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ゴローニン事件

索引 ゴローニン事件

ーニン事件(ゴローニンじけん、ゴロヴニン事件とも表記)は、1811年(文化8年)、千島列島を測量中であったロシアの軍艦ディアナ号艦長のヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴローニン(Василий Михайлович Головнин, Vasilii Mikhailovich Golovnin)らが、国後島で松前奉行配下の役人に捕縛され、約2年3か月間、日本に抑留された事件である。ディアナ号副艦長のと、彼に拿捕そしてカムチャツカへ連行された高田屋嘉兵衛の尽力により、事件解決が図られた。ゴローニンが帰国後に執筆した『日本幽囚記(原題:Записки флота капитана Головнина о его приключениях в плену у японцев в 1811, 1812 и 1813 годах)』により広く知られる。 ※日付は和暦。.

125 関係: 厚岸千島列島司馬遼太郎吉川弘文館吉村昭場所請負制壊血病大黒屋光太夫天明宝暦室蘭市安永 (元号)寛政岩波文庫上原熊次郎上ノ国町中川五郎治久蔵亜庭湾井上満仏教徳山大神宮得撫島ペトロパブロフスク・カムチャツキーミネルヴァ書房ハワイ諸島レモンロシアロシア帝国ロシア正教会ヴァシーリー・ゴロヴニーンディアナ号フェートン号事件ドイツ語ニコライ (日本大主教)ニコライ・レザノフ利尻島善六アレクサンドル1世アダム・ラクスマンアイヌイルクーツクウンシュウミカンエフィム・プチャーチンオランダ商館オランダ語オホーツクカムチャツカ半島キリスト教クロンシュタット...スループサンクトペテルブルク内浦湾函館市函館市中央図書館六分儀国後島国立国会図書館国書刊行会称名寺紗那郡田沼意次盛岡藩遠山景晋遠国奉行菜の花の沖蝦夷地青地林宗馬場貞由高田屋嘉兵衛高田屋顕彰館・歴史文化資料館高橋重賢高橋景保講談社文庫足立信頭露米会社間宮林蔵長崎長崎奉行長崎市若宮丸択捉島林復斎松前松前藩杉田玄白杉田成卿根室市根室海峡樺太水先人江戸泊村 (北海道根室振興局)津太夫淡路島渡辺京二服部貞勝振別郡最上徳内明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧新知島文化 (元号)文政日露関係史拿捕1754年1759年1778年1779年1786年1792年1804年1805年1806年1807年1808年1811年1812年1812年ロシア戦役1813年1814年1816年1821年1825年18世紀 インデックスを展開 (75 もっと) »

厚岸

厚岸(あっけし).

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千島列島

千島列島(ちしまれっとう)は、北海道本島の東、根室海峡からカムチャツカ半島の南、千島海峡までの間に連なる列島。クリル列島( Kuril Islands)ともいう。国後島、択捉島、得撫島、幌筵島、占守島などの島々からなる。総面積10355.61km2。 主に得撫島以北を北千島、択捉島以南を南千島と呼ぶ。また、南千島に対する日本の領有権を主張する立場から、これらの島々を北方四島(北方領土)と呼ぶことがある。日本政府は択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島を北海道の属島とし、千島列島に属さないとしている。 なお、得撫島から磨勘留島までを中部千島と呼ぶことがあり、本項でも便宜上.

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司馬遼太郎

司馬 太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。 産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。.

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吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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吉村昭

吉村 昭(よしむら あきら、1927年(昭和2年)5月1日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の小説家。 東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。1966年『星への旅』で太宰治賞を受賞。同年発表の『戦艦武蔵』で記録文学に新境地を拓き、同作品や『関東大震災』などにより、1973年菊池寛賞を受賞。現場、証言、史料を周到に取材し、緻密に構成した多彩な記録文学、歴史文学の長編作品を次々に発表。日本芸術院会員。小説家津村節子の夫。.

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場所請負制

場所請負制(ばしょうけおいせい)は、江戸時代の松前藩政下における家臣の知行形態である商場(場所)知行制から発生した、蝦夷地特有の流通制度。.

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壊血病

壊血病(かいけつびょう、scurvy、Skorbut)は、出血性の障害が体内の各器官で生じる病気。成人と小児では多少症状が異なる。.

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大黒屋光太夫

大黒屋 光太夫(だいこくや こうだゆう、宝暦元年(1751年) - 文政11年4月15日(1828年5月28日))は、江戸時代後期の伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とした回船(運輸船)の船頭。 天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島(当時はロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国した。 幕府の老中・松平定信は光太夫を利用してロシアとの交渉を目論んだが失脚する。その後は江戸で屋敷を与えられ、数少ない異国見聞者として桂川甫周や大槻玄沢ら蘭学者と交流し、蘭学発展に寄与した。甫周による聞き取り『北槎聞略』が資料として残され、波乱に満ちたその人生史は小説や映画などでたびたび取りあげられている。.

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天明

天明(てんめい)は日本の元号の一つ。安永の後、寛政の前。1781年から1789年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治、徳川家斉。.

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宝暦

宝暦(ほうれき、ほうりゃく、旧字体: 寶曆)は日本の元号の一つ。寛延の後、明和の前。1751年から1764年までの期間を指す。この時代の天皇は桃園天皇、後桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川家重、徳川家治。.

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室蘭市

室蘭市(むろらんし)は、北海道にある市。 胆振総合振興局所在地。計量特定市。市名はアイヌ語の「モ・ルエラニ」(小さな・下り路)に由来している。明治期の呼称は「モルラン」。.

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安永 (元号)

安永(あんえい)は日本の元号の一つ。明和の後、天明の前。1772年から1781年までの期間を指す。この時代の天皇は後桃園天皇、光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

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寛政

寛政(かんせい)は日本の元号の一つ。天明の後、享和の前。1789年から1801年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は第11代、徳川家斉。.

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岩波文庫

岩波文庫(いわなみぶんこ)は、株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル。1927年(昭和2年)7月10日に、ドイツのレクラム文庫を模範とし、書物を安価に流通させ、より多くの人々が手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として創刊された日本初の文庫本のシリーズ。最初の刊行作品は『新訓万葉集』などであった。.

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上原熊次郎

上原 熊次郎(うえばら くまじろう)は、江戸時代後期のアイヌ語通詞。 松前の生まれとされるが、生没年は不詳。名は有次。 東蝦夷地の請負場所で活動していたが、1807年(文化4年)に蝦夷地が幕府の直轄領となると、松前奉行所で働くようになった。ゴローニン事件に際してはヴァーシリー・ゴローニンからロシア語を学び、通訳を務めた。.

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上ノ国町

上ノ国町(かみのくにちょう)は、北海道南西部、檜山振興局管内最南端にある町。檜山郡に属する。日本海に臨む農漁業のまちである。.

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中川五郎治

中川 五郎治(なかがわ ごろうじ、明和5年(1768年) - 弘化5年9月27日(1848年10月23日)は、日本における種痘法の祖。本名・小針屋佐七、別名・中川良左衛門。陸奥国生まれで蝦夷地に渡り、択捉島の漁場の番人を務めていたが、文化露寇の際にロシア側の捕虜となりシベリアに送られ、そこで種痘法を身に付ける。ゴローニン事件の際に日本に送還され、後に松前奉行・松前藩に仕え、箱館・松前を中心に種痘法を広めた。.

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久蔵

久蔵(きゅうぞう、天明7年(1787年) - 嘉永6年6月28日(1853年8月2日))は江戸時代の水主。種痘苗を広島県にもたらした。.

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亜庭湾

亜庭湾(あにわわん)、アニワ湾()は、樺太南端に位置し、宗谷海峡に面している湾。南に開けた湾であり、西の西能登呂岬から東の中知床岬を結ぶ線より北側の海域を指す。湾岸で大きな町には大泊(コルサコフ)がある。北緯46度と亜寒帯にあるため、冬季は海氷に覆われる。 亜庭湾のうち、日本統治時代のコルサコフ周辺は、日露戦争で活躍した笠置型防護巡洋艦・千歳にちなみ「千歳湾」と呼ばれていたが、現在はロソセイ湾と呼ばれている。.

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井上満

井上 満(いのうえ みつる、1900年12月16日 - 1959年5月14日)は、ロシア文学者、翻訳家。 福岡県久留米市に生まれる。福岡県立中学明善校(現福岡県立明善高等学校)卒、1924年ハルピンの日露協会学校卒、翌年上京し文筆活動に入り、社会科学文献を翻訳。1930年ソ連大使館に勤務、ロシア事情の紹介などを行うが、1936年軍機保護法違反で逮捕され三年間下獄。出獄後はロシア文学の翻訳に従事。1941年ゴンチャロフの『フレガート艦パルラダ』を『日本渡航記』として翻訳、1943年ゴロヴニン『日本幽囚記』を翻訳する。戦後はゴンチャロフの『断崖』『オブローモフ』などのほか、ロシア文学を多数翻訳、また日ソ親善協会を創立、日ソ学院を創立し副学院長を勤めた。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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徳山大神宮

徳山大神宮(とくやまだいじんぐう)は、北海道松前郡松前町にある神社である。旧社格は郷社。渡島一宮と称される。.

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得撫島

得撫島北東部にある見嶋湾。遠景の岬の日本が建てた灯台の周りには、ウルップソウの大群落がある。 得撫島(うるっぷとう)は、千島列島にある島。ロシア名はウループ島 (Остров Уруп)、英語表記はUrup。 島の名前の由来は、アイヌ語で「紅鱒」を意味する「ウルㇷ゚」から。知里真志保の著書にもこのことが記してある。.

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ペトロパブロフスク・カムチャツキー

ペトロパブロフスク・カムチャツキー(ピトロパーヴロフスク・カムチャーツキイ )はロシア連邦極東連邦管区カムチャツカ地方の都市である。.

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ミネルヴァ書房

株式会社ミネルヴァ書房(ミネルヴァしょぼう)は、日本の学術専門書出版社。京都市山科区に本社を置いている。.

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ハワイ諸島

NASAの人工衛星写真に基づくハワイ諸島の合成画像(2002年) ハワイ諸島(ハワイしょとう、)は、北緯19度から29度の間、北太平洋の北西部微南東部方向にある、多数の島と環礁からなる諸島である。行政上のハワイ諸島はアメリカ合衆国の領土であるが、地理学による六大州の分類ではオセアニアに属し、オセアニアの海洋部の分類ではポリネシアに属している(ハワイ諸島北西にあるミッドウェー環礁がポリネシアの最北端とされる)。 一直線に並ぶハワイ諸島は、ホットスポットによる火山形成とプレート(太平洋プレート)の移動によって成立した。さらに北西には水没した火山(海山)も連なっており、ハワイ-天皇海山群を形成している。 諸島の名を日本では「ハワイ(諸島)」と呼び倣わしているが、「ハワイ」のハワイ語はhawaiʻiであり、iʻiは母音の連続ではなく2つのiの間に声門閉鎖音の子音が挟まって「ハワイッイ」に近い発音となる。.

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レモン

レモンの蕾と花 レモン(檸檬、lemon、学名: )は、ミカン科ミカン属の常緑低木、またはその果実のこと。柑橘類のひとつであり、なかでも主に酸味や香りを楽しむ、いわゆる香酸柑橘類に属する。 レモンの近縁種の一つ、シトロンの別名がで、クエン酸の名はこれに由来する。.

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ロシア

ア連邦(ロシアれんぽう、Российская Федерация)、またはロシア (Россия) は、ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家。.

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ロシア帝国

ア帝国(ロシアていこく、 ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年から1917年までに存在した帝国である。ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、外満州などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフがロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。.

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ロシア正教会

ア正教会(ロシアせいきょうかい、Русская Православная Церковь、Russian Orthodox Church)は、正教会に属するキリスト教の教会であり、数多くある独立正教会の一つである。 正教会は一カ国に一つの教会組織を具えることが原則だが(ロシア正教会以外の例としてはギリシャ正教会、グルジア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、日本正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳ではなく、同じ信仰を有している。 教派名は「正教」「正教会」であり、「ロシア正教」「ロシア正教会」は主にロシア連邦・近隣地域を管轄する一教会組織名である。 本項では日本正教会による訳語を断りなく用いる場合がある。 17世紀の奉神礼改革に反対し古い奉事方法を守ったために主流派ロシア正教会から追放された古儀式派は、自らこそが正統なロシア正教会だとしている。.

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ヴァシーリー・ゴロヴニーン

ヴァシーリー・ミハーイロヴィチ・ゴロヴニーン(Василий Михайлович Головнин, Vasilii Mikhailovich Golovnin、1776年4月19日(ユリウス暦4月8日) - 1831年7月11日(ユリウス暦6月29日))はロシア帝国(ロマノフ朝)の海軍軍人、探検家、学者。ゴロヴニン、ゴローヴニン、ゴロブニン、ゴローブニン、あるいはワシーリー・ゴローニンとも。日本語ではゴロウニン、ゴローウニンとも。.

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ディアナ号

沈没するフリゲート「ディアナ号」 ディアナ号(ディアナごう)は、船の名前。日本では、19世紀のロシア海軍の軍艦として2隻の船が比較的に知られている。ほかにも、19世紀のロシアの軍艦として「ディアナ (ロシアの防護巡洋艦)」(en, パルラーダと同型)が存在する。音写表記としてはジアーナとも。.

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フェートン号事件

フェートン号事件(フェートンごうじけん)は、文化5年8月(1808年10月)、鎖国体制下の日本の長崎港で起きたイギリス軍艦侵入事件。ヨーロッパにおけるナポレオン戦争の余波が極東の日本にまで及んだものである。.

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ドイツ語

ドイツ語(ドイツご、独:Deutsch、deutsche Sprache)は、インド・ヨーロッパ語族・ゲルマン語派の西ゲルマン語群に属する言語である。 話者人口は約1億3000万人、そのうち約1億人が第一言語としている。漢字では独逸語と書き、一般に独語あるいは独と略す。ISO 639による言語コードは2字が de、3字が deu である。 現在インターネットの使用人口の全体の約3パーセントがドイツ語であり、英語、中国語、スペイン語、日本語、ポルトガル語に次ぐ第6の言語である。ウェブページ数においては全サイトのうち約6パーセントがドイツ語のページであり、英語に次ぐ第2の言語である。EU圏内では、母語人口は域内最大(ヨーロッパ全土ではロシア語に次いで多い)であり、話者人口は、英語に次いで2番目に多い。 しかし、歴史的にドイツ、オーストリアの拡張政策が主に欧州本土内で行われたこともあり、英語、フランス語、スペイン語のように世界語化はしておらず、基本的に同一民族による母語地域と、これに隣接した旧支配民族の使用地域がほとんどを占めている。上記の事情と、両国の大幅な領土縮小も影響して、欧州では非常に多くの国で母語使用されているのも特徴である。.

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ニコライ (日本大主教)

ニコライ(修道誓願前の姓:カサートキン、Николай (Касаткин), 1836年8月1日(ロシア暦) - 1912年2月16日(グレゴリオ暦))は日本に正教を伝道した大主教(肩書きは永眠当時)。日本正教会の創建者。正教会で列聖され、亜使徒の称号を持つ聖人である。 「ロシア正教を伝えた」といった表現は誤りであり(後述)、ニコライ本人も「ロシア正教を伝える」のではなく「正教を伝道する」事を終始意図していた牛丸康夫『日本正教史』22頁、日本ハリストス正教会教団府主教庁 (1978/05) ASIN B000J8IFP0。 ニコライは修道名で、本名はイヴァーン・ドミートリエヴィチ・カサートキン(Иван Дмитриевич Касаткин)。日本正教会では「亜使徒聖ニコライ」と呼ばれる事が多い。日本ではニコライ堂のニコライとして親しまれた。 神学大学生であった頃、在日本ロシア領事館附属聖堂司祭募集を知り、日本への正教伝道に駆り立てられたニコライは、その生涯を日本への正教伝道に捧げ、日露戦争中も日本にとどまり、日本で永眠した。.

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ニコライ・レザノフ

ニコライ・レザノフ ニコライ・ペトロヴィチ・レザノフ(Nikolai Petrovich Rezanov, Никола́й Петро́вич Реза́нов, 1764年4月8日(ユリウス暦3月28日) - 1807年3月13日)は、ロシア帝国の外交官。極東及びアメリカ大陸への進出に関わり、ロシアによるアラスカおよびカリフォルニアの植民地化を推進した。 露米会社(ロシア領アメリカ毛皮会社)を設立したほか、クルーゼンシュテルンによるロシア初の世界一周航海(1803年)を後援し、自ら隊長として日本まで同行した。この日本来航(1804年、文化元年)はアダム・ラクスマンに続く第2次遣日使節としてのものである。露日辞書のほか多くの著書は、自身も会員だったサンクトペテルブルクのロシア科学アカデミーの図書館に保存されている。彼は40代で死んだが、その早い死はロシアおよびアメリカ大陸の運命に大きな影響を与えた。.

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利尻島

遠別町から見た利尻島 利尻島 利尻島(りしりとう)は、北海道の北部、日本海上に浮かぶほぼ円形の島である。面積182.11km2。日本の島嶼部で18番目に広い面積を有している。島内には利尻富士町と利尻町の自治体があり、『平成22年住民台帳人口・世帯数』における島の総人口は約5,400人である。北には礼文水道を挟み礼文島が浮かぶ。.

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善六

善六(ぜんろく、明和6年(1769年) - 文化13年(1816年)頃)とは江戸時代後期の船乗り(水主)である。ロシア帝国に漂着してロシアに帰化し、日本語の通訳となった。 また、確実な記録に残っている中ではデンマーク、グレートブリテン島、カナリア諸島、ブラジル、ポリネシア(マルキーズ諸島、ハワイ諸島)を訪れた最初の日本人の1人であるただしグレートブリテン島やハワイについては上陸していないため、最初にグレートブリテン島に上陸した日本人は天保3年(1835年)の音吉ら宝順丸漂流民3名、ハワイに上陸した日本人は文化3年(1806年)の平原善松ら稲若丸漂流民8名である。しかし両地域ともそれ以前に訪れた日本人がいるという異説もある。。.

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アレクサンドル1世

アレクサンドル1世(、アレクサンドル・パヴロヴィチ・ロマノフ、、1777年12月23日 - 1825年12月1日)は、ロマノフ朝第10代ロシア皇帝(在位:1801年3月23日 - 1825年12月1日)、初代ポーランド立憲王国国王(アレクサンデル1世、在位:1815年6月9日 - 1825年12月1日)、初代フィンランド大公(アレクサンテリ1世、在位:1809年9月17日 - 1825年12月1日)。 皇帝パーヴェル1世と皇后マリア・フョードロヴナの第1皇子。父帝暗殺後に帝位を継承し、当初は自由主義的改革を志向して開明的な政策をとったが、ナポレオン戦争を経て、治世後半は強権的反動政治に転じた。外交政策では、ナポレオン1世失脚後開かれたウィーン会議で主導的な役割を演じ、以後のヨーロッパにおける君主主義、正統主義的反動体制の確立に尽力した。また、キリスト教倫理観に基づく神聖同盟を結成してヨーロッパ諸国のあらゆる自由主義運動や国民主義運動の弾圧に協力した他、オスマン帝国に対する対イスラム十字軍を目論んだ。アレクサンドル1世の治世中、ロシア帝国はフィンランドとポーランドを獲得した。歴代皇帝中、最も複雑怪奇な性格の持ち主とされ、矛盾に満ちていた。.

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アダム・ラクスマン

アダム・ラクスマン アダム・キリロヴィチ・ラクスマン(露:Адам Кириллович Лаксман、瑞:Adam Laxman、1766年 - 1806年以降)は、ロシア帝国(ロマノフ朝)の軍人で陸軍中尉、北部沿海州ギジガ守備隊長。ロシア最初の遣日使節。父はフィンランド生まれの博物学者キリル・ラクスマンで、漂流民大黒屋光太夫の保護と帰国に尽力した人物。アダム・ラックスマンとも表記される。.

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アイヌ

アイヌは、北海道・樺太・千島列島およびカムチャツカ半島南部にまたがる地域に居住していた民族。母語はアイヌ語。 1878年(明治11年)、イギリス人旅行家・イザベラ・バードが北海道の日高地方でスケッチしたアイヌ民族の男性。 アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが1923年(大正12年)に出版された知里幸恵のアイヌ神謡集では、その発音を、ローマ字で表記するなどの工夫がされている。、生業の毛皮や海産物などをもって、アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。 1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、各々の領土が確定した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。.

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イルクーツク

イルクーツク(ロシア語:Иркутскイルクーツク、ブリヤート語:Erkhüü、英語:Irkutsk)は、ロシアのシベリア地方(北緯52°17′、東経104°16′)に位置する都市で、イルクーツク州の州都。人口は約59万人。 首都モスクワからはシベリア鉄道で繋がっており、ロシア極東地域とウラル・中央アジアを繋ぐシベリア東部の工商および交通の要衝である。ロシア正教会の大主教座が置かれ、劇場、オペラ座などの文化施設も充実する。これらの公共建築にはシベリアに抑留された日本人によって建てられたものも多い。しかし、現在では在留日本人は僅少。また、街並みの美しさから「シベリアのパリ」と呼ばれることもある。 街はバイカル湖西岸内陸にあたり、イルクート川とバイカル湖から流れ出るアンガラ川(どちらもエニセイ川の支流)の合流地点の右岸に位置する。.

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ウンシュウミカン

ウンシュウミカン(温州蜜柑、学名:Citrus unshiu)は、ミカン科の常緑低木またはその果実のこと。様々な栽培品種があり、食用として利用される。.

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エフィム・プチャーチン

フィーミー(エフィーム)・ヴァシーリエヴィチ・プチャーチン(Евфимий(Ефим) Васильевич Путятин、Jevfimij Vasil'jevich Putjatin、1803年11月8日(グレゴリオ暦11月20日) - 1883年10月16日(グレゴリオ暦10月28日))は、ロシア帝国(ロマノフ朝)の海軍軍人、政治家、教育大臣(在任期間:1861年6月26日 – 1861年12月25日)。 1853年、日本に来航し日露和親条約を締結するなど、ロシア帝国の極東における外交で活躍した。.

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オランダ商館

ランダ商館(オランダしょうかん)は、オランダ東インド会社によって設けられた貿易の拠点。.

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オランダ語

ヨーロッパにおける低地フランク語の分布 オランダ語(オランダご、Nederlands )は、インド・ヨーロッパ語族の西ゲルマン語群に属し、オランダおよびベルギー北部を中心に2300万人以上が使っている言語。ベルギー方言はフラマン語と言うことがある。 日本語では現在は主にオランダ語と言うが、江戸時代には蘭語(らんご)とも呼ばれ、今でも蘭(らん)という略称が広く使われている。.

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オホーツク

ホーツク(ロシア語:Охо́тск、アホーツク)は、オホーツク海に面したロシアのハバロフスク地方に属する町(都市型集落)である。人口は1989年国勢調査で9,298人、2002年国勢調査で5,738人、2004年の推計では5,500人。.

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カムチャツカ半島

ムチャツカ半島(カムチャツカはんとう、ロシア語:Полуостров Камчатка パルオーストラフ・カムチャートカ、あるいはカムチャッカ)は、ユーラシア大陸の北東部にある半島である。南南西方向に伸びた半島であり、面積は472,300km2、長さ1,250km。気候は亜寒帯気候からツンドラ気候。全域がロシア連邦の領土であり、以前は南部がカムチャツカ州、北部がコリャーク自治管区に属していたが、2007年7月に両地域が合併してカムチャツカ地方となった。日本では、古くは勘察加(かむさすか)と呼んでいた。.

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キリスト教

リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.

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クロンシュタット

1888年の地図(湾内の島がクロンシュタット) 海の大聖堂,高さは約70m,1903–1913の建築 クロンシュタット(Кронштадт, Kronstadt)はサンクトペテルブルク中心から北西に約32km、フィンランド湾に浮かぶコトリン島に位置する都市。行政的にはサンクトペテルブルク市クロンシュタット区に属する。人口は44,727人(2001年)。バルチック艦隊の軍港がある。 1921年のクロンシュタットの反乱のほか、聖人クロンシュタットのイオアンで知られる。.

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スループ

ループ(、)とは、.

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サンクトペテルブルク

'''サンクトペテルブルク周辺の人工衛星写真'''ラドガ湖から南西に流れ出したネヴァ川は北西に流路を変え、フィンランド湾最深部に流れ込む。サンクトペテルブルクの街はネヴァ川河口の三角州を中心に発達した。 サンクトペテルブルク(Санкт-Петербург,, IPA: )は、バルト海東部のフィンランド湾最東端に面するネヴァ川河口デルタに位置するロシア西部の都市、レニングラード州の州都。1917年までロシア帝国の首都であった。 都市建設ののち、第一次世界大戦まで(1703年 - 1914年)はペテルブルク(Петербург)、第一次世界大戦開戦以降(1914 - 24年)はペトログラード(Петроград)、ソビエト連邦時代(1924 - 91年)はレニングラード(Ленинград)と呼ばれた。.

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内浦湾

ペースシャトルからのレーダーイメージ(2000年2月17日、毛利衛らによるShuttle Radar Topography Mission) 長万部海岸の夜明け 八雲町南部から北海道駒ヶ岳を望む 内浦湾(うちうらわん)は、北海道の南西部と渡島半島によって、北と西と南の三方を囲まれた湾である。噴火湾や胆振湾ともいわれる。.

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函館市

函館市(はこだてし)は、北海道にある市である。渡島総合振興局所在地。札幌市、旭川市に次ぐ北海道第三の人口約26万人を有する中核市。.

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函館市中央図書館

函館市中央図書館(はこだてしちゅうおうとしょかん)は、北海道函館市にある公立図書館。 1907年(明治40年)に、後に市立函館図書館初代館長となる岡田健蔵が開設した「函館毎日新聞緑叢会附属図書室」を嚆矢とし、会員制の「私立函館図書館」を経て、1928年(昭和3年)に市立図書館が開設された。その後、市街の拡大に伴い地区図書室が開設され、現在、函館市が管理する図書館は、五稜郭にある中央図書館のほか5ヶ所の地区図書室(千歳、港、湯川、旭岡、美原)、1ヶ所の配本所(桔梗)となっている。このほか、移動図書館「ともしび号」を運行している。全館の蔵書数は約81万冊・点、年間の貸出数は約156万冊・点である。 なお、江戸時代以前からの古文書・古地図などの郷土資料や、函館にゆかりのある石川啄木関連のコレクション「啄木文庫」も所蔵しており、郷土資料についてはデジタルアーカイブとしてネット上に一部公開している。.

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六分儀

六分儀(ろくぶんぎ、Sextant)とは天体や物標の高度、水平方向の角度を測るための道具である。弧が60°(360°の六分の一)であるところからこの名がついた。1757年に発明された。 天体の高度測定、自身の位置の割り出しなどに利用される。すなわち、大型の六分儀がおもに天体観測用に使われたのに対して、小型の六分儀は船舶の天測航法用に使用された。 また、六分儀にちなんでろくぶんぎ座という星座もある。.

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国後島

国後島(くなしりとう)は、北海道知床半島の東にあり、千島列島(ロシア語地名:クリル諸島 Курильские острова)の最南に位置する島。ロシア名はクナシル島(Остров Кунашир)、英語表記はKunashirである。 島の名前の由来は、アイヌ語の「クンネ・シリ(黒い・島→黒い島)」または「キナ・シリ/キナ・シル(草の・島→草の島)」からであるが、どちらが本当の由来かははっきりとしていない。この島に先住していたアイヌ人はアイヌ語で「クナシル」と呼んでおり、日本語名もロシア語名も国際標記もこれに起源を持つ。.

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国立国会図書館

国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん、英称:)は、日本の国会議員の調査研究、行政、ならびに日本国民のために奉仕する図書館である。また、納本制度に基づいて、日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館である。設置根拠は国会法第130条及び国立国会図書館法第1条。 国立国会図書館は、日本の立法府である国会に属する国の機関であり、国会の立法行為を補佐することを第一の目的とする議会図書館である。同時に、納本図書館として日本で唯一の国立図書館としての機能を兼ねており、行政・司法の各部門および日本国民に対するサービスも行っている。バーチャル国際典拠ファイルに参加している。 施設は、中央の図書館と、国立国会図書館法3条に定められた支部図書館からなる。中央の図書館として東京本館(東京都千代田区永田町)および関西館(京都府相楽郡精華町精華台)が置かれ、また東京本館に付属して国会分館がある。 支部図書館としては国際子ども図書館(東京都台東区上野公園)のほか、司法機関に1館(最高裁判所図書館)、国立国会図書館法の規定により行政各部門に置かれる支部図書館及びその職員に関する法律(昭和24年法律第101号。支部図書館法)に基づいて行政機関に26館が置かれる。.

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国書刊行会

株式会社国書刊行会(こくしょかんこうかい、Kokushokankokai Inc.)は、東京都板橋区に本社を置く日本の出版社。1971年設立。.

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称名寺

名寺、正字: 稱名寺(しょうみょうじ)は仏教の寺院で各地に存在する。.

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紗那郡

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田沼意次

沼 意次(たぬま おきつぐ)は、江戸時代中期の旗本、のち大名、江戸幕府老中。遠江相良藩の初代藩主である。相良藩田沼家初代。.

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盛岡藩

盛岡藩(もりおかはん)は、陸奥国北部(明治以降の陸中国および陸奥国東部)、すなわち現在の岩手県中部から青森県東部にかけての地域を治めた藩。一般に南部藩とも呼ばれるが、後に八戸藩と七戸藩が分かれるなどの変遷を経る。藩主は南部氏で、居城は盛岡城(陸中国岩手郡、現在の岩手県盛岡市)である。家格は外様大名で、石高は長らく表高10万石であったが、内高はこれより大きく、幕末に表高20万石に高直しされた。 同じ南部氏領の八戸藩、支藩の七戸藩(盛岡新田藩)があるが、八戸藩の詳細を除き、ここにまとめて記述する。.

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遠山景晋

遠山 景晋(とおやま かげくに / かげみち)は、江戸時代後期の江戸幕府の幕臣。永井直令の四男で、遠山景好の養子。通称は金四郎。左衛門尉は官職名。隠居後は楽土。.

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遠国奉行

遠国奉行(おんごくぶぎょう)は、江戸幕府の役職の一つ。江戸以外の幕府直轄領(御料(幕領・天領))のうち重要な場所に置かれ、その土地の政務をとりあつかった奉行。役方に分類される。遠国奉行首座は長崎奉行。.

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菜の花の沖

『菜の花の沖』(なのはなのおき)は、1979年4月から1982年1月まで『産経新聞』に連載された司馬遼太郎の長編小説である。1982年5月 - 11月に文藝春秋で全6巻が刊行された。は文春文庫全6巻(改版2000年)と、『司馬遼太郎全集 42・43・44』(文藝春秋)に収録される。.

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蝦夷地

蝦夷地(えぞち)は、日本人がアイヌの居住地を指して用いた言葉で、江戸時代に使われた。和人地の対語である。渡島半島周辺を除く現在の北海道を中心に、樺太と千島列島を含む。なお、アイヌ人はそれらの島々をアイヌモシリと呼んだ。.

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青地林宗

青地 林宗(あおち りんそう、安永4年(1775年) - 天保4年2月22日(1833年4月11日))は日本の蘭学者。名を盈(えい)、字を子遠、通称は林宗(りんそう)、号を芳滸(ほうこ)。門弟に堀内素堂。.

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馬場貞由

場 貞由(ばば さだよし、天明7年(1787年)-文政5年7月27日(1822年9月12日))は、江戸時代後期のオランダ通詞・蘭学者。佐十郎(さじゅうろう)の通称で知られる。号は穀里(こくり)。.

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高田屋嘉兵衛

屋 嘉兵衛(たかたや かへえ、明和6年1月1日(1769年2月7日) - 文政10年4月5日(1827年4月30日))は、江戸時代後期の廻船業者、海商である。幼名は菊弥。淡路島で生まれ、兵庫津に出て船乗りとなり、後に廻船商人として蝦夷地・箱館(函館)に進出する。国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、箱館の発展に貢献する。ゴローニン事件でカムチャツカに連行されるが、日露交渉の間に立ち、事件解決へ導いた。.

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高田屋顕彰館・歴史文化資料館

屋顕彰館・歴史文化資料館(たかたやけんしょうかん・れきしぶんかしりょうかん)は兵庫県洲本市のウェルネスパーク五色・高田屋嘉兵衛公園内にある同市出身の海商高田屋嘉兵衛をテーマとする博物館である。菜の花ホール(なのはなホール)の別称がある。.

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高橋重賢

橋 重賢(たかはし しげかた)は、江戸時代後期の旗本。通称・三平。幼名・吉之丞。号・竹里。蝦夷地の前期幕領時代に10年余り箱館(松前)奉行支配吟味役として働き、ゴローニン事件では日本側代表としての交渉相手となった。その後、佐渡奉行、松前奉行、長崎奉行などを歴任。長崎奉行時代にはシーボルトに協力し、鳴滝塾の開設を許可した。.

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高橋景保

上野源空寺にある高橋景保墓(左手前)。奥に高橋至時・伊能忠敬の墓が並んでいる。 高橋 景保(たかはし かげやす、天明5年(1785年) - 文政12年2月16日(1829年3月20日))は、江戸時代後期の天文学者。通称、作左衛門。天文学者である高橋至時の長男として大坂に生まれた。渋川景佑の兄。.

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講談社文庫

講談社文庫(こうだんしゃぶんこ)は、株式会社講談社が発行している文庫レーベル。1971年に創刊された。広義では講談社学術文庫や講談社文芸文庫などを含む講談社から出されている文庫全体を指し、狭義では講談社文庫のみを指す。.

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足立信頭

足立 信頭(あだち のぶあきら、通称、左内、明和6年(1769年)- 弘化2年7月1日(1845年8月3日))は江戸時代後期の天文学者、幕臣である。字を子秀、号は渓隣。子に足立信順(重太郎)。.

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露米会社

露米会社(ろべいかいしゃ。Russian-American Company、Российско-американская компания)は、極東と北アメリカでの植民地経営と毛皮交易を目的とした、ロシア帝国の国策会社・勅許会社である。1799年、パーヴェル1世から、官僚・外交官のニコライ・レザノフへの勅許により成立した。.

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間宮林蔵

間宮林蔵(松岡映丘・画) 宗谷岬にある間宮林蔵の銅像 間宮 林蔵(まみや りんぞう、安永9年(1780年) - 天保15年2月26日(1844年4月13日))は江戸時代後期の徳川将軍家御庭番、探検家。樺太(サハリン)が島である事を確認し間宮海峡を発見した事で知られる。近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれる。名は倫宗(ともむね)。元武家の帰農した農民出身であり、幕府で御庭番をつとめた役人であった。生年は安永4年(1775年)とも。.

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長崎

長崎(ながさき).

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長崎奉行

長崎奉行(ながさきぶぎょう)は江戸幕府の遠国奉行の一つ。遠国奉行首座。.

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長崎市

佐山から望む長崎市街地。長崎市の夜景は世界新三大夜景・日本三大夜景にも数えられている。 長崎市(ながさきし)は、九州の北西部に位置する都市で、長崎県の県庁所在地である。国から中核市に指定されている。 古くから、外国への玄関口として発展してきた港湾都市である。江戸時代は国内唯一の貿易港出島を持ち、ヨーロッパ(主にオランダ)から多くの文化が入ってきた。外国からの文化流入の影響や、坂の多い街並みなどから、日本国内の他都市とは違った景観を保持している。 人口は長崎県で最大である。市域面積の13.1%である市街地に人口の約78%が住み、市街地の人口密度は7,900人/km2となっている。人口密度が高いため山間部にも建物が密集する。.

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若宮丸

若宮丸(わかみやまる)は、仙台藩指定の廻船問屋米沢屋平之丞の持ち船で、24反帆、800石積みの千石船。.

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択捉島

択捉島(えとろふとう、)は、千島列島南部に位置する島。日本では固有の領土であるとしているが、現在はロシア連邦が実効支配している。 地名の由来は、アイヌ語の「エトゥ・ヲロ・プ(岬の・ある・所)」から。ロシア名はイトゥルップ島(ロシア語: Итуруп)。.

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林復斎

林 復斎(はやし ふくさい)は、江戸時代末期の儒学者、外交官。幕府朱子学者林家当主。復斎は号。岩瀬忠震、堀利煕は甥にあたる。.

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松前

松前(まつまえ).

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松前藩

松前藩(まつまえはん)は、渡島国津軽郡(現在の北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩である。藩主は江戸時代を通じて松前氏であった。後に城主となり同所に松前福山城を築く。居城の名から福山藩とも呼ばれる。慶応4年、居城を領内の檜山郡厚沢部町の館城に移し、明治期には館藩と称した。家格は外様大名の1万石格、幕末に3万石格となった。 江戸時代初期の領地は、現在の北海道南西部。渡島半島の和人地に限られた。残る北海道にあたる蝦夷地は、しだいに松前藩が支配を強めて藩領化した。藩と藩士の財政基盤は蝦夷地のアイヌとの交易独占にあり、農業を基盤にした幕藩体制の統治原則にあてはまらない例外的な存在であった。江戸時代後期からはしばしば幕府に蝦夷地支配をとりあげられた。.

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杉田玄白

杉田 玄白(すぎた げんぱく、享保18年9月13日(1733年10月20日)文化14年4月17日(1817年6月1日))は、江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩医。私塾天真楼を主催。 父は杉田玄甫、母は八尾氏の娘。 杉田氏は近江源氏である佐々木氏の支族である真野氏の家系。後北条氏に仕えた真野信安のときに間宮姓に改め、子の長安の代に復姓。医家としては、玄白で3代目にあたる。同時代に活躍し、間宮海峡にその名を残す探検家である間宮林蔵は同族である。.

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杉田成卿

杉田 成卿(すぎた・せいけい、文化14年11月11日(1817年12月18日) - 安政6年2月19日(1859年3月23日))は江戸時代・幕末期の蘭学者。名は信、成卿は字。号を梅里、または天真楼と称する。.

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根室市

ア語が併記された道路標識 根室市(ねむろし)は、北海道本島の最東端にあたる市で、北海道根室振興局の所在地である。.

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根室海峡

根室海峡(ねむろかいきょう)は、北海道本島と国後島の間の海峡。南北に伸びる海峡であり、北海道根室市の納沙布岬から斜里郡斜里町の知床岬までの長さで、最狭部は約17km。ロシア語では、国後島の北側をクナシルスキー海峡(Кунаширский пролив)と呼び、南側の納沙布岬の先端の珸瑤瑁水道の部分はソビエツキー海峡 пр.Советский)と呼んでいる。納沙布岬から対岸の貝殻島(ロシア語地名、シグナルヌイ島 О.)まではわずか3.7kmで、その中間にはロシアが主張する領海の境界を示すブイが設置されている。 根室海峡岸の国後島内に所在する、ロシア国境警備隊施設。 最狭部は野付郡別海町にある野付半島の龍神崎と国後島のケラムイ崎(ロシア語地名、ビエスロ岬 м.)の間。この最狭部を特に野付水道(ロシア語地名イズメナ海峡 пр.Измены)と呼ぶ。対岸は、北方四島の一つ国後島の国後郡泊村(ロシア語地名ガラブニノГоловинино)。ここには、ロシア国境警備隊の大規模な基地が設けられており、海峡の交通や北海道本土の様子を24時間監視している。 太平洋戦争終戦直後にソビエト連邦軍が全千島列島を占領し、現在はソ連を継承したロシア連邦が実効支配を続けているため、この海峡が事実上の国境となっている。.

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樺太

樺太(からふと)、樺太島(からふととう、、)、サハリン、サハリン島は、ユーラシア大陸の東方、オホーツク海の南西部にあるロシア連邦サハリン州の島。広義の日本列島に含む場合もある。南北約948km、東西の幅最大約160kmで南北に細長い。面積76,400kmは世界第22位で21位の北海道(78,073km)より若干小さい。人口約50万人。最大都市はサハリン州の州都でもあるユジノサハリンスク(人口約18万人)。 樺太は、日露戦争後のポーツマス条約により北緯50度線を境界に南北に分割され、それぞれ異なる沿革を経たため、ここでは北緯50度以北を「北樺太」(または「北サハリン」)、以南を「南樺太」と表記する。 現在、サハリンプロジェクトが進められている。.

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水先人

水先人(みずさきにん、Pilot)とは、多数の船舶が行き交う港や海峡、内海において、それらの環境に精通することが困難な外航船や内航船の船長を補助し、船舶を安全かつ効率的に導く専門家のことをいい、日本では職務を行う区域(水先区)毎に水先人免許(国家資格)が必要。 日本語で一般には「水先案内人(みずさきあんないにん)」と呼ばれることの方が多く、正式名称の「水先人」は法律用語である仲之薗郁夫著『海のパイロット物語』成山堂書店 2002年1月28日初版発行 ISBN 4-425-94651-0。これに派生して、船舶に限らず様々な事柄に対しても、先導して行く先を示し、導く人のことを「水先案内人」「水先案内」と呼ぶ。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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泊村 (北海道根室振興局)

泊村(とまりむら)は、北海道根室振興局国後郡の国後島の西半分を占める村。2017年現在泊村を含む北方領土に日本の施政権は及んでおらず、法律上のみ存在する村となっている。 当該地域の領有権に関する詳細は千島列島及び北方領土問題の項目を、現状に関してはサハリン州#南クリル管区の項目を参照のこと。.

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津太夫

津太夫一行の航海図(国立公文書館) 津太夫(つだゆう、延享元年(1744年) - 文化11年7月29日(1814年9月12日))は江戸時代後期の水主(かこ)。 49歳の時に嵐にあって漂流し、儀兵衛、左平、太十郎ら3名と共に、図らずも日本人初の世界一周を果たした。.

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淡路島

淡路島(あわじしま)は、瀬戸内海東部に位置し、瀬戸内海では最大の島で、人口は離島の中では最も多い。令制国の淡路国の主要国域を占める。近畿地方の兵庫県に属し、現在は北から淡路市・洲本市・南あわじ市の3市で区分される。.

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渡辺京二

渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - )は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。.

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服部貞勝

服部 貞勝(はっとり さだかつ、宝暦11年(1761年) - 文政7年5月22日(1824年6月18日))は、江戸時代後期の旗本。松前奉行、勘定奉行などを務めた。旗本服部貞徳の長男。母は酒井忠香の養女。通称は久太郎、頼母、久右衛門。官位は従五位下備後守、のちに伊賀守。室は高家旗本の戸田氏朋の娘。子女に服部貞陽ら。.

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振別郡

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最上徳内

最上 徳内(もがみ とくない、宝暦4年(1754年) - 天保7年9月5日(1836年10月14日))は、江戸時代中後期の探検家であり江戸幕府普請役。出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)出身。元の姓は高宮(たかみや、略して高(こう)とも)。諱は常矩(つねのり)。幼名は元吉。通称は徳内、億内。字は子員。鶯谷、甑山、白虹斎と号した。父は間兵衛で長男。妻はふで(秀子)、子は2男3女。生年は宝暦5年(1755年)とも。 実家は貧しい普通の農家であったが、学問を志して長男であるにもかかわらず家を弟たちに任せて奉公の身の上となり、奉公先で学問を積んだ後に師の代理として下人扱いで幕府の蝦夷地(北海道)調査に随行、後に商家の婿となり、さらに幕府政争と蝦夷地情勢の不安定から、一旦は罪人として受牢しながら後に同地の専門家として幕府に取り立てられて武士になるという、身分制度に厳しい江戸時代には珍しい立身出世を果たした(身分の上下動を経験した)人物でもある。.

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明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧

明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧(めいじいしんいぜんににほんににゅうこくしたおうべいじんのいちらん)は、明治維新以前に、日本の領土に上陸、滞在した、ウィキペディア内に既に記事が執筆されている(または近日中に執筆される予定の)欧州人および米国人の一覧である。自分の意思に反しての漂流もしくは拿捕による上陸を含む。外交、政治、文化、科学、宗教などの分野においてある程度著名な者に限定する。例えば出島に滞在した一般のオランダ商館員などは除外する。日本の周辺の海域を通過しただけの者は含まない。来日年と国籍、簡潔な紹介も記載する。.

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新知島

新知島(しむしるとう、しんしるとう)は千島列島の中部にある火山島。ロシア名はシムシル島(о.Симушир)、英語表記はSimushir。 島の名前の由来は、アイヌ語の「シ・モシリ(大きい・島→大きい島)」から。.

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文化 (元号)

文化(ぶんか)は日本の元号の一つ。享和の後、文政の前。1804年から1818年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇、仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。 町人文化が顕著に発展した時期であり、後続する文'''政'''期とあわせ、化政文化という。.

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文政

文政(ぶんせい)は日本の元号の一つ。文化の後、天保の前。1818年から1831年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。.

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日露関係史

日露関係史(にちろかんけいし、История российско-японских отношений)では、日本とロシアの二国間関係の歴史を述べる。かつてこれらの地域にあった国家や王朝を含める。 両国は、ロシア人の極東進出と日本人の北方開拓の結果、隣国として基本的には敵対しながらも密接な関係を結びつつ歩んできた。.

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拿捕

拿捕(だほ)とは、国家が主体となっておこなう船舶の航行の自由を制約する行為のうち、船舶の抑留など実力行使を伴うもの。捕獲(ほかく)や鹵獲(ろかく)、拿獲(だかく)ともいう。しばしば船員の抑留や積荷の没収を伴う場合もある。 古来、沿岸国が自国の勢力圏の海域へ航行してきた船舶を、沿岸国の危険を防止する名目で拿捕する行為は数多く行われていたが、国家や国際社会の発展のためには、主権を害さない範囲で船舶の航行の自由を広く認めるべきだという思想が生まれ、やがてそれが支配的な考えとなり国際慣習法が形成された。歴史的には戦時における拿捕をめぐって問題があったが、現在では平時における拿捕の可否も争点となっており、船舶の種類が公船か私船か、また航行場所が内水か領海か接続水域か排他的経済水域か公海かで、船舶の航行の自由の範囲は異なるため、拿捕が許される範囲も事情により異なってくる。 「拿」の漢字が常用漢字表に含まれていないため、報道では「だ捕」と表記されることも多い。.

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1754年

記載なし。

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1759年

記載なし。

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1778年

記載なし。

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1779年

記載なし。

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1786年

記載なし。

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1792年

記載なし。

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1804年

記載なし。

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1805年

記載なし。

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1806年

記載なし。

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1807年

記載なし。

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1808年

記載なし。

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1811年

記載なし。

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1812年

記載なし。

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1812年ロシア戦役

1812年ロシア戦役(Campagne de Russie, Отечественная война)は、1812年に、ロシア帝国が大陸封鎖令を守らないことを理由にフランス帝国のナポレオン1世がロシアに侵攻し、敗北、退却するまでの一連の歴史的事件のことである。ロシア語の呼称については下記参照。 1812年のナポレオン1世によるロシア帝国への侵攻はナポレオン戦争の転換点となった。この遠征はフランス帝国とその同盟軍からなる侵攻軍を当初の兵力から2%未満に激減させた。ロシア文化に与えた影響は、レフ・トルストイの『戦争と平和』や旧ソ連が独ソ戦(1941年 - 1945年)と同一視していたことに見られる。.

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1813年

記載なし。

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1814年

記載なし。

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1816年

記載なし。

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1821年

記載なし。

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1825年

記載なし。

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18世紀

Jean-Pierre Houëlが描いたバスティーユ襲撃(フランス国立図書館蔵)。 国立マルメゾン城美術館蔵)。 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)。 18世紀(じゅうはっせいき)は、西暦1701年から西暦1800年までの100年間を指す世紀。.

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