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ドレゴヴィチ族

索引 ドレゴヴィチ族

ドレゴヴィチ族(古東スラヴ語:дьрьговичи 、Дрыгавічы、Дреговичі、Дреговичи)は9-12世紀に現在のベラルーシのホメリ州・ヴィーツェプスク州・フロドナ州・ミンスク州に居住していた、東スラヴ民族 の連合体の1つである。ドレゴヴィチ族の名前の由来は、おそらく古東スラヴ語の沼を意味するдрегва(もしくはдрягва)であるとされている。なお現代のベラルーシ語ではдрыгваは湿原を意味する。.

20 関係: 古東スラヴ語ミンスク州ネマン川ポロツク公国ヤトヴャグ族ラヂミチ族ヴィーツェプスク州トゥーラウトゥーロフ公国フロドナ州ドレヴリャーネ族ホメリ州ベラルーシ和田春樹インターネットアーカイブキエフ大公国クリヴィチ族クルガン東スラヴ人10世紀

古東スラヴ語

古東スラヴ語(こひがしスラヴご、Old East Slavic, OES、古代ロシア語、古ルーシ語などとも)は、10世紀から15世紀にかけて、キエフ・ルーシとその後継諸国の東スラヴ人によって使用された言語。かつて現在の東ヨーロッパのウクライナ、ベラルーシ、ロシアやポーランドの県の一部で話されており、今日のウクライナ語、ベラルーシ語、ロシア語などに発展したとされる(否定説もある中井「ウクライナ語小史」p.157)。.

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ミンスク州

ミンスク州(Мі́нская во́бласць、、Минская о́бласть)とは、ベラルーシの州である。州都は同国の首都でもあるミンスクだが、基本的にはミンスク州とは別の物として考えられている。2004年現在の人口は150万3000人で同国の人口の15.5%程度を占める。.

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ネマン川

ネマン川流域地図 1923-1939年のメーメルラント ネマンデルタのヴェンテ岬に建つ灯台 ネマン川(ネーマン川とも、Неман ニェーマン)は、東ヨーロッパを流れバルト海に注ぐ川である。 各国語でネムナス川(Nemunas ネムナス)、ニョーマン川(Нёман ニョーマン)、ニェメン川(Niemen ニェーメン)、メーメル川(Memel メーメル)と呼ばれている。.

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ポロツク公国

ポロツク公国(Полацкае княства)はキエフルーシ時代に、現ベラルーシのポロツク(ベラルーシ語ではポーラツク)を首都として成立した国家である。キエフ大公国から最初に分離した公国であり、しばらく後に事実上の独立を果たした。公国の歴史を概括すると、前期はキエフ大公国などのルーシ諸国と、中期にはリヴォニア帯剣騎士団などの十字軍勢力と争い、最終的にはリトアニア大公国に組み込まれた。.

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ヤトヴャグ族

ヤトヴャグ族(Ятвяг、複数形はЯтвяги:ヤトヴャギ。またJotvingiai)は中世のバルト系部族であるЯтвяги // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона (ブロックハウス・エフロン百科事典): в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.

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ラヂミチ族

ラヂミチ(ラジミチ)族(Радзімічы、Радимичі、Радимичи)は、9 - 12世紀の年代記(レートピシ)に言及される、スラヴ人の部族あるいは部族連合である。ドニエプル川の上流域からソジ川流域(現ベラルーシ・ホメリ州、マヒリョウ州)にかけての範囲を居住地としていたРадимичи // ブロックハウス・エフロン百科事典。 『原初年代記』には、ラヂミチ族はリャフ人(ru)(ポーランド人)より出でてルーシの地に定住し、またルーシ(キエフ大公国)にダーニ(貢税)を支払っているということが記されている。この記述を含め、伝説的にはポーランド由来の部族とみなされているが、その起源に関する定説は打ち出されていない。.

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ヴィーツェプスク州

ヴィチェプスク州の位置 ヴィーツェプスク州(Ві́цебская во́бласць)はベラルーシ北部に位置する州。州都はヴィーツェプスク。面積は40,100km2。人口は129万4700人(2006年末)。州の南をマヒリョウ州、ミンスク州及びフロドナ州に接している。また東及び北をロシアに、北及び西をラトビア及びリトアニアに接している。.

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トゥーラウ

トゥーラウ(Тураў)は、ベラルーシのホメリ州ジトカヴィーチ地区(bex)の市である。ベラルーシで最も古い都市の一つであり、12世紀・13世紀にはトゥーロフ公国の首都だった。歴史的地域区分としてはパレーッシェ(ポリーシャ・ポレシエ)に含まれる。なお、歴史学的文献においてはトゥーロフ、トゥロフ等とも表記されている。 (留意事項) 12 - 13世紀のトゥーラウを首都としていた公国は、2013年時点の日本語書籍では多く「トゥーロフ公国」と表記されているために、本頁では「トゥーロフ公国」、またその君主を「トゥーロフ公」と表記している。.

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トゥーロフ公国

トゥーロフ公国(Туровское княжество、Тураўскае княства)は、10世紀 - 14世紀にパレーッセ地方・プリピャチ川の中流・下流(主にベラルーシ南部)に位置したキエフ・ルーシ時代の公国である。 領土の大部分はドレゴヴィチ族の定住地域であり、一部ドレヴリャーネ族の定住地域を含んでいた。公国の首都はトゥーロフにあった。トゥーロフの年代記への初出は980年の記述である。他の主要都市として、後に独立してピンスク公国の首都となるピンスクや、マズィル、スルツクがあった。 トゥーロフ公国は13世紀の初めに4つに分裂した。その後ピンスク公国と共にドゥブロヴィツァ公国となり、最終的には14世紀にリトアニア大公国に組み込まれた。.

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フロドナ州

フロドナ州の位置 フロドナ州(Гродзенская вобласць)はベラルーシ西部に位置する州(オーブラスチ)。州都はフロドナ。面積は25,000km²。人口は112万3,500人(2006年末)。.

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ドレヴリャーネ族

8-9世紀の東スラブ人 デレヴリャーネ族またはドレヴリャーネ族(古ルーシ語:Деревлѧне、デレヴリャーネ、或いはДревлѧне、ドレヴリャーネ / ウクライナ語:Деревляни、デレヴリャーヌィ / Драўляне、ドラウリャーネ / ロシア語:Древляне、ドレヴリャーネ)は6世紀から10世紀にかけて現代の北ウクライナ・南ベラルーシの辺りに居住していた東スラブ人の部族。デレヴリャーという名前はスラブ語のдерево(デレヴォ、「樹木」の意)から来ており、それは彼らが茂った森に生息していたことに由来する。.

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ホメリ州

ホメリ州(Го́мельская во́бласць)はベラルーシ南東部に位置する州(オーブラスチ)。州都はホメリ。面積は32,700km²。人口は148万5100人(2006年末)。.

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ベラルーシ

ベラルーシ共和国(ベラルーシきょうわこく、Рэспу́бліка Белару́сь、Республика Беларусь)、通称ベラルーシは、東ヨーロッパに位置する共和制国家。日本語では白ロシア(はくロシア)とも呼ばれる。東にロシア、南にウクライナ、西にポーランド、北西にリトアニア、ラトビアと国境を接する、世界最北の内陸国である。首都はミンスク。ソビエト連邦から独立した。国際連合にはウクライナと共に、ソ連時代からソ連とは別枠で加盟していた。また、ヨーロッパ州で最も北にある内陸国の一つでもある。.

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和田春樹

和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13日 - )は、日本の歴史学者、社会科学研究家、市民運動家である。専門はソ連史・ロシア史・朝鮮史。東京大学名誉教授。.

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インターネットアーカイブ

旧インターネットアーカイブ本部(1996年 - 2009年11月) インターネットアーカイブ (The Internet Archive) は、WWW・マルチメディア資料のアーカイブ閲覧サービスとして有名なウェイバックマシン (Wayback Machine)を運営している団体である。本部はカリフォルニア州サンフランシスコのリッチモンド地区に置かれている。 アーカイブにはプログラムが自動で、または利用者が手動で収集したウェブページのコピー(ウェブアーカイブ)が混在しており、これは「WWWのスナップショット」と呼ばれる。ほか、ソフトウェア・映画・本・録音データ(音楽バンドなどの許可によるライブ公演の録音も含む)などがある。アーカイブは、それらの資料を無償で提供している。.

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キエフ大公国

フ大公国(キエフたいこうこく)は、9世紀後半から1240年にかけてキエフを首都とした東欧の国家である。正式な国号はルーシ(古東スラヴ語: Русь)で、日本語名はその大公座の置かれたキエフに由来する。 10世紀までにキリスト教の受容によってキリスト教文化圏の一国となった。11世紀には中世ヨーロッパの最も発展した国の一つであったが、12世紀以降は大公朝の内訌と隣国の圧迫によって衰退した。1240年、モンゴル来襲によってキエフは落城し、事実上崩壊した。.

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クリヴィチ族

リヴィチ族(地図中ではクリーヴィチと表記)等の居住範囲を示す。 クリヴィチ族(Крывічы、Кривичи、кривичі)は、6世紀 - 10世紀の西ドヴィナ川、ドニエプル川、ヴォルガ川の三河川の上流域に形成された、東スラヴ民族の部族連合体である。ルーシの史料では『原初年代記』にその名がみられる國本哲男『ロシア原初年代記』22頁。 クリヴィチ族の居住地域(現在の地理で言えば、南部を除くベラルーシ全域と、ロシアのスモレンスク州・プスコフ州のあたりに相当する。)は、9世紀頃にキエフ大公国の一部に組み込まれ、11世紀 - 12世紀にはスモレンスク公国・ポロツク公国の領域となった。また北西部はノヴゴロド公国に属した。主要都市にはスモレンスク・ポロツク・イズボルスクがあった。クリヴィチ族は農耕・牧畜・手工業を営んでおり、民族研究上の仮説の1つによれば、古ルーシ民族(ru)に含まれる。 (留意事項):本文・注釈のキリル文字表記にはロシア語を用いている。(参考文献・出典の書籍名はこの限りではない。).

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クルガン

ヴァウキ付近のヤトヴャグ族のものとされるクルガン クルガン()は、ユーラシア大陸中緯度のステップ帯に分布する、青銅器時代の土による墳丘を伴う墓もしくは積石塚のマウンドを伴う墳墓である。墳丘墓の一種で、日本の古墳に近い。 そこから発展してしばしば、樹木を組んで作った玄室のような施設までを指す語として使われる。 「クルガン」はトルコ語起源のスラヴ人の単語である。.

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東スラヴ人

東スラヴ人(ひがしスラヴじん)とは、スラヴ人の中で東スラヴ語を話す、現代のウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人や近隣の少数民族のことを指す。中世には、東スラヴ人のルーシ人がキエフ・ルーシ(リューリク朝)を支配した。.

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10世紀

江南の爛熟。画像は顧閎中が描いた「韓煕載夜宴図(北京故宮博物館蔵)」。五代十国南唐の後主李煜時代の宮廷の優雅な様子がしのばれる。 コルドバ。画像はコルドバにあるメスキータの円柱の森。10世紀末までに歴代の後ウマイヤ朝カリフによって改築が続けられ今ある姿となった。 10世紀(じっせいき)とは、西暦901年から西暦1000年までの100年間を指す世紀。1千年紀における最後の世紀である。.

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