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チャールズ・バベッジ研究所

索引 チャールズ・バベッジ研究所

チャールズ・バベッジ研究所(、CBI)は、ミネソタ大学にある情報技術史に特化した研究センターであり、特に1935年以降のデジタルコンピュータ、プログラミング/ソフトウェア、コンピュータネットワークを専門としている。19世紀のイギリスでプログラム可能なコンピュータ(解析機関)を発明したチャールズ・バベッジの名を冠している。ミネソタ州ミネアポリスにあるミネソタ大学図書館にある。.

54 関係: AdaALGOLAssociation for Computing Machineryミネアポリスミネソタ大学ツインシティー校ミネソタ州チャールズ・バックマンチャールズ・バベッジハネウェルバロースモーリス・ウィルクスレミントンランドプログラミングプログラミング言語パロアルト (カリフォルニア州)デビッド・ホイーラーディジタル・イクイップメント・コーポレーションアメリカ国立標準技術研究所アラン・パリスイリノイ大学インターネットの歴史インターネットガバナンスウィリアム・ノリスウィリアム・ブレイクウォーレス・ジョン・エッカートオペレーティングシステムの歴史オーラル・ヒストリーカリフォルニア州コンラート・ツーゼコントロール・データ・コーポレーションコンピュータコンピュータネットワークスペリーゼネラル・エレクトリックソフトウェアCAテクノロジーズCODASYL社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会米国国家規格協会ENIAC職能団体解析機関計算機の歴史電子媒体IBMIBM 701ISO/IEC JTC 1PLATOStandard Generalized Markup LanguageUNIVAC...標準化団体情報処理国際連合情報技術2000年問題 インデックスを展開 (4 もっと) »

Ada

Ada(エイダ)は、強力な言語機能を豊富に持ち、高度な型の体系をもつ、プログラミング言語の一つである。構文はAlgol系である。 史上初のプログラマとされるエイダ・ラブレスの名前にちなんでAdaと命名されているため、ADAと表記するのは誤り。 フリーのコンパイラとしては、GNATなどがある。.

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ALGOL

ALGOL(アルゴル)は、命令型プログラミング言語ファミリーの1つファミリー名は大文字/小文字をまじえて表記される場合 と、全て大文字で表記される場合 (ALGOL 68) がある。本項目では ALGOL で統一する。。名前「ALGOL」は「アルゴリズム言語」を意味する英語「algorithmic language」に由来する。1950年代中ごろに開発され、多くの言語に影響を及ぼし、ACMや教科書や学術論文などでアルゴリズム記述のデファクトスタンダードとして30年以上使われた。現代の多くの言語が「ALGOL系」あるいは「ALGOL風」(algol-like) とされているという意味で、ほぼ同世代の高水準言語である FORTRAN、LISP、COBOL に比べて最も成功したと言うこともできる。FORTRANで明らかとなった問題を防ぐよう設計され、BCPL、B、Pascal、Simula、Cといった様々なプログラミング言語に影響を与えた。ALGOLはLisp以外としては「begin と end で囲む」という構文によるブロック構造を導入し、制御構造を自在に入れ子(ネスト)にできる初の広まった言語となったFORTRANにはそのような構造は無い。COBOLではピリオドで全ての入れ子が終端するという仕様だったため(現在はend-ifなどを使う)、入れ子で書ける論理に制限があり、酷いバグの原因にもなりやすかった。。また構文の形式的定義を真剣に検討した最初のプログラミング言語でもあり、"Algol 60 Report" で導入されたバッカス・ナウア記法は、その後のコンピュータ言語等の構文の形式的定義を示す手法として(プログラミング言語だけに限られず)定番の記法となっている。.

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Association for Computing Machinery

Association for Computing Machinery (ACM) は、ニューヨークに本部のあるコンピュータ科学分野の国際学会。1947年設立。IEEEとともに、この分野で最も影響力の強い学会であり、IEEEがその名と由来や歴史からエレクトロニクスや通信分野の工学に強いのに対し、数学的な理論計算機科学のような分野もカバーする。日本語に訳して「計算機械学会」とされることもあるが、こんにちこの訳語が用いられることはほとんどなく、通常は単に"ACM"という略称で呼ばれるのがもっぱらである。ACMの「A」は Association (学会、団体) の頭文字であるが、アメリカ数学会 (AMS) と混同して「米国計算機学会」と誤訳されることがある。 数多くの国際会議を開催しており、人目を惹くデモ映像のSIGGRAPHやSIGMODなどはよく知られている。他の多くの学会と同様にすぐれた業績などへの表彰もおこなっているが、チューリング賞は、特にこの分野の最高の賞とみなされており、物理や化学といった分野におけるノーベル賞に匹敵するものと扱われることもある(他の賞についても時折「~のノーベル賞」といったような表現が使われることがあるが、この分野の全てを対象とした世界トップクラスの賞という位置づけにあるのはチューリング賞をおいて他にない)。.

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ミネアポリス

ミネアポリス(Minneapolis )は、アメリカ合衆国ミネソタ州東部に位置する都市である。ヘネピン郡の郡庁所在地で、州最大の都市である。人口は2010年の国勢調査では382,578人.

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ミネソタ大学ツインシティー校

ミネソタ大学ツインシティー校(The University of Minnesota, TwinCities)は、アメリカ合衆国ミネソタ州最大の都市ミネアポリスと同州の州都セントポールにまたがって本部を置く、同国最大の研究機関型州立総合大学の一つである。ミネアポリスとセントポールの二都市を中心とした大都市圏が「Twin Cities(=双子都市)」と呼称されるため、学校名も「ミネソタ大学ツインシティー校」という。1851年に設置された。大学の略称は「U of M」、「UMTC」。同州のミネソタ州立大学(w:Minnesota State University)とは別の大学組織である。 ツインシティー校はミネソタ大学(The University of Minnesota)の旗艦校(本校)であり、ツインシティー校、ダルース(Duluth)校、モーリス(Morris)校、クルークストン(Crookston)校、ロチェスター(Rochester)校の5校からなる、ミネソタ大学系列の中で最古かつ最大の大学である。州立大学の大学として「パブリック・アイビー」の一つに数えられることもある。医療、理工学の研究実績で名高い。1908年より、北米トップレベルの研究型大学で組織されるアメリカ大学協会(The Association of American Universities, AAU)に加盟している。これまでに9名の卒業生、15名の教授がノーベル賞を受賞、86名のグッゲンハイムフェローをはじめ、数多くの分野にわたり人材を輩出してきた。 総学生数は50,678人(2015年統計)で、その規模と同時に17対1の学生対教員の比率が保たれ充実した教育・研究機関としても知られる。143の学部の学位と150の大学院の学位を授与している。国際交流にも力を入れており、日本の一橋大学、名古屋大学、広島大学、上智大学をはじめ、海外250校以上の大学との交換留学プログラムを有する。.

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ミネソタ州

ミネソタ州(State of Minnesota )は、アメリカ合衆国中西部の北、カナダに接する州である。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第12位、人口では第21位である。前身のミネソタ準州から1858年5月11日に合衆国32番目の州に昇格した。東側はウィスコンシン州に、西側はノースダコタ州とサウスダコタ州に、南側はアイオワ州に接している。州の北東部はスペリオル湖に接し、ミシシッピ川は州北西部から南東に向かって流れ、州南東部ではウィスコンシン州との州境を構成している。 州都はセントポール市である。ミシシッピ川を挟んだ隣の都市であるミネアポリス市と合わせて「ツインシティーズ(双子の都市)」と呼ばれている。州人口の60%近くがこの都市圏に住んでおり、交通、事業、工業、教育、行政の中心である。州西部にあったプレーリーは農業用地に変えられ、南東部にあった落葉樹林も伐採され農業に使われている。人口の少ない北部森林地帯は鉱業、林業およびレクリエーションに使われている。 社会と政治の方向が比較的多様なことで知られ、市民の意識は高く、投票率も高い。健康管理で評価され、識字率も高い。住民の大半は北欧とドイツから移民してきた人々の子孫である。スカンディナヴィア系アメリカ人文化の中心としても知られる。近年は民族も多様化し、アジア系、アフリカ系、ラテン系の移民が増えて、ヨーロッパ系住民および元々のインディアンと混じり合っている。.

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チャールズ・バックマン

チャールズ・ウィリアム・バックマン(Charles William Bachman、1924年12月11日 - 2017年7月13日)は、アメリカ合衆国の計算機科学者で、その経歴のほとんどを学界ではなく産業界の研究者として過ごした。データベースの分野で知られる。.

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チャールズ・バベッジ

チャールズ・バベッジ(Charles Babbage、FRS、1791年12月26日 - 1871年10月18日)は、イギリスの数学者。分析哲学者、計算機科学者でもあり、世界で初めて「プログラム可能」な計算機を考案した。「コンピュータの父」と言われることもあり、初期の機械式計算機を発明し、さらに複雑な設計に到達した。その完成しなかった機械の一部はサイエンス・ミュージアムに展示されている。1991年、バベッジの本来の設計に基づいて階差機関が組み立てられ、完全に機能した。これは19世紀当時の技術の精度に合わせて作られており、バベッジのマシンが当時完成していれば動作していたことを証明した。9年後、サイエンス・ミュージアムはバベッジが階差機関用に設計したプリンターも完成させた。.

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ハネウェル

記載なし。

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バロース

バロース社 は、アメリカ合衆国の計算機・コンピュータ企業。1886年、アメリカン・アリスモメータとして創業。1986年に同じくアメリカの企業であったスペリーを買収・合併し、ユニシスとなった。当初は機械式を製造から始まり、その後プログラム可能な帳簿作成機を製造、さらにコンピュータへと移行した。メインフレーム製造のかたわら、タイプライターやプリンターも製造していた。.

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モーリス・ウィルクス

モーリス・ヴィンセント・ウィルクス(Maurice Vincent Wilkes、1913年6月26日 - 2010年11月29日)は、イギリスの計算機科学者。コンピューティング分野でいくつかの重要な開発を行った。亡くなった時点ではケンブリッジ大学の名誉教授だった。ナイト (knight bachelor)、英国コンピュータ学会特別フェロー、王立工学アカデミーのフェロー、王立協会フェローと様々な栄誉を受けている。.

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レミントンランド

レミントンランド (Remington Rand, 1927–1955) は、アメリカの事務機器製造企業であり、タイプライターやメインフレームのUNIVACシリーズの製造元としてよく知られている。19世紀前半に創業したレミントン・アームズから成長し、事務機器、電気かみそりなど様々な製品を製造販売するコングロマリットとなった。1911年ニューヨークに建設された20階建ての超高層ビルはレミントンランド・ビルディングと呼ばれ、本社として使われていた。.

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プログラミング

プログラミン.

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プログラミング言語

プログラミング言語(プログラミングげんご、programming language)とは、コンピュータプログラムを記述するための形式言語である。なお、コンピュータ以外にもプログラマブルなものがあることを考慮するならば、この記事で扱っている内容については、「コンピュータプログラミング言語」(computer programming language)に限定されている。.

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パロアルト (カリフォルニア州)

パロアルトの町並み パロアルト (Palo Alto、IPA /ˌpæloʊˈæltoʊ/) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ・ベイエリア地域内のサンタクララ郡にある都市である。パロアルト市はシリコンバレーの北部端にあり、スタンフォード大学、ヒューレット・パッカード及びテスラモーターズのような、複数のハイテク企業の本拠地である。2010年現在、パロアルト市は総人口64,403人である。 パロアルトの名は、スペイン語で"El Palo Alto(背の高い木)"を意味し、サンフランシスキート川沿いのアメリカ杉にちなんで名付けられた。 パロアルトはスタンフォード大学がある町と言われることもあるが、実際にはスタンフォード大学の敷地はパロアルト市に含まれていない(隣接している)。しかし両者の関係は深く、ヒューレット・パッカードの本社やパロアルト研究所(かつてのゼロックスの研究所)などハイテク企業・研究所がいくつか存在する。SNS大手のフェイスブックの本社が2011年12月19日まで存在した。また大きな商業施設としてスタンフォードショッピングセンターがある。.

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デビッド・ホイーラー

デビッド・ジョン・ホイーラー(David John Wheeler、1927年2月9日 - 2004年12月13日)は、コンピュータ科学者。バーミンガム生まれ。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで数学を学び、1948年卒業。1951年、世界初のコンピュータ科学のPh.D.を取得した。 コンピュータ科学分野での彼の貢献には、EDSACとブロックソート(Burrows-Wheeler変換)が、まず挙げられる。モーリス・ウィルクスと Stanley Gill と共に彼はサブルーチンの発明者に数えられている。EDSACのサブルーチンコール技法(:en:Electronic Delay Storage Automatic Calculator#Programming techniqueを参照)における、Aレジスタに戻り番地を置いてからサブルーチンの先頭に飛ぶジャンプは Wheeler Jump と呼ばれている。また、という Capability-based security に基づく世界初のコンピュータの実装責任者を務めた。暗号理論では、の設計者であり、や暗号をと共に設計した。 1957年8月、ホイーラーは Joyce Blacker と結婚した。彼女自身も1955年から EDSAC上で数学的研究を行っていた学生であった。1964年、ホイーラーはケンブリッジ大学ダーウィン・カレッジのフェローとなり、1994年に公式には引退した。しかしその後も死の直前までケンブリッジ大学コンピュータ研究所の一員として活動し続けた。1994年、ACMフェロー、2003年、コンピュータ歴史博物館フェローに選ばれた。 ホイーラーの言葉として "All problems in computer science can be solved by another level of indirection."(コンピュータ科学のいかなる問題も他のレベルのインダイレクションによって解決できる)という言葉がしばしば引用される(:en:Fundamental theorem of software engineering、“ソフトウェア工学の基本定理”)。別のホイーラーの言葉として "Compatibility means deliberately repeating other people's mistakes."(互換性は他の人々の間違いを意図的に繰り返すことを意味する)がある(ただし英語版の当記事で現在要出典タグが付いている)。.

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ディジタル・イクイップメント・コーポレーション

ディジタル・イクイップメント・コーポレーション (Digital Equipment Corporation) は、かつて存在した、アメリカ合衆国を代表するコンピュータ企業のひとつである。1957年、ケン・オルセンによってマサチューセッツ州メイナードに設立された。通称 DEC(デック)ディジタル・イクイップメント・コーポレーション自身が "DEC" を使った例: PDP11 Processor Handbook (1973): page 8, "DEC, PDP, UNIBUS are registered trademarks of Digital Equipment Corporation;" page 1-4, "Digital Equipment Corporation (DEC) designs and manufactures many of the peripheral devices offered with PDP-11's.

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アメリカ国立標準技術研究所

アメリカ国立標準技術研究所(アメリカこくりつひょうじゅんぎじゅつけんきゅうじょ、National Institute of Standards and Technology, NIST)は、アメリカ合衆国の国立の計量標準研究所であり、アメリカ合衆国商務省配下の技術部門であり非監督(non-regulatory )機関である。1901年から1988年までは国立標準局 (National Bureau of Standards, NBS) と称していた。その公式任務は次の通り。 2007会計年度(2006年10月1日-2007年9月30日)の予算は約8億4330万ドルだった。2009年の予算は9億9200万ドルだが、アメリカ復興・再投資法の一部として6億1000万ドルを別に受け取っている。2013年現在、NISTには約3000人の科学者、工学者、技術者がいる(他にサポートスタッフと運営部門)。また、国内企業や海外から約2700人の科学者、工学者を受け入れている。さらに国内約400ヶ所の提携機関で1300人の製造技術の専門家やスタッフが関わっている。NISTの出版している Handbook 44 は「計測機器についての仕様、許容誤差、他の技術的要件」を提供している。.

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アラン・パリス

アラン・ジェイ・パリス(Alan Jay Perlis、1922年4月1日 - 1990年2月7日)は、アメリカ合衆国の計算機科学者。プログラミング言語についての先駆的業績で知られる。1966年、第1回のチューリング賞を受賞した。.

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イリノイ大学

イリノイ大学(University of Illinois)は、イリノイ州の州立大学システムの名称。本部はアーバナ市とシャンペーン市にまたがるアーバナ・シャンペーン校(1867年創立、略称UIUC)である。このほか、シカゴ市と州都スプリングフィールドにもキャンパスを有する。本部であるアーバナ・シャンペーン校は、研究機関型総合大学としてイリノイ大学システムの旗艦校(Flagship)となっており、英国Times誌が毎年発表する世界大学ランキングで31位に位置する難関(2011年)。いわゆるパブリック・アイビーと称される名門公立大学の一つで、特に工学・自然科学分野における研究実績は国際的にも評価が高い。これまでに送り出したノーベル賞受賞者の数は11名(2014年現在)。アメリカ大学協会会員。.

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インターネットの歴史

インターネットの歴史(インターネットのれきし)は1960年代に始まる。既存インフラであったテレックス網などを利用し、1950年代には既に遠隔地のコンピュータ間の通信や端末との通信は行われていたが、インターネットを支える基本技術のひとつである、初期のパケット通信の研究が始められたのは1960年代からである。ARPANET、イギリス国立物理学研究所のMark I、CYCLADES、、、といったパケット交換ネットワークが1960年代末から1970年代初めに開発され、様々な通信プロトコルを用いていた。中でもARPANETは、複数のネットワークを相互接続し,ネットワークのネットワークを構築するインターネットワーキングのためのプロトコルの開発へと乗り出した。 1982年、インターネット・プロトコル・スイート (TCP/IP) が標準化され、TCP/IPを採用したネットワーク群を世界規模で相互接続するインターネットという概念が提唱された。ARPANETへの接続は、1981年にアメリカ国立科学財団 (NSF) がCSNET (Computer Science Network) を開発したときに拡張され、さらに1986年にNSFNETが全米各地の研究教育機関から複数のスーパーコンピュータへの接続を提供した際にも拡張された。営利目的のインターネットサービスプロバイダ (ISP) が1980年代末から1990年代に出現しはじめた。ARPANETは1990年に役目を終える。1995年にNSFNETも役目を終えると、インターネットの商業化が完了し、インターネットの営利目的の利用についての制限がなくなった。 1990年代半ば以降、インターネットは文化や商業に大きな影響を与えている。電子メールによるほぼ即時の通信、インスタントメッセージ、VoIPによる「電話」、ビデオチャット、World Wide Web とそれによるインターネットコミュニティ、ブログ、ソーシャル・ネットワーキングなどがインターネットによって可能になった。研究教育コミュニティはさらに開発を進め、NSFの (Very high-speed Backbone Network Service)、Internet2、などの進化したネットワークを使っている。増大するデータ量が、1 Gbit/s、10 Gbit/s、あるいはそれ以上で動作する光ファイバー網の上でますます高速に転送される。増大するオンラインの情報・知識・商取引・娯楽などに駆り立てられ、インターネットは成長を続けている。 試算によれば、1993年時点での双方向電気通信でやり取りされた情報の総量のうち、インターネットを使ったものは1%にすぎなかった。2000年にはそれが51%に成長し、2007年には97%以上の情報がインターネット経由でやり取りされている。.

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インターネットガバナンス

インターネットガバナンス(Internet governance)とはインターネットの統治や管理のことである。ここ数年、インターネットに繋がる国や団体などの利害関係者によるインターネットガバナンスの方法や方針についての議論が激しさを増している。.

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ウィリアム・ノリス

ウィリアム・チャールズ・ノリス(William Charles Norris、1911年7月14日 - 2006年8月21日)は、コントロール・データ・コーポレーション(CDC)の初代CEO。IBMとの性能競争を指揮し、IBMに勝ったことで知られる。また、アメリカ国内の未開発地域での雇用を通して社会貢献したことでも知られている。ネブラスカ州出身。 第二次世界大戦当時、ノリスはアメリカ海軍で暗号解読器開発チームを指揮していた。戦後、そのチームのメンバーで Engineering Research Associates (ERA) を創設し、コンピュータ産業に参入した。当初その経営は順調だったが、1950年代に入ると海軍の予算が同社に流れていることが問題となり、同社はレミントンランドに売却された。売却後もしばらくの間は独立した部門として運営されていたが、スペリーとの合併後、UNIVAC部門に統合された。その結果、ERA出身者がこぞって退職し、CDC が設立され、満場一致でノリスが社長に選出された。 CDCは当初、他のコンピュータ企業に磁気ドラムメモリ装置を販売していたが、後に自前のメインフレーム CDC 1604 を1958年にリリースした。設計したのはシーモア・クレイであり、その後も強力なマシンを開発し続けた。1965年、最初のスーパーコンピュータ CDC 6600 をリリースした。これは、当時の他のマシンの10倍以上も高速なマシンであり、CDCは業界のトップに躍り出た。 IBM はこれに脅威を感じ、業界第一位の座をCDCから奪うプロジェクトを開始した。IBMは CDC 6600 よりも高性能なSystem/360ファミリのマシンを発表したが、その時点で実物は全く存在していない。IBMの発表によってCDCの売り上げが落ち込んだため、ノリスは1968年、IBMを訴えた。IBMは6600対抗機を完成することができず、裁判でもCDCに負けた。 1967年、ノリスは全国都市同盟(黒人の地位向上を目指す団体)の会長である Whitney Young のセミナーに参加した。また、当時ノリスはCDCの所在地であるミネアポリスでの暴動にも悩まされていた。それらが重なり、ノリスは自社の工場を内陸の都市に移転させることを決定し、そこで数千の雇用を生み出し、高度な職業訓練を与えた。 ノリスは、イリノイ大学によるオンラインCAIシステム PLATO プロジェクトにも関与した。大学が独自設計したグラフィカル端末を使い、CDC 1604 上でシステムが動作する構成である。1974年、CDC は大学側に無償で PLATO システムのハードウェアを提供する代わりに、PLATO の販売権を得た。PLATO は1975年にリリースされたが、高価で保守が難しいことから全く売れなかった。PLATO は大企業での従業員教育用に若干売れたものの、本来目指していた教育市場では失敗に終わった。 CDC はいくつもの新興企業を買収していき、1970年代には周辺機器も扱うようになった。同じころ、クレイはCDCを辞め、クレイ・リサーチを創設。これによってCDCはスーパーコンピュータ市場のトップの座を奪われることになった。さらに日本の大企業がスーパーコンピュータ市場に参入。CDC はさらに苦境に立たされることになった。苦肉の策としてETAシステムズを立ち上げ、CDCの官僚的経営機構から離れたところでスーパーコンピュータを開発させた。しかし、これも失敗に終わり、CDCはスーパーコンピュータ市場を諦めることになった。 1980年代になると、CDCはハードディスクドライブ製造を主な事業とするようになり、SCSIドライブ製品で成功した。しかし、それ以外の事業は壊滅状態となり、内陸への工場移転やPLATOでの失敗などが問題とされ、ノリスは責任を追及される立場となった。経営陣を一部入れ替えることで乗り切ろうとしたが、株主は納得せず、ノリスは1986年1月にCEOを退職することになった。 2006年8月21日、ミネソタ州ブルーミントンの老人ホームで、パーキンソン症候群により死去。.

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ウィリアム・ブレイク

ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757年11月28日 - 1827年8月12日)は、イギリスの詩人、画家、銅版画職人。預言書『ミルトン』の序詞「古代あの足が(And did those feet in ancient time)」が1918年にヒューバート・パリーによって音楽が付けられたものが聖歌『エルサレム』としてまたは事実上のイングランドの国歌として現在のイギリスではたいへんよく知られている。.

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ウォーレス・ジョン・エッカート

ウォーレス・ジョン・エッカート(Wallace John Eckert、1902年6月19日 – 1971年8月24日)はアメリカ合衆国の天文学者。コロンビア大学のトーマス・ジェファーソン天文計算局の所長を務め、科学技術計算の機械化に貢献した。.

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オペレーティングシステムの歴史

ペレーティングシステムの歴史では、オペレーティングシステム(OS)の観点から比較的最近の計算機の歴史を解説する。 OSはコンピュータのほとんどのアプリケーションプログラムが必要とし利用する機能群や、コンピュータのハードウェアを制御し同期させるのに必要な機能群を提供する。初期のコンピュータにはOSがなく、個々のプログラムは通常のタスクを実行するものであってもコンピュータのハードウェア仕様を完全に把握し、プリンターやパンチカードリーダーなどの周辺機器を自前で制御する必要があった。ハードウェアとアプリケーションプログラムが複雑化してくるにしたがって、OSが必須となっていった。.

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オーラル・ヒストリー

ーラル・ヒストリー (oral history) あるいは口述歴史(こうじゅつれきし)とは、歴史研究のために関係者から直接話を聞き取り、記録としてまとめること。 歴史学では主として文献から歴史を調べてゆくが、文献資料から知られる内容には限りがある。例えば、政策決定の過程を検討しようとしても、文献としては公表された結果のみで、どのようにそうした決定が行われたのかは、文書が残っていないことが多い。また、記録に残ることの多くは特異な事件などであり、一般人の日常生活などは文献にはほとんど残らない。その当時は常識であったことも、年月を過ぎると全くわからなくなるということはよくあることである。 当時の関係者にインタビューを行うことで、文献からはわからないことが様々に知られるようになる。以前から「聞き書き」という手法はあったが、特に近現代史の研究者の間で1990年代以降、オーラル・ヒストリーが注目されるようになり、組織的な取り組みが行われている(例えば『明治天皇紀』の編纂、国鉄民営化、日米半導体摩擦などをテーマに関係者のインタビューが行われている)。.

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カリフォルニア州

リフォルニア州(State of California、Estado de California、中:加利福尼亚州、加州)は、アメリカ合衆国西部、太平洋岸の州。アメリカ西海岸の大部分を占める。州都は、サクラメントである。.

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コンラート・ツーゼ

ンラート・ツーゼ(, 1910年6月22日 - 1995年12月18日)は、ドイツの土木技術者で発明家であり、コンピュータの先駆者である。.

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コントロール・データ・コーポレーション

ントロール・データ・コーポレーション (CDC) は、スーパーコンピュータの先駆者として有名なコンピュータ企業であった。1960年代を通じてシーモア・クレイが所属しており、最速のコンピュータを作り続けた。しかし1970年代にはクレイが同社を離れてクレイ・リサーチ (CRI) を創業し、世界最速のタイトルを奪った。CDCは1960年代のメジャーなコンピュータメーカー9社のひとつであった(他はIBM、バロース、DEC、NCR、GE、ハネウェル、RCA、UNIVAC)。.

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コンピュータ

ンピュータ(Computer)とは、自動計算機、とくに計算開始後は人手を介さずに計算終了まで動作する電子式汎用計算機。実際の対象は文字の置き換えなど数値計算に限らず、情報処理やコンピューティングと呼ばれる幅広い分野で応用される。現代ではプログラム内蔵方式のディジタルコンピュータを指す場合が多く、特にパーソナルコンピュータやメインフレーム、スーパーコンピュータなどを含めた汎用的なシステムを指すことが多いが、ディジタルコンピュータは特定の機能を実現するために機械や装置等に組み込まれる組み込みシステムとしても広く用いられる。電卓・機械式計算機・アナログ計算機については各項を参照。.

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コンピュータネットワーク

ンピュータネットワーク(computer network)は、複数のコンピュータを接続する技術。または、接続されたシステム全体。コンピュータシステムにおける「通信インフラ」自体、あるいは通信インフラによって実現される接続や通信の総体が(コンピュータ)ネットワークである、とも言える。.

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スペリー

ペリー (Sperry Corporation) は、アメリカの機械および電気製品の企業であり、20世紀のうち1910年から1986年の約70年間にわたって存在した。一連の合併を経て今ではユニシスの一部となっているが、かつてのスペリーの一部はハネウェルの一部となっている。.

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ゼネラル・エレクトリック

ネラル・エレクトリック(General Electric Company、略称: GE)は、アメリカ合衆国コネチカット州に本社を置く、多国籍コングロマリット企業である。.

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ソフトウェア

フトウェア(software)は、コンピューター分野でハードウェア(物理的な機械)と対比される用語で、何らかの処理を行うコンピュータ・プログラムや、更には関連する文書などを指す。ソフトウェアは、一般的にはワープロソフトなど特定の作業や業務を目的としたアプリケーションソフトウェア(応用ソフトウェア、アプリ)と、ハードウェアの管理や基本的な処理をアプリケーションソフトウェアやユーザーに提供するオペレーティングシステム (OS) などのシステムソフトウェアに分類される。.

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CAテクノロジーズ

CA Technologies(シーエー- テクノロジーズ 以下CA,)は、ニューヨーク州に本社を置くコンピュータソフトウェア企業。1976年、コンピュータ・アソシエイツ (Computer Associates International, Inc.) としてチャールズ・ワングとラッセル・アーツが創設した。 CA Technologiesは、分散コンピューティング、仮想マシン、クラウドやパブリック・クラウド、そしてメインフレームからモバイルを含む幅広いプラットフォームに対応したソリューションを提供する業務向けソフトウェアの開発ベンダーである。日本法人は、東京都千代田区に置く。代表取締役社長は、反町浩一郎(そりまち こういちろう)。.

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CODASYL

CODASYL(conference/committee on data systems languages)は主として多くのコンピュータで利用できる標準プログラミング言語の開発を推進することを目的として組織され、COBOLの標準規格のメンテナンスと、関係データベース以前のデータベースのモデリングなどといった活動を行ったデータ処理業界の団体である。日本語では「コダシル」と読む。.

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社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会

会的責任を考えるコンピュータ専門家の会 (しゃかいてきせきにんをかんがえるコンピュータせんもんかのかい、略称 CPSR; Computer Professionals for Social Responsibility) は、社会におけるコンピュータ技術のさまざまな問題に取り組む国際的なコンピュータ専門家の非営利団体 (NPO) である。2013年に解散。.

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米国国家規格協会

米国国家規格協会(べいこくこっかきかくきょうかい、)は、アメリカ合衆国の国内における工業分野の標準化組織であり、公の合意形成のためにさまざまな規格開発を担っている。 略称はANSI(アンシ、アンジ、アンシー)。訳は米国国家標準協会とも。また、元は旧称 (ASA) の訳だった米国規格協会・米国標準協会とも呼ばれる。本部はワシントンD.C.にあるが、事務局はニューヨークにある。 電子工業会 (EIA)、電気通信工業会 (TIA) などの国内規格作成団体による仕様を承認し、ANSI規格とする。 ANSI規格は、日本の日本工業規格 (JIS) に相当するとされる。ただし、政府(大臣)が制定する規格であるJISと違い、ANSI規格を制定するのは政府から独立した私的な非営利組織のANSIである。 国際標準化機構 (ISO) 設立メンバーであり、ISO、国際電気標準会議 (IEC)、国際認定フォーラム (IAF) にアメリカ代表として参加している。アメリカの国内規格機関ではあるが、ISO等の規格に先だって決まることも多く、ANSI規格がISO規格になることも多い。また、製造業における国際標準化団体としてIPC (エレクトロニクス)があるが、ANSIの標準開発組織として正式に認可されている。ASCIIの文字コード規格 (X.34) が、ISO646になるなどの例がある。.

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ENIAC

プログラミングされるENIAC 2人のプログラマがENIACの制御パネルを操作しているところ ENIAC(エニアック、Electronic Numerical Integrator and Computer)は、アメリカで開発された黎明期の電子計算機。電子式でディジタル式だがプログラム内蔵方式とするにはプログラムのためのメモリはごくわずかで、パッチパネルによるプログラミングは煩雑ではあったものの、必ずしも専用計算機ではなく広範囲の計算問題を解くことができた。しかし、任意の計算可能な問題について計算できるという能力が当初の時点で基本的にはあったわけではなく(後述)、アナログ機械式計算機の一種類である微分解析機と同様に、微分方程式で表すことができるような多くの種類の問題について積分法によって数値的な解を得る(ただしこちらは数値的(ディジタル)に)、という機械である。後の改良により、ごく小規模だがプログラミング的な使い方も可能になり、円周率の桁数向上記録の歴史で有名な1949年の2037桁という記録は、そのような改良後の機能を活用したものである。 当初は、アメリカ陸軍の弾道研究室での砲撃射表の計算を第一の目的として設計されたが、その初期に行われた計算で射表の計算とは全く違うもののひとつに、マンハッタン計画についてのものがある。1946年に発表されたとき、報道には「巨大頭脳」(Giant Brain) といった呼称が見られる。なお、新技術に "Brain" という比喩を使うのは、戦時中から見られる。例えば、ライフ誌1937年8月16日の p.45 に Overseas Air Lines Rely on Magic Brain (RCA Radiocompass)、1942年3月9日の p.55 に the Magic Brain - is a development of RCA engineers (RCA Victrola)、1942年12月14日の p.8 に Blanket with a Brain does the rest! (GE Automatic Blanket)、1943年11月8日の p.8 に Mechanical brain sights gun (How to boss a BOFORS!) といった記事があり、また、各種の計算機械を扱った Edmund Berkeley(:en:Edmund Berkeley)の啓蒙書 "Giant Brains, or Machines That Think"(邦題『人工頭脳』)などといった例もあるように、これは何ら特記事項ではない。 第二次世界大戦中、ENIACの設計と製作の資金はアメリカ陸軍が支出した。その契約は1943年6月5日に結ばれ、ペンシルベニア大学電気工学科にて "Project PX" の名で秘密裏に設計が開始された。1946年2月14日の夕方に完成したマシンが公開され、翌日にはペンシルベニア大学で正式に使用が開始された。開発にかかった総額は50万ドル弱だった。アメリカ陸軍に正式に引き渡されたのは1946年7月のことである。1946年11月9日、改造と記憶装置のアップグレードのためにシャットダウンされ、1947年にはメリーランド州のアバディーン性能試験場に移送された。そこで1947年7月29日に電源を入れ、1955年10月2日の午後11時45分まで運用された。 ENIACを考案・設計したのはペンシルベニア大学のジョン・モークリーとジョン・エッカートである。設計開発に加わった技術者としては、Robert F. Shaw(ファンクションテーブル)、Jeffrey Chuan Chu(除算器/平方根計算器)、アーサー・バークス(乗算器)、(入出力)、Jack Davis(アキュムレータ)らがいる。1987年、ENIACはIEEEマイルストーンに選ばれた。.

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職能団体

職能団体(しょくのうだんたい)とは、法律や医療などの専門的資格を持つ専門職従事者らが、自己の専門性の維持・向上や、専門職としての待遇や利益を保持・改善するための組織である。同時に、研究発表会、講演会、親睦会の開催や、会報、広報誌などの発行を通して、会員同士の交流などの役目も果たす機関でもある。.

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解析機関

バベッジ自身が組み立てた解析機関の一部の試作品http://www.sciencemuseum.org.uk/objects/computing_and_data_processing/1878-3.aspx ''Babbage's Analytical Engine, 1834-1871. (Trial model)'' -Science Museum, London。サイエンス・ミュージアム(ロンドン) 解析機関(かいせききかん、analytical engine)は、イギリス人数学者チャールズ・バベッジが設計した、蒸気機関で動くはずだった機械式汎用コンピュータであり、コンピュータの歴史上、重要なステップを刻んだ。 バベッジが解析機関についてはじめて記述したのは1837年であるが、1871年の死去直前まで設計を続けた。資金や政治、法律などの問題があり、この機械は実際には製作されなかった。論理的に解析機関に匹敵する機能を持つ汎用コンピュータは、1940年代にやっと現実のものとなったのである。 この機械はしばしば、当時の工作精度のため製作できなかった、とされる。これはバベッジが機関のための精度が足りないとしていたためもある。しかし、息子のヘンリー・バベッジや現代のサイエンス・ミュージアムによる部分的構築によって、必要なだけの工作精度はあったことが確認されている(特に、現代の再現では、当時の工作機械についての考証のうえで行われている) 。そのため、資金と政府の支援があれば、工作機械の精度に関しては、当時でも製作できたのではないかとされる。ただし、必要な精度がどれだけであるか、といった工学的な考え方は当時まだ無かったことも考慮する必要がある。.

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計算機の歴史

計算機の歴史(けいさんきのれきし)の記事では、計算機(計算機械)やコンピュータの歴史について述べる。また、コンピュータは計算機械であるばかりでなく、同時に情報処理機械でもあるので、本項でも計算機械に限らずデータ処理機械にも触れる。あまり一般的な語ではないが「コンピューティング」の歴史だと捉えるとよいであろう。.

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電子媒体

電子媒体(でんしばいたい)は、映像機器や音響機器での映像や音楽の記録再生や、電子計算機(コンピュータ)での情報処理に使用する記録媒体の総称。コンピュータで扱う情報については、記録内容は全てデジタルデータである、という特徴がある一方、映像機器や音響機器においては、アナログ方式で記録再生されるものもある。かつては磁気テープ(ビデオテープやコンパクトカセットなど)が主流であったが、近年はハードディスクドライブなど、ディスク形状のものが主流になりつつある、と認識している者がいるようだが、1956年に:en:IBM 305 RAMACが誕生して以来、ディスクも同様に主流として使われており、パソコンしか知らない一般消費者にありがちな誤謬である。 また、CD-ROM、DVD-ROM、BD-ROMなどは、全く物理的(機械的)に作られており、「電子」メディアと言うには無理がある。また「電子媒体」という語は電子書籍など、「オンラインの伝達メディア」といった意味に使われることも多く、正確には、電子媒体という記事名が変で、記事名として記録メディアないしデータメディアとした方が良い。.

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IBM

IBM(アイビーエム、正式社名: International Business Machines Corporation)は、民間法人や公的機関を対象とするコンピュータ関連製品およびサービスを提供する企業である。本社はアメリカ合衆国ニューヨーク州アーモンクに所在する。世界170カ国以上で事業を展開している。.

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IBM 701

IBM 701は、1952年に発表されたIBMの初の商用コンピュータ。主に科学技術計算用につくられたプログラム内蔵方式の大型コンピュータ。IBMは現在、IBM 701を最初のメインフレームと呼んでいる。.

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ISO/IEC JTC 1

ISO/IEC JTC 1とは、国際標準化機構 (ISO) と国際電気標準会議 (IEC) の第一合同技術委員会 (Joint Technical Committee 1) のこと。情報技術 (IT) 分野の標準化を行うための組織である。1987年に設立された。 それ以前には、コンピュータや情報分野を扱う国際標準化組織はISO, IECそれぞれに独立して存在し(ISO/TC 97, IEC/TC 53, IEC/TC 47, IEC/TC 83など)、一種の縄張り争いの様な状況になっていた時期があった。この状況を解消するため、両機関の間で話し合いが持たれ、その結果としてJTC 1が成立した。JTC 1と銘打たれているが、JTC 2は長い間、存在しなかった。2009年、エネルギーの効率化と再利用に関する規格の策定を目指し、ISO/IEC JTC 2が設立された。 ISOやIECと連携してはいるが、基本的にそれらとは独立して運営されている組織であり、組織構成・用語・標準化に関する手続きなどはISOやIECとは微妙に異なる。現在、これらの相違点を擦り合わせして共通化する活動がおこなわれている。 JTC 1総会は毎年10~11月頃に各国持ち回りで開催されている。第一回総会は1987年11月に東京で開催された。2008年時点の幹事国はアメリカである。.

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PLATO

蒸留のシミュレーションを実行中のPLATOの画面 PLATO (Programmed Logic for Automated Teaching Operations) は、ILLIAC I を使って1960年ごろ始まった世界初の汎用コンピュータ支援教育 (CAI) システムで、1970年代末には十数のメインフレームを使った世界各地のネットワークで数千の端末を接続したシステムへと成長した。イリノイ大学で構築され40年間機能し、同大学の学生の教科学習、周辺の学校や大学の教材などに使われてきた。いくつかの後継システムが今も運営中である。 コントロール・データ・コーポレーション (CDC) がシステムに必要なマシンの構築を担当した。CDC社長ウィリアム・ノリスは、PLATOをコンピュータ業界の一勢力とすることを計画していた。PLATOシステムが最終的に機能停止したのは2006年のことで、その数カ月前にウィリアム・ノリスが亡くなっている。フォーラム、電子掲示板、オンライン試験、電子メール、チャットルーム、描画言語、インスタントメッセージング、遠隔スクリーン共有、マルチプレイヤーゲームなど、様々なオンラインでの概念がPLATOで確立されていった。.

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Standard Generalized Markup Language

Standard Generalized Markup Language(スタンダード ジェネラライズド マークアップ ランゲージ、略:SGML)は、マニュアルなどの文書のためのマークアップ言語である。SGMLとXMLの対応(比較)については、ジェームズ・クラークによる「Comparison of SGML and XML」というタイトルの、1997年12月15日に議論のためにまとめられた(何らかの公式のものではない)ノートがあり、それによればSGML (ISO 8879) とXMLの関係はスーパーセットともサブセットとも結論付けられてはいない。XML 1.0のAppendix CではNon-Normative(参考)として、XMLはSGMLのサブセットとなるべく設計され(designed to be)、全てのXML文書は同時にSGMLにもconforming(準拠)でもあるべき(should)と書かれており、前述のノートを参照せよとされている。国際標準は ISO 8879:1986 であり、対応するJISとして JIS X 4151:1992 が存在する。.

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UNIVAC

UNIVAC(ユニバック)は、アメリカのコンピュータ企業。 1950年、エッカート・モークリ社(ENIACを開発した2人の技術者が設立した会社)を買収したレミントンランド社が商用コンピュータ部門として発足させたのが始まりである。 UNIVACという名称は、UNIVersal Automatic Computer の略。.

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標準化団体

標準化団体(ひょうじゅんかだんたい、standardizing body)とは、それぞれの分野の標準を策定する団体。これらの内、予め定められた一定の手続きにもとづいて標準化を行うものを、標準化組織(ひょうじゅんかそしき、standardizing organization)という。 標準化団体では、勧告や参考情報などを出すことにより、データのソフトウェア間の相互利用などの促進を図っている。 例としては、国際標準化機構()や国際電気標準会議()などに代表される国際標準化団体や、日本工業規格()やなどのような国内の標準化団体がある。.

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情報処理国際連合

情報処理国際連合(International Federation for Information Processing:IFIP)とは、1960年にユネスコの提案により設立された国際機関であり、日本では情報処理学会が加入している。 情報処理技術の促進と開発途上国の支援を国際的に推進することを目的としている。.

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情報技術

情報技術(じょうほうぎじゅつ、information technology、IT)とは、情報に関する、特にコンピュータなどの技術(の総称)に関連した表現である。また、通信を含めて情報通信技術(じょうほうつうしんぎじゅつ、information and communication technology、ICT)という表現も使用されている。 米国のITAAの定義では「コンピュータをベースとした情報システム、特にアプリケーションソフトウェアやコンピュータのハードウェアなどの研究、デザイン、開発、インプリメンテーション、サポートあるいはマネジメント」である。 日本では戦前以来の縄張りに由来して、通信事業は総務省の所管であるため、総務省はICTの語を、経済産業省はITの語を用いることが多い。.

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2000年問題

2000年問題(にせんねんもんだい、Year 2000 problem)とは、西暦(グレゴリオ暦)2000年になるとコンピュータが誤作動する可能性があるとされた年問題である。Y2K問題(ワイツーケイもんだい、Y は年 (year) 、K はキロ (kilo。千) )、ミレニアム・バグ(millennium bug)とも呼ばれた。 西暦2000年であることをコンピュータが正常に認識できなくなるという問題が主に取り上げられるが、グレゴリオ暦における置閏法を誤解して生じる問題もある。.

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