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トロイラスとクレシダ

索引 トロイラスとクレシダ

ファースト・フォリオ」(1623年)の『トロイラスとクレシダ』の表紙の複写 『トロイラスとクレシダ』(Troilus and Cressida)とは、ウィリアム・シェイクスピア作の悲劇。1602年に書かれたと信じられている。 『トロイラスとクレシダ』は主人公(トロイラス)が死なないことで従来の悲劇とは異なり、シェイクスピアの「問題劇」の1つに数えられている。その代わりに劇は、トロイの英雄ヘクターの死と、トロイラスとクレシダの愛の破局で重々しく幕を閉じる。またトーンも劇全体を通して、猥雑な喜劇から陰鬱な悲劇の間を揺れ動く。そのため、読者/観客はどのように受け止めればいいのか困惑してしまう。しかし、劇のいくつかの特徴的な要素は明らかに「現代的」という見方をされることが多い(最も顕著なものは、ヒエラルキー、名誉、愛などの本源的価値への繰り返し続けられる疑問)。 ジョイス・キャロル・オーツは次のように述べている。「シェイクスピアの戯曲の中で最も頭悩まされ、意味のつかみにくい『トロイラスとクレシダ』は現代の読者に現代劇の印象を与える——たくさんの不義についての吟味、悲劇ぶることへの批判、人間の命の中にある本質的なものとただ存在するだけものとの間の暗黙の議論、それらは20世紀のテーマである(中略)これは特殊なタイプの悲劇——因習的な悲劇では不可能であったものに基づいた"悲劇"」。 ところで『トロイラスとクレシダ』の「四折版」のタイトルは『The Famous Historie of Troylus and Cresseid』で「歴史劇」と謳っているが、「ファースト・フォリオ」では悲劇に分類され、タイトルも『The Tragedie of Troylus and Cressida』になっている。さらに「ファースト・フォリオ」の原版でこの劇のページに番号がつけられておらず、目次のタイトルも明らかに後から押し込まれたものであることが、謎に輪をかけている。研究者たちはこの劇がかなり遅い段階で「ファースト・フォリオ」に加えられ、空いたところに加えられたのだろうと見ている。.

64 関係: お気に召すままちくま文庫十二夜坪内逍遥大アイアース小田島雄志岩波文庫中世ネストールハムレットメネラーオスリア王ルネサンスヴィクトリア朝トローイロストロイア戦争ヘレノスヘレネーヘクトールプリアモスプロジェクト・グーテンベルクパリスパンダロスパトロクロステルシーテースデーイポボスディオメーデースファースト・フォリオホメーロスアンテーノールアンドロマケーアテネのタイモンアイネイアースアガメムノーンアキレウスイーリアスウィリアム・キャクストンウィリアム・シェイクスピアオデュッセウスカルカースカッサンドラーギリシア神話グローブ座ゲーオア・ブランデスコリオレイナスジョン・ドライデンジョイス・キャロル・オーツジェフリー・チョーサー問題劇国王一座...第一次世界大戦白水社白水Uブックス蒲池美鶴松岡和子村岡勇悲劇書籍出版業組合書籍出版業組合記録1602年1603年1609年1月28日2月7日 インデックスを展開 (14 もっと) »

お気に召すまま

『お気に召すまま』(おきにめすまま、As You Like It)は、イングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピア作の喜劇。初演は1600年ごろ。 作品の材源はトマス・ロッジ作『ロザリンド』。原作の舞台は現在のフランスとベルギーの国境付近のアルデンヌであるが、それを自分の故郷ウォリックシャー州エイボンの田園をモチーフとしたアーデンの森に設定している。また、母の旧姓がアーデンでもあった。『ロザリンド』にはなかった感情を巧みに表現する台詞回しが多用され、シェイクスピアの技量が出されている。.

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ちくま文庫

ちくま文庫(ちくまぶんこ)は、株式会社筑摩書房が発行している文庫レーベル。1985年12月より刊行開始した。基本的な装幀(フォーマットならびに安野光雅がデザインした。 ちくま文庫を立ち上げた松田哲夫は安野の教え子である。それが縁で依頼したという。 なお、同音の「チクマ文庫」とは別。.

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十二夜

『十二夜』(じゅうにや、"Twelfth Night, or What You Will")は、イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア作の喜劇である。副題は「御意のままに」を意味する。1601年から1602年頃に、クリスマスのシーズンの終わりを告げる十二夜で上演するために書かれたと考えられているが、劇中に十二夜の行事に関わるような台詞はない。この芝居はふたごのきょうだいであるヴァイオラとセバスチャンが船の難破で離ればなれになってしまったことから始まる。ヴァイオラは少年に変装するが、自分が仕えているオーシーノ公爵に恋をしてしまう。オーシーノは伯爵家の令嬢であるオリヴィアに恋をしているが、オリヴィアはヴァイオラを男だと思い込んで思いを寄せるようになってしまう。マッテオ・バンデッロの物語にもとづくバーナビー・リッチの短編「アポロニアスとシッラ」の物語を部分的に織り込んでおり、音楽やバカ騒ぎに溢れた芝居でもある。記録に残っている最初の上演は1602年2月2日、暦の上でクリスマスの時期の正式な終わりであるキャンドルマスの日のものである。1623年にファースト・フォリオに入るまでは一度も出版されたことがなかった。.

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坪内逍遥

坪内 逍遥(つぼうち しょうよう、旧字体:坪內逍遙、1859年6月22日(安政6年5月22日) - 1935年(昭和10年)2月28日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。小説家としては主に明治時代に活躍した。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』およびシェイクスピア全集の翻訳があり、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた。本名は坪内 雄蔵(つぼうち ゆうぞう)。別号に「朧ろ月夜に如く(しく)ものぞなき」の古歌にちなんだ春のやおぼろ(春廼屋朧)、春のや主人など。俳句も詠んだ。.

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大アイアース

大アイアース(Αἴας, Aiās, Ajax)は、ギリシア神話に登場する英雄である。長母音を省略してアイアスとも表記する。 アイアースはサラミース島の王テラモーンの子で、トロイア戦争にはサラミース人を率いて12隻の船と共に参加した。オイレウスの子アイアース(小アイアース)と区別するために大アイアースと呼ばれる。また、『イーリアス』などの叙事詩では、小アイアースと組にして両アイアースなどと呼ばれる。 同じくトロイア戦争に参加したテウクロスとは異母兄弟。トロイア戦争でギリシア勢に参加した英雄では、アキレウスに次ぐ強さを誇った。テラモーンはアキレウスの父ペーレウスの兄弟であり、アイアースとアキレウスとはいとこ同士である。.

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小田島雄志

小田島 雄志(おだしま ゆうし、1930年(昭和5年)12月18日 - )は、日本の英文学者、演劇評論家。東京大学名誉教授、東京芸術劇場名誉館長。日本演劇協会(理事) 。豊島区芸術顧問。 姉の阿部明子(あかし)は東京家政大学名誉教授。妹の松村紀代子は、文藝春秋の編集者をへて、エッセイスト。次男の小田島恒志も英文学者、早大教授。恒志の妻の小田島則子も英文学者、翻訳家。.

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岩波文庫

岩波文庫(いわなみぶんこ)は、株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル。1927年(昭和2年)7月10日に、ドイツのレクラム文庫を模範とし、書物を安価に流通させ、より多くの人々が手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として創刊された日本初の文庫本のシリーズ。最初の刊行作品は『新訓万葉集』などであった。.

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中世

中世(ちゅうせい、英語:middle ages)は、狭義には西洋史の時代区分の一つで、古代よりも後、近代または近世よりも前の時代を指す。17世紀初頭の西洋では中世の観念が早くも定着していたと見られ、文献上の初見は1610年代にまでさかのぼる。 また、広義には、西洋史における中世の類推から、他地域のある時代を「中世」と呼ぶ。 ただし、あくまでも類推であって、西洋史における中世と同じ年代を指すとは限らないし、「中世」という時代区分を用いない分野のことも多い。 また、西洋では「中世」という用語を専ら西洋史における時代区分として使用する。 例えば英語では日本史における「中世」を通常は「feudal Japan」(封建日本)や「medieval Japan」(中世日本)とする。.

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ネストール

ネストール(Νέστωρ, )は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してネストルとも表記される。メッセーネーの都市ピュロスの王で、トロイア戦争におけるギリシア軍の武将の一人。 ネーレウスとクローリスの子で、タウロス、アステリオス、ピュラーオーン、デーイマコス、エウリュビオス、エピラーオス、ブラシオス、エウリュメネース、エウアゴラース、アラストール、ペリクリュメノス、ペーローと兄弟。クリュメノスの娘エウリュディケー、あるいはクラティエウスの娘アナクシビアーを妻とし、ペルセウス、ストラティコス、アレートス、エケプローン、ペイシストラトス、アンティロコス、トラシュメーデース、ペイシディケー、ポリュカステーをもうけた。 ネストールは神の好意で人間の3倍の寿命を与えられたといわれるヒュギーヌス、10話。。ネストールはラピテース族とケンタウロスの戦いや、一説にアルゴナウタイやカリュドーンの猪狩りにも参加し、トロイア戦争でも高齢にかかわらず参加した。『イーリアス』におけるネストールはしばしば自分の自慢話を語って聞かせる老将で、高齢のために戦士として戦うことはなかったが軍の指揮者の1人であり、弁舌においてはオデュッセウスと肩を並べ、献策においては常にアガメムノーンの信頼を得ており、ギリシア軍のあらゆる武将から敬意を持って遇された。.

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ハムレット

舞台とされたデンマークのクロンボー城内に掲げられている「ハムレット」の石版(2005.08) 『ハムレット』(Hamlet)は、シェイクスピア作の悲劇。5幕から成り、1600年から1602年頃に書かれたと推定される。正式題名は「デンマークの王子ハムレットの悲劇」(The Tragedy of Hamlet, Prince of Denmark)。4000行を超え、シェイクスピアの戯曲の中で最も長い。 デンマーク王子ハムレットが、父を殺し母を奪い王位を簒奪した叔父を討ち、復讐を果たす。シェイクスピアの四大悲劇の一つ。コールリッジによる「悩める知識人」像が一般的だが、近年では「行動人ハムレット」という解釈も有力である。 ハムレットの話は、同時代にトマス・キッドが『スペインの悲劇』という似た話を書いており、少なからずその影響を受けたといわれている。また、この話は北欧伝説が下敷きになっており、12世紀末にサクソ・グラマティクスが編纂した『デンマーク人の事績』(Gesta Danorum)に、モデルになったアムレート(Amleth)の武勇が伝えられている。.

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メネラーオス

メネラーオス(Μενέλαος,, Menelaus)は、ギリシア神話の英雄である。長母音を省略してメネラオス、あるいはメネラウスとも表記される。トロイア戦争におけるギリシア側の副大将で、伝説上のスパルタ王である。ミュケーナイ王アトレウスの子。妻はヘレネーで、兄はアガメムノーン、父はアトレウス、娘にはヘルミオネーがいる。.

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リア王

『リア王』(リアおう、King Lear)は、シェイクスピア作の悲劇。5幕で、1604年から1606年頃の作。四大悲劇の一つ。 長女と次女に国を譲ったのち2人に事実上追い出されたリア王が、末娘の力を借りて2人と戦うも敗れる。王に従う道化に悲哀を背負わせ、四大悲劇中最も壮大な構成の作品との評もある。 『リア王』には異なる2つの版がある。1608年に「四折版」で出版された『The True Chronicle of the History of the Life and Death of King Lear and His Three Daughters』と、より劇的な1623年の「ファースト・フォリオ」に収められた『The Tragedy of King Lear』である。これまでは2つの版を合成して出版するのが通例だったが、近年になって、オックスフォード版やニュー・ケンブリッジ版など、2つをそれぞれ独立した作品として出版する場合が多い。.

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ルネサンス

レオナルド・ダ・ヴィンチによるウィトルウィウス的人体図、科学と芸術の統合 ルネサンス(Renaissance ルネサーンスイギリス英語発音: リネイスンス、アメリカ英語発音: レナサーンス)は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。 日本では長らく文芸復興と訳されており、ルネサンスの時代を「復興期」と呼ぶこともあったが、文芸のみでなく広義に使われるため現在では余り使われない。ルネッサンスとも表記されるが、現在の歴史学、美術史等ではルネサンスという表記が一般的である。.

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ヴィクトリア朝

ヴィクトリア朝(ヴィクトリアちょう、Victorian era)は、ヴィクトリア女王がイギリスを統治していた1837年から1901年の期間を指す。この時代はイギリス史において産業革命による経済の発展が成熟に達したイギリス帝国の絶頂期であるとみなされている。 なお、ここで用いる「朝」は「時代(ある一人の君主が統治していた期間)」の意味であり、「王朝(ある一定の血統に属する君主たちが統治していた期間)」を指し示すものではない。.

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トローイロス

アキレス(左)がトローイロス(右、馬上)を待ち伏せる様子を描いたエトルリアのフレスコ、紀元前530年-520年 トローイロス(トロイロス、トロイルスとも。Troilos、Troilus、Troylus。古代ギリシア語: Τρωΐλος, Troïlos、ラテン語: Troilus)は、トロヤ戦争に関連する伝説の登場人物である。現存する最初の言及は、紀元前9世紀末から8世紀に吟遊詩人によって作曲され、歌われていたと信じられているホメーロスの『イーリアス』である。 ギリシア神話ではトローイロスは、プリアモス(時にアポローン)とヘカベーの間の息子の1人で、イリオスの若い王子である。予言によってトローイロスの運命はイリオスのそれと結びつけられており、そのため彼はアキレウスに待ち伏せられて殺害された。ソポクレスは、この話を書いた1人である。また、この時代の多くの絵画のテーマにもなっている。古代の著作者は、トローイロスを両親に嘆き悲しまれる死んだ子供の象徴として扱っている。彼はまた、若い男性の美しさの模範とも見なされている。 西ヨーロッパの中世やルネサンス期の伝説では、トローイロスはプリアモスとヘカベーの間の5人の嫡出子のうち最も若い人物であり、その若さにも関わらずトロヤ戦争における主要な指導者の1人となった。彼は、戦いの最中にアキレウスの手によって殺された。12世紀に付け加えられた話では、トローイロスはクレシダと恋に落ち、その父親はギリシアを打ち破った。クレシダはトローイロスに愛を誓ったが、捕虜交換で父の元に送られてきたギリシアの英雄ディオメーデースにすぐに乗り換えた。ジェフリー・チョーサーとウィリアム・シェイクスピアは、トローイロスとクレシダの物語を書いた中の1人である。中世の伝承の中では、トローイロスは忠実なミンネ、また高徳な異教徒の象徴とされる。ミンネの習慣が廃れると、彼の運命は共感を得られにくくなった。 18世紀から19世紀には、ほとんど注目されなかったが、20世紀から21世紀には再びトロヤ戦争が題材として取り上げられるようになった。.

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トロイア戦争

トロイア戦争(トロイアせんそう、Τρωικός πόλεμος, Trojan War)は、ギリシア神話に記述された、小アジアのトロイアに対して、ミュケーナイを中心とするアカイア人の遠征軍が行った戦争である。 トロイア、あるいはトローアスという呼称は、後の時代にイーリオス一帯の地域につけられたものである。この戦争の記述から、古代ギリシアにおいて、ホメーロスの英雄叙事詩『イーリアス』、『オデュッセイア』のほか、『キュプリア』、『アイティオピス』、『イーリオスの陥落』などから成る一大叙事詩環が派生した。またウェルギリウスはトロイア滅亡後のアイネイアースの遍歴を『アエネーイス』にて描いている。.

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ヘレノス

ヘレノス(Ἕλενος,, Helenus)は、ギリシア神話の人物で、トロイアの予言者である。 トロイア王プリアモスとヘカベーの子で、ヘクトール、パリス、デーイポボス、パムモーン、アンティポス、ヒッポノオス、ポリュドーロス、トローイロス、クレウーサ、ラーオディケー、ポリュクセネー、カッサンドラーと兄弟。後にアンドロマケーを妻とし、ケストリーノスをもうけた。 ヘレノスは一説にカッサンドラーと双子の兄弟で、ともにアポローンによって予言の術を授けられたという。トロイア戦争では主に武将として戦ったが、ときには神の会話を聞くなどによって予言し、トロイア軍を助けた。戦後については諸説がある。.

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ヘレネー

ヘレネーとパリス、ジャック=ルイ・ダヴィッド(1788) ヘレネー(Ἑλένη, Helenē, Helena, Helen)は、ギリシア神話に登場する女性である。長母音を省略してヘレネとも表記される。元来はスパルタで信仰された樹木崇拝に関わる女神だったと考えられている。 表向きはスパルタ王テュンダレオースと王妃レーダーの娘であるが、実父はゼウスであり、実母はネメシスともされる。兄にディオスクーロイ(カストールとポリュデウケース)兄弟、姉にクリュタイムネーストラーがいる。メネラーオスの妻となったが、イーリオス(トロイア)の王子パリスにさらわれ、トロイア戦争の原因となった。 ヘレネーは成長すると、地上で最も美しい絶世の美女となった。テーセウスは彼女をさらって母アイトラーのもとにあずけたが、ディオスクーロイにアイトラーごと取り返された。アイトラーは、この後ヘレネーに召し使われてイーリオスまでついて行き、イーリオス陥落の際にテーセウスの息子のデーモポーンとアカマースに再会した。 ヘレネーの結婚に際しては、求婚者がギリシア中から集まった。ヘレネーの義父テュンダレオースは、彼らの中の誰を結婚相手に選んでも、それ以外の男たちの恨みを買う恐れがあるため、あらかじめ「誰が選ばれるにしても、その男が困難な状況に陥った場合には、全員がその男を助ける」という約束をさせ、彼らの中からメネラーオスを選んだ。 メネラーオスの妻となったヘレネーは、イーリオスの王子パリスの訪問を受けた。パリスは美の審判の際に、アプロディーテーからヘレネーを妻にするようそそのかされていたのである。ヘレネーはパリスに魅了され、娘ヘルミオネーを捨てて、イーリオスまでついていってしまった。 メネラーオスとその兄アガメムノーンらは、ヘレネーを取り返すべく、求婚者仲間たちを集めてイーリオスに攻め寄せた。元求婚者たちは、前の約束があるためにこれを断ることができず、トロイア戦争に参加した。 トロイア戦争では、ヘレネーを返してギリシア勢に引き上げてもらおうという提案がなされるが、パリスが反論して沙汰やみになった。パリスの死後は、パリスの弟のヘレノスとデーイポボスがヘレネーをめぐって争いをおこし、ヘレネーはデーイポボスの妻になることとなった。ヘレノスは弟にヘレネーを奪われたことをうらみ、戦闘に参加するのをやめて市外に逃れた。その後ヘレノスはオデュッセウスに捕まって説得され、ギリシア勢に味方することになった。ヘレノスは予言能力によりイーリオス陥落に必要な条件を教え、その滅亡を助けた。 イーリオス陥落の際、木馬の中にいたメネラーオスは、デーイポボスの館に駆けつけてデーイポボスを殺した。そしてヘレネーも殺そうとするが、恋情やみがたく殺すことができなかった。ヘレネーはメネラーオスと共にスパルタに帰った。 後日談では、再びスパルタの王妃として、かつての求婚者たちの許しを得て平穏に暮らしたとされる。また、別の話ではアガメムノーンの息子オレステースによって殺されたとある。オレステースは、密通の果てに夫アガメムノーンを殺した母クリュタイムネーストラーを自らの手にかけたが、叔母であるヘレネーをも「父アガメムノーンを10年に及ぶ戦争に連れ出し、家族崩壊の原因を作った不義の女」として成敗した。ギリシア悲劇でもしばしば扱われたが、三大作家の一人エウリーピデースによる悲劇『ヘレネー』が現存している。 ヘロドトスはその著書「歴史」で、エジプトで得た知識としてこれらの通説とは異なる話を記載している。 それによると、パリスの船が風の影響でエジプトに来航した際に、彼の従者が神殿に駆け込んで主人のヘレネー誘拐を暴露した為、パリス一行はエジプトの官憲に逮捕されてしまう。当時のエジプトには「漂着者は丁重に保護する」という規則があった為、パリスは命だけは助けられたものの、ヘレネーと彼女と共に略奪したスパルタ王室の宝物をエジプト王室の管理下に置かれた上で国外追放の判決が下された。事態を知らされたパリスの父でトロイ王プリアモスはスパルタに事情を説明するが、激怒したメネラーオスはトロイ側の話をトロイが落城するまで信用せず、エジプトに問い合わせすらしなかった。トロイが占領されるに至って、トロイからヘレネーの姿も痕跡も発見されず、尚且つ生き残った捕虜もプリアモスの話を繰り返すだけであった事から、漸くメネラーオスはエジプトを来訪。エジプトのファラオから歓待を受けた上、丁重に扱われていたヘレネーと厳重に保管されていた宝物の返還を受けた。しかしながら、帰国を焦るメネラーオスが航海安全祈願の生贄の為に現地民の子供を誘拐した事が発覚した為、慌てて出航したスパルタ人はリビア方面に流されてしまい、却って帰国に手間取ることになってしまった。 ヘロドトス自身は「王族を含む大量の戦死者が出ている状況でヘレネーを返還しないのは異常。返還しようにも返還できない状況にあったと考える方が合理的。」として、通説よりもこのエジプトで伝えられていた説を支持している。.

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ヘクトール

ヘクトール(、 Hector)は、ギリシア神話の英雄である。日本語では長母音記号を省略し、ヘクトルともいう。トロイアの王子であり、トロイア戦争におけるトロイア勢最強の戦士。トロイアを築いたダルダノスとトロースの末裔プリアモス王と王妃ヘカベーの間に生まれた。妻アンドロマケーとの間に一子スカマンドリオス(トロイアの人間はアステュアナクスと呼ぶ)をもうけた。イーリアスにおいて、兜きらめくヘクトールと称される。 トロイア防衛の総大将として軍勢を指揮し、また個人の勇猛さをもってアカイア勢を敗走寸前にまで追い込んでいる。アカイアの戦士を31人殺したと伝わる。 善き夫、善き父でもあり、戦争に負けた後に起こる妻子の処遇を案じている。トロイア戦争の元凶となった弟パリスについても、叱りこそすれ見放すことはなかった。国のことを第一に考えるヘクトールに対し、自身が原因にもかかわらずパリスは飄々としている。 パトロクロスの猛反撃も打ち破るが、アキレウスに敗北し遺体を辱められる。父であるプリアモス王がアキレウスの陣まで出向き、ヘクトールの遺体を引き取る。 トロイアの陥落後、妻アンドロマケーはアキレウスの子ネオプトレモスの戦利品となった。そして、アステュアナクスは殺された。 中世ヨーロッパにおいてジャック・ド・ロンギオンは九偉人の一人に挙げている。ジェームズ・レッドフィールドは「国に殉じた男、かけがえのない日常生活を守るため死んでいった英雄」と述べている。.

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プリアモス

プリアモス(Πρίαμος,, Priamus, Priam)は、ギリシア神話上の人物(ただし、トローイアの実在が判明している今、相当する人物が実在した可能性もないわけではない)で、イーリオス(トローイア)の王ラーオメドーンの子で、その後をつぎ、トローイア最後の王となった。ホメーロスの叙事詩『イーリアス』に登場する。 もともとはポダルケースという名前だった。ヘーラクレースによるトローイア攻略の際、姉ヘーシオネーによって、ヘーラクレースから購われた。このことにちなんで、プリアモスと呼ばれるようになったという。(Priamai「買う」という意味) アリスベーを妻とし、アイサコスが生まれた。しかしアリスベーをヒュルタコスに与えて、新しい妻ヘカベーを迎える。 ヘカベーとの間に、ヘクトール、パリス、カッサンドラ、デーイポボス、ヘレノス、パムモーン、ポリーテース、アンティポス、ヒッポノオス、ポリュドーロス、クレウーサ、ラーオディケー、ポリュクセネー、が生まれた。パリスがトローイアを滅亡させるとの神託を受け、イーダー山に捨てさせたが、パリスがヘレネーを伴い帰還したときにはこれを受け入れた。 他の女性との間にも息子メラニッポス、ゴルギュティオーン、ピライモーン、ヒッポトオス、グラウコス、アガトーン、ケルシダマース、エウアゴラース、ヒッポダマース、メーストール、アータース、ドリュクロス、リュカーン、、ビアース、クロミオス、アステュゴノス、テレスタース、エウアンドロス、ケブリオネース、ミュリオス、アルケマコス、ラーオドコス、エケプローン、イードメネウス、ヒュペリオーン、アスカニオス、デーモコオーン、アレートス、デーイオピテース、クロニオス、エケムモーン、ヒュペイロコス、アイゲオーネウス、リューシトオス、ポリュメドーン、娘メドゥーセー、メーデシカステー、リューシマケー、アリストデーメーなどが生まれた。 トロイア戦争でヘクトールがアキレウスに殺され、屍が戦車によって引きずりまわされた際には、アキレウスの陣まで自ら陰行して出向き、ヘクトールの遺骸をアキレウスに請うた。アキレウスは感動してヘクトールの遺骸を引き渡した。『イーリアス』はイーリオン城へ帰るプリアモスを描いて終わっている。 トローイア落城の際、ネオプトレモス(アキレウスの息子)に殺害された。.

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プロジェクト・グーテンベルク

プロジェクト・グーテンベルク(Project Gutenberg、略称PG)は、著者の死後一定期間が経過し、(アメリカ著作権法下で)著作権の切れた名作などの全文を電子化して、インターネット上で公開するという計画。1971年創始であり、最も歴史ある電子図書館。印刷の父、ヨハネス・グーテンベルクの名を冠し、人類に対する貢献を目指している。.

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パリス

パリス(Πάρις, Paris)は、ギリシア神話の英雄である。 イーリオス(トロイア)王プリアモスとヘカベーとの間に生まれた。出生時の名前アレクサンドロスでも知られる。長兄にイーリオスの英雄ヘクトール、妹に悲劇の予言者カッサンドラーを持つ。「パリスの審判」により、イーリオスに戦乱(ひいては滅亡)をもたらしたことで知られる。.

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パンダロス

パンダロス(Πάνδαρος, Pandaros, Pandarus)は、ギリシア神話の人物である。ゼレイア王リュカーオーンの子で、エウリュティオーンと兄弟。弓矢の名手。トロイア戦争の10年目にトロイア側の味方として援軍を率いて戦った。 トロイア戦争のさい、父リュカーオーンはパンダロスに戦車に乗って戦うことを勧めたが、パンダロスは大軍が籠城すればまぐさが不足すると考え、徒歩で参加した。 はじめギリシア軍とトロイア軍はパリスとメネラーオスがヘレネーをかけて戦った。そのあいだ両軍は休戦し、2人の戦いを見守ったが、パリスが不利になるとアプロディーテーはパリスをさらって逃げた。そのためアテーナーはアンテーノールの子ラーオドコスに化けてパンダロスに近づき、メネラーオスに矢を射て休戦を破るようそそのかした。そこでパンダロスはメネラーオスを狙って矢を放ったが、アテーナーは矢を急所から逸らした。戦闘が再開するとディオメーデースがトロイア軍を蹴散らしていったので、パンダロスはディオメーデースに矢を放ち、深い傷を負わせた。しかしディオメーデースはアテーナーの加護を得てそれまで以上に活躍した。パンダロスは神の加護に自分の弓が通用しないことに腹を立て、戦車で戦えないことを悔やんだ。パンダロスはアイネイアースに求められて彼の戦車に乗って戦い、ディオメーデースに槍を投げた。槍はディオメーデースの楯を貫いたが身体には当たらず、逆にディオメーデースの投げた槍はアテーナーに導かれてパンダロスを殺した。アイネイアースはパンダロスの遺体を守ろうとしたが、ディオメーデースに大石を投げつけられて深く傷つき、さらにトロース王の馬の血を引く名馬を奪われた。.

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パトロクロス

旧博物館所蔵 パトロクロス(, Patroclus)、あるいはパトロクレース()は、ギリシア神話の登場人物である。トロイア戦争の英雄アキレウスに仕えた武将で、主人のアキレウスとは竹馬の友でもあった。.

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テルシーテース

テルシーテース(Θερσίτης, Thersītēs)は、ギリシア神話に登場する人物である。長母音を省略してテルシテスとも表記される。.

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デーイポボス

デーイポボス(Δηΐφοβος,, Deiphobus)は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してデイポボスとも表記される。 トロイアの王プリアモスとヘカベーの子で、ヘクトール、パリス、ヘレノス、パムモーン、ポリーテース、アンティポス、ヒッポノオス、ポリュドーロス、トローイロス、クレウーサ、ラーオディケー、ポリュクセネー、カッサンドラーと兄弟。 デーイポボスは兄弟の中でヘクトールと最も親しく、トロイア戦争ではトロイア軍における代表的な武将の1人として戦った。後にヘレネーの夫。.

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ディオメーデース

ディオメーデース(Διομήδης, )は、ギリシア神話に登場する英雄でティーリュンスの領主である。長母音を省略してディオメデスとも表記される。 父はテューデウス、母はデーイピュレー。妻はアイギアレイア。エピゴノイの1人であり、トロイア戦争においてもギリシア勢として参加し、しばしばオデュッセウスと組み、アテーナーの加護を受けて活躍した。イーリアスでは、アキレウスには劣るものの、大アイアースに並ぶ最も優れたギリシア勢の戦士とされている。 ディオメーデースがトローイアの武将アイネイアースを戦場で殺しそうになったとき、アイネイアースの母である女神アプロディーテーは戦場に立ってアイネイアースを助け出そうとした。ディオメーデースはアイネイアースを連れて去ろうとしたアプロディーテーにも傷を負わせたため、アプロディーテーはアイネイアースを取り落とし、アポローンがこれを雲で受け止めた。 またディオメーデースは、戦いの神アレースをも傷つけて敗退させた。 ディオメーデースとオデュッセウスはトローイアの守護神像パラディオンを盗み出した。 トロイア戦争の後、ディオメーデースは故郷へ帰ったが、妻に裏切られたため、イタリアへと渡り、ブリンディシオンとアルプス・ヒッピウムの二市を立てたという。.

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ファースト・フォリオ

ファースト・フォリオ (First Folio) は、シェイクスピアの戯曲をまとめて出版した最初の作品集。正式な題は「ウィリアム・シェイクスピアの喜劇、史劇、悲劇」("Mr.

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ホメーロス

ホメーロス(、Homerus、Homer)は、紀元前8世紀末のアオイドス(吟遊詩人)であったとされる人物を指す。ホメロスとも。西洋文学最初期の2つの作品、『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者と考えられている。「ホメーロス」という語は「人質」、もしくは「付き従うことを義務付けられた者」を意味する。古代人はホメーロスを「詩人」()というシンプルな異名で呼んでいた。 今日でもなお、ホメーロスが実在したのかそれとも作り上げられた人物だったのか、また本当に2つの叙事詩の作者であったのかを断ずるのは難しい。それでも、イオニアの多くの都市(キオス、スミルナ、コロポーンなど)がこのアオイドスの出身地の座を争っており、また伝承ではしばしばホメーロスは盲目であったとされ、人格的な個性が与えられている。しかし、彼が実在の人物であったとしても、生きていた時代はいつ頃なのかも定まっていない。もっとも信じられている伝説では、紀元前8世紀とされている。また、その出生についても、女神カリオペの子であるという説や私生児であったという説などがありはっきりしない。さらに、彼は、キュクラデス諸島のイオス島で没したと伝承されている。。 当時の叙事詩というジャンルを1人で代表するホメーロスが古代ギリシア文学に占める位置は極めて大きい。紀元前6世紀以降、『イーリアス』と『オデュッセイア』はホメーロスの作品と考えられるようになり、また叙事詩のパロディである『蛙鼠合戦』や、ホメーロス讃歌の作者とも見做されるようになった。主にイオニア方言などからなる混成的なは紀元前8世紀には既に古風なものであり、テクストが固定された紀元前6世紀にはなおのことそうであった。両叙事詩は(ダクテュロスのヘクサメトロス)で歌われており、ホメーロス言語はこの韻律と密接に結び付いている。 古代において、ホメーロスの作品に与えられていた史料としての価値は、今日では極めて低いものと見做されている。このことは同時に、西洋において叙事詩というジャンルを確立した文学的創造、詩としての価値をさらに高めた。無数の継承者が出現し、21世紀のハリウッドにまで続いている。.

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アンテーノール

アンテーノール(Ἀντήνωρ, )は、ギリシア神話に登場する人物である。長母音を省略してアンテノルとも表記される。トローイア貴族アイシューエーテースとクレオメーストラーの子。トローイアの長老・相談役の中でも最も賢明な人物の1人。妻はトラーキアのキッセウスの娘テアーノーで、二人の間には大勢の子供が生まれた。アルケロコス、アカマース、グラウコス、ヘリカーオーン、ラーオドコス、コオーン、ポリュボス、アゲーノール、イーピダマース、ラーオダマース、デーモレオーン、エウリュマコス、それとクリーノー)で、息子たちのほとんどはトロイア戦争で死んでしまった。他にも名前のわからない女性との間にもペーダイオスという息子がいたと言われる。トロイア戦争が起こる前、アンテーノールはプリアモス王の顧問だった。アンテーノールはヘレネーをギリシア(夫のメネラーオス)に送り返すよう皆に提言したが、自分がギリシアとは敵対し、平和のためだということは示さなかった。後の伝説では、アンテーノールが敵のためにトローイアの城門を開いた裏切り者だとプリュギアのダーレスやクレータのデクテュスに言われる。町が略奪にあった時、門に豹皮で目印をつけたアンテーノールの家だけは略奪を免れたからだった。別のさまざまな伝説では、アンテーノールはトローイアのあった場所に都市を再建したとも、キュレネに定住したとも、パタヴィウム(現パドヴァ)の創設者になったとも言われている。 『神曲』の地獄の下層に位置する裏切り者たちのための「アンテノーラ」は、アンテーノールにちなんで名付けられた。 1977年にソビエト連邦の天文家ニコライ・スチェパーノヴィチ・チェルヌィフにより発見された小惑星「2207 Antenor」はアンテーノールの名前からつけられた。.

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アンドロマケー

アンドロマケー(Ἀνδρομάχη, Andromachē)は、ギリシア神話の女性である。長母音を省略してアンドロマケともいわれる。名前の意味は「男の戦い」で、ανδρος が「男の」、μαχη が「戦い」を表す。 エーエティオーンの娘で、父が支配していたキリキアのテーベで生まれ育った。夫はトロイア王プリアモスの子ヘクトールで、子にアステュアナクスがいた。 トロイア戦争で、夫のヘクトールはアキレウスに討たれ、幼い子供アステュアナクスはアキレウスの子ネオプトレモスに殺された。ネオプトレモスはアンドロマケーを妾、ヘクトールの兄弟ヘレノスを奴隷として連れ去った。 ネオプトレモスとの間にはモロッソスが生まれた。エウリーピデースの『アンドロマケー』では、彼女と子供は、ネオプトレモスの妻でヘレネーの娘ヘルミオネーに暗殺されそうになっている。 ネオプトレモスが死ぬと、アンドロマケーはヘレノスと結婚し、エーペイロスの女王となった。.

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アテネのタイモン

『アテネのタイモン』(Timon of Athens)とは、ウィリアム・シェイクスピア作の戯曲。正式題名は、「アテネのタイモンの生涯」(The life of Tymon of Athens)。主人公は、伝説のアテネの人間不信家タイモン(Timon、正確にはティモノス Τίμωνος)で、同名の哲学者タイモン(Timon)の影響も考えられている。 シェイクスピアの作品でも曖昧かつ難解な作品の一つと見なされている。『アテネのタイモン』については研究者たちの間で議論が絶えない。主人公の変貌の過程や死など、いくつかの脱落がある奇妙な構造で、そのために、未完成説、合作説、実験作説と言われることが多い。書かれた時期に関しても、最初期、最後期、後期ロマンス劇の直前と諸説ある。「ファースト・フォリオ」など一般には「悲劇」に分類されているが、(悲劇の条件である)主人公が死ぬにもかかわらず、「問題劇」(喜劇)とする研究者もいる。.

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アイネイアース

負傷して手当てを受けるアイネイアース(アエネアース)、傍らには泣くアスカニオス(ユールス)と彼らを見守るアプロディーテー(ウェヌス) アイネイアース(Αἰνείας, Aineiās)あるいはアイネアース(Αἰνέας, Aineās)は、ギリシア神話およびローマ神話に登場する半神の英雄である。ラテン語ではアエネーアース(Aenēās)と表記される。日本語では長音記号を省略しアイネイアス、アイネアス、アエネアスとも呼ばれる。 トロイア王家の人物アンキーセースと女神アプロディーテー(ウェヌス)の息子。トロイアの王プリアモスの娘クレウーサを妻とし、息子アスカニオス(アスカニウス、別名ユールス、イウールス)をもうけた。 アイネイアースはトロイア戦争におけるトロイア側の武将で、トロイア滅亡後、イタリア半島に逃れて後のローマ建国の祖となったといわれる。古代ローマでは敬虔な人物として知られていた。彼を主人公とした作品に詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』がある。.

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アガメムノーン

アガメムノーンの黄金の仮面。実際にはアガメムノーンの時代より3世紀も昔のものだった アガメムノーンの帰還 アガメムノーンの死 アガメムノーン(Ἀγαμέμνων, )は、ギリシア神話の英雄である。長母音を省略してアガメムノンとも表記される。 アガメムノーンはミュケーナイの王であり、トロイア戦争におけるギリシア軍の総大将である。父はアトレウス。弟にメネラーオス。妻にクリュタイムネーストラー。息子にオレステース。娘にイーピゲネイアおよびエーレクトラー。.

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アキレウス

アキレウス(Ἀχιλλεύς、Achilles)は、ギリシア神話に登場する英雄で、ホメーロスの叙事詩『イーリアス』の主人公である。ラテン語ではアキレス。 プティーアの出身で、プティーア王ペーレウスと海の女神テティスとの間に生まれた。アイアコスの孫にあたる。スキューロス島の王リュコメーデースの娘デーイダメイアとの間にネオプトレモスをもうけた。トロイア戦争にはミュルミドーン人を率いて50隻の船と共に参加し、たった一人で形勢を逆転させ、敵の名将を尽く討ち取るなど、無双の力を誇ったが、戦争に勝利する前に弱点の踵を射られて命を落とした。足が速く、『イーリアス』では「駿足のアキレウス」と形容される。.

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イーリアス

イーリアスの表紙(1572年・Rihel社) 『イーリアス』(Iλιάς, Ilias, Iliad)は、ホメーロスによって作られたと伝えられる長編叙事詩で、最古期の古代ギリシア詩作品である。.

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ウィリアム・キャクストン

リザベス王妃にキャクストンが最初の印刷見本を見せているところ ウィリアム・キャクストン(、1415-1422年ごろ - 1492年3月ごろ)は、イングランドの商人、外交官、著作家、印刷業者。カクストンとも。イングランドで初めて印刷機を導入して印刷業を始めた人物とされている。また、イングランド人として初めて本を出版して小売りした人物でもある。当時のロンドンで出版物の小売りを手がけていたのは、フランドル人やドイツ人やフランス人ばかりだった。.

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ウィリアム・シェイクスピア

ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare, 1564年4月26日(洗礼日) - 1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日))は、イングランドの劇作家、詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、最も優れた英文学の作家とも言われている。また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知る上での貴重な言語学的資料ともなっている。 出生地はストラトフォード・アポン・エイヴォンで、1585年前後にロンドンに進出し、1592年には新進の劇作家として活躍した。1612年ごろに引退するまでの約20年間に、四大悲劇「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」、「ヴェニスの商人」、「夏の夜の夢」、「ジュリアス・シーザー」など多くの傑作を残した。「ヴィーナスとアドーニス」のような物語詩もあり、特に「ソネット集」は今日でも最高の詩編の一つと見なされている。 2002年BBCが行った「100名の最も偉大な英国人」投票で第5位となった。 「シェイクスピア」の日本における漢字表記(借字)は「沙吉比亜」だが、これは中国での表記「莎士比亞」(繁体字での表記で、簡体字では「莎士比亚」)の「莎」を「沙」と、「亞」を「亜」と略し、「士」の代わりに「吉」を用いたもの。「沙翁」と呼ばれることもある。.

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オデュッセウス

デュッセウス()は、ギリシア神話の英雄で、イタケーの王(バシレウス)であり、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公でもある。ラテン語で(ウリクセス)あるいは (ウリュッセウス)ともいい、これが英語の(ユリシーズ)の原型になっている。彼はトロイ攻めに参加した他の英雄たちが腕自慢の豪傑たちであるのに対して頭を使って勝負するタイプの知将とされ、「足の速いオデュッセウス」「策略巧みなオデュッセウス」と呼ばれる。ホメーロス以来、女神アテーナーの寵厚い英雄として書かれる。イタケー王ラーエルテースとアンティクレイアの子で、妻はペーネロペー、息子はテーレマコスである。シーシュポスが父とする説もある。 トロイア戦争ではパラメーデースの頓智でアカイア勢に加勢させられ、アキレウスの死後、その武具を大アイアースと争って勝利した。また木馬の策を立案し、アカイア勢を勝利に導いた。 オデュッセウスの貴種流離譚である長い帰還の旅に因み、長い苦難の旅路を「オデュッセイ、オデュッセイア」という修辞で表すこともある。啓蒙や理性の奸智の代名詞のようにもいわれ、テオドール・アドルノ/マックス・ホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」でも取り上げられる。彼が難破して、裸体でスケリア島に漂着したところを助けた、純粋無垢の代表としての清らかな王女ナウシカアに対置されることもある。姦計としての理性対愛という対立構造で近世市民社会の論理を語るのに、オデュッセウスとナウシカアを対置させた哲学者もある。.

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カルカース

イーピゲネイアを犠牲にしようとするカルカース。フレスコ画、ナポリ。 カルカース(Κάλχας, )は、ギリシア神話の占い師、予言者である。長母音を省略してカルカスとも表記される。予言者テストールの子でヒュギーヌス、190話。、レウキッペー、テオノエーと兄弟。 カルカースはミュケーナイ、あるいはメガラの人で、トロイア戦争のさいにアガメムノーンに乞われてギリシア軍に従軍し、予言の術でギリシア軍を助けた。.

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カッサンドラー

ッサンドラー(イーヴリン・ド・モーガン画) カッサンドラーを凌辱する小アイアース カッサンドラー(、Cassandra)は、ギリシア神話に登場するイリオス(トロイア)の王女である。悲劇の予言者として知られる。日本語では長母音を省略してカッサンドラ、カサンドラと表記されることが多い。.

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ギリシア神話

リシア神話(ギリシアしんわ、ΜΥΘΟΛΟΓΊΑ ΕΛΛΗΝΙΚΉ)は、古代ギリシアより語り伝えられる伝承文化で、多くの神々が登場し、人間のように愛憎劇を繰り広げる物語である。ギリシャ神話とも言う。 古代ギリシア市民の教養であり、さらに古代地中海世界の共通知識でもあったが、現代では、世界的に広く知られており、ギリシャの小学校では、ギリシャ人にとって欠かせない教養として、歴史教科の一つになっている。 ギリシア神話は、ローマ神話の体系化と発展を促進した。プラトーン、古代ギリシアの哲学や思想、ヘレニズム時代の宗教や世界観、キリスト教神学の成立など、多方面に影響を与え、西欧の精神的な脊柱の一つとなった。中世においても神話は伝承され続け、その後のルネサンス期、近世、近代の思想や芸術にとって、ギリシア神話は霊感の源泉であった。.

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グローブ座

ーブ座(グローブざ、Globe Theatre)は、ロンドンのテムズ川南岸(サウス・バンク)のサザーク地区にあった劇場であり、しばしばウィリアム・シェイクスピアと結びつけられている。1599年にシェイクスピアの劇団であった宮内大臣一座によって建てられた。土地はトマス・ブレンドの所有地で、息子のニコラス・ブレンドと孫のサー・マシュー・ブレンドが受け継いだものであった。初代の建物は1613年6月29日の火事で壊れてしまった。 二代目のグローブ座は同じ場所に1614年6月に建てられ、1642年9月6日の劇場閉鎖により廃業したEncyclopædia Britannica 1998 edition.

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ゲーオア・ブランデス

ーオア・モリス・コーエン・ブランデス(Georg Morris Cohen Brandes、1842年2月4日 - 1927年2月19日)は、デンマークの文学史家・批評家である。コペンハーゲン大学教授。 コペンハーゲンのユダヤ人の家庭に生まれる。生まれたときの姓名はモリス・コーエン。テーヌ、コント、ミルなどの影響を受け、カエサル、シェイクスピア、ヴォルテール、ゲーテや、同時代の文学についての評論を数多く著し、19世紀末のヨーロッパを代表する文学史家であると評価された。 1877年から1883年にかけてベルリンに滞在した際、レーやザロメと交際してニーチェの存在を知った。『善悪の彼岸』や『道徳の系譜』を贈呈されたブランデスは、その思想における禁欲主義や民主主義に対しての嫌悪・蔑視に高い関心を示し、「貴族的急進主義」と評価して、それ以来ニーチェとは頻繁に文通を行う知己の仲となった。ブランデスはニーチェにキェルケゴールの存在を知らせ、ストリンドベリやイプセンに注目するよう示唆している。それがきっかけでニーチェはストリンドベリとも文通を始めることになった。1888年4月にブランデスはコペンハーゲン大学でニーチェに関する数回にわたる公開講義を行って大成功を収め、ニーチェの名をヨーロッパ(とくにスカンディナヴィア)の知識人たちに広めるのに大きく寄与する役目を果たした。 主著『十九世紀文学主潮史』(1872年 - 1890年)がある。吹田順助訳で1950年代に一部が、創元文庫で刊行された。.

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コリオレイナス

『コリオレイナス』(The Tragedy of Coriolanus)は、ウィリアム・シェイクスピアの悲劇。5幕からなる。後期の戯曲で、シェイクスピア生前の上演記録は残っていない。悲劇としては最後に書かれたものとされており、1608年ごろ執筆されたと推定されているが、他の後期作品と同様、その制作年代には諸説がある。テクストの初出は1623年で、ファースト・フォリオの一部として出版された。 古代ローマの伝説的将軍をモデルとし、作品中では「ケイアス・マーシアス・コリオレイナス」( Gaius Martius Coriolanus)を主人公とする。典拠として、プルタルコス『対比列伝』の「コリオラヌス伝」およびティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』が使われている。.

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ジョン・ドライデン

ョン・ドライデン(John Dryden、1631年8月9日 - 1700年5月12日)は、イングランドの詩人、文芸評論家、劇作家。王政復古時代のイングランド文学を支配し、その時代が「ドライデンの時代」として知られるほど影響力の大きい人物であった。.

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ジョイス・キャロル・オーツ

ョイス・キャロル・オーツ(Joyce Carol Oates, 1938年6月16日 - )は、アメリカ合衆国の作家、プリンストン大学教授 (Roger S. Berlind '52 Professor in the Humanities)。夫のと共に文芸誌「オンタリオ・レビュー」を編集・発行している。 小説・詩・戯曲・エッセイなど数多くの著作があり、ロザモンド・スミス (Rosamond Smith) またはローレン・ケリー (Lauren Kelly) という筆名でも数冊のミステリー小説を執筆している。近年ではノーベル文学賞候補として報道されることも多い。.

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ジェフリー・チョーサー

ェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer, 1343年頃 - 1400年10月25日)は、イングランドの詩人である。当時の教会用語であったラテン語、当時イングランドの支配者であったノルマン人貴族の言葉であったフランス語を使わず、世俗の言葉である中英語を使って物語を執筆した最初の文人とも考えられている。 アメリカ合衆国の女優・外交官シャーリー・テンプルは末裔に当たる。.

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問題劇

問題劇(もんだいげき、Problem plays)とは、一般にウィリアム・シェイクスピアが1590年代後半から17世紀初頭にかけて執筆した『終わりよければ全てよし』、『尺には尺を』、『トロイラスとクレシダ』の3篇を指す、シェイクスピア研究における用語である。批評家によっては解釈を敷衍し、『ハムレット』や『冬物語』、『アテネのタイモン』、『ヴェニスの商人』などをも含める場合がある。この用語は、批評家フレデリック・ボアズ(Frederick S. Boas)が1896年の著書"Shakespeare and his Predecessors"において提示したものである。 この用語は、ボアズの時代に人気のあったある種の演劇、とりわけノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンの作品を評した問題劇という述語を流用したものである。これらの問題劇において主人公が直面する状況は、現代の社会問題の典型例として作者が提示したものである。こうした現代的な演劇の形態が、従来喜劇にも悲劇にも分類しがたいものとされてきたシェイクスピア作品(ボアズのあげた3作は名目上は喜劇に分類されていたが)を研究するうえで便利な形式を規定しうるものだとボアズは考えたのである。ボアズによれば、シェイクスピアの問題劇はその中心人物を通して特定の道徳的ジレンマや社会問題の根源を探り当てようとするものである。 問題劇は混乱した調子に特色があり、暗い精神的なドラマと直截的な喜劇の要素とのあいだを激しく揺れ動く。『終わりよければ』と『尺には尺を』は不自然なほど人工的でおざなりなハッピーエンドで幕を閉じるが、『トロイラス』は悲劇的な死でもハッピーエンドでもない結末を迎える。ボアズは、テーマや議論の解決が不徹底であるように思われるものや、最終幕において観客の期待する「正義による救済」や「大願の成就」といったことが起こらないような作品を指してこの語を用いた。その後さまざまな定義がつけ加えられたが、いずれにせよこれらの戯曲は喜劇や悲劇といった従来のカテゴリに分類しがたいものであるという事実がその中心にあることに変わりはない。登場人物たちにとってはおおむね明るい結末を迎えてはいるものの、一方で完全に解決することも無視してしまうこともできないような暗く深い問題が浮かび上がることから、これら3作はダーク・コメディとも呼ばれる。 多くの批評家が、これら一連の作品はシェイクスピアの精神的な転機の現われであるという見解を示している。この転機とはすなわち、シェイクスピアがそれまで専門としていたロマンティックな喜劇に対する関心を失ってから、四大悲劇『ハムレット』『オセロー』『リア王』『マクベス』へと向かってゆくまでの過渡期のことである。 ボアズが最初に問題劇として定義した3作の喜劇とほぼ同じ時期に執筆されたと推定されている『ハムレット』も問題劇に含める学者もいる。いくぶん曖昧に定義された用語であるため、まったく別の時期に書かれた風変わりな戯曲に対してこの語が用いられることもある。 *もんたいけき.

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国王一座

国王一座(こくおういちざ、The King's Men)は、ウィリアム・シェイクスピアが座付き劇作家として長らく在籍していたことで知られるイギリスの劇団である。女王エリザベス1世の治世(1558年 - 1603年)においては「宮内大臣一座」の名で活動していたが、1603年に新国王ジェームズ1世が即位して劇団のパトロンとなったのをきっかけに国王一座と改称した。 1603年5月19日に交付された国王一座の設立勅許状では、「ローレンス・フレッチャー (Lawrence Fletcher) 、ウィリアム・シェイクスピア、リチャード・バーベッジ、オーガスティン・フィリップス (Augustine Phillips) 、ジョン・ヘミングス (John Heminges) 、 ヘンリー・コンデル (Henry Condell) 、 ウィリアム・スライ (William Sly) 、 ロバート・アーミン (Robert Armin) 、リチャード・カウリー (Richard Cowley) 、その他の同僚たち」といった順番に俳優たちの名が列記されている当時の演劇界は年功序列の厳しい世界だったことから、勅許におけるフレッチャー、シェイクスピア、バーベッジという順序には劇団内の力関係なども反映されていると考えるべきであり、筆頭にあげられているフレッチャーは相当重要な人物だったと推測される。したがってフレッチャーの名がファースト・フォリオ冒頭の「主要な俳優」一覧に見られないのは非常に奇妙なことである。そもそも現存するさまざまな戯曲の上演記録にもフレッチャーの名が記録されたものは少なく、役者としての活動歴も定かではない。これはフレッチャーがもともと王太子時代のジェームズ1世から贔屓にされていたことから、宮内大臣一座が新国王の庇護を受け国王一座へ改称するさいに、以前から国王の気に入られている人物を入れておいた方が手続きがスムーズに進むのではないかという政治的判断から、名前だけ借りてこられたためのではないかと推測されている。。名をあげられた9人は宮内官待遇となっており、1604年3月15日には、国王戴冠式用の正装を仕立てるために4ヤード半の赤布が9人全員に供与されている。.

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第一次世界大戦

一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、World War I、略称WWI)は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて戦われた世界大戦である。.

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白水社

株式会社白水社(はくすいしゃ)は、日本の出版社。語学書や翻訳書の出版を多く手がける。新人劇作家の登竜門といわれる岸田國士戯曲賞を主催していることでも知られる。 社名は、屈原の長詩「離騒」の註の「淮南子に言ふ、白水は崑崙(こんろん)の山に出で、これを飲めば死せずと。神泉なり」に由来する。.

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白水Uブックス

白水Uブックス(はくすいユーブックス)とは白水社が発行する小説、ノンフィクションの叢書。ブックデザインは田中一光。判型は新書判。発刊当初は、パブロ・ピカソのデッサン『FAUNSKOPF』がカバーに使われていた。.

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蒲池美鶴

蒲池 美鶴(かまち みつる、1951年9月13日 - )は、英文学者、立教大学名誉教授。博士(文学)(京都大学、1999年)(学位論文「エリザベス朝演劇のアナモルフォーズ」)。.

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松岡和子

松岡 和子(まつおか かずこ 1942年4月17日- )は、日本の翻訳家、演劇評論家。元東京医科歯科大学教授。国際演劇評論家協会会員。テレビドラマや映画の英語翻訳家だった額田やえ子は義理の従姉にあたる。 イギリス文学戯曲の他、小説や評論の翻訳を手がける。シェイクスピア全作の新訳に取り組んでおり、彩の国さいたま芸術劇場での彩の国シェイクスピア・シリーズ企画委員のひとり。 旧満州新京生まれ。東京都立豊多摩高等学校、東京女子大学英文科卒業、東京大学大学院修士課程修了。1982年から東京医科歯科大学教養部英語助教授、教授となったが、1997年翻訳に専念するため退任した。.

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村岡勇

村岡 勇(むらおか いさむ、1906年 - 1993年)は、英文学者。東北大学名誉教授。 東北大学文学部英文科で、土居光知の後を継いで教授を勤め、1970年定年退官。D・H・ロレンス、T・S・エリオットなどを研究したほか、夏目漱石の『文学論』のノートを調査し編纂した。.

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悲劇

悲劇(ひげき、tragedy)とは、古代ギリシアに成立し(ギリシア悲劇)、ルネサンス以降のヨーロッパにおいて継承・発展した演劇形式である。またその演劇の脚本・戯曲のことも悲劇と言う場合がある。多くは主人公となる人物の行為が破滅的結果に帰着する筋を持つ。転じて、同種の筋を持つ他地域の演劇や現実の出来事を指しても用いられる。なお、まれに悲劇のうちには「機械仕掛けの神」(デウス・エクス・マキナ)によって事件が解決される筋をもつものもある。.

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書籍出版業組合

書籍出版業組合(しょせきしゅっぱんぎょうくみあい、通称:Stationers' Company)とは、シティ・オブ・ロンドンのリヴァリ・カンパニー(同業者組合)の一つである。正式名は、Worshipful Company of Stationers and Newspaper Makersで、直訳すると出版業者及び新聞発行業者の名誉組合となる。この書籍出版業組合は1403年に組織され、1557年に勅許状を受けた。この組合は、印刷業に対する独占権を手に入れ、1709年のアンの勅令までの期間、著作権の規定を定め遂行する責任を公式に受けた。 今日、この組合はほとんど儀式的な機能と教育慈善事業への貢献のみを行っている。全ての構成員は出版や書籍の取引を営んでいる。ロンドンの同業ギルドの席次において、書籍出版業組合は47番目であった。.

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書籍出版業組合記録

書籍出版業組合記録 (しょせきしゅっぱんぎょうくみあいきろく、 Stationers' Register)とは、ロンドンの書籍出版業組合 (Stationers' Company) によって記録された登記簿である。この組合は出版業に携わる様々な職業を管理するために1557年に勅許を与えられたギルドであり、イングランドの印刷業者、製本業者、書店、出版業者などがそこに含まれる。この登録そのものは、それぞれの出版業者の持つ、特定の印刷物の制作権を保障するものであり、著作権法の先駆けとなるものであった。組合の勅許状は、海賊版を差し押さえたり、無認可の書籍の出版を禁止したりする権利を組合に付与した。 16世紀、17世紀の英文学(エリザベス朝、ジェームズ朝、チャールズ朝、とりわけイギリス・ルネサンス演劇)の研究をするうえで、この出版業組合記録は非常に重要かつ必須の資料となる。というのも、他から見出すことのできない事実にもとづいた情報と、確実なデータとをこの記録から得ることができるからである。宮廷祝典局長の記録(これは出版よりはむしろ演劇の公演に関するものである)と並び、出版業組合記録は学者たちがウィリアム・シェイクスピアやベン・ジョンソン、更にはその先駆者や同時代人、後継者にあたる全ての文学者に関して知りうる、疑いの余地のない情報の供給源となっている。 書籍商は4ないし6ペンスの登録料を支払うことによって、所定の作品の出版権を登録することができた。一例として、出版業組合記録に記載された次のようなケースがある。1607年11月26日、書籍商ジョン・バズビーとナサニエル・バッターが「巨匠ウィリアム・シェイクスピアによるリア王の伝記と呼ばれる本で、普段はバンクサイドのグローブ座で活動している臣下たちによって、先年のクリスマスの聖スティーブンの日にホワイトホール宮殿において国王の御前で公演が行なわれた作品」を出版する権利を主張している(彼らは6ペンスを支払っている)。 この時代の法令は、現代ほど厳密に施行されてはいなかった。そのため登録されていない本もときおり出版され、それ以外にも不正のなされることは多かった。場合によっては、劇団が書店の協力のもとに戯曲の登録を行なったが、その目的は明らかに自分たちに権益のない形で、その戯曲が出版されることを未然に防ぐためであった。 1710年、著作権法またの名をアン条例 (Statute of Anne) が制定され、登録に関連する組合の規定に取って代わることとなった。出版業組合は2000年2月まで作品に関する何らかの登録を継続していた。.

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1602年

記載なし。

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1603年

記載なし。

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1609年

記載なし。

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1月28日

1月28日(いちがつにじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から28日目に当たり、年末まであと337日(閏年では338日)ある。.

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2月7日

2月7日(にがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から38日目に当たり、年末まであと327日(閏年では328日)ある。.

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