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キュビスム

索引 キュビスム

ュビスム(Cubisme; Cubism「キュビズム、キュービズム」、立体派)は、20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始され、多くの追随者を生んだ現代美術の大きな動向である。それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収め、ルネサンス以来の一点透視図法を否定した。.

87 関係: 坂田一男建築彫刻マリー・ローランサンマルセル・デュシャンバウハウスポール・アウターブリッジ・ジュニアポール・ストランドポール・セザンヌヨーロッパルネサンスル・コルビュジエレディ・メイドロベール・ドローネーロシア構成主義パリパブロ・ピカソパピエ・コレピュリスムピュトー・グループピクトリアリスムデザインフランチシェク・ドルチコルフランティセック・クプカフランシス・ピカビアフランス語フアン・グリスフェルナン・レジェフォーヴィスムダダイスムベレニス・アボットアメリカ合衆国アルベール・グレーズアレクサンドル・ロトチェンコアンリ・マティスアンデパンダン展アンドレ・ロートアンドレ・ドランアッサンブラージュアビニヨンの娘たちイモージン・カニンガムエドワード・ウェストンエスタックオルフィスムギヨーム・アポリネールケルテース・アンドルコラージュシュルレアリスムジャン・メッツァンジェジョルジュ・ブラック...ストレートフォトグラフィサロン・ドートンヌ写真写真家具象絵画立体未来主義第一次世界大戦美術絵画遠近法視点近代美術と現代美術抽象絵画構成主義油彩淵上白陽未来派日本日本語1851年1880年1886年1890年1907年1908年1909年1910年代1911年1912年1913年1914年1918年1928年1937年1953年1973年20世紀 インデックスを展開 (37 もっと) »

坂田一男

坂田 一男(さかた かずお、1889年8月22日 - 1956年5月28日)は、日本のキュビスムの洋画家。 岡山県岡山市北区船頭町に生まれ、本郷絵画研究所・川端画学校で学ぶ。1920年代には、パリに赴き、オトン・フリエス(Achille-Émile-Othon Friesz; 1879年-1949年)やフェルナン・レジェに学ぶ。1933年に帰国、岡山県玉島(倉敷市)にアトリエを構える。戦後は、A.G.O.(アヴァンギャルド・オカヤマ)を結成、主宰し、キュビスムを基本としながらも、独特の抽象絵画を制作した。戦中・戦後の2度に渡って同地を襲った水害により、多くの作品が失われた。 日本においては、キュビスムの影響を受けた画家は多いが、本格的にキュビスムを学び、厳格な意味でのキュビスムの作品を残している作家は、坂田一男をおいて他はない(なお、日本において厳格なキュビスム作品を坂田以外が残していないことから、一般に、日本人は、キュビスムの論理性・厳格性に合わない、というような言われ方をされることがあるが、この主張について厳密な論証がなされているわけではない)。 一貫して、中央画壇から距離をおいていたため(本人にとっては、中央画壇は、権威的で自由がない、と映っていた)、一般には知られておらず、きちんと紹介され始めたのは、ほとんどその死後になってからである。.

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建築

建築(けんちく)とは、人間が活動するための空間を内部に持った構造物を、計画、設計、施工そして使用するに至るまでの行為の過程全体、あるいは一部のこと。また、そのような行為によって作られた構造物そのものを指すこともある。後者は建築物とも呼ばれる。.

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彫刻

彫刻(ちょうこく)とは、木、石、土、金属などを彫り刻んで、物の像を立体的に表すこと。または、それらの表面に書画や図版などを掘り込むこと。あるいは美術的な鑑賞を目的として、様々な素材を用いて立体的に制作された芸術作品のこと。また、その表現領域を指す。以下では西洋美術の概念における、芸術作品としての彫刻(スカルプチャー、英語:sculpture)について述べる。 硬い素材を彫り刻む技法も彫刻(カーヴィング、carving)と呼び、それに対して、可塑性素材を盛りつけて形を作る技法を彫塑(モデリング、modeling)という。彫塑で作られた作品を特に塑像と呼び分けることもある。 使われる素材は、石、木、土、フェルト、石膏、紙、繊維、金属(鉄、銅など)、樹脂、ガラス、蝋など、多種にわたり、また、複数の素材を組み合わせる作品も多い。 彫刻の対象(モチーフ)は元来、人間や身近な動物など具体物であった(具象彫刻)が、20世紀になると、心象を表したもの(抽象彫刻)も多く制作されるようになった。 現在では、表現が多様化し、従来の彫刻の概念では収まらないケースもあり、それらを「立体」、「立体アート」と呼ぶこともあるほか、表現が設置空間全体へ拡散したものは、特に「空間表現」や「インスタレーション」と呼び分けられる。.

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マリー・ローランサン

マリー・ローランサン(Marie Laurencin, 1883年10月31日 - 1956年6月8日)は、20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家である。.

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マルセル・デュシャン

デュシャン マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887年7月28日 - 1968年10月2日)は、フランス生まれの美術家。20世紀美術に決定的な影響を残した。画家として出発したが、油彩画の制作は1910年代前半に放棄した。チェスの名手としても知られた。ローズ・セラヴィ(Rrose Sélavy)という名義を使ったこともある。2人の兄、ジャック・ヴィヨン(Jacques Villon, 1875年 - 1963年)とレイモン・デュシャン=ヴィヨン(Raymond Duchamp-Villon, 1876年 - 1919年)も美術家。1955年、アメリカに帰化した。.

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バウハウス

バウハウス(Bauhaus, バオハオスとも)は、1919年、ドイツ国・ヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、その活動は現代美術に大きな影響を与えた(モダニズム建築、20世紀美術の項を参照)。 バウハウスはドイツ語で「建築の家」を意味する。中世の建築職人組合であるバウヒュッテ (Bauhütte, 建築の小屋) という語をヴァルター・グロピウスが現代風に表現したものである。.

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ポール・アウターブリッジ・ジュニア

ポール・アウターブリッジ・ジュニア(Paul Outerbridge, Jr., 1896年8月15日-1958年10月17日)は、アメリカの写真家。戦間期を中心に、戦後にかけて活躍した。「ジュニア」をとって、単に、「ポール・アウターブリッジ」と記載されることもある。 ニューヨークに生まれ、クラレンス・H・ホワイトに学び、写真家となる。1920年代には一時期パリへ行く。ニューヨークに戻ってからも、旺盛に活躍する。 ポートレイト、広告写真、ファッション写真、ヌード写真など、その活動範囲は多岐にわたる。その作風・特徴は、アメリカのほぼ同時期の広告写真家であるラルフ・スタイナーと比較すると明確であるが、一言で言えばキッチュであり、場合によってはディープである。例えば、悪い意味に限らず、猥雑な感じや、ある種の押し付けがましさが作品からは感じられることがある。 したがって、アウターブリッジの広告写真の中には、シャープな感覚で極めてスマートに見える作品があり、それらについては一般的にも評価が高い一方で、特にポートレイトやヌードなど人物が撮影対象となっている作品については、嫌われることも多い。逆に、そのような人物写真について、それらの作品がときとして持つフェティシズム的な感覚から、熱烈な愛好家も多い。.

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ポール・ストランド

ポール・ストランド(Paul Strand, 1890年10月16日 – 1976年3月31日)は、アメリカ合衆国の写真家、映画監督・撮影監督。アルフレッド・スティーグリッツやエドワード・ウェストンのようなモダニズム写真家とともに、写真を20世紀の1芸術形式として確立した。60年間、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカの至る所で手掛けた作品は、さまざまなジャンル、テーマにおよぶ。.

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ポール・セザンヌ

ポール・セザンヌ(, 1839年1月19日 - 1906年10月23日(墓碑には10月22日と記されているが、近年は23日説が有力近年(特に1993年以降)の文献では、死没日を10月23日とするものが多くなっている。浅野 (2000: 68) は、最近の調査で死亡時刻が10月23日午前7時であったことが判明したと指摘している。また、ルイス (2005: 339) は、セザンヌの墓碑に記された10月22日という死没日は誤記であるとしている。))は、フランスの画家。当初はクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールらとともに印象派のグループの一員として活動していたが、1880年代からグループを離れ、伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求した。ポスト印象派の画家として紹介されることが多く、キュビスムをはじめとする20世紀の美術に多大な影響を与えたことから、しばしば「近代絵画の父」として言及される。.

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ヨーロッパ

ヨーロッパ日本語の「ヨーロッパ」の直接の原語は、『広辞苑』第5版「ヨーロッパ」によるとポルトガル語・オランダ語、『デジタル大辞泉』goo辞書版「」によるとポルトガル語。(、)又は欧州は、地球上の七つの大州の一つ。漢字表記は欧羅巴。 地理的には、ユーラシア大陸北西の半島部を包括し、ウラル山脈およびコーカサス山脈の分水嶺とウラル川・カスピ海・黒海、そして黒海とエーゲ海を繋ぐボスポラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡が、アジアと区分される東の境界となる増田 (1967)、pp.38–39、Ⅲ.地理的にみたヨーロッパの構造 ヨーロッパの地理的範囲 "Europe" (pp. 68-9); "Asia" (pp. 90-1): "A commonly accepted division between Asia and Europe...

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ルネサンス

レオナルド・ダ・ヴィンチによるウィトルウィウス的人体図、科学と芸術の統合 ルネサンス(Renaissance ルネサーンスイギリス英語発音: リネイスンス、アメリカ英語発音: レナサーンス)は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。 日本では長らく文芸復興と訳されており、ルネサンスの時代を「復興期」と呼ぶこともあったが、文芸のみでなく広義に使われるため現在では余り使われない。ルネッサンスとも表記されるが、現在の歴史学、美術史等ではルネサンスという表記が一般的である。.

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ル・コルビュジエ

ル・コルビュジエ(Le Corbusier発音およびカタカナ表記の揺れは名前の表記を参照。、1887年10月6日 - 1965年8月27日)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。本名はシャルル=エドゥアール・ジャヌレジャンヌレとも表記される。=グリ(Charles-Edouard Jeanneret-Gris)。 フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」として位置づけられる(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とみなすこともある)。.

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レディ・メイド

レディ・メイド(Ready-made)とは、既製品のこと。反対語はオーダーメイド。.

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ロベール・ドローネー

自画像 ロベール・ドローネー(Robert Delaunay, 1885年4月12日-1941年10月25日)は20世紀前半に活動したフランスの画家。ドローネとも表記される。抽象絵画の先駆者の一人として知られる。妻のソニア・ドローネーも画家であった。.

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ロシア構成主義

ア構成主義(ロシアこうせいしゅぎ、Конструктивизм、Constructivism)とは、キュビスムやシュプレマティスムの影響を受け、1910年代半ばにはじまった、ソ連における芸術運動。絵画、彫刻、建築、写真等、多岐にわたる。.

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パリ

ランドサット パリの行政区 パリ(Paris、巴里)は、フランス北部、イル=ド=フランス地域圏にある都市。フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府である。 フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。ロンドン、ニューヨーク、香港、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもある。行政上では、1コミューン単独で県を構成する特別市であり、ルーヴル美術館を含む1区を中心に、時計回りに20の行政区が並ぶ(エスカルゴと形容される)。.

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パブロ・ピカソ

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881年10月25日 - 1973年4月8日)は、スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。 ジョルジュ・ブラックとともに、キュビスムの創始者として知られる。生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。.

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パピエ・コレ

パピエ・コレ (papier colléはフランス語、英語では「pasted paper」であり、「何かをのり付けした紙」の意味である) とは、紙片(新聞紙・雑誌などの印刷物(文字や写真)、壁紙、色や模様のついた紙(商品のパッケージ(の一部)などでも可)など)、木片、薄い樹脂類(フィルムなど)等を台紙(カンバスなどを含む)に貼り付ける、ピンで留めるなどして作成された、コラージュのことおよびその技法。特に美術の分野で用いられる用語。ピカソとブラックが、キュビスム作品を制作する過程で創始したといわれる(1912年頃)。 紙片等だけで構成されておらず、絵画に紙片等を貼り付けた場合でも、パピエ・コレと呼ばれる。 ダダイスムやシュルレアリスムでも用いられる。 日本で行われる、貼り絵、ちぎり絵などもパピエ・コレの一種である。したがって、例えば、貼り絵を使ったせなけいこの一部の絵本作品も、パピエ・コレと呼ぶことができる。 なお、日本でパピエ・コレを積極的に行う作家として、小林由美子がいる。.

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ピュリスム

ピュリスム(ピューリズム。Purisme、Purism。純粋主義)とは、シャルル=エドゥアール・ジャヌレ(ル・コルビュジエ)とアメデエ・オザンファンが、フランスで、その著作『キュビスム以降』(Après le Cubisme, 1918年)およびその雑誌「レスプリ・ヌーヴォー(エスプリ・ヌーヴォー。新しい精神)」(L'Esprit Nouveau, 1920年から1925年にかけて28冊を刊行)において主張した、絵画の形式。 一九一八年フランス、総合芸術誌『レスプリ・ヌーヴォー』創刊のため、建築家ル・コルビュジエと画家のオザンフォンは協働する。ある特定の理論的意図をもって、芸術家が小集団を形成するのはこの時代の特徴である。ピュリスト・・・オザンフォンとル・コルビュジエは自分達をそう呼んだ・・・たちが欲したものとは、近代絵画においてキュビストたちが喪失させたと彼らが思っていた、一般の関心だった。それゆえ瓶とか、水差しとか、グラスといった誰もがよく知っている日常物から選んだ対象から、彼らはその絵画を組み立てた。他方でこうした対象はその単純な姿ゆえ、ピュリストが工業芸術に欲した、規格化、純粋化、匿名化の域に達していると、彼らは信じもした。キュビスムの禁欲的色使いに対し、彼らは伝統的に最も受容されやすいパステルカラーを用いたし、表面の平滑さや手触りの滑らかさなど、マシンエイジに彼らが相応しいと見做したものを探求した。 ル・コルビュジエは三年間、オザンフォン同様に活発に活動し、画家として名をなす。だがとりわけ重要なことは、彼の建築と絵画が一九二〇年代初頭からともに発展してきたそのあり方である。彼の新しい建築の諸形態は、彼の絵画の新しい形態から「派生」したわけではない。それらはどちらかと言えば彼がたえず用いていた鉄筋コンクリート構造に明らかに依拠している。とはいえ壁や開口のパターンにおける繊細な精確さはそうした鉄筋コンクリート構造より、彼の絵画における抑制されたエレガンスに明らかに関係した特質である。理論活動においてル・コルビュジエは、機械生産物の特質に新しい建築を類比することを強調していた。他方で彼の絵画に描かれた機械生産物の歯切れのいい輪郭の扱いがすでに、マシンエイジに相応しい彼の美学を洗練させ、様式化させもしていたのである。技術による要素をそのまま統合しようとする最初のぎごちない試みののち、彼の住宅はそのピュリスム絵画の完璧さによって、視覚的に組織されていく。そのプロポーションは事実、近代技術の経験的な公式より、ルネサンス人文主義の建築家たちにより近い幾何学装置から導かれたものであり、また彼が絵画のコンポジションにおいてまず用いたものと同一でもある。 もっと緊密な類比もさらにある。ル・コルビュジエの建物の平滑で平板に表現された表面には、ポストキュビスム絵画の彩色された形態と同じ非・物質性があろう。漆喰の本来の色であると彼が見做した艶消白色壁から特定の壁をもっと大胆に際立たせるため、一九二〇年代中期の彼の絵画にあった暗い色調が、パステルカラーにすぐさま加わってくる。絵画のモチーフにあった曲線さえ、非・耐力壁に用いられた自由曲線形態にその残響を見出している。平面においても、立面においても、彼の建築コンポジションは混乱することがなく、あたかも絵画の額縁に収められたかのように長方形のなかに簡潔に秩序化されているのである。 スタイルにおいてピュリストに近いのは、画家のフェルナン・レジェである。一九一〇年代末までフランスにおける画家の誰より、彼の絵画は同時代的な機械崇拝を反映していた。一九二〇年代初頭においてしかしながら、機械形態を人間化するという特殊な関心を彼は展開し始めた。単純化されたそれと分かる自然の形象ともども、人物像が彼の絵画に再び現れだしたのである。人物の四肢は円筒形として様式化され、これがまだ機械の部品を示唆しており、これらの形が平板な背景に対して配されたのだった。この背景はデ・スティル絵画の長方形配列にときとしてきわめて近いものとなる。とはいえ諸形態の組織はデ・スティルより複雑化し、色彩はきわめてフランス的にも微妙なニュアンスを持つものとなっていた。 建築家にとってレジェの絵画は、機械的要素を芸術的に用いるのに、とりわけ有効な触媒として作用した。というのもレジェの主題は広いものだったからである。さらに一九二〇年代中期におけるレジェのコンポジションのスケールは、ときとしてピュリストの作品における極端な単純化にきわめて似ていたからである。あるいは同時代の他の画家の誰よりおそらく、彼の絵画はまさに建築的だったからである。彼がつねに望み、そしてついには実現した壁画を、それが示唆するときはとりわけそうだろう 。 一九二〇年代中期以降のレジェのスタイルは、機械形態より単純自然形態の強調によって、よりルースで滑らかになっていく。これに影響され、ル・コルビュジエもまた、一九二〇年代後半の絵画におけるピュリスムの教義から離れていく。相変わらず精力的に描き続けていたとはいえ、彼の絵画と建物のあいだの緊密な関係は最早それほど明白ではなくなっている。一九二〇年代末までにル・コルビュジエの「新しい建築」の特質は、まさに結晶化していたのである。建築に多くの時間を割くようになるにつれ、それゆえ三次元において自ら求めるものをよりよく実現できるようになるにつれ、彼の絵画は建築形態の補足的探求となっていく。人間感情・・・モダンな建築が直接的に表現できない要素である・・・に伴う表現や、身体外延的な形態要素が、彼の絵画作品において徐々に顕著なものとなっていった。 だが建築家の美的経験において、自由造形の実験が果たすべきであると彼が考えている役割の重要性を、今日にいたるまで続いている彼の画家としての活動は物語っている。先の戦争(第二次世界大戦)中に建設活動が不可能となり、そのために創作欲が絵画にのみ限られていたことの影響が、最近の作品のなかには再び見出されるからである。」 ピュリスムの考え方は、デ・ステイルや抽象絵画へも影響を与えている。.

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ピュトー・グループ

ピュトー・グループ(ピュトー派、Puteaux Group)とは、キュビスムを志向したグループの名称。おおむね、1910年から1914年(第一次世界大戦開始)まで存在した。 その名前は、ピカソとジョルジュ・ブラックのアトリエ「洗濯船」(Bateau Lavoir, Rue Ravignan, Montmartre; モンマルトル・ラヴィニャン街のバトー・ラヴォワール)に対抗するかのように、パリ郊外のピュトーに集ったことに由来する。ピュトーには、当時、レイモン・デュシャン=ヴィヨン、フランティセック・クプカ、ジャック・ヴィヨンらのアトリエが集中していた。 所属した主要な画家は、以下の通り。.

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ピクトリアリスム

ピクトリアリスム(ピクトリアリズム、英:pictorialism, 仏:pictorialisme)とは、乾板写真が広く導入された後、1885年ころから流行した写真の潮流に与えられる名前である。20世紀の初期に最高潮に達して、モダニズム写真が広い範囲にわたって出現した後の1914年以後急速に衰退した。「ピクトリアリスム」と「ピクトリアリスト」という用語は、1900年以後に一般に用いられるようになった。.

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デザイン

デザイン(英語: design)とは、オブジェクト、システム、さらに測定可能な人間とのインタラクション(建築設計図、 エンジニアリング図面、ビジネスプロセス、回路図、縫製パターンなど)を構築するための計画またはコンベンションを作成する行為。デザインは、さまざまな分野で異なる意味を持っている(#デザイン分野を参照)。場合によっては、オブジェクトの直接構築(陶器、工学、管理、コーディング、グラフィックデザインなど )もデザイン思考を使用すると解釈されうる。 「意匠設計」(他に「造形デザイン」など)の意味で単にデザインの語が使われていることも大変多く、デザインすなわち意匠のことだと思われていることも非常に多い。 英語では意匠については「スタイル」という語があるためそちらが使われる場合・分野もあり、例えば日本でいう「建築様式」に近いフレーズとして architectural style がある。.

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フランチシェク・ドルチコル

フランチシェク・ドルチコル(František Drtikol, 1883年-1961年)は、主として戦間期に活躍した、チェコの写真家。 日本では「フランティセック・ドルティコル」または「フランティセック・ドゥルティコル」と表記されることが多い。.

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フランティセック・クプカ

フランティセック・クプカまたはフランチシェク・クプカ(František Kupka, 1871年9月23日 - 1957年6月24日)は、20世紀の画家。抽象絵画・非具象絵画の最初期の作家の1人。遅くとも、1911年から1912年にかけて制作された抽象作品が存在する。フランチセック・クプカと表記する場合もある。 オーストリア=ハンガリー帝国領東ボヘミア(現チェコ)のオポチノに生まれ、パリ郊外のピュトーにて没する。 ウィーンの美術アカデミーで学ぶ。初期には、幻想的な具象絵画を制作している。その後パリに移り、具象絵画から、キュビスムの影響を受けて次第に抽象化が進み、1911年から1912年ごろには完全な抽象絵画に至った。1910年代、1920年代は、カラフルで有機的な抽象作品であったが、1931年には、アプストラクシオン・クレアシオンの主要メンバーともなり、1930年代には、幾何学的傾向が強まっていった。 一般に、オルフィスムの画家に分類されることが多い。.

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フランシス・ピカビア

フランシス・ピカビア フランシス=マリー・マルティネス・ピカビア(Francis-Marie Martinez Picabia, 1879年1月22日 - 1953年11月30日)は、20世紀前半の画家、詩人、美術家。 1879年、パリでキューバ大使とフランス人の間に生まれ、1913年、アーモリーショー以降アメリカとヨーロッパを行き来した。1945年、パリに戻り、最後はパリにて没す。74歳没。モンパルナス墓地に埋葬されている。 横尾忠則はピカビアに私淑し、ピカビアの作品をモチーフにした作品を制作している。 時期により、その作品のスタイルがめまぐるしく変わったことでも有名。主たるスタイルとその時期は、以下のとおり。.

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フランス語

フランス語(フランスご)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語。ロマンス諸語のひとつで、ラテン語の口語(俗ラテン語)から変化したフランス北部のオイル語(またはウィ語、langue d'oïl)が母体と言われている。日本語では、仏蘭西語、略して仏語とも書く。 世界で英語(約80の国・地域)に次ぐ2番目に多くの国・地域で使用されている言語で、フランス、スイス、ベルギー、カナダの他、かつてフランスやベルギーの領域だった諸国を中心に29カ国で公用語になっている(フランス語圏を参照)。全世界で1億2,300万人が主要言語として使用し、総話者数は2億人以上である。国際連合、欧州連合等の公用語の一つにも選ばれている。このフランス語の話者を、'''フランコフォン''' (francophone) と言う。.

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フアン・グリス

The Sunblind(1914年)テート・ギャラリー蔵 フアン・グリス(Juan Gris, 1887年3月23日 - 1927年5月11日)は、スペインに生まれ、フランスのパリで活躍した、キュビスムの画家。その名前は、カタカナ表記では、「ファン・グリス」、「ホワン・グリス」、「ジュアン・グリ」(フランス語読み)などと書かれることもある。本名はホセ・ビクトリアーノ・ゴンサレス=ペレス(Jose Victoriano Gonzalez-Perez)。ピュトー・グループにも属するとされる。.

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フェルナン・レジェ

フェルナン・レジェ(Fernand Léger, 1881年2月4日-1955年8月17日)は、20世紀前半に活動したフランスの画家。ピカソ、ブラックらとともにキュビスム(立体派)の画家と見なされるが、後にキュビスムの作風から離れ、太い輪郭線と単純なフォルム、明快な色彩を特色とする独自の様式を築いた。絵画以外にも版画、陶器、舞台装置、映画など幅広い分野において作品を残した。.

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フォーヴィスム

フォーヴィスム(Fauvisme、野獣派)は、20世紀初頭の絵画運動の名称。.

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ダダイスム

ダダイスム(Dadaïsme)は、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のことである。ダダイズム、あるいは単にダダとも呼ばれる。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。ダダイスムに属する芸術家たちをダダイストとよぶ。.

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ベレニス・アボット

ベレニス・アボット ベレニス・アボット(Berenice Abbott、1898年7月17日 - 1991年12月9日)は、アメリカ合衆国の女性写真家。オハイオ州スプリングフィールドに生まれ、メイン州モンソン(Monson)にて死去した。 1920年代に渡欧し当初は彫刻を学んでいたが、マン・レイのスタジオに入り写真をはじめた。その後、1920年代末にはニューヨークに戻り、1939年まで連邦美術計画「変わりゆくニューヨーク」に写真家として参画。このプロジェクトに際して撮影されたものを含め、1930年代を中心としたマンハッタンの写真(都市を記録した写真)が有名で、変貌していくニューヨークを何の技巧的脚色も加えずに淡々と撮影したストレートフォトグラフィである。 1925年に、フランスの写真家、ウジェーヌ・アジェと出会った。アジェが死ぬと間もなく彼の作品をまとめて手に入れ、散逸から救い、最終的にはニューヨーク近代美術館に購入させることに成功した。.

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アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).

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アルベール・グレーズ

アルベール・グレーズ(Albert Gleizes (Albert-Léon Gleizes)、1881年11月8日 - 1953年6月23日)は、フランスのキュビスムの画家。パリに生まれる。.

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アレクサンドル・ロトチェンコ

アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ロトチェンコ(Алекса́ндр Миха́йлович Ро́дченко、Aleksander Mikhailovich Rodchenko 1891年12月5日(ユリウス暦:11月23日) - 1956年12月3日)は、ロシア構成主義の芸術家。絵画、デザイン、舞台芸術、写真など、幅広くに渡って活躍した。.

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アンリ・マティス

アンリ・マティス 1933年 アンリ・マティス(Henri Matisse, 1869年12月31日 - 1954年11月3日)は、フランスの画家。フォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在であり、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。彫刻および版画も手がけている。.

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アンデパンダン展

アンデパンダン展(アンデパンダンてん、仏:salon des artistes indépendants)は、フランスのパリで1884年以降開催されている無鑑査・無褒賞・自由出品の美術展の名称。サロン・デ・ザルティスト・ザンデパンダンやサロン・デ・ザンデパンダンとも呼ばれている。また各国にも影響を与えており、同じアンデパンダンの名を冠し、パリの同展の形態を理想とした独自の展覧会が日本でも開催されている。 1884年、ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャックらによってパリにアンデパンダン美術協会(独立芸術家協会、sociétés des artistes indépendants)が設立され、同年、保守的な審査のサロンに対抗して、審査を介さず作品を来場者に直接問うことを目的に、会費を払えば誰でも無審査で出展できる展覧会(アンデパンダン展)を行った。 アンデパンダン展出身の画家としてアンリ・ルソーらがよく知られている。 日本人では、藤田嗣治、小柳正、板東敏雄、田中保、岡鹿之助、高野三三男、長谷川潔、長谷川路可などが出品している。 2006年以降、パリのグラン・パレ内のLe nefホールに於いて、アンデパンダン展、コンパレゾン展、ル・サロン展などの合同サロン展Art en capitalが開催されている。.

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アンドレ・ロート

アンドレ・ロート(André Lhote、1885年7月5日-1962年1月24日)は、フランスのキュビスム系統の画家。ピュトー・グループに属する。 その作風は、キュビスム作品にしては極めて写実的であり、厳格なキュビスムの作品というよりは「キュビスム的な作品」(キュビスムを応用して、対象を抽象化した作品。ただし、ピカソやブラックのレベルの徹底はしていない)と呼んだ方がより適切である。色彩的にも、カラフルな作品を制作している。 しかし、厳格なキュビスムではなかったゆえに、ロートの作品はかえって日本人には受け入れやすかったという可能性がある。日本人画家では、黒田重太郎が師事し、また、川口軌外が留学中にロートの学校に籍を置いた。他にも、古賀春江など多くの日本人画家に影響を与えたという。 日本では、書籍や展覧会においてまとまった形で紹介されたことはない。.

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アンドレ・ドラン

アンドレ・ドラン(Andre Derain, 1880年6月10日 - 1954年9月8日)は、フォーヴィスム(野獣派)に分類される20世紀のフランスの画家。イヴリーヌ県シャトゥー出身。 アンリ・マティスらとともにフォーヴィスム(野獣派)の運動において指導的役割を果たした画家。風景、人物、静物などさまざまな画題の作品がある。作風も、ポール・シニャック風の点描に近い技法を用いた風景画から、キュビスム風の静物画まで幅広い。 1898年、アカデミー・カリエールに入学。そこでマティスやマルケと知り合う。1900年、独学で絵を描いていたモーリス・ド・ヴラマンクと知り合う。ドランとヴラマンクはシャトゥーに共同のアトリエを設け、以後しばらく共同制作をする。 1905年、マティスとともにコリウールに滞在し制作する。地中海に面した港町コリウールの豊かな色彩は2人の画家の作風に決定的な影響を与えた。この年の秋のサロン・ドートンヌで、マティスらグループの作品が集められた部屋は批評家のルイ・ヴォークセルによって「野獣の檻」と称せられた。これが野獣派(フォーヴィスム)の名の由来である。 1905年末から1906年初めにかけて、画商アンブロワーズ・ヴォラールの勧めでロンドンに滞在し、テムズ川沿いの風景を描く。1907年からはピカソなど「洗濯船」(バトー・ラヴォワール)の画家たちとも交流するようになる。 1919年、バレエ・リュス(セルゲイ・ディアギレフ主宰)の「風変わりな店」の美術と衣装を手掛けたのを最初として、晩年までバレエやオペラの衣装や舞台装飾も手掛ける。また、挿絵、彫刻なども手掛けている。 1921年、イタリア旅行を機に作風はアカデミックなものに回帰し、古典的な陰影や遠近法、落ち着いた色彩で静物、人物等を描くようになる。ヴィシー政権下ではパリに居を構え、ナチス・ドイツにフランス文化の権威として利用される形となり、1941年にドイツを訪れている。このために、終戦後にナチス協力者とみなされて事実上の追放処分となった。晩年には病により片目の視力を失い、1954年、オー=ド=セーヌ県ガルシェで自動車事故により死亡した。.

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アッサンブラージュ

アッサンブラージュ(アセンブリッジ、英語:Assemblage)とは、コラージュやパピエ・コレの立体版、すなわち、「立体的なもの」を寄せ集め、積み上げる、貼り付ける、結び付けるなどの方法により制作された美術作品(立体作品)およびその技法。「アサンブラージュ」と表記されることもある。一般の彫刻概念から逸脱するような立体作品である。全体として、ある種の統一性がある場合もあるが、統一性がなく、混沌としていることが特徴の場合もある。 はじまりは、ピカソのキュビスムの立体作品(1912年頃)とも言われている。 ここで、アッサンブラージュを構成する「立体的なもの」とは、既製品でも、自然物でも、何でも構わない。ただ、材料費がほとんどかからないか安くすむということから、大きな作品の場合には、空き缶・空き瓶などの廃品が使われることがある。そのような場合には、「ジャンク・アート」(junk art、廃物美術、廃品美術)の作品ともとらえられる。 作品の外観は、一般の美醜感覚からは、美しいと言えるとは限らず、反芸術的・非芸術的な要素・素材があり、その点において、ダダイスムに連結する。また、シュルレアリスムにおける立体作品でも、彫刻のイメージからははずれており、アッサンブラージュと呼べるようなものがある。(第二次世界大戦前の)ダダやシュルレアリスムの場合には、むしろ、単に「オブジェ」と呼ばれることの方が多いかもしれない。 レディメイドの作品は、すべてアッサンブラージュに含める考え方と、「アッサンブラージュ」という言葉の意味から考えて、既製品「単品」の場合には含めず(例えば、マルセル・デュシャンの「泉」。1917年)、既製品を2つ以上組み合わせた場合に限り含める(例えば、マルセル・デュシャンの「自転車の車輪(スツールの上に自転車の車輪をさかさまに載せた作品)」。1913年)考え方がある。.

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アビニヨンの娘たち

『アビニヨンの娘たち』(Les Demoiselles d'Avignon)は、1907年にパブロ・ピカソがアフリカ彫刻に興味を持ち描いた絵画作品。これが後に起こる「キュビスム革命」の発端となった。「アビニヨンの女たち」ともいう。描かれた当時のバルセロナのアビニョ通り(carrer d'Avinyó)には売春宿があり、そこの売春婦たち5人を描いたものである。ニューヨーク近代美術館蔵。 Category:パブロ・ピカソの絵画 Category:20世紀の絵画 Category:裸体画 Category:女性のヌードアート.

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イモージン・カニンガム

イモージン・カニンガム イモージン・カニンガム(Imogen Cunningham、資料によってはイモジン・カニンハムとも表記。1883年4月12日-1976年6月24日)は、最も有名なアメリカの女性写真家の一人である。オレゴン州ポートランド出身。 カニンガムは、後にフォト・セセッションのメンバーになったアメリカの女性写真家ガートルード・ケーゼビア(Gertrude Käsebier)の作品に魅せられて写真の道に入った。1901年、シアトルのワシントン大学で写真化学を学んだ後、自身も写真を撮り始めた。ドイツ留学の後1910年にシアトルに自身のスタジオを開設。 彼女は有名人の率直なポートレート写真、花のクローズアップ写真、ヌード写真などのシリーズで知られている。いずれも光と影の強いコントラストからなるモノクローム写真で、対象の個性、造形の美しさや抽象美を浮き彫りにしている。彼女の女性ヌード写真は性的興味から離れ、同性の目から見たモデルの個性、肉体の親密さや官能性をあらわにしている。1920年代後半、彼女は今日でも高く評価されている「植物」のシリーズを開始している。 カニンガムは西海岸でストレートフォトグラフィを標榜したグループf/64の創設メンバーでもあった。.

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エドワード・ウェストン

ドワード・ウェストン(Edward Weston、1886年3月24日 - 1958年1月1日)はアメリカの写真家で、グループf/64の創設メンバー。彼の写真は、ほとんど8×10inの木製大判カメラ(ビューカメラ)で撮られている。.

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エスタック

タックの港 エスタックの家々 Viaduc de Corbière エスタック(L'Estaque)は、フランスのマルセイユの西にある小さな漁村である。行政上はの一地区。.

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オルフィスム

ルフィスム(オルフィズム、Orphisme, Orphism)とは、キュビスムの影響を受けた、フランスにおける絵画の一傾向の呼称。 その傾向は、ピカソとジョルジュ・ブラックのキュビスム作品における抽象化をより押し進め(一部には、抽象絵画といってもいいような作品も含まれる)、一方で、2人の作品では(一時)失われた色彩を自由に使った華麗な作品となっている。 具体的な画家としては、諸説あるものの.

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ギヨーム・アポリネール

ヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire, 1880年8月26日 - 1918年11月9日)は、イタリア出身のポーランド人の詩人、小説家、美術批評家。本名ヴィルヘルム・アポリナリス・コストロヴィツキ(Wilhelm (Albert Vladimir) Apollinaris de Kostrowitzky, Wąż-Kostrowicki)。 印象派批判主義「キュビスム」の先導者の1人。主な作品に『ミラボー橋』がある。 "シュルレアリスム"という語は彼の作品から生まれた。.

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ケルテース・アンドル

ルテース・アンドル, アンドレ・ケルテス(Kertész Andor, André Kertész, 1894年7月2日 - 1985年9月28日)は、ハンガリー出身の写真家。本名(ハンガリー名)は姓を先に表記するケルテース・アンドルだが、日本ではフランス語からの紹介が多いために訳者によってフランス語風にアンドレ・ケルテスと表記される場合が多い。 ブダペストに生まれ、アメリカ合衆国のニューヨークで没した。戦間期に活躍した写真家に多いハンガリー出身者たちのうちでも特に重要なひとりである。.

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コラージュ

ラージュ(-fr-short collage)とは現代絵画の技法の1つで、フランス語の「糊付け」を意味する言葉である。 通常の描画法によってではなく、ありとあらゆる性質とロジックのばらばらの素材(新聞の切り抜き、壁紙、書類、雑多な物体など)を組み合わせることで、例えば壁画のような造形作品を構成する芸術的な創作技法である。作品としての統一性は漸進的な並置を通して形成される。コラージュは絵画と彫刻の境界を消滅させることを可能にした。 絵画におけるコラージュはキュビスム時代にパブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラックらが始めたパピエ・コレに端を発するといわれている。主観的構成の意図を持たない「意想外の組み合わせ」としてのコラージュは1919年にマックス・エルンストが発案した。主に新聞、布切れなどや針金、ビーズなどの絵具以外の物を色々と組み合わせて画面に貼り付けることにより特殊効果を生み出すことが出来る。後に様々な方向で工夫されて発展し、現在に至る。.

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シュルレアリスム

ュルレアリスム(surréalisme、surrealism)は、フランスの詩人アンドレ・ブルトンが提唱した思想活動。一般的には芸術の形態、主張の一つとして理解されている。日本語で超現実主義と訳されている。シュルレアリスムの芸術家をシュルレアリスト(surréaliste)と呼ぶ。 日本ではフランス語と英語の発音が混同され「シュールレアリスム」、「シュールリアリスム」、「シュールレアリズム」、「シュールリアリズム」、「シュルレアリズム」、「シュルリアリズム」、「シュルリアリスム」といったバリエーションがあり、日本語のカタカナ表記においては様々である。 「シュール」は「非現実的」「現実離れ」の意味によく使われる。1970年代前後に「シュール」が日本の広告媒体で頻繁に使用された例がある。いずれにせよシュルレアリスム自体とは意味が異なる。 上記のように、日本語のシュールの用法、または「超現実」という日本語訳によって現実と完全に隔離された非現実を表現することと誤解されることが多い。 シュルレアリスムという名詞自体は詩人ギョーム・アポリネールの作品から引用された造語の固有名詞である。.

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ジャン・メッツァンジェ

ャン・ドミニク・アントニー・メッツァンジェ(メッツィンゲル、Jean Dominique Antony Metzinger 、1883年6月24日 - 1956年11月3日)は、フランスのキュビスムの画家。フランス・ナントに生まれる。.

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ジョルジュ・ブラック

ョルジュ・ブラック(Georges Braque, 1882年5月13日 - 1963年8月31日)は、フランスの画家。パブロ・ピカソと共にキュビスムの創始者のひとり。ピカソよりも画家としてのキャリアでは劣ったが、絵画における発明の才はピカソも一目を置いた。第一次世界大戦を挟んで画風は一変するが、生涯に渡って絵を書き続けた画家である。仲間から「白い黒人」と描写されるほど体格が良く、また好んでスーツを着るハンサムであった。.

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ストレートフォトグラフィ

トレートフォトグラフィ (Straight Photography) とは、ぼかしや、画面構成についての演出、合成といった技巧を用いることなく、人間が見たままのようにシャープな視線で、あるがままの風景、人物等が撮影された写真作品およびそのような表現手段・表現形式のことである。.

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サロン・ドートンヌ

ン・ドートンヌ展(またはサロン・ドトンヌ、フランス語:Salon d'automne)は、サマリテーヌ百貨店をパトロンとし、1903年、マティス、ルオー、ジュルダン、ヴュイヤール、マルケ、ボナール、カモワン、フリエスらの参加によって産声を上げたフランスの美術展覧会である。 サロン・ドートンヌ展(日本語で“秋の展覧会”の意味)設立の裏には、当時大変に保守的だと考えられていたフランスのサロン(フランス芸術家協会のサロン展及び国民美術協会サロン展など)への反抗があったと言われている。 1903年10月、第1回のサロン・ドートンヌ展が開催された。1905年、第3回の展覧会がフォーヴィスムの由来になったことでも知られる。 誕生から一世紀以上過ぎ、フランスのみならず世界の美術コンクールの傾向は大きく変わり、インターネットの普及から芸術のあり方が変わりつつあると言っても過言ではないが、現在でもなおパリが芸術の都といわれるのもサロン・ドートンヌ展があってのことだったともいえる。歴代の作家達の顔ぶれも魅力的で、モディリアーニ、セザンヌ、ピカソ、ブラック、ルノワール、ミロ、ユトリロ、ルドン、カリエール、ドラン、ヴラマンク、ヴァン・ドンゲンらが活躍して来た。フォーヴィズムやキュビズムの作家たちにも活躍の舞台を提供、近代美術史上に大きな実績を残したサロンである。また、田中保、藤田嗣治(レオナール・フジタ)、小山敬三、佐伯祐三、蕗谷虹児、高野三三男、ベル・串田、織田広喜、鶴岡義雄、舘井啓明、ヒロ・ヤマガタ、杉山冽ら、実力派日本人作家達も登竜門として数多く挑戦してきた。前衛作品から具象作品や写実作品まであらゆる傾向の作品を受け入れると同時に、現在に於いても新しいアートの形を探求しつづけている。 サロン・ドートンヌの主催元はサロン・ドートンヌ協会(Société du Salon d'automne)で、本部をフランスのグラン・パレ内に置く。現在も毎年秋にパリ市内にて開催。多くのサロンが衰退する中、現在も企業スポンサーを得て、単独での大会場開催を成し遂げている、個人アーティストの応募に応える数少ない国際サロンのひとつ。近年の日本人入選者数は全体の約5%程度となっていて、毎年数十名の日本人入選者の作品を見ることが出来る。決して広き門とは言えない数字ではあるが、日本人応募者内での入選率は毎年高水準を維持しており、日本国内にも応募手続きをサポートしてくれる窓口的な存在の企業(例:日仏フィグー社、欧州美術クラブ)が存在することが、海を越えての彼らの出展を容易にしている。 2002年、サロン・ドートンヌ100周年記念展がパリ16区にて開催され、映画監督のジャン=ジャック・ベネックスやデヴィッド・リンチらも作品を出展、ピカソらサロン・ドートンヌの歴史を彩ったアーティスト達の子孫で各国で活躍するアーティスト達も一堂に集結した。 2006年展では、路上アートや映像などにも着目した展示を多く展開するなど、次世代のアーティスト達にも門戸を開いている。 2006年以降、パリの各サロンが合同で行う「Salon ART CAPITAL」がグランパレのLe Nefホールにて開催されるようになったが、当初その中心的サロンと考えられていたサロン・ドートンヌ協会はこれには賛同せず、あくまでサロン・ドートンヌ設立当時の主旨を貫くことを宣言し、現在の単独開催に至っている。 2011年からはパリの目抜き通りであるシャンゼリゼ大通りの遊歩道(シャンゼリゼ・クレマンソー広場~コンコルド広場間)に設営される特設会場での開催が実現。 2018年も10月にシャンゼリゼ大通りで開催。.

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写真

写真(しゃしん、古くは寫眞)とは、.

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写真家

写真家(しゃしんか、photographer)とは、主に写真を撮影もしくは製作する事を生活の中心にしている人。カメラマンと区別して写真家と呼ぶ場合、動画ではない写真を撮影する人をさす場合や、特に芸術的な写真を撮影し発表する人(芸術写真家)を指す場合がある。.

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具象絵画

具象絵画(ぐしょうかいが)は、具体的な対象物を、極端な捨象なしに具体的に描いた絵画。 抽象絵画が成立する20世紀以前は、絵画といえば具象絵画であったと言える。 抽象絵画と対比される概念である。抽象絵画との区別は一般的には容易であるが、具象絵画は必ずしも写実的な作品である必要がないため、限界的な作品も多い。例えば、ピカソの分析的キュビスムの作品は具象絵画であるが、描かれた対象が画面上では徹底的に解体されているため、具象絵画であることが一見してよくわからない。また、小さな子ども(幼稚園児など)の描いた絵でもそういう場合がありうる。 なお、絵画はもともと具象絵画と抽象絵画に二分されていたが、上記のような限界的な作品が存在することから、「半具象絵画」や「半抽象絵画」という呼び方も使われ始めている(インターネット上でもその例を発見することができる)。ただ、これらの言葉は、限界的な作品だけではなく、1つの画面上に、具象的な部分と抽象的な部分が同時に含まれている作品に対して使われることもある。.

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立体未来主義

立体未来主義(りったいみらいしゅぎ、立体未来派)またはクボ=フトゥリズム(ロシア語:Кубо-Футуризмクボフトゥリーズム;Cubo-Futurism)とは、1910年代前半に、ロシアで主張された美術の傾向のことである。ロシア、ウクライナで展開された。 これに分類される主要な作家(画家)としては、.

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第一次世界大戦

一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、World War I、略称WWI)は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて戦われた世界大戦である。.

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美術

美術(びじゅつ)は、視覚によってとらえることを目的として表現された造形芸術(視覚芸術)の総称。英語ではファインアート、ビジュアルアート、あるいは アート。.

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絵画

絵画(かいが)は、物体の形象を平面に描き出したもの広辞苑。 日本語では類語の絵が幅広く用いられ、絵画という語は、特に芸術作品としての絵を指す場合がある。ただし、絵と絵画を区別して用いるとは限らない。また画を後ろにつけて描写の技法や対象を示す用語もある(水墨画、静物画など)。 フランス語の peinture(パンチュール)、英語の painting(ペインティング)、日本語の雅言的表現で絵と呼ぶこともある。 文字などを「書く」ことより早く、絵画を「描く」行動は幼少期から見られる行動である。発達心理学などの分野では、14歳から18歳程度で完成期と呼ばれる時期を迎え、多くの人はその頃から、ほとんど描かなくなる。子どもの絵に関する社会科学的研究は豊富だが、大人の絵に関する同様の研究は少ない。その一方で、多くの人が描かなくなる年齢を過ぎても活動的に絵を描く人々が居る。歴史的に代表的なのは画家であると言えるが、現代ではより多くの業種に見出される傾向である。なお、人間の発達には個人差があり、柔軟な姿勢が必要である。.

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遠近法

遠近法(えんきんほう、perspective)は、広義には絵画や作図などにおいて、遠近感を持った表現を行う手法を指す。ここでは特に、目に映る像を平面に正確に写すための技法である「透視図法」(透視法、線遠近法ともいう)について記す。 透視図法によって描かれた図のことを透視図という。英語では「遠近法」「透視図法」「透視図」などを総称して perspective(パースペクティブ)といい、日本では遠近法、透視図のことをパースと称することが多い。(例:「建築パース」「パースがきつい」など) 遠近法の2大特徴として.

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視点

視点(してん)という言葉は、通常異なった2つの意味で用いられる。1つはどこから見ているかという、対象を見るときの立脚点のことであり、もう1つはどこを見ているかという、注視点のことである。本記事では原則として前者の意味で用いる。 認知科学、絵画・写真、文学・映画など幅広い分野で用いられる用語である。.

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近代美術と現代美術

近代美術(きんだいびじゅつ)と現代美術(げんだいびじゅつ)はそれぞれ英語では、modern art、contemporary art。翻訳語であるが例外もあり、その意味は事例によって様々である。同様の語に近現代美術がある。 一般に、時代区分の近代と現代には不変の境界が設けられることはなく、その時々の現代が時間の経過とともに近代に変化するという傾向が不可避であり、近代美術と現代美術の定義の曖昧さの大きな原因ともなっていると言える。.

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抽象絵画

抽象絵画(ちゅうしょうかいが)は、抽象芸術・抽象美術のうちのひとつ。 狭義では、非対象絵画、無対象絵画、絶対象絵画のように、具体的な対象をかきうつすということのない絵画を意味する。 広義には、ピカソのキュビスム作品など、厳密には具象であっても事物そのままの形からは離れている(事物の形にさまざまな変化が施されている)絵画を含むこともあるし、具象絵画に期待される技術的な基礎や表象の卓越性が伴わない絵画を指すこともある。.

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構成主義

構成主義(こうせいしゅぎ、英: Constructivism)は、様々な領域や学問分野で使われる。.

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油彩

油彩(ゆさい)には、以下の2つの意味がある。.

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淵上白陽

淵上 白陽(ふちかみ はくよう、1889年(明治22年)11月14日 - 1960年(昭和35年)2月8日)は、写真家。一般に、日本の近代写真(新興写真)は淵上作品から始まる。 熊本県生まれ。佐賀や長崎で写真を学ぶ。 1922年には写真雑誌『白陽』創刊(1926年まで)し、「日本光画芸術協会」結成(1928年まで)。のち、山本牧彦の「日本光画協会」が継承した。 1928年には渡満し、満鉄情報課嘱託となる。1933年には『満洲グラフ』創刊(1944年まで)。『満洲グラフ』については、その初期において、淵上が実質的な編集責任者であった。 1932年には「満洲写真作家協会」結成、1937年には機関誌『光る丘』創刊(1939年まで)。 1941年に離満。戦後も日本で活動を続けた。 作風は、ピクトリアリスムを基調としながら、キュビスムや未来派の影響を受けた構成派の作品(1920年代半ば)、さらには、ストレートフォトグラフィ(特に、満洲にて)も残している。 写真制作のみならず、むしろ、写真クラブの活動や雑誌の編集・発行に力を入れた。写真の普及に努めたその一生は、そのほとんどを写真に捧げたといってよい。.

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未来派

未来派(みらいは)とは、フトゥリズモ(Futurismo、フューチャリズム、Futurism)とも呼ばれ、過去の芸術の徹底破壊と、機械化によって実現された近代社会の速さを称えるもので、20世紀初頭にイタリアを中心として起こった前衛芸術運動。この運動は文学、美術、建築、音楽と広範な分野で展開されたが、1920年代からは、イタリア・ファシズムに受け入れられ、戦争を「世の中を衛生的にする唯一の方法」として賛美した。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本語

日本語(にほんご、にっぽんご「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は日本国語大辞典など少数にとどまる。)は、主に日本国内や日本人同士の間で使用されている言語である。 日本は法令によって公用語を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令において日本語を用いることが規定され、学校教育においては「国語」として学習を課されるなど、事実上、唯一の公用語となっている。 使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や日系人、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている。統計によって前後する場合もあるが、この数は世界の母語話者数で上位10位以内に入る人数である。 日本で生まれ育ったほとんどの人は、日本語を母語とする多くの場合、外国籍であっても日本で生まれ育てば日本語が一番話しやすい。しかし日本語以外を母語として育つ場合もあり、また琉球語を日本語と別の言語とする立場を採る考え方などもあるため、一概に「全て」と言い切れるわけではない。。日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある。 2017年4月現在、インターネット上の言語使用者数は、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、マレー語に次いで7番目に多い。.

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1851年

記載なし。

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1880年

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1886年

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1890年

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1907年

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1908年

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1909年

記載なし。

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1910年代

1910年代(せんきゅうひゃくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1910年から1919年までの10年間を指す十年紀。.

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1911年

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1912年

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1913年

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1914年

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1918年

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1928年

記載なし。

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1937年

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1953年

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1973年

記載なし。

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20世紀

摩天楼群) 20世紀(にじっせいき、にじゅっせいき)とは、西暦1901年から西暦2000年までの100年間を指す世紀。2千年紀における最後の世紀である。漢字で二十世紀の他に、廿世紀と表記される場合もある。.

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