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ビアナ公

索引 ビアナ公

ビアナ公カルロスの肖像 ビアナ公(スペイン語:Príncipe de Viana)は、スペイン王国の王位継承予定者(推定相続人)が用いる称号の一つ。現在、アストゥリアス女公レオノール王女が保持している。 元々はナバラ王国の王位継承予定者の称号であった。ナバラ王カルロス3世が、はじめ自らの男子に(いずれも夭逝)、次いで長女ブランカ(後の女王)とアラゴン王子フアン(後のアラゴン王フアン2世)との間に生まれたカルロスに授けた。この称号は、カルロスの妹である女王レオノールとフォワ伯ガストン4世の子ガストンも用いた。ただし、いずれも王位を継承することはなかった。 称号の創設と使用は、西ヨーロッパ諸国の流行を反映し、王子の私領の名にちなんでいた。スペイン王国成立以前、王太子の持つ称号として比較しうるのは、カスティーリャのアストゥリアス公、アラゴン=カタルーニャのジローナ公であった。似たような称号として、イギリス(イングランド)のプリンス・オブ・ウェールズ、フランスのドーファンがある。 15世紀のイサベル1世とフェルナンド2世の結婚によるスペイン王国成立、16世紀のフェルナンド2世によるナバラ王国征服といった歴史的事件のため、称号の重要性は失われた。ナバラ王国がフランス王国とスペイン王国の間で分割されたことがさらに追い討ちをかけた。現在、ビアナ公は単なる称号にすぎず、付属して領地が与えられるものではない。むしろ、統合されたスペイン王家の中でかつてのナバラ王国が歴史的に継続する象徴に他ならない。.

24 関係: ナバラ王国レオノール (ナバラ女王)レオノール・デ・ボルボンブランカ1世 (ナバラ女王)プリンスプリンス・オブ・ウェールズフランス王国フアン2世 (アラゴン王)フェルナンド2世 (アラゴン王)ドーファンアラゴン王国アラゴン連合王国アストゥリアス公イングランド王国イギリスイサベル1世 (カスティーリャ女王)カルロス (ビアナ公)カルロス3世 (ナバラ王)カスティーリャ王国ガストン4世 (フォワ伯)ガストン・ド・フォワ (ビアナ公)スペインスペイン語推定相続人

ナバラ王国

ナバラ王国(ナバーラ王国とも、Nafarroako Erresuma、Reino de Navarra、Royaume de Navarre)は、中世のイベリア半島北東部パンプローナより興った王国。824年バスク人の首領アリスタがパンプローナで王として選ばれフランク王国に対する反乱を率いたことによる。ナバラの名は、7世紀のスペインでの西ゴート族の時代が終わりを告げた頃から登場している。.

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レオノール (ナバラ女王)

レオノール(スペイン語:Leonor, 1426年2月2日 - 1479年2月12日)は、ナバラ王国の摂政(在職:1455年 - 1479年)、後に女王(在位:1479年)。アラゴン王フアン2世とナバラ女王ブランカ1世の末娘。ビアナ公カルロスとナバラ王位請求者ブランカ2世の同母妹、アラゴン王兼カスティーリャ王フェルナンド2世の異母姉。.

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レオノール・デ・ボルボン

レオノール・デ・ボルボン・イ・オルティス(, 2005年10月31日 - )は、スペインの王族。スペイン王女。Princesa de Asturias)。スペイン王位継承順位では現在第1位に位置している。.

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ブランカ1世 (ナバラ女王)

ブランカ1世(Blanca I, 1387年7月6日 - 1441年4月1日)は、ナバラ王国の女王(在位:1425年 - 1441年)。ナバラ王カルロス3世(シャルル3世、エヴルー伯)とカスティーリャ王エンリケ2世の娘レオノールの長女。フランス名ブランシュ(Blanche)、イタリア名ビアンカ(Bianca)。.

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プリンス

プリンス(prince)は、.

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プリンス・オブ・ウェールズ

在のプリンス・オブ・ウェールズ、チャールズ王太子の紋章。紋章中央にインエスカッシャンされている赤と黄金の獅子の紋章が古プリンス・オブ・ウェールズ以来のプリンス・オブ・ウェールズの紋章である。 プリンス・オブ・ウェールズ(Tywysog Cymru、Prince of Wales)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)で王子に与えられる称号のひとつで、ウェールズの君主「ウェールズ公」を意味する。14世紀以来、次期国王として王位を継承するべきイングランド国王(後にはグレートブリテン国王、連合王国国王)の最年長の王子がこの称号を与えられるようになり、王位の法定推定相続人の称号となった。現在は女王エリザベス2世の長男チャールズがプリンス・オブ・ウェールズである。 日本では、この称号を帯びる第一王位継承者(Crown prince)のことを皇太子と訳すことが多いが、「王太子」と訳すこともある。なお、"Prince of Wales" を「ウェールズ皇太子」や「ウェールズ王太子」と訳すこともあるが、この「prince」は君主を意味する語であって皇太子や王太子の意味では用いられていないため、誤訳と言ってよい(詳細は後述)。また、第一王位継承者が女性の場合、2013年王位継承法制定まで弟が生まれる可能性がほぼ無い場合であっても推定相続人のため、当該女性にはこの称号は付与されなかった(例えば、エリザベス2世は王位継承前には「エディンバラ公爵夫人エリザベス王女(The Princess Elizabeth, Duchess of Edinburgh)」と呼ばれていた)。 プリンス・オブ・ウェールズは、「殿下」(His Royal Highness)の敬称で呼ばれ、その妻はプリンセス・オブ・ウェールズ(Princess of Wales、ウェールズ大公妃あるいはウェールズ公妃)の称号を帯びる。ただし、現在のプリンセス・オブ・ウェールズであるチャールズの妻のカミラは、国民的人気が高い前妻のダイアナに遠慮し、コーンウォール公爵夫人(スコットランドにおいてはロスシー公爵夫人)の称号を名乗っている。.

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フランス王国

フランス王国(フランスおうこく、Royaume de France)は、現在のフランス共和国の領域にかつて存在し、その前身となった王国。起源はフランク王国に遡り、「フランス王国」の名も「フランク王国」の発音が変化したものである。また、西フランク王国とフランス王国は同一の王国を指す歴史学上の別名であり、一般にはユーグ・カペーが西フランク王に即位した987年以降の西フランク王国を指して「フランス王国」と呼び、それ以前のフランス王国を指して西フランク王国と呼ぶ。これを前提とすると、1789年のフランス革命まで800年間、さらに1848年にオルレアン朝が倒れて王政が廃止されるまで、第一共和政・第一帝政期(1792年 - 1814年)を挟んで約840~860年間、存続したことになる。.

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フアン2世 (アラゴン王)

フアン2世(西:Juan II, 1397年6月29日 - 1479年1月20日)は、ナバラ王(在位:1425年 - 1479年)、およびアラゴン王、バレンシア王、バルセロナ伯(在位:1458年 - 1479年)、シチリア王(在位:1458年 - 1468年)。カタルーニャ語名ではジュアン2世(Joan II)、イタリア語名ではジョヴァンニ2世(Giovanni II, シチリア王としては1世)。大王(西:el Grande)と呼ばれる。 アラゴン王フェルナンド1世と王妃レオノール・デ・アルブルケルケの次男で、アラゴン王兼ナポリ王アルフォンソ5世の弟。また、同名のカスティーリャ王フアン2世は従弟に当たり、アラゴン王兼カスティーリャ王でカトリック両王と称されたフェルナンド2世の父でもある。 強権的な政治が分権を尊重するアラゴン連合王国の構成国から反発され、先妻の子供たちとの対立も相まって内乱を発生させた。対立王が次々と出現する事態にまでなったが、外交と軍事の積み重ねや自身の長寿により切り抜け、ナポリ王国とナバラ王国を除いて一体化させた連合王国を次代に譲り渡した。.

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フェルナンド2世 (アラゴン王)

フェルナンドがカスティーリャ王となった1474年におけるイベリア半島の勢力地図 フェルナンド2世(西:Fernando II、Fernando el Católico 1452年3月10日 - 1516年6月23日)は、アラゴン王(在位:1479年 - 1516年)。カスティーリャ王としてはフェルナンド5世(在位:1474年 - 1504年)。カタルーニャ語名ではフェラン2世(Ferran II)、アラゴン語名ではフェランド2世(Ferrando II)。カトリック王(el Católico)と呼ばれ、最初の妻であるカスティーリャ女王イサベル1世と共にカトリック両王(Reyes Católicos)と呼ばれる。.

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ドーファン

ドーファンの紋章 ドーファン(Dauphin)は、フランス国王の法定推定相続人(王太子)の称号。正式には「ヴィエノワのドーファン」(dauphin de Viennois)という。1350年から復古王政期まで用いられた。1791年の立憲王制期と1830年からのオルレアン朝ではと改称された。.

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アラゴン王国

アラゴン王国(アラゴンおうこく、アラゴン語: カタルーニャ語: スペイン語:Reino de Aragón)は、中世後期のイベリア半島北東部、現在のスペインのアラゴン州に存在した王国。.

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アラゴン連合王国

アラゴン連合王国の最大領域(1443年) アラゴン連合王国(カタルーニャ語:, アラゴン語:, カスティーリャ語:, イタリア語:, ラテン語:)は、アラゴン王国()およびカタルーニャ君主国()を中心とする複数の君主国の同君連合として構成された中世南ヨーロッパの国家。イベリア半島東部に興り、西地中海の島々や南イタリアを領有するなど、地中海国家としても発展した。日本語訳は一定せず、アラゴン=カタルーニャ連合王国、アラゴン地中海帝国などとも呼ばれるが、単にアラゴン王国と呼んでこの連合王国を指す場合も多い。.

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アストゥリアス公

アストゥリアス公紋章 モントブランク公としての紋章 サルベラ伯及びバラゲー領主としての紋章 アストゥリアス公()、アストゥリアス女公()は、スペイン国王の推定相続人に与えられる称号。王太子に相当するが、ある時点で王家に該当する人物(性別不問)が居ない場合、スペイン国外にいる権利者がこの称号を帯びることもある。推定相続人以外の王子・王女にはinfanta)の称号が与えられる。 フランシスコ・フランコが王政復古を前提にフアン・カルロスを後継者とした際には、アストゥリアス公ではなくスペイン公()の称号を用いた。 現在は1978年憲法第57条第2項で、国王の推定相続人に与えられることが規定されており、フェリペ6世の長女レオノールがこの称号を有している。.

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イングランド王国

イングランド王国(イングランドおうこく、英語:Kingdom of England)は、927年のアングロ=サクソン七王国の一つウェセックス王国の王アゼルスタンのイングランド全土統一から、1707年のスコットランド王国との合同まで存在した国家。ウェセックス王エグバートの825年のイングランド統一から最初のイングランド王と言われることが多いが、実際の称号はブレトワルダ(覇王)であった。 スコットランド王であったステュアート朝のジェームズ1世が1603年に王位を兼ねて以来、スコットランドとは同君連合の関係にあったが、アンの時代の1707年の合同法により、スコットランド王国と合同してグレートブリテン王国となった。.

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イギリス

レートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称の一例としてイギリス、あるいは英国(えいこく)は、ヨーロッパ大陸の北西岸に位置するグレートブリテン島・アイルランド島北東部・その他多くの島々から成る同君連合型の主権国家である。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国で構成されている。 また、イギリスの擬人化にジョン・ブル、ブリタニアがある。.

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イサベル1世 (カスティーリャ女王)

イサベル1世(Isabel I de Castilla, Isabel la Católica, 1451年4月22日 - 1504年11月26日)は、トラスタマラ朝のカスティーリャ女王(在位:1474年 - 1504年)。夫フェルナンド2世と共にカトリック両王と称される。.

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カルロス (ビアナ公)

ルロス・デ・ビアナ(, 1421年5月29日 - 1461年9月23日)は、ナバラおよびアラゴン王子。ナバラ王位継承者としてビアナ公の、アラゴン王位継承者としての称号を授けられていた。アラゴン王フアン2世とナバラ女王ブランカ1世の長男でナバラ王位請求者ブランカ2世とナバラ女王レオノールの同母兄、アラゴン王兼カスティーリャ王フェルナンド2世の異母兄。.

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カルロス3世 (ナバラ王)

ルロス3世(スペイン語:Carlos III, 1361年7月22日 - 1425年9月8日)は、ナバラ王国の国王(在位:1387年 - 1425年)およびエヴルー伯(エヴルー伯としてはシャルル3世(フランス語:Charles III), 在位:1387年 - 1404年)、後にヌムール公(在位:1404年 - 1425年)。「高貴王」(el Noble)と呼ばれる。 カルロス(シャルル)2世(邪悪王)とその王妃だったフランス王ジャン2世の王女ジャンヌ(スペイン語名フアナ)の子。モルタン伯ピエール、ブルターニュ公ジャン4世妃、イングランド王ヘンリー4世妃ジャンヌの兄。.

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カスティーリャ王国

ティーリャ王国(カスティーリャおうこく、Reino de Castilla)は、中世ヨーロッパ、イベリア半島中央部にあった王国である。キリスト教国によるレコンキスタ(国土回復運動)において主導的役割を果たし、後のスペイン王国の中核となった。 Castillaの日本語表記は、カスティーリャ、カスティーリヤ、カスティリャ、カスティーリァ、カスティーリア、カスティリア、カスティーヤ、カスチラ、カストリヤ、カストリア、カステリヤ、カステリア、カスティージャと様々に音写されている。また菓子のカステラは、王国名のポルトガル語発音である「カステーラ」(Castela)からとされている。.

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ガストン4世 (フォワ伯)

トン4世(Gaston IV, 1422年 - 1472年7月)は、フランスの貴族。フォワ伯、ベアルン子爵、アンドラの共同君主、ナルボンヌ子爵。フォワ伯ジャン1世とジャンヌ・ダルブレの子。.

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ガストン・ド・フォワ (ビアナ公)

トン・ド・フォワ(Gaston de Foix, 1444年 - 1470年11月23日)は、フォワ伯ガストン4世とナバラ王女(のち女王)レオノールの長男。フォワ伯およびナバラ王位の継承者であり、ナバラ王子としてビアナ公の称号を授けられていた。 1461年にフランス王シャルル7世と王妃マリー・ダンジューの娘マドレーヌと結婚し、1男1女をもうけた。.

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スペイン

ペイン王国(スペインおうこく、Reino de España)、通称スペインは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める立憲君主制国家。西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接する。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリリャ、アルボラン海のアルボラン島を領有している。首都はマドリード。.

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スペイン語

ペイン語(スペインご、)もしくはカスティーリャ語(カスティーリャご、)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語。略して西語とも書く。.

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推定相続人

推定相続人(すいていそうぞくにん)は、現状のままで相続が開始した場合、直ちに相続人となるべき者をいう。.

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