一尊。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)または観自在菩薩(かんじざいぼさつ)ともいう。救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。一般的には「観音さま」とも呼ばれる。.

新しい!!: ポタラ宮と観音菩薩 · 続きを見る »

清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

新しい!!: ポタラ宮と清 · 続きを見る »

漢民族

漢民族(かんみんぞく)は、中華人民共和国(中国大陸)、中華民国(台湾)、シンガポールで大多数を占める民族。人類の20%を占める世界最大の民族集団である。 中華人民共和国の民族識別工作では漢族と呼ばれ、中華人民共和国の人口の94%以上を占める。漢人ともいい、華僑として中国を離れ、移住先に定着した人は華人、唐人と自称することが多い。.

新しい!!: ポタラ宮と漢民族 · 続きを見る »

1642年

記載なし。

新しい!!: ポタラ宮と1642年 · 続きを見る »

1950年代

1950年代(せんきゅうひゃくごじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1950年から1959年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1950年代について記載する。.

新しい!!: ポタラ宮と1950年代 · 続きを見る »

1959年

記載なし。

新しい!!: ポタラ宮と1959年 · 続きを見る »

1994年

この項目では、国際的な視点に基づいた1994年について記載する。.

新しい!!: ポタラ宮と1994年 · 続きを見る »

2000年

400年ぶりの世紀末閏年(20世紀および2千年紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年のままとなる(グレゴリオ暦の規定による)。。Y2Kと表記されることもある(“Year 2000 ”の略。“2000”を“2K ”で表す)。また、ミレニアムとも呼ばれる。 この項目では、国際的な視点に基づいた2000年について記載する。.

新しい!!: ポタラ宮と2000年 · 続きを見る »

2001年

また、21世紀および3千年紀における最初の年でもある。この項目では、国際的な視点に基づいた2001年について記載する。.

新しい!!: ポタラ宮と2001年 · 続きを見る »

7世紀

ブリールから啓示を受けるムハンマドで、14世紀に描かれた『集史』「預言者ムハンマド伝」載録の細密画(エディンバラ大学蔵)。 聖地メッカ。ムハンマドはメッカからメディナに逃れた後、イスラム教共同体(ウンマ)を組織し、再びこの都市に現れてイスラム教の支配下に置いた。画像はメッカのカアバとそれを取り囲むマスジド・ハラーム。 岩のドーム。ユダヤ教徒やキリスト教徒にとって重要な聖地であるエルサレムはイスラム教徒にとっては預言者ムハンマドが「夜の旅(イスラー)」を行った場所であり、それを記念してこの建物が建てられた。 ハルシャ王に歓待された。旅の記録は『大唐西域記』にまとめられ、有名な伝奇小説『西遊記』のもとともなった。 ナーランダ寺院。創立はグプタ朝時代にさかのぼるが、この時代までにインド随一の仏教総合大学に発展し、唐僧玄奘もこの地で唯識派のシーラバドラ(戒賢)に学んでいる。画像は現在のビハール州に残るナーランダ寺院跡。 シュリーヴィジャヤ王国。スマトラ島を中心にマレー半島周辺に交易圏を築き上げた海洋王国で、唐僧義浄が『南海寄帰内法伝』で記録したように多くの寺院が立ち並ぶ大乗仏教の拠点でもあった。画像はシュリーヴィジャヤ様式の青銅鍍金四臂観世音菩薩像。 「天寿国繍帳」。飛鳥時代を代表する工芸の一つで聖徳太子の妃である橘大郎女の発願で作成されたとされ、斑鳩中宮寺に伝来した。 吐蕃の王ソンツェン・ガンポと二人の妃(唐から来た文成公主とネパールから来たチツン)。吐蕃はチベットを統一し唐に倣った律令体制を発展させた。 太宗。父李淵の後を継いで二代皇帝となった太宗李世民は、唐の律令体制を完成させ「貞観の治」と呼ばれる安定期をもたらした。画像は台湾国立故宮博物院が所蔵する太宗の肖像画。 洛陽郊外の龍門にある奉先寺大仏。則天武后の命で造営されたもので、大仏の顔は則天武后をモデルにしているといわれる。 National Museum of Anthropology (Mexico)蔵)。 「ギリシア火」。イスラム軍の猛攻で劣勢に置かれた東ローマ帝国もこの新兵器を用いて帝都の防衛に成功する。画像は『スキュリツェス年代記(歴史概観)』の挿絵(マドリッド国立図書館蔵)。 スペイン国立考古学博物館蔵)。 7世紀(ななせいき、しちせいき)とは、西暦601年から西暦700年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: ポタラ宮と7世紀 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

ポタラポタラ宮殿

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »