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コルドバ王国

索引 コルドバ王国

コルドバ王国(スペイン語:Taifa de Córdoba)は、1031年から1091年にかけてイベリア半島に存在した小国家(タイファ)。コルドバを首都とし、主な王朝はジュフール朝。 1031年に後ウマイヤ朝が瓦解した後、その版図にはタイファと呼ばれるイスラム系の小国家が分立した。その1つであるコルドバ王国は、後ウマイヤ朝の首都であるコルドバを受け継いだものの小国であり、隣国のセビリア王国(アッバード朝)によって1070年に占領され、1091年にはセビリア王国ともどもムラービト朝の軍門に降り、消滅した。 その後、レコンキスタによってイスラム勢力は退潮してゆき、コルドバは1236年6月29日、カスティーリャ王国のフェルナンド3世に征服されることになる。 Category:タイファ Category:コルドバ Category:アンダルシアの歴史.

15 関係: 後ウマイヤ朝ムラービト朝レコンキスタフェルナンド3世 (カスティーリャ王)アッバード朝イベリア半島カスティーリャ王国コルドバ (スペイン)スペイン語セビリア王国タイファ1031年1091年1236年6月29日

後ウマイヤ朝

後ウマイヤ朝(こうウマイヤちょう、756年 - 1031年)は、イベリア半島に興ったウマイヤ朝の再興王朝。西カリフ帝国とも呼ぶ。日本での通称は後ウマイヤ朝であるが、史料や外国の研究者はアンダルスの(またはコルドバの)ウマイヤ朝とよぶ。.

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ムラービト朝

ムラービト朝(アラビア語:المرابطون al-Murābiṭūn)は、1056年に北アフリカのサハラ砂漠西部に興ったベルベル系の砂漠の遊牧民サンハージャ族を母胎とするモロッコとアルジェリア北西部、イベリア半島南部のアンダルシアを支配したイスラム王朝。 英語読みでのアルモラヴィド朝(Almoravid dynasty)とも称される。.

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レコンキスタ

ンティアゴ・マタモーロス'''(モーロ人殺しの聖ヤコブ)。スペインの守護聖人、レコンキスタの象徴 '''イスラーム勢力の後退'''(914年–1492年) イスラーム勢力はイベリア半島の南に押しやられていき、1492年にはすべての領土を失った レコンキスタ()は、718年から1492年までに行われた、複数のキリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動の総称である。ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服とそれに続くアストゥリアス王国の建国から始まり、1492年のグラナダ陥落によるナスル朝滅亡で終わる。レコンキスタはスペイン語で「再征服」(.

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フェルナンド3世 (カスティーリャ王)

フェルナンド3世(Fernando III, 1201年 - 1252年5月30日)は、カスティーリャ王(在位:1217年 - 1252年)、およびレオン王(在位:1230年 - 1252年)。カスティーリャ王アルフォンソ8世(高貴王)の孫に当たる。父はレオン王アルフォンソ9世。母はアルフォンソ8世の娘であるベレンゲラ。.

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アッバード朝

アッバード朝は、セビリアを首都としたタイファの王朝(セビリア王国、1023年 - 1091年)。周辺諸国の中で最も栄え、他国を征服した。1069年、ジュフール朝コルドバ王国を征服した。しかし、1091年にムラービト朝に征服された。 Category:タイファの王朝 Category:中世のスペイン Category:セビリアの歴史.

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イベリア半島

イベリア半島(スペイン語・ポルトガル語・ガリシア語:Península Ibérica、カタルーニャ語:Península Ibèrica、バスク語:Iberiar penintsula)は、ヨーロッパの南西に位置する半島である。.

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カスティーリャ王国

ティーリャ王国(カスティーリャおうこく、Reino de Castilla)は、中世ヨーロッパ、イベリア半島中央部にあった王国である。キリスト教国によるレコンキスタ(国土回復運動)において主導的役割を果たし、後のスペイン王国の中核となった。 Castillaの日本語表記は、カスティーリャ、カスティーリヤ、カスティリャ、カスティーリァ、カスティーリア、カスティリア、カスティーヤ、カスチラ、カストリヤ、カストリア、カステリヤ、カステリア、カスティージャと様々に音写されている。また菓子のカステラは、王国名のポルトガル語発音である「カステーラ」(Castela)からとされている。.

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コルドバ (スペイン)

ルドバ(Córdoba)は、スペイン・アンダルシア州コルドバ県のムニシピオ(基礎自治体)。コルドバ県の県都である。グアダルキビール川に面する。 かつての後ウマイヤ朝の首都で、イスラム時代の文化を伝える建築物や街路が遺されている。メスキータやユダヤ人街を含む「コルドバ歴史地区」は世界遺産に登録されている。.

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スペイン語

ペイン語(スペインご、)もしくはカスティーリャ語(カスティーリャご、)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語。略して西語とも書く。.

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セビリア王国

セビリア王国の版図 セビリア王国(Taifa de Sevilla)は、セビリアを首都としたタイファ。主な王朝はアッバード朝。アッバード朝はジュフール朝コルドバ王国を征服した。ムラービト朝に征服されるまで諸タイファの中で最も繁栄した。しかし1248年にカスティーリャ王国のフェルナンド3世に征服された。 Category:タイファ Category:中世のスペイン Category:セビリア.

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タイファ

タイファ(スペイン語・ポルトガル語 Taifa)は、かつてイベリア半島に存在したイスラム教諸王国およびその君主を指す語。アラビア語で「分立している集団」「部族集団」などを意味するターイファ طائفة tā'ifa (複数形はタワーイフ طوائف tawā'if )に由来する名称で、「分立する諸王(朝)」ほどの意味である「ムルーク・アッタワーイフ」 ملوك الطوائفmulūk al-tawā'if と呼ばれる。「ターイファ諸国」、「群小王朝」などとも訳される。1031年、後ウマイヤ朝が滅亡したあとに誕生した。.

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1031年

記載なし。

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1091年

記載なし。

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1236年

記載なし。

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6月29日

6月29日(ろくがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から180日目(閏年では181日目)にあたり、年末まであと185日ある。誕生花はアガパンサス、ペラルゴニウム。.

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