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タラソナ

索引 タラソナ

タラソーナ (Tarazona)は、スペイン・アラゴン州サラゴサ県のムニシピオ(基礎自治体)。タラソーナ司教座が置かれている。 ローマ帝国時代、タラソーナはローマ市民で占められた繁栄した都市であった。その頃の名はトゥリアソ(Turiaso)であった。ローマ帝国衰退後に市は衰え、のちに8世紀初頭にイスラム勢力の支配下に入った。 アラゴン王アルフォンソ1世によるレコンキスタで1119年に解放されると、タラソーナ司教座が置かれた。12世紀初頭にフランス風ゴシック建築のタラソーナ大聖堂の建設が始まり、1232年に終了した。 アルフォンソ1世の死後、タラソーナはカスティーリャ王国、ナバラ王国、アラゴン王国の間の辺境に位置する町となり、戦略的要所とされた。 中世の間、市の人口を占めていたのはキリスト教徒、ユダヤ人、イスラム教徒が共存する多様な社会であった。イスラム教徒の存在が地元の建築に影響を残した。大聖堂そのものはのちにムデハル様式で再建されている。モリスコが追放された時には、市は危機的状況に陥った。 アラゴン王ペドロ4世とカスティーリャ王ペドロ1世が争ったロス・ドス・ペドロス戦争時代には、市はカスティーリャ軍に9年間占領され、この時期に大聖堂が損傷した。 20世紀、タラソーナはマッチと織物の主要産地であったが、これらの産業は1980年代に別のものに替わった。.

15 関係: 司教座聖堂ナバラ王国ペドロ1世 (カスティーリャ王)ペドロ4世 (アラゴン王)ムデハル様式ムニシピオモリスコレコンキスタローマ帝国アラゴン州アルフォンソ1世 (アラゴン王)カスティーリャ王国ゴシック建築スペインサラゴサ県

司教座聖堂

司教座聖堂(しきょうざせいどう)は、カトリック教会の教区の中心となる教会の聖堂のこと。カテドラル()、大聖堂とも呼ばれる。 東方教会や聖公会で司教座聖堂に相当するものは、日本語では「主教座聖堂」と呼ばれる。ただし正教会においては、大聖堂と主教座聖堂は、必ずしも同義ではない。.

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ナバラ王国

ナバラ王国(ナバーラ王国とも、Nafarroako Erresuma、Reino de Navarra、Royaume de Navarre)は、中世のイベリア半島北東部パンプローナより興った王国。824年バスク人の首領アリスタがパンプローナで王として選ばれフランク王国に対する反乱を率いたことによる。ナバラの名は、7世紀のスペインでの西ゴート族の時代が終わりを告げた頃から登場している。.

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ペドロ1世 (カスティーリャ王)

ペドロ1世(Pedro I, 1334年8月30日 - 1369年3月23日)は、カスティーリャ王国の国王(在位:1350年 - 1366年、1367年 - 1369年)。そのふるまいから残酷王(Pedro el Cruel)または正義王(Pedro el Justiciero、古い綴りではPedro el Iusteçero)ともいわれる。名前もあだ名も同じで混同されやすいが、同じく「正義王」「残酷王」と呼ばれるポルトガル王ペドロ1世は叔父にあたる。.

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ペドロ4世 (アラゴン王)

ペドロ4世(西:Pedro IV, 1319年9月5日 - 1387年1月6日)は、アラゴン王、バレンシア王、およびバルセロナ伯(在位:1336年 - 1387年)。カタルーニャ語ではペラ4世(Pere IV, バルセロナ伯としては3世)。尊儀王(西:el Ceremonioso, カ:el Cerimoniós)あるいは短剣王(西:el del Punyalet)と呼ばれる。アルフォンソ4世(慈悲王)と最初の王妃テレサ・デ・エンテンサの息子。マヨルカ王ジャウメ3世を廃し、バレアレス諸島とルシヨンをアラゴン王国に回復した。また、自ら年代記を書いたことでも知られる。.

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ムデハル様式

ムデハル様式 (estilo mudéjar) はアラビア語で残留者を意味する「ムダッジャン」に由来する。スペインの建築様式で、レコンキスタの後、残留イスラム教徒(スペイン語:mudéjar、mudajjan)の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイル。特徴は建物の壁面に幾何学文様の装飾を施している。中世にキリスト教徒とイスラム教徒が共存するという環境下で生まれた。 「アラゴンのムデハル様式の建築物」は世界遺産になっている。.

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ムニシピオ

ムニシピオ(municipio)とは、スペイン語で地方自治体の最小単位である基礎自治体を意味する語彙である。本稿では約8,000存在するスペインの基礎自治体について記す。それぞれのムニシピオは合計50ある県(provincia)を構成しており、各県は17ある自治州を構成している。そのうちいくつかの自治州はムニシピオと県の間にコマルカやマンコムニダードなどの第二階層の地方区分が存在する。ムニシピオあたりの平均的な人口は約5,300人であるが、その格差は大きく、スペイン最多のマドリードの人口が2009年時点で3,255,944人であるのに対し、地方では人口10人未満のムニシピオも存在する。ラ・リオハ州のビジャロージャの人口は2009年時点で10人である。面積は2-40km2が標準的であるが、リェイダ県ののように400km2以上もあるようなムニシピオもある。 ムニシピオの組織は1985年4月2日に法律によって決定され、1986年4月18日の国王令によって完成された。様々な自治体の自治権に関する法令はムニシピオと自治州政府との関係に関する条項を含んでいる。一般的にムニシピオは地域業務に於いて高度な自治を行っている。郡や県の多くの機能は実際にはムニシピオの権限である。 それぞれのムニシピオは独立した法人格を有する法人である。その運営機関(自治体政府)はカスティーリャ語でayuntamiento、カタルーニャ語ではajuntament、ガリシア語ではconcello、アストゥリアス語ではconceyuと呼ばれ、一般に市町村役場を意味する。自治体政府は首長(alcalde)、助役(teniente de alcalde)及び議員(concejal)による本会議(pleno)から構成される。首長と助役は本会議によって選出され、その議員は4年毎に行われる名簿式普通選挙によって選出される。本会議は少なくとも3ヶ月に1回、自治体政府の席上で公開で行われる。また多くの自治体政府には首長が議員から指名した委員によって構成される運営委員会(comisión de gobierno)が存在し、人口5,000人以上の自治体においては設置が義務付けられている。本会議と首長の間を取り持ち首長を補佐する事を任務とする運営委員会は議員の3分の1以上を含む事が出来ない。 1900年時点では約9,300のムニシピオがあり、1960年代から1970年代に大きく減少して約8,000となったが、1981年に増加に転じた自治体国際化協会。1999年時点では8,101、2008年時点では8,112国土交通省、2014年時点では8,117、2016年には8,125である。小規模ムニシピオが多いのはカスティーリャ・イ・レオン州、カタルーニャ州、カスティーリャ=ラ・マンチャ州とされている。ムニシピオの平均人口は約5,300人であり、1999年時点ではEU平均の4,000人より多かった。.

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モリスコ

モリスコ (スペイン語morisco、ポルトガル語:mourisco)は、イベリア半島でレコンキスタが行われていた時代に、カトリックに改宗したイスラム教徒を指す名称。用語はさらに転換され、秘密裡にイスラム教を信仰した疑いをかけられた人々に適用される軽蔑語となった。秘密裡にユダヤ教を信仰する改宗ユダヤ人(コンベルソ)はマラーノと呼ばれた。.

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レコンキスタ

ンティアゴ・マタモーロス'''(モーロ人殺しの聖ヤコブ)。スペインの守護聖人、レコンキスタの象徴 '''イスラーム勢力の後退'''(914年–1492年) イスラーム勢力はイベリア半島の南に押しやられていき、1492年にはすべての領土を失った レコンキスタ()は、718年から1492年までに行われた、複数のキリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動の総称である。ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服とそれに続くアストゥリアス王国の建国から始まり、1492年のグラナダ陥落によるナスル朝滅亡で終わる。レコンキスタはスペイン語で「再征服」(.

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ローマ帝国

ーマ帝国(ローマていこく、Imperium Romanum)は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロードの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。 帝国という訳語があてられている事から、狭義にはオクタウィアヌスがアウグストゥスの尊称を与えられた紀元前27年からの古代ローマを指す場合もある。しかし、本来の表現からすればこの場合は帝政ローマ、またはローマ帝政期とした方が正確である。.

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アラゴン州

アラゴン州(Aragón, Aragón, Aragó)は、スペインを構成する自治州の一つである。ウエスカ県、サラゴサ県、テルエル県の3県からなる。スペイン北東部に位置し、北はフランス、東はカタルーニャ州、南はバレンシア州、西はカスティーリャ=ラ・マンチャ州、カスティーリャ・イ・レオン州、ラ・リオハ州、ナバーラ州と接している。州都はサラゴサ。.

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アルフォンソ1世 (アラゴン王)

アルフォンソ1世(Alfonso I, 1073年/1074年 - 1134年9月8日)は、アラゴン王およびナバラ王(在位:1104年 - 1134年)。サンチョ・ラミレスの次男。ペドロ1世の異母弟、ラミロ2世の同母兄。レコンキスタを積極的に行い、29の戦いに勝利したことから、武人王(戦士王、el Batallador)といわれる。.

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カスティーリャ王国

ティーリャ王国(カスティーリャおうこく、Reino de Castilla)は、中世ヨーロッパ、イベリア半島中央部にあった王国である。キリスト教国によるレコンキスタ(国土回復運動)において主導的役割を果たし、後のスペイン王国の中核となった。 Castillaの日本語表記は、カスティーリャ、カスティーリヤ、カスティリャ、カスティーリァ、カスティーリア、カスティリア、カスティーヤ、カスチラ、カストリヤ、カストリア、カステリヤ、カステリア、カスティージャと様々に音写されている。また菓子のカステラは、王国名のポルトガル語発音である「カステーラ」(Castela)からとされている。.

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ゴシック建築

ック建築(英語:Gothic Architecture)は、12世紀後半から花開いたフランスを発祥とする建築様式。最も初期の建築は、パリ近くのサン=ドニ(聖ドニ)大修道院教会堂(Basilique de Saint-Denis)の一部に現存する。イギリス、北部および中部イタリア、ドイツのライン川流域、ポーランドのバルト海沿岸およびヴィスワ川などの大河川流域にわたる広範囲に伝播した。 「ゴシック」という呼称は、もともと蔑称である。15世紀から16世紀にかけて、アントニオ・フィラレーテやジョルジョ・ヴァザーリらが、ルネサンス前の中世の芸術を粗野で野蛮なものとみなすために「ドイツ風の」あるいは「ゴート風の」と呼んだことに由来する(ゴート族の建築様式というわけではない)。 ルネサンス以降、ゴシック建築は顧みられなくなっていたが(この時期をゴシック・サヴァイヴァルと呼ぶ)、その伝統は生き続け、18世紀になると、主として構造力学的観点から、合理的な構造であるとする再評価が始まった。18世紀から19世紀のゴシック・リヴァイヴァルの際には、ゲーテ、フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン、フリードリヒ・シュレーゲルらによって、内部空間はヨーロッパの黒い森のイメージに例えられて賞賛され、当時のドイツ、フランス、イギリスでそれぞれが自らの民族的様式とする主張が挙がるなどした。.

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スペイン

ペイン王国(スペインおうこく、Reino de España)、通称スペインは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める立憲君主制国家。西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接する。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリリャ、アルボラン海のアルボラン島を領有している。首都はマドリード。.

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サラゴサ県

ラゴサ県(スペイン語:Provincia de Zaragoza、アラゴン語:Probinzia de Zaragoza)は、スペインのアラゴン州の県。ウエスカ県、リェイダ県、タラゴナ県、テルエル県、グアダラハラ県、ソリア県、ラ・リオハ州、ナバーラ州と接している。県都はサラゴサで、サラゴサはアラゴン州の州都でもある。.

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