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テオドリック

索引 テオドリック

テオドリック(Theodoric)、またはテオデリック(Theoderic, Theoderik)は、中世初期のゴート族の王の名前。.

13 関係: ティエリーテウデリクテオドリック (東ゴート王)テオドリック1世テオドリック2世テオドリクスデリック (曖昧さ回避)デレクディルクディートリヒゴート族西ゴート王国東ゴート王国

ティエリー

ティエリー(Thierry)は、フランス語圏の男性名、姓。テオドリック、テオドリクスのフランス語形に当たる。.

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テウデリク

テウデリク(Theuderic)は、フランク王国の君主に見られる名前。.

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テオドリック (東ゴート王)

テオドリック(Theodoric, ゴート語:𐌸𐌹𐌿𐌳𐌰𐍂𐌴𐌹𐌺𐍃, 454年 - 526年8月30日)またはテオデリック(Theoderic, Theoderik)は、東ローマ帝国の軍人および政治家で、東ゴート王国の創始者。ラテン語ではテオドリクス (Theodoricus)。しばしばテオドリック大王と呼ばれる。イタリア語ではテオドーリコ (Teodorico)。.

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テオドリック1世

テオドリック1世 (Theodoric IまたはTeodoredo I、?年 - 451年)は、西ゴート王。アラリック1世の庶子、または義理の息子とも言われている。.

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テオドリック2世

テオドリック2世 (Theodoric II、生年不詳 - 466年)は、西ゴート王(在位:453年 - 466年)。.

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テオドリクス

テオドリクス(Theodoricus)は、ラテン語の男性名。もともとはゲルマン語の*þeudo-rīksに由来する。þeudoとはゲルマン語では「人々」を意味し、「ドイツ(Deutsch)」や「ダッチ(Datch)」と同語源である。rīksは「統治する」「統治者」という意味があり、ドイツ語のライヒ (Reich) と同語源である。ドイツ語名のディートリヒ (Dietrich) と同源であり、ラテン語に転訛したのがテオドリクス(あるいはテオドリック)である。 なお、テオドルス (Theodorus) と似ているが、こちらはギリシャ語で「神の賜物」を意味するテオドロス (Θεόδωρος) のラテン語形であり、関係がない。.

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デリック (曖昧さ回避)

デリック(Derick, Derrick, Deryck)は、英語圏の男性名。テオデリクに由来し、異形にデレク(Derek)、ダーク(Dirk)がある。.

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デレク

デレク(Derek)は、英語圏の男性名。デレック、デリクなどとも表記される。テオデリクに由来し、異形にデリック(Derick, Derrick)、ダーク(Dirk)がある。.

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ディルク

ディルク(Dirk)は、オランダ、フランデレン、北ドイツ系の男性名。テオドリックの短縮形に由来する。.

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ディートリヒ

ディートリヒ(Dietrich)は、ドイツ系の男性名。ディートリッヒとも表記される。姓・名(ファーストネーム)どちらにも用いられている。ゲルマン語派のþeudo(人々)-rīks(統治)に由来する。これをラテン語に転訛ししたものが「テオドリクス」であり、英語の「デレク」、フランス語の「ティエリー」とはそれを介して同語源である。.

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ゴート族

ート族(ゴートぞく、、Gothe(または Gote))は、古代ゲルマン系の民族で、東ゲルマン系に分類されるドイツ平原の民族。ゴットランドからウクライナに移動した後、いわゆる「ゲルマン民族の大移動」によってイタリア半島やイベリア半島に王国を築いた。ローマ帝国の軍勢と戦い、壊滅的打撃を与えたこともある精強な軍を持った民族である。また、ゲルマン系のなかでは早くからローマ帝国の文化を取り入れて独自のルーン文字を残したほか、ローマ軍に傭兵として雇われるなど、後期のローマ帝国の歴史において大きな役割を担った。.

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西ゴート王国

西ゴート王国(にしゴートおうこく、、415年 - 711年)は、現在のフランス南部からイベリア半島にあたる地域を支配したゲルマン系王国。はじめはキリスト教アリウス派、のちにカトリックを国教とし、ゲルマン文化・ローマ文化・キリスト教文化を融合させ栄えた。ビシゴート王国とも。.

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東ゴート王国

東ゴート王国(ひがしゴートおうこく、Ostrogothic Kingdom、497年 - 553年)は、大王テオドリックによって建国された東ゴート族の王国。首都はラヴェンナ。東ローマ帝国の皇帝ゼノンとの同盟により、西ローマ皇帝の廃止後、イタリアのほぼ全域を支配下においた。 テオドリックの治世において、東ゴート王国は西ローマ帝国の統治機構を再整備し、それまでのローマ法を遵守しつつ新たな国家の構築が進められた。しかし、テオドリックの死後、後継者問題や宗教対立によって国内は混乱しはじめ、ローマ帝国の再統一を進めるユスティニアヌス1世がこれに乗じて東ゴート王国に軍を派遣。東ゴート王国はこれに屈服して滅亡した。 王国としては短命であったが、ローマ帝国末期から続く戦乱の中にあって、諸外国と政治的・軍事的均衡を保ち、つかの間ながらイタリア半島にゴート人とローマ人による共存と平和を実現した。.

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