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ヒューゴ・シンベリ

索引 ヒューゴ・シンベリ

ヒューゴ・シンベリ(Hugo Simberg, 1873年6月24日 ハミナ - 1917年7月12日 アータリ)は、フィンランドの象徴主義画家、グラフィックデザイナー。シンベルグ、シンバーグとも表記される。 1895年、シンベリはルオヴェシで、アクセリ・ガッレン=カッレラの個人的な弟子となった。 シンベリが自作で最も多く取り上げた2つのキャラクターは「Poor Devil(かわいそうな奴、かわいそうな悪魔)」と「死」である。 シンベリは、巨大な長い花輪を大勢で運ぶ思春期前の裸の少年たちの写真を撮り、スケッチを描いた。『Wreath-bearing boy(花輪につかまった少年)』という写真は、シンベリの初期の写真『Guido, Fish Boy(少年漁師グイド)』と関連性がある。前者は、突堤にしゃがんで炭の上に手を置いている少年を、後者は、岩の上に座って海を見ている少年を撮っている。こうした少年たちのイメージは、成長・変化・思春期・性同一性(sexual identity)を反映させたものである。この花輪運びのモチーフは、1905年から1906年にかけて制作された、タンペレ大聖堂(タンペレ)のフレスコ画の中心モチーフでもある。 シンベリの作品は、主に、不気味なもの、超自然的なものに焦点をあて、心につきまっとて離れない、気が滅入るような重苦しい美しさを持っている。その好例が、『Kuolema kuuntelee(死が聞く)』で、黒いコートを着た骸骨で表された「死」が、前屈みになって、若者のヴァイオリン演奏を聞いている。後ろには、ベッドに横になった老婆がいて、見るからに血の気がなく、病気のようである。おそらく、「死」が迎えに来たのはこの老婆で、たぶんその息子であろう若者の演奏が続く間、 「死」は仕事の手を控えている、という印象を受ける。 シンベリの代表作『傷ついた天使』もまた陰鬱な空気を放っている。暗い色の服を着た2人の少年によって担架に乗せられて運ばれている、目隠しされた少女の姿をした天使。少年の1人は深刻な顔で、画面の外(鑑賞する我々)を見ている。この絵はシンベリの最も有名な絵であると同時に、フィンランドを代表する図像(イコン)にもなった。フィンランドのシンフォニック・メタル・バンド、ナイトウィッシュが2007年8月11日にリリースしたシングル『Amaranth』のミュージック・ビデオは、この絵に基づいたものである。.

22 関係: ナイトウィッシュフィンランドアクセリ・ガッレン=カッレラグラフィックデザイナー傷ついた天使タンペレ画家象徴主義思春期1873年1895年1896年1897年1899年1903年1905年1906年1917年2007年6月24日7月12日8月11日

ナイトウィッシュ

ナイトウィッシュ(Nightwish)は、フィンランドのシンフォニックメタルバンド。1996年に結成されて以来、1990年代後半にこの分野の音楽が躍進するうえで、最も重要な役割を担ったバンドのひとつとされ、またオペラティック・メタルの代表的存在である。バンドは、リードソングライター及びキーボーディストのツォーマス・ホロパイネン、ギタリストのエンプ・ヴオリネン、リードシンガーのターヤ・トゥルネンによって結成された。バンドはすぐにドラマーのユッカ・ネヴァライネンを迎え入れ、1997年にデビュー・アルバム「エンジェルズ・フォール・ファースト」の発売後に、ベーシストのサミ・ヴェンスケが正式に加入した。2002年、ヴァンスケの後釜としてマルコ・ヒエタラが加入。ヒエタラは、ホロパイネンまたはゲスト歌手によって行われていた男性ボーカルの役割を引き継いだ。 「エンジェルズ・フォール・ファースト」以来、母国フィンランドでは顕著な存在だったが、彼らはアルバム「オーシャンボーン」(1998年)、「ウィッシュマスター」(2000年)、「センチュリー・チャイルド」(2002年)を発表するまで世界的な名声を得ることは出来なかった。2004年に発売したアルバム「ワンス」は100万枚以上を売り上げるヒット作となり、アメリカ合衆国でもブレイクを果たした。アメリカ最大のヒット曲「Wish I Had an Angel」は、MTVでのオンエアを受け、アメリカ映画のサウンドトラックにもなった。バンドは2015年10月、トゥルネンを解雇する前に3枚のシングルと2つのミュージック・ビデオの他、「ベスト・オブ・ナイトウィッシュ」のために「Sleeping Sun」の再録音を生産した。彼女の最後のパフォーマンスはライブアルバム/DVD「エンド・オブ・アン・エラ」に収録されているコンサートである。このコンサート後、他のメンバーは彼女に公開書簡で解雇を通知した。 2007年5月、トゥルネンの後任としてアネット・オルゾンの加入が発表された。同年9月、6作目のアルバム「ダーク・パッション・プレイ」を発売し、世界で約200万枚を売り上げた。アルバムのリードシングル「Amaranth」は、ヨーロッパでナイトウィッシュの最も成功したシングルの1つになった 。アルバムを携えての世界ツアーは、2007年10月6日に始まり、2009年9月19日に終了した。ライブアルバム「メイド・イン・香港」は2009年3月に発売された。7作目のアルバム「イマジナリアム」は2011年後半と2012年初めに様々な国で発売された。 2012年10月1日、ツアー中にオルゾンの脱退を発表。ツアーは、リヴァンプで元アフター・フォーエヴァーのメンバーフローラ・ヤンセンをサポートに起用し続けられた。2013年10月、ヤンセンが正式メンバーとなり、長年にわたるセッション・プレイヤーであったイリアン・パイプス奏者のトロイ・ドノクリーがバンドの常設メンバーになったことを発表。2015年3月27日、アルバム「エンドレス・フォームズ・モスト・ビューティフル」を発売し、批評家から肯定的評価を受けた。 ナイトウィッシュは、フィンランドで3番目に商業的に成功したバンドかつ音楽的存在であり、フィンランドで約90万枚のCDを売り上げている。このグループは世界で最も成功したフィンランドのバンドでもあり、世界で800万枚以上のレコードを売り上げ、アルバムで5作、シングルで13作がチャート1位を獲得し、60以上のゴールド、プラチナ認定を受けている。.

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フィンランド

フィンランド共和国(フィンランドきょうわこく、Suomen tasavalta、Republiken Finland)、通称フィンランドは、北ヨーロッパに位置する共和制国家。北欧諸国の一つであり、西はスウェーデン、北はノルウェー、東はロシアと隣接し、南はフィンランド湾を挟んでエストニアが位置している。 首都ヘルシンキは露仏同盟以来、ロシアの主要都市であるサンクトペテルブルク方面へ西側諸国が投資や往来をするための前線基地となってきた。同じく直近の旧領ヴィボルグはサイマー運河の出口であったが、現在はロシア領で、ノルド・ストリームの経由地となっている。ロシアと欧州諸国の間にある地政学的な重要性から、勢力争いの舞台や戦場にも度々なってきた。 中立的外交の裏では、外交・安全保障やエネルギー政策を巡り東西の綱引きが行われている。国内には原子力発電所があり、オンカロ処分場は2020年に開設されれば世界初の使用済み核燃料の最終処分場となる。情報産業も政治と関係しており、エスコ・アホという首相経験者がノキア取締役を務めている。 人口や経済規模は小さいが、一人当たりGDPなどを見ると豊かで自由な民主主義国として知られている。フィンランドはOECDレビューにおいて「世界で最も競争的であり、かつ市民は人生に満足している国の一つである」と2014年には報告された。フィンランドは収入、雇用と所得、住居、ワークライフバランス、保健状態、教育と技能、社会的結びつき、市民契約、環境の質、個人の安全、主観的幸福の各評価において、すべての点でOECD加盟国平均を上回っている。.

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アクセリ・ガッレン=カッレラ

『サンポの防衛』(1896年)トゥルク美術館蔵 アクセリ・ガッレン=カッレラ(, 1865年4月26日 - 1931年3月7日)は、フィンランドで最も有名な画家の1人。同国の国民的叙事詩「カレワラ」に関連した絵画を数多く描いたことで知られている。また、同国出身の著名な作曲家ジャン・シベリウスと同年の生まれであり、彼同様、スウェーデン系フィンランド人の出自である。講演旅行の帰途、ストックホルムで客死。 フィンランド西部の湾岸都市ポリに生まれたアクセリは、11歳になるとヘルシンキのグラマースクールに進学し、同時にフィンランド芸術教育の絵画教室に通い始めた。16歳で学校をやめると絵の勉強に専念する。 1884年から1889年にかけてパリに遊学しアカデミー・ジュリアンとフェルナン・コルモンの画塾に通い、伝説の乙女アイノの絵を描いたことから民族意識に目覚めると、フィンランドに帰国。神話叙事詩「カレワラ」を題材とした絵画を描き始めた。.

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グラフィックデザイナー

ラフィックデザイナー(graphic designer)とは、写真・動画・絵画・イラスト・文字などを同一画面に構成する人。グラフィックデザイナーの中心的な任務は、情報を視覚的に第三者へ伝えることにある。 アートディレクター、エディトリアルデザイナー、写真家などを兼ねることも多く、組版、イラストレーション、ユーザインターフェース、ウェブデザインなども担当する場合があるが、専門職に委ねられる場合もある。パンフレットや広告のような出版・印刷される媒体、もしくはwebサイトのような電子的な媒体のためのグラフィックを主に作成する。 ただし、厳密には“graphic-”という形容詞自体が「印刷の- 図案の-」という英語的意味を持つため、WebデザイナーやUIデザイナーは「Webクリエイター」「CGグラフィッカー」と区別されるべきものである。 日本では「デザイン」あるいは「デザイナー」という名称は商業目的を指す事が多いため、画家はグラフィックデザイナーと区別されることを望む。横尾忠則のように画家になるためには、デザイナーをやめる必要があると考える者もいる。これは画家の方が制作に対して制約が少なく、格が上であるとの思想から。.

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傷ついた天使

傷ついた天使(原題:Haavoittunut enkeli 1903年)は、フィンランドの象徴派の画家、ヒューゴ・シンベリの作品。彼の代表作であり、2006年のアテネウム美術館で行われたアンケートではフィンランドの「国家の絵」に選ばれた。 シンベリの他の作品と同様に、この「傷ついた天使」もメランコリックな雰囲気に満ちている。中央の、両目を蔽った天使の姿をした少女の羽からは血が流れている。彼女を、くすんだ色の洋服を着た少年たちが担いでいる。右側の少年の、まっすぐ淡々とした視線はこの絵画を観賞する人間を挑発しているようでもあるが、その目つきからは少女を助けようとしているのか、それとも彼が傷つけたのかははっきりしない。 似つかわしくない大人びた装いの少年たちには、やはり彼らのしていることも似つかわしくないようにみえる。おそらく彼ら自身の運命もまたあやういバランスのうえに成り立っていることを示しているのだろう。彼らの仕事は背景にもそのまま現れている。この風景がどんな気晴らしを与えてくれるのだろうか。 天使の神話とも合致するように、少女の両足が地面に着いていないことは非常に重要である。そしてその天使は裸足だ。それを死の象徴とみる文化はいくつもある。しかしまた、天使がマツユキソウ(snowdrop)のひとふさを握り締めていることを見落としてはならない。それは癒しと再生のシンボルなのだ。 シンベリ自身はあらゆる解釈をあたえることを拒絶し、見る人それぞれが結論を引き出すべきだとしている。だが、かつてシンベリが髄膜炎を患っており、この絵が快復する力の源となったことは有名である 。この事実は、「傷ついた天使」にある暗喩的な見方をすることを誘う。髄膜炎とは首もとがひどくこわばる症状として知られている。さらには、無気力やめまいもそうだ。これらは全て、中央の少女の形象にあてはまらないだろうか。また結核性髄膜炎とは上肺野を擦過するものである。彼女の背中にあるものを羽ではなく肺のイメージで読み替えてみるならば、このような「診断」は羽にある小さな傷の説明にもなる。 1905年から06年にかけてタンペレ大聖堂にフレスコ画を描くというオファーをシンベリは受けた。その作品の一つに、より大きなサイズの「傷ついた天使」がある。これはシンベリ自身も気に入っていたという。 フィンランドのカルチャーのなかでは、この絵から派生した作品がよくみられる。有名なものでは、ウニクルビとナイトウィッシュによるミュージックビデオ(2007年)がある。 背景はヘルシンキのエラインタルハで、画面の奥の水辺はトーロン湾である 。.

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タンペレ

タンペレ(Tampere: )は、フィンランド共和国ピルカンマー県の都市。タンペレ郡に属する。スウェーデン語ではタンメルフォシュ(Tammerfors, )と称する。語源は古スウェーデン語のdamber(ダム)+fors(急流)。.

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画家

Jost Ammanによる木版画(1568年) 画家(がか)は、絵画を制作する者の総称である。日本画や洋画など、画風や画材・作成スタイルなどによって、様々なタイプの画家が存在する。画家たちで形成されるコミュニティー(社会)を画壇(がだん)という。.

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象徴主義

象徴主義(しょうちょうしゅぎ、symbolisme; サンボリスムとも)とは、自然主義や高踏派運動への反動として1870年頃のフランスとベルギーに起きた文学運動および芸術運動である。象徴主義者を総称して「象徴派」(symbolistes)と呼ぶ。ロシア象徴主義の開祖となった詩人ワレリー・ブリューソフなどにより、この運動はロシアにまで輸出された。イギリスにおけるラファエル前派も参照。 「象徴主義」(symbolisme)という語は、1886年に「象徴主義宣言」« Le Symbolisme »を発表した詩人ジャン・モレアスが、「象徴」(symbole)という語の語源である「一緒に投げること」を利用し、抽象的な観念とそれを表現するべきイマージュの間にこれらの詩が打ち立てようと望む類比関係を指し示そうとして提案した。.

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思春期

思春期(ししゅんき、Pubertät、puberty)は、人間が生殖器以外でも外形的性差が生じ、やがて生殖能力を持つようになり、性的に成熟し、心身ともに子供から大人に変化する時期のこと。 .

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1873年

記載なし。

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1895年

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1896年

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1897年

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1899年

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1903年

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1905年

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1906年

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1917年

記載なし。

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2007年

この項目では、国際的な視点に基づいた2007年について記載する。.

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6月24日

6月24日(ろくがつにじゅうよっか、ろくがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から175日目(閏年では176日目)にあたり、年末まであと190日ある。誕生花はバラ、バーベナ。.

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7月12日

7月12日(しちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から193日目(閏年では194日目)にあたり、年末まであと172日ある。誕生花はゼニアオイ、パッションフラワー。.

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8月11日

8月11日(はちがつじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から223日目(閏年では224日目)にあたり、年末まであと142日ある。.

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