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ウラジミール・マルコフニコフ

索引 ウラジミール・マルコフニコフ

ウラジミール・マルコフニコフ(露:Марковников, Владимир Васильевич、英:Vladimir Vasilevich Markovnikov、1838年12月22日 - 1904年2月11日)は、ロシアの化学者である。 マルコフニコフは、最初は経済学を学んだが、のちにアレクサンドル・ブートレロフの助手となり、カザン大学とサンクトペテルブルク大学で化学を学んだ。1860年から2年間ドイツへ留学して、エミール・エルレンマイヤーとヘルマン・コルベのもとで学んだ。ロシアに帰国して、1869年に博士号を取得し、カザン大学の教授に就任した。1871年からオデッサ大学の教授を務め、その2年後からモスクワ大学の教授を務めた。 マルコフニコフは、彼が1869年に発見したマルコフニコフ則でよく知られている。この規則は、付加反応生成物の分子構造の予測に有用である。彼はこの規則をロシア語以外で公開しなかったので、彼の仕事の大部分は1889年まで知られていなかった。 さらにマルコフニコフは、1879年に6炭素原子以上の炭素環、4炭素原子の炭素環を発見し、1889年に7炭素原子の炭素環を発見することによって、有機化学に貢献した。.

17 関係: 化学者マルコフニコフ則モスクワ大学ロシアロシア帝国ヘルマン・コルベニジニ・ノヴゴロド州アレクサンドル・ブートレロフエミール・エルレンマイヤーカザン大学サンクトペテルブルクサンクトペテルブルク大学環式化合物12月22日1838年1904年2月11日

化学者

化学者(かがくしゃ)は主として化学を研究する研究者である。 化学を意味する"chemistry"は、ギリシア語の「雑多な素材を混ぜ合わせる」という言葉から由来したといわれるが、その本来の語源はアラビア語(كيمياءまたはالكيمياء)である。日本では「舎密学(せいみがく)」と表記したこともある。 語源的には、alchemist(錬金術師、中世の神秘的化学者)と同じ。最初のもっとも著名な化学者は、バーゼル大学医学部の教授だったといわれるパラケルススで、彼はタロット占いのカードの1に描かれている「魔法使い」のモデルとしても知られている。 現在では、意味は化学に携わる研究者のことに限られる。他の学問領域との境界領域に携わっている場合、どう呼ぶかについての明確な定義はない。 時折科学者と取り違えられたり混同される場合があるが、科学と化学は分野の内容や範疇および定義が異なる為に「似て非なる」存在である。 化学者というと「長い白衣を着て、手に試験管を持つ」というステレオタイプがあるが、実際にはそのような化学者は稀である。 長白衣は「袖を引っ掛かけるため、瓶や器具を転倒させて危険」といわれている。ニチェット式の(医師等が着用する)白衣を着用する。元々は指示薬の染みをつけないようにするものであるから、割烹着以上の意味はない。また、試験管で反応させることは稀で、通常はガラス器具を組み立てて実験する。.

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マルコフニコフ則

マルコフニコフ則(マルコフニコフそく)はロシアのウラジミール・マルコフニコフ(Vladimir Vasilevich Markovnikov (Markownikoff))が1869年に発表した二重結合を持つ炭化水素の付加反応に関する経験則。.

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モスクワ大学

モスクワ大学(モスクワだいがく)は、ロシア・モスクワにある国立大学。正式名称は、M.

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ロシア

ア連邦(ロシアれんぽう、Российская Федерация)、またはロシア (Россия) は、ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家。.

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ロシア帝国

ア帝国(ロシアていこく、 ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年から1917年までに存在した帝国である。ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、外満州などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフがロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。.

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ヘルマン・コルベ

ヘルマン・コルベ アドルフ・ヴィルヘルム・ヘルマン・コルベ (Adolph Wilhelm Hermann Kolbe, 1818年9月27日 – 1884年11月25日)はドイツの化学者である。エリーハウゼン (Elliehausen、現在は合併によりゲッティンゲンの一部) に生まれた。 フリードリヒ・ヴェーラーのもとで化学を学び、1842年にマールブルク大学でロベルト・ブンゼンの助手となった。のちにロンドン大学でライアン・プレイフェアを助け、1847年から1851年までユストゥス・フォン・リービッヒとヴェーラーによって著された Handwörterbuch der reinen und angewandten Chemie (化学・応用化学辞典)の編集に携わった。その後マールブルク大学でブンゼンのあとを継ぎ、1865年にライプツィヒ大学に移った。 当時、有機化合物と無機化合物は全く別なものであり、有機物は生物からのみ作り出せると考えられていた。しかし、コルベは無機物から直接、あるいは間接的に有機化合物を合成することも、反応を繰り返し行えば可能であると考えた。彼はいくつかの段階を経て二硫化炭素を酢酸に変換することにより、この理論を証明した(1843から45年)。基(ラジカル)に関する新たな考え方を導入し、構造化学の確立に貢献した。また、二級・三級アルコールの存在を予見した。 脂肪酸などの酸の塩の電気分解を研究し、コルベ電解を開発した。また、コルベ合成またはコルベ・シュミット反応と呼ばれる手法によって、アスピリンの主成分となるサリチル酸を合成した。 エドワード・フランクランドと共に、ニトリルを加水分解するとカルボン酸が得られることを見出した。Journal für praktische Chemie 誌(実用化学雑誌)の編集委員として、時に他の研究に対する厳しい批判者となった。特にアウグスト・ケクレ、ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ、アドルフ・フォン・バイヤーなどには過激な言葉で批判を浴びせたため、彼らの説が立証された後、コルベ自身の死後の評価を落とす結果となってしまった。 1884年、ライプツィヒで心臓発作のため死去した。.

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ニジニ・ノヴゴロド州

ニジニ・ノヴゴロド州(, Nizhny Novgorod Oblast)はロシア連邦の州(オーブラスチ)。州都はニジニ・ノヴゴロド。沿ヴォルガ連邦管区に属する。 「」(ニジェゴロドスカヤ・オブラースチ)というロシア語表記から、英語では「Nizhegorod Oblast」、日本語ではニジェゴロド州と表記される場合もある - 宮城県。.

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アレクサンドル・ブートレロフ

アレクサンドル・ミハイロヴィッチ・ブートレロフ アレクサンドル・ミハイロヴィッチ・ブートレロフ(、1828年8月25日 - 1886年8月5日(ユリウス暦))は、帝政ロシアの有機化学者である。化合物がただ1つの化学構造を持ち、それによって化学的性質が決定されているということをはじめて明確に主張したことから「ロシア化学の父」とロシアでは評価されている。.

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エミール・エルレンマイヤー

エミール・エルレンマイヤー エミール・エルレンマイヤー(Richard August Carl Emil Erlenmeyer、1825年6月28日-1909年1月22日)はタウヌスシュタイン生まれのドイツの化学者、薬学者である。 薬学を修めた後、数年間を薬剤師として過ごした。 ギーセンではユストゥス・フォン・リービッヒ、ハイデルベルクではアウグスト・ケクレの下で学んだ。またロベルト・ブンゼンの下で化学肥料について学んだ。 エルレンマイヤーは1868年から1883年までミュンヘン工科学校で化学の教授を務め、イソ酪酸など様々な有機化合物の発見や合成を行った。1861年には三角フラスコを発明し、これは彼の名前にちなんでエルレンマイヤーフラスコと呼ばれている。またナフタレン分子は2個の炭素原子を共有した2つのベンゼン分子からなる構造であることを発見した。 1880年、彼はケト-エノール互変異性に関するエルレンマイヤー則を提案した。これは、二重結合に直接結合する水酸基を持つ全てのアルコールは、アルデヒドにもケトンにもなりうるというものである。 1883年には健康上の理由から、研究の一線からは身を引いたが、それ以降も相談役は続けた。彼は1909年にアシャッフェンブルクで亡くなった。 Category:ドイツの化学者 Category:ドイツの薬学者 Category:19世紀の自然科学者 Category:ドイツの薬剤師 Category:ミュンヘン工科大学の教員 Category:1825年生 Category:1909年没.

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カザン大学

ン大学本館(19世紀建造) カザン大学(カザンだいがく、、)はロシア・タタールスタン共和国の首都カザンにある大学。1804年に創設され、帝政ロシア時代の大学の中ではヴィリナ(ヴィリニュス)大学、タルトゥ大学、モスクワ大学に次いで4番目に古い今井、西山「カザン大学」『ロシアを知る事典』、134頁。ヴォルガ川中流域やウラル地方における研究・教育の中心地となっており、ロシアにおける「有機化学発祥の地」として知られる。.

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サンクトペテルブルク

'''サンクトペテルブルク周辺の人工衛星写真'''ラドガ湖から南西に流れ出したネヴァ川は北西に流路を変え、フィンランド湾最深部に流れ込む。サンクトペテルブルクの街はネヴァ川河口の三角州を中心に発達した。 サンクトペテルブルク(Санкт-Петербург,, IPA: )は、バルト海東部のフィンランド湾最東端に面するネヴァ川河口デルタに位置するロシア西部の都市、レニングラード州の州都。1917年までロシア帝国の首都であった。 都市建設ののち、第一次世界大戦まで(1703年 - 1914年)はペテルブルク(Петербург)、第一次世界大戦開戦以降(1914 - 24年)はペトログラード(Петроград)、ソビエト連邦時代(1924 - 91年)はレニングラード(Ленинград)と呼ばれた。.

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サンクトペテルブルク大学

ンクトペテルブルク大学(、ラテン文字表記の例:)は、ロシア・サンクトペテルブルクにある公立の大学。モスクワ大学と並ぶロシアの名門大学であり、帝政ロシア、ソ連時代を通じて、ロシアの教育、文化面で多大な役割を果たし、ロシア最多のノーベル賞受賞者(2013年時点で7人、モスクワ大学6人)など有為の人材を多く輩出した。正式名称はサンクトペテルブルク国立総合大学。ロシアでは通常СПбГУ(エス・ペ・ベ・ゲ・ウー、SPbSU)と呼ばれる。世界大学ランキング(QS World University Ranking 2014)では233位であり、モスクワ大学(114位)についでロシアで2番目の位置にある。.

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環式化合物

式化合物(かんしきかごうぶつ、cyclic compound)とは、主に有機化学において構成する原子が環状に結合した化合物のことである。環式化合物には芳香族化合物であるものとそうでないものがある。一つの分子中に1より多くの環が存在する化合物は多環式化合物と呼ぶ。環の大きさは3原子からなるものから多くの原子からなる環まで様々であり、環の種類は全ての原子が炭素であるもの(すなわち炭素環)や原子が全て炭素以外のもの(無機環式化合物)、炭素と炭素以外の原子をどちらも含むもの(複素環式化合物)がある。環の大きさ、環を形成する原子間の個々の結合の結合次数、環内でのそれらの配置に依存して、炭素環および複素環式化合物は芳香族または非芳香族となる。後者の場合、環原子環の結合は完全に飽和されたものから様々な数の多重結合を持つものまで様々である。また、環を構成する原子数が12を越えるものは大員環化合物と呼ぶ。環を構成する原子(炭素、窒素、酸素等)の数のことを環員数と言う。例えば、ベンゼン環は6個の炭素で構成されているので6員環と呼ばれる。 Image:First_four_cycloalkanes.png | 最も単純な炭素環であるシクロアルカンとしてはシクロプロパン、シクロブタン、シクロペンタン、シクロヘキサンがあげられる。 Image:cycloheptane sticks.png|シクロヘプタンは非芳香族化合物である。 Image:Benzol.svg|ベンゼンは芳香族化合物である。 Image:Naphthalene.png|ナフタレンは多環式化合物である。 Image:Porphyrin.svg|ポルフィリンは大員環化合物である。 File:Pentazole.png|ペンタゾールは無機環式化合物である。 Image: Ingenol.svg| インゲノールはテルペノイドの一種である。3員環、5員環、7員環の非芳香族炭素環が縮環した複雑な構造を示す。 Image:Taxol.svg | パクリタキセルは植物由来のテルペノイドであり、4員環、6員環、8員環(炭素環、複素環、芳香族、非芳香族)を含む複雑な多環構造を示す。.

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12月22日

12月22日(じゅうにがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から356日目(閏年では357日目)にあたり、年末まであと9日ある.

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1838年

記載なし。

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1904年

記載なし。

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2月11日

2月11日(にがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から42日目にあたり、年末まであと323日(閏年では324日)ある。.

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