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トマス・マロリー

索引 トマス・マロリー

トマス・マロリー(Sir Thomas Malory, 1399年 - 1471年3月14日)は、イングランド人で、『アーサー王の死』の著者・編者。 古物収集家はマロリーをウェールズ人だと考えたが、最近の学説ではウォリックシャー州ニューボールド・レヴェル出身と考えられている。姓のマロリーは Malory のほか、Maillorie、Mallory、Mallery、Malerore などの表記が見られる。この名前の語源は古フランス語の形容詞 maleure(ラテン語 male auguratus からきている)で、「前触れなく」または「不幸な」という意味。 マロリーの生涯に関して確実とされるものは少ない。おそらく1405年前後に生まれたとされているが、もっと前に生まれていたとする学者もいる。名作『アーサー王の死』の完成から2年もたたない1471年3月に、彼は死んだ。イングランド議会の議員に2度選出された。1450年代には、強盗、強姦、羊泥棒、バッキンガム公暗殺未遂などの罪を犯した。2回脱獄している(片方は武器を用いての強行突破、もう片方は堀を泳いでの逃走)。ロンドン内の複数の刑務所に投獄されたが、保釈で出獄中の収監になったこともある。自身に対する賠償請求訴訟に姿を見せたことがない。 1460年代に一度だけ、王(ヘンリー6世)の恩赦を受けたが、ヘンリー6世の別の恩赦やエドワード4世の恩赦では、明示的に除外されていた。 このことは、作品の一部を獄中で書いたとマロリー自身が節末に記していることからも明らかである。 は、『アーサー王の死』の奥付におけるマロリー自身に関する記述から、マロリーが司祭だったかも知れないと考えた。 『アーサー王の死』を元に書かれたT. H. WhiteのThe Once and Future Kingの最後に、登場人物として若い頃のマロリーが描かれている。このカメオ出演は、ブロードウェイミュージカル『キャメロット』にも見られる。現代では、アーサー王伝説もの作品の多くが、マロリーを根底にしている。ジョン・ブアマンの映画『エクスカリバー』もその一つで、『アーサー王の死』の完全な再現を目指していた。.

20 関係: 古フランス語司祭形容詞ハンフリー・スタッフォード (初代バッキンガム公爵)ラテン語ヘンリー6世 (イングランド王)アーサー王の死イングランド人イエス・キリストウェールズウォリックシャーエドワード4世 (イングランド王)エクスカリバー (1981年の映画)カメオ出演キャメロット脱獄1399年1405年1471年3月14日

古フランス語

古フランス語(こふらんすご、ancien français)は、9世紀から14世紀にかけて現在のフランス北部を中心に話されていたフランス語である。 西ローマ帝国の崩壊(476年)以降、俗ラテン語の地域ごとの分化はとどまるところを知らず、ガリア(フランス)の俗ラテン語はガロ=ロマンス語と呼ばれる方言群となった。フランス語はそうしたガロ=ロマンス語の一つであるが、古フランス語と言うときには現代フランス語の直接の祖だけでなく、ガロ=ロマンス語の諸方言全体を指す。 14世紀には、ガロ=ロマンス語は、フランス南部のオック語との対比の上で、オイル語として認識されるようになり、ついで14世紀半ばには、そのオイル語のイル=ド=フランス方言(パリ周辺の方言。フランシアン語とも)に基づいて中期フランス語(期のフランス語)が生じていった。 古フランス語(ガロ=ロマンス方言連続体)が土着の言葉として話されていた領域は、おおまかに言ってフランス王国の歴史的領土とその封臣領、ブルゴーニュ公国、それにロレーヌ公国とサヴォワ伯国を東限としたものである(全体としては現在の北仏および中央フランス、ベルギーのワロン地域、スイス西部、イタリア北部となる)。しかし古フランス語の影響が及んだ地域はそれよりずっと広く、イングランド、シチリア、十字軍諸国に当時の社会における支配階級の言語として、また通商の言語として伝播した(なお、異民族間の共通語を表す「リングワ・フランカ」は「フランク人の言葉」という意味だが、実際に十字軍時代から東地中海で通商に用いられ「リングワ・フランカ」と呼ばれたロマンス語系のピジン言語は実質的にはオック語とイタリア語に基づくものである)。.

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司祭

司祭(しさい)とは、キリスト教における位階の一つ。東方諸教会、正教会、カトリック教会、聖公会に存在する。 プロテスタントには、万人祭司の教理により司祭がおらず、指導者として牧師がいる。.

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形容詞

形容詞(けいようし )とは、名詞や動詞と並ぶ主要な品詞の一つで、大小・長短・高低・新旧・好悪・善悪・色などの意味を表し、述語になったりコピュラの補語となったりして人や物に何らかの属性があることを述べ、または名詞を修飾して名詞句の指示対象を限定する機能を持つ。.

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ハンフリー・スタッフォード (初代バッキンガム公爵)

初代バッキンガム公ハンフリー・スタッフォード(Humphrey Stafford, 1st Duke of Buckingham、1402年 - 1460年7月10日)は、15世紀イングランドの貴族。百年戦争・薔薇戦争で軍司令官として活動した。第5代スタッフォード伯エドムンド・スタッフォードとアン・オブ・グロスター(トマス・オブ・ウッドストックの娘で、国王エドワード3世の孫でもある)の息子である。 ハンフリーが小さい子供の時に父エドムンドが死亡、莫大な財産と1ダース以上の州の土地とを相続して第6代スタッフォード伯になった。1444年、フランスで軍功を上げてバッキンガム公に列せられた。 薔薇戦争にはランカスター派として参戦し、第一次セント・オールバンズの戦いで負傷、長男のハンフリーと義兄のノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーはこの戦闘で戦死している。 バッキンガム公は1460年にノーサンプトンの戦いで戦死した。長男が既に死亡していたので、爵位は孫のヘンリーが継承した。.

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ラテン語

ラテン語(ラテンご、lingua latina リングア・ラティーナ)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派の言語の一つ。ラテン・ファリスク語群。漢字表記は拉丁語・羅甸語で、拉語・羅語と略される。.

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ヘンリー6世 (イングランド王)

ヘンリー6世(Henry VI, 1421年12月6日 - 1471年5月21日)は、ランカスター朝最後のイングランド王(在位:1422年8月31日 - 1461年5月4日、1470年10月30日 - 1471年4月11日)。フランス王も兼ねた(在位:1422年 - 1453年)。1437年まで摂政が後見。ヘンリー5世とフランス王シャルル6世の娘キャサリン・オブ・ヴァロワの子。 同時代人からは、平時は平和主義で敬虔だが、非常時は自身が直面した苛烈な抗争には不向きな人物として描かれた。彼の精神錯乱と生まれ持った博愛心は、やがて薔薇戦争の開始による自身の没落とランカスター朝の崩壊、ヨーク朝の台頭につながった。.

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アーサー王の死

『アーサー王の死』(アーサーおうのし、Le Morte d'Arthur) は、15世紀後半にウェールズ人の騎士トマス・マロリーによって書かれた長編作品。内容はアーサー王の出生にはじまり、円卓の騎士たちの活躍、ランスロットとグィネヴィアの不義、最後の戦い、アーサー王の死までを含む、中世のアーサー王文学の集大成ともいえる作品である。 作者トマス・マロリーは、1450年代初期からこの長大な作品の制作を開始し、1450年代のたびたびの投獄中にもこの大作の執筆を続け、出獄後、早くとも死(1471年3月14日)の2年前より遅い時期、かつ1470年までにこの大作を完成したとされている。 著者トマス・マロリーが1470年までに書き上げた段階では本書は『アーサー王と高貴な円卓の騎士』(The hoole booke of kyng Arthur & of his noble knyghtes of the rounde table)という題であったが、出版業者ウィリアム・キャクストンが1485年にこれを出版する際、『アーサー王の死』(中世フランス語で Le Morte Darthur)と改題した。 現代英語圏では、トマス・マロリーの意思と構成を尊重し、様々な作家が、原題に準ずる題名で、アーサー王伝説、円卓の騎士物語、トリスタンとイゾルデ伝説、聖杯伝説などを脚色した作品を主に若者向けに出版している。1953年に Puffin Books(英語版) で出版された児童向けのロジャー・ランセリン・グリーン(英語版)の本はその後何度も復刻されている。 1892-93年に J.M.Dent(英語版), London が1800冊限定で出版した2冊本は オーブリー・ビアズリーが挿絵を手掛けており、井村君江による日本語訳の表紙でもそれらが使用されている。.

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イングランド人

イングランド人(イングランドじん、英語:English people 古英語:Englisc)は、イングランドを起源とし、英語を主な母語とする民族のこと。またはイングランド区域内で出生した連合王国(イギリス)の国籍を有する住民(この場合は、イングランド以外にルーツを有する者を含む)のこと。イングランド人としての民族アイデンティティの起源は古く、最初期においてはAnglecynn(アングル人)と呼ばれていた。 イングランド人の最も大きな集団は、イギリスの構成国(イギリスのカントリー)のひとつであるイングランドに居住している。この集団のうち、近世以前からこの地に定着していた人々の末裔は、ブリトン人、ローマ・ブリトン人、アングロ・サクソン人、ヴァイキング、ノルマン人など、イングランドに当たる地域に定住していた近縁の民族集団との混血であるといわれている。2013年に発表された現代ヨーロッパの遺伝学的な研究によれば、現代ヨーロッパ人の遺伝子構造は、約7500年前に移動して来た最初の農耕民やこれより古い時代の狩猟採集民ではなく、新石器時代中期の紀元前4500年頃に定着したとされている。 より近年のイングランドへの移住者には、グレートブリテン島・アイルランド島をはじめ様々な地域の民族がおり、これらの大部分はウェールズ・スコットランド・アイルランド共和国・イギリス連邦諸国である。これらの移住者には、イギリス人・イングランド人としてのアイデンティティを持つものもいれば、二重もしくは外国系のアイデンティティを持つものもいる。.

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イエス・キリスト

イエス・キリスト(紀元前6年から紀元前4年頃 - 紀元後30年頃、Ίησοῦς Χριστός、יְהוֹשֻׁעַ/יֵשׁוּעַ הַמָּשִׁיחַ, )は、ギリシア語で「キリストであるイエス」、または「イエスはキリストである」という意味である。すなわち、キリスト教においてはナザレのイエスをイエス・キリストと呼んでいるが、この呼称自体にイエスがキリストであるとの信仰内容が示されているX.

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ウェールズ

ウェールズ(Wales、Cymru カムリ)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)を構成する4つの「国(イギリスのカントリー)」(country)のひとつである。ウェールズはグレートブリテン島の南西に位置し、南にブリストル海峡、東にイングランド、西と北にはアイリッシュ海が存在する。 かつて、石炭を代表とする豊富な地下資源を産出し、イギリスの産業革命を支えた歴史をもつ。.

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ウォリックシャー

ウォリックシャー (Warwickshire) はイングランド中部の州。ウェスト・ミッドランズ都市州の一部。ストラトフォード・アポン・エイヴォン、レミントン・スパ、ラグビー、ウォリックなどの町がある。.

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エドワード4世 (イングランド王)

ドワード4世(Edward IV, 1442年4月28日 - 1483年4月9日)は、イングランド国王(在位:1461年 - 1483年、ただし1470年から1471年にかけて数か月の中断がある)。 薔薇戦争(1455年 – 1485年/1487年)の第一次内乱に勝利したことにより、ランカスター家のヘンリー6世を廃位して、ヨーク朝を開いた。ウォリック伯リチャード・ネヴィルの反乱(第二次内乱)により短期間だが王位を追われて、ヘンリー6世の復位を許すが、反撃に成功して王位を取り戻している。 だが若くして急死したため、弟のリチャード3世による簒奪を許し、テューダー朝がヨーク朝を倒す結果を招いた。.

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エクスカリバー (1981年の映画)

『エクスカリバー』(Excalibur)は、1981年のイギリス・アメリカ合衆国合作映画。トマス・マロリーの『アーサー王の死』を基に、アーサー王の生涯を描いた作品である。.

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カメオ出演

メオ出演(カメオしゅつえん、cameo appearance / cameo role)は、俳優や歌手、監督、漫画や小説などの原作者、時には政治家やスポーツ選手などがゲストとしてほんの短い時間、映画やドラマ、アニメ、舞台に出演すること。遠目からでもはっきりと分かる装飾品のカメオからそう呼ばれるようになった(英語のcameoには「名場面」「山場」という意味もある)。 日本国外では単に「cameo」と呼ばれることもある。スーパーエキストラという扱いの場合もある。.

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キャメロット

ュスターヴ・ドレ画、illustration of Camelot from “Idylls of the King”, 1868 キャメロット(Camelot)は、アーサー王の王国、ログレスの都。アーサー王はこの地にキャメロット城を築き、多くの戦いに出陣したという。その正確な位置は失われ(または最初から実在せず)良く分かっていないが、おそらくローマ帝国による支配が終わった後のブリテン島にあったローマ系人の支配地域がフィクション化されたものだと思われる。 キャメロットという都の名が初めて現れたのは、フランスの吟遊詩人、クレティアン・ド・トロワの詩『荷馬車の騎士ランスロット』からである。但しこの時点では、後のアーサー王物語におけるほど重要な役割を果たす土地としては描写されていなかった。 エセックスの街、コルチェスターはキャメロットの跡地なのではないかとしばしば指摘される。コルチェスターはローマ帝国によるイギリス支配の最初の拠点でイギリス最古の町であり、そのローマ名「Camulodunum」は先住民のケルト語名(戦の神カムロスの町)から来ている、というのがその根拠である。.

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脱獄

日本一脱獄が困難な刑務所と言われた網走刑務所 脱獄(だつごく)は、収監されている刑事施設から無断で脱出する行為である。牢破りとも呼ばれる。.

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1399年

記載なし。

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1405年

記載なし。

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1471年

記載なし。

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3月14日

3月14日(さんがつじゅうよっか、さんがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から73日目(閏年では74日目)に当たり、年末まであと292日ある。.

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