ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

パルメニデス (対話篇)

索引 パルメニデス (対話篇)

『パルメニデス』(パルメニデース、Παρμενίδης、Parmenides)とは、プラトンの中期対話篇の1つ。副題は「イデアについて」。.

26 関係: 対話篇岩波書店世界大百科事典三十人政権プラトンパナテナイア祭パルメニデスホストアリストテレスアテナイアテナイのアゴラアデイマントス (アリストンの子)イデアエレアエレア派クラゾメナイケラメイコスコトバンクゼノン (エレア派)ゼノンのパラドックスソクラテスソクラテス式問答法国家 (対話篇)紀元前450年田中美知太郎水地宗明

対話篇

対話篇(たいわへん、dialogue, ダイアローグ)とは、複数の登場人物の間での対話形式を採った文学ないし学術作品である。 古より対話形式で著作を著した作家、叙述家、学者は多く、中でも西洋においては、哲学者のプラトンは膨大な著作のほとんどを対話篇で著したことで有名であり、東洋においても古代中国の諸子百家の書にも対話篇を採用したものがある。 対話篇の利点は話し言葉で書かれることが多いことによる記述の平明さ、そして著者の思考の筋道を読者が追うことができる点などがある。しかし、欠点もあり、例えば、複数の登場人物が出てくることからいったいどの登場人物の主張が著者自身の主張であるかがぼやけかねないという点がある。現にデイヴィッド・ヒュームの『自然宗教に関する対話』の登場人物のうちクレアンテスかフィロンのどちらがヒューム自身の見解であるかについては現代でも論争の種である。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)と対話篇 · 続きを見る »

岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)と岩波書店 · 続きを見る »

世界大百科事典

世界大百科事典(せかいだいひゃっかじてん)は、平凡社が出版する百科事典のひとつ。最新版は2007年9月に発売された『改訂新版 世界大百科事典』であり、全35巻、総項約24,900、総項目数約9万、索引項目数約49万である。最新版の編集長は、加藤周一。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)と世界大百科事典 · 続きを見る »

三十人政権

三十人政権(さんじゅうにんせいけん、Thirty Tyrants)とは、ペロポネソス戦争に敗れたアテナイで成立した寡頭政の政権。三十人僭主(さんじゅうにんせんしゅ)とも呼ばれる。三十人僭主という呼び名が最初に使われたのは、アテナイの弁論作家ポリュクラテスが民主派のトラシュブロスを讃えた弁論だと言われている。 およそ1年で崩壊した。メンバーには過激派の急先鋒クリティアス、穏健派の、アポロドーロスの息子カリクレスなどがいた。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)と三十人政権 · 続きを見る »

プラトン

プラトン(プラトーン、、Plato、紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。 プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた“ヨーロッパの哲学の伝統のもつ一般的性格を最も無難に説明するならば、プラトンに対する一連の脚註から構成されているもの、ということになる”(『過程と実在』)。ちなみに、ホワイトヘッドによるこのプラトン評は「あらゆる西洋哲学はプラトンのイデア論の変奏にすぎない」という文脈で誤って引用されることが多いが、実際には、「プラトンの対話篇にはイデア論を反駁する人物さえ登場していることに見られるように、プラトンの哲学的着想は哲学のあらゆるアイデアをそこに見出しうるほど豊かであった」という意味で評したのである。。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする。 青年期はアテナイを代表するレスラーとしても活躍し、イストミア大祭に出場した他、プラトンという名前そのものがレスリングの師から付けられた仇名であると言われているディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』3巻4節。(中野好夫訳、1984年、pp.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とプラトン · 続きを見る »

パナテナイア祭

パナテナイア祭(Παναθήναια, Panathēnaia, パナテーナイア)とは、古代ギリシアのアテナイで行われていた最大の祭典。「全(pan)アテナイの(athenaia)(祭り)」の意で - 世界大百科事典/日本大百科全書/コトバンク、アクロポリスのエレクテイオンに祀られたアテーナーに捧げられた祭典。語義的に分かりやすく弁別してパンアテナイア祭とも言う。 アッティカ暦のヘカトンバイオン月の 28日(グレゴリオ暦で7-8月ころ)前後4日に、豪華な行進(行列)、羊・牛などの犠牲式(供儀)、競技会などが行われ、刺繍された聖衣ペプロスが車輪のついた船の帆柱に掲げられて運ばれ、女神に奉献された。4年に1度の大パナテナイア祭と、毎年の小パナテナイア祭に分かれる。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とパナテナイア祭 · 続きを見る »

パルメニデス

パルメニデス(Παρμενίδης、Parmenidēs 紀元前500年か紀元前475年 - 没年不明)は、古代ギリシアの哲学者。南イタリアの都市エレア出身、エレア派の始祖。アナクサゴラスの弟子・クセノパネスに学んだとも、ピュタゴラス学派のアメイニアス(Ameinias)に師事したとも伝えられる。名門の家柄であり、祖国エレアのために法律を制定したともいわれる。クセノパネスやエンペドクレスにならって、詩の形で哲学を説いている。その中でも教訓詩『自然について』が断片として現存する。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とパルメニデス · 続きを見る »

ホスト

ホスト.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とホスト · 続きを見る »

アリストテレス

アリストテレス(アリストテレース、Ἀριστοτέλης - 、Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)は、古代ギリシアの哲学者である。 プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人とされ、その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。 アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。ギリシャ語ではこれをフィロソフィア()と呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。著作集は日本語版で17巻に及ぶが、内訳は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている立花隆『脳を究める』(2001年3月1日 朝日文庫)。 名前の由来はギリシア語の aristos (最高の)と telos (目的)から 。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とアリストテレス · 続きを見る »

アテナイ

アクロポリス、間にアレオパゴス、西にプニュクスがある。 アテナイと外港ペイライエウス アテナイ(: Ἀθῆναι, Athēnai)は、ギリシャ共和国の首都アテネの古名。中心部にパルテノン神殿がそびえるイオニア人の古代ギリシアの都市国家。名はギリシア神話の女神アテーナーに由来する。アッティカ半島の西サロニコス湾に面し外港ペイライエウスを有していた。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とアテナイ · 続きを見る »

アテナイのアゴラ

アテナイの地図。中央北西にアゴラがある。 アテナイのアゴラでは、古代ギリシアのアテナイにあったアゴラ(広場、市場)について説明する。 アテナイのアゴラは、アテナイの中央北西部に位置する、周囲に様々な公共施設が配置された広場・市場であり、市民交流の場でもあった。 民会(エクレシア)も、後にプニュクスに移されるまでは、ここで開かれた。 ソクラテスもここで度々問答を交わし、ストア派もこのアゴラ北面の「ストア・ポイキレ」(彩色柱廊)を拠点としたことから、その名が付いた。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とアテナイのアゴラ · 続きを見る »

アデイマントス (アリストンの子)

アデイマントス(希:Αδείμαντος、ラテン文字転記:Adeimantos、生没年不明)はアリストンの子で、哲学者プラトンの長兄である。アデイマントスは弟のグラウコン(同じくプラトンの兄)と共にプラトンのいくつかの著作に出演している。 アデイマントスについてはプラトンの断片的な記述からしか分からない。『国家』ではメガラでの戦い(紀元前424年に起こった戦いか、紀元前409年の戦いかで学者の意見は分かれている)でグラウコンと共に武功を挙げたとされており、このことから、その時点では兵役につける年齢であることが分かるので、アデイマントスはプラトン(紀元前427年生)とは年齢が大きく離れていることが分かる。また、『ソクラテスの弁明』においてソクラテスが自分が青年たちを毒しているとすればその父兄や身内が黙っているはずがないと言った時にプラトンの兄としてアデイマントスを引き合いに出していることからアデイマントスは早くに父を失ったプラトンの保護者の立場にあったようである。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とアデイマントス (アリストンの子) · 続きを見る »

イデア

イデア(ιδέα、idea)とは、.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とイデア · 続きを見る »

エレア

レア.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とエレア · 続きを見る »

エレア派

レア派は南イタリア(マグナ・グラエキア)のルカニアのギリシア植民地エレア(現在のサレルノ県のヴェリア Velia)における、前ソクラテス期の哲学の学派である。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とエレア派 · 続きを見る »

クラゾメナイ

ラゾメナイのオリーブ油工房 クラゾメナイ()は、イオニア同盟の一員だったイオニアの古代ギリシア都市。現在のトルコ、イズミル近郊のウルラにあたる。銀貨を鋳造した初期の都市の1つである。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とクラゾメナイ · 続きを見る »

ケラメイコス

ラメイコス ケラメイコス(Κεραμεικός、Kerameikos)はギリシアのアテネの1地区で、アクロポリスの北西に位置する。かつての市壁のディピュロン(Δίπυλον)門の内外の広い地域を含み、エリダノス川という小川に沿っている。古代には陶工が多く住む地域で、英語のセラミック (ceramic) の語源でもある。また、市街地からの道路に沿って重要な墓地があり、多数の墓標彫刻が立っていた。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とケラメイコス · 続きを見る »

コトバンク

kotobank(コトバンク)は朝日新聞社が主体となってとりまとめたインターネット百科事典。新聞社が提供するウェブサイトの特色として報道記事中の用語解説を強化し、朝日新聞サイト掲載記事にリンクする朝日新聞「新用語解説サイト「kotobank」(コトバンク)を4月23日に開設 - asahi.com提供サービス」2009年4月22日 。 2009年4月23日の正式発足時は、同社と講談社、小学館、朝日新聞出版の各社が提供するものを核とした44辞書・事典の計43万項目を網羅する。VOYAGE GROUPがサイト構築と運営を担当し、オーバーチュアの検索エンジンとインターネット広告システムを利用、検索連動型広告(キーワード広告)を収益源とする。 2011年3月より朝日新聞とジェネシックスがiPhone向け電子辞書プラットフォームアプリ「kotobank for iPhone」の配信を開始ECナビ「」2011年3月29日。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とコトバンク · 続きを見る »

ゼノン (エレア派)

レアのゼノン(Ζήνων Έλεάτης、Zeno Eleates、Zeno of Elea、Zénon d'Élée、Zenon von Elea、 紀元前490年頃 - 紀元前430年頃)は、古代ギリシアの自然哲学者で、南イタリアの小都市エレアの人。ゼノンのパラドックスを唱えたことで有名。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とゼノン (エレア派) · 続きを見る »

ゼノンのパラドックス

ノンのパラドックスとは、エレア派のゼノンの議論で、特にパルメニデスを擁護してなされたいくつかの論駁を指す。多・場所・運動・粟粒等の論があったと伝えられているが、本人の書は失われ、断片が残るだけである。アリストテレスが『自然学』の中で、ゼノンに対する反論として引用した議論が、比較的詳しいものであり、重要なものとして取り上げられてきた。そのなかで運動のパラドックスと呼ばれるものは、運動があるとするとこのような不合理が帰結すると論じられた。がアリストテレスを注釈しつつ他の議論に触れているものおよびその他の断片から、多(多数性plurality)の議論もいくつか残った。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とゼノンのパラドックス · 続きを見る »

ソクラテス

ラテス(希:Σωκράτης、ラテン語:Socrates、紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)は、古代ギリシアの哲学者である。長母音を発音するならソークラテース。妻は、悪妻として知られる、クサンティッペ。 ソクラテス自身は著述を行っていないので、その思想は弟子の哲学者プラトンやクセノポン、アリストテレスなどの著作を通じ知られる。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とソクラテス · 続きを見る »

ソクラテス式問答法

ラテス式問答法(ソクラテスしきもんどうほう、Socratic method。別名: 反対論証法〔method of elenchus〕もしくはソクラテス式討論〔Socratic debate〕)は古代ギリシャの哲学者ソクラテスにちなんで名づけられた探究の方式であり、個人間の議論の方式である。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)とソクラテス式問答法 · 続きを見る »

国家 (対話篇)

『国家』(こっか、Πολιτεία、ポリテイア、The Republic)は、古代ギリシアの哲学者プラトンの中期対話篇であり、主著の1つ。副題は「正義について」。『国家篇』とも。 なお、ギリシア語原典は長らくジョン・バーネットの校本がOxfordから出版されていたが、現在ではS.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)と国家 (対話篇) · 続きを見る »

紀元前450年

紀元前450年は、ローマ暦の年である。当時は、「第二次十人委員会の年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元304年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前302年と表記されるのが一般的となった。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)と紀元前450年 · 続きを見る »

田中美知太郎

中 美知太郎(たなか みちたろう、1902年(明治35年)1月1日 - 1985年(昭和60年)12月18日)は、日本の哲学者、西洋古典学者。京都大学名誉教授。文学博士(1950年)。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)と田中美知太郎 · 続きを見る »

水地宗明

水地 宗明(みずち むねあき、1928年9月6日- )は、日本の哲学者。滋賀大学名誉教授。.

新しい!!: パルメニデス (対話篇)と水地宗明 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »