ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

スラヴ語派

索引 スラヴ語派

ラヴ語派(スラヴごは)とは、インド・ヨーロッパ語族バルト・スラヴ語派の一派で、スラヴ系諸民族が話す言語の総称。かつては同民族の祖先スラヴ人に話される「スラヴ祖語」が存在したと想定されるが、スラヴ人の民族大移動の頃(5 - 6世紀)から分化が進み、次第に各語群が独自の特徴を明確にし始め、12世紀には単一言語としての統一は完全に失われた。.

91 関係: 原郷南スラヴ語群口蓋化古代教会スラヴ語古ノヴゴロド方言古東スラヴ語中央アジア一致低地ソルブ語ノヴゴロドマケドニア語マジャル人チロル州チェコ・スロバキア語チェコ語ハンガリーハンガリー語バルト・スラヴ語派バルト語派バルカン半島ポラーブ語ポーランドポーランド語モラヴィアモンテネグロ語モンゴル語ヨーロッパラテン文字リトアニアルーマニア語ルーシ語ルテニア語ルシン語レヒト諸語ロータシズムロシアロシア帝国ロシア語ヴラフ人ボスニア語ブルガリア語ブニェヴァツ人パンノニアパンノニア・ルシン語フランク人ドイツ語ベラルーシベラルーシ語アルバニア語インド・ヨーロッパ語族...イディッシュ語ウクライナウクライナ語オランダ語オーストリア=ハンガリー帝国オスマン帝国カトリック教会カシューブ語キリル文字ギリシア語クナアン語クロアチア語ケルンテン州ケントゥム語とサテム語ゲルマン語派シュタイアーマルク州シレジア語スラヴ人スラヴ祖語スロバキアスロバキア語スロベニア語スウェーデン語セルビア・クロアチア語セルビア語ソルブ語ソビエト連邦ソ連崩壊西スラヴ語群言語高地ソルブ語東ローマ帝国東スラヴ語群格変化正教会歴史言語学民族移動時代教会スラヴ語12世紀5世紀6世紀 インデックスを展開 (41 もっと) »

原郷

原郷(げんきょう、Urheimat, Homeland)とは言語学において、ある語族の祖語の拡散の始まった場所をさす。いわば語族の故郷、起源地というべき場所のことである。ホームランド、故地、祖地などともいうが、日本語訳が必ずしも定まっている訳でない。 語族は系統樹モデルにより仮説がたてられ、分岐年代、原郷などが想定される。原郷は不確かなことが多いが、言語学的、考古学的、遺伝学的証拠を基に、学際的に解明が試みられる。.

新しい!!: スラヴ語派と原郷 · 続きを見る »

南スラヴ語群

南スラヴ語群(みなみスラヴごぐん、South Slavic languages)は、スラヴ語派に属する3つの語群の1つである。 主にバルカン半島で話されており、コソボを除く旧ユーゴスラビア諸国とブルガリアでは多数派となっている他、コソボやアルバニア、ギリシャ、ルーマニア、トルコ、オーストリアなどにもこの語群に属する言語の話者が少数派として伝統的に居住している。 バルカン半島で話される非スラヴ言語のルーマニア語、アルバニア語、ギリシャ語、トルコ語とは系統関係はないが、言語が互いに影響しあうバルカン言語連合を形成する。.

新しい!!: スラヴ語派と南スラヴ語群 · 続きを見る »

口蓋化

口蓋化(こうがいか、palatalization)または硬口蓋化とは、子音が調音点で調音されると同時に、前舌面が硬口蓋に向かって盛り上がって近づく現象のことである。母音(イ)と調音器官の形が似ている。 例えば、日本語では、「カ」 /ka/ と「キ」 /ki/ の子音は同じものと考えられている(音素上は完全に同じものである)が、実際に発音してみると「キ」 は「カ」 に対して、前舌面が硬口蓋に向かって近づいているのが分かる。つまり、「キ」を発音する時に口蓋化が起こっているといえる。.

新しい!!: スラヴ語派と口蓋化 · 続きを見る »

古代教会スラヴ語

古代教会スラヴ語(こだいきょうかいスラヴご、 ポーランド語: Język staro-cerkiewno-słowiański 英語: Old Church Slavonic または Old Church Slavic)、古代スラヴ語(古スラヴ語、ロシア語: старославянский язык, древнеславянский язык)は、スラヴ語による最古の文語であり、現代のスラヴ語の文章語の前身にあたる言語である。正教会のスラヴ語地域で用いる聖書がこの言語で書かれ、奉神礼もこの言語で行なわれていることからこの名がある。この言語が口語的に使われていたのはおおよそ9世紀から11世紀のころである。現在も奉神礼の祈祷文を中心に使用されている。 最初に古代教会スラヴ語に聖書を翻訳したのは、スラヴ語を書き表すための最初の文字であるグラゴル文字を考案したキュリロスとメトディオスの兄弟で、現存する古代教会スラヴ語の著作はほぼ全てがギリシア語から翻訳されたキリスト教文献である。 キュリロスとメトディオスはマケドニア地方のテッサロニキの出身であり、古代教会スラヴ語と呼ばれている言語はスラヴ語派の中でもこの地方で話されていた南スラヴ語群に基づくと考えられ、現在のマケドニア語やブルガリア語と関係が深い。このため、狭い意味では古代教会スラヴ語とはマケドニア・ブルガリア地方の方言をもとに作られたスラヴ語文献の言語のことであり、ブルガリアでは古代ブルガリア語(Старобългарски език)と呼ばれる。ただし、当時のスラヴ語文献には、ボヘミア(チェコ)の西スラヴ語群やルーシ(ウクライナ、ベラルーシ、ロシア)の東スラヴ語群の方言の特徴を含むものも多い。 古代教会スラヴ語より後の11世紀~17世紀頃に東・南スラヴで用いられた文章語は、教会スラヴ語と呼ぶ。.

新しい!!: スラヴ語派と古代教会スラヴ語 · 続きを見る »

古ノヴゴロド方言

古ノヴゴロド方言(露:Древненовгородский диалект)は、11世紀から15世紀頃にノヴゴロド周辺で使用されていた古東スラヴ語の方言。古代ノヴゴロド方言という名称は、ロシアの言語学者アンドレイ・ザリズニャクによって、1995年に提唱された。.

新しい!!: スラヴ語派と古ノヴゴロド方言 · 続きを見る »

古東スラヴ語

古東スラヴ語(こひがしスラヴご、Old East Slavic, OES、古代ロシア語、古ルーシ語などとも)は、10世紀から15世紀にかけて、キエフ・ルーシとその後継諸国の東スラヴ人によって使用された言語。かつて現在の東ヨーロッパのウクライナ、ベラルーシ、ロシアやポーランドの県の一部で話されており、今日のウクライナ語、ベラルーシ語、ロシア語などに発展したとされる(否定説もある中井「ウクライナ語小史」p.157)。.

新しい!!: スラヴ語派と古東スラヴ語 · 続きを見る »

中央アジア

東南アジア 中央アジアのいくつかの定義。狭い順に濃茶: ソ連の定義+茶: 現代的な定義+淡茶: UNESCOの定義 中央アジアの位置 中央アジア(ちゅうおうアジア)は、ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが、現在でも使用される。トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタンと東トルキスタンの東西に分割している。 西トルキスタンには、旧ソ連諸国のうちカザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5か国が含まれる(以下、中央アジア5か国と記す)。 東トルキスタンは中華民国に併合されて以降、新疆省と成り、中華人民共和国に併合されて以降は新疆ウイグル自治区と成った。中国領トルキスタン、ウイグルスタンともいう。 広義には、「アジアの中央部」を意味し、東西トルキスタンのほか、カザフステップ、ジュンガル盆地、チベット、モンゴル高原、アフガニスタン北部、イラン東部、南ロシア草原を含む。UNESCOはトルキスタン以外にも、モンゴル地域、チベット地域、アフガニスタン、イラン北東部、パキスタン北部、インド北部、ロシアのシベリア南部などを中央アジア概念の中に含めている。.

新しい!!: スラヴ語派と中央アジア · 続きを見る »

一致

一致(いっち、agreement『文部科学省学術用語集:言語学編』)または呼応(こおう、concordance)とは、ある語や句の意味的・形式的な特徴によって、別の語の形式が変わることである。照応または符合といわれることもある。.

新しい!!: スラヴ語派と一致 · 続きを見る »

低地ソルブ語

記載なし。

新しい!!: スラヴ語派と低地ソルブ語 · 続きを見る »

ノヴゴロド

ノヴゴロド(Но́вгород )は、ロシアの北西連邦管区、ノヴゴロド州の州都。人口は216,856人(2002年国勢調査、1989年国勢調査では229,126人)。イリメニ湖とそこから流れ出るヴォルホフ川に沿って位置する。1998年以降の公式名称は大ノヴゴロド(ヴェリーキー・ノヴゴロド Вели́кий Но́вгород 、Veliky Novgorod)。ロシア最古の都市であり、中世までノヴゴロド公国として存在していた。1992年に『ノヴゴロドと周辺の文化財』としてユネスコの世界遺産に登録された。 なおニジニ・ノヴゴロドとは別の都市であり、それと区別して本項目の都市を「大ノヴゴロド」(ヴェリーキー・ノヴゴロド、Великий Новгород)とよぶことがある。 ヴェリーキー・ノヴゴロド中心部.

新しい!!: スラヴ語派とノヴゴロド · 続きを見る »

マケドニア語

マケドニア語(македонски јазик)は主としてマケドニア共和国で使用されている言語である。インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派の南スラヴ語群に属する。 アレクサンドロス大王で有名な古代マケドニア王国で話されていた言語は古代ギリシア語のマケドニア方言であり、それとは異なる。 マケドニア語はブルガリア語と近縁で、セルビア・クロアチア語とも類似性がある。また、別系統のルーマニア語、ギリシア語、アルバニア語などとも共通の特徴があり、バルカン言語連合と呼ばれる。 マケドニア語はマケドニア共和国の公用語である他、アルバニア、セルビア、モンテネグロ、ギリシャでも一部で使われている。 記述の際にはキリル文字を使用する。.

新しい!!: スラヴ語派とマケドニア語 · 続きを見る »

マジャル人

マジャル人の分布及び割合 ルーマニアにおけるマジャル人の割合 マジャル人(マジャルじん、Magyarok)は、国家としてのハンガリーと歴史的に結びついた民族。マジャール人(Magyár)とも呼ばれる。.

新しい!!: スラヴ語派とマジャル人 · 続きを見る »

チロル州

チロル州(Tirol、バイエルン語: Tiaroi)は、オーストリア共和国を構成する9つの連邦州のひとつ。オーストリア西部に位置し、北チロルと東チロルからなる。州都は北チロルにあるインスブルック。東チロルの中心都市はリエンツ。州都インスブルックでは1964年と1976年に冬季オリンピックが開催された。.

新しい!!: スラヴ語派とチロル州 · 続きを見る »

チェコ・スロバキア語

チェコ・スロバキア諸語(ちぇこ・すろばきあご)は、インド・ヨーロッパ語族バルト・スラヴ語派に属すスラヴ語派西スラヴ語群のひとつの諸語を指し、チェコ語とスロバキア語の総称として用いられる。.

新しい!!: スラヴ語派とチェコ・スロバキア語 · 続きを見る »

チェコ語

チェコ語(Čeština 、Český jazyk)は、スロヴァキア語やポーランド語、カシューブ語(ポメラニア語)、ソルブ語(ソラビア語、ヴェンド語とも)などと共に、西スラヴ語の一つである。チェコ共和国の人口(約1030万人、2007年3月現在)の9割以上を占めるチェコ人と、周辺国やアメリカ合衆国、カナダ等にコミュニティを作るチェコ系住民に話されている言語である(共和国の国内外合わせて約1200万人の話者が存在する)。.

新しい!!: スラヴ語派とチェコ語 · 続きを見る »

ハンガリー

ハンガリー(Magyarország)は、中央ヨーロッパの共和制国家。西にオーストリア、スロベニア、北にスロバキア、東にウクライナ、ルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国。首都はブダペスト。 国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がる。首都のブダペストにはロンドン、イスタンブールに次いで世界で3番目に地下鉄が開通した。.

新しい!!: スラヴ語派とハンガリー · 続きを見る »

ハンガリー語

ハンガリー語/マジャル語(magyar nyelv)は、主にハンガリーで話されている言語。現在はハンガリー及びセルビアのヴォイヴォディナ自治州にて公用語となっている。ハンガリーでは住民の93.6%(2002年)がハンガリー語を話し、国語化している。原語呼称である「マジャル語」の転訛からマジャール語と呼ばれることもある。旧来は洪語と略した(オーストリア=ハンガリー帝国は墺洪帝国と記載されることもあった)。.

新しい!!: スラヴ語派とハンガリー語 · 続きを見る »

バルト・スラヴ語派

バルト・スラヴ語派(Baltic-Slavic language)とはインド・ヨーロッパ語族のバルト語派とスラヴ語派を含むグループである。バルト語派とスラヴ語派は他の語派には見られない、いくつかの言語学的共有点をもち、最も近い共通の祖語をもつと考えられる。ほとんどのインド・ヨーロッパ語学者はバルト語派とスラヴ語派を同一の枝に位置付けているが、政治的な問題からいくつかの詳細で議論がある。Gray & Atkinson 2003による系統樹では、両者はブートストラップ値100%で姉妹群を成す。 近年の言語学者はバルト・スラヴ語が東バルト語群、西バルト語群、スラブ語派に同時に三分岐したとの見方を示している。 バルト・スラヴ祖語は比較方法によって再構され、インドヨーロッパ祖語からは、明瞭に定義される共有の音韻対応によって分類づけられる。ある一つの革新的な方言が、バルト・スラヴ方言連続体からわかれ、スラヴ祖語となったと考えられる。.

新しい!!: スラヴ語派とバルト・スラヴ語派 · 続きを見る »

バルト語派

バルト語派に位置づけられる言語の分布図。緑色がリトアニア語、黄色がラトビア語、紫色がプロシア語、橙色がクロニア語を表す。この分布図は単純化されたものであり、死語となった言語については詳しく描かれていない。 バルト語派(バルトごは、Baltic Languages)とは、インド・ヨーロッパ語族バルト・スラヴ語派の一派で、バルト海東南岸付近に分布する。リトアニア語とラトビア語がバルト語派に属する。死語となった古代プロイセン語(古代プロシア語)もこれに含まれる。 現在使われているインド・ヨーロッパ語の中で古い特徴を最もよく残していると言われる。 スラヴ語派と最も近い関係にある。両者の間に単純に共通基語があったという説を否定、スラヴ共通基語成立以前にバルト語内部に分化が生じ、スラヴ語と西バルト語が近かったとされる仮説がソヴィエト連邦崩壊前後の1991年ごろリトアニアやラトヴィアで盛んに唱えられたが、その後の研究によってこの説は否定されている。.

新しい!!: スラヴ語派とバルト語派 · 続きを見る »

バルカン半島

バルカン半島(バルカンはんとう、Balkans、Balcania)は、ヨーロッパの南東部で、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、マケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア、ヘルツェゴビナ、コソボ、ヴォイヴォディナ(スレム、バチュカ、バナト)及びトルコのヨーロッパ部分(ボスフォラス海峡以西)からなる地域である。バルカン半島の北限はしばしばドナウ川とサヴァ川とされているが、歴史的な繋がりの深いルーマニアや、旧ユーゴスラビア連邦のスロヴェニア(1991年以前の旧ユーゴスラビアの大部分がドナウ川またはサヴァ川以南)をバルカンに含めることもあり、必ずしも定まった地域概念ではない(バルカン山脈に詳しい)。オスマン語でバルカンは森林山脈を意味する。.

新しい!!: スラヴ語派とバルカン半島 · 続きを見る »

ポラーブ語

ポラーブ語(ポラーブご、polab)はスラヴ語派の西スラヴ語群のうち、ポーランド語と同じくレヒト諸語に含まれる言語で、18世紀に死滅した。ポラーブ諸語とも。使用地域はオーデル川下流とエルベ川下流のあいだ近辺であった。言語名はエルベ川のスラヴ系名称に由来する(ポーランド語: Łaba, チェコ語: Labe)。17世紀から18世紀にかけてのものと思われる、ポラーブ語によるテキストが残されている。 ポラーブ語は7世紀から18世紀中ごろまで話されていたが、次第に低地ドイツ語に圧倒されていき、1756年、最後の話者である女性が亡くなったことで死滅した(ポラーブ語に関する知識の一部は1825年まで継承されていた)。18世紀にドイツ人がテキストに書き起こすまで、ポラーブ語は文語を持たなかった。また、地域による方言差がかなり激しかったため、「ポラーブ諸語」という名称を与えて単一の言語として扱わない見方もある。 表記にはラテン・アルファベットが用いられる。 同じスラヴ諸語の中でももっとも類似しているのはカシューブ語である。たとえば、曖昧母音のシュワーを持つことや、子音間での -ar- (「城塞」-ポラーブ語gord, ポーランド語gród)グループを持つことが挙げられる。また、k や g が、軟化した t や d に変化している (t'auchor 「調理師」、d'óra 「山」)。上ソルブ語とも共通する点が多く見られる。 またポラーブ語の晩年期には、それぞれの語が持つアクセントの位置が規則的でなくなる、アクセントの移動という現象が現われた。また、ひとつの語で多くの意味を表したり、ひとつの意味を多くの語で表すなど、語彙の統一性が低いという特徴もある。たとえば、zaīvët 「寿命、生涯」は「体」、「腹」をも意味し、rāt 「口」は「唇」、「くちばし」、「(動物の)鼻づら」も意味した。 ポラーブ語によるまとまった量のテキストはかなり少なく、内容も乏しい。もっとも有名なものは主の祈りと婚礼曲である。ポラーブ語の文語は、スラヴ語話者ではないドイツ人が作成したものであり、表記には混乱が見られる。そのうえ、すでにこの言語が晩年期を迎えて話者が老人ばかりになっていたこと、ドイツ語の影響が著しく、借用語もかなりの数に上っていたことを考慮すると、記述されたものがどこまでポラーブ語本来の姿を残しているかは不明である。.

新しい!!: スラヴ語派とポラーブ語 · 続きを見る »

ポーランド

ポーランド共和国(ポーランドきょうわこく、Rzeczpospolita Polska)、通称ポーランドは、中央ヨーロッパに位置する共和制国家。欧州連合 (EU)、北大西洋条約機構 (NATO) の加盟国。通貨はズウォティ。首都はワルシャワ。 北はバルト海に面し、北東はロシアの飛地カリーニングラード州とリトアニア、東はベラルーシとウクライナ、南はチェコとスロバキア、西はドイツと国境を接する。 10世紀に国家として認知され、16世紀から17世紀にかけヨーロッパで広大な国の1つであったポーランド・リトアニア共和国を形成。18世紀、4度にわたり国土が隣国によって分割され消滅。 第一次世界大戦後、1918年に独立を回復したが、第二次世界大戦時、ナチス・ドイツとソビエト連邦からの事前交渉を拒否し両国に侵略され、再び国土が分割された。戦後1952年、ポーランド人民共和国として国家主権を復活、1989年、民主化により共和国となった。冷戦時代は、ソ連の影響下に傀儡政権の社会主義国とし最大で最も重要なソ連の衛星国の一国となり、政治的にも東側諸国の一員となった。国内及び東側諸国の民主化とソ連の崩壊と東欧革命を経て、「中欧」または「中東欧」として再び分類されるようになっている。.

新しい!!: スラヴ語派とポーランド · 続きを見る »

ポーランド語

ポーランド語(ポーランドご、język polski、polski、または polszczyzna)は、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派の西スラヴ語群レヒト諸語に属するポーランドの公用語。レヒト諸語と同じ西スラヴ語群に属する言語は、チェコ・スロヴァキア諸語とソルブ諸語である。名詞の格変化は7格(主格、生格、与格、対格、造格、前置格、呼格)あり、文中での語の働きが格語尾によって示されることなど、形態による表現の豊かさを特徴とする。 ポーランド語は16世紀の期間に発達し、新単語は19世紀に口語のドイツ語、ラテン語、ロシア語、英語から採られポーランド語のスペルに反映されている。ラテン文字は12世紀に導入され、話し言葉だけのポーランド語を記載できるようになった。.

新しい!!: スラヴ語派とポーランド語 · 続きを見る »

モラヴィア

モラヴィア(Moravia)は、チェコ共和国東部の地方。チェコ語ではモラヴァ(Morava)、ドイツ語ではメーレン(Mähren)と呼ばれる。面積は約26,000km2稲野「モラビア」『東欧を知る事典』新版、574-575頁。.

新しい!!: スラヴ語派とモラヴィア · 続きを見る »

モンテネグロ語

モンテネグロ語(Crnogorski jezik / Црногорски језик)は、モンテネグロで話されている言語であり、2007年から同国の公用語となっている。南スラヴ語群の中央南スラヴ語に分類される。現在モンテネグロ語を話す人口は半数がセルビア人を占めている。セルビア語、クロアチア語、ボスニア語とは、方言程の差しかなく、従来は一般にセルビア語の方言とされていたが、20世紀末からモンテネグロ語という呼び名が用いられるようになった。文字はラテン文字とキリル文字のアルファベットが併用される。.

新しい!!: スラヴ語派とモンテネグロ語 · 続きを見る »

モンゴル語

モンゴル文字で書かれた「モンゴル」 モンゴル語(モンゴルご、Монгол хэл、Mongol hel、、mongGul kele)は、モンゴル諸語に属する言語であり、モンゴル国の国家公用語である。モンゴル語を含むモンゴル語族は、テュルク語族及びツングース語族とともにアルタイ諸語と呼ばれる。 第8条はモンゴル語をモンゴル国の国家公用語に規定している。モンゴル国では、行政・教育・放送のほとんどがモンゴル語でなされるが、バヤン・ウルギー県では学校教育をカザフ語で行うことが認められている。こうした地域の人々の中にはモンゴル語を全く解さない者もいる。モンゴル国外には10万人以上のモンゴル国民が居住(日本国内にも合法・不法合わせ数千人が滞在しているものと推定されている)しており、かれらの母語でもある。 モンゴル諸語のうち、どこまでを「モンゴル語」と呼ぶのか明確な定義はないが、一般的にはモンゴル国や中国の内モンゴル自治区でも話されているものがモンゴル語とされる。.

新しい!!: スラヴ語派とモンゴル語 · 続きを見る »

ヨーロッパ

ヨーロッパ日本語の「ヨーロッパ」の直接の原語は、『広辞苑』第5版「ヨーロッパ」によるとポルトガル語・オランダ語、『デジタル大辞泉』goo辞書版「」によるとポルトガル語。(、)又は欧州は、地球上の七つの大州の一つ。漢字表記は欧羅巴。 地理的には、ユーラシア大陸北西の半島部を包括し、ウラル山脈およびコーカサス山脈の分水嶺とウラル川・カスピ海・黒海、そして黒海とエーゲ海を繋ぐボスポラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡が、アジアと区分される東の境界となる増田 (1967)、pp.38–39、Ⅲ.地理的にみたヨーロッパの構造 ヨーロッパの地理的範囲 "Europe" (pp. 68-9); "Asia" (pp. 90-1): "A commonly accepted division between Asia and Europe...

新しい!!: スラヴ語派とヨーロッパ · 続きを見る »

ラテン文字

ラテン文字(ラテンもじ、abecedarium Latinum、Latin alphabet、ラテンアルファベット)は、表音文字(音素文字・アルファベット)の一つである。ローマ文字、ローマ字(alfabeto Romano、Roman alphabet)とも呼ばれる。 文字を右書きで横に並べることで単語を表記し、単語間を分かち書きで区切って並べることで文章を構成する。それぞれの文字は子音か母音を表す。 今日、人類社会で最も解読者人口が多い文字である。 元来ラテン語の文字で、古くから西欧・中欧の諸言語で使われているが、近代以降はこれら以外にも使用言語が多い。ただし発音の文字への表記方法は各言語ごとに異なっており、同じ綴りでも言語によって違う発音をすることはラテン文字においては全く珍しくない。英語など、古い時代に表記法が定められた言語においては表記と発音の間の乖離も大きなものとなってきている。.

新しい!!: スラヴ語派とラテン文字 · 続きを見る »

リトアニア

リトアニア共和国(リトアニアきょうわこく、Lietuvos Respublika)、通称リトアニア(Lietuva)は、ヨーロッパの共和制国家。EUそしてNATOの加盟国、通貨はユーロ、人口は325万人、首都はヴィリニュスである。.

新しい!!: スラヴ語派とリトアニア · 続きを見る »

ルーマニア語

ルーマニア語(limba română リンバ・ロムナ)は、ルーマニアの公用語であり、またその周辺地域でも使用されている言語である。インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に分類される。ラテン語の東部地域における方言。モルドバ語はルーマニア語とほぼ同じ言語である。アルーマニア語は、ルーマニア語の方言とされる事もあるが、意思疎通が困難である。.

新しい!!: スラヴ語派とルーマニア語 · 続きを見る »

ルーシ語

ルーシ語(ルーシご; руский языкъ, проста мова)は、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派東スラヴ語群の言語の一つである。14世紀から18世紀にかけて今日のウクライナやベラルーシにあたる地域におけるルーシ人、およびモルダヴィアの正教徒が用いた文語である。ウクライナ語やベラルーシ語の祖語であり、今日では死語となっている。外名でルテニア語(Ruthenian language; Ruthenische Sprache)あるいはロシア語と呼ばれることもあるが(本文参照)、それぞれ別の言語と紛らわしいしばしばルテニア語と呼ばれるルシン語やパンノニア・ルシン語、それにロシア語。。.

新しい!!: スラヴ語派とルーシ語 · 続きを見る »

ルテニア語

ルテニア語の名称は、以下の言語に対して用いられる。.

新しい!!: スラヴ語派とルテニア語 · 続きを見る »

ルシン語

ルシン語(ルシーン語、Русиньскый язык)は、ルシン人によって話される言語であり、東スラヴ語群に分類される。セルビアのヴォイヴォディナ自治州の公用語の一つ。ウクライナ・ザカルパッチャ州、スロバキア東部、ポーランド南東部、そしてハンガリーなどでも用いられている。 ルシン語はウクライナ語との共通点も多く、そのためにウクライナ語の方言としてみなされているが、話者の中にはルシン語がウクライナ語とは別の独立した言語であると考える者もいる。.

新しい!!: スラヴ語派とルシン語 · 続きを見る »

レヒト諸語

レヒト諸語(レヒトしょご、Języki lechickie)は、西スラヴ語群のうち北部、すなわちおよそポーランドに分布する諸言語である。レッヒ諸語、レキティック諸語ということもある。.

新しい!!: スラヴ語派とレヒト諸語 · 続きを見る »

ロータシズム

ータシズム (Rhotacism) とは言語学において、他の音素が/r/音に変化することをいう。名称はrに相当するギリシア文字のρ(ロー)に由来する。.

新しい!!: スラヴ語派とロータシズム · 続きを見る »

ロシア

ア連邦(ロシアれんぽう、Российская Федерация)、またはロシア (Россия) は、ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家。.

新しい!!: スラヴ語派とロシア · 続きを見る »

ロシア帝国

ア帝国(ロシアていこく、 ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年から1917年までに存在した帝国である。ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、外満州などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフがロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。.

新しい!!: スラヴ語派とロシア帝国 · 続きを見る »

ロシア語

ア語(ロシアご、русский язык )は、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派東スラヴ語群に属する言語。露語とも略される。ロシア連邦の公用語。ロシア連邦の国語表記には、キリル文字を使用する。近縁の言語にウクライナ語とベラルーシ語がある。.

新しい!!: スラヴ語派とロシア語 · 続きを見る »

ヴラフ人

ヴラフ人(Vlach )は、中央ヨーロッパ、東ヨーロッパ、南東ヨーロッパにおいて、複数のラテン系の人々を指し示して使われる民族呼称である。ヴラヒ人、ワラキア人などと書かれることもある。ヴラフ人と呼ばれる人々には、現代のルーマニア人(ダコ=ルーマニア人)、アルーマニア人、モルラク人(Morlachs)、メグレノ=ルーマニア人(Megleno-Romanians)、イストロ=ルーマニア人(Istro-Romanians)などが含まれる。中でも、自民族の国としてルーマニアを持つルーマニア人を除いた人々を指すことが多い。 ヴラフ人という呼称は外名であった。ヴラフと呼ばれる各民族は、それぞれ「ローマ人」に由来する自称を用いてきた(Români、Rumâni、Rumâri、Aromâni、Arumâniなど)。メグレノ=ルーマニア人は現在は自称として「Vlaşi」を用いているが、歴史的には「Rămâni」を自称としていた。イストロ=ルーマニア人もまた「Vlaşi」という呼び名を受け入れているが、「Rumâni」や「Rumâri」も使われ続けている。 ヴラフ人は、トラキア人やイリュリア人、ギリシャ人などの古代からのバルカンの住民が「ローマ化」されたものと考えられることもある(ダキア人を含む)が、定説とまではなっていない。 ヴラフ人の言語は、東ロマンス諸語(Eastern Romance languages)と呼ばれ、共通の古ルーマニア語(Proto-Romanian language)から分化したものである。過去数世紀にわたり、ヴラフ人たちはそれぞれ細かいグループに分かれていき、スラヴ人やギリシャ人、アルバニア人、クマン人などの周辺の民族と混交していった。 中央ヨーロッパや南東ヨーロッパのほぼ全ての国にヴラフ人は少数民族として暮らしており、ハンガリー、ウクライナ、セルビア、クロアチア、マケドニア共和国、アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ギリシャ、ブルガリアなどがこれに含まれる。これ以外に、ポーランドやチェコ、スロバキア、モンテネグロでは周辺のスラヴ人に同化してヴラフ人は見られなくなった。ルーマニアとモルドバでは、(「ダコ=ルーマニア人」、あるいは単に「ルーマニア人」と呼ばれる)ヴラフ人が民族的に多数派を形成している。.

新しい!!: スラヴ語派とヴラフ人 · 続きを見る »

ボスニア語

ボスニア語(ボスニアご、bosanski jezik)は、南スラブ語群に属する言語の標準形の一つであり、セルビア・クロアチア諸語のシュト方言が基本となっている。 ボスニア・ヘルツェゴビナをはじめとする、旧ユーゴスラビア諸地域において、特にセルビア・クロアチア諸語を話すイスラム教徒の多くは自身をボシュニャク人と規定し、その母語をボスニア語と考えている。 ラテン文字による表記が標準的であるが、キリル文字も使用される。「ボスニア語」という名前は、ボシュニャク人のボスニア語話者に共通に受け入れられており、また言語コードの規格ISO 639にもこの名前で掲載されている。.

新しい!!: スラヴ語派とボスニア語 · 続きを見る »

ブルガリア語

ブルガリア語(български език )は、ブルガリアの公用語。インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派南スラヴ語群に属する言語。マケドニア共和国の公用語マケドニア語とはきわめて近しい関係にあるとされる。ISO 639による言語コードは、2字がbg, 3字がbulで表される。 ブルガリアのほか、ルーマニア、セルビア、トルコ、ギリシャ、ハンガリー、モルドバ、ウクライナ、ロシア、アメリカ、イスラエル、カナダなどで話されており、母語話者人口は900万人ほどである。.

新しい!!: スラヴ語派とブルガリア語 · 続きを見る »

ブニェヴァツ人

ブニェヴァツ人(ブニェヴァツ語・クロアチア語・セルビア語:Bunjevci / Буњевци、ハンガリー語:bunyevácok)は、セルビア・ヴォイヴォディナのバチュカ地方、およびハンガリー南部のバーチ・キシュクン県、特にバヤ(Baja)に居住する南スラヴ人の民族集団である。16世紀から17世紀にかけてヘルツェゴヴィナ地方からダルマチア地方、そしてリカ(Lika)、バチュカへと移住したものと考えられている。これらの地域(こんにちのボスニア・ヘルツェゴヴィナおよびクロアチア)に住む、ブニェヴァツ人の起源と考えられる人々は、独自の地域的・民族的アイデンティティを保持しつつ、自らの属する民族は「クロアチア人」と考えている。セルビアに住むブニェヴァツ人らは、自らの民族認識を「ブニェヴァツ人」、「クロアチア人」あるいは「ユーゴスラビア人」としている。 ブニェヴァツ人の大部分はカトリック教徒であり、シュト方言のイ方言に属する言語を話す。この言語には特徴的な古風な表現が残っている等の特徴があり、「ブニェヴァツ語」あるいは「ブニェヴァツ方言」と呼ばれる。18世紀から19世紀ごろは、ブニェヴァツ人はバチュカ北部で一定規模の民族集団を築き上げていたが、後にその多くがハンガリー人に同化され、またその他の者でもセルビア人やクロアチア人としての民族自認を持つ者もいる。.

新しい!!: スラヴ語派とブニェヴァツ人 · 続きを見る »

パンノニア

パンノニア(Pannonia)は、古代に存在した地方名。ローマ帝国の時代には皇帝属州であった。北と東はドナウ川に接し、西はノリクムと上イタリア、南はダルマティアと上モエシアに接した。パンノニアの領域は現在のオーストリア、クロアチア、ハンガリー、セルビア、スロベニア、スロバキア、およびボスニア・ヘルツェゴビナの各国にまたがる。 今日では、パンノニアという地名は、ハンガリーのトランスダニュービア地方(Transdanubia、ハンガリー語:Dunántúl)およびセルビア等に広がるパンノニア平原を指して使われる。.

新しい!!: スラヴ語派とパンノニア · 続きを見る »

パンノニア・ルシン語

ノヴィ・サドにある首長公室は4つの公用語(セルビア語、ハンガリー語、スロバキア語、'''ルシン語''')で表記されている。 パンノニア・ルシン語は、スラヴ語派の言語(または方言)である。話者は、と呼ばれるルテニア人の一派で、セルビア北西部およびクロアチア東部に居住する。このため、ユーゴスラビア=ルテニア人、ヴォイヴォディナ=ルテニア人、バチュカ=ルテニア人とも呼ばれている。 パンノニア・ルシン語は、西スラヴ語群の特にスロバキア語に類似している。しかし、東スラヴ語群の発音と語彙を持っている。パンノニア・ルシン語は、周辺の南スラヴ語群のセルビア語やクロアチア語の影響を受けている。 パンノニア・ルシン語は、セルビアのヴォイヴォディナ自治州における公用語の一つである。 2003年におけるヴォイヴォディナ内での公用語分布。ノヴィ・サドを含む、薄緑色に塗られた6つのオプシュティナ(自治体)でパンノニア・ルシン語が公用語とされている(オレンジ色はクロアチア語、水色はチェコ語の公用語地域).

新しい!!: スラヴ語派とパンノニア・ルシン語 · 続きを見る »

フランク人

Gelasian Sacramentary』。750年頃にメロヴィング朝フランク王国で作られたもので現在はヴァティカン図書館に所蔵されている。 フランク人(フランクじん)またはフランク族(フランクぞく、Franci, Franken, Francs, Franchi, Franks)は、ローマ帝国時代後期から記録に登場するゲルマン人の部族である。一般的にサリー族と(ライン・フランク族)に大別される。前者は西ヨーロッパにおいてフランク王国を建国した事で知られる。 フランクという名前は西暦3世紀半ばに初めて史料に登場する五十嵐 2003, p. 317。記録に残る「フランク(francus または franci)」という言葉の最も古い用例は241年頃の歴史的事実を踏まえたとされるローマ行軍歌においてであり佐藤 1995a, p. 134、これは4世紀に書かれた『皇帝列伝』に収録されて現代に伝わっている。ローマ人はライン川中流域に居住するゲルマン人たちを一括して「フランク人」と呼んでいた。フランク(francus、franci)の語義は「勇敢な人々」、「大胆な人々」、あるいは「荒々しい」「猛々しい」「おそろしい」人々という意味であるとされている渡部 1997, p. 45。 西ヨーロッパ全域を支配する王国を建設したことから、東方の東ローマ帝国やイスラム諸国では、西ヨーロッパ人全般を指す言葉として用いられた事もある。十字軍研究の分野では現代の学者たちもレヴァント十字軍国家を指して「フランク国家」と表現したり、移住したヨーロッパ人全般を指して「フランク人」と言う用語を用いる場合があるグルッセ 1954, pp.

新しい!!: スラヴ語派とフランク人 · 続きを見る »

ドイツ語

ドイツ語(ドイツご、独:Deutsch、deutsche Sprache)は、インド・ヨーロッパ語族・ゲルマン語派の西ゲルマン語群に属する言語である。 話者人口は約1億3000万人、そのうち約1億人が第一言語としている。漢字では独逸語と書き、一般に独語あるいは独と略す。ISO 639による言語コードは2字が de、3字が deu である。 現在インターネットの使用人口の全体の約3パーセントがドイツ語であり、英語、中国語、スペイン語、日本語、ポルトガル語に次ぐ第6の言語である。ウェブページ数においては全サイトのうち約6パーセントがドイツ語のページであり、英語に次ぐ第2の言語である。EU圏内では、母語人口は域内最大(ヨーロッパ全土ではロシア語に次いで多い)であり、話者人口は、英語に次いで2番目に多い。 しかし、歴史的にドイツ、オーストリアの拡張政策が主に欧州本土内で行われたこともあり、英語、フランス語、スペイン語のように世界語化はしておらず、基本的に同一民族による母語地域と、これに隣接した旧支配民族の使用地域がほとんどを占めている。上記の事情と、両国の大幅な領土縮小も影響して、欧州では非常に多くの国で母語使用されているのも特徴である。.

新しい!!: スラヴ語派とドイツ語 · 続きを見る »

ベラルーシ

ベラルーシ共和国(ベラルーシきょうわこく、Рэспу́бліка Белару́сь、Республика Беларусь)、通称ベラルーシは、東ヨーロッパに位置する共和制国家。日本語では白ロシア(はくロシア)とも呼ばれる。東にロシア、南にウクライナ、西にポーランド、北西にリトアニア、ラトビアと国境を接する、世界最北の内陸国である。首都はミンスク。ソビエト連邦から独立した。国際連合にはウクライナと共に、ソ連時代からソ連とは別枠で加盟していた。また、ヨーロッパ州で最も北にある内陸国の一つでもある。.

新しい!!: スラヴ語派とベラルーシ · 続きを見る »

ベラルーシ語

ベラルーシ語(Беларуская мова)は、ベラルーシ共和国の公用語。白ロシア語(はくろしあご)と呼ばれていたこともある。話者は700万人から800万人で、ベラルーシやポーランド東部に分布している。系統的には、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属し、ロシア語、ウクライナ語とともに東スラヴグループを形成する。 東スラヴ語群に属しロシア語やウクライナ語に非常に近いが、ポーランド・リトアニア共和国内の地域であったことから本来は現在に比べ西スラヴ語であるポーランド語寄りの特徴を持っていた服部 2004, p. 136.

新しい!!: スラヴ語派とベラルーシ語 · 続きを見る »

アルバニア語

アルバニア語 (Shqip) はインド・ヨーロッパ語族に属する言語で、この言語だけで独立した語派を形成しているが、ルーマニア語やブルガリア語と共通の特徴をもつバルカン言語連合をなす。 アルバニア、コソボ、マケドニア共和国およびモンテネグロで公用語として用いられている。.

新しい!!: スラヴ語派とアルバニア語 · 続きを見る »

インド・ヨーロッパ語族

インド・ヨーロッパ語族(インド・ヨーロッパごぞく)は、ヨーロッパから南アジア、北アジア、アフリカ、南アメリカ、北アメリカ、オセアニアにかけて話者地域が広がる語族である。印欧語族(いんおうごぞく、いんのうごぞく)と略称される。この語族に属する言語を公用語としている国は100を超える。.

新しい!!: スラヴ語派とインド・ヨーロッパ語族 · 続きを見る »

イディッシュ語

イディッシュ語(ייִדיש、Jiddisch、Yiddish、ייִדיש)は、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派のうち西ゲルマン語群に属する高地ドイツ語(標準ドイツ語)の一つで、世界中で400万人のアシュケナージ系・ユダヤ人によって使用されている。イーディッシュ語とも表記される。.

新しい!!: スラヴ語派とイディッシュ語 · 続きを見る »

ウクライナ

ウクライナ(Україна、)は、東ヨーロッパの国。東にロシア連邦、西にハンガリーやポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシ、南に黒海を挟みトルコが位置している。 16世紀以来「ヨーロッパの穀倉」地帯として知られ、19世紀以後産業の中心地帯として大きく発展している。天然資源に恵まれ、鉄鉱石や石炭など資源立地指向の鉄鋼業を中心として重化学工業が発達している。 キエフ大公国が13世紀にモンゴル帝国に滅ぼされた後は独自の国家を持たず、諸侯はリトアニア大公国やポーランド王国に属していた。17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が興亡し、その後ロシア帝国の支配下に入った。第一次世界大戦後に独立を宣言するも、ロシア内戦を赤軍が制したことで、ソビエト連邦内の構成国となった。1991年ソ連崩壊に伴い独立した。 歴史的・文化的には中央・東ヨーロッパの国々との関係が深い。 また本来の「ルーシ」「ロシア」とは、現在のロシア連邦よりもウクライナを指した。.

新しい!!: スラヴ語派とウクライナ · 続きを見る »

ウクライナ語

ウクライナ語( )は、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派の東スラヴ語群に属し、キリル文字を使用する言語である。ウクライナの公用語である。ウクライナ国外においても、諸外国に住むウクライナ人によって使用されている。本国での話者人口は3680万人。本国以外に、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ポーランド、カナダやアメリカ合衆国などの南北アメリカ、オーストラリアなどにも話者がおり、それらを合計すれば約4500万人になる。スラヴ語派においてはロシア語、ポーランド語に次いで第3位の話者人口である。11月9日はウクライナ語の記念日となっている。.

新しい!!: スラヴ語派とウクライナ語 · 続きを見る »

オランダ語

ヨーロッパにおける低地フランク語の分布 オランダ語(オランダご、Nederlands )は、インド・ヨーロッパ語族の西ゲルマン語群に属し、オランダおよびベルギー北部を中心に2300万人以上が使っている言語。ベルギー方言はフラマン語と言うことがある。 日本語では現在は主にオランダ語と言うが、江戸時代には蘭語(らんご)とも呼ばれ、今でも蘭(らん)という略称が広く使われている。.

新しい!!: スラヴ語派とオランダ語 · 続きを見る »

オーストリア=ハンガリー帝国

ーストリア=ハンガリー帝国(オーストリア=ハンガリーていこく、 または Kaiserliche und königliche Monarchie、)は、かつて欧州に存在した国家。ハプスブルク帝国の一つであり、その最後の形態である。.

新しい!!: スラヴ語派とオーストリア=ハンガリー帝国 · 続きを見る »

オスマン帝国

マン帝国(オスマンていこく、)は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国。英語圏ではオットマン帝国 (Ottoman Empire) と表記される。15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノポリスを征服、この都市を自らの首都とした(オスマン帝国の首都となったこの都市は、やがてイスタンブールと通称されるようになる)。17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロバキアに至る広大な領域に及んだ。.

新しい!!: スラヴ語派とオスマン帝国 · 続きを見る »

カトリック教会

トリック教会(カトリックきょうかい、)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座に置くことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。.

新しい!!: スラヴ語派とカトリック教会 · 続きを見る »

カシューブ語

ューブ語(kaszëbsczi jãzëk)は、スラヴ語派の西スラヴ語群に含まれる言語。言語コードはISO 639-2 csb。 ポメラニアのバルト海沿岸の地域にいたカシューブ族の言語から発展したと考えられている。現代ポーランド語とも親近関係にあり、低地ドイツ語の東方方言、ポラーブ語、プロシア語から影響を受けている。一般的には独自の言葉と解釈されており、しばしポーランドの言語学者には、カシューブ語をポーランド語の方言と考えるものもいるが、ポーランドでは少数民族の言語と認知されている。 現在、ポーランド北部のポモージェ地方、ドイツ北東部のメクレンブルク=フォアポンメルン州および、移民先のカナダにあわせて20万人の話者がいる。2002年の国勢調査では、5万3千人が家庭ではもっぱらカシューブ語を使用するとしている。公用語ではないが、ポモージェ地方の一部の郡では公式の場で使用される。.

新しい!!: スラヴ語派とカシューブ語 · 続きを見る »

キリル文字

リル文字(キリルもじ、Кириллица、Cyrillic alphabet、キリール文字とも)は、主にスラヴ諸語を表記するのに用いられる表音文字の体系の一種である。日本等では特にロシア語の文字として知られ、ロシア語で使う 33 文字(大文字小文字を同一視して)は、ロシア文字とも呼ばれる。しかし、キリル文字はブルガリア語やセルビア語をはじめとする多くの言語で使用されており、文字もそれぞれ微妙に異なる。そして、キリル文字発祥の地はブルガリアであるとされるため、キリル文字の総称としてロシア文字と呼ぶのは不適当である。.

新しい!!: スラヴ語派とキリル文字 · 続きを見る »

ギリシア語

リシア語(ギリシアご、現代ギリシア語: Ελληνικά, または Ελληνική γλώσσα )はインド・ヨーロッパ語族ヘレニック語派(ギリシア語派)に属する言語。単独でヘレニック語派(ギリシア語派)を形成する。ギリシア共和国やキプロス共和国、イスタンブールのギリシア人居住区などで使用されており、話者は約1200万人。また、ラテン語とともに学名や専門用語にも使用されている。省略形は希語。.

新しい!!: スラヴ語派とギリシア語 · 続きを見る »

クナアン語

ナアン語(Leshon Knaan)は西スラヴ語の系統を引くユダヤ諸語の一つ。かつてチェコで話されていたが、14-15世紀に消滅し、現在では死語となっている。クナアン語という名称は主としてユダヤ=チェコ語をさすが、その他のユダヤ系スラヴ諸語をさす場合もある。 歴史的には、アシュケナジムが東進する前から東欧に居住していた少数のユダヤ人の言語とされる。スラヴ語の系統を引く点で、ゲルマン語系のアシュケナジムの言語であるイディッシュ語とは区別される。.

新しい!!: スラヴ語派とクナアン語 · 続きを見る »

クロアチア語

アチア語(クロアチアご、クロアチア語: hrvatski )は、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派南スラヴ語群の言語である。クロアチアおよびボスニア・ヘルツェゴビナの公用語である。クロアチアのEU加盟により、2013年7月以降EU公用語の一つにもなっている。 1991年にクロアチアがユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立する前は、セルビア語と同一の言語としてセルビア・クロアチア語として扱われていた。ユーゴスラビア解体後にそれぞれが別言語と主張されるようになったが、元々両者の違いは細かい正書法や表現の差異程度であり、現在でも非常に近い関係にある。セルビア語がアルファベットとしてキリル文字とラテン文字を使用するのに対し、現在のクロアチア語ではもっぱらラテン文字を使用する。歴史的にはグラゴル文字が使用されたこともあり、一部では近代まで用いられていた。 話者は主にバルカン半島に分布し、クロアチア人を中心にクロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナおよび他の国で話される。スロベニア語、マケドニア語とも類似している。 クロアチア国内で話される南スラヴ語群の言語変種には主にシュト方言・カイ方言・チャ方言の3種類があり、そのうち新シュト方言の東ヘルツェゴビナ方言がクロアチア語の標準語の基盤となっている。なお、セルビア語やボスニア語もシュト方言の一種から標準語が作られている。.

新しい!!: スラヴ語派とクロアチア語 · 続きを見る »

ケルンテン州

ルンテン州(Kärnten)は、オーストリア共和国を構成する9つの連邦州のひとつ。州都はクラーゲンフルト・アム・ヴェルターゼー。.

新しい!!: スラヴ語派とケルンテン州 · 続きを見る »

ケントゥム語とサテム語

ントゥム語(ケントゥムご)とサテム語(サテムご)はインド・ヨーロッパ語族(印欧語族)に属する言語の、音変化による分類である。.

新しい!!: スラヴ語派とケントゥム語とサテム語 · 続きを見る »

ゲルマン語派

ルマン語派(ゲルマンごは、英: Germanic languages, 独: Germanische Sprachen, 瑞: Germanska språk)はインド・ヨーロッパ語族のうちの一語派。ドイツ語、オランダ語、英語などが含まれる。共通のゲルマン祖語から分化したとされる。 現代のゲルマン語派の分布.

新しい!!: スラヴ語派とゲルマン語派 · 続きを見る »

シュタイアーマルク州

ュタイアーマルク州(Steiermark)は、オーストリア共和国を構成する9つの連邦州のひとつ。州都はグラーツ。人口約121万人、面積16,392平方キロメートル。州の紋章は銀豹。鉄資源が豊富で鉄鋼業が盛んなため「鉄の辺境地」(Eisener Mark)とも呼ばれている。グラーツは自動車生産でも有名である。.

新しい!!: スラヴ語派とシュタイアーマルク州 · 続きを見る »

シレジア語

レジア語(Ślůnsko godka)は、ポーランド南西部からチェコ北東部にまたがる上シレジア(シュレージエン)地方で話される言語。西スラヴ語群のレヒト諸語に属し、ポーランド語に近いのでその方言とする見解もあるが、最近になり独立の言語とされることが多くなった。 話者数は正確には不明であるが、20万人前後と思われる。ポーランドの国勢調査(2011年)によると、自称シレジア語話者が6万人、「シレジア人」が81万7千人という。チェコでは話者(多くの人はポーランド人と自称する)が10万人とされる。この地方はオーストリアおよびプロイセンに長く支配されたことから、スラヴ人のシレジア語は独自の発展を遂げた。しかし書記言語としては必ずしも確立していない。 ポーランドでは2003年にシレジア国立出版社が設立され、シレジア語およびシレジアに関する図書を刊行している。2007年、ISO 639と国際SILによりシレジア語が認められた。2007年にはポーランドの国会議員有志がシレジア語に地方言語の資格を与えるための新法を提案した。.

新しい!!: スラヴ語派とシレジア語 · 続きを見る »

スラヴ人

南スラヴ人 スラヴ人(スラヴじん)は、中欧・東欧に居住し、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す諸民族集団である。ひとつの民族を指すのではなく、本来は言語学的な分類に過ぎない。東スラヴ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人)・西スラヴ人(スロバキア人、チェコ人、ポーランド人)・南スラヴ人(クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)に分けられる。言語の共通性は見られ、特に西スラヴと東スラヴは時により北スラヴと分類されることがある。.

新しい!!: スラヴ語派とスラヴ人 · 続きを見る »

スラヴ祖語

ラヴ祖語(スラヴそご、Proto-Slavic)はスラヴ語派に属する言語の元になった祖語。印欧祖語から発展した。文献はなく言語の比較によって再構した体系による。.

新しい!!: スラヴ語派とスラヴ祖語 · 続きを見る »

スロバキア

バキア共和国(スロバキアきょうわこく、)、通称スロバキアは、中央ヨーロッパの共和制国家。首都はブラチスラバで、北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接する。 古代には(623年-658年)・モラヴィア王国として独立を保った期間もあったが、この地のスラブ人は1000年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあって、ハンガリーにとっても歴史的に重要な地域であり、多くのハンガリー人の出身地、ハンガリー貴族の発祥地でもある(元来スラブ系で、ハンガリー文化に同化した者も多い)。 第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併するかたちで独立し、その後、1989年のビロード革命による共産党政権崩壊を経て、1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。.

新しい!!: スラヴ語派とスロバキア · 続きを見る »

スロバキア語

バキア語(、) またはスロヴァキア語は、スロバキア人の典型的母語であり、スロバキア共和国の公用語である。インド・ヨーロッパ語族、スラヴ語派に属する。スラヴ語派ではチェコ語、ポーランド語などと同様西スラヴ語群に属し、とりわけチェコ語には近く、チェコ語の話者とスロヴァキア語の話者とが互いの言語で会話が成立する程である。言語コードはISO 639-1はsk, ISO 639-2は SLO/SLK.

新しい!!: スラヴ語派とスロバキア語 · 続きを見る »

スロベニア語

ベニア語(スロベニア語: slovenski jezik, slovenščina)は、インド・ヨーロッパ語族に属するスラヴ語派のうち南スラヴ語群に属する西南スラヴ語の一言語。.

新しい!!: スラヴ語派とスロベニア語 · 続きを見る »

スウェーデン語

ウェーデン語(スウェーデンご、svenska )は、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派北ゲルマン語群東スカンジナビア諸語に属する言語である。主にスウェーデンで使用される。.

新しい!!: スラヴ語派とスウェーデン語 · 続きを見る »

セルビア・クロアチア語

ルビア・クロアチア語(セルビア・クロアチアご、セルボ・クロアチア語、クロアチア・セルビア語とも:Srpskohrvatski / Српскохрватски、スルプスコフルヴァツキ、Hrvatskosrpski / Хрватскосрпски、フルヴァツコスルプスキ)は、セルビア人 (Srbi) 、クロアチア人 (Hrvati)、ボシュニャク人、モンテネグロ人 によって話されている言語。ユーゴスラビアでは憲法上の公用語と定められていた。セルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロなどで話されている。セルビア語、クロアチア語、ボスニア語、モンテネグロ語の標準語はいずれもセルビア・クロアチア語の新シュト方言の東ヘルツェゴビナ方言に基づいており、セルビア・クロアチア語は複数中心地言語のひとつに数えられる。一部の書籍では「ユーゴスラビア語」とも呼ばれる。 インド・ヨーロッパ語族、スラブ語派、南スラブ語群に属する。言語人口は約1500万人(1971年国勢調査による)亀井孝、河野六郎、千野栄一編著 三省堂『言語学大辞典 第2巻 世界言語編(下-1)』1992年 p.475。.

新しい!!: スラヴ語派とセルビア・クロアチア語 · 続きを見る »

セルビア語

ルビア語(セルビアご、српски језик/srpski jezik)は、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派南スラヴ語群の言語。.

新しい!!: スラヴ語派とセルビア語 · 続きを見る »

ソルブ語

ブディシンにある二言語表記の標識。上がドイツ語、下がソルブ語 ソルブ語(ソルブご、Sorb)は、ドイツの少数民族ソルブ人によって話される言語。ルサチア(ラウジッツ、Lausitz)語(地名から)、ヴェンド語(廃れたドイツ名: Wendisch)、ソルビア語などとも呼ばれる。レヒト諸語と最も近い関係にあり、互いによく通じる。 ザクセン州のブディシン(独語・バウツェン)周辺を中心とする、ウジツァ(ドイツ名: Lausitz, ソルブ語名: ワゥジツァ Łužica,Łužyca)と呼ばれるこの地域で公用語として使われ、ソルブ語による教育や文化が保護されている。高地ソルブ語(上ソルブ語、hornjoserbsce)、低地ソルブ語(下ソルブ語、dolnoserbski)の2方言に分かれ、一般的にエルベ川の川上周辺のものを高地ソルブ語、川下周辺のものを低地ソルブ語としている。正書法も高低で若干異なる。ソルブ語はスラヴ語派西スラヴ語群に属する。現代インド・ヨーロッパ語のスラヴ語派の中でスロヴェニア語とともに「双数」を保持しており、この点では古代スラブ語に近く珍しい言語である。 作家の多和田葉子は『エクソフォニー』(岩波書店)のなかで、「ドイツ東部のバオツェン付近で話されるソルブ語などはそのよい例だろう。現在ではソルブ語しか知らないというのでは暮らしていかれないので、みんなドイツ語もできるが、ソルブ語の話せる人は恐らく全部で三千人くらいだろう、と聞いた。それでも私はこれまで3人もソルブ語で詩を書いているという詩人に会っている。人口比から確率を割り出すと、アメリカではすでに二十八万人の詩人と逢っていてもおかしくないことになる」(p.88)と書いている。 ソルブ語の方言地図 1843年にソルブ語が話されていた地域 聖書翻訳の最初のタイトルページ。左ページがソルブ語、右ページがドイツ語.

新しい!!: スラヴ語派とソルブ語 · 続きを見る »

ソビエト連邦

ビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、Союз Советских Социалистических Республик)は、1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における共和制国家である。複数のソビエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家でもある。首都はモスクワ。 多数ある地方のソビエト共和国の政治および経済の統合は、高度に中央集権化されていた。.

新しい!!: スラヴ語派とソビエト連邦 · 続きを見る »

ソ連崩壊

連崩壊(ソれんほうかい、Распад СССР)とは、1991年12月のソビエト連邦共産党解散を受けた各連邦構成共和国の主権国家としての独立、ならびに同年12月25日のソビエト連邦(ソ連)大統領ミハイル・ゴルバチョフの辞任に伴い、ソビエト連邦が解体された出来事である。.

新しい!!: スラヴ語派とソ連崩壊 · 続きを見る »

西スラヴ語群

西スラヴ語群(にしスラヴごぐん、ポーランド語: Języki zachodniosłowiańskie, チェコ語: Západoslovanské jazyky)は、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派の下位分類。中央ヨーロッパに分布し、話者人口は5600万人。ポーランド語、チェコ・スロバキア語、ソルブ語の三つが有名。 かつてはスラヴ族にとっての単一言語である「スラヴ祖語」が存在したと想定されるが、スラヴ人の民族大移動の頃(5~6世紀)から次第に方言的分化が進み、7世紀前後には西スラヴ語群としての特徴が明確になった。7世紀から10世紀にかけての時期には、この語群内でも分化が進んだ。すなわち、レヒト諸語とソルブ諸語(ラウジッツ諸語とも)である。また9世紀にはチェコ・スロヴァキア諸語が分出した。.

新しい!!: スラヴ語派と西スラヴ語群 · 続きを見る »

言語

この記事では言語(げんご)、特に自然言語について述べる。.

新しい!!: スラヴ語派と言語 · 続きを見る »

高地ソルブ語

地ソルブ語(Hornjoserbšćina)は、スラブ語派の言語である。上ソルブ語ともいう。話者がいる地域は、歴史的に高地ラウジッツ(高地ソルブ語: Hornja Łužica)と呼ばれた地域で、現在のドイツ、ザクセン州の一部である。言語分類的には、西スラヴ語群に属する言語で低地ソルブ語とで枝分かれしたグループ(ソルブ語)を形成しており、西スラヴ語群には他にチェコ語、ポーランド語、スロバキア語などが属している。.

新しい!!: スラヴ語派と高地ソルブ語 · 続きを見る »

東ローマ帝国

東ローマ帝国(ひがしローマていこく)またはビザンツ帝国、ビザンティン帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域、国家である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現在のトルコ共和国の都市であるイスタンブール)であった。 西暦476年に西ローマ帝国がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされた際、形式上は最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥスが当時の東ローマ皇帝ゼノンに帝位を返上して東西の帝国が「再統一」された(オドアケルは帝国の西半分の統治権を代理するという体裁をとった)ため、当時の国民は自らを古代のローマ帝国と一体のものと考えていた。また、ある程度の時代が下ると民族的・文化的にはギリシャ化が進んでいったことから、同時代の西欧からは「ギリシア帝国」とも呼ばれた。.

新しい!!: スラヴ語派と東ローマ帝国 · 続きを見る »

東スラヴ語群

東スラヴ語群(ひがしスラヴごぐん)は、インド・ヨーロッパ語族バルト・スラヴ語派のスラヴ語派を形成する一派。東ヨーロッパから北東アジアにまで分布する。話者人口はおよそ2億1000万人で、スラヴ語派内で最大のグループを形成している。.

新しい!!: スラヴ語派と東スラヴ語群 · 続きを見る »

格変化

格変化(かくへんか、case inflection)とは、格の区別を表す、名詞、形容詞、限定詞などの語形変化のことである。 語形変化による格は、ふつう接尾辞によって表される。マシュー・ドライヤーによる調査では、名詞が格変化する 505 の言語のうち、452 言語は接尾辞によって格の区別を表す。たとえば (1) のバツ語の例では、名詞 Lek’iv が能格であることが接尾辞 -v によって表されている。 接尾辞以外の手段で格を表す言語は珍しい。ドライヤーの調査では 38 言語が接頭辞、5 言語が声調の変化、1 言語が語幹の母音の変化によって格を区別する。(2) は接頭辞で格を区別するトンガ語の例である。名詞 aJoni が ‘with John’ の意味であることが接頭辞 a- によって表されている。.

新しい!!: スラヴ語派と格変化 · 続きを見る »

正教会

Σημειώσεις από τις παραδόσεις τού καθηγητού Ι. Δ. Ζηζιούλαより)。 正教会(せいきょうかい、Ορθόδοξη Εκκλησία、Православие、Orthodox Church)は、ギリシャ正教もしくは東方正教会(とうほうせいきょうかい、Eastern Orthodox Church)とも呼ばれる、キリスト教の教会(教派)の一つ。 日本語の「正教」、英語名の"Orthodox"(オーソドックス)は、「正しい讃美」「正しい教え」を意味するギリシャ語のオルソドクシア "ορθοδοξία" に由来する。正教会は使徒継承を自認し、自身の歴史を1世紀の初代教会にさかのぼるとしている『正教会の手引き』8頁 - 11頁。 なお「東方教会」(とうほうきょうかい)が正教会を指している場合もある。 例外はあるものの、正教会の組織は国名もしくは地域名を冠した組織を各地に形成するのが基本である。コンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、エルサレム総主教庁、ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会、ギリシャ正教会、日本正教会などは個別の組織名であって教会全体の名ではない。いずれの地域別の教会組織も、正教として同じ信仰を有している。教会全体の名はあくまで正教会であり、「ロシア正教に改宗」「ルーマニア正教に改宗」といった表現は誤りである。 なお、アルメニア使徒教会、シリア正教会、コプト正教会、エチオピア正教会なども同じく「正教会」を名乗りその正統性を自覚しているが、上に述べたギリシャ正教とも呼ばれる正教会とは別の系統に属する。英語ではこれらの教会は"Oriental Orthodox Church"とも呼ばれる。詳細は非カルケドン派正教会を参照。.

新しい!!: スラヴ語派と正教会 · 続きを見る »

歴史言語学

歴史言語学(れきしげんごがく、英語:historical linguistics)とは、言語の歴史的変化の様子とその要因を研究の対象とする、言語学の一分野である。 現在(または過去のある時点で)用いられる言語を対象とする共時言語学に対して、通時言語学(つうじげんごがく)ともいう。.

新しい!!: スラヴ語派と歴史言語学 · 続きを見る »

民族移動時代

民族移動時代(みんぞくいどうじだい、)は、西暦300年から700年代にかけて、ヨーロッパで起こった人類の移住の時代のことである。この移住が古代を終わらせ中世が始まったと考えてもよい。 この移住はゲルマン系及びスラブ系の移住、更に東方系の諸民族の侵略を主体としている。これは中央アジアでのトルコ系民族の移動や、人口爆発、気候変動、疫病の蔓延、高齢化人口の増大などが要因とされる。.

新しい!!: スラヴ語派と民族移動時代 · 続きを見る »

教会スラヴ語

教会スラヴ語は古代教会スラヴ語より後、11世紀~17世紀頃に東・南スラヴで用いられた文章語である。 古代教会スラヴ語を教会スラヴ語と呼ぶ場合があり注意が必要である。.

新しい!!: スラヴ語派と教会スラヴ語 · 続きを見る »

12世紀

アンコールの地にアンコール朝の王スーリヤヴァルマン2世はアンコール・ワットの建設を行い、続くジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムを築いた。画像はアンコール・トムのバイヨン四面像(観世菩薩像)。 12世紀(じゅうにせいき)とは、西暦1101年から西暦1200年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: スラヴ語派と12世紀 · 続きを見る »

5世紀

大仙古墳。5世紀頃に築造された全長486メートルの最大級の前方後円墳で、大阪府堺市に広がる百舌鳥古墳群を代表する。伝承では仁徳天皇陵とされている。 レオ1世とアッティラの会見」。 ラヴェンナのガッラ・プラキディア廟堂。ガッラ・プラキディアは西ローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世の母。初期キリスト教美術を代表するモザイク壁画が残されている。 慧遠と道士の陸修静と詩人の陶淵明の邂逅が画題となっている。 雲崗石窟。北魏時代に都の平城(大同市)から西方約20キロに位置する雲崗で造営された石窟寺院。 キジル千仏洞壁画。この石窟はシルクロード沿いのオアシス国家亀茲(クチャ)によって作られたもので、この時期には仏教が大いに繁栄したと伝えられている。訳経僧として名高い鳩摩羅什もここの出身である。 アジャンター石窟寺院。インドではこの時代にグプタ様式と呼ばれる表現が発達した。画像はアジャンター石窟の壁画でパドマパーニ(蓮華手(観世音)菩薩)の像。 シーギリヤ。スリランカのシンハラ朝のカッサパ1世は父王から王位を奪い、アヌラーダプラからこの地へと遷都した。画像はシーギリヤロックの全景で、この頂上にカッサパ1世は王宮を営んだが、最後は反乱軍の攻撃を受けここで自害している。 アルメニア教会。カルケドン公会議以後にキリスト論をめぐりキリスト教は分立した。「単性論派」と呼ばれる「非カルケドン派」にはシリア・エジプト・アルメニアの諸教会がある。画像は483年に再建されたアルメニア教会のエチミアジン大聖堂。 ラテラノ大聖堂に描かれた肖像画。 5世紀(ごせいき)は、西暦401年から西暦500年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: スラヴ語派と5世紀 · 続きを見る »

6世紀

地中海の再統一。画像はラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂の東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世と随臣のモザイク。 Cabinet des Médailles所蔵のもの。 無明時代のアラビア語詩人たち。イスラム教勃興直前のこの時代にアラビアでは優れた詩人たちが活躍した。画像はその代表的な詩人アンタラ・イブン・シャッダードの細密画で、勇猛な戦士の姿で描いている。 前期チャールキヤ朝。デカン地方から南インドに展開した王朝で都はバーダーミにあった。画像はキールティヴァルマン1世の弟マンガレーシャにより建立されたバーダーミのヒンドゥー教石窟寺院第3窟でヴィシュヌ神の像が安置されている。 禅宗の祖師達磨。仏教の保護者として有名な梁の武帝との問答でも知られるが、経歴に不明な点も多い。画像は雪舟等楊の「慧可断臂図」(愛知県常滑市斉年寺蔵)。 建康。現在の南京であるこの地は中国南朝の歴代の都となり、貴族による文化が花開いた。画像は南京にある梁の武帝の異母弟蕭恢の墓を守る辟邪の石刻。 文帝。南北朝時代を終わらせて300余年ぶりに中国を統一し、「開皇の治」と呼ばれる安定期をもたらした。 関東の人物埴輪。6世紀に畿内での埴輪作成は減少するが、関東では最盛期を迎える。画像は「国宝武装男子立像(群馬県太田市出土)」で東京国立博物館蔵となっている。 東ゴート王国の盛衰。オドアケルを倒した東ゴート王テオドリックのもとイタリアはつかの間の平和を享受した。やがてこの国は6世紀半ばには東ローマ帝国の膝下に屈服することになる。画像はラヴェンナにあるテオドリック廟。 『ロッサーノの福音書』。古代末期の混乱で散逸した写本は数知れないが、この福音書は『ウィーン創世記』や『シノペの福音書』と並び現存するこの世紀に造られた数少ない写本で、「コデックス・プルプレウス」という紫染めの羊皮紙を用いた豪華なものである。 コプト織でエジプトで熱心に崇敬された「神の母(テオトコス)」がデザインされている。 6世紀(ろくせいき)とは、西暦501年から西暦600年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: スラヴ語派と6世紀 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

Sla (ISO 639)スラヴ語スラヴ諸語スラブ語スラブ語派スラブ語族スラブ諸語

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »