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スミュルナのコイントス

索引 スミュルナのコイントス

ミュルナのコイントス(ギリシャ語:Κόιντος Σμυρναίος, Kointos of Smyrna, ラテン語:Quintus Smyrnaeus, クイントゥス)は、古代ギリシアの叙事詩人。『トロイア戦記(Posthomerica、直訳すると「ホメーロス以後」)』は文字通り「ホメーロス以後」のトロイア戦争を物語っている。.

42 関係: 古代ギリシア叙事詩叙事詩環大アイアース小イーリアス京都大学学術出版会ペンテシレイアネオプトレモスポリュクセネーメムノーンヨハンネス・ベッサリオンラテン語ヴェネツィアトポス (詩学)トロイアトロイアの木馬トロイア戦争ヘーシオドスパリスデーイポボスホメーロスアマゾーンアポローンアルドゥス・マヌティウスアイティオピスアキレウスイーリアスイーリオスの陥落イズミルウェルギリウスエーオースエウリュピュロスオトラントオデュッセウスオイノーネーカラブリア州ギリシア語詩人講談社学術文庫1450年1504年1577年

古代ギリシア

この項目では、太古から古代ローマに占領される以前までの古代ギリシアを扱う。.

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叙事詩

多くの演劇の題材に用いられるアジアの代表的叙事詩『ラーマーヤナ』(インドネシア、サヌール海岸) 叙事詩(じょじし、epic)とは、物事、出来事を記述する形の韻文であり、ある程度の長さを持つものである。一般的には民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるものをさす。 口承文芸として、吟遊詩人や語り部などが伝え、その民族の古い時代には次世代の教養の根幹を成したり、教育の主要部分となることも多かった。後世に書き残され、歴史資料に保存されることになったものが多い。.

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叙事詩環

叙事詩環(じょじしかん、Επικός Κύκλος エピコス・キュクロス、Epic Cycle)とは、古代ギリシアで作られた、トロイア戦争に関する叙事詩サイクル(一群)のことである。叙事詩の環、叙事詩圏とも。叙事詩環に含まれる叙事詩を並べると、トロイア戦争についての記述が完結する。ホメーロスの叙事詩(厳密にはホメーロス作と言われる叙事詩)『イーリアス』と『オデュッセイア』も入れる研究家もあるが、ホメーロス以外の詩に対して用いられる場合がより多い。 いずれにしても、『イーリアス』と『オデュッセイア』を除く叙事詩は断片しか現存していない。断片では、プロクロス(哲学者のプロクロスとは別人)が書いた詳細なあらすじが最も貴重なものである(後述)。叙事詩はダクテュロス・ヘクサメトロス(長短短六歩格)で書かれている。 叙事詩環は、ギリシア幾何学様式時代(ギリシア暗黒時代。紀元前1100年-紀元前800年頃)に発展した局所的な英雄崇拝に基礎を置く口承を文学の中で蒸留させたものだった。その素材は、鉄器時代の視点から見た過去の青銅器時代のミケーネ文明の話である。 ホメーロスとそれ以外の叙事詩環の歴史的・文学的関係の研究は、「新分析」と呼ばれている。.

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大アイアース

大アイアース(Αἴας, Aiās, Ajax)は、ギリシア神話に登場する英雄である。長母音を省略してアイアスとも表記する。 アイアースはサラミース島の王テラモーンの子で、トロイア戦争にはサラミース人を率いて12隻の船と共に参加した。オイレウスの子アイアース(小アイアース)と区別するために大アイアースと呼ばれる。また、『イーリアス』などの叙事詩では、小アイアースと組にして両アイアースなどと呼ばれる。 同じくトロイア戦争に参加したテウクロスとは異母兄弟。トロイア戦争でギリシア勢に参加した英雄では、アキレウスに次ぐ強さを誇った。テラモーンはアキレウスの父ペーレウスの兄弟であり、アイアースとアキレウスとはいとこ同士である。.

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小イーリアス

小イーリアス(しょうイーリアス、ギリシア語:Ἰλιὰς μικρά, Ilias mikra, ラテン語:lias parva)は、、古代ギリシアの叙事詩で、トロイア戦争を描いた叙事詩の環の1つ。話の年代順にいうと『アイティオピス』の直後の話になる。作者については、ピュラーのレスケース(Lesches)、スパルタのキナイトーン(Cinaethon of Sparta)、エリュトライのディオドロス、ポカイアのテストリデス(Thestorides of Phocaea)、それにホメーロスとさまざまな名前が挙がっている。全部で4巻から成り、ダクテュロス・ヘクサメトロス(長短短六歩格)で書かれている。しかし、わずかに断片が残っているだけである。.

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京都大学学術出版会

一般社団法人京都大学学術出版会(きょうとだいがくがくじゅつしゅっぱんかい、英称:Kyoto University Press)は、京都大学の出版部に当たる一般社団法人で、大学出版部協会の会員。主として京都大学における学術的成果を出版活動を通じて公表・普及することを目的とする。現会長は山極寿一、理事長は末原達郎。同会の出版活動に対して、梓会出版文化賞第20回記念特別賞、2011年度地中海学会賞が授与されている。.

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ペンテシレイア

ペンテシレイア(Πενθεσίλεια,, Penthesilea)は、ギリシア神話の女性である。アマゾーンの女王で、アレースとオトレーレーの娘であり、メラニッペーとは姉妹の関係に当たる。トロイア戦争の際にトロイア軍側について戦った。 誇り高く、美しい女性であったが、アキレウスと一対一で戦い、敗れた。.

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ネオプトレモス

ネオプトレモス(Νεοπτόλεμος,, Neoptolemus)は、ギリシア神話の人物である。ホメーロスの叙事詩『イーリアス』の主人公であるアキレウスとスキューロス島の王リュコメーデースの娘デーイダメイアの息子。.

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ポリュクセネー

"Promptuarii Iconum Insigniorum" より ポリュクセネーはネオプトレモスの手にかかり、アキレウスの墓の前で亡くなった。 ポリュクセネー(Πολυξένη, Polyxenē, Polyxena)は、ギリシア神話に登場する女性である。長母音を省略してポリュクセネとも表記される。 ポリュクセネーはイーリオス(トロイア)の美しい王女で、トロイア王プリアモスと王妃ヘカベーの末娘である。アガメムノーンとクリュタイムネーストラーの娘イーピゲネイアのトロイア版とみなされている。ポリュクセネーはホメーロスの『イーリアス』には登場せず、後世の詩人が『イーリアス』にロマンス要素を追加するために登場させた。 あるとき、彼女の兄弟トローイロスが20歳になればトロイアは敗れないだろうとの神託が下った。トロイア戦争中、ポリュクセネーとトローイロスが泉から水を汲んでこようとしたときに待ち伏せされ、トローイロスはギリシアの戦士アキレウスに殺された。アキレウスはポリュクセネーの物静かな賢明さに惹かれるようになった。 パトロクロスの死から立ち直りきっていなかったアキレウスはポリュクセネーの言葉に慰められ、彼女がアポローンの神殿で礼拝した後に会うようになった。アキレウスはポリュクセネーを信じきって、彼の唯一の弱点がかかとであることを明かした。後に、同じアポローンの神殿でポリュクセネーの兄弟であるパリスとデーイポボスがアキレウスを待ち伏せて、そのかかとに毒矢を撃ちこんだ。これにはアポローンの加護があったとされる。 アキレウスの死後、責任を感じたポリュクセネーがすぐ自殺したとする場合もある。しかしエウリーピデースの悲劇『トロイアの女』と『ヘカベー』では、ポリュクセネーはトロイア戦争終結時に死んだとされている。アキレウスの亡霊がギリシアに戻り、ギリシア軍が本国に戻るのに必要な風を吹かせるには、ポリュクセネーを人身御供にしなければならないと告げた。彼女はアキレウスの墓の前で殺された。ポリュクセネーのキャラクター上、その処女性は重要であり、アキレウスの息子ネオプトレモスに喉を切り裂かれて殺されたとき、彼女は衣類を慎重に配置して自分の肌が完全に隠れるようにしたという。.

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メムノーン

メムノーン(Μέμνων, Memnōn)は、ギリシア神話に登場する人物である。長母音を省略してメムノンとも表記される。 エーオースとティートーノスの子で、エーマティオーンと兄弟。エティオピアの王。このエティオピアは、現在のエチオピアとする説と、現在のイスラエル、ヨルダン、エジプトの一部を含み、ヤッファを都としたフェニキアの王国とする説サモスのコノン "Narr.

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ヨハンネス・ベッサリオン

ヨハンネス・ベッサリオン(Johannes Bessarion, 1399年? - 1472年)は、東ローマ帝国出身の人文主義者。正教会、のちにカトリック教会の聖職者。本来の名前はバシレイオス・ベッサリオン(Basilius Bessarion,ギリシア語:(Βασίλειος Βησσαρίων)。 東ローマ帝国からイタリアにプラトン哲学を伝え、ネオプラトニズム隆盛の一因となった。中世ギリシア語では「ヨアニス・ヴィサリオン」(ヴァシリオス・ヴィサリオン)。 ニカイアの府主教としてフィレンツェ公会議の際、プレトンとともにイタリアを訪れた。正教会・カトリック教会の合同に反対したプレトンらと違って、ベッサリオンは合同賛成派であり、公会議終了後もフィレンツェに留まり、カトリック教会に改宗。1439年に枢機卿およびカトリック教会のコンスタンティノポリス総大司教(名義のみで実際のコンスタンティノポリス在住ではない)になった。 ベッサリオンはラテン語にも通じており、数多くのギリシア語文献をイタリアにもたらしたことで知られる。 Category:東ローマ帝国の人物 よはんねす へつさりおん Category:枢機卿 Category:バチカンの外交官 よはんねす へつさりおん Category:ルネサンスの人物 Category:1399年生 Category:1472年没.

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ラテン語

ラテン語(ラテンご、lingua latina リングア・ラティーナ)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派の言語の一つ。ラテン・ファリスク語群。漢字表記は拉丁語・羅甸語で、拉語・羅語と略される。.

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ヴェネツィア

ヴェネツィア(Venezia)は、イタリア共和国北東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約26万人の基礎自治体(コムーネ)。ヴェネト州の州都、ヴェネツィア県の県都である。ヴの表記によりベネチアと表記されることもある。 中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」などの別名をもつ。英語では「Venice」と呼ばれ、これに由来して日本語でもヴェニス、ベニスと呼ばれることもある。.

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トポス (詩学)

トポス(topos)は、詩学において特定の連想ないし情念を喚起する機能をもつテーマや概念、定型的表現をいう。ギリシア語で場所を意味する topos に由来する修辞学用語。日本文学における枕詞も一種のトポスである。 元はアリストテレスの『トピカ』における「定石」を意味する語であり、前提から結論に至る過程において参照される付帯性・定義・類などを指すものであった。.

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トロイア

トロイア (Troia).

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トロイアの木馬

トロイアの木馬(トロイアのもくば)は、ギリシア神話に登場する装置である。トロイの木馬とも言われる。トロイア戦争において、トロイア(イーリオス)を陥落させる決め手となった。木でできており、中に人が隠れることができるようになっていた。 転じて、内通者や巧妙に相手を陥れる罠を指して「トロイの木馬」と呼ぶことがある。.

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トロイア戦争

トロイア戦争(トロイアせんそう、Τρωικός πόλεμος, Trojan War)は、ギリシア神話に記述された、小アジアのトロイアに対して、ミュケーナイを中心とするアカイア人の遠征軍が行った戦争である。 トロイア、あるいはトローアスという呼称は、後の時代にイーリオス一帯の地域につけられたものである。この戦争の記述から、古代ギリシアにおいて、ホメーロスの英雄叙事詩『イーリアス』、『オデュッセイア』のほか、『キュプリア』、『アイティオピス』、『イーリオスの陥落』などから成る一大叙事詩環が派生した。またウェルギリウスはトロイア滅亡後のアイネイアースの遍歴を『アエネーイス』にて描いている。.

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ヘーシオドス

ヘーシオドス (Ἡσίοδος, Hēsíodos) は、古代ギリシアの叙事詩人。紀元前700年頃に活動したと推定される。『神統記』や『仕事と日』(仕事と日々)の作者として知られる。 1939年からギリシャで発行されていた旧50ドラクマ紙幣に肖像が使用されていた。.

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パリス

パリス(Πάρις, Paris)は、ギリシア神話の英雄である。 イーリオス(トロイア)王プリアモスとヘカベーとの間に生まれた。出生時の名前アレクサンドロスでも知られる。長兄にイーリオスの英雄ヘクトール、妹に悲劇の予言者カッサンドラーを持つ。「パリスの審判」により、イーリオスに戦乱(ひいては滅亡)をもたらしたことで知られる。.

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デーイポボス

デーイポボス(Δηΐφοβος,, Deiphobus)は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してデイポボスとも表記される。 トロイアの王プリアモスとヘカベーの子で、ヘクトール、パリス、ヘレノス、パムモーン、ポリーテース、アンティポス、ヒッポノオス、ポリュドーロス、トローイロス、クレウーサ、ラーオディケー、ポリュクセネー、カッサンドラーと兄弟。 デーイポボスは兄弟の中でヘクトールと最も親しく、トロイア戦争ではトロイア軍における代表的な武将の1人として戦った。後にヘレネーの夫。.

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ホメーロス

ホメーロス(、Homerus、Homer)は、紀元前8世紀末のアオイドス(吟遊詩人)であったとされる人物を指す。ホメロスとも。西洋文学最初期の2つの作品、『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者と考えられている。「ホメーロス」という語は「人質」、もしくは「付き従うことを義務付けられた者」を意味する。古代人はホメーロスを「詩人」()というシンプルな異名で呼んでいた。 今日でもなお、ホメーロスが実在したのかそれとも作り上げられた人物だったのか、また本当に2つの叙事詩の作者であったのかを断ずるのは難しい。それでも、イオニアの多くの都市(キオス、スミルナ、コロポーンなど)がこのアオイドスの出身地の座を争っており、また伝承ではしばしばホメーロスは盲目であったとされ、人格的な個性が与えられている。しかし、彼が実在の人物であったとしても、生きていた時代はいつ頃なのかも定まっていない。もっとも信じられている伝説では、紀元前8世紀とされている。また、その出生についても、女神カリオペの子であるという説や私生児であったという説などがありはっきりしない。さらに、彼は、キュクラデス諸島のイオス島で没したと伝承されている。。 当時の叙事詩というジャンルを1人で代表するホメーロスが古代ギリシア文学に占める位置は極めて大きい。紀元前6世紀以降、『イーリアス』と『オデュッセイア』はホメーロスの作品と考えられるようになり、また叙事詩のパロディである『蛙鼠合戦』や、ホメーロス讃歌の作者とも見做されるようになった。主にイオニア方言などからなる混成的なは紀元前8世紀には既に古風なものであり、テクストが固定された紀元前6世紀にはなおのことそうであった。両叙事詩は(ダクテュロスのヘクサメトロス)で歌われており、ホメーロス言語はこの韻律と密接に結び付いている。 古代において、ホメーロスの作品に与えられていた史料としての価値は、今日では極めて低いものと見做されている。このことは同時に、西洋において叙事詩というジャンルを確立した文学的創造、詩としての価値をさらに高めた。無数の継承者が出現し、21世紀のハリウッドにまで続いている。.

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アマゾーン

アマゾーン(Ἀμαζών、Amazōn、複数形 Ἀμαζόνες、Amazónes)は、ギリシア神話に登場する女性だけの部族。ピンダロスなどにアマゾニス(Ἀμαζονίς、Amazonis)の別形がある。日本では長音記号を省略しアマゾン(亜馬森)と呼ばれるが、この語はそれが由来となった地名などを指すのに使われ、主にアマゾネスと呼び分けられる。 フランス語ではアマゾーヌ(Amazones)、ポルトガル語ではアマゾナス(Amazonas)、スペイン語ではアマソナス(Amazonas)という。.

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アポローン

アポローン(ΑΠΟΛΛΩΝ, Ἀπόλλων, )は、ギリシア神話に登場する男神。オリュンポス十二神の一柱であり、ゼウスの息子である。詩歌や音楽などの芸能・芸術の神として名高いが、羊飼いの守護神にして光明の神でもあり、イーリアスにおいてはギリシア兵を次々と倒した「遠矢の神」であり、疫病の矢を放ち男を頓死させる神「アポローンの矢に射られる」という表現は男が頓死することを意味した(ホメロス 『イリアス(上)』 松平千秋訳、394頁)。であるとともに病を払う治療神でもあり、神託を授ける予言の神としての側面も持つなど、付与された性格は多岐に亘る。もとは小アジアに起源をもつ神格で、本来は繁茂する植物の精霊神から転じて牧畜を司る神となったという説や、北方の遊牧民に起源を求める説など、アポローンの出自については諸説あり、複数の神格の習合を経て成立したものとも考えられている。古典期のギリシアにおいては理想の青年像と考えられ、また、ヘーリオス(太陽)と同一視されるようにもなった。 推定される原音に近づけてその名をカナ転写すればアポルローンとなるが、日本語のカタカナ表記ではアポローン、または長母音を省略してアポロンとするのが通例である。.

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アルドゥス・マヌティウス

マヌティウスの肖像画アルドゥス・ピウス・マヌティウス(Aldus Pius Manutius 1450年頃 - 1515年2月6日)は、15世紀に活躍した、商業印刷の父と言われるルネサンス期ヴェネツィアで活躍した出版人。1494年にはアルド印刷所(英; Aldine Press)を設立しヴェネツィアから多くの名著を出版し、子・孫の3世代に渡って印刷文化を牽引した。 バッシアーノに生まれ、ローマで成長する。古典のギリシャ語、ラテン語を学び、人文主義者のピコ・デラ・ミランドラとも交友があり、非常に学識豊かであった。1475年から20年かけて、ヴェネツィア印刷工房を設け、ギリシア、ラテンの古典(約120点)を校訂し、出版した。ギリシャ文字の活字を製造し、また、イタリック体やアンティカ体を開発した。 近代の印刷技術の祖であるヨハネス・グーテンベルクとアルドゥスの作った本には2つの大きな相違点がある。それはノンブル(ページ番号)の有無及び本のサイズである。グーテンベルク聖書に見られるように、グーテンベルクの作った本にはいずれもノンブル付けがなく、かつ大変な大型本であったのに対し、アルドゥスの視点は異なり、ページの順序を示す番号を紙面の端につけ、また八つ折り判を採用することで本のサイズ自体を小さくした。「持ち歩ける」小型本の歴史はアルドゥスに始まるものであり、これは書物史における転換点であった。 一方では、彼による技術革新によって海賊版とよばれる刊行物の横行と、それに対する戦いが始まることとなり、これは21世紀に至るまで続いている。 DTPという概念を創出した20世紀における出版関連ソフトウェアの開発企業アルダスは、彼の名(英語読みでアルダス・マニューシャス)を取ったものである。.

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アイティオピス

『アイティオピス』(ギリシア語: Αἰθιοπίς, Aithiopis, ラテン語: Aethiopis)は、古代ギリシアの叙事詩で、トロイア戦争を描いた叙事詩の環の1つ。話の年代順にいうと『イーリアス』の直後の話になる。作者はミレトスのアルクティノスと言われる。全部で5巻から成り、ダクテュロス・ヘクサメトロス(長短短六歩格)で書かれている。しかし、わずかに断片が残っているだけである。.

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アキレウス

アキレウス(Ἀχιλλεύς、Achilles)は、ギリシア神話に登場する英雄で、ホメーロスの叙事詩『イーリアス』の主人公である。ラテン語ではアキレス。 プティーアの出身で、プティーア王ペーレウスと海の女神テティスとの間に生まれた。アイアコスの孫にあたる。スキューロス島の王リュコメーデースの娘デーイダメイアとの間にネオプトレモスをもうけた。トロイア戦争にはミュルミドーン人を率いて50隻の船と共に参加し、たった一人で形勢を逆転させ、敵の名将を尽く討ち取るなど、無双の力を誇ったが、戦争に勝利する前に弱点の踵を射られて命を落とした。足が速く、『イーリアス』では「駿足のアキレウス」と形容される。.

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イーリアス

イーリアスの表紙(1572年・Rihel社) 『イーリアス』(Iλιάς, Ilias, Iliad)は、ホメーロスによって作られたと伝えられる長編叙事詩で、最古期の古代ギリシア詩作品である。.

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イーリオスの陥落

『イーリオスの陥落』(イーリオスのかんらく、Ἰλίου πέρσις, Ilíou pérsis, ラテン語:Iliupersis)は、古代ギリシアの叙事詩で、トロイア戦争を描いた叙事詩の環の1つ。話の年代順にいうと『小イーリアス』の直後の話になる。作者は同じ叙事詩の環の『アイティオピス』を書いたミレトスのアルクティノスと言われる。全部で2巻から成り、ダクテュロス・ヘクサメトロス(長短短六歩格)で書かれている。しかし、わずかに断片が残っているだけである。.

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イズミル

イズミル(İzmir)は、エーゲ海に面するトルコ西部の都市。古くはスミュルナ(Smyrna, スミルナとも。ギリシア語でΣμυρνη)と呼ばれた。人口は約400万人(2012年時点)で、イスタンブールやアンカラに次ぐトルコ第3の都市である。イズミル県の県都。.

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ウェルギリウス

プーブリウス・ウェルギリウス・マーロー(Publius Vergilius Maro、紀元前70年10月15日? - 紀元前19年9月21日)は、ラテン文学の黄金期を現出させたラテン語詩人の一人である。共和政ローマ末の内乱の時代からオクタウィアヌスの台頭に伴う帝政の確立期にその生涯を過ごした(#生涯)。『牧歌』、『農耕詩』、『アエネーイス』の三作品によって知られる(#作品)。ヨーロッパ文学史上、ラテン文学において最も重視される人物である(#受容)。.

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エーオース

ーオース(古代ギリシア語イオニア方言:)またはヘオース(アッティカ方言:)は、ギリシア神話に登場する暁の女神である。その名は古典ギリシア語で「暁」を意味し、暁の神格化である。ティーターンの系譜に属し、様々な恋の物語が彼女をめぐって存在する。聖鳥、聖虫は雄鶏、蝉。日本語では長母音を省略してエオスとも呼ぶ。.

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エウリュピュロス

ウリュピュロス(Εὐρύπυλος,, Eurypylus)は、ギリシア神話の登場人物で、同一の名前の人物が何人か存在する。その中で最も有名なのはトロイア戦争に参加した二人のエウリュピュロスで、一人はアカイア勢で、もう一人はトロイア勢として戦った。.

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オトラント

トラント(Otranto)は、イタリア・プッリャ州レッチェ県にある人口約5,600人の基礎自治体(コムーネ)。サレント半島東岸に位置する港町で、イタリア最東端のコムーネである。 アドリア海の入口にあたるサレント半島とアルバニアとの間の海峡は、この町の名にちなみオトラント海峡と呼ばれる。.

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オデュッセウス

デュッセウス()は、ギリシア神話の英雄で、イタケーの王(バシレウス)であり、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公でもある。ラテン語で(ウリクセス)あるいは (ウリュッセウス)ともいい、これが英語の(ユリシーズ)の原型になっている。彼はトロイ攻めに参加した他の英雄たちが腕自慢の豪傑たちであるのに対して頭を使って勝負するタイプの知将とされ、「足の速いオデュッセウス」「策略巧みなオデュッセウス」と呼ばれる。ホメーロス以来、女神アテーナーの寵厚い英雄として書かれる。イタケー王ラーエルテースとアンティクレイアの子で、妻はペーネロペー、息子はテーレマコスである。シーシュポスが父とする説もある。 トロイア戦争ではパラメーデースの頓智でアカイア勢に加勢させられ、アキレウスの死後、その武具を大アイアースと争って勝利した。また木馬の策を立案し、アカイア勢を勝利に導いた。 オデュッセウスの貴種流離譚である長い帰還の旅に因み、長い苦難の旅路を「オデュッセイ、オデュッセイア」という修辞で表すこともある。啓蒙や理性の奸智の代名詞のようにもいわれ、テオドール・アドルノ/マックス・ホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」でも取り上げられる。彼が難破して、裸体でスケリア島に漂着したところを助けた、純粋無垢の代表としての清らかな王女ナウシカアに対置されることもある。姦計としての理性対愛という対立構造で近世市民社会の論理を語るのに、オデュッセウスとナウシカアを対置させた哲学者もある。.

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オイノーネー

イノーネー(Οἰνώνη, )は、ギリシア神話の女性である。長母音を省略してオイノネとも表記される。イーデー山に住むニュムペーで、河神ケブレーンの娘。レアーから予言の術を、アポローンから薬草について学んでいた。トロイアの王子パリスがイーデー山で羊飼いをしていた頃の妻で、コリュトスの母。パリスを深く愛していたが後にパリスに捨てられた。 パリスは生まれたときにトロイアに災いをもたらす者として捨てられ、イーデー山で成長し、オイノーネーを妻とした。しかしパリスは3女神がイーデー山にやって来て美の審判を求めたときアプロディーテーの味方をした。そして審判の後オイノーネーを捨てて褒美である世界一の美女ヘレネーを誘拐しようとした。オイノーネーは予言の術によって誘拐をやめさせようとしたが説得できなかったため、もし誰も癒せない傷を負ったら治せるのは自分だけだから、そのときは戻ってくるように言った。 その後パリスの誘拐によってトロイア戦争が起こり、パリスはピロクテーテースの弓矢によって癒えない傷を負い、瀕死となった。パリスはオイノーネーに癒してもらうためにイーデー山に戻った。しかしオイノーネーはパリスを怨んで追い返し、パリスはイーデー山を降りる途中で死んだ。オイノーネーは嘆いてパリスの火葬場に走っていき、火葬の炎に飛び込んで自殺した。あるいはパリスを追い返したことを後悔し、薬を持って追いかけたがすでに死んでいたため、首をつって自殺した。.

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カラブリア州

ラブリア州(Calabria)は、イタリア共和国南部に位置し、カタンザーロを州都する州である。州内で最多の人口を有する都市はレッジョ・ディ・カラブリア(レッジョ・カラブリア)。しばしば国土の形状がブーツに喩えられるイタリアの「爪先」にあたる地域で、南西にメッシーナ海峡を隔ててシチリア島がある。.

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ギリシア語

リシア語(ギリシアご、現代ギリシア語: Ελληνικά, または Ελληνική γλώσσα )はインド・ヨーロッパ語族ヘレニック語派(ギリシア語派)に属する言語。単独でヘレニック語派(ギリシア語派)を形成する。ギリシア共和国やキプロス共和国、イスタンブールのギリシア人居住区などで使用されており、話者は約1200万人。また、ラテン語とともに学名や専門用語にも使用されている。省略形は希語。.

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詩人

詩人(しじん)とは、詩を書き、それを発表する者。また、そのことを職業にしている者。 後者でも詩作のみで生活している人はほとんどおらず、多くの場合、評論、随筆、翻訳、小説、音楽、絵画、演劇、漫画、歌の作詞など他の分野の創作活動を並行して行っていたり、あるいは(文学と縁遠い)他の職業を持っている。たとえば高村光太郎は彫刻家としても多数の作品を残しているし、草野心平にはバーや居酒屋の経営をしていた時期がある。アルチュール・ランボーは10代に残した業績によって詩人と呼ばれているが、詩作を止めた後は貿易商などさまざまな仕事に捧げた。 シンガーソングライターが詩人としても高い評価を得、詩集を出すまでに至る例もある。ボブ・ディラン、パティ・スミスなどがその例である。 また、詩人は古くから聴衆を前に自身の詩を朗読するのを常としていたが、その行為を、ポエトリーリーディングという表現形態において現代社会に甦らせた動きが、欧米のみならず、日本においても1990年代の半ば以降見受けられる、フランスのパリのレーベルで自身のポエトリーリーディングのCDを出している詩人であり美術家でありポエトリーリーディングアートパフォーマーである千葉節子等がその代表的な例である。 詩を書く者以外に対しても「詩人」という言葉が使われることがある。新明解国語辞典第六版(三省堂)にもそのような広義の意味が書かれているし、三好達治は『詩を読む人のために』(至文堂、1952年)の中で「誰かもいったように」と前書きした上で「詩を読み詩を愛する者は既に彼が詩人」であると書いている。 歌の歌詞の作者のことは一般に作詞家と呼ばれる。.

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講談社学術文庫

講談社学術文庫(こうだんしゃがくじゅつぶんこ)は、講談社刊の文庫判・学術書レーベル、1976年(昭和51年)に発足。シンボルマークは、古代エジプトで知識や学問の象徴とされていた「トキ」(アフリカクロトキ)の姿をした神トートである。 単行判・選書新書の(改訂・改題も含む)再刊、古典新訳のみならず、文庫書き下ろしでの出版も多い。約40年間で2000冊代を刊行、重版多数の書目がある一方で、初版のみで品切絶版となった書目も多い。 2011年(平成23年)より、電子書籍版を購入できるiOS用のアプリケーション「選書メチエ&学術文庫」をApp Storeを配信している。.

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1450年

記載なし。

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1504年

記載なし。

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1577年

記載なし。

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