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トンブリー

索引 トンブリー

トンブリー(、「金都」の意)は、タイのトンブリー王朝時代の王都。現在はバンコク都に含まれる(トンブリー区など)。チャオプラヤー川の右岸に位置していた。.

12 関係: 仏滅紀元ミャンマーチャオプラヤー川バンコクラーマ1世トンブリー区トンブリー王朝アユタヤ王朝タークシンタイ王国1767年1972年

仏滅紀元

仏滅紀元(ぶつめつきげん、Buddhist calendar)とは、釈迦が入滅したとされる年、またはその翌年を元年とする紀年法である。 仏暦(ぶつれき)ともいう。東南アジアの仏教徒の多い国などで用いられている。.

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ミャンマー

ミャンマー連邦共和国(ミャンマーれんぽうきょうわこく、ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်、Myanmar)、通称ミャンマー/ビルマは、東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家。独立した1948年から1989年までの国名はビルマ連邦。ASEAN加盟国、通貨はチャット、人口は 5,142万人(2014年)、首都はネピドー(2006年まではヤンゴン)。 南西はベンガル湾、南はアンダマン海に面する。南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接する。インド東部とミャンマー南西部はベンガル湾をはさみ相対している。 多民族国家で、人口の6割をビルマ族が占め、ビルマ語が公用語である。他に、カレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ビルマ族、シャン族、北東部に中国系のコーカン族などの少数民族がおり、独自の言語を持つ民族も多い(言語参照)。.

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チャオプラヤー川

チャオプラヤー川(チャオプラヤーがわ、タイ語:แม่น้ำเจ้าพระยา 、ラテン文字転写:Chao Phraya)は、タイのバンコクなどを中心に流れる、タイ国内の大きな河川の一つである。.

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バンコク

バンコク(フランス語:Bangkok,,)若しくはクルンテープマハナコーン(,)略語クルンテープ(,,)は、タイ王国の首都である。人口8,249,117人(2010年)、面積1568.737km²。都市圏人口は2016年時点で1500万人を超えており、世界有数の大都市圏を形成している。東南アジア屈指の世界都市でもある。.

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ラーマ1世

ラーマ1世()はチャクリー王朝の初代のシャム国王。プッタヨートファーチュラーローク()とも呼ばれる。.

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トンブリー区

トンブリー区(トンブリーく、タイ語: เขตธนบุรี)は、タイ王国バンコク都の行政区画(ケート)の一つ。 北から時計回りに、プラナコーン区、クローンサーン区、バーンコーレーム区、ラートブーラナ区、チョームトーン区、パーシーチャルーン区、バーンコークヤイ区と接している。 1972年にトンブリー県がバンコクに吸収された際に一部がトンブリー区として発足した。.

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トンブリー王朝

トンブリー王朝 (ธนบุรี)(1767年 - 1782年)は、タイの正統王朝の一つ。首都はトンブリー。中国の潮州系タイ人、鄭昭、タークシン王によって創設された。 今のチャックリー王朝の前の王朝にあたり、アユタヤ王朝が破壊された翌年、バンコクのチャオプラヤー川西岸に建設された。その翌年の1768年8月にタークシンは、清朝に使者を派遣し冊封を求めた。しかし乾隆帝はタークシンに否定的評価を下した。清朝との交渉は1769年に好転し、交易を再開し、武器や戦略物資等の獲得の道を開いた。 一方、1769年ピマーイ、ナコンシータマラートを占領、また同年にバッタンバン、シエムリエプを併合し、東北のロムサック、南部のパタニ、トレンガヌをも支配下に置き、1770年にはピサヌロークとその周辺を制圧し、北部地方の統治権を奪取した。しかし、国内の4勢力を退けてもなお、現在のカンボジャ、ベトナム国境西端に脅威の勢力が存在した。1771年ハーティエンを攻撃したが失敗に終わる。1777年に西山の乱が起こり、宗主権争いをしているハーティエンの勢力を滅亡に追い込んだ。対中交渉を再開始し、数回目の使者を送り、冊封を認められ、硫黄、鉄の輸入に成功している。 タークシン王一代限り15年間続いたが、王朝末期、タークシン王が乱心をきたし、部下のチャオプラヤー・マハーカサット・スックに殺され、チャオプラヤー・マハーカサット・スック(ラーマ1世)が王に就いたことで幕を閉じた。.

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アユタヤ王朝

アユタヤ王朝(1351年 - 1767年)は現タイの中部アユタヤを中心に展開したタイ族による王朝。創設者はラーマーティボーディー1世(ウートーン王)。王統は一つではなく、隣国の征服や重臣の簒奪で、5つの王家にわかれる。三番目の王家(1569-1629)は、スコータイ朝の王家の末裔である タイに起こった各時代の王朝同様、中国とインド、ヨーロッパ方面を結ぶ中間に位置する地の利を生かし、貿易が国の富として重要であった。アユタヤ王朝でも王家を中心として、独占的な貿易が行われた。主に中国への米の輸出で国力を付けたほか、日本、琉球などの東アジア国家、東南アジア島嶼部、アラブ・ペルシア方面や西洋と活発に貿易を行い、莫大な富を蓄えた。この富を背景にアユタヤでは当時繁栄していたクメール文化を吸収しつつ、中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの文化の影響を受けた独自の華やかな文化が開花した。.

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タークシン

タークシン(Taksin、1734年4月17日 - 1782年4月6日)はタイのトンブリー朝の王。華僑としてタイの君主となった。中国名は鄭信。 同じ中国系タイ人であるタクシン・チナワットら「タクシン」名の人物と混同されるが、タークシン(ตากสิน)とタクシン(ทักษิน; Thaksin)はタイ語の綴りが異なり、別の名前である。.

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タイ王国

タイ王国(タイおうこく、ราชอาณาจักรไทย )、通称タイ(ประเทศไทย )は、東南アジアに位置する君主制国家。東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国、通貨はバーツ、人口6,718万人、首都はバンコク。 国土は、インドシナ半島中央部とマレー半島北部を占める。南はマレーシア、東はカンボジア、北はラオス、西はミャンマーと国境を接する。マレー半島北部の西はアンダマン海、東はタイランド湾に面する。 2014年にプラユット将軍率いる国軍が軍事クーデターを起こし、従来の憲法(2007年憲法)と議会を廃止し実権掌握以降、軍事独裁政権が継続している。 2016年10月13日にプーミポン・アドゥンラヤデート(プミポン)国王が崩御。 同年12月1日にワチラーロンコーンが国王に即位した。 2017年4月7日に新憲法が公布され、同日施行された。.

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1767年

記載なし。

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1972年

協定世界時による計測では、この年は(閏年で)閏秒による秒の追加が年内に2度あり、過去最も長かった年である。.

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