ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

オルメカ

索引 オルメカ

ン=ロレンソ記念碑1号。代表的な巨石人頭像 オルメカ(Olmeca)は、紀元前1200年頃から紀元前後にかけ、先古典期のメソアメリカで栄えた文化・文明である。アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明であり、その後のメソアメリカ文明の母体となったことから、「母なる文明」と呼ばれる国本伊代『メキシコの歴史』新評論、2002年、37-39ページ。。.

30 関係: 古典期巨石人頭像中央アメリカナワトル語マヤ文明マシュー・スターリングネグロイドメキシコの歴史メキシコ湾メソアメリカモンゴロイドプエブラ州ヒスイテオパンテクアニトランフストラワカ洞窟ベラクルス州アメリカ大陸インディアナ州イサパオシュトティトラン洞穴ゴムジャガータバスコ州先古典期BL出版球技紀元前13世紀生贄熱帯0

古典期

古典期(こてんき;Classic Period (Stage,era))は、メソアメリカ考古学上の時代区分のひとつで、西暦300年頃から西暦900年までを指す。 始期は、グアテマラ・ティカル出土のライデン・プレートにある長期暦の日付(紀元320年)や29号石碑に刻まれた8.12.14.8.15.(紀元292年)頃を目安としている。一方、終期はトニナーの記念碑101号に刻まれた長期暦の10.4.0.0.0.(紀元909年)を目安としている。この時期までに古典期マヤの諸都市は放棄された。 ゴードン・ランドルフ・ウィリー(Gordon R.Willey)とフィリップ・フィリプス(Philip Phillips)によって1958年に著されたMethod and Theory in American Archaeologyで、新大陸全体の考古遺跡について編年の枠組みを構築しようと試みた五段階時期区分(石期(Lithic)、古期(Archaic)、形成期、古典期(Classic)、後古典期(Postclassic))の四番目の時期として位置づけられたのが初出である。その後、アンデス文明については、アメリカの人類学者たちやルイスG.ルンブレラスの提唱した編年が用いられるようになったため、現在では主としてメソアメリカのみで使われている編年用語である。 一般的には、テオティワカンの影響の強い前期と、マヤ諸都市国家が争った後期とに分ける。以前はテオティワカンの影響は5世紀から開始すると考えられていたので、わざわざ中期(Middle Classic)を置く考え方もあった。 古典期という名称は、古代ギリシア、ローマの古典古代のイメージでギリシャのようにマヤ諸都市が繁栄した時期というイメージの名称であるため、メソアメリカ全体の時代区分としては問題があると言われている。アンデスと統一するため、前期ホライズン(Early Horizon/メソアメリカ;オルメカ/アンデス;チャビン)、前期中間期(Early Intermediate Period/モンテ・アルバンⅡ期、原古典期、イサパなど/地方発展期.

新しい!!: オルメカと古典期 · 続きを見る »

巨石人頭像

巨石人頭像(きょせきじんとうぞう、Colossal Head)とは、メキシコ湾岸のオルメカ文化の遺跡に見られるネグロイド的風貌の人物の頭部を表現した巨大な石像のことをいう。「オルメカの頭」を意味するスペイン語のCabeza Olmeca(カベサ・オルメカ)、あるいは英語のOlmeca Head(オルメカ・ヘッド)の呼称で知られる古代メキシコ・オルメカ文明展、P.26。集落の境から出土されている。 材質は玄武岩や安山岩で、、大きさは概ね2メートルから3メートル。ベラクルス州のサン・ロレンソ(San Lorenzo)で10個体、トレス・サポーテス (Tres Zapotes) で2個体、タバスコ州のラ・ベンタ(La Venta)で4個体確認されているほか、ベラクルス州のCobataで1個体確認されている。サン・ロレンソの人頭石像は北方80kmのトウシュトラ(トゥクストラ)山塊から切り出して運ばれてきた石材が使用されている。 以前は、その風貌からアフリカとの交流説もあったが現在では受け入れられていない。頭の「ヘルメット」と呼ばれる浮き彫り文様が他の石碑や石彫などとの類似点が見られ、オルメカの歴代君主あるいは球戯の競技者(宗教的儀式として行なわれた)の肖像ではないか、という説が現在では有力になっている。ラ・ベンタで巨石人頭が少ないのは、全盛期である800B.C.-500B.C.でも後半に当たる時期に巨石人頭像をつくる習慣が廃れて、平面的な石彫をつくる習慣が生まれたと考えられている。またCobataのものは、目と口を閉じているという特徴があり、他の遺跡のものと性格が異なっている可能性がある。.

新しい!!: オルメカと巨石人頭像 · 続きを見る »

中央アメリカ

紫:グアテマラ 緑:ベリーズ 茶:エルサルバドル 青:ホンジュラス 黄:ニカラグア 赤:コスタリカ 桃:パナマ 中央アメリカ(América central.、Central America.)は、中米(ちゅうべい)ともいい、アメリカ州を、北・中・南に分類した場合の北アメリカと南アメリカをつなぐ地峡部でグアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマの7か国からなる地域である。地理的にはメキシコのテワンテペック地峡からパナマ地峡までである 。この場合はメキシコの南部諸州が中央アメリカへ含まれ、パナマの南部が中央アメリカに含まれないことになる。 域内7ヶ国の総人口は約4千2百万人(2009年推定)で総面積は52.4万平方キロメートル(日本の約1.4倍)である。 アメリカ州を南北に2分した場合は中央アメリカは北アメリカに含まれる。 上記の範囲を拡大し、中央アメリカにメキシコおよびカリブ海諸国を含めた中央アメリカ州(または中部アメリカ 、Middle America)という定義もある。これにはさらにコロンビア、ベネズエラを含める場合もある。.

新しい!!: オルメカと中央アメリカ · 続きを見る »

ナワトル語

分布 ナワトル語(ナワトルご、nāhuatl )は、ユト・アステカ語族に属する言語で、今はメキシコなどで推定150万人のナワ族に話されている。メキシコの「言語の権利に関する法律」(Ley de los Derechos Lingüísticos del 2001)によって、スペイン語や他62の言語と同等に、「国語」とみなされている。かつてアステカ人や周辺のインディオが使っていたを指してナワトル語と呼ぶ場合がある。.

新しい!!: オルメカとナワトル語 · 続きを見る »

マヤ文明

マヤ文明(マヤぶんめい)とは、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である。メソアメリカ文明に数えられる。また、高度に発達したマヤ文字をもつ文明でもあった。.

新しい!!: オルメカとマヤ文明 · 続きを見る »

マシュー・スターリング

マシュー・ウィリアムズ・スターリング(Matthew Williams Stirling、1896年8月28日 - 1975年1月23日)は、アメリカ合衆国の考古学者、人類学者。スミソニアン博物館員として主にメキシコ南部、中央アメリカ、南アメリカの発掘調査を行った。オルメカ文明研究の草分けとして知られる。.

新しい!!: オルメカとマシュー・スターリング · 続きを見る »

ネグロイド

ネグロイド(Negroid)とは、身体的特徴に基づく歴史的人種分類概念の一つ。日本では一般に黒色人種・黒人と同義に理解される。ドイツの人類学者ブルーメンバッハによって提唱された五大人種説に基づく。現在でも便宜的・慣用的、またしばしば政治的に用いられる。これに分類される人々の主要な居住地はサハラ以南のアフリカ大陸である。ラテン語のniger(ニゲル、黒)に由来。ニグロイド。.

新しい!!: オルメカとネグロイド · 続きを見る »

メキシコの歴史

この項目では、メキシコ合衆国の歴史について記述する。現在のメキシコに相当する地域には2万年以上前に人類が進出し、高度な文明を築いた。しかし16世紀にスペインが進出してくると植民地化され、厳しい収奪が行われた。18世紀末にヨーロッパで革命が相次ぐと、メキシコでもメキシコ独立革命がおこり独立を果たした。その後帝政、連邦共和政、対外戦争、ディアスの独裁など動乱を経て、1910年から1918年まで続いたメキシコ革命の動乱により近代的国家を実現した。革命後は制度的革命党(PRI)の長期政権の下で近代化と経済開発が進められたが、20世紀後半までにPRIは様々な社会矛盾を蓄積し、2000年の選挙でPRIは下野した。.

新しい!!: オルメカとメキシコの歴史 · 続きを見る »

メキシコ湾

メキシコ湾 メキシコ湾(メキシコわん、英語:Gulf of Mexico、スペイン語:Golfo de México)は、北アメリカ大陸南東部とメキシコ北東部に挟まれた湾である。広くは大西洋、カリブ海(アメリカ地中海)の一部として分類される。.

新しい!!: オルメカとメキシコ湾 · 続きを見る »

メソアメリカ

ラージュ メソアメリカの範囲及び地域区分 メソアメリカ(Mesoamerica)は、メキシコおよび中央アメリカ北西部とほぼ重複する地域において、共通的な特徴をもった農耕民文化ないし様々な高度文明(マヤ、テオティワカン、アステカなど)が繁栄した文化領域を指し、パウル・キルヒホフの文化要素の分布研究により定義された。地理的には、北はメキシコのパヌコ川からシナロア川あたりまで、南はホンジュラスのモタグァ河口あたりからコスタリカのニコヤ湾あたりまでであるが、この境界線は歴史的に一定していたわけではない。 下記のように壮麗な神殿ピラミッドなどを現在も残すメソアメリカ文明が繁栄した地域であるメソアメリカでは、.

新しい!!: オルメカとメソアメリカ · 続きを見る »

モンゴロイド

モンゴロイド (Mongoloid) とは、人類学創始期の形態人類学における人種分類概念の一つである。日本では一般に黄色人種・蒙古人種とも訳される。18世紀にドイツ人の人類学者ブルーメンバッハによって分類された五大人種に基づく。便宜的・慣用的・政治的にさまざまな場面で用いられる。.

新しい!!: オルメカとモンゴロイド · 続きを見る »

プエブラ州

プエブラ州(Estado de Puebla)は、メキシコの州である。州都はプエブラ。州の領域は33,902km2で、メキシコで21番目に大きい。同州は217の自治体を含む。 2010年のセンサスで州の人口は5,779,007人で、約154万人はプエブラ自治体に住んでいる。.

新しい!!: オルメカとプエブラ州 · 続きを見る »

ヒスイ

翡翠の原石(ヒスイ輝石) 翡翠製のボタン 翡翠の小杯 オルメカ文化の翡翠の仮面 メソアメリカの先住民ミシュテカの翡翠の仮面、西暦およそ1300年 - 1350年頃 ヒスイ(翡翠、jade、ジェイド)は、深緑の半透明な宝石の一つ。東洋(中国)、中南米(インカ文明)では古くから人気が高い宝石であり、金以上に珍重された。古くは玉(ぎょく)と呼ばれた。 鉱物学的には「翡翠」と呼ばれる石は化学組成の違いから「硬玉(ヒスイ輝石)」と「軟玉(ネフライト: 透閃石-緑閃石系角閃石)」に分かれ、両者は全く別の鉱物である。しかし見た目では区別がつきにくいことから、どちらも「翡翠」と呼んでいる。.

新しい!!: オルメカとヒスイ · 続きを見る »

テオパンテクアニトラン

テオパンテクアニトランの遺構分布図 テオパンテクアニトラン(Teopantecuanitlán)は、メキシコ、ゲレロ州東部、南シェラマドレ山脈山中のアマクサック川と南側に屈曲して流れるメスカラ川にはさまれた標高600mの平坦な台地上にある先古典期中期に繁栄したオルメカ文明の遺跡(祭祀センター)である。名称はナワトル語で「ジャガー神の神殿」を意味する。レオン山の北東方向にA・B・C群と呼称される3つの遺構群とニーダーベルガーによって調査されたLomeríos地区とが1.6㎢にわたってこの遺跡を構成している。 A群は、C群の南西1.5kmの位置にあり、B群はレオン山の北東の平坦地にN-18°-Wの主軸線状に建造物が並んでいる。B群に隣接して南西方向のレオン山斜面にA群がある。C群は、大規模な建造物2基、球戯場2基をはじめとして数基の小規模な建造物と広場からなっている。A群に隣接するようにして半地下式「中庭」で有名なRecinto複合がある。 テオパンテクアニトランは、メキシコ国立人類学歴史学研究所のガダルーペ・マルティネス・ドンファンによって盗掘からの保護のために1980年代前半に調査が行われた。 テオパンテクアニトランの編年は、古い順からI - III期に分ける考え方と7つの放射性炭素年代測定サンプルによってIII期をIII期とIV期に細分する考え方がある。表面採集調査と土器片の分析によって、テオパンテクアニトランが繁栄したのはII期、III期であることが判明した。.

新しい!!: オルメカとテオパンテクアニトラン · 続きを見る »

フストラワカ洞窟

フストラワカ洞窟(フストラワカどうくつ、Juxtlahuaca cave)は、 メキシコ、ゲレロ州にあるオルメカ様式の壁画で知られる非常に深い洞窟遺跡である。ゲレロ州の州都チルパンシンゴの東方、同じく壁画で知られるオシュトティトラン洞穴(Oxtotitlan cave)から南方30kmの地点に位置する。1966年にプリンストン大学のギレット・グリフィン(Gillett Griffin)とカルロ・ガイ(Carlo T.Gay)によって初めて本格的な調査が行われた。フストラワカの洞窟は非常に深く長く、壁画のある「儀礼の回廊」(Hall of Ritual)にいきつくまでに1200mあり、狭い通路と大きな広間をいくつも通って2時間以上も要する。その間におびただしい人骨の散らばる「死者の回廊」(Hall of Dead)を通ることになる。 フストラワカの壁画(painting)1号。フストラワカの「オルメカ王.

新しい!!: オルメカとフストラワカ洞窟 · 続きを見る »

ベラクルス州

ベラクルス州 (Veracruz de Ignacio de la Llave) は、メキシコ合衆国の31の州の一つで、メキシコ湾の西岸、タマウリーパス州の南隣、タバスコ州の北西、北緯17°10' から22°38'、西経93°55' から98°38'に位置する南北方向に細長い州である。面積は、 72,815km2で、メキシコで11番目であり、2010年センサスで州の人口は7,638,378人でメキシコで3番目に人口の多い州である。 気候は、海岸沿いでは、高温多湿であり、やや内陸の丘陵地帯は、多湿であるが涼しくなる。プエブラ州、イダルゴ州、オアハカ州との州境に近い山岳地帯は、やや寒冷で多雨である。 6月から10月にかけては、カリブ海などで発生するサイクロンの影響を受ける。 州のフォーマルな名称は、「Veracruz de Ignacio de la Llave(イグナシオ・デ・ラ・ジャベの聖十字架)」あるいは、短縮して「Veracruz-Llave」という。州の名称が、単なる「Veracruz」になったのは、フランスがメキシコに侵攻していた1863年に、将軍イグナシオ・デ・ラ・ジャベが亡くなったときからである。 ベラクルス州には、210の自治体があり、住民の80%は、メスティーソで、20%がインディヘナである。山岳地帯でも山頂に近い場所へ行くと、貧しいインディヘナの人々に出会うことがある。工業化された港湾都市のベラクルス、オリサバ、コアツァコアルコスと対照的である。 ベラクルス州は、先古典期には、オルメカ文明の中心部にあたり、州南部には、サン・ロレンソやトレス・サポーテスなどの祭祀センターが築かれ、繁栄した。古典期に入ると、州南部では、トレス・サポーテスに加えて、セロ・デ・ラス・メーサス (Cerro de las Mesas) と呼ばれる祭祀センターが築かれ繁栄した。セロ・デ・ラス・メーサスは、点を1、横棒を5と表示する長期暦の日付けのある石碑で知られる。両方ともテオティワカンの強い影響を受け、円筒型三足土器の出土がみられる。州の中部には、トトナカ文化の中心都市で、「壁龕のピラミッド」で知られる世界遺産の祭祀センターエル・タヒンや笑う土偶で知られるレモハーダス文化が繁栄した。.

新しい!!: オルメカとベラクルス州 · 続きを見る »

アメリカ大陸

アメリカ大陸(アメリカたいりく)とは、南アメリカ大陸と北アメリカ大陸をあわせた呼称。両アメリカや新大陸などとも言う。 南北に分かれた二大陸であるが、両者はパナマ地峡で接続しているため、まとめて超大陸と見なすこともできる。なお、広くアメリカ州(米州)というときは、カリブ海やカナダ北部の島々・海域をも含める場合が多い。 「アメリカ」と言う名称は、イタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチの名から付けられた。詳細はアメリカ州を参照。.

新しい!!: オルメカとアメリカ大陸 · 続きを見る »

インディアナ州

インディアナ州(State of Indiana )は、アメリカ合衆国の中西部に位置する州である。五大湖地域にも含まれる。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第38位、人口では第15位である。前身のインディアナ準州から1816年12月11日に合衆国19番目の州に昇格した。州の北はミシガン州に、東はオハイオ州、西はイリノイ州、南はケンタッキー州に接している。州都はインディアナポリス市であり、人口最大の都市でもある。.

新しい!!: オルメカとインディアナ州 · 続きを見る »

イサパ

イサパ石碑2号 イサパ石碑25号 イサパ(izapa)は、グアテマラとの国境に近いメキシコ、チャパス州タパチュラの東近郊、メキシコシティからは、南東約840kmに位置する丘陵にある先古典期後期の遺跡でイサパ文化、イサパ様式の標式遺跡。チャパス高地の太平洋岸斜面に立地する。マヤ低地における文明の典型と考えられている特徴をいくつか備えている遺跡である。.

新しい!!: オルメカとイサパ · 続きを見る »

オシュトティトラン洞穴

ュトティトラン洞穴をはじめとするオルメカ遺跡の位置 オシュトティトラン洞穴に描かれた壁画の位置図 オシュトティトラン洞穴(オシュトティトランどうけつ、Oxtotitlan cave)は、メキシコ、ゲレロ州にあるオルメカ様式の壁画で知られる奥行きが浅い洞穴遺跡である。壁画は図示したように洞穴の入り口付近に集中している。オシュトティトランの名称は、洞穴から2km西方にあるアカティトランの住民による呼称で、ナワトル語で「穴のある場所」という意味である。同じく壁画で知られるフストラワカ洞窟 (Juxtlahuaca cave) から北方30kmの地点に位置する。発見当時は、ゲレロ州の州都チルパンシンゴから舗装のない悪路を東方に44km進んだ場所にあった。 オシュトティトランの洞穴遺跡は、険しい崖の壁面にある大きな開口部をもつわりに奥行きのない南北二つの洞穴で構成されている。オシュトティトランには3種類の異なったタイプの壁画が見られる。崖の壁面の2箇所に9m2以上にわたって多彩色の壁画(Mural)が見られる。北洞穴(North Grotto)には小さめの黒色の壁画(Painting)が多数見られ、1~9までのグループ番号がつけられている。南洞穴(South Grotto)に描かれた壁画はA,B,Cの3つのグループに分けられシンプルなデザインに赤色が用いられている。これらの壁画についてはスタイルだけでなく、意味も考えるべきであるがその解釈をめぐっては、はげしい論争がある。 オシュトティトランの壁画は、下地に樹脂かあるいはシソ科サルビア属の草であるチーアの実(種子を水に漬けると粘液質が膨潤し、これを絵具のメディウムとして用いることができる)ないし動物の脂肪などの油をベースに多彩色の鉱物質の顔料を用いて描いたと考えられる。.

新しい!!: オルメカとオシュトティトラン洞穴 · 続きを見る »

ゴム

ム(gom)は、元来は植物体を傷つけるなどして得られる無定形かつ軟質の高分子物質のことである。現在では、後述の天然ゴムや合成ゴムのような有機高分子を主成分とする一連の弾性限界が高く弾性率の低い材料すなわち弾性ゴムを指すことが多い。漢字では「護謨」と書き、この字はゴム関連の会社名などに使われることが多い。エラストマーの一種であり、エラストマーはゴムと熱可塑性エラストマーの二つに分けられる。 天然ゴムの原料となるラテックスの採取.

新しい!!: オルメカとゴム · 続きを見る »

ジャガー

ャガー(Panthera onca)は、食肉目ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。.

新しい!!: オルメカとジャガー · 続きを見る »

タバスコ州

タバスコ州(タバスコしゅう、Estado de Tabasco)は、メキシコ合衆国の31の州のひとつで、カンペチェ湾南岸一帯を占め、ベラクルス州の南東、チアパス州の北方、カンペチェ州の南西に位置する。また、テワンテペク地峡の北半を占め、南東には、グアテマラのペテン県が接している。州都は、ビヤエルモサであり、面積は、25,267 km2である。 2010年センサスで州の人口は2,238,818人。.

新しい!!: オルメカとタバスコ州 · 続きを見る »

先古典期

先古典期(せんこてんき、)は、メソアメリカ考古学上の時代区分で、オルメカ文明が繁栄した時代として知られる。その後期に当たる時期にエル・ミラドールやラマナイ、ナクベ、ヤシュナなどに巨大な建造物が築かれていることが判明してきたために、形成期(Formative Period (Stage))という用語に代えて、「古典期に先行する古典期」という意味合いで使われるようになった。 最近では、グアテマラ、ペテン県のサン・バルトロで、古典期同様のマヤ王権がすでに成立していたことを示す壁画が発見されて、マヤ王権の起源を考える上で重大な資料となっている。 アンデス文明や新大陸全体の時代区分では、「形成期」に相当する。概して紀元前2000年頃から紀元後300年の時期を指すが、紀元前後から紀元後300年頃を原古典期(Protoclassic Period (Stage,era))と位置づける研究者もいる。 メソアメリカの先古典期の土器は、オルメカのジャガーなどに関連する独特のシンボルが刻まれる一方で、中期段階(マモム期)になるとマヤ地域では表面にろうのような光沢(waxy)を持つ土器が生産流通した。またエルサルバドルからウスルタン式土器が現れるとそのネガティブ技法ないしレジスト・ペインティングや波線文様を模倣する土器も現れた。.

新しい!!: オルメカと先古典期 · 続きを見る »

BL出版

ビーエル出版株式会社(ビーエルしゅっぱん、BL出版)は神戸市にある童話・絵本などの児童書の出版社。海外児童書やオリジナルの児童書を出版するとともに、いくつかの児童文学賞受賞作の出版も行っている。また知育玩具の販売も行う。.

新しい!!: オルメカとBL出版 · 続きを見る »

球技

球技(きゅうぎ)とは、スポーツの中でも、基本的にはボール(日本語訳「球」)を使用する競技や種目などを指す。種目により、それに用いるボールは様々な材質でできており、大きさも様々である。また、ボールが球形をなしていないものもあり、実際には、ボール以外の形状を用いる場合も、広義で「球技」とする場合もある。例として、ラグビーはボールが球形ではなく楕円球形で、バドミントンは羽状の「シャトルコック」を用い、アイスホッケーは円盤型の小さな「パック」を用いる。.

新しい!!: オルメカと球技 · 続きを見る »

紀元前13世紀

紀元前13世紀(きげんぜんじゅうさんせいき)は、西暦による紀元前1300年から紀元前1201年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: オルメカと紀元前13世紀 · 続きを見る »

生贄

生贄(いけにえ、生け贄とも)とは、神への供物として生きた動物を供えること、またその動物のことである。供えた後に殺すもの、殺してすぐに供えるもののほか、殺さずに神域(神社)内で飼う場合もある。 『旧約聖書』『レビ記』にある贖罪の日に捧げられるヤギは、「スケープゴート」の語源となった。 動物だけでなく、人間を生贄として供える慣習もかつてはあり、これは特に「人身御供」と呼ぶ。.

新しい!!: オルメカと生贄 · 続きを見る »

熱帯

熱帯(ねったい)とは、地球上で緯度が低く年中温暖な地域のことである。緯度による定義、気候区分による定義が存在する。 緯度による定義では、赤道を中心に北回帰線(北緯23度26分22秒)と南回帰線(南緯23度26分22秒)に挟まれた帯状の地域を意味する。英語で熱帯を意味するtropicsは、回帰線(tropic)から生まれた言葉である。 気候区分による定義は気象学者によって複数存在する。以下では気候区分による定義、それもケッペンの気候区分における定義に基づいた内容を紹介する。ケッペンの気候区分における記号はAで、最も低緯度に位置することを示す。 アリソフの気候区分では、1936年に発表された「地理的気候帯」の中に熱帯があり、赤道気候(E)・赤道モンスーン気候(E.M.)・貿易風気候(Pass.)の3つに区分される矢澤(1989):352ページ。さらに貿易風気候は海洋性(Pass.

新しい!!: オルメカと熱帯 · 続きを見る »

0

0 |- | Divisors || all numbers |- | Roman numeral || N/A |- | Arabic || style.

新しい!!: オルメカと0 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

オルメカ文化オルメカ文明

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »