ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

コラッツィエリ

索引 コラッツィエリ

コラッツィエリ コラッツィエリ(Corazzieri)はイタリアの大統領に関する儀仗部隊。カラビニエリの傘下にあり、騎馬部隊となっている。隊員の入隊資格として身長195cm以上が求められている。 部隊の前身は14世紀に設立された騎兵部隊に遡ることができる。16世紀にはサヴォイア公国の精鋭騎兵部隊として、何度かの戦闘に投入されている。その後、胸甲騎兵中隊に改編され、19世紀頃まで戦地における王の護衛部隊となった。1868年のイタリア王国ウンベルト1世と王妃マルゲリータの婚姻の際には、Squadrone Carabinieri Guardie del Reの名称で80名が栄誉礼を行った。1870年にはCarabinieri Guardie del Reの名称で、王の警護部隊となった。 第二次世界大戦後、イタリアが共和制になると共和国大統領に対する儀仗部隊となった。名称は何度も変遷し、1992年にComando Carabinieri Guardie del Presidente della RepubblicaからCorazzieriとなっている。 Category:イタリアの軍事 Category:国家憲兵.

13 関係: 中隊マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァイタリア王国ウンベルト1世カラビニエリサヴォイア公国儀仗共和国大統領 (イタリア)騎兵胸甲騎兵栄誉礼14世紀16世紀

中隊

中隊(ちゅうたい)は、軍隊の部隊編成の単位で、小隊の上、大隊の下に位置する。一般的には歩兵なら約200人(4個小隊相当)、砲兵では4門か6門だが、兵科、装備、時代によって規模はさまざまである。 西洋語では兵科によって異なる語を当てる。英語にすると、歩兵と工兵の中隊はCompany、砲兵はBattery、騎兵や戦車、装甲車はtroop、ヘリコプターなどの部隊はsquadronである(squadronは、空軍や海軍航空隊の飛行隊の意味もある)また、警察(機動隊など)や消防などにも中隊単位の編成がされる場合もある。.

新しい!!: コラッツィエリと中隊 · 続きを見る »

マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ

マルゲリータ・マリーア・テレーザ・ジョヴァンナ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ(,1851年11月20日 - 1926年1月4日)は、サヴォイア家の王族。サヴォイア=ジェノヴァ家出身で、本家にあたるサヴォイア(=カリニャーノ)家の当主であるイタリア王ウンベルト1世と結婚(従兄妹婚)してイタリア王妃となった。弟に父の爵位を継いだ第2代ジェノヴァ公トンマーゾがいる。.

新しい!!: コラッツィエリとマルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ · 続きを見る »

イタリア王国

イタリア王国(イタリアおうこく、伊:)は、現在のイタリア共和国の前身となる王国。1861年に成立し、1946年に共和制へ移行した。.

新しい!!: コラッツィエリとイタリア王国 · 続きを見る »

ウンベルト1世

ウンベルト1世(Umberto I, 1844年3月14日 - 1900年7月29日)は、イタリア王国の第2代国王(在位:1878年1月9日 - 1900年7月29日)。父はイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世。母は神聖ローマ皇帝レオポルト2世の孫娘で、ロンバルト=ヴェネト副王ラニエーリの娘マリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナ。アオスタ公爵で一時スペイン王となるアメデーオ(アマデオ)、ポルトガル王妃マリア・ピア・デ・サボイアらは兄弟姉妹にあたる。また王妃であるマルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァは同族の従妹である。 王として立憲君主制を尊重した議会政治を支持していたが、アナーキストのガエタノ・ブレーシによりパレード中に暗殺される。.

新しい!!: コラッツィエリとウンベルト1世 · 続きを見る »

カラビニエリ

ラビニエリ()は、イタリアの国家憲兵である。正式名称は l'Arma dei Carabinieri である。 日本語では「国家治安警察隊」、他に「警察軍」、「憲兵隊」、「軍警察」などとも訳される。陸軍、海軍、空軍と並びイタリア軍を構成する4軍のひとつ。単純に「軍(l'Arma)」と呼称される事もある。平時にはイタリアの警察機関の一つとして、国家警察(Polizia di Stato)や財務警察(Guardia di Finanza)などとともに警察活動を行う。有事には憲兵および戦闘部隊として機能する。人員は約11万名。.

新しい!!: コラッツィエリとカラビニエリ · 続きを見る »

サヴォイア公国

ヴォイア公国またはサヴォワ公国(サヴォイアこうこく、伊:Ducato di Savoia, 仏:Duché de Savoie)は、サルデーニャ王国の前身となった公国(公爵領)である。1416年、サヴォイア家のサヴォイア伯アメデーオ8世が、皇帝ジギスムントから公爵の位を与えられて成立した。 現在のイタリア北西部(現ヴァッレ・ダオスタ州、ピエモンテ州)とフランス東部サヴォワ地方や現アルプ=マリティーム県、ジュネーヴ(現スイス)も含んだ。首都はサヴォイア伯爵領の頃からシャンベリ(現フランス)であったが、1563年にトリノに遷都された。 1718年に締結されたロンドン条約の結果、1720年にサヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世は、シチリア島(シチリア王国)を手放す代わりに、ハプスブルク家の所領だったサルデーニャ島(サルデーニャ王国)を獲得した。一方、サヴォイア公爵領もイタリア統一によりイタリア王国の一部となって解消されるまで存続した。.

新しい!!: コラッツィエリとサヴォイア公国 · 続きを見る »

儀仗

儀仗(ぎじょう)とは、.

新しい!!: コラッツィエリと儀仗 · 続きを見る »

共和国大統領 (イタリア)

イタリア共和国大統領(イタリアきょうわこくだいとうりょう、Presidente della Repubblica Italiana)は、イタリアの大統領で国家元首である。現大統領は、セルジョ・マッタレッラ(第12代)。.

新しい!!: コラッツィエリと共和国大統領 (イタリア) · 続きを見る »

騎兵

騎兵(きへい、cavalry, Trooper)は、兵種の一つで、馬など動物に騎乗して戦闘行動を取る兵士である。最初はロバが使用されていたが、後に馬が主流になった。最古の騎兵は動物が曳行する戦車に乗った兵士であったが、後に動物に跨る騎兵に移行していった。 騎兵は相対的に高い機動力・攻撃力を誇り、作戦の幅を広げ、偵察、伝令、警戒など後方支援でも活躍した。また、軽騎兵・重騎兵と分類されることもあり、前者は機動力を、後者は攻撃力及び防御力を重視している。現代では騎兵から派生した、装甲車やヘリコプターに搭乗する部隊も「騎兵」と呼ぶことがある。.

新しい!!: コラッツィエリと騎兵 · 続きを見る »

胸甲騎兵

拳銃を発砲する胸甲騎兵 胸甲騎兵(きょうこうきへい、Cuirassier、Kürassier)は、近世ヨーロッパにおける騎兵の区分の一つで、重騎兵の一種である。または、騎兵科の兵職の一つである。.

新しい!!: コラッツィエリと胸甲騎兵 · 続きを見る »

栄誉礼

栄誉礼(えいよれい、英:Guard of honour)とは、軍隊が元首や高官を迎えるときに行われる儀礼。.

新しい!!: コラッツィエリと栄誉礼 · 続きを見る »

14世紀

ナスル朝。イベリア半島最後のイスラム王朝であるこの王朝はすでに半島南端を占めるだけの小国となっていたが文化や芸術は最後の輝きを見せていた。画像はイスラム特有のアラベスクに彩られたアルハンブラ宮殿の「二姉妹の間」。 Gilles Le Muisitの年代記』の挿絵)。 エドワード3世率いるイングランド軍にフランス軍が大敗を喫した。画像はこの戦いを描いたジャン・フロワサールの『年代記』写本の挿絵。 ユダヤ人迫害。中世末期の不穏な情勢の中でスケープゴートとして標的にされたのがユダヤ人であった。画像は15世紀にまとめられた『ニュルンベルク年代記』の木版挿絵で、1338年に起きたバイエルン地方のデッゲンドルフでの「聖餅󠄀冒瀆」の罪により、生きながら火炙りにされたユダヤ人たちが描かれている。 カルマル同盟。デンマーク摂政(事実上の女王)マルグレーテ1世がデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの三国を統合した。画像はロスキレ大聖堂に安置されたマルグレーテの石棺。 七選帝侯。神聖ローマ帝国では諸侯の分権化が強く選帝侯を味方につけることで帝権は維持された。やがてこの選出方法は金印勅書で法制化されることになる。 原初同盟は14世紀にはハプスブルク家との戦いに勝利し自立への道を踏み固めていった。画像は1315年のモルガルテンの戦いを描いたもの。 アヴィニョン教皇宮殿の正面入り口。 ダンテとベアトリーチェ。ダンテは地獄・煉獄・天国をまわる壮大な『神曲』を書いた詩人。画像は19世紀のヘンリー・ホリデーによるもの(ウォーカー・アート・ギャラリー蔵)。 シエナ。この街は黒死病の被害の影響が大きかったため景観が変化せず中世都市の面影を強く残した街となっている。画像はアンブロージョ・ロレンツェッティによるシエナのプブリコ宮殿(現シエナ市役所)九頭の間の壁画「善政の効果」。 セルビア人の帝国。ネマニッチ朝のステファン・ウロシュ4世ドゥシャンは東ローマ帝国を抑えバルカン最強の国家を樹立した。画像はウロシュ4世により創建されたコソボのデチャニ修道院にあるネマニッチ一族の系譜を描いたフレスコ画。 Codex Mendoza」。 後醍醐天皇。鎌倉幕府を亡ぼし建武の新政を行ったが、政権崩壊後には逃れて吉野に南朝を立てた。画像は清浄光寺所蔵の肖像画。 足利義満。室町幕府3代将軍で南北朝の統一を行い、将軍位を息子義持に譲ってからも法体で実際の政治を握っていた。画像は鹿苑寺所蔵の肖像画。 西アフリカのマリ王国の王マンサ・ムーサ。イスラム教徒としてメッカに巡礼に向かう旅路で黄金を惜しみなく使った逸話で知られる。 Baptistère de Saint Louis」。フランス歴代国王が実際に用いた洗礼盤だが、聖王ルイの時代より正確には半世紀ほど後のもので、マムルーク朝時代のエジプトまたはシリアで作られたイスラム工芸を代表する名品。現在はルーヴル美術館が所蔵している。 歴史家ラシードゥッディーン。その当時の知られていた世界の歴史を『集史』としてまとめ上げた。画像は彼が仕えたイル・ハン国の君主ガザンとオルジェイトゥの兄弟を描いた『集史』の挿絵。 草原の英雄ティムール。モンゴル帝国の分裂後の中央アジア・西アジアはティムールによって統一された。画像は1370年のバルフ包囲戦を描いたホーンダミール『清浄園』の16世紀の写本の挿絵。 ハンピ)のヴィルーパークシャ寺院。 チベット仏教の改革者ツォンカパ。綱紀粛正に努め左道密教を退けて現在のダライラマに連なるゲルク派(黄帽派)を大成した。 青花の誕生。元朝後期に西アジア産のコバルト顔料を用いて白磁に紋様を描く青花(染付)の技法が開発された。画像はこの世紀に造られた「青花魚藻文壺(ブルックリン美術館蔵)」。 明の洪武帝朱元璋。モンゴル人の元朝を北方に追いやり、漢民族の王朝を復興した。画像は洪武帝の肖像画(台北国立故宮博物院蔵)。 14世紀(じゅうよんせいき)は、西暦1301年から西暦1400年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: コラッツィエリと14世紀 · 続きを見る »

16世紀

16世紀(じゅうろくせいき)は、西暦1501年から西暦1600年までの100年間を指す世紀。 盛期ルネサンス。歴代ローマ教皇の庇護によりイタリア・ルネサンスの中心はローマに移動した。画像はこの時代に再建がなされたローマのサン・ピエトロ大聖堂の内部。 カール5世。スペイン王を兼ねイタリア各地やネーデルラントも支配したが周辺諸国との戦いにも明け暮れた。画像はティツィアーノによる騎馬像(プラド美術館蔵)。 「太陽の沈まない帝国」。カール5世の息子フェリペ2世の時代にスペインは目覚ましい発展を遂げ貿易網は地球全体に及んだ。画像はフェリペ2世によって建てられたエル・エスコリアル修道院。ここには王宮も併設されておりフェリペ2世はここで執務を行った。.

新しい!!: コラッツィエリと16世紀 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »