ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

ニュージーランド・ポンド

索引 ニュージーランド・ポンド

ニュージーランド・ポンド(New Zealand Pound)は1840年から1967年までニュージーランドの他、クック諸島、トケラウ、ニウエ、ピトケアン諸島で用いられていた旧通貨単位。NZP、NZ£などとも略される。 当時のイギリスポンド同様、補助単位は1ポンド.

19 関係: 中央銀行ペニーマオリ王トケラウピトケアン諸島ニュージーランドニュージーランド・ドルニュージーランド準備銀行ニウエクック諸島シリングジェームズ・クックスターリング・ポンドセント (通貨)紙幣通貨の補助単位1840年1934年1967年

中央銀行

中央銀行(ちゅうおうぎんこう、)とは、国家や一定の地域の金融機構の中核となる機関である。通貨価値の安定化などの金融政策も司るために「通貨の番人」とも呼ばれる。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドと中央銀行 · 続きを見る »

ペニー

ペニーは、英国の下位通貨単位、もしくはアメリカとカナダにおける1¢(セント)銅貨の別称。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとペニー · 続きを見る »

マオリ王

初代のマオリ王 ポタタウ・テ・フェロフェロ 現在のマオリ王 ツヘイティア・パキ マオリ王(マオリおう、)は、ニュージーランドの先住民・少数民族であるマオリの首長の地位である。王を名乗ってはいるが、国家から公認された地位ではない。それでもマオリの間での権威は大きなものがある。現在の王は第7代のツヘイティア・パキ。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとマオリ王 · 続きを見る »

トケラウ

トケラウ (Tokelau) は、南太平洋にあるニュージーランド領の島嶼群及び自治領。旧称はユニオン諸島(Union Islands)。トケラウ諸島(Tokelau Islands)のアタフ島、ヌクノノ島、ファカオフォ島の三つの環礁からなり、国際連合総会によって国際連合非自治地域リストに登録されている。 なお、同じトケラウ諸島に属するスウェインズ島(トケラウ政府の呼称は「オロセンガ島」)はアメリカ領サモアとなっており、トケラウ政府は返還を要求している。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとトケラウ · 続きを見る »

ピトケアン諸島

ピトケアン諸島(ピトケアンしょとう、;、)は、南太平洋に位置するイギリスの海外領土。唯一の有人島であるピトケアン島をはじめとする5つの島からなる。正式名称は 。1767年、イギリス軍艦「」の士官候補生ロバート・ピトケアンが発見した。 諸島の周囲300 kmには、他に有人島は無い。この絶海の孤島に人が住み着くようになったのは、映画でも有名な「バウンティ号の反乱」がきっかけである。現在ピトケアン島に住んでいるのは、この反乱に参加した水兵の子孫が主である。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとピトケアン諸島 · 続きを見る »

ニュージーランド

ニュージーランド(New Zealand)は、南西太平洋のオセアニアのポリネシアに位置する立憲君主制国家であり、ニュージーランド王国を構成する最大の主体地域である。島国であり、二つの主要な島と、多くの小さな島々からなる。北西に2,000km離れたオーストラリア大陸(オーストラリア連邦)と対する。南方の南極大陸とは2,600km離れている。北はトンガ、ニューカレドニア、フィジーがある。イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国となっている。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとニュージーランド · 続きを見る »

ニュージーランド・ドル

ニュージーランド・ドル(New Zealand dollar)は、ニュージーランドの他、クック諸島、トケラウ、ニウエ、ピトケアン諸島で用いられる通貨である。1967年7月に旧ニュージーランド・ポンドに代わり登場した。NZD、NZ$などとも略される。愛称はキーウィドル。紙幣・硬貨はニュージーランド準備銀行が発行する。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとニュージーランド・ドル · 続きを見る »

ニュージーランド準備銀行

ニュージーランド準備銀行(Reserve Bank of New Zealand,略称:RBNZ)は、ニュージーランドの中央銀行。所在地はウェリントン。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとニュージーランド準備銀行 · 続きを見る »

ニウエ

ニウエ(Niue)は、南緯19度、西経169度にある国。ニュージーランドの北東、トンガの東、サモアの南東にある。ニュージーランドとの自由連合関係をとっている。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとニウエ · 続きを見る »

クック諸島

ック諸島(クックしょとう、Cook Islands)は、南太平洋ポリネシアにある24の珊瑚環礁と火山島からなる島国である。 ニュージーランドと自由連合制をとり、国民はニュージーランド国籍を有する。軍事および外交の最終的な責任はニュージーランドが有するが、主権国家と同等の内政を行い、ニュージーランド政府の事前承認を経ずに独自の外交を行っている。国連には加盟しておらず国家として承認していない国が多いが、2001年以降諸外国との外交関係の樹立を積極化させている。現在は、国連に加盟する31か国およびバチカン、欧州連合と外交関係を締結している。日本は2011年3月25日にクック諸島を国家として承認し、同年6月の首相夫妻来日を機に、実務レベルでの外交関係を開設した外務省 2011年6月16日。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとクック諸島 · 続きを見る »

シリング

リング(shilling / Schilling / shilingi)は、いくつかの国の通貨。 ウガンダ、ケニア、ソマリア、ソマリランド、タンザニアの現行通貨。イギリス(補助通貨)とオーストリアにもあったが、現在は共に廃止されている。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとシリング · 続きを見る »

ジェームズ・クック

ェームズ・クック(、 1728年10月27日 - 1779年2月14日)は、イギリスの海軍士官、海洋探検家、海図製作者。通称キャプテン・クック (Captain Cook)。 一介の水兵から、英国海軍の (Post Captain) に昇りつめたネルソンの時代(1800年前後)の英国海軍には、水兵から士官(海尉と航海長を指すと思われる)に這い上がった男が120人存在し、そのうちの22人が勅任艦長となり、22人のうちの3人が提督、最終的には海軍大将まで上り詰めた(「風雲の出帆 - 海の覇者トマス・キッド 1」、ハヤカワ文庫、2002年、508頁、訳者の大森洋子によるあとがき)。1814年、ナポレオン戦争が終わろうとしていた年、最大規模にあった英国海軍は、戦列艦99隻、フリゲイト以下505隻を現役で運用し、乗組みの下士官兵は20万人を超えていたと思われる。指揮する士官は、将官が220名、勅任艦長が860名、海尉艦長が870名、海尉級の士官が4,200名を超えていた(「セーヌ湾の反乱 - 海の男ホーンブロワーシリーズ 9」ハヤカワ文庫、2008年15刷、410頁、訳者の高橋泰邦によるあとがき)。。 太平洋に3回の航海を行い、オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見し、自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し(第2回航海)、ニューファンドランド島とニュージーランドの海図を作製した。史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航を成し遂げた(第1回航海)。 10代を石炭運搬の商船船員として過ごした後、1755年に英国海軍に水兵として志願し、七年戦争に加わった。船員としての能力を認められたクックは1757年に士官待遇のに昇進し当時の英国海軍では、現在の海軍に通じる、『艦長(勅任艦長 Post Captain、海尉艦長 Commander、軍艦を指揮する海尉 Commanding Lieutenant)→ 海尉 Lieutenant → 士官候補生 Midshipmen → 下士官兵』の指揮系列と、『航海長 Master → 航海士 Master's Mate → 下士官兵』の指揮系列が併存していた。航海長は、複雑極まる帆船の操船、海図の管理の責任を持ち、艦長らの正規海軍士官を戦闘に専念させるための職であった。航海長は、正規の指揮権を有さないものの、艦内での待遇や俸給は海尉と同等であった。現代の海軍とは異なり、航海長の方が艦長より年長で、海上勤務年数が長いことが珍しくなかった。 、英国軍艦Solebay号の航海長として、セントローレンス川の河口域を綿密に測量し海図を作成した。クックの作成した海図はウルフ将軍のケベック奇襲上陸作戦(1759年)の成功を導き、クックの存在は英国海軍本部と英国王立協会に注目されることとなった。クックは南方大陸探索の命を受けて、英国軍艦エンデバー号を指揮し、1766年に第1回航海に出帆した。 クックは多数の地域を正確に測量し、いくつかの島や海岸線をヨーロッパに初めて報告した。クックの幾多の偉大な功績をもたらしたのは、卓越した航海術、すぐれた調査と地図作成技術、真実を確かめるためには危険な地域も探検する勇気(南極圏への突入、グレートバリアリーフ周辺の探検など)、逆境での統率力、海軍省の指令の枠に納まらない探検範囲と気宇の壮大さ、これらのすべてであったと言えよう。また壊血病の予防に尽力し表彰されている。 第3回航海の途上、ハワイ島で先住民との争いによって1779年に落命した。 かつてニュージーランドで発行されていた10シリング(1940年 - 1955年)、5ポンド・10ポンド紙幣(1956年 - 1967年)に肖像が使用されていた。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとジェームズ・クック · 続きを見る »

スターリング・ポンド

ターリング・ポンド()は、イギリスの通貨。通貨単位としてのポンドはかつてイギリス連邦諸国で用いられ、エジプトなどでは現在も用いられているが、単にポンドというと通常イギリスのポンドのことを示す。通貨記号は £、国際通貨コード (ISO 4217) は、GBPであるが、STGとも略記する。呼称としてはポンド、スターリングの他に quid が用いられることがある。日本ではイギリス・ポンド、または英ポンドと呼ばれることも多い。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとスターリング・ポンド · 続きを見る »

セント (通貨)

ント (cent) は、アメリカ合衆国、ユーロ圏など多くの国で使われている補助通貨。 ラテン語で「100」を意味するcentum(ケントゥム)が語源で、基本通貨の名称は違ってもどの国でも基本通貨の1/100である。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドとセント (通貨) · 続きを見る »

紙幣

紙幣(しへい)とは、紙製の通貨の事である。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドと紙幣 · 続きを見る »

通貨の補助単位

通貨の補助単位(つうかのほじょたんい)とは、各国の通貨の取引において、1通貨単位未満の金額や、多額の金額を、簡単な数字で表すために使われる単位である。現在ではそのほとんどが1通貨単位の100分の1である。硬貨により流通することが多いが、補助単位の価値が日常取り引きされる金額の最小単位より小さい場合には、この補助単位は用いられないこともある。 例えば、日本円の補助単位は銭であるが、現在、1銭硬貨や10銭硬貨などは流通していない。これは1953年に小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律によって1953年12月31日を最後に1円未満の通貨の通用は廃止したためである。ただし、現在においても為替や日経平均株価の表示には銭が使われているため、ニュース等ではなじみのある単位となっている。.

新しい!!: ニュージーランド・ポンドと通貨の補助単位 · 続きを見る »

1840年

記載なし。

新しい!!: ニュージーランド・ポンドと1840年 · 続きを見る »

1934年

記載なし。

新しい!!: ニュージーランド・ポンドと1934年 · 続きを見る »

1967年

記載なし。

新しい!!: ニュージーランド・ポンドと1967年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »