ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

スタイル作戦

索引 スタイル作戦

タイル作戦 (Operation Style) は、イギリス軍が1941年7月末から8月はじめに地中海でおこなった作戦。サブスタンス作戦の際作戦に参加出来なくなった船で運ばれる予定であった人員などを軽巡洋艦アリシューザ、高速機雷敷設艦マンクスマン、駆逐艦3隻によってジブラルタルからマルタへ運ぶのが目的であり、8月2日にマルタに到着し作戦は成功した。支援のために巡洋戦艦レナウン、戦艦ネルソン、空母アーク・ロイヤルなどからなるH部隊も出撃し、駆逐艦によるアルゲーロ砲撃ととアーク・ロイヤル搭載機による同地の飛行場攻撃を実施された。また、軽巡洋艦ハーマイオニーがイタリアの潜水艦テンビエンを沈めている。.

7 関係: ネルソン (戦艦)ハーマイオニー (軽巡洋艦)レナウン (巡洋戦艦)アルゲーロアーク・ロイヤル (空母・初代)サブスタンス作戦H部隊

ネルソン (戦艦)

ネルソン (HMS Nelson, 28) は、イギリス海軍の保有した戦艦。ネルソン級戦艦の1番艦でアームストロング社のニューカッスル造船所で建造された。艦名は、ナポレオン戦争当時の提督、初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソンに因む。 英、日、米海軍は、1922年より、ワシントン軍縮条約により新戦艦建造時の制限を受け、基準排水量3万5千トンに抑えられていた。そこでイギリスは基準排水量3万3千5百トン、40.6cm(45口径)9門搭載の戦艦の建造を決定した。速力23ノットとこの時期建造された戦艦としては最も低速であった。艦の前部に3連装砲塔が3基配置されていて、艦の後部に艦橋が配置された、極めて珍しい形となった。装甲は40.6cm砲搭載艦としては標準的な厚さであり、ドイツの500キロ爆弾で、水平装甲を貫通されている。意欲的かつ特徴的な主砲配置であった。 就役したネルソンは本国艦隊の旗艦となったが、第二次世界大戦が開戦するまで近代化改修も受けず重要な任務に就くこともなかった。1931年に姉妹艦のロドニーとネルソンの乗員はインヴァーゴードン反乱に参加した。1934年1月12日、西インド諸島に向かおうとしていたネルソンはポーツマス沖で座礁した。 第二次世界大戦の開戦後、ネルソンはドイツ海軍の巡洋艦・駆逐艦部隊の出撃に備えて北海に出動し、10月30日にオークニー諸島近海で潜水艦U-56の雷撃で魚雷3本が命中したが爆発せず、損傷をまぬがれた。しかし、12月にネルソンは潜水艦U-31が敷設した機雷に触雷してしまう。1940年8月に復帰したネルソンはドイツ軍のイギリス上陸(アシカ作戦)に備えてイギリス海峡に配置された。 その後、1941年4月から大西洋で船団の護衛任務に従事し、戦艦ビスマルク追撃戦の知らせが来ると、フリータウンからジブラルタルに移動してビスマルクの大西洋進出に備えた。1941年6月にはH部隊に配属され、地中海でサブスタンス作戦、ステイタス作戦、ハルバード作戦に参加した。マルタへの補給作戦であるハルバード作戦中の9月27日にネルソンはイタリア空軍機の雷撃で魚雷1本が命中し損傷。本国に戻って修理を実施した。 1942年8月にH部隊旗艦としてジブラルタルに戻り、ペデスタル作戦に参加してマルタ島への船団護衛の任に就いた。その後も地中海でトーチ作戦に参加し、1942年11月のアルジェリア上陸、1943年7月のシチリア島上陸、1943年9月のサレルノ上陸などを支援し、上陸地点の沿岸へ艦砲射撃を行った。1943年9月29日にネルソンの艦上でアイゼンハワー将軍とバドリオ元帥によるイタリアとの休戦の調印が行われた。 ネルソンは修理と対空火器と増設のため、1943年11月にイギリスに帰還した。改修工事の完了後、艦隊に復帰してノルマンディー上陸作戦を支援したが、1944年6月18日に機雷2個に触雷し、修理のためフィラデルフィア工廠(ペンシルベニア州)に向かった。 1945年11月に本国艦隊の旗艦に復帰し、1946年7月に練習戦艦へ類別変更、1947年に除籍。1949年2月にスクラップとして売却され、1949年3月15日にインヴァーキーシングにて解体された。.

新しい!!: スタイル作戦とネルソン (戦艦) · 続きを見る »

ハーマイオニー (軽巡洋艦)

ハーマイオニー (HMS Hermione, 74) は、イギリス海軍のダイドー級軽巡洋艦。ヴィガラス作戦参加中にドイツの潜水艦の雷撃によって撃沈された。.

新しい!!: スタイル作戦とハーマイオニー (軽巡洋艦) · 続きを見る »

レナウン (巡洋戦艦)

レナウン(HMS Renown)は、イギリス海軍の巡洋戦艦。レナウン級の一番艦。同型艦はレパルスおよびレジスタンス(未成艦)。 Renownとは、「有名」「高名」の意。.

新しい!!: スタイル作戦とレナウン (巡洋戦艦) · 続きを見る »

アルゲーロ

アルゲーロ(Alghero)は、イタリア共和国サルデーニャ州サッサリ県にある、人口約4万人の基礎自治体(コムーネ)。 カタルーニャ語の言語島として知られる。.

新しい!!: スタイル作戦とアルゲーロ · 続きを見る »

アーク・ロイヤル (空母・初代)

アーク・ロイヤル(HMS Ark Royal, 91) は、イギリス海軍の航空母艦。同型艦はなく、アメリカのヨークタウン級、日本の蒼龍型と併せて中型空母の完成型として並び称される優秀な空母であった。.

新しい!!: スタイル作戦とアーク・ロイヤル (空母・初代) · 続きを見る »

サブスタンス作戦

サブスタンス作戦(Operation Substance)は、第二次世界大戦中の1941年7月におこなわれたイギリス軍によるジブラルタルからマルタへの船団護衛作戦。 MC4作戦以降シチリア島のドイツ空軍の存在によりマルタへの補給は東の地中海艦隊に任されていたが、ドイツ軍のギリシャ、クレタ島占領と北アフリカでの進撃によって東側での脅威が増し西から補給船団が送られることになった。 H部隊の航空母艦アーク・ロイヤル、巡洋戦艦レナウン、軽巡洋艦ハーマイオニー、駆逐艦8隻に加え、本国艦隊から送られてきた戦艦ネルソン、軽巡洋艦エディンバラ、マンチェスター、アリシューザ、高速機雷敷設艦マンクスマン、駆逐艦8隻が船団の護衛として参加した。 7月21日に兵員輸送船Leinsterがジブラルタル沖で座礁して作戦参加不可能となり、貨物船6隻がマルタへ向かっている。 7月22日、巡洋戦艦レナウンと駆逐艦ネスターがイタリア海軍潜水艦ディアスプロ (Diaspro) に雷撃されるが、魚雷はすべて外れた。ネスターは爆雷攻撃をおこなったがディアスプロを見失った。 7月23日、サルデーニャ島南方でイタリア空軍のSM.79雷撃機とZ.1007爆撃機の攻撃を受けた。軽巡洋艦マンチェスターと駆逐艦フィアレスに魚雷が1本ずつ命中して共に大破し、フィアレスは処分された。マンチェスターは駆逐艦エイヴォン・ヴェイルに伴われてジブラルタルへ引き返した。 7月23日夕方、船団はスケルキ海峡入り口に達した。空母アーク・ロイヤルなどは引き返し、護衛は軽巡洋艦エディンバラ、アリシューザ、ハーマイオニー、高速機雷敷設艦マンクスマン、駆逐艦10隻となった。この後もイタリア軍機による攻撃は続き、駆逐艦ファイアドレイクが至近弾で損傷して駆逐艦エリッジに曳航されてジブラルタルへ後退した。 7月24日未明、パンテッレリーア島付近でイタリアの魚雷艇が船団を攻撃し、貨物船シドニー・スター (Sydney Star) が被雷した。駆逐艦ネスターがシドニー・スターの護衛につき、軽巡洋艦ハーマイオニーも護衛に派遣された。この日も空襲があったが被害は出ず、船団と護衛はすべてマルタに到着した。 作戦参加出来なかったLeinsterにより運ばれる予定であった人員、装備は後日別の作戦(スタイル作戦)で運ばれた。 Category:第二次世界大戦の地中海の戦い Category:第二次世界大戦の輸送船団 Category:1941年の戦闘 Category:1941年のイギリス王領植民地ジブラルタル Category:1941年のイギリス王領植民地マルタ Category:1941年7月.

新しい!!: スタイル作戦とサブスタンス作戦 · 続きを見る »

H部隊

H部隊(Hぶたい 英:Force H)は、イギリス海軍が第二次世界大戦中に編成した任務部隊の一つ。ただし、H部隊それ自体が「任務部隊(Task Force)」と呼称されていたわけではない。1940年にイタリアが枢軸国側として参戦し、地中海の中央部を抑えられてしまった事により、地中海西部の海軍力の空白を埋める為に編成された。地中海艦隊の主力はエジプトのアレクサンドリアにあり、終戦まで地中海東部の制海権を確保している。イタリアの降伏まで地中海西部をH部隊が、東部を地中海艦隊が活動する事になる。 H部隊はイギリス海軍の指揮系統において一風変わった位置にあった。通常のイギリス海軍部隊のあり方から考えると、ジブラルタルを基地とするH部隊は、その地域を管轄するジブラルタルの司令(北大西洋戦域司令官、Flag Officer North Atlantic)を間に挟んで、第一海軍卿の指揮下におかれることとなる。しかし実際のところH部隊は間に誰も通さず、第一海軍卿の直接指揮下におかれていた。.

新しい!!: スタイル作戦とH部隊 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »