ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

ウルフヘレ (マーシア王)

索引 ウルフヘレ (マーシア王)

ウルフヘレ(Wulfhere、? - 675年)は、七王国時代のマーシア王国の王(在位:658年 - 675年)。父はマーシア王ペンダ。キリスト教に帰依した最初のマーシア王として知られる。しかしながら彼がいつ、どのようにキリスト教徒になったのかは分かってはいない。 彼の登場により、ノーサンブリア王のオスウィは南イングランドの宗主権を失い、代わりに彼がその権力を握った。彼はウェセックスの領土を侵略、現在のバークシャー、オックスフォードシャー、バッキンガムシャーの広範に及ぶテムズ川上流域の渓谷地帯を手中に収め、また南部のワイト島、現ハンプシャーのメオン川流域を侵略、改宗の際に自らがその名付け親となった(すなわち義理の「親」として影響力のある)ケント王のエゼルワルホに与えた。自らはケント王エオチェンベルートの娘エルメニルダを妻とした。 655年に父ペンダがウィンウェドの戦いで戦死、息子のペーダが継ぐとノーサンブリア王オスウィが宗主のもとで従属に甘んじるようになったが、結局ペーダは殺されマーシアはノーサンブリアの支配下を受けてしまう。しかし658年にマーシア貴族たちがノーサンブリアへの反乱を起こすとウルフヘレは王位に、オスウィの支配を一掃させた。 670年に宿敵オスウィが死去、この時点でウルフヘレはアングロサクソン諸国の中で最も強力な王となる。660年代にかけて彼はイングランドハンバー川以南の宗主として覇権を握ったが、父ペンダのようにノーサンブリアに対してはその支配を及ぼす事はできなかった。674年に彼はオスウィの息子エクグフリスに戦いを挑むが敗北、675年に恐らくは病で没した。彼の死後マーシア王位は兄弟であるエゼルレッド1世に継がれた。 うるふへれ うるふへれ.

21 関係: 七王国ペンダ (マーシア王)マーシアノーサンブリアハンプシャーバークシャーバッキンガムシャーワイト島テムズ川アングロ・サクソン人イングランドウェセックスオックスフォードシャーキリスト教ケント655年658年660年代670年674年675年

七王国

七王国(しちおうこく、、ヘプターキー)とは、中世初期にグレートブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人が同島南部から中部にかけての地域に建国した7つの王国のこと。この時代をまた「七王国時代」とも呼ぶ。「ヘプターキー」という言葉は古代ギリシア語の数詞で「7」を指す「ヘプタ()」と「国」の「アーキー()」を足した造語である。最初にこの語を記したのは12世紀の史家ヘンリー・オブ・ハンティングドンであり、16世紀には用語として定着した。 この王国たちが覇を競った時代は、ホノリウス帝がブリタンニアを放棄してから(409年、End of Roman rule in Britain)、ウェセックスのエグバート王がカレドニアを除くブリテン島を統一するまで(825年、)、と考えられている。実際にアングロ・サクソン人が建国した王国は7つのみではなく、多数の群小のアングロ・サクソン人および先住のブリトン人の小国家群とともに林立したが、次第にその中で有力な国家が周囲の小国を併呑して覇権を広げていった。7つという王国の数は、これらの覇権を広げた有力な国を、後世7つの大国に代表させたものである。この王国群の中から後のイングランドが形成され、その領土は「アングル人の土地」という意味で「イングランド」と呼ばれることとなる。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)と七王国 · 続きを見る »

ペンダ (マーシア王)

ペンダ(Penda、? - 655年11月15日)は7世紀、七王国時代のマーシアの王(在位:626年頃 - 655年)。マーシアに隆盛をもたらした人物として知られている。またキリスト教がアングロサクソン諸国に広まりつつあった時代にキリスト教に帰依していなかった人物としても知られる。 ペンダは633年のハットフィールド・チェイスの戦いでノーサンブリア王エドウィンを敗死させ、9年後のマザーフィールドの戦いではエドウィンの後継者オスワルドも戦死させ、イングランド中央部に強大な勢力を持つ王となった。さらに彼はイースト・アングリアと戦いこれに勝利、そしてウェセックスに進攻して王チェンワルフを亡命させ、さらにノーサンブリアへ進攻するなど強大な権力を持つ王となった。しかしその13年後の655年、ノーサンブリアに転戦中、ウィンウェドの戦いで戦死した。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とペンダ (マーシア王) · 続きを見る »

マーシア

マーシア王国の勢力領域。7世紀から9世紀頃にかけて最大版図を得た。濃緑色部分は6世紀頃の支配地域 マーシア (Mercia) は、中世初期イングランドの七王国のひとつであるアングル人の王国。7世紀中ごろから9世紀初頭にかけてイングランド中部で強い勢力をもち、特に8世紀にはふたりのブレトワルダ(上王、大王)を輩出した。マーシアとは『辺境の人々』を意味する Mierce をラテン語化させた後世の呼び名である。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とマーシア · 続きを見る »

ノーサンブリア

ノーサンブリア(英:Northumbria、古英語:Norþanhymbra rīce)は、アングロサクソン人が築いた七王国のうち最北、現在のノーサンバランドにあったアングル人の王国である。 王国の範囲は現在の行政区で言えば、ノース・イースト・イングランド、ヨークシャー・アンド・ザ・ハンバー、カンブリアを含むノース・ウェスト・イングランド、そしてスコティッシュ・ボーダーズまでの範囲に渡る。またハンバー川より北の地方がこう呼ばれ、ハンバー以南の地方はサウサンブリアと呼ばれた。 ノーサンブリアには、という2つの王国が並存していた。これらはときに対立し、ときに統一されてノーサンブリア王国 (6~10世紀) という1つの国になり、そしてまた分裂するということを繰り返した。2つの王家の伝説的な祖先が、オーディンの双生の息子、ベルデーグとウェグデーグとされているところからも、これらがもとは同じ部族であったことが推察される。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とノーサンブリア · 続きを見る »

ハンプシャー

ハンプシャー(Hampshire, 略称:ハンツ(Hants))はイギリスのイングランド南岸にある行政区域で、ハンプシャー州 (the county of Hampshire, Hampshire county) とも呼ばれる。(西から時計回りに)ドーセット州、ウィルトシャー、バークシャー、サリー、ウェスト・サセックスに接している。面積は1455平方マイル (3,769km2) で、東西約55マイル (90km)、南北40マイル (65km) の幅がある。州都はにあるウィンチェスターである。2001年の国勢調査によると、公式の区域には124万人が、行政上は独立しているポーツマスとサウサンプトンを含めた形式上の州には、全部で160万人がいる。 海辺のリゾート地、ポーツマスの軍港、ビューリーの自動車博物館などの観光名所があるため、休日の行楽地として人気がある地方である。ニューフォレスト国立公園は南ダウンズの広大な地域として国立公園になる予定の州境にある。ハンプシャーはイギリス海軍と古くから関係があるほか、イングランドの主要港のうち2つが州内にある。作家ジェーン・オースティンやチャールズ・ディケンズの住まいがあることでも知られる。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とハンプシャー · 続きを見る »

バークシャー

バークシャー(Berkshire, IPA: または、バークス(Berks)と省略することがある)は、イングランド南東部の地域であり、バークシャー州(the county of Berkshire, Berkshire county)とも呼ばれる。ウィンザー城があることからRoyal County of Berkeshireと呼ばれることも多く、この言い方は少なくとも19世紀に遡り、1958年に女王から承認され、確認の「特許状」が、1974年に交付されている。 オックスフォードシャー、バッキンガムシャー、サリー、ウィルトシャー、ハンプシャー、大ロンドンに接している。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とバークシャー · 続きを見る »

バッキンガムシャー

バッキンガムシャー(Buckinghamshire)(略称バックス(Bucks))はイングランド南東部の地域であり、バッキンガムシャー州(the county of Buckinghamshire、Buckinghamshire county)とも呼ばれる。州都はアイルズベリである。 バッキンガムシャー州はアイルズベリヴェール、チルターン、サウス・バックス、ウィコムの4区に分かれる。公式にはミルトン・キーンズも含む。 伝統的な州境界線の詳細はバッキンガムシャーの歴史(英文)を参照のこと。 公式にはオックスフォードシャー州、ノーサンプトンシャー州、ベッドフォードシャー州、ハートフォードシャー州、バークシャー州、大ロンドンと接している。1974年の地方制度改革でバッキンガムシャーはスローとイートンをバークシャー州に譲り、1998年からスローとウィンザー・メイデンヘッドの自治権が強まった。ミルトン・キーンズは1997年に自治権が強化された。 バッキンガムシャー州は農業州で、南にチルターンヒルズ、北にヴェイルオブアイルズベリ(アイルズベリ谷)がある。最高地点はウェンドーヴァー近くの海抜876フィート(267メートル)のクーンビヒルである。肥沃な農業地があり、多くは所有者のいる土地で、特に19世紀はロスチャイルド家が所有していた(バッキンガムシャーのロスチャイルドの資産(英文)を参照のこと)。産業は農業を主体に家具造り(伝統的にハイウィコムが中心)、製薬会社、サービス業と販売業がある。南のロンドンとは通勤電車が走っている。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とバッキンガムシャー · 続きを見る »

ワイト島

ワイト島(ワイトとう、)はイギリスのイングランドの島であり、島全体で1州をなす。本土(グレートブリテン島)から狭い海峡を挟んだ南方に位置し、対岸はハンプシャー州。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とワイト島 · 続きを見る »

テムズ川

テムズ川( )は、南イングランドを流れる川であり、ロンドンを海とつないでいる。代表的なエスチュアリーの入り江をつくる河川である。テームズ川とも表記される。 ルネサンス期にギリシア語が語源であるという誤った認識が広まり、読み方を変えずにからに綴りが変更されている。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とテムズ川 · 続きを見る »

アングロ・サクソン人

アングロ・サクソン人(Anglo-Saxons)は、5世紀頃、現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称である。この中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いた。このようにドイツ起源の民族であるが、現在のドイツ圏の国民をアングロサクソン人と呼ぶことは原則なく、一部地方でサクソン人(ザクセン人)という呼び方が残っている程度である。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とアングロ・サクソン人 · 続きを見る »

イングランド

イングランド(England)は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)を構成する4つの「国」(country)の一つである。人口は連合王国の83%以上、面積はグレートブリテン島の南部の約3分の2を占める。北方はスコットランドと、西方はウェールズと接する。北海、アイリッシュ海、大西洋、イギリス海峡に面している。 イングランドの名称は、ドイツ北部アンゲルン半島出身のゲルマン人の一種であるアングル人の土地を意味する「Engla-land」に由来する。イングランドは、ウェールズとともにかつてのイングランド王国を構成していた。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とイングランド · 続きを見る »

ウェセックス

ウェセックス(Wessex)は、イングランドの七王国の一つ。アングロサクソン人の建てた王国のひとつでデーン人が進攻した時代に生き残った唯一の王国である。また有能な王も輩出しエグバート、アルフレッド大王が有名。とくにアルフレッド大王のもとで行われた文化事業により数々の伝承文献が書き残される事となり、資料の乏しいこの時代の歴史、古英語の文献が現在でも残されている。 なお、ウェセックス(Wessex) の名は、『西サクソン(West Saxon)』に由来する。同様に、サセックス(Sussex)の名は 『南サクソン(South Saxon)』から。エセックス(Essex)の名は『東サクソン(East Saxon)』から由来する。しかし初期の西サクソンと後期のウェセックスとでは歴史的な経緯により支配した領域が変異している(詳しくは後述参照)。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とウェセックス · 続きを見る »

オックスフォードシャー

ックスフォードシャー(Oxfordshire)は、イングランド南東部の地域。オックスフォードシャー州 (the county of Oxfordshire、Oxfordshire county) とも呼ばれる。略称はオクソン(Oxon、ラテン語化したOxoniaから)。ノーサンプトンシャー州、バッキンガムシャー州、バークシャー州、ウィルトシャー州、グロスターシャー州、ウォリックシャー州と隣接する。 オックスフォード、チャーウェル、ヴェールオヴホワイトホース(嘗てはアフィントンホワイトホース)、西オックスフォードシャー、南オックスフォードシャーの5つの地区からなる。 観光業が盛んで、モータースポーツ関連の企業や施設が多い。オックスフォード大学出版局があることから、印刷・出版業も集中している。オックスフォード大学も同様に、この地域にバイオテクノロジー企業が集中する一因となっている。 人口はオックスフォードに集中している。そのほか主要な都市として、オックスフォードの北にあるビスター、バンベリー、チッピングノートン、西のウィットニー、東のテームとチナー、南のアビンドン、ワンテージ、ディッドコット、ヘンリーオンテームズなどがある。南ミッドランズに近いバンベリ、ビスター、ディッドコット周辺は開発が進んでおり、人口増加が期待されている。 州内の最高地点は、ヴェールオヴホワイトホースのホワイトホースヒル(261メートル)である。 州花は、スネークヘッドフリティラリ (Snake's-head Fritillary) である。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とオックスフォードシャー · 続きを見る »

キリスト教

リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とキリスト教 · 続きを見る »

ケント

ント (Kent) には、以下のものがある。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)とケント · 続きを見る »

655年

記載なし。

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)と655年 · 続きを見る »

658年

記載なし。

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)と658年 · 続きを見る »

660年代

660年代(ろっぴゃくろくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)660年から669年までの10年間を指す十年紀。.

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)と660年代 · 続きを見る »

670年

記載なし。

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)と670年 · 続きを見る »

674年

記載なし。

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)と674年 · 続きを見る »

675年

記載なし。

新しい!!: ウルフヘレ (マーシア王)と675年 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

ウルフヘレ

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »