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ケリントス

索引 ケリントス

リントス(ギリシア語 Kerinthos, ラテン語 Cerinthus, 1世紀~2世紀)は、小アジア出身のユダヤ人キリスト教徒。 キリスト教と混合主義的ユダヤ教とを同一視するグノーシス派であり、ケリントスは「ケリントス派」を創始した。 ナザレのイエスは「公正賢明な人間」なのであって、また単なる人間に過ぎないと主張した。また、その死は「無意味」であり、「救世主」などではないと主張した。また、イエスは養子であったとも言った。ケリントス派 Cerinthian というと、キリスト養子論を指すことが多い。 エイレナイオスによると、ヨハネはケリントスへの反駁のためにヨハネによる福音書を書いたという。 また、創世は唯一神によってでなく、「デミウルゴス Demiurge」、または「天使」らによって形成されたとも言った。.

19 関係: 天使一神教ナザレのイエスユダヤ人キリスト教徒ユダヤ教ヨハネヨハネによる福音書ラテン語デミウルゴスアナトリア半島エイレナイオスキリスト教ギリシア語グノーシス主義創世記養子縁組救世主1世紀2世紀

天使

歌を歌う天使達。ウィリアム・アドルフ・ブグロー (1881)。 セラフィム。ヴィクトル・ヴァスネツォフ (1885-1896頃の作品)。 天使(てんし)は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典や伝承に登場する神の使いである。以下、しばしばアブラハムの宗教と呼ばれ、比較宗教論の宗教分類で並置されるこの3宗教の天使について叙述する。.

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一神教

一神教(いっしんきょう、monotheism)とは、ただひとつの神的存在者のみを認めてこれを信仰する宗教。 通常、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つがその典型だとされるブリタニカ百科事典【一神教】。.

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ナザレのイエス

ナザレのイエス(יְהוֹשֻׁעַ/יֵשׁוּעַ הַנָּצְרִי,,, )または史的イエス、歴史的イエス(, 紀元前6年から紀元前4年頃誕生日は不明。『福音書』にも言及がない(八木谷 2016, p. 47)。 - 紀元後30年頃)は、紀元1世紀にパレスティナのユダヤの地、とりわけガリラヤ周辺で活動したと考えられている人物である。イエスの存在についてはフラウィウス・ヨセフス(1世紀)、タキトゥス(1世紀)、スエトニウス(1世紀)などの歴史家がその著作の中で言及している。 「ナザレの」とは『福音書』と『使徒言行録』でイエスが「ナザレのイエス」と呼ばれていることによる十二使徒の筆頭ペトロが「ナザレのイエス」と言っている(『使徒言行録』10章38節)。パウロが回心する決定的な場面ではイエス自身が「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」と言っている(『使徒言行録』22章8節、『新共同訳』)。ただし22章8節は『口語訳』では「わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである」となっている。。イエスという名は当時めずらしくなく例として少し後の時代になるが、(第一次)ユダヤ戦争について書いたフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』には本編部分のみで「反乱軍の地方指揮官だったイエス」、「反乱軍の初期のまとめ役だった元大祭司のイエス」、「エルサレム神殿炎上の時に神殿の宝物や書物を持ち出して投降した祭司のイエス」の3人(時系列をさかのぼった補遺的な部位も入れると「反乱軍のまとめ役とは別の元大祭司のイエス」「ユダヤ戦争の起こる前にエルサレムで不思議な預言をして回ったイエス」の2人も)「イエス」という名の同名の別人達がでてくる。、姓の風習もなかったため、しばしば出身地を含めた呼び方で区別されていたただしナザレ出身であったという確実な史料はない、『福音書』でもナザレは出生場所ではなく幼少期に育った所とされている。。キリスト教においてはイエス・キリストと呼ばれる福音書に共通して記されているのは、イエスはユダヤを救う者として民衆から待望されていた(ルカ 3:15)キリスト(メシア)だということである。マタイ 1:16, マタイ 16:20, マルコ 8:29, ルカ 2:11, ヨハネ 20:31 参照。。.

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ユダヤ人キリスト教徒

ユダヤ人キリスト教徒とは、初期キリスト教の時代に、ユダヤ人の間で広まったキリスト教徒を指す。主に、エルサレムを中心に、イエスの弟(或いは親戚)ヤコブが布教した。 イエス自身がユダヤ人であり、ユダヤコミュニティの中からキリスト教は興った為、初期のキリスト教徒の殆どがユダヤ人であるのは当然のことであった。しかし、ユダヤ教からの独立が明確になりはじめると、異邦人の信徒が多数を占め始めたためにこのような呼称が成立した。 ユダヤ人キリスト教徒は、パウロの布教による異邦人キリスト教(ヘレニズム・キリスト教)の勢力拡大を前に、3~4世紀に消滅した。.

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ユダヤ教

ダビデの星 ユダヤ教(ユダヤきょう、יהדות)は、古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェ(יהוה)を神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教である。ただしメシア思想は、現在ではハバド・ルバヴィッチ派などを除いて中心的なものとなっていない。 『タナハ』(キリスト教の『旧約聖書』に当たる書物)が重要な聖典とされる。.

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ヨハネ

ヨハネ(Johannes)は男性名。 ヘブライ語で「主は恵み深い」を意味するヨーハーナーン יוחנן Yôḥānān が元の形とされる。ギリシア語では"Ιωάννης" (イオーアンネース。ただし中世以降の発音はイオアンニスもしくはヨアニス)。ラテン語(およびドイツ語)ではこれを受け継いで"Ioannes", "Iohannes", "Johannes"(ヨハンネス、ヨハネス)。 日本では「ヨハネ」という読み方・表記が、日本聖書協会の日本語訳聖書をはじめとして広く用いられている。.

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ヨハネによる福音書

『ヨハネによる福音書』(ヨハネによるふくいんしょ、Κατά Ιωάννην Ευαγγέλιον Kata Iōannēn Euangelion、Evangelium Secundum Iohannem)は新約聖書中の一書。 『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』に次ぐ4つの福音書(イエス・キリストの言行録)の一つである。ルターは本福音書とパウロ書簡を極めて高く評価しており、その影響は現在のプロテスタント各派に及んでいる。.

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ラテン語

ラテン語(ラテンご、lingua latina リングア・ラティーナ)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派の言語の一つ。ラテン・ファリスク語群。漢字表記は拉丁語・羅甸語で、拉語・羅語と略される。.

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デミウルゴス

デミウルゴス(デーミウールゴス、Δημιουργός、Demiurge)は、プラトンの『ティマイオス』に登場する世界の創造者である。.

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アナトリア半島

アナトリア半島(アナトリアはんとう、Ανατολία, Anatolia / Aνατολή, Anatolē、Anadolu)は、アジア大陸最西部で西アジアの一部をなす地域である。現在はトルコ共和国のアジア部分をなす。日本語ではアナトリア半島と呼ばれる事が多いが、英語圏では「半島」をつけない、単なるアナトリアであり、地形ではなく人文地理的な地域を表す言葉である。小アジア(Μικρά Ασία, Mikra Asia, Asia Minor)とも言う。.

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エイレナイオス

聖エイレナイオス エイレナイオス(Ειρηναίος, 130年頃 - 202年)は、古代のキリスト教の理論家(教父)、司祭である。リヨンのエイレナイオスとも呼ばれる。ラテン語ではイレナエウス(Irenaeus)といい、その奪格形(Irenaeo)の教会式発音に基づいて日本のカトリック教会ではリヨンの聖イレネオや聖イレネオ司教殉教者などと呼ぶ。日本ハリストス正教会ではリオンの聖致命者イリネイと呼ぶ。 正教会・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人である。カトリック教会での記念日は6月28日。正教会での記憶日は8月23日(ユリウス暦使用教会ではグレゴリオ暦9月5日に相当)。 エイレナイオスは小アジアのスミルナに生まれ育った、おそらくギリシア人であろう。若いころ、ポリュカルポスの教えを受け、経緯不明ながらガリアに赴いた。ルグドゥヌム(現在のリヨン)で司祭として働いている時、モンタノス派の問題について検討するため、リヨンからローマへ派遣された。リヨンに戻ると、殉教した司教フォティヌスの後継者として司教に選ばれた。 復活祭をいつ祝うかが地域によって違っていたことから始まった復活祭論争では、ローマのウィクトル1世の強硬姿勢については他の司教達と批判する一方で、小アジアの教会に対しては復活祭を日曜日に祝うよう説得。こうした調停の役割を果たしたことはのちにエウセビオスに賞賛された。 最初期のキリスト教理論家のひとりであり、ルグドゥヌムの迫害に際して、キリスト教を擁護する著述を残した。.

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キリスト教

リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.

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ギリシア語

リシア語(ギリシアご、現代ギリシア語: Ελληνικά, または Ελληνική γλώσσα )はインド・ヨーロッパ語族ヘレニック語派(ギリシア語派)に属する言語。単独でヘレニック語派(ギリシア語派)を形成する。ギリシア共和国やキプロス共和国、イスタンブールのギリシア人居住区などで使用されており、話者は約1200万人。また、ラテン語とともに学名や専門用語にも使用されている。省略形は希語。.

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グノーシス主義

画像:Simple crossed circle.svg circular, harmonic cross グノーシス主義(グノーシスしゅぎ、Gnostizismus、Gnosticism)またはグノーシス(Γνῶσις)は、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った宗教・思想である。物質と霊の二元論に特徴がある。英語の発音は「ノーシス」である。普通名詞としてのグノーシスは、古代ギリシア語で「認識・知識」を意味する。グノーシス主義は、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向にあたる。 グノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外に、イランやメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシンクレティズムの中から形成されたとみれる。代表的なグノーシス主義宗教にマニ教がある。.

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創世記

光と闇の分離 『創世記』(そうせいき、ヘブライ語:、ギリシア語:Γένεσις、)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典で、イスラム教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つである。写本が現存しており、モーセが著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。 『創世記』はヘブライ語では冒頭の言葉を取って(ベレシート)と呼ばれているおり、これは「はじめに」を意味する。また、ギリシア語の七十人訳では、2章4節からとってΓένεσις(ゲネシス)と呼ばれており、「起源、誕生、創生、原因、開始、始まり、根源」の意である。.

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養子縁組

養子縁組(ようしえんぐみ)とは、具体的な血縁関係とは無関係に人為的に親子関係を発生させることをいう。この関係によって設定された親子関係をそれぞれ養親(ようしん)と養子(ようし)、または女子の場合には養女(ようじょ)、養子から見て養親の家(または家族)を養家(ようか)と呼称する。.

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救世主

救世主(きゅうせいしゅ、Savior/saviour)とは、人々や世界を救済するとされる存在のこと。.

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1世紀

全能者キリスト(ハリストス)」。 1世紀(いっせいき、いちせいき)は、西暦元年(1年)から西暦100年までの100年間を指す世紀。1千年紀における最初の世紀でもある。 天文学以外では通常、西暦0年は存在せず、また0世紀もない。これは、ヨーロッパで西暦ができた6世紀の時点では、まだヨーロッパ人は零の概念を知らなかったためであると言われることもあるが、元年以前を表すために紀元前が導入されたのは零の概念が普及した後の17世紀のことである。 なお、天文学やISO 8601では、紀元1年の前年、すなわち紀元前1年を西暦0年と定めている(詳細は「紀元前1年#西暦0年」または「0年#西暦0年」を参照のこと)。.

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2世紀

ャーナ朝の全盛期。カニシカ王の時代に現在のパキスタンにあるガンダーラで多くの仏像が作られた。画像は東京国立博物館蔵のガンダーラの仏像。 ティオティワカン。メキシコシティの北東50キロにある遺跡でこの当時新大陸で最大の宗教都市遺跡であった。1世紀から2世紀半ばまでをツァクアリ相と呼び、画像の「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」はこの時期に建設された。 「武氏祠画像石」。2世紀半ばに建てられた山東省嘉祥県の武宅山の麓にある豪族武氏一族の石祠の画像石。この時代の人々の世界観が表れている。 武威(甘粛省)は後漢後期に造営された雷台漢墓で有名である。画像は雷台漢墓から出土した銅奔馬で、その疾走する姿から「馬踏飛燕」の別名がある。 倭国大乱。この時代には大規模な環濠集落が形成され軍事的な緊張があったと考えられる。紀元前3世紀から紀元後3世紀まで継続した吉野ヶ里遺跡は環濠集落の遺跡の代表である。 五賢帝の2人目であるトラヤヌス帝の末年までにローマ帝国の領土は最大に拡がった。画像の記念柱はローマに建立されたものでドナウ川北岸のダキア人との戦いが詳細にレリーフに刻まれている。 五賢帝時代の終わり。五賢帝時代はローマ帝国の最盛期であり安定した統治が行われていたが、五賢帝最後のマルクス・アウレリウス帝の時代には帝国周辺の諸民族の動きが慌ただしくなってきた。画像は哲学者としても知られるマルクス・アウレリウス帝の騎馬像(カピトリーノ美術館蔵)。 繁栄する属州アエギュプトゥス。ローマ帝国の穀倉エジプトでは豊かな生活が営まれていた。ファイユームで発掘されたいわゆる「ミイラ肖像画」は多くの絵画作品が失われたこの時代の風俗の貴重な資料となっている。画像はルーヴル美術館蔵の女性のミイラ肖像画。 ミトラ教の隆盛。ローマ帝国には多くの宗教が混在していたが、イラン起源のミトラ教は軍人などから広範囲に広がった。画像はサンタ・マリア・カプア・ヴェーテレのミトラ教神殿壁画で牡牛を屠る姿のミトラ神が描かれている。 2世紀(にせいき)とは、西暦101年から西暦200年までの100年間を指す世紀。.

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