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ツァッヒア (小惑星)

索引 ツァッヒア (小惑星)

ツァッヒア (999 Zachia) は小惑星帯に位置する小惑星。1923年8月9日、ハイデルベルクのケーニッヒシュトゥール天文台でドイツの天文学者カール・ラインムートが発見した。 ケレスを再発見したドイツの天文学者、フランツ・フォン・ツァハ(Franz Xaver Freiherr von Zach, 1754年 - 1832年)に因んで命名された。.

15 関係: 天文単位天文学者の一覧小惑星小惑星の一覧 (1-1000)小惑星帯度 (角度)ハイデルベルクユリウス通日フランツ・フォン・ツァハドイツカール・ラインムートケレス (準惑星)ケーニッヒシュトゥール天文台1923年8月9日

天文単位

天文単位(てんもんたんい、astronomical unit、記号: au)は長さの単位で、正確に である。2014年3月に「国際単位系 (SI) 単位と併用される非 SI 単位」(SI併用単位)に位置づけられた。それ以前は、SIとの併用が認められている単位(SI単位で表される、数値が実験的に得られるもの)であった。主として天文学で用いられる。.

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天文学者の一覧

天文学者の一覧(てんもんがくしゃのいちらん)は、天文学者の一覧である。なお日本の天文学者は多数にわたるのでノーベル物理学賞受賞者・文化勲章受章者のみ掲載する。ノーベル物理学賞受賞者・文化勲章受章者以外の日本の天文学者については日本の天文学者の一覧を参照。 括弧内は国名、生年。ユリウス暦とグレゴリオ暦ではグレゴリオ暦を優先。.

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小惑星

光分(左)と天文単位(右)。 ケレス(右)、そして火星(下)。小さな物ほど不規則な形状になっている。 メインベルト小惑星の分布。縦軸は軌道傾斜角。 軌道長半径 6 AU までの小惑星の分布。縦軸は軌道傾斜角。赤い点はメインベルト小惑星。 小惑星(しょうわくせい、独: 英: Asteroid)は、太陽系小天体のうち、星像に拡散成分がないものの総称。拡散成分(コマやそこから流出した尾)があるものは彗星と呼ばれる。.

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小惑星の一覧 (1-1000)

小惑星の一覧 - 小惑星の一覧 (1001-2000).

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小惑星帯

光分(左)と天文単位(右) 小惑星帯(しょうわくせいたい、アステロイドベルト、)は、太陽系の中で火星と木星の間にある小惑星の軌道が集中している領域を指す言葉である。ほかの小惑星集中地域に対して、それらが小惑星帯と呼ばれるようになるかもしれないと考えられるようになったころから、区別のためにメインベルト()とも呼称されている。.

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度 (角度)

角度の単位としての度(ど、arc degree)は、円周を360等分した弧の中心に対する角度である。また、測地学や天文学において、球(例えば地球や火星の表面、天球)上の基準となる大円に対する角度によって、球の上での位置を示すのにも用いられる(緯度・経度、黄緯・黄経など)。 国際単位系では「SIに属さないが、SIと併用される単位」(SI併用単位)と位置付けられている。.

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ハイデルベルク

ハイデルベルク(Heidelberg )は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州北西部に位置する都市。ライン川とネッカー川の合流点近くに位置する。ネッカー川及び旧市街を見下ろす高台にあるかつてのプファルツ選帝侯の宮廷であった城跡や、ドイツで最も古い大学ループレヒト=カールス大学で知られ、世界中の数多くの観光客や学者を惹きつけている。人口140,000人強のこの都市はバーデン=ヴュルテンベルク州で5番目に大きな都市である。この都市は郡独立市であると同時にライン=ネッカー郡の郡庁所在地でもある。ハイデルベルクが近隣のマンハイムやルートヴィヒスハーフェン・アム・ラインと形成する人口密集地域はライン=ネッカー大都市圏と呼ばれている。.

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ユリウス通日

ユリウス通日(ユリウスつうじつ、Julian Day、JD)とは、ユリウス暦本稿で言うユリウス暦は、西暦8年以前についてもユリウス暦の暦法(4年に1度閏年を実施)を機械的に遡って適用したと仮定したを指す。実際のユリウス暦では、その初期である紀元前45年 から 紀元前8年の間では、閏年を3年に1度とするという正しくない運用がなされていたので(ユリウス暦#初期のユリウス暦の運用)、この先発ユリウス暦とは一致しない。また、紀元前45年以前にはユリウス暦そのものが存在しない。紀元前4713年1月1日、すなわち西暦 -4712年1月1日の正午(世界時)からの日数である。単にユリウス日(ユリウスび)ともいう。時刻値を示すために一般には小数が付けられる。 例えば、協定世界時(UTC)でのCURRENTYEAR年CURRENTMONTHNAMECURRENTDAY日 のユリウス日の値は、おおむねである。.

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フランツ・フォン・ツァハ

フランツ・フォン・ツァハ フランツ・クサーヴァー・フォン・ツァハ男爵(Franz Xaver Freiherr von Zach, 1754年6月4日 - 1832年9月2日)は、オーストリア(現在はハンガリー)生まれのドイツの天文学者。 行方不明になっていた小惑星ケレスを再発見した。 1754年6月4日、オーストリアのペスト(現在のハンガリーのブダペスト)、一説にブラチスラヴァ(現在はスロヴァキア)に生まれる。 1783年、ロンドンでザクセン公使の家庭教師に(~1786年)。 1786年、エルネスト2世・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルクに招かれ、ドイツのゴータにゼーベルク天文台を建設。 1791年、台長に就任(~1806年)。 1787年、ティティウス・ボーデの法則が予言する、火星と木星の間にあるという惑星(後に「小惑星」と呼ばれる)の捜索を始める。 1800年(一説に1799年)、リリエンタールの執政官で天文学者のヨハン・シュレーター (Johann Hieronymus Schröter) と共に、共同捜索チーム未知惑星捜索連盟(通称リリエンタール探偵団 、Lilienthal Detectives)を組織した。 団員は、異説もあるが、ツァハ、シュレーター(団長)、カール・ハーディング、ハインリヒ・オルバース、フェルディナント・フォン・エンデ (Ferdinand Adolf von Ende)、ヨハン・ギルデマイスター (Johann Gildemeister) の6人(24人いたとする資料もある)。 彼らは、黄道を24分割し、分担して捜索を始めた。 にもかかわらず、1801年1月1日、ジュゼッペ・ピアッツィが、最初の小惑星ケレスを発見した。 しかし、2月11日の観測を最後に、ケレスは行方不明になってしまった。 1801年12月31日、ツァハは、カール・フリードリヒ・ガウスによる軌道計算を元に、ケレスを再発見した。 この経緯から、ケレスの発見者をピアッツィ、ガウス、ツァハの3人とする資料もある。 ただし、国際天文学連合 (IAU) 小惑星センター (MPC) は、ピアッツィの単独発見としている。 なお、ツァハ自身は新小惑星を発見することはなかったが、1802年~1807年にかけ、リリエンタール探偵団のオルバースがパラスとベスタを、ハーディングがジュノーを発見している。 1806年~、ある伯爵未亡人の南ヨーロッパ旅行に随伴。 1832年9月2日、フランスのパリで死去。 天文学者として以外に、地理書『Tables of the Sun』の出版(1792年)や、3つの学術雑誌の編集(1798年-1826年)でも知られる。 小惑星(999)ツァッヒアと、月のクレーター・ツァハは、ツァハにちなんで名づけられた。 ちなみに、小惑星(999)から(1001)の名前は、ツァッヒア、ピアッツィア、ガウシアで、ケレスの発見者と再発見者3人の名前が並んでいる。 小惑星(64)アンジェリーナは、彼がマルセイユ近郊に建てた観測施設にちなんで名づけられた。.

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ドイツ

ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、Bundesrepublik Deutschland)、通称ドイツ(Deutschland)は、ヨーロッパ中西部に位置する連邦制共和国である。もともと「ドイツ連邦共和国」という国は西欧に分類されているが、東ドイツ(ドイツ民主共和国)の民主化と東西ドイツの統一により、「中欧」または「中西欧」として再び分類されるようになっている。.

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カール・ラインムート

ール・ヴィルヘルム・ラインムート(Karl Wilhelm Reinmuth, 1892年4月4日 - 1979年5月6日)はドイツの天文学者。 彼は1912年から1957年までハイデルベルクのケーニッヒシュトゥール天文台に勤務していたが、その間、1914年10月15日に小惑星(796)サリタを発見したのを皮切りとして、計395個の小惑星を発見した。なかには、彼自身命名できずに終わり、近年になって中野主一らにより命名されたものもある。 その発見の中でも特筆すべきは、アポロ群の天体である(1862)アポロと(69230)ヘルメスを発見したこと、トロヤ群の天体である(911)アガメムノン、(1143)オデュッセウス、(1172)アエネアス、(1173)アンキセス、(1208)トロイルス、(1404)アヤックス、(1437)ディオメデス、(1749)テラモンを発見したことである。 また、彼の発見した小惑星の一つである(5535)アンネフランク(命名はG.

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ケレス (準惑星)

レス()は、準惑星の1つで、小惑星帯に位置する最大の天体。セレスとも発音する。小惑星として初めて発見された天体でもあり、小惑星番号1番を持つ()。.

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ケーニッヒシュトゥール天文台

ーニッヒシュトゥール天文台(Landessternwarte Heidelberg-Königstuhl)はドイツ、ハイデルベルクの丘ケーニッヒシュトゥールの頂上にあった天文台である。1774年に設立されたマンハイム天文台が、マンハイムの観測条件の劣化により1898年にケーニッヒシュトゥールに移転したのにはじまる歴史のある天文台である。1967年にはマックス・プランク研究所の天文学部門が隣接して設立された。2005年からハイデルベルク大学天文学センターとなっている。 1898年6月20日バーデン大公のフリードリヒ1世によって"Großherzogliche Bergsternwarte" (公爵の山天文台)として発足の儀式が行われた。観測部門は、マンハイム天文台の所長だったカール・ヴィルヘルム・ファーレンタイナー(w:Karl Wilhelm Valentiner)が率いる位置天文学の部門と、マックス・ヴォルフの率いる天体物理学部門から構成された。ファーレンタイナーの引退した1909年からヴォルフが両部門を監督した。 マックス・ヴォルフはスポンサーから資金を集めた。アメリカの慈善家キャサリン・ウォルフェ・ブルースの資金で新しい高性能の望遠鏡を購入した。 天文台で行われた研究には星雲の研究、小惑星の探索がある。ヴォルフやその後継者は800を越える小惑星を発見した。カール・ラインムートは1912年から1957年の間に約400の小惑星を発見した。ケーニッヒシュトゥール天文台で発見された小惑星には最初に発見されたトロヤ群の小惑星アキレスなどがある。また、1927年6月1日に発見した小惑星帯の小惑星 1927 LA は、同年7月5日に観測されたのを最後に行方不明となっている。行方不明となっている小惑星の中では最も古い記録である。 2005年に天文台としての機能は廃止され、ドイツ連邦研究所になった。ハイデルベルク大学の理論天体物理研究所と天体計算研究所は合同してハイデルベルク大学天文学センターとなった。.

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1923年

記載なし。

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8月9日

8月9日(はちがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から221日目(閏年では222日目)にあたり、年末まであと144日ある。.

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