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穹隅

索引 穹隅

穹隅(内側が黄色に塗られた部分) 穹隅(きゅうぐう)またはペンデンティブ(pendentive)は、球形のドームを正方形の部屋の上に置いたり、楕円形ドームを長方形の部屋の上に置いたりするための建築構造。穹隅は球面の三角形状の部分で、下のほうが1点に先細りになっていて、上に行くにしたがって広がり、球形または楕円形のドームの底辺を支える基礎を提供する。したがって石造りの建築ではドームの重量が穹隅にかかり、それが下の部屋の4つの角に集中し、そこに支柱を置いて支えることになる。 穹隅が開発される以前は、持ち送り構造や入隅迫持構造を部屋の四隅に使っていた。穹隅を最初に使ったのはローマ建築で、ビザンティン建築のアヤソフィア(6世紀、コンスタンティノポリス)でその構造が完成した。 穹隅はビザンティン、ルネサンス、バロックといった教会建築でよく使われ、穹隅とドームの間に窓付きの穹窿胴 (tholobate) を挿入することが多かった。.

13 関係: チェコバロックルネサンスローマ建築ビザンティン建築ドームアヤソフィアコンスタンティノープル入隅迫持球面楕円持ち送り救世主ハリストス大聖堂

チェコ

チェコ共和国(チェコきょうわこく、)、通称チェコは、中央ヨーロッパの共和制国家。首都はプラハである。 歴史的には中欧の概念ができた時点から中欧の国であった。ソ連の侵攻後、政治的には東欧に分類されてきたが、ヨーロッパ共産圏が全滅した時点で再び中欧または中東欧に分類されている。国土は東西に細長い六角形をしており、北はポーランド、東はスロバキア、南はオーストリア、西はドイツと国境を接する。 1993年にチェコスロバキアがチェコとスロバキアに分離し成立した。NATO、EU、OECDの加盟国で、中欧4か国からなるヴィシェグラード・グループの一員でもある。.

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バロック

ピーテル・パウル・ルーベンス『東方三博士の礼拝』(1642):なにもない空間の周りを螺旋状に人物たちが取り囲むダイナミックな構図。鮮やかな襞、一条の光の矢に照らされた動きの気配、卓越した腕前を思うまま発揮して描かれている。 バロック(barocco, baroque baroque, Barock)とは、16世紀末から17世紀初頭にかけイタリアのローマ、マントヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェで誕生し、ヨーロッパの大部分へと急速に広まった美術・文化の様式である。バロック芸術は秩序と運動の矛盾を超越するための大胆な試みとしてルネサンスの芸術運動の後に始まった。カトリック教会の対抗改革(反宗教改革運動)や、ヨーロッパ諸国の絶対王政を背景に、影響は彫刻、絵画、文学、建築、音楽などあらゆる芸術領域に及び、誇張された動き、凝った装飾の多用、強烈な光の対比のような劇的な効果、緊張、時として仰々しいまでの豊饒さや壮大さなどによって特徴づけられる。18世紀後半には新古典主義(文学、音楽は古典主義)へと移行した。.

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ルネサンス

レオナルド・ダ・ヴィンチによるウィトルウィウス的人体図、科学と芸術の統合 ルネサンス(Renaissance ルネサーンスイギリス英語発音: リネイスンス、アメリカ英語発音: レナサーンス)は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。 日本では長らく文芸復興と訳されており、ルネサンスの時代を「復興期」と呼ぶこともあったが、文芸のみでなく広義に使われるため現在では余り使われない。ルネッサンスとも表記されるが、現在の歴史学、美術史等ではルネサンスという表記が一般的である。.

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ローマ建築

ーマ建築(ローマけんちく、Roman Architecture)は、古代ローマの文化、芸術を代表する建築。共和政ローマ、そしてローマ帝国の支配地域に広く残る遺跡と、ウィトルウィウスの残した『建築について』の存在により、ルネサンスに始まる古典主義建築の源泉となった。 ヨーロッパをはじめとする西方世界において、極めて重要な位置を占めるローマ建築は、エトルリア建築、そしてギリシア建築の影響を受けつつ発展していった。古代ローマにおいてギリシア美術の影響は特に強いものとなったが、古典期のギリシア建築がほとんどひとつの彫刻のように捉えられ、自己完結的であるのに対し、ローマ建築では、建築物相互の関係性、社会的要求、美的要求、その他の要素が複合して成り立っていると考えられている。そのため、ギリシア建築といえばすぐに周囲から孤立した神殿を思い浮かべるが、ローマ建築では神殿でなく、神殿やバシリカなどを包含したフォルム、円形闘技場、公共浴場などの公共施設が想起される。 また、精密に構築されたローマ水道、水道を架けるためのアーチ、建築物の天井を覆うヴォールト、ドームなどの優れた土木・建築工学は、古代ローマの文化水準の高さを物語っている。 パンテオンの内部.

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ビザンティン建築

ビザンティン建築(ビザンティンけんちく、Byzantine Architecture)は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)の勢力下で興った建築様式である。4世紀頃には帝国の特恵宗教であるキリスト教の儀礼空間を形成し、そのいくつかは大幅な補修を受けているものの今日においても正教会の聖堂、あるいはイスラム教のモスクとして利用されている。日本では、ビザンツ建築と呼ばれる場合もある。 ローマ建築円熟期の優れた工学・技術を継承し、早い段階で技術的成熟に達するが、その後、東ローマ帝国の国力の衰退と隆盛による影響はあるものの、発展することも急速に衰退することもなく存続した。 キリスト教の布教活動とともに、ブルガリアやセルビアなどの東欧の東ローマ帝国の勢力圏のみならずロシアあるいはアルメニアやジョージアなど西アジアにも浸透していった。その影響力は緩やかなもので、地域の工法・技術と融合しながら独自の様式を発展させた。また、初期のイスラーム建築にも影響を与えている。 ハギア・ソフィア大聖堂周囲の4本のミナレットはオスマン帝国時代にモスクに転用された際に付け加えられたもの。.

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ドーム

ドーム ドーム(dome)あるいは丸屋根(まるやね)は、建築における屋根の形式のひとつで、半球形をした屋根のことである。.

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アヤソフィア

アヤソフィア(トルコ語:Ayasofya、古典ギリシア語:Ἁγία Σοφία (Hagia Sophiā)、現代ギリシア語:Αγία Σοφία (Aagia Sophia))は、トルコのイスタンブールにある博物館日高ら(1990)、p.31-66、2.ドームを仰ぎ見るとき、◎ハギア・ソフィア大聖堂<オスマン・トルコ時代のアヤソフィア>。東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に正統派キリスト教の大聖堂としての建設を起源とし、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノープル総主教座の所在地であったMüller-Wiener (1977), p. 112.が、1204年から1261年まではラテン帝国支配下においてローマ・カトリックの教徒大聖堂とされていた。その後は1453年5月29日から1931年までの長期間にわたりモスクとして改築を繰り返し使用されて現在の特徴的な姿となり"." ArchNet.、後に世俗化された。1935年2月1日から博物館(Ayasofya Müzesi)として使われている。 東ローマ帝国の代表的な遺構であり、しばしばビザンティン建築の最高傑作と評価される。その歴史と威容から、オスマン帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用された。日本語では慣用的に「ハギア・ソフィア」と呼称されるが、厳密にはトルコ語読みは「アヤソフャ」、古典ギリシア語読みは「ハギア・ソピアー」、現代ギリシア語読みでは「アギア・ソフィア」に近い。正教会では「アギア・ソフィア大聖堂」と呼ばれ、「ハギア・ソフィア大聖堂」と表記されることも多い。.

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コンスタンティノープル

ンスタンティノープル(Constantinople、: Constantinopolis、: Κωνσταντινούπολις)は、東ローマ帝国の首都であった都市で、現在のトルコの都市イスタンブールの前身である。 強固な城壁の守りで知られ、330年の建設以来、1453年の陥落まで難攻不落を誇り、東西交易路の要衝として繁栄した。正教会の中心地ともなり、現在もコンスタンディヌーポリ総主教庁が置かれている。.

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入隅迫持

イランにあるサーサーン朝の宮殿に見られる入隅迫持 入隅迫持(いりすみせりもち)またはスキンチ(squinch)は、四角形の部屋の四隅の上部を埋めたような構造で、その上に八角形か球面のドームを構築する土台となる。四角形の部屋の上にドームを置くための構造としては原始的で、後により完全な構造として穹隅が考案された。入隅迫持は、角をなす2つの壁の上に斜めに渡すように石を持ち送り構造で積んでいったり、擬似アーチを構成するなどの方法で形成される。 イスラーム建築、特にイランでは、入隅迫持の上にムカルナスと呼ばれる鍾乳石風の装飾を施し、構造を目立たなくしていることが多い。ヨーロッパなどの教会でも入隅迫持を使っていることがあり、例えばシチリア島パレルモの San Cataldo がある。この12世紀の教会には3つのドームがあり、それぞれが4つの二重になった入隅迫持で支持されている。 Category:建築意匠.

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球面

球面(きゅうめん)とは球体の表面の意である。数学における球面 (sphere) は、距離の定められた空間の定点からの距離が一定であるような点の軌跡として定義される、非常に高い対称性を示す図形である。球面の囲む有界領域を球体あるいは単に球 (ball) と呼ぶ。一般には三次元ユークリッド空間 E3 内のもの、つまり二次元球面を指す場合が多い。.

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楕円

楕円(だえん、橢円とも。ellipse)とは、平面上のある2定点からの距離の和が一定となるような点の集合から作られる曲線である。基準となる2定点を焦点という。円錐曲線の一種である。 2つの焦点が近いほど楕円は円に近づき、2つの焦点が一致したとき楕円はその点を中心とした円になる。そのため円は楕円の特殊な場合であると考えることもできる。 楕円の内部に2焦点を通る直線を引くとき、これを長軸という。長軸の長さを長径という。長軸と楕円との交点では2焦点からの距離の差が最大となる。また、長軸の垂直二等分線を楕円の内部に引くとき、この線分を短軸という。短軸の長さを短径という。.

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持ち送り

インディアナポリスの建物にあるバルコニーを支持している精巧に装飾された古典風の石の持ち送り Troyes Cathedral)の持ち送り 持ち送りまたはコーベル(corbel)は、壁から突き出した石などの構造物で、その上に張り出した重量を支持する。持出し、持送り積み、受け材とも。同じ構造でも木でできたものは、「梁受け (tassel)」と呼ぶ。持ち送り構造 (corbelling) は、一連の持ち送りを壁に深くかみ合わせて、張り出した壁や手摺を支持する技法で、新石器時代から使われてきた。中世の建築やスコットランドのゴシック・リヴァイヴァル建築(en)によく見られ、古典建築ではコリント式オーダーに見られる「軒持送り (modillion)」などがあり、古代中国でも持ち送りは使われていた。 "corbel" という語は古フランス語で、ラテン語の corbellus(すなわち corvus(大ガラス)の小さいものを意味する)に由来し、くちばしのような見た目を表している。同様にフランス語では、室内の持ち送り構造を corbeau(カラス)と呼ぶ。cul-de-lampe(釣束飾り)はヴォールトを支持する一種の持ち送り構造だが、下に行くほど先細りになった持ち送り全般を指すこともある。なお、イタリア語では mensola、ドイツ語では Kragstein と呼ぶ。また、フランス語では古典建築の持ち送りを modillon と呼ぶのが一般的である。 中国で紀元前から使われてきた持ち送りは、石製でも木製でも「斗拱」と呼ばれている。日本の寺社建築によく見られる「組物」に相当する。.

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救世主ハリストス大聖堂

救世主ハリストス大聖堂表記出典:表記出典:(きゅうせいしゅハリストスだいせいどう、Храм Христа Спасителя )は、ロシアのモスクワにある正教会の大聖堂。ロシア正教会モスクワ総主教直轄の首座聖堂である。全世界にある正教会の大聖堂中、最も高い103メートルの偉容を誇る(ドームと十字架部分で35メートルの高さがある)。 モスクワ中央部モスクワ河畔に位置する 。 1883年6月7日(ユリウス暦:5月26日、主の昇天祭)に大聖堂は成聖された。しかし1931年に宗教弾圧政策をとるソ連によって爆破された。ソ連崩壊後の2000年8月19日(主の顕栄祭)に再建。.

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