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スペイン・バスク

索引 スペイン・バスク

ペイン・バスクや南バスクは、歴史的な領域としてのバスク地方におけるスペイン領土を指す際に使用される用語である。面積は17,625km2、2010年から2011年の調査に基づく人口は1,341,607人。.

22 関係: ナバラ州ナバーラ住民連合バスク州バスク人バスク地方バスク・ナショナリズムバスク語バスク民族主義党ビスカヤ県フランシスコ・フランコフランス領バスクフエロアラバ県カルリスタ戦争カンタブリア州カスティーリャ・イ・レオン州カスティーリャ王国ギプスコア県スペインスペイン1978年憲法スペイン内戦スペイン語

ナバラ州

ナバラ州(Navarra)またはナファロア州(Nafarroa)は、スペインの自治州である。一県一州の自治州であり、ナバラ県(かつてのパンプローナ県)単独で構成される。州都はパンプローナ。スペイン語では第2音節にアクセントがあるため、ナバーラ州とも表記される。 中世のこの地域にはナバラ王国が存在し、スペイン帝国に併合された後も副王領として一定の自治権を得ていた。歴史的にはバスク地方の一部ではあるものの、フランコ体制後の(1975-1982)にはバスク州への合流を望まず、1982年にナバラ県単独でナバラ州が発足した。歴史的背景が考慮されて大きな自治権を得ており、スペインの全17自治州のうち課税自主権が認められているのはナバラ州とバスク州のみである。国家公用語であるスペイン語に加えて、一部地域では地域言語のバスク語も公用語に指定されている。.

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ナバーラ住民連合

ナバーラ住民連合(Unión del Pueblo Navarro 略称:UPN)はスペインナバーラ州の地域政党。ナバーラ地域主義政党として1979年に創設された。2015年からの党代表は。 ナバーラ住民連合(UPN)は自治州によって構成されるスペイン国家の中において、ナバーラの特別自治法(fuero)制度の保持とバスク州への統合回避を目的として、1979年に創設された。その背景には、マドリードでのバスク民族主義党(PNV)と当時の主要政党民主中道連合(UCD)、社会労働党(PSOE)、国民同盟(AP)及び高位聖職者を交えた協定において、ナバーラのバスク州への統合を可能にする仕組みが1978年憲法の暫定4版に盛り込まれたという状況があった。UPNはその創設以降、ナバーラ州政府及びパンプローナ市政を10年以上率いてきた。.

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バスク州

バスク州(Euskadi, País Vasco, Basque Country, Pays Basque)は、スペイン北部にある自治州。ピレネー山脈の西側に位置し、北側は大西洋のビスケー湾に面している。アラバ県、ビスカヤ県、ギプスコア県の3県で構成されている。 スペイン1978年憲法(現行憲法)によって、バスク州はスペインにおいて強力な自治権を得た。行政区分としてのバスク州は(バスク自治憲章: スペイン領バスクに住むバスク人の発展のための枠組みを提供する基本的な法的文書)に基づいているが、バスク人が多く住むナバーラ県はバスク州から除外され、単独でナバーラ州となった。バスク州には公式な州都は存在しないが、バスク議会やバスク州政府の本部が置かれるアラバ県のビトリア=ガステイスが事実上の州都である。もっとも人口が多い自治体はビスカヤ県のビルバオである。.

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バスク人

バスク人(バスクじん、vascos, euskaldunak)とは、ビスケー湾岸でピレネー山脈西端部にある、伝統的にバスク地方として知られる地域に元来居住している系統不明の民族。文脈によって、以下のどちらかを指す。.

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バスク地方

歴史的な領域としてのバスク地方(バスク語:Euskal Herria)は、バスク人とバスク語の歴史的な故国を指す概念である。ピレネー山脈の両麓に位置してビスケー湾に面し、フランスとスペインの両国にまたがっている。 スペイン側にはバスク州の3県とナバーラ州の計4領域があり、フランス側にはフランス領バスクの3領域がある。バスク・ナショナリズム運動の中で「サスピアク・バット」(7つは1つ)というスローガンが掲げられ、7領域からなるバスク地方の地理的範囲が示された萩尾ほか(2012)、pp.24-28。バスク地方全体の旗としてイクリニャ(バスク国旗)が、バスク地方のシンボルとしてラウブル(バスク十字)がある萩尾ほか(2012)、pp.274-275。.

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バスク・ナショナリズム

バスク・ナショナリズム(Eusko abertzaletasun, Nacionalismo vasco, Basque nationalism)またはバスク民族主義は、スペインとフランスにまたがるバスク地方の政治的・文化的な独立を求める政治運動の名称。これらを求める政治運動家はバスク・ナショナリストまたはバスク民族主義者と呼ばれる。 バスク・ナショナリズムが誕生し人気を得た主たる要因には、1876年のバスク地方におけるフエロ(地域特別法)撤廃と、1870年代以降にビスカヤ県で進展した工業化にともなう社会経済の急激な変容が挙げられる立石ほか(2002)、p.151。1979年にはスペインでバスク自治州が成立し、スペイン1978年憲法によって大幅な自治権が認められている。.

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バスク語

バスク語(バスクご、euskara)は、スペインとフランスにまたがるバスク地方を中心に分布する孤立した言語で、おもにバスク人によって話されている。スペインのバスク州全域とナバーラ州の一部ではスペイン語とともに公用語とされている。2006年現在、約66万5800人の話者がバスク地方に居住し、すべてスペイン語またはフランス語とのバイリンガルである。.

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バスク民族主義党

バスク民族主義党(バスクみんぞくしゅぎとう、Euzko Alderdi Jeltzalea, EAJ、Partido Nacionalista Vasco, PNV、Parti Nationaliste Basque, PNB) は、スペインとフランスにまたがるバスク州におけるバスク人の民族主義政党。1895年に結党され、近代のバスク民族運動を主導した。現在はスペインの国会に議員を送る地域政党であり、スペインの自治州・バスク自治州政府の政権与党である。スペインでの正式党名はEuzko Alderdi Jeltzalea-Partido Nacionalista Vascoで、略称として、両言語の略称を併記したEAJ-PNV(またはPNV-EAJ)も用いられる。日本語では、バスク民族党、バスク民族主義者党、バスク国民党などの訳も用いられる。.

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ビスカヤ県

ビスカヤ県(バスク語:Bizkaia: Bizkaiko Probintzia, カスティーリャ語:Vizcaya: Provincia de Vizcaya)は、スペイン・バスク州の北西部に位置する県。大西洋のビスケー湾に面している。県都はビルバオ。名称はバスク地方のビスカヤ領主の後継者を意味する。19世紀末と20世紀前半には周辺で採掘される鉄鉱石のおかげで工業化が進展し、スペインでもっとも裕福でもっとも重要な県のひとつとなった。1970年代には深刻な産業空洞化を経験し、サービス部門が重要性を増大させた。.

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フランシスコ・フランコ

フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ(、1892年12月4日 - 1975年11月20日)は、スペインの軍人、スペイン軍大元帥、政治家、独裁者(総統)、首相を歴任した。ガリシア出身。 一般には、フランシスコ・フランコ(、IPA: )として知られる。称号は「カウディーリョ・デ・エスパーニャ(Caudillo de España)」。.

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フランス領バスク

色い部分がフランス領バスク。水色の部分はスペイン領 フランス領バスクまたはペイ・バスク・フランセ(Pays basque français,País Vasco francés)は、現在はフランスのピレネー=アトランティック県に含まれる、かつてのバスク地方の北東部を指す名称。北バスク(Pays basque nord、Ipar Euskal Herria)とも呼ばれる。フランス領バスクは自然区分での名称で、歴史的・文化的な地方名であるが、そのものが行政体とはなっていない。 この記事では、フランス語の地名表記を優先する。.

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フエロ

フエロ(Fuero,, 複数形はフエロスFueros)は、中世から19世紀のスペインにおいて、習慣や慣習に由来する社会的慣行が法的価値を持つようになった規範、または国王などの統治者が所与の領域を治めるに際して当該領域やその住民に譲与した特権のこと関ほか(2008)、pp.343-345「フエロス体制」萩尾ほか(2012)、pp.71-75「フエロス体制」。ブルボン朝以後のフエロは後者を指した。日本語では地方特権、地方特殊法、地方特別法、地域特別法などと訳されるが、訳語は定まっていない。ラテン語のフォルム(forum)に由来し、カタルーニャ語ではフル(Fur)、ガリシア語ではフォロ(Foro)、バスク語ではフォル(Foru)と呼ばれる。 カスティーリャ王国・スペイン帝国においてはほとんどの町や共同体がフエロの諸特権を享受し、国王の受け入れがたい行動や命令に抗うための地方の防御策がフエロだったケイメン(2009)、p.15。フエロの維持はカスティーリャ王国・スペイン帝国の安定や一体化に重要な役割を果たしており、1707年にスペイン帝国がアラゴン王国とバレンシア王国のフエロを廃止した際には、スペイン帝国内部のアラゴン連合王国諸国とつながりの深い貴族集団から抗議の声が上がったほどだったケイメン(2009)、pp.23-24。特にバスク地方のフエロが有名であるため、ここではバスク地方のフエロについて述べる。バスク地方のフエロは中世後期以後に編纂され、15世紀から17世紀にかけて法典化されたが、第一次カルリスタ戦争後の1839年に縮小され、第三次カルリスタ戦争後の1876年に撤廃された。.

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アラバ県

アラバ県(バスク語:Arabako Probintzia, 、カスティーリャ語:Provincia de Álava, )は、スペイン・バスク州にある県。県都はビトリア=ガステイスであり、ビトリア=ガステイスはバスク州の州都でもある。 バスク州にある3県のひとつで、フランス領バスクを含めた歴史的なバスク地方の7県のうちのひとつ。カスティーリャ語とバスク語を公用語とし、公式表記は二言語をスラッシュ記号で併記したAraba/Álava。.

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カルリスタ戦争

ルリスタ戦争(スペイン語・ガリシア語:Guerras Carlistas、バスク語:Gerra Karlistak、カタルーニャ語:Guerres Carlines)は1833年から1876年まで3次にわたって続いた、スペインの王位継承をめぐる戦争である。だが、王位継承戦争としての形は取りつつも戦争の実態は近代化(自由主義・中央集権)か反近代化(伝統主義・教権主義・地方特権擁護)か、半島戦争後のスペインの新しい時代の体制をめぐる戦争でもあった。結果はいずれも前者のイサベル2世派の勝利に終わった。.

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カンタブリア州

ンタブリア州(Cantabria)は、スペインを構成する自治州の一つ。また、カンタブリア県はかつてはサンタンデール県(Provincia de Santander)と呼ばれ、同州は同県のみで構成される。州都は、サンタンデール。 東はバスク州、南はカスティーリャ・イ・レオン州、西はアストゥリアス州、北はカンタブリア海に面している。 カンタブリア海とカンタブリア山脈に挟まれた細長い土地に与えられた名、エスパーニャ・ベルデ(緑のスペイン)にカンタブリア州は属する。緑と呼ばれる所以は、山脈にはね返される大西洋からの風で強く影響を受ける、湿潤な海洋性気候だからである。平均の降雨量は1,200mmで、これが豊富な植物の生長を可能にしている。 カンタブリアは、歴史的には定冠詞のついた大文字のla Montañaと呼ばれていた。.

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カスティーリャ・イ・レオン州

ティーリャ・イ・レオン州(Castilla y León、レオン語:Castiella y Llión、ガリシア語:Castela e León)は、スペインを構成する自治州。 北はアストゥリアス州とカンタブリア州、東はバスク州とラ・リオハ州とアラゴン州、南東はマドリード州とカスティーリャ=ラ・マンチャ州、南はエストレマドゥーラ州、西はガリシア州とポルトガルに接している。 自治州の法には州都が定められていないが、バリャドリッドが州都の役割を果たしている。自治州政府はフンタ・デ・カスティーリャ・イ・レオン(Junta de Castilla y León)。.

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カスティーリャ王国

ティーリャ王国(カスティーリャおうこく、Reino de Castilla)は、中世ヨーロッパ、イベリア半島中央部にあった王国である。キリスト教国によるレコンキスタ(国土回復運動)において主導的役割を果たし、後のスペイン王国の中核となった。 Castillaの日本語表記は、カスティーリャ、カスティーリヤ、カスティリャ、カスティーリァ、カスティーリア、カスティリア、カスティーヤ、カスチラ、カストリヤ、カストリア、カステリヤ、カステリア、カスティージャと様々に音写されている。また菓子のカステラは、王国名のポルトガル語発音である「カステーラ」(Castela)からとされている。.

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ギプスコア県

プスコア県(バスク語:Gipuzkoa、Gipuzkoako Probintzia、カスティーリャ語: Provincia de Guipúzcoa)は、スペイン・バスク州の北部にある県。県都はサン・セバスティアン。89のムニシピオ(基礎自治体)を持つ。.

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スペイン

ペイン王国(スペインおうこく、Reino de España)、通称スペインは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める立憲君主制国家。西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接する。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリリャ、アルボラン海のアルボラン島を領有している。首都はマドリード。.

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スペイン1978年憲法

ペイン1978年憲法(カスティーリャ語:Constitución española de 1978)は、フランシスコ・フランコによる独裁政権崩壊後、スペイン民主化運動によって成立したスペインが1978年に制定した憲法を指す。現行の憲法であるため、単にスペイン憲法と呼ばれることもある。 1978年10月31日に行われた全国投票で88%の賛成票を得て、1978年12月6日に国会によって可決された。.

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スペイン内戦

ペイン内戦(スペインないせん、Guerra Civil Española、英語Spanish Civil War1936年7月 - 1939年3月)は、第二共和政期のスペインで勃発した軍事クーデターによる内戦。マヌエル・アサーニャ率いる左派の人民戦線政府(共和国派)と、フランシスコ・フランコを中心とした右派の反乱軍(ナショナリスト派)とが争った。反ファシズム陣営である人民戦線をソビエト連邦が支援し、欧米市民知識人らも数多く義勇軍として参戦、フランコをファシズム陣営のドイツ・イタリアが支持・直接参戦するなどした。.

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スペイン語

ペイン語(スペインご、)もしくはカスティーリャ語(カスティーリャご、)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語。略して西語とも書く。.

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