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スペウシッポス

索引 スペウシッポス

想像で描かれたスペウシッポス(ニュルンベルク年代記) スペウシッポス(Σπεύσιππος、Speusippus、紀元前407年頃 - 紀元前339年)は、古代ギリシア・アテナイの哲学者、数学者。アテナイにアカデメイアを開いたプラトンの甥(プラトンの姉妹の息子)で、プラトンの死後に紀元前347年から紀元前339年にかけて第二代アカデメイア学頭を務めたことで知られる - コトバンク(世界大百科事典内のスペウシッポスの言及。 アリストテレスが述べた「今の人々にとっては数学的諸学が哲学であることになってしまった」と言う言葉はスペウシッポスに向けたものだと言われ、スペウシッポスがプラトンの後を継いで第二代アカデメイアの学頭になるとアリストテレスはアカデメイアを去ってしまった。 プラトンはイデア論を唱えていたものの、スペウシッポスが学頭になるとイデア論を排除し、プラトン主義とピタゴラス学派の調和を試みたが、数学的対象を第一義的な実在と解する点など、プラトン主義を離れてピタゴラス学派や数論へ傾倒したためにアリストテレスはアカデメイアを離れたとされる。 スペウシッポスの主張には、倫理学に於いて快楽はそれ自体悪であると説いたりしたが、現存するスペウシッポスの著作は断片的である。 最期は脳梗塞で亡くなった。.

42 関係: 古川哲史古代ギリシア古代哲学堀一郎姉妹小学館山崎正一岩崎武雄中村元 (哲学者)串田孫一世界大百科事典平凡社久野収形而上学プラトンプラトニズムピタゴラス教団アリストテレスアテナイアカデメイアイデア論ギリシャコトバンク哲学哲学者倫理倫理学紀元前339年紀元前347年紀元前407年相賀徹夫西洋哲学認識論脳梗塞野田又夫林達夫息子日本大百科全書数学者数論17世紀

古川哲史

古川 哲史(ふるかわ てつし、1912年5月8日 - 2011年8月22日)は、日本の倫理学者。.

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古代ギリシア

この項目では、太古から古代ローマに占領される以前までの古代ギリシアを扱う。.

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古代哲学

本項では「古代哲学」を列挙する。西洋哲学では、ローマ帝国におけるキリスト教の普及がヘレニズム哲学の終わりを告げ、中世哲学の開始を導く。一方東洋哲学では、アラブ帝国を通じてのイスラームの普及が古代ペルシア哲学の終わりを告げ初期イスラーム哲学の開始を導く。本稿において述べられる時代・地域はちょうどカール・ヤスパースが述べる枢軸時代に当たる。当該項目も参照。.

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堀一郎

堀 一郎(ほり いちろう、1910年(明治43年)3月19日 - 1974年(昭和49年)8月10日)は、日本の宗教学者。.

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姉妹

姉妹(しまい)は、本人からみて傍系2親等の(すなわち共通の親をもつ)女性、結婚や養子縁組によって前述の女性と同等の関係となった女性のこと、またそのような関係にある2人以上の女性のことも指す。.

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小学館

株式会社小学館(しょうがくかん)は、東京都千代田区にある日本の総合出版社。系列会社グループの通称「一ツ橋グループ」の中核的存在である。.

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山崎正一

山崎 正一(やまざき まさかず、1912年11月4日 - 1997年8月17日)は、日本の哲学者。東大名誉教授。臨済宗の僧侶。谷中・興禅寺先住職。.

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岩崎武雄

岩崎 武雄(いわさき たけお、1913年11月10日 - 1976年10月20日)は、日本の哲学者、元東京大学文学部名誉教授。専門は、ドイツ観念論。.

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中村元 (哲学者)

中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者 著者紹介。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。.

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串田孫一

串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本の詩人、哲学者、随筆家。.

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世界大百科事典

世界大百科事典(せかいだいひゃっかじてん)は、平凡社が出版する百科事典のひとつ。最新版は2007年9月に発売された『改訂新版 世界大百科事典』であり、全35巻、総項約24,900、総項目数約9万、索引項目数約49万である。最新版の編集長は、加藤周一。.

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平凡社

株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.

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久野収

久野 収(くの おさむ、1910年6月10日 - 1999年2月9日)は、日本の哲学者・評論家。 体系だった著作や、いわゆる「主著」と呼ばれるものがないものの、多くの評論や対談などを通じて、戦後日本の政治思想や社会思想に大きな影響を与えた。また、「戦後民主主義」の形成に寄与した人物の一人である。 久野を理解するキーワードは「市民」であると言われている。.

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形而上学

形而上学(けいじじょうがく、μεταφυσικά、Metaphysica、Metaphysics、métaphysique、Metaphysik)は、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である『岩波哲学小事典』「形而上学」の項目。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根本原因)や、物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考える。対立する用語は唯物論である『岩波哲学小事典』「形而上学」の項目。他に、実証主義や不可知論の立場から見て、客観的実在やその認識可能性を認める立場『岩波哲学小事典』「形而上学」の項目や、ヘーゲル・マルクス主義の立場から見て弁証法を用いない形式的な思考方法のこと『岩波哲学小事典』「形而上学」の項目。.

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プラトン

プラトン(プラトーン、、Plato、紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。 プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた“ヨーロッパの哲学の伝統のもつ一般的性格を最も無難に説明するならば、プラトンに対する一連の脚註から構成されているもの、ということになる”(『過程と実在』)。ちなみに、ホワイトヘッドによるこのプラトン評は「あらゆる西洋哲学はプラトンのイデア論の変奏にすぎない」という文脈で誤って引用されることが多いが、実際には、「プラトンの対話篇にはイデア論を反駁する人物さえ登場していることに見られるように、プラトンの哲学的着想は哲学のあらゆるアイデアをそこに見出しうるほど豊かであった」という意味で評したのである。。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする。 青年期はアテナイを代表するレスラーとしても活躍し、イストミア大祭に出場した他、プラトンという名前そのものがレスリングの師から付けられた仇名であると言われているディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』3巻4節。(中野好夫訳、1984年、pp.

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プラトニズム

プラトニズム(英語:Platonism)またはプラトン主義とはプラトンの哲学またはプラトンの哲学に強く由来する哲学体系を指して言われる。狭義ではプラトンの実在論の教理を指して言われる。プラトニズムの中心的な構想は、知覚の対象であるが思惟の対象でない実在と思惟の対象であるが知覚の対象でない実在の区別である。この区別をするうえでイデア論は不可欠である。イデアは「パイドン」、「饗宴」、「国家」といった対話篇で、超絶した、完璧な原型として描かれている。日常的世界に存在するものはイデアの不完全なコピーにすぎないとされる。「国家」においては最高のイデアは善のイデアであり、善のイデアは他のすべてのイデアの源泉であって、理性によって知ることができるとされている。プラトンの対話篇で後期に分類されるソピステスでは有のイデア、同のイデア、異のイデアの三つが根本的な「最大の類」とされる。 紀元前3世紀にはアカデメイアの学頭のアルケシラオスが懐疑主義を採用したため、アカデメイアでは懐疑主義が中心教理となった。しかし紀元前90年にはアンティオコスがストア派の原理を取り入れ、懐疑主義を拒絶し、中期プラトニズムとして知られる時代が始まった。 紀元後3世紀にはプロティノスが神秘的要素を取り入れてネオプラトニズムを創始した。ネオプラトニズムでは存在の極致は一者つまり善であり、あらゆるものの源泉であるとされた。つまり、美徳と瞑想によって人間の魂は自身を上昇させ一者と合一することができると説かれた。 プラトニズムは西洋思想に大きな影響を与え、キリスト教にもプラトンの思想がよく取り入れられた。プラトニズムにおけるイデアがキリスト教では神の思考であると理解された。またネオプラトニズムもキリスト教神秘主義に他の何にもまして大きな影響を与えた。.

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ピタゴラス教団

日の出を祝うピタゴラス(:en:Fyodor Bronnikov画) ピタゴラス教団(ピタゴラスきょうだん、Pythagorean Order)は、古代ギリシアにおいて哲学者のピタゴラスによって創設されたとされる一種の宗教結社。ピュタゴラス教団とも。.

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アリストテレス

アリストテレス(アリストテレース、Ἀριστοτέλης - 、Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)は、古代ギリシアの哲学者である。 プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人とされ、その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。 アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。ギリシャ語ではこれをフィロソフィア()と呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。著作集は日本語版で17巻に及ぶが、内訳は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている立花隆『脳を究める』(2001年3月1日 朝日文庫)。 名前の由来はギリシア語の aristos (最高の)と telos (目的)から 。.

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アテナイ

アクロポリス、間にアレオパゴス、西にプニュクスがある。 アテナイと外港ペイライエウス アテナイ(: Ἀθῆναι, Athēnai)は、ギリシャ共和国の首都アテネの古名。中心部にパルテノン神殿がそびえるイオニア人の古代ギリシアの都市国家。名はギリシア神話の女神アテーナーに由来する。アッティカ半島の西サロニコス湾に面し外港ペイライエウスを有していた。.

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アカデメイア

アカデメイア()は、古代ギリシアのアテナイ北西部郊外にあった、英雄アカデモスの聖林(森)に因む神域であり、リュケイオン、キュノサルゲス等と並ぶ、代表的なギュムナシオン(体育場)の所在地でもあった。 青年たちの教育に熱心だったソクラテスは、足繁くこのアカデメイアやリュケイオンのギュムナシオン(体育場)の青年たちを見て回っていたことが、プラトンの対話篇『リュシス』などにも描かれている。.

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イデア論

イデア論(イデアろん、theory of Forms, theory of Ideas, Ideenlehre)は、プラトンが説いたイデア(ιδέα、idea)に関する学説のこと。 本当にこの世に実在するのはイデアであって、我々が肉体的に感覚している対象や世界とはあくまでイデアの《似像》にすぎない、とする。.

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ギリシャ

リシャ共和国(ギリシャきょうわこく、ギリシャ語: Ελληνική Δημοκρατία)、通称ギリシャは、南ヨーロッパに位置する国。2011年国勢調査によると、ギリシャの人口は約1,081万人である。アテネは首都及び最大都市であり、テッサロニキは第2の都市及び中央マケドニアの州都である。.

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コトバンク

kotobank(コトバンク)は朝日新聞社が主体となってとりまとめたインターネット百科事典。新聞社が提供するウェブサイトの特色として報道記事中の用語解説を強化し、朝日新聞サイト掲載記事にリンクする朝日新聞「新用語解説サイト「kotobank」(コトバンク)を4月23日に開設 - asahi.com提供サービス」2009年4月22日 。 2009年4月23日の正式発足時は、同社と講談社、小学館、朝日新聞出版の各社が提供するものを核とした44辞書・事典の計43万項目を網羅する。VOYAGE GROUPがサイト構築と運営を担当し、オーバーチュアの検索エンジンとインターネット広告システムを利用、検索連動型広告(キーワード広告)を収益源とする。 2011年3月より朝日新聞とジェネシックスがiPhone向け電子辞書プラットフォームアプリ「kotobank for iPhone」の配信を開始ECナビ「」2011年3月29日。.

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哲学

哲学(てつがく、Φιλοσοφία、philosophia、philosophy、philosophie、Philosophie)は、語義的には「愛智」を意味する学問的活動である。日本語辞典の広辞苑では、次のように説明している。 観念論的な形而上学に対して、唯物論的な形而上学もある。諸科学が分化独立した現在では、哲学は学問とされることが多いが、科学とされる場合哲学は「自然および社会,人間の思考,その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」である。出典は、青木書店『哲学事典』。もある。.

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哲学者

哲学者とは、広義に、哲学を研究する者のことである。「哲学者(フィロソファー)」という語は、「知恵を愛する者」を意味する古代ギリシャ語のφιλόσοφος(フィロソフォス)に由来する。ギリシャの思想家ピタゴラスによって導入された。.

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倫理

倫理(りんり).

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倫理学

倫理学(りんりがく、Ηθική、ethica、ethics)あるいは道徳哲学(どうとくてつがく、moral philosophy)とは一般に行動の規範となる物事の道徳的な評価を理解しようとする哲学の研究領域の一つである。 法哲学・政治哲学も規範や価値をその研究の対象として持つが、こちらは国家的な行為についての規範(法や正義)を論ずることとなる。ただしこれら二つの学問分野が全く違う分野として扱われるようになったのは比較的最近である。.

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紀元前339年

紀元前338年は、ローマ暦の年である。当時は、「ティベリウス・アエミリウス・マメルキヌスとクィントゥス・プブリリウス・ピロが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元415年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前339年と表記されるのが一般的となった。.

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紀元前347年

紀元前347年は、ローマ暦の年である。.

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紀元前407年

紀元前407年は、ローマ暦の年である。当時は、「メドゥリヌス、ウイブラヌス、ウオルスス、マメルキヌス、アハラが護民官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元347年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前407年と表記されるのが一般的となった。.

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甥(おい)とは、自分の兄弟姉妹の息子を指す語。対義語は姪。.

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相賀徹夫

賀 徹夫(おうが てつお、1925年6月15日 - 2008年12月21日)は、小学館の第2代社長、株式会社集英社初代会長、日本書籍出版協会理事長、日本雑誌協会理事長。昭和から平成までの54年間にわたって社長(1938年 - 1992年)を歴任した小学館中興の祖。.

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西洋哲学

この項目では、西洋哲学(せいようてつがく)、すなわち西洋で発展した哲学について解説する。.

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認識論

認識論(にんしきろん、Erkenntnistheorie、Epistemology、Épistémologie)は、認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一部門である。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論(theory of knowledge)とも呼ばれる。日本語の「認識論」は独語の訳語であり、日本ではヒト・人間を考慮した場合を主に扱う。英語と仏語の語源は「知」(epistēmē) + 「合理的な言説」(logos)。フランスでは「エピステモロジー」という分野があるが、20世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。 哲学はアリストテレス以来その領域を諸科学によって置き換えられていったが、最後に狭い領域が残り、それが大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が生きている。認識論ではヒトの外の世界を諸々の感覚を通じていかに認識していくかが問題視される。認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが存在論である。しかし、哲学における方法論は思弁に尽きるため、仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかった。哲学論は基本的に仮設の羅列に過ぎず、単に主観的な主張であった。客観性の保証が全くない内観法が哲学者の主たる武器であった。19世紀末ごろ、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立させるが、初期にはもっぱら内観や内省を方法論とし、思弁哲学と大差はなかったため、のちにアームチェア心理学と呼ばれた。やがて、思弁を排し客観的、科学的方法論をもとに実験心理学が登場し、認識の一部は、心理学に取り込まれていった。錯覚現象などがその研究対象になった。実験心理学では、データの統計的処理では科学的であったが、なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。それを嫌い人間の主観を排し、実験動物を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが、人間の認識は研究対象から外された。このため、認識論の問題は比較的最近まで客観科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた。しかし、脳科学の進歩によって急速に、認識論と存在論の2つの世界は大きく浸食されつつある立花隆『脳を究める』(朝日新聞社 2001年3月1日)。.

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脳梗塞

脳梗塞(のうこうそく、stroke)、または脳軟化症(のうなんかしょう)「脳軟化症」の名の由来は、脳細胞は壊死すると溶けてしまうこと(「融解壊死」)から。とは、脳を栄養する動脈の閉塞、または狭窄のため、脳虚血を来たし、脳組織が酸素、または栄養の不足のため壊死、または壊死に近い状態になることをいう。また、それによる諸症状も脳梗塞と呼ばれることがある。なかでも、症状が激烈で(片麻痺、意識障害、失語など)突然に発症したものは、他の原因によるものも含め、一般に脳卒中と呼ばれる。それに対して、ゆっくりと進行して認知症(脳血管性認知症)などの形をとるものもある。 日本における患者数は約150万人で、毎年約50万人が発症するとされ、日本人の死亡原因の中で高い順位にある高頻度な疾患である。また、後遺症を残して介護が必要となることが多く、寝たきりの原因の約3割、患者の治療費は日本の年間医療費の1割を占めており、福祉の面でも大きな課題を伴う疾患である。.

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野田又夫

野田 又夫(のだ またお、1910年12月10日 - 2004年4月22日)は日本の哲学者。大阪府出身。京都大学名誉教授、甲南女子大学名誉教授。.

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林達夫

林 達夫(はやし たつお、1896年11月20日 - 1984年4月25日)は、日本の思想家、評論家。西洋精神史、文化史、文明史にわたる著作が多い。.

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息子

息子(むすこ)は、男性の子供、即ち本人の1親等直系卑属のうち男性である者である。対義語は娘または父。 実子または養子の場合がある。また配偶者の連れ子の男性も一般に息子と呼ぶ。自分の息子を卑下して言う場合には、倅(せがれ:他人の息子をぞんざいに言う場合もある)、愚息(ぐそく)などともいう。 娘の夫(婿)を義理の息子ともいう。.

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日本大百科全書

『日本大百科全書:ニッポニカ』(にほんだいひゃっかぜんしょ)は小学館から出版された書籍としての百科事典である。 「日本と日本人について徹底的に、かつ広範囲にわたって一層の記述をすること」を目的として、10年の準備期間を経て、130,000を超える項目と500,000を超える索引が五十音順で23,000を超えるページに編成された。1984年に初版の頒布が開始され、5年の歳月をかけて1989年に全25巻の刊行が成された。最新版である1994年版では、独立した巻となっている索引と補巻を含めて26巻から構成される。現在は絶版である。.

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数学者

数学者(すうがくしゃ、mathematician)とは、数学に属する分野の事柄を第一に、調査および研究する者を指していう呼称である。.

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数論

数論(すうろん、number theory)とは数、特に整数およびそれから派生する数の体系(代数体、局所体など)の性質について研究する数学の一分野である。整数論とも言う。ふつうは代数学の一分野とみなされることが多い。おおむね次の四つに分けられる。;初等整数論;代数的整数論;解析的整数論;数論幾何学 フェルマーの最終定理のように、数論のいくつかの問題については、他の数学の分野に比して問題そのものを理解するのは簡単である。しかし、使われる手法は多岐に渡り、また非常に高度であることが多い。 ガウスは次のような言葉を残している。.

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17世紀

ルイ14世の世紀。フランスの権勢と威信を示すために王の命で壮麗なヴェルサイユ宮殿が建てられた。画像は宮殿の「鏡の間」。 スペインの没落。国王フェリペ4世の時代に「スペイン黄金時代」は最盛期を過ぎ国勢は傾いた。画像は国王夫妻とマルガリータ王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いたディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」。 ルネ・デカルト。「我思う故に我あり」で知られる『方法序説』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。 プリンキピア』で万有引力と絶対空間・絶対時間を基盤とするニュートン力学を構築した。 オランダの黄金時代であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。 チューリップ・バブル。オスマン帝国からもたらされたチューリップはオランダで愛好され、その商取引はいつしか過熱し世界初のバブル経済を生み出した。画像は画家であり園芸家でもあったエマヌエル・スウェールツ『花譜(初版は1612年刊行)』の挿絵。 三十年戦争の終結のために開かれたミュンスターでの会議の様子。以後ヨーロッパの国際関係はヴェストファーレン体制と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。 チャールズ1世の三面肖像画」。 ベルニーニの「聖テレジアの法悦」。 第二次ウィーン包囲。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。この敗北に続いてオスマン帝国はハンガリーを喪失し中央ヨーロッパでの優位は揺らぐことになる。 モスクワ総主教ニーコンの改革。この改革で奉神礼や祈祷の多くが変更され、反対した人々は「古儀式派」と呼ばれ弾圧された。画像はワシーリー・スリコフの歴史画「貴族夫人モローゾヴァ」で古儀式派の信仰を守り致命者(殉教者)となる貴族夫人を描いている。 スチェパン・ラージン。ロシアではロマノフ朝の成立とともに農民に対する統制が強化されたが、それに抵抗したドン・コサックの反乱を率いたのがスチェパン・ラージンである。画像はカスピ海を渡るラージンと一行を描いたワシーリー・スリコフの歴史画。 エスファハーンの栄華。サファヴィー朝のシャー・アッバース1世が造営したこの都市は「世界の半分(エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン・アスト)」と讃えられた。画像はエスファハーンに建てられたシェイク・ロトフォラー・モスクの内部。 タージ・マハル。ムガル皇帝シャー・ジャハーンが絶世の美女と称えられた愛妃ムムターズ・マハルを偲んでアーグラに建てた白亜の霊廟。 アユタヤ朝の最盛期。タイでは中国・日本のみならずイギリスやオランダの貿易船も来訪し活況を呈した。画像はナーラーイ王のもとで交渉をするフランス人使節団(ロッブリーのプラ・ナーライ・ラーチャニーウエート宮殿遺跡記念碑)。 イエズス会の中国宣教。イエズス会宣教師は異文化に対する順応主義を採用し、中国の古典教養を尊重する漢人士大夫の支持を得た。画像は『幾何原本』に描かれたマテオ・リッチ(利瑪竇)と徐光啓。 ブーヴェの『康熙帝伝』でもその様子は窺える。画像は1699年に描かれた読書する40代の康熙帝の肖像。 紫禁城太和殿。明清交代の戦火で紫禁城の多くが焼亡したが、康熙帝の時代に再建がなされ現在もその姿をとどめている。 台湾の鄭成功。北京失陥後も「反清復明」を唱え、オランダ人を駆逐した台湾を根拠地に独立政権を打ち立てた。その母が日本人だったこともあり近松門左衛門の「国姓爺合戦」などを通じて日本人にも広く知られた。 江戸幕府の成立。徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利して征夷大将軍となり、以後260年余にわたる幕府の基礎を固めた。画像は狩野探幽による「徳川家康像」(大阪城天守閣蔵)。 日光東照宮。徳川家康は死後に東照大権現の称号を贈られ日光に葬られた。続く三代将軍徳川家光の時代までに豪奢で絢爛な社殿が造営された。画像は「日暮御門」とも通称される東照宮の陽明門。 歌舞伎の誕生。1603年に京都北野社の勧進興業で行われた出雲阿国の「かぶき踊り」が端緒となり、男装の女性による奇抜な演目が一世を風靡した。画像は『歌舞伎図巻』下巻(名古屋徳川美術館蔵)に描かれた女歌舞伎の役者采女。 新興都市江戸。17世紀半ばには江戸は大坂や京都を凌ぐ人口を擁するまでとなった。画像は明暦の大火で焼失するまで威容を誇った江戸城天守閣が描かれた「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)。 海を渡る日本の陶磁器。明清交代で疲弊した中国の陶磁器産業に代わり、オランダ東インド会社を通じて日本から陶磁器が数多く輸出された。画像は1699年に着工されたベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」。 海賊の黄金時代。西インド諸島での貿易の高まりはカリブ海周辺に多くの海賊を生み出した。画像はハワード・パイルが描いた「カリブ海のバッカニーア」。 スペイン副王支配のリマ。リマはこの当時スペインの南米支配の拠点であり、カトリック教会によるウルトラバロックとも呼ばれる壮麗な教会建築が並んだ。画像は1656年の大地震で大破したのちに再建されたリマのサン・フランシスコ教会・修道院。 17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。.

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