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原古典期

索引 原古典期

原古典期(Protoclassic period)とは、メソアメリカ考古学の編年で、先古典期後期から古典期前期の間に想定された時期区分の名称である。一般的には紀元前100年ないし同50年から紀元250年ないし同300年くらいの時期に位置づけられてきたが、最近では、後述するように概念の見直しを行い紀元1世紀から5世紀の初頭に位置づけるべきだという意見が出てきており、用いることを意識的に避ける研究者も多い。 イサパ石碑2号 エル・バウル石碑1号。原古典期のイメージとしてグアテマラ高地やモンテ・アルバンII期の石碑が想定されている。 原古典期の概念は、1960年代まで漠然と紀元前300年前後のテオティワカンII期とモンテ・アルバンII期に並行し、文字が作られ、イサパ文化などにみられる石彫が造られた時期といったあいまいな使われた方をされてきたが、最も普遍的な定義はゴードン・ランドルフ・ウィリーが1977年に示したフローラル・パーク(Floral Park)相ないし土器複合(ceramic complex)、あるいは、ホルムルI式(Holmul I style)及びそれに似た土器、具体的には、タイプ・ヴァラエティ分類法によるアギラ・オレンジ、アグアカテ・オレンジと呼ばれるグループの乳房型四脚土器(mamiform tetrapod)に代表される土器群に特徴づけられる文化的な内容のこと位置づけられた。言い換えれば、紀元前50年から紀元250年くらいの先古典期の終末と古典期の初頭にあたる紀元250年から同300年に当たる明確なかたまりの時期区分としてとらえられてきた。それに次いで標準的と考えられる定義は、先古典期から古典期の発展段階のように示す概念である。マヤの研究者にとって原古典期という概念は文化的に中立的なものではなく、先古典期や後古典期が古典期の前後という編年的な点に重点があるのに対し、原古典期は、古典期の前兆ないし導入的な区分と考えられてきた。単純に紀元前50年から紀元250年を指し示すというのは、最も新しく出された概念で、二番目の定義に関連して、イサパ文化をはじめアバフ・タカリク、エル・バウルなどのグアテマラ高地周辺の石碑に代表される文化の時期という用いられ方をされてきた。.

41 関係: 原古典期型式学的研究法口縁部古典期層位学的研究法ペテン県ナフ・トゥニッチマヤ文明ノームルチャパ・デ・コルソネガティブ技法メソアメリカメソアメリカの編年モンテ・アルバンワシャクトゥンパシオン川ティカルテオティワカンホルムルホンジュラスベリーズアバフ・タカリクアルタル・デ・サクリフィシオスアーサー・デマレストイサパウスマシンタ川エル・バウルエルサルバドルエズナオルメカカミナルフユカンペチェ州グアテマラジビルチャルトゥンセイバル共伴先古典期編年相 (考古学)蛇紋岩考古学

原古典期

原古典期(Protoclassic period)とは、メソアメリカ考古学の編年で、先古典期後期から古典期前期の間に想定された時期区分の名称である。一般的には紀元前100年ないし同50年から紀元250年ないし同300年くらいの時期に位置づけられてきたが、最近では、後述するように概念の見直しを行い紀元1世紀から5世紀の初頭に位置づけるべきだという意見が出てきており、用いることを意識的に避ける研究者も多い。 イサパ石碑2号 エル・バウル石碑1号。原古典期のイメージとしてグアテマラ高地やモンテ・アルバンII期の石碑が想定されている。 原古典期の概念は、1960年代まで漠然と紀元前300年前後のテオティワカンII期とモンテ・アルバンII期に並行し、文字が作られ、イサパ文化などにみられる石彫が造られた時期といったあいまいな使われた方をされてきたが、最も普遍的な定義はゴードン・ランドルフ・ウィリーが1977年に示したフローラル・パーク(Floral Park)相ないし土器複合(ceramic complex)、あるいは、ホルムルI式(Holmul I style)及びそれに似た土器、具体的には、タイプ・ヴァラエティ分類法によるアギラ・オレンジ、アグアカテ・オレンジと呼ばれるグループの乳房型四脚土器(mamiform tetrapod)に代表される土器群に特徴づけられる文化的な内容のこと位置づけられた。言い換えれば、紀元前50年から紀元250年くらいの先古典期の終末と古典期の初頭にあたる紀元250年から同300年に当たる明確なかたまりの時期区分としてとらえられてきた。それに次いで標準的と考えられる定義は、先古典期から古典期の発展段階のように示す概念である。マヤの研究者にとって原古典期という概念は文化的に中立的なものではなく、先古典期や後古典期が古典期の前後という編年的な点に重点があるのに対し、原古典期は、古典期の前兆ないし導入的な区分と考えられてきた。単純に紀元前50年から紀元250年を指し示すというのは、最も新しく出された概念で、二番目の定義に関連して、イサパ文化をはじめアバフ・タカリク、エル・バウルなどのグアテマラ高地周辺の石碑に代表される文化の時期という用いられ方をされてきた。.

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型式学的研究法

ル・モンテリウス(1913年撮影) 型式学的研究法(typological method)とは、考古学における研究法のひとつであり、考古資料とくに遺物の形態・材料・技法・装飾などの諸特徴によって分類された型式(type)を、年代的な変遷をたどり、地域的な相互比較をおこなって、その遺物(型式)の時間的ないし分布上の位置関係、さらに型式相互の関係性を明らかにしていく研究の方法であり、単に型式学(typology)ともいわれる大塚・戸沢(1996)p.96。この方法は、19世紀後半にスウェーデンの考古学者O.モンテリウス(1843年-1921年)らによって、北欧の青銅器文化の研究などをもとに提唱されたのち、急速に世界的に普及していったが、これについて、スウェーデンの考古学者オーベリ(N.Åberg)は、「先史考古学は、この研究法の確立によってはじめて科学になった」との評価をくだしている。.

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口縁部

口縁部(こうえんぶ;rim)とは、考古学で、土器や陶磁器の特徴を表現する場合に、特に口の部分の部位を指して呼称する語である。ただし、厳密に土器や陶磁器の口の部分の先端からの範囲が決まっているわけではなく、土器や陶磁器の特徴を表現する状況によってその範囲が変化する。口縁部は、土器や陶磁器が年代によって著しく特徴的に変化する部分であり、しばしば、口縁部の変化が編年の指標になることがある。典型的な例として、常滑焼の甕や鉢の口縁部の変化が挙げられる。口縁部のうち、先端に当たる部分を口縁端部(こうえんたんぶ)と呼んでその変化を表現したり、口縁部のうち、先端に当たる部分を含めてやや広い部分の形状を表現したい場合に口唇部(こうしんぶ;lip)という用語を用いることがあるが、口唇部の範囲がどこまでか決まっているわけではなく口縁部とあまり変わらない用い方をしている場合も散見される。 Category:考古学.

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古典期

古典期(こてんき;Classic Period (Stage,era))は、メソアメリカ考古学上の時代区分のひとつで、西暦300年頃から西暦900年までを指す。 始期は、グアテマラ・ティカル出土のライデン・プレートにある長期暦の日付(紀元320年)や29号石碑に刻まれた8.12.14.8.15.(紀元292年)頃を目安としている。一方、終期はトニナーの記念碑101号に刻まれた長期暦の10.4.0.0.0.(紀元909年)を目安としている。この時期までに古典期マヤの諸都市は放棄された。 ゴードン・ランドルフ・ウィリー(Gordon R.Willey)とフィリップ・フィリプス(Philip Phillips)によって1958年に著されたMethod and Theory in American Archaeologyで、新大陸全体の考古遺跡について編年の枠組みを構築しようと試みた五段階時期区分(石期(Lithic)、古期(Archaic)、形成期、古典期(Classic)、後古典期(Postclassic))の四番目の時期として位置づけられたのが初出である。その後、アンデス文明については、アメリカの人類学者たちやルイスG.ルンブレラスの提唱した編年が用いられるようになったため、現在では主としてメソアメリカのみで使われている編年用語である。 一般的には、テオティワカンの影響の強い前期と、マヤ諸都市国家が争った後期とに分ける。以前はテオティワカンの影響は5世紀から開始すると考えられていたので、わざわざ中期(Middle Classic)を置く考え方もあった。 古典期という名称は、古代ギリシア、ローマの古典古代のイメージでギリシャのようにマヤ諸都市が繁栄した時期というイメージの名称であるため、メソアメリカ全体の時代区分としては問題があると言われている。アンデスと統一するため、前期ホライズン(Early Horizon/メソアメリカ;オルメカ/アンデス;チャビン)、前期中間期(Early Intermediate Period/モンテ・アルバンⅡ期、原古典期、イサパなど/地方発展期.

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層位学的研究法

層位学的研究法(そういがくてきけんきゅうほう;stratigraphical method)とは、考古遺物を含む土層(遺物包含層)同士の上下関係や遺構の切り合い関係、その他付帯する要素によって、遺物の年代の新旧を決定する考古学の研究方法。もともとは、地質学から移入された方法であるが、方法論として取り込まれる過程で検証されて考古学独自のものに発展している。.

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ペテン県

ペテン県 (Departamento de Petén) は、グアテマラ共和国にある県 (departamento) である。県都はフローレス。2005年時点の人口は約450,000人である。面積は、国土のおよそ3分の一、33,566平方キロメートルの広大な領域を占める。.

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ナフ・トゥニッチ

ナフ・トゥニッチ(Naj Tunich)は、グアテマラ、ペテン県南東にある地下洞窟で、古代マヤの巡礼地であり、壁画で知られる。.

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マヤ文明

マヤ文明(マヤぶんめい)とは、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である。メソアメリカ文明に数えられる。また、高度に発達したマヤ文字をもつ文明でもあった。.

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ノームル

原古典期、フローラル・パーク土器圏の範囲(橙色)とノームルの位置。 ノームル(ノフムルとも。Nohmul)は、ユカタン半島東岸、ベリーズ北部、オレンジウォーク郡に所在するマヤ遺跡である。名前の由来は、ユカテコ語で、「偉大なる塚」を意味する。オンド川沿岸のアベンチュラ(Aventura)の南西20km、オレンジ・ウォーク町の北方11kmに位置する。2013年5月に多数のピラミッドの表面の石や礫を道路の舗装材にするために重機で削られて、内部が露出する事態となり、世界中に報道された。.

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チャパ・デ・コルソ

チャパ・デ・コルソ(Chiapa de Corzo)の位置図 チャパ・デ・コルソ(Chiapa de Corzo)はメキシコ、チャパス州の中央部に位置する先古典期前期末から後古典期まで居住が続いてきた遺跡で、周辺地域の標式遺跡にもなっている。グリハルバ川左岸にある同名の町の近くにあり、州都トゥストラ・グティエレスからもそれほど遠くない場所である。肥沃な川沿いの低地にあってスミデロ峡谷の川が合流しきらない場所に立地し、先古典期中期からグリハルバ川流域とチャパス州太平洋岸の中心地の一つとして本格的に発展しはじめた。季節によって氾濫する川沿いの肥沃な土地を思う存分に利用するとともに、やや上流のラ・リベルタドから航行可能になりすぐ下流にはスミデロ峡谷から流れる川の合流点があるという好立地を生かし河川交通や交易を統御して後古典期まで繁栄を続けた。 チャパ・デ・コルソは、13期に時期区分され、先古典期のチャパI期 - V期(1500B.C. - 100B.C.)、原古典期のチャパVI及びVII期(100B.C. - A.D.200)、古典期のチャパVIII期 - X期(A.D.200 - 950)、後古典期のチャパXI-A期 - XII期(A.D.950 - 1524)までに区分される。.

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ネガティブ技法

ネガティヴ技法ないしネガティヴ・ペインティング(negative painting)、レジスト・ペインティング(resist painting)とは、形成期ないし先古典期以降、アメリカ大陸全域で地域的に盛行した、しばしばろうけつ染めの原理で説明される土器の施文技法のひとつである。 樹脂、ろうといったものを器の表面に文様を描くように塗り、その上に暗色の顔料や化粧土(slip)を塗って焼成すると、ろうや樹脂がとけて土器本来の胎土の色が白っぽく浮き上がる施文技法と考えられているが、一部の研究者によって、いったん焼成した土器に練ったばかりで湿っている粘土紐ないし何らかの形で粘土を溶かした液体(slip)で文様を描いたりして、その上にろう、油、樹液のような炭化しやすい物質を塗って加熱すると文様を描いていない部分は炭化によって暗い色が塗られたような状態になり、文様を描いた部分は加熱によりスリップが剥げ落ちやすくなって、本来の器面の色が白っぽく浮き上がることが示されたが、実際にどちらの方法が用いられたのかは決着がついていない。.

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メソアメリカ

ラージュ メソアメリカの範囲及び地域区分 メソアメリカ(Mesoamerica)は、メキシコおよび中央アメリカ北西部とほぼ重複する地域において、共通的な特徴をもった農耕民文化ないし様々な高度文明(マヤ、テオティワカン、アステカなど)が繁栄した文化領域を指し、パウル・キルヒホフの文化要素の分布研究により定義された。地理的には、北はメキシコのパヌコ川からシナロア川あたりまで、南はホンジュラスのモタグァ河口あたりからコスタリカのニコヤ湾あたりまでであるが、この境界線は歴史的に一定していたわけではない。 下記のように壮麗な神殿ピラミッドなどを現在も残すメソアメリカ文明が繁栄した地域であるメソアメリカでは、.

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メソアメリカの編年

メソアメリカの編年(メソアメリカのへんねん、Mesoamerican chronology)とは、メソアメリカ地域に栄えた古代文明の時代区分、主として考古学的な時期区分をいい、下記のように区分される。.

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モンテ・アルバン

アハカ盆地の遺跡位置図 モンテ・アルバン(Monte Albán)は、メキシコ、オアハカ州のオアハカ盆地中央、オアハカ市街の西方10km、盆地の「底面」からの比高差400mにある山の頂上を平らにして築かれたサポテカ文化の中心をなす祭祀センターである。紀元前500年頃から紀元800年頃まで繁栄した。後古典期には、ミシュテカ族に支配された。メソアメリカ文明を考える上で非常に重要な考古遺跡であって、1987年に「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡」の名で世界遺産にも登録されている。遺跡全体のひろがりは42km2に及ぶが、中央広場をかこむ東西200m、南北300mの範囲に主な神殿や、天体観測所(建造物J)、球戯場などがある。.

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ワシャクトゥン

ワシャクトゥン(Uaxactún)は、グアテマラのペテン県にある古代マヤの遺跡。先古典期から古典期の長期間にわたって都市として使われた。.

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パシオン川

パシオン川(Río la Pasión)は、グアテマラ共和国の北部低地地域を流れる河川である。アルタ・ベラパス県の丘陵地帯を源とする何本もの源流から成る。これら源流は北へと流れパシオン川を形成し西へと流れ、サリナス川と合流する。この二つの川の合流によってウスマシンタ川という大河となり、北へと流れ、最終的にメキシコ湾へ注ぎ込む。 パシオン川とその支流からなる水系は、ペテン県西部の広い地域を流域とし5,000平方キロメートルを越える。パシオン川流域は古典期に繁栄したマヤ文明の遺跡地帯として認知されており、この地域にある代表的なマヤの祭祀センター、または都市の遺跡は、ドス・ピラス、タマリンディート、アルタル・デ・サクリフィシオス、アグアテカ、セイバル、マチャキラーなどが挙げられる。.

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ティカル

ティカルは、グアテマラのペテン低地にあった古典期マヤの大都市である。マヤ文明の政治、経済中心都市として紀元4世紀から9世紀ごろにかけて繁栄を極めた。ティカルの遺跡は1979年に世界遺産の複合遺産に登録された。 ティカルの紋章文字。.

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テオティワカン

テオティワカン(Teōtīhuacān、Teotihuacan)とは、メキシコの首都メキシコシティ北東約50キロの地点にあり、紀元前2世紀から6世紀まで繁栄した、テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡増田義郎「先コロンブス期の文化」(増田義郎・山田睦男編『新版世界各国史25 ラテン・アメリカ史Ⅰ』山川出版社 1999年)。当時のアメリカ大陸では最大規模を誇り、メソアメリカの中心的都市として機能していた。.

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ホルムル

ホルムル(Holmul)は、グアテマラのペテン県東部にある古代マヤ遺跡。.

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ホンジュラス

ホンジュラス共和国(ホンジュラスきょうわこく、)、通称ホンジュラスは、中央アメリカ中部に位置する共和制国家。西にグアテマラ、南西にエルサルバドル、南東にニカラグアと国境を接しており、北と東はカリブ海、南はフォンセカ湾を経て太平洋に面している。国境はグアテマラとは1933年にアメリカの仲裁により、エルサルバドルとは1992年、ニカラグアとは2007年の国際司法裁判所の裁定により確定した。 大陸部のほかに、カリブ海岸にスワン諸島、バイーア諸島を領有している。首都はテグシガルパ。.

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ベリーズ

ベリーズは、中央アメリカ北東部、ユカタン半島の付け根の部分に位置する英連邦王国の一国たる立憲君主制国家である。北にメキシコと、西にグアテマラと国境を接し、南東にはホンジュラス湾を挟んでホンジュラスがあり、東はカリブ海に面する。首都はベルモパン。 美しい海と珊瑚礁に恵まれ、「カリブ海の宝石」と呼ばれている。ベリーズ最大の島アンバーグリス・キーをはじめ、海岸線に沿って約450の離島があり、リゾート地として知られる。.

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アバフ・タカリク

アバフ・タカリク(Abaj Takalik)は、メキシコ、チャパス州に隣接するグアテマラ、Retalhuleu(レタルウレウ)州のEl Asintal(エル・アシンタル)市管内、イシュチャ (Ixchiyá) 渓谷の西岸に位置する先古典期中期から後期(紀元前1000年頃~紀元後250年)にかけて繁栄した祭祀センターであって、多くの貴重な石碑や石彫の存在で知られる遺跡である。.

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アルタル・デ・サクリフィシオス

アルタル・デ・サクリフィシオスの位置。橙色は原古典期のフローラル・パーク土器圏のひろがり。 アルタル・デ・サクリフィシオス (Altar de Sacrificios) は、グアテマラ中部、パシオン川流域にあるマヤ遺跡である。雨期に増水によって水面下になってしまうパシオン川の両岸を見下ろすパシオン南岸の小高い丘に立地する。アルタル・デ・サクリフィシオスの居住は、マヤ低地最古に属する先古典期中期のシェー相(紀元前900年頃)から始まり、古典期終末まで続く。アルタル・デ・サクリフィシオスの中核部は、A・B・Cの3つの建築グループで構成され、400平方メートルを超える範囲にひろがっている。アルタル・デ・サクリフィシオスの神殿ないし建築物の特徴は、通常基壇の上に神殿がたてられた場合に見られる持ち送り式アーチ(疑似アーチ)の建物の痕跡がみられないということである。そのため、神殿本体は、木造土壁茅葺きのような腐りやすい材質で建てられていたと考えられる。.

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アーサー・デマレスト

アーサー・アンドルー・デマレスト(Arthur Andrew Demarest)は、アメリカ合衆国の考古学者、人類学者。グアテマラの古代マヤ遺跡の大規模発掘で知られる。.

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イサパ

イサパ石碑2号 イサパ石碑25号 イサパ(izapa)は、グアテマラとの国境に近いメキシコ、チャパス州タパチュラの東近郊、メキシコシティからは、南東約840kmに位置する丘陵にある先古典期後期の遺跡でイサパ文化、イサパ様式の標式遺跡。チャパス高地の太平洋岸斜面に立地する。マヤ低地における文明の典型と考えられている特徴をいくつか備えている遺跡である。.

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ウスマシンタ川

ウスマシンタ川(Río Usumacinta)は、グアテマラおよびメキシコを流れる中央アメリカ最大の川である。 グアテマラのペテン地方を主な水源とし北に流れ、下流でグリハルバ川に合流する。流路の一部はグアテマラとメキシコの自然国境となっている。流域には南北アメリカ大陸最北の熱帯雨林が広がり、湿原やラグーンにも恵まれる生物多様性の豊かな地域である。Parque Nacional Laguna del Tigre(グアテマラペテン県)とReserva de la Biosfera Pantanos de Centla(メキシコタバスコ州)がラムサール条約に登録されている。河岸にはヤシュチラン、ピエドラス・ネグラスなどのマヤ文明の遺跡が見られる。近年、森林の伐採、道路の建設、油田の開発による自然破壊の進行が危惧されている。.

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エル・バウル

ル・バウル(El Baul)はグアテマラ南部高地、太平洋岸斜面、エスクイントラ地方の南部にある先古典期後期から古典期にかけての遺跡。長期暦で、7.19.15.7.12?.12(紀元37年)の日付のある1号石碑と古典期中~後期(A.D.400頃~900頃)のコツマルワパ(cotzumalhuapa)様式の7号、27号、30号、50号石碑などで知られる。7号には、「2の猿」「6の猿」といったメキシコ風の日付けが刻まれている。1942年に、エリック・トンプソン(Thampson,J.Eric.S.)によって発掘調査が行われ、1948年にカーネギー研究所より報告書が刊行され、当初、古典期後期に位置づけられた。.

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エルサルバドル

ルサルバドル共和国(エルサルバドルきょうわこく、)、通称エルサルバドルは、中央アメリカ中部に位置するラテンアメリカの共和制国家である。北西にグアテマラ、北と東にホンジュラスと国境を接しており、南と西は太平洋に面している。中央アメリカ5カ国のうち、唯一カリブ海に面していない。首都はサンサルバドル。 カリブ海諸国以外の米州大陸部全体で最小の国家であるが、歴史的に国土の開発が進んでいたこともあって、人口密度では米州最高である。.

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エズナ

ナの位置。 エズナ (Edzná、エツナ、エッナーとも)は、メキシコ、カンペチェ州北部に所在する マヤ遺跡である。ユカタン半島に自生するとげのある低木林の茂るエズナ河谷にあり、州都のカンペチェから南東50kmに位置する。メキシコの国道180号線と261号線で行くことができ、遺跡公園として月曜日から日曜日の午前8時から午後5時まで開園している。 エズナ河谷に人が住み始めたのは大変早い時期で紀元前400年には居住がみられる。先古典期後期に中央グループに大規模な建築活動と後述する水利システム、運河網が築かれた。エズナが全盛に達したのは紀元1000年前後で、この時期にすべての建物が使われていた。エズナが放棄されたのは紀元1500年ごろである。古典期後期においてエズナはカラクムルの支配下にあった。.

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オルメカ

ン=ロレンソ記念碑1号。代表的な巨石人頭像 オルメカ(Olmeca)は、紀元前1200年頃から紀元前後にかけ、先古典期のメソアメリカで栄えた文化・文明である。アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明であり、その後のメソアメリカ文明の母体となったことから、「母なる文明」と呼ばれる国本伊代『メキシコの歴史』新評論、2002年、37-39ページ。。.

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カミナルフユ

ミナルフユ(Kaminaljuyú)は、グアテマラにある古代の高地マヤ遺跡。先古典期から古典期まで人が居住しており、高地マヤの中心地だった。現在は遺跡の大部分は首都グアテマラシティの市街地の下に埋もれているが、アクロポリス周辺が遺跡公園として残る。.

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カンペチェ州

ンペチェ州 (Estado de Campeche) は、メキシコ南東部の州。長い間ユカタン州の一部であったが、1857年8月7日に離脱し独立した州となった。 州の北東部はユカタン州に接し、東はキンタナ・ロー州、南西部はタバスコ州に接する。南部はグアテマラのペテン県と接する。また西部はメキシコ湾に面する。カンペチェ州の領域は56,798km2(約21,924平方マイル)。 2010年センサスで州の人口は822,001人で、58%がカンペチェ自治体とカルメン自治体に住んでいる。 古典期にティカルと覇権を争った世界遺産にもなっているマヤ文明の大遺跡、カラクムルとプウク式の優美な五層の神殿で知られるエズナー遺跡、マヤ人の風俗習慣、精神生活を生き生きと表現し、新大陸で有数の美術的価値を評価されている土偶で知られるハイナ島は、この州にある。 また、同州のカンペチェ油田(Kab 101、Ixtoc I oil spill)はメキシコ湾岸油田の一翼を担い、その多くは隣国アメリカへと輸出されている。これによって得られた利益は同国の経済発展に貢献している。.

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グアテマラ

アテマラ共和国(グアテマラきょうわこく、)、通称グアテマラは、中央アメリカ北部に位置する共和制国家である。北にメキシコ、北東にベリーズ、東にホンジュラス、南東にエルサルバドルと国境を接しており、北東はカリブ海に、南は太平洋に面する。首都はグアテマラ市。 先コロンブス期にはマヤ文明が栄え、現在も国民の過半数はマヤ系のインディヘナであり、メキシコを除いた中央アメリカで最も人口の多い国である。経済的にはエルサルバドルと共に中央アメリカの中位グループに属するが、1960年から1996年まで続いたグアテマラ内戦により治安や政治においてグアテマラ社会は未だに不安定な状態にある。.

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ジビルチャルトゥン

ビルチャルトゥン(Dzibilchaltún)は、メキシコのユカタン州にあるマヤ遺跡。先古典期からスペイン人の到来までの長い歴史を持つ。.

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セイバル

イバル(Seibal, Ceibal)は、グアテマラ、ペテン県のパシオン川西岸の急峻な断崖の丘陵上に位置するマヤ遺跡である。先古典期中期初頭から古典期終末まで、盛衰を繰り返した。この遺跡の名前は、本来「セイバ(Ceiba)の木のある場所」という意味の現地スペイン語で "Ceibal" と綴られていたが、後述するような理由で "Seibal" と綴られることが多くなっている。また、少なくとも55基に及ぶ石製記念碑が確認されており、そのうち21基が石彫の状態がよいことで早くから注目されてきた。セイバルの中心部は、1平方キロにわたっていくつかの丘陵上に築かれ、大きく3つに分けられ西側からA,C,Dと名づけられている。最盛期となった古典期終末(バヤル相)の人口は、ハーバード大学の調査隊による家屋の存在を示すマウンドの数や濃度などによって1万人に達したであろうと推計されている。.

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共伴

共伴(きょうはん,英:in association with,associated with,co-occur with)とは、考古学において、異なる種類ないしは性格の遺物が同じ遺構から一緒に出土することをいう。 たまたま物理的に一緒にひとつの遺構から出土したのか、遺構のなかで何らかの意味を持って出土したのか、それとも壊れにくい遺物で伝世した結果、その遺構で確認されたのかという問題はあるが、共伴資料、共伴遺物は、考古学上の編年、つまり遺物の年代的位置づけを行うのに貴重な資料となる。 つまり、同じ墓から出土した陶磁器は、同じ時期に使用されていたことになり、同じ年代のものである可能性が大きくなる。同じ住居跡から出土した土師器と須恵器は比較的壊れやすいことから同じ時期か近い時期のものと考えられる。焼失住居で、年輪の年代がわかる木材が良好に残っていれば、その土器の年代がさらに絞られる。また、マヤ文明の王墓などで壁画などに長期暦の日付けが描かれている墓から出土した土器は、その日付けの示す年代が王の死亡した日などを示すならば、それ以前に生産されて使用されていたことがわかる、またその墓から貝を使用した楽器が出土したり、遺物同士の配置などその組み合わせから当時のものの考え方を知るタイムカプセルになりうるなど考古学上貴重な資料となるのが共伴資料である。考古学者が一番目の色を変えて探す資料といえる。.

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先古典期

先古典期(せんこてんき、)は、メソアメリカ考古学上の時代区分で、オルメカ文明が繁栄した時代として知られる。その後期に当たる時期にエル・ミラドールやラマナイ、ナクベ、ヤシュナなどに巨大な建造物が築かれていることが判明してきたために、形成期(Formative Period (Stage))という用語に代えて、「古典期に先行する古典期」という意味合いで使われるようになった。 最近では、グアテマラ、ペテン県のサン・バルトロで、古典期同様のマヤ王権がすでに成立していたことを示す壁画が発見されて、マヤ王権の起源を考える上で重大な資料となっている。 アンデス文明や新大陸全体の時代区分では、「形成期」に相当する。概して紀元前2000年頃から紀元後300年の時期を指すが、紀元前後から紀元後300年頃を原古典期(Protoclassic Period (Stage,era))と位置づける研究者もいる。 メソアメリカの先古典期の土器は、オルメカのジャガーなどに関連する独特のシンボルが刻まれる一方で、中期段階(マモム期)になるとマヤ地域では表面にろうのような光沢(waxy)を持つ土器が生産流通した。またエルサルバドルからウスルタン式土器が現れるとそのネガティブ技法ないしレジスト・ペインティングや波線文様を模倣する土器も現れた。.

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編年

編年(へんねん、Chronology)とは、日本では通常考古学において遺構及び遺物の前後関係や年代を配列すること、またはその配列自体を指す語として使われる。英語の"Chronology"は考古学以外の、例えば絵画や人物の年代、年譜についても使用されるが、本項では考古学における「編年」について解説する。.

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相 (考古学)

(そう、Phase、fase)は、考古学の学問的方法によって把握された文化的文脈ないし枠組み、内容の理論的な縮図、遺跡を見たときに層位的にも遺構の集合やそれに伴う遺物が同時期の文化的な広がりとして把握しうる理論的な状態のことを言うが、一般的に考古学上の用語として、土器など遺物の器種、形式の組み合わせ(アッセンブリッジ;assemblage)などによってその時代の特徴を様相としてとらえた(時期)区分名として使われる場合が多い。遺跡を「期」(era,period)や「段階」(stage)などの時間軸を表す時期区分とことなり、一遺跡の遺構や遺物が表す文化の様相を時系列順に配列することによって、結果として時期区分の名称となる。 具体的には、土器様式、土器複合を表現する名称に相の名称が用いられたり、その遺跡の編年を考える場合に「期」や「段階」という表現が適当でないと判断される場合に、相が存在した時代を表す時期区分の名称として用いられる。 方法論的には、ある遺跡を調査した場合に「相」として把握できる遺構・遺物の状態が空間的に整合性をもって他の遺跡でも把握できるのが理想的であるが、各遺跡ごとに「相」の内容が微妙に異なっている場合があったり、同じ「相」とはいいきれない場合があり、時期も微妙に食い違うことがありうる。そのため遺跡ごとに設定することが可能である意味では、その遺跡の調査担当者にとっては調査の客観性、遺跡の個別性を位置づけるのに都合がよい。 一方で、同じような文化の様相をもつ遺跡同士は、時期的にも内容的にも遺構や遺物から読み取れる文化の様相が同じであったり近かったりすることがありうる。しかし、前述したように遺跡ごとに調査担当者が「相」を設定しうることからその「相」の示す意味内容がわからなくなって、共時的、空間的に共通性を把握するのが困難となる。 層位学的に考えた場合、ある遺跡のある「相」が、それ以前の「相」を平面的に削って、その古い「相」が把握できなくても、その古い「相」の特定の要素が、例えば土器片などで新しい「相」のものとは考えられない要素として把握できた場合、本来新しい「相」の下層にあるべきものが、その新しい「相」の時期にその新しい「相」によって削られるようなことも確認できる場合がある。.

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蛇紋岩

蛇紋岩 蛇紋岩(じゃもんがん、serpentinite)は、主に蛇紋石(serpentine)からなる岩石である。変成岩ないし火成岩中の超塩基性岩のどちらかに分類される。岩石の表面に蛇のような紋様が見られることから、蛇紋岩と命名された。2016年5月10日に日本地質学会によって「岩手県の岩石」に選定された。.

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考古学

考古学(こうこがく、英語:archaeology)は、人類が残した物質文化の痕跡(例えば、遺跡から出土した遺物、遺構などの考古資料)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。.

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