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トンキン

索引 トンキン

トンキン(黄緑) トンキン(、)は、紅河流域のベトナム北部を指す呼称にして、この地域の中心都市ハノイ(河内)の旧称である。 フランスの植民地体制下においては、フランス領インドシナを構成するハノイを中心としたベトナム北部の保護領を指す名称として使用された。現在では、ベトナム北部を指す名称としてトンキンは余り用いられないが、バクボ(北部)湾の通称である「トンキン湾」は使用されている。.

35 関係: 安南中国交趾郡保護国ハノイハティン省ヨーロッパトンキン湾フランシス・ガルニエフランスフランス領インドシナフエホーチミン市ベトナムゲアン省コーチシナタインホア省副王石炭理事官紅河総督黎朝阮朝鄭主植民地清仏戦争日本1873年1882年1883年1884年1885年1887年

安南

安南(紫) 安南(あんなん、l'Annam、)は、フランス統治時代のベトナム北部から中部を指す歴史的地域名称で、唐代の安南都護府に由来する。ただし、これはフランス側の呼称であって阮朝ベトナムの行政区分における中圻(チュンキ)に相当している。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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交趾郡

交趾郡(こうし-ぐん/こうち-ぐん・交阯郡、)は、前漢から唐にかけて置かれた中国の郡の名称。現在のベトナム北部紅河中下流域地域を指し、後にこの地域が独立した後もこの地域及びその地の諸政権を交趾・交阯(こうし/こうち)と呼称し、日本などにおいても用いられた。 古くはこの地方の住民の足が大変大きく、真っ直ぐに立つと左右両足の指(趾)が交差するからだとされて来たが、全く根拠が無く、その地名の由来は不詳である。その呼称が登場する最古の記録は秦がこの地域に進出して以後である。 前漢の武帝が南越を征服して置いた9つの郡の一つであり、当初は羸𨻻・安定・苟屚・麋泠・曲昜・北帯・稽徐・西于・龍編・朱䳒の10県により構成されていた。郡治についてははっきりしない。『晋書』、『元和郡県図志』は龍編県とし、『水経注』引『交州外域記』は麋泠県とし、『大越史記全書』、『大越地輿全編』引『漢書』師古注は羸𨻻県とする。その後の歴代政権に継承され、後漢末期から呉初期にかけては交州に属して士燮が群雄の一人として割拠した。その後、行政区分の変更によって県の数に変動が生じたが、隋の時代に交趾郡の郡治(郡の役所の所在地)として交趾県が設置された。その後唐の初期に行政区分の改革に伴い、交州が交趾郡の領域に縮小・統合されて以後、交州と称した。交州のもとでも唐の末期に移転されるまで交趾県に交州の州治が置かれていた。 名古屋コーチンなど、鶏の品種名に使われるコーチンはこの地名に由来するとされる。 コーチシナ(.

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保護国

保護国(ほごこく、protectorat、protectorate)とは、保護を名分とした条約により、他国に干渉、とくに外交処理を代わりに行う国家を指す。保護される国家は被保護国、両国の関係を保護関係という。単に保護国といった場合、被保護国を指す場合もある。近世以来、帝国主義国家が植民地を支配するときにとった統治形態である。被保護国は条約で定められた範囲でのみ拘束され、それ以外では相手国とは独立した関係にある点で付庸国とは異なる。また対象となる地域に国家が存在しない場合は「保護領」とも呼ばれるが、英語・フランス語などでは特に区別されない。.

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ハノイ

ハノイ( )は、ベトナム社会主義共和国北部に位置する都市で、同国の首都。南部ホーチミン市に次ぐ同国第2の都市であり、政治と文化の都である。地名の「城舖河内」は、当時の街(現在のホアンキエム・バーディン・ドンダー・ハイバーチュンの4区にほぼ相当)が紅河とトーリック川(蘇瀝江)とに囲まれていたことに由来する。2009年の人口は650万人。紅河の右岸にあり、国内の工業の中心地で、農産物の集散地ともなっている。また、一柱寺など史跡も多い。東南アジア有数の世界都市であり、ホーチミン市がベトナム経済の中心地である反面、ハノイはベトナムの政治・文化の中心地と言われることが多い。.

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ハティン省

ハティン省(ハティンしょう、)は、ベトナムの中北部に位置する省(地方自治体)の一つ。省都はハティン。.

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ヨーロッパ

ヨーロッパ日本語の「ヨーロッパ」の直接の原語は、『広辞苑』第5版「ヨーロッパ」によるとポルトガル語・オランダ語、『デジタル大辞泉』goo辞書版「」によるとポルトガル語。(、)又は欧州は、地球上の七つの大州の一つ。漢字表記は欧羅巴。 地理的には、ユーラシア大陸北西の半島部を包括し、ウラル山脈およびコーカサス山脈の分水嶺とウラル川・カスピ海・黒海、そして黒海とエーゲ海を繋ぐボスポラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡が、アジアと区分される東の境界となる増田 (1967)、pp.38–39、Ⅲ.地理的にみたヨーロッパの構造 ヨーロッパの地理的範囲 "Europe" (pp. 68-9); "Asia" (pp. 90-1): "A commonly accepted division between Asia and Europe...

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トンキン湾

トンキン湾(トンキンわん、Gulf of Tonkin)は、ベトナムと中国・海南島に挟まれた湾。トンキンの漢字表記は「東京」であり、「東の都」を意味する。しかし、現在のベトナムではバクボ湾(北部湾)(, Bac Bo Gulf)であり、中国でも北部湾()と呼ぶようになってきている。これは、日本の東京湾と混同されるおそれがあるためだといわれる。なお、「東」を「Ton」と読むのは閩語や呉語の発音であり、ベトナム語では「đông」である。.

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フランシス・ガルニエ

フランシス・ガルニエ(、1839年7月25日 - 1873年12月21日)は、フランスの海軍士官、探検家。東南アジアのメコン川の探険で知られる。本名はマリー・ジョゼフ・フランソワ・ガルニエ()で、ベトナム語ではガク・ニー()、中国語では安と表記される。.

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フランス

フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランス(France)は、西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家である。フランス・メトロポリテーヌ(本土)は地中海からイギリス海峡および北海へ、ライン川から大西洋へと広がる。 2、人口は6,6600000人である。-->.

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フランス領インドシナ

フランス領インドシナ フランス領インドシナ(フランスりょうインドシナ、l'Indochine française、, 法属印度支那)は、1887年から1954年まで、大日本帝国により占領された一時期を除きフランスの支配下にあったインドシナ半島(インドシナ)東部地域である。現在のベトナム・ラオス・カンボジアを合わせた領域に相当する。仏印(ふついん)とも略する。.

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フエ

フエ()は、ベトナム中部の都市で、トゥアティエン=フエ省の省都である。19世紀から20世紀にかけてベトナムに存在していた阮朝の首都に定められていた。 フエはフランス語風にユエと呼ばれることもある新江「フエ」『東南アジアを知る事典』新版、375頁。フエの漢字名の「順化(トゥアン・ホア、Thuận Hóa)」は、14世紀に陳朝が設置した順州・化州に由来する。二つの行政区画のうち、かつてフエの町が属していた「化州」の化の漢字音()が転訛して、町はフエと呼ばれるようになったと考えられている酒井「フエ」『アジア歴史事典』8巻、86頁北川「フエ」『ベトナムの事典』、280,282頁。フランス植民地時代にトゥアン・ホアを訪れた外国人は、町を「スェウナ」「スィネア」「シネア」と呼んでいた。 一部の歴史的建造物がユネスコの世界遺産(文化遺産)に、また宮廷芸能であるニャーニャック(雅楽)が無形文化遺産に登録されている。.

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ホーチミン市

ホーチミン市(ホーチミンし、 )は、ベトナム社会主義共和国最大の経済都市で、東南アジア有数の世界都市でもある。市街中心部の旧称はサイゴン()である。.

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ベトナム

ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく、)、通称 ベトナム()は、東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和国。首都はハノイ。ASEAN加盟国、通貨はドン、人口9,250万人(2014年末)。 国土は南北に細長く、北は中華人民共和国、西はラオス、南西はカンボジアと国境を接する。東は南シナ海に面し、フィリピンと相対する。.

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ゲアン省

アン省(ゲアンしょう、)は、ベトナムの省(地方自治体)の一つ。省都はヴィン(榮)市。.

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コーチシナ

ーチシナ(黄色) コーチシナ(Cochinchine française/交趾支那)はフランス統治時代のベトナム南部に対する呼称。ベトナム語のナムキ()に相当する。.

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タインホア省

タインホア省(タインホアしょう、)は、ベトナムの省(地方自治体)。省都はタインホア市(清化市)。北中部に位置し、西はラオス、東はトンキン湾(北部湾)に接している。.

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副王

ポルトガル領インド初代副王フランシスコ・デ・アルメイダ 副王(ふくおう、virrey, vice-rei, viceroy)は、君主の代理人として植民地や属州を統治する官職、称号。.

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石炭

石炭(せきたん、英:coal)とは、古代(数億年前)の植物が完全に腐敗分解する前に地中に埋もれ、そこで長い期間地熱や地圧を受けて変質(石炭化)したことにより生成した物質の総称。見方を変えれば植物化石でもある。 石炭は古くから、産業革命以後20世紀初頭まで最重要の燃料として、また化学工業や都市ガスの原料として使われてきた。第一次世界大戦前後から、艦船の燃料が石炭の2倍のエネルギーを持つ石油に切り替わり始めた。戦間期から中東での油田開発が進み、第二次世界大戦後に大量の石油が採掘されて1バレル1ドルの時代を迎えると産業分野でも石油の導入が進み(エネルギー革命)、西側先進国で採掘条件の悪い坑内掘り炭鉱は廃れた。 しかし1970年代に二度の石油危機で石油がバレルあたり12ドルになると、産業燃料や発電燃料は再び石炭に戻ったが、日本国内で炭鉱が復活することは無かった。豪州の露天掘りなど、採掘条件の良い海外鉱山で機械化採炭された、安価な海外炭に切り替わっていたからである。海上荷動きも原油に次いで石炭と鉄鉱石が多く、30万トンの大型石炭船も就役している。 他の化石燃料である石油や天然ガスに比べて、燃焼した際の二酸化炭素 (CO2) 排出量が多く、地球温暖化の主な原因の一つとなっている。また、硫黄酸化物の排出も多い。.

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理事官

事官(りじかん)は、公務員の官職の一つである。特定の事務を掌る比較的上級の官である。一般的な官庁では課長と課長補佐の中間的なポスト。.

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紅河

紅河(こうが、)は、インドシナ半島北東部を流れる川。全長 1,200 キロメートル。かつてはソンコイ川(、「母なる川」)と呼ばれた。.

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総督

総督(そうとく)とは、以下のことを指す。.

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黎朝

黎朝(レちょう、れいちょう、、1428年 - 1527年、1532年 - 1789年)は、黎利(レ・ロイ、)によって建てられたベトナムの王朝である。 ベトナム史において「黎朝」が2度存在したため、10世紀に黎桓の建てた王朝を前黎朝()とし、こちらを後黎朝()と呼んで区別することがあるが、一般的に「黎朝」といえば19年しか続かなかった前黎朝でなく、前期後期あわせて250年を超える後黎朝を指す。また、莫氏()の簒奪による一時断絶を境に前期(初黎朝、)と後期(中興黎朝 、)に分ける。.

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阮朝

阮朝(グエンちょう、げんちょう、)は、1802年から1945年にかけて存在したベトナムの王朝である。1887年から1945年3月10日までは、フランス領インドシナとしてフランスの支配下にあった。 西山(タイソン)朝に敗れて滅亡した広南国の生き残り阮福暎(グエン・フク・アイン/げんふくえい)が、西山朝を打倒して樹立した。都は順化/トゥアンホア、富春/フースアン(いずれも現在のフエ)。.

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鄭主

鄭主(、1545年 – 1787年)はベトナムの後黎朝時代、名目上の皇帝を奉じたまま北部で政治の実権を握った鄭氏一族(東京鄭氏)の呼称。同時期、南部には事実上の独立国「広南国」を築いた阮主(広南阮氏)がおり、両者の200年近くの抗争を「鄭阮紛争」と呼ぶ。 飾り物の皇室を奉じたまま政権を握った鄭主の支配は「ベトナムにおける将軍制度」と評された。.

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植民地

植民地(しょくみんち、殖民地とも)とは、国外に移住者が移り住み、当事国政府の支配下にある領土のことで統治領(とうちりょう)とも呼ばれる。 古代史にはフェニキアや古代ギリシアにも見られるが多くは植民元との関係は維持しつつ独立した体制となっており、侵略によって獲得した海外領土の類型は古代ローマに見られる。近年はヴェネチアなどが行った東地中海における植民地経営をそれ以降の植民地支配と連続した流れと考える向きもある。 以下では16世紀に始まるいわゆる「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が侵略によって獲得した海外領土を主として扱う。近現代においては、本国政府の憲法や諸法令が原則として施行されず、本国と異なる法的地位にあり、本国に従属する領土を植民地という。 また、植民地に対して従属させて、それらを所有している本国のことは「宗主国」と呼ばれる。.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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清仏戦争

清仏戦争(しんふつせんそう、、、Chiến tranh Pháp-Thanh/戰争法清、Guerre franco-chinoise)は、1883年8月と1885年4月にかけて起きた、ベトナム(越南)領有を巡るフランスと清との間の戦争。 フランスが領土領有を達成したためフランスの勝利と考えられているが、士気旺盛な黒旗軍との戦いでは軽視できない損害も被った。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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1873年

記載なし。

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1882年

記載なし。

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1883年

記載なし。

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1884年

記載なし。

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1885年

記載なし。

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1887年

記載なし。

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