ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

ソユーズ26号

索引 ソユーズ26号

ユーズ26号(Soyuz 26 、Союз 26)は、サリュート6号での初の長期滞在の乗組員を送るためにソビエト連邦が行った有人宇宙飛行ミッションである。 ソユーズは、1977年12月10日に打ち上げられ、翌日、サリュート6号とドッキングした。1978年1月にはソユーズ27号が到着し、2人の乗組員がソユーズ26号に移って数日後に地球に帰還した。.

22 関係: 低軌道地球周回軌道バイコヌール宇宙基地ユーリ・ロマネンコアレクサンドル・イワンチェンコフアスタナウラジーミル・コワリョーノクウラジーミル・ジャニベコフオレグ・マカロフ (宇宙飛行士)ガガーリン発射台ゲオルギー・グレチコソユーズ25号ソユーズ27号ソユーズの一覧ソユーズ計画ソユーズUソビエト連邦タイミル半島サリュート6号S.P.コロリョフ ロケット&スペース コーポレーション エネルギア12月10日1977年

低軌道

低軌道 (ていきどう、英語: low orbit) は、人工衛星などの物体のとる衛星軌道のうち、中軌道よりも高度が低いもの。 地球を回る低軌道を地球低軌道 (low Earth orbit、LEO) と言う。LEOは、地球表面からの高度2,000km以下を差し、これに対し、中軌道(MEO)は2,000 kmから36,000 km未満、静止軌道(GEO)は36 000 km前後である。地球低軌道衛星は、約27400 km/h(約8 km/s)で飛行し、1回の周回に約1.5時間を要する(高度約350 kmの例)。 大気のある天体では、低軌道より低い軌道は安定せず、大気の抵抗で急激に高度を下げ、やがては大気中で燃え尽きてしまう。 低軌道は、地球に接近しているという点で、次のような利点がある。.

新しい!!: ソユーズ26号と低軌道 · 続きを見る »

地球周回軌道

地球周回軌道または地心軌道(geocentric orbit)とは、月や人工衛星のように地球の周囲を周回する軌道である。現在、約2,465個の人工衛星が地球の周囲を回っており、6,216個のスペースデブリがゴダード宇宙飛行センターによって監視されている。またこれまで16,291個を越える物体が地球から打ち上げられ、地球の大気圏内で燃え尽きた。.

新しい!!: ソユーズ26号と地球周回軌道 · 続きを見る »

バイコヌール宇宙基地

バイコヌール宇宙基地(バイコヌールうちゅうきち、Космодром Байконур、Космодром Байқоңыр、Baikonur Cosmodrome)は、カザフスタン共和国のチュラタムにあるロシアのロケット発射場である。現在、ロシア連邦宇宙局が管理している。.

新しい!!: ソユーズ26号とバイコヌール宇宙基地 · 続きを見る »

ユーリ・ロマネンコ

ユーリ・ロマネンコ(Yury Viktorovich Romanenko、Ю́рий Ви́кторович Романе́нко、1944年8月1日 - )は、ソビエト連邦の宇宙飛行士で、1978年3月16日と1980年9月26日の2度、ソ連邦英雄を受賞した。キャリアの中で、430日と20時間21分30秒を宇宙で過ごし、18時間の船外活動を行った。1987年にはソユーズTM-2でミールを訪れてそこに滞在し、ソユーズTM-3で帰還した。ミールの滞在は326日間に及び、当時の最長滞在記録を樹立した。息子のロマン・ロマネンコも宇宙飛行士であり、2009年5月にソユーズTMA-15で宇宙を訪れたことで、3組目の2世代宇宙滞在者となった。.

新しい!!: ソユーズ26号とユーリ・ロマネンコ · 続きを見る »

アレクサンドル・イワンチェンコフ

アレクサンドル・イワンチェンコフ(Aleksandr Ivanchenkov、ロシア語:Александр Сергеевич Иванченков、1940年9月28日 - )は、ソビエト連邦の宇宙飛行士で、フライトエンジニアとしてソユーズ29号、ソユーズT-6のミッションに参加し、147日間と12時間37分を宇宙で過ごした。 1940年9月28日にモスクワ州イヴァンテエフカで生まれた。既婚で1人の子供がいる。1973年3月27日に宇宙飛行士に選ばれ、1993年11月3日に引退した。.

新しい!!: ソユーズ26号とアレクサンドル・イワンチェンコフ · 続きを見る »

アスタナ

アスタナ(Astana)は、カザフスタン共和国の首都。1997年にアルマトイから遷都された。旧称はアクモリンスク (Akmolinsk) 、ツェリノグラード (Tselinograd) 、アクモラ (Aqmola) 。「アスタナ」はカザフ語で「首都」の意味。 イシム川右岸にある。推計人口100万人(2016年)でアルマトイに次いで同国2位。1998年のカザフスタン政府主催の国際コンペで1位に選ばれた日本の建築家・黒川紀章の都市計画案に基づき開発が続けられている。 金属加工、農業機関、食品加工、陶器、製材などの工業が行われる。.

新しい!!: ソユーズ26号とアスタナ · 続きを見る »

ウラジーミル・コワリョーノク

ウラジーミル・コワリョーノク(Vladimir Vasiliyevich Kovalyonok、ベラルーシ語:Уладзі́мір Васі́льевіч Кавалёнак、ロシア語:Влади́мир Васи́льевич Ковалёнок、1942年3月3日-)は、ベールイ出身のソビエト連邦の宇宙飛行士。ソ連空軍で少将にまで昇った後、1967年7月5日からソ連の宇宙開発プログラムに参加した。ソユーズ25、ソユーズ29、ソユーズTM-4の3度のミッションで船長を務め、1984年6月23日に引退した。宇宙での総滞在時間は216日9時間8分。.

新しい!!: ソユーズ26号とウラジーミル・コワリョーノク · 続きを見る »

ウラジーミル・ジャニベコフ

ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ・ジャニベコフ(, ラテン文字表記の例:Vladimir Aleksandrovich Dzhanibekov、1942年5月13日 - )はソ連の宇宙飛行士。5度の宇宙飛行を経験している。 現在のウズベキスタンタシュケント州のイスカンダル(Iskandar)の郊外で生まれる。生まれてすぐに彼の家族はタシュケントに引っ越す。1960年に物理学を学ぶためサンクトペテルブルク大学に入学し、彼が常に興味を抱いていた飛行に夢中になる。1961年にエイスクのV.M.コマロフ高等軍事飛行学校(V.

新しい!!: ソユーズ26号とウラジーミル・ジャニベコフ · 続きを見る »

オレグ・マカロフ (宇宙飛行士)

オレグ・グリゴリイェヴィチ・マカロフ (、1933年1月6日 - 2003年5月28日)はソビエト連邦の宇宙飛行士。 ソ連トヴェリ州ウドムリャに生まれる。バウマンモスクワ高等技術学校を1957年に卒業し、第1設計局(現:RSC エネルギア)でエンジニアとして勤務し、ボストーク宇宙船に関わる。1966年宇宙飛行士の訓練に選ばれる。 当初はソ連の月計画に従事し、月周回飛行に向けてアレクセイ・レオーノフと共に訓練を受けていた。しかしアポロ8号の成功を受けて、このフライト計画は中止される。 1973年、ソユーズ12号にて初飛行を果たす。2度目の飛行はソユーズ18aだが、故障により打上げから21分後アルタイ山脈に緊急着陸している。ソユーズ27号で宇宙ステーションサリュート6号に滞在し、5日後ソユーズ26号で地球に帰還。彼の最後のミッションはソユーズT-3だった。宇宙滞在時間は合計で20日17時間44分。また彼はソユーズ17号およびソユーズT-2のバックアップ要員だった。 ソユーズT-3による最後の飛行後エネルギアで働き、ミール宇宙ステーションやエネルギア-ブラン開発に関わっている。 ソ連邦英雄を2回、レーニン勲章を4回受章。 2003年心筋梗塞によりモスクワで死去。 Category:ソビエト連邦の宇宙飛行士 Category:ソビエト連邦英雄 Category:レーニン勲章受章者 Category:ロシアの技術者 Category:ソビエト連邦の技術者 Category:ロシア連邦宇宙局の人物 Category:トヴェリ州出身の人物 Category:1933年生 Category:2003年没.

新しい!!: ソユーズ26号とオレグ・マカロフ (宇宙飛行士) · 続きを見る »

ガガーリン発射台

ーリン発射台(, 略:LC-1/5)はカザフスタンのバイコヌール宇宙基地にある発射台。ソビエト連邦の宇宙計画に使用され、現在はロシア連邦宇宙局が使用している。 この施設はサイト1(Площадка №1)としても知られ、NIIP-5 LC1、バイコヌールLC1、GIK-5 LC1と表記されることもある。 (注:LC-1/PU-5の意味は、第1打上げ施設(Launch complex-1)の5番発射台 PU-5 (puskavaya ustanovka 5) すなわち"launch pad" 5という意味であるが、発射台が5つあるわけではなく、PU-1からPU-5に名称変更された経緯がある。) 1954年3月17日、は1955年1月1日までにR-7ロケットの実験場所を選出するよういくつかの省庁に命じた。特殊調査委員会は可能な地域を選考し、カザフ・ソビエト社会主義共和国のTyuratamが選ばれた。この選出は1955年2月12日に閣僚会議によって承認され、1958年の建設完成を目指した at Russianspaceweb.com。1955年7月20日にサイト1の建設作業が軍事技術者の手によって始まった。60台以上のトラックが昼夜を問わず作業を行い、1日あたり15000m3の土壌が取り除かれ、全容積は750000m3に及ぶと推定される。1956年10月末までにはR-7の実験に必要な全ての主要な建物とインフラ施設が完成した。 搬入および試験の建物(Монтажно-испытательный корпус)はサイト2と名づけられ、サイト2からロケットの発射台が位置するサイト1への特殊な路線が竣工した by V.Poroshkov。1957年4月までには残り全ての作業が終了し、打上げの準備が整った。 1957年8月21日に世界初のR-7大陸間弾道ミサイルがサイト1から発射された。1957年10月4日には世界初の人工衛星スプートニク1号がサイト1から打上げられた。その後もユーリイ・ガガーリンやワレンチナ・テレシコワを含めた多くの有人宇宙船の打上げに使用された。この発射台は他にもルナ計画、マルス計画、ベネラ計画の探査機や無数のコスモス衛星といった無人宇宙機の打上げにも使用された。1957年から1966年には宇宙機の打上げに加えて、戦略核ICBMの発射にも備えていた。.

新しい!!: ソユーズ26号とガガーリン発射台 · 続きを見る »

ゲオルギー・グレチコ

1976年に発行された、サリュート6号の乗組員を描いた切手 ゲオルギー・グレチコ(Georgi Mikhailovich Grechko、Георгий Михайлович Гречко、1931年5月25日 - 2017年4月8日)は、レニングラード出身のソビエト連邦の宇宙飛行士である。ソユーズ17号、ソユーズ26号、ソユーズT-14で3度の宇宙飛行を行った。 グレチコはバルト工業大学を卒業し、数学の博士号を取った。その後、セルゲイ・コロリョフのデザイン事務所で働き、ソビエト連邦の月計画のために宇宙飛行士の選考を受けることになった。その計画が中止されると、彼は宇宙ステーションサリュートでの任務に就くことになった。 グレチコは、1977年12月20日、サリュート6号のミッションでオーラン宇宙服を着て宇宙遊泳を行った。 グレチコは、1992年のロシア科学アカデミーでの大気物理学の講義を最後に、宇宙プログラムから引退した。 1979年にソビエト連邦の天文学者ニコライ・チェルヌイフが発見した小惑星グレチコは、彼の名前にちなんでいる。.

新しい!!: ソユーズ26号とゲオルギー・グレチコ · 続きを見る »

ソユーズ25号

ユーズ25号(Soyuz 25 、Союз 25)は、1977年のソビエト連邦の有人宇宙飛行である。10日前に打ち上げられたばかりの新しいサリュート6号を訪れた初めてのミッションである。しかしこのミッションは、乗組員のウラジーミル・コワリョーノクとワレリー・リューミンは、5度の試みでも宇宙ステーションのドッキングラッチに機体を結合させることができず、ミッションは中止された。ステーションの反対側へのドッキングを試みるのに充分な燃料がなかったため、彼らは地球に戻った。 この失敗は、宇宙飛行の際には乗組員の少なくとも1人が経験者でなければならないとするルールの制定に繋がった。.

新しい!!: ソユーズ26号とソユーズ25号 · 続きを見る »

ソユーズ27号

ユーズ27号(Soyuz 27 、Союз 27)は、サリュート6号を訪れた1978年のソビエト連邦の有人宇宙飛行ミッションである。この宇宙ステーションに人が向かったのは3度目で、ドッキングに成功したのは2度目である。ソユーズ27号のドッキングによって、宇宙における3機のドッキングが初めて達成された。 このミッションの主目的は、軌道上のソユーズ宇宙船を交換し、後の補給船のために前面のドッキングポートを空けることであった。ウラジーミル・ジャニベコフとオレグ・マカロフは、宇宙ステーションで5日間を過ごした後、ソユーズ26号で地球に帰還した。.

新しい!!: ソユーズ26号とソユーズ27号 · 続きを見る »

ソユーズの一覧

ユーズの一覧(ソユーズのいちらん)では、過去のソユーズ宇宙船の機体の名称と概要(計画のみで終わったものを含める)を挙げる。 ソユーズ、サユース(ロシア語:Союз〔サユース〕、英語:Soyuz〔ソユーズ〕)は、ソビエト連邦及びロシア連邦の1 - 3人乗り有人宇宙船。 ソユーズ計画そのものについてはソユーズとソユーズ計画を、ソユーズ宇宙船を打ち上げるソユーズロケットについてはソユーズとR-7 (ロケット)を、ソユーズ宇宙船の派生で無人補給船バージョンについてはプログレス補給船を、ソユーズ宇宙船の次期モデルだと一時考えられていたリフティングボディ構造の宇宙船についてはクリーペルをそれぞれ参照。.

新しい!!: ソユーズ26号とソユーズの一覧 · 続きを見る »

ソユーズ計画

ユーズ計画は、ソビエト連邦によって1960年代初期から開始された宇宙計画である。当初の目的は、有人による月面着陸を目的としていた。 ソユーズ宇宙船は、ソユーズロケットによって発射され、現在のソユーズ計画は、ロシア連邦宇宙局によって行なわれている。.

新しい!!: ソユーズ26号とソユーズ計画 · 続きを見る »

ソユーズU

ユーズU(Soyuz-U, Союз-У)打ち上げロケットは、世界初の大陸間弾道ミサイルR-7 セミョールカを原型とするR-7ロケットシリーズの一つ。TsSKB設計局で開発され、ロシアのサマーラのプログレスの工場で生産されていた(両社は統合して現在はTsSKB-プログレスとなっている)。 ソユーズUの最初の打ち上げは1973年5月18日に行われ、ゼニット衛星をコスモス559号として軌道へ投入した。ソユーズUは初期のソユーズの派生型やボスホートロケットを置き換えた。それまでは有人用と無人用に別々の型のロケットを用意していたが、ソユーズUの登場によりその必要が無くなった。末期にはロシア連邦宇宙局によって国際宇宙ステーション(ISS)へのプログレス補給船の打ち上げに年間数機が使用されていた。 プログレス補給船以外の衛星打上げに使われたソユーズUロケットは、2014年4月16日のEgyptSat-2の打ち上げが最後となった。ソユーズUロケットは2015年には退役してソユーズ-2.1aに置き換えられる予定であったが、2015年に生産が終了された後、製造済み分が打ち上げられることになった。2017年2月22日5時58分33秒(UTC)のバイコヌール宇宙基地ガガーリン発射台からのプログレスMS-05の打ち上げが最終飛行となり、43年786回、成功率97.3%の打ち上げ記録を残して幕を引いた。.

新しい!!: ソユーズ26号とソユーズU · 続きを見る »

ソビエト連邦

ビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、Союз Советских Социалистических Республик)は、1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における共和制国家である。複数のソビエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家でもある。首都はモスクワ。 多数ある地方のソビエト共和国の政治および経済の統合は、高度に中央集権化されていた。.

新しい!!: ソユーズ26号とソビエト連邦 · 続きを見る »

タイミル半島

タイミル半島(タイミルはんとう)はシベリア北部に位置する北極海に突き出た半島。西はカラ海に注ぐエニセイ川が河口で形成するエニセイ湾、東はラプテフ海に注ぐハタンガ川とハタンガ湾で限られる。 半島全域がロシア連邦、クラスノヤルスク地方に含まれる。 半島の最北端はチェリュスキン岬(北緯77度43分、北極点から約1,300km)。チェリュスキン岬はユーラシア大陸の最北端でもある。その北にヴィリキツキー海峡を隔ててセヴェルナヤ・ゼムリャ諸島がある。 半島の中央部を高さ1,000mほどのビルランガ山脈が走り、山脈の南麓にタイミル湖がある。 住民の数はわずかであり、ロシア人のほかに、ドルガン人、ネネツ人、ガナサン人などがいる。 2012年、このあたりに住む11歳の少年により、永久凍土のなかからマンモスの死骸が発見された。非常に保存状態が良く、知らせを受けた専門家によると約3万年前に死んだ15-6歳程度の雄のマンモスと推定されている。.

新しい!!: ソユーズ26号とタイミル半島 · 続きを見る »

サリュート6号

リュート6号(Салют-6、ラテン文字表記:Salute 6 )、DOS-5はソビエト連邦の宇宙ステーション。サリュート計画のひとつとして計画され、1977年9月29日にプロトンロケットで打ち上げられ、第2世代最初のステーションとなった。サリュート6号の全体的な設計は以前のステーションと似ているが、にもかかわらずいくつかの革新的な発展を遂げており、2個目のドッキングポート、新しいメイン推進システム、ステーションの主要な科学観測器具、BST-1Mマルチスペクトル望遠鏡などの発展が見られる。特に、ドッキングポートが2つになったことによって宇宙空間でのクルーの引継ぎと貨物輸送船プログレスによるステーションへの補給が可能となり、これは短期訪問用ステーションから長期滞在用のステーションへの計画の変化もたらし、マルチモジュール型長期研究ステーションへの移行の開始となった。 サリュート6号は1977年から1982年まで運用され、この間、サリュート6号では5回の長期滞在と11回の短期滞在が行われた。この中にはインターコスモス計画の一部としてワルシャワ条約機構の加盟国の宇宙飛行士も参加した。これらのクルーはサリュート6号の天文観測、地球資源観測、宇宙への人間の適応の研究など、主要ミッションの実行の責任があった。これらのミッションが終わり、サリュート7号の打ち上げが成功したことで、サリュート6号は打ち上げ5年後の1982年7月29日に軌道から外されて大気圏に再突入、破棄された 。.

新しい!!: ソユーズ26号とサリュート6号 · 続きを見る »

S.P.コロリョフ ロケット&スペース コーポレーション エネルギア

S.P.コロリョフ ロケット&スペース コーポレーション エネルギアまたはS.P.コロリョフ・ロケット・宇宙会社「エネルギヤ」(Ракетно-космическая корпорация "Энергия" им.、略称:РКК Энергия、英文字略称:RKK EnergiaまたはRSC Energia) はロシアのソユーズ宇宙船、プログレス補給船、人工衛星などの宇宙機と宇宙ステーションのモジュールの設計・製造会社である。モスクワ近郊のコロリョフに本社を置く。 旧ソ連で1946年設計局の1つとして発足し、 セルゲイ・コロリョフを指導者(1946-1966)として発展し、コロリョフ設計局(第1設計局、OKB-1)としてソ連、ロシアの宇宙開発を支えてきた。西側でもその実績は高く評価され国際宇宙ステーションの建設では重要な役割を担っている。.

新しい!!: ソユーズ26号とS.P.コロリョフ ロケット&スペース コーポレーション エネルギア · 続きを見る »

12月10日

12月10日(じゅうにがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から344日目(閏年では345日目)にあたり、年末まであと21日ある。.

新しい!!: ソユーズ26号と12月10日 · 続きを見る »

1977年

記載なし。

新しい!!: ソユーズ26号と1977年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »