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フリードリヒ・エンゲルス衛兵連隊

索引 フリードリヒ・エンゲルス衛兵連隊

フリードリヒ・エンゲルス衛兵連隊(Wachregiment „Friedrich Engels“)、または第1衛兵連隊(Wachregiment 1, WR-1)とは、国家人民軍地上軍(東ドイツ陸軍)が有した連隊の1つ。.

18 関係: ノイエ・ヴァッヘフリードリヒ・エンゲルスフーゴー・エーバーライン衛兵連隊フェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊ドイツ再統一ドイツ国防軍ドイツ連邦軍ベルリンアメリカ陸軍エーリッヒ・ホーネッカーシュタージサーベル国家人民軍国家人民軍地上軍連隊SKSカービン東ベルリン歩兵

ノイエ・ヴァッヘ

正面から見たノイエ・ヴァッヘ ノイエ・ヴァッヘに入る人々(2006年) 1938年、ナチス時代のノイエ・ヴァッヘ。軍隊の行進が行われる ドイツ新古典主義建築の代表作のひとつ(2003年) ノイエ・ヴァッヘ(Neue Wache)とはドイツの首都ベルリンの目抜き通りウンター・デン・リンデン街に建てられた石造建築である。「新衛兵所」、あるいは「新哨舎」と訳される。1816年にプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が建築家カール・フリードリッヒ・シンケルに衛兵所として設計させた。1993年来、この建物は戦没者に対するドイツ連邦政府の中央追悼施設として「国民哀悼の日」の式典会場になっている。 建物はドーリア式の柱廊玄関 (ポルチコ) を有する。シンケルは、「この建物は比較的広い敷地に立ち、四方からの視線にさらされている。これは植民地に設けられた古代ローマの兵営 (カストルム) を彷彿させるもので、四隅に堅牢な塔を立て中庭を設けた」と述べている。柱廊玄関の上部の切妻(ペディメント)の彫像は、ナポレオン戦争勝利を顕彰することを意図していた。彫像の中には勝利の女神ニケの姿も見える。衛兵所の背後にはシンケルによってトチノキの林苑が作られた。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、ノイエ・ヴァッヘの見える王宮から衛兵交代式を楽しんだという。 1918年にドイツ帝国が崩壊、共和国が成立した後、1931年に建築家ハインリッヒ・テッセノウ(Heinrich Tessenow)はプロイセン州政府から、この建物を第一次世界大戦の戦没者慰霊の場に改造するよう依頼された。彼は中庭に屋根をかぶせて追悼の場に変え、中央にパンテオンの天窓のような円形の開口部を設けて館内へ光が降り注ぐようにした。ノイエ・ヴァッヘはこのときからプロイセン州立戦没者追悼所となった。日本大使館の新築工事のために1938年11月から1939年8月まで第二次世界大戦直前のベルリンに滞在した新進の建築家谷口吉郎は回想録に次のように記している。 大戦後、ウンター・デン・リンデン街を含む東ベルリンは、ソ連占領地域となり、1949年以降はドイツ民主共和国の一部となった。1960年、ノイエ・ヴァッヘは「ファシズムと軍国主義の犠牲者のための追悼所」として再開された。1969年、東ドイツ建国20年を記念し、永遠の火をともしたガラスのプリズムによる彫刻が中央に設置された。また建物内には無名のドイツ兵一人と無名の強制収容所犠牲者一人の遺骨が祀られた。東ドイツの国家人民軍(陸軍・フリードリヒ・エンゲルス衛兵連隊)の衛兵が立ち、戦前と同様に毎水曜日に衛兵交代式が行われた。 ドイツ再統一後の1993年にドイツ連邦政府は11月の第3日曜日を「国民哀悼の日」と定め、戦没者を追悼、遺族に対する連帯を示す日として、ノイエ・ヴァッヘを「戦争と暴力支配の犠牲者のための国立中央追悼施設」(Neue Wache als zentrale Gedenkstätte der Bundesrepublik Deutschland für die Opfer des Krieges und der Gewaltherrschaft)に改装した。第一次世界大戦以後のドイツのすべての戦没兵士、空襲の犠牲者や旧ドイツ東部領土の故郷を追われた避難民など一般市民の犠牲者をはじめ、ドイツと戦ったすべての国の軍民問わない犠牲者、ナチス・ドイツに殺されたユダヤ人やロマ民族や同性愛者などすべての人々、ナチスに抵抗して死んだ軍人や民間人なども追悼の対象となっている。また「戦争と暴力支配の犠牲者」に捧げられた碑文によれば1945年以降の全体主義の犠牲者も追悼の対象となっており、これは東ドイツ体制下の犠牲者も含むと思われる。もっとも、加害者と被害者を共に追悼することに異議を唱える者もいる。 改装なったノイエ・ヴァッヘには彫刻家ケーテ・コルヴィッツが第一次世界大戦で死んだ息子ペーターをイメージして作った1937年の作品「ピエタ(死んだ息子を抱き抱える母親)』の拡大レプリカが置かれている。この彫刻は円形の天窓の下にあり、雨風や冬の寒さにさらされ、第二次大戦で苦しんだ一般人を象徴しているという。政府は平和主義者ケーテ・コルヴィッツの遺族の意思を尊重し、本来ノイエ・ヴァッヘの前の左右に離れて建てられていたナポレオン戦争勝利の立役者シャルンホルストとビューロウ (Friedrich Wilhelm Bülow) の立像を道路を挟んだ向かい側に移設した。 ファイル:Berlin Neue Wache um 1900.jpg|1900年頃のノイエ・ヴァッヘの前にはプロイセンの将軍シャルンホルスト(右奥)とビューロウの立像(左手前)が建てられていた。台座はシンケルが設計したものである。 ファイル:Bundesarchiv Bild 183-2008-0909-501, Berlin, Kranzniederlegung im Ehrenmal.jpg|1933年、当時の国民哀悼の日にノイエ・ヴァッヘを訪れたヒンデンブルク大統領とヒトラー首相 ファイル:Neue Wache 1984.jpg|立哨する国家人民軍の衛兵(1984年) ファイル:Bundesarchiv Bild 183-U0207-318, Berlin, Neue Wache Unter den Linden.jpg|1979年、東ドイツ時代のノイエ・ヴァッヘ。プリズム型の記念碑が置かれる ファイル:Berlin, Neue Wache, interior view, 2005.jpg|ノイエ・ヴァッヘの内部、天窓とケーテ・コルヴィッツの「ピエタ」が見える ファイル:B Neue Wache interior 1b.jpg|ピエタを外から見る人々.

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フリードリヒ・エンゲルス

フリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels、1820年11月28日 - 1895年8月5日)は、ドイツの社会思想家、政治思想家、ジャーナリスト、実業家、共産主義者、軍事評論家、革命家、国際的な労働運動の指導者。 盟友であるカール・マルクスと協力して科学的社会主義の世界観を構築し、労働者階級の歴史的使命を明らかにした。マルクスを公私にわたり支え、世界の労働運動、革命運動、共産主義運動の発展に指導的な役割を果たした。.

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フーゴー・エーバーライン衛兵連隊

フーゴー・エーバーライン衛兵連隊(Wachregiment „Hugo Eberlein“)、または第2衛兵連隊(Wachregiment 2, WR-2)とは、国家人民軍地上軍(東ドイツ陸軍)が有した連隊の1つ。(MfNV)に直属し、高級将校やドイツ社会主義統一党(SED)幹部の身辺警護、重要な軍事施設及び党施設の警護を主な任務とした。.

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フェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊

フェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊(Wachregiment „Feliks Dzierzynski“)とは、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の国家保安省(シュタージ)が保有した準軍事組織である。ソビエト連邦の秘密警察チェーカーの創設者、フェリックス・ジェルジンスキーにちなんで命名された。秘密組織であったシュタージのうち、唯一市民の目に触れる部門でもあり、東ドイツ市民にとっては恐怖の権化であった。.

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ドイツ再統一

1990年のドイツ再統一 ドイツ再統一(ドイツさいとういつ、、)は、1990年10月3日、ドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland、「西ドイツ」)にドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik、「東ドイツ」)が編入された出来事である。東西ドイツ統一、東西ドイツの統一、ドイツの東西統一などとも呼ばれる。.

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ドイツ国防軍

ヘルメットにデカールされていた紋章 1941年、国防軍の陸軍歩兵下士官 ドイツ国防軍(ドイツこくぼうぐん、Wehrmacht)は、1935年から1945年にかけて存在したドイツの武力組織である陸軍、海軍、空軍の三軍の総体を指す。国家唯一の武装者(独:Waffenträger der Nation)と定義される存在であったが、当時のドイツにはナチス党の組織である武装親衛隊など管轄外の武装組織も存在していた。 1935年の再軍備宣言後は徴兵制が復活し総兵力が50万人になり、ポーランド侵攻直前の兵力は318万人と世界でも屈指の規模であった。.

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ドイツ連邦軍

ドイツ連邦軍(ドイツれんぽうぐん、Bundeswehr ブンデスヴェーア)は、ドイツ連邦共和国の陸軍、海軍、空軍および戦力基盤軍、救護業務軍の総体を指す。.

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ベルリン

ベルリン(Berlin 、伯林)は、ドイツ北東部、ベルリン・ブランデンブルク大都市圏地域の中心に位置する都市である。16ある連邦州のうちの一つで、市域人口は万人とドイツでは最大の都市で欧州連合の市域人口ではロンドンに次いで2番目に多く、都市的地域の人口は7番目に多い。同国の首都と定められている。.

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アメリカ陸軍

アメリカ陸軍(アメリカりくぐん、United States Army, 略称:USA)は、アメリカ合衆国の陸軍である。.

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エーリッヒ・ホーネッカー

ーリッヒ・ホーネッカー(Erich Honecker, 1912年8月25日 - 1994年5月29日)は、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の政治家。ドイツ民主共和国第3代国家評議会議長(在任:1976年 - 1989年)およびドイツ社会主義統一党書記長(在任:1971年 - 1989年)。1989年の東欧革命で失脚した。.

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シュタージ

ュタージ(Stasi)とは、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の秘密警察・諜報機関である国家保安省(Ministerium für Staatssicherheit;Ministry for State Security、略号: )の通称である。英語の「」に相当するドイツ語の「」の太文字部分を読んで 「」 と呼ばれた。徹底した監視態勢で、東ドイツ国民を震え上がらせるばかりでなく、西ドイツにもスパイを送り込み、東西両ドイツ国民から恐れられた。全盛期には対人口比で同じドイツ帝国(ナチス政権下)のゲシュタポ、ソ連のKGBを凌ぐ徹底的な相互監視網を敷いた。.

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サーベル

ーベル(sabel)は、ヨーロッパの片刃の刀である。 セーバー、セイバー(sabre, saber)、サーブル(sabre)とも。ポルトガル語のサブレ()に由来。.

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国家人民軍

国家人民軍(こっかじんみんぐん、ドイツ語:Nationale Volksarmee,ナツィォナーレ フォルクスアルメー)は、ワルシャワ条約機構軍の一翼を担っていたドイツ民主共和国の軍隊である。通称は東ドイツ軍、東独軍。略称はNVA(エヌ・ファオ・アー)。東西ドイツ合併後はドイツ連邦軍に統合された。.

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国家人民軍地上軍

国家人民軍地上軍(こっかじんみんぐんちじょうぐん、Landstreitkräfte der Nationalen Volksarmee, LaSK)とは、ドイツ民主共和国における陸軍。人民海軍(VM)および航空軍(LSK)と共に国家人民軍を構成した軍種の1つである。単に東ドイツ陸軍とも呼ばれる。.

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連隊

連隊(れんたい、聯隊とも、Régiment、regiment)は、近世以降の陸軍の部隊編制単位のひとつである。ヨーロッパにおいて16世紀末までに成立した。統治を意味するregimeの語幹が意味する通り、連隊は管理・行政用の単位で、そのまま一つの駐屯地・兵営に相当することが多い。このため、戦時編制としては上位の旅団か、下位の大隊が重視される。師団が普及するまでは徴兵と管理の基本単位で、それ以後は同一兵科で編成される最大の部隊であった。諸兵科の混成が進んだ現代では独自の意義は薄れた。 本来ならば旅団の下で大隊の上にあたるが、旅団・連隊・大隊のいずれかを中抜きする編制を採ることもあるので、師団のすぐ下に連隊を置く編制(アメリカ海兵隊やロシア陸軍、ロシア空挺軍など)や連隊のすぐ下に中隊を置く編制(フランス陸軍や陸上自衛隊など)、さらに連隊を置かず旅団のすぐ下に大隊を置く編制(アメリカ陸軍など)も現代では珍しくない。第二次世界大戦後の連隊の人員は3000名程度ほど。連隊長には、通常大佐が充てられるが、場合によっては中佐が充てられることもある。.

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SKSカービン

SKSカービン()は、1945年にソビエト連邦(以下「ソ連」と表記)で制式採用された小型自動小銃(カービン)である。.

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東ベルリン

東ベルリン(ひがしベルリン、Ost-Berlin)は、1949年の東西ドイツ分裂から1990年の東西ドイツ統一まで、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の首都だった都市。第二次世界大戦終戦後にソビエト連邦が占領したベルリン東部の地域で、ベルリン誕生以来の伝統的な都心部はほとんどが東ベルリンに属した。.

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歩兵

2歩兵師団所属の歩兵 歩兵(ほへい、Infantry)は、軍隊における兵科の一つであり、戦場を徒歩で行動する兵士のこと。(戦場にたどり着くまでは馬や自動車などさまざまな移動手段を用いても戦場において徒歩であれば歩兵である)。最古かつ最も基本的な兵科であり、歩兵の存在しない軍隊は存在しない。最も柔軟性の高い兵科でもあり、あらゆる戦場で姿を見ることができる。自衛隊用語では普通科という。 いかに軍の機械化が進んでも、諸兵科連合を構成したり、都市・拠点を確保したりするのには歩兵の存在が不可欠である。近年は非対称戦への要求が高まり、占領地の治安維持や平和維持活動に従事する特別な訓練を受けさせた歩兵の需要が増している。.

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