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イデル=ウラル

索引 イデル=ウラル

イデル=ウラル(, ローマ字表記: İdel-Ural, )とは東ヨーロッパの歴史的地域の名のひとつ。現在のロシアの一部で、ヨーロッパ・ロシア東部のテュルク系民族の多く住む地をあらわす。イデルとはタタール語でヴォルガ川、ウラルはウラル山脈のことを指す。ロシア語の「ヴォルゴ=ウラリエ」(Volgo-Uralye, Волго-Уралье)という語も使われる。 イデル=ウラルという語は、ヴォルガ川両岸からウラル山脈にかけて広がる六つの民族共和国・バシコルトスタン共和国(テュルク系バシキール人)、チュヴァシ共和国(テュルク系チュヴァシ人)、マリ・エル共和国(フィン・ウゴル系マリ人)、モルドヴィア共和国(フィン・ウゴル系モルドヴィン人)、タタールスタン共和国(テュルク系タタール人)、ウドムルト共和国(フィン・ウゴル系ウドムルト人)を指すときにしばしば使用される。特にタタール語文学ではその傾向が強い。 16世紀にこれらの地をロシア・ツァーリ国が征服するまでは、ハザール、ヴォルガ・ブルガール、ジョチ・ウルス、カザン・ハン国などの遊牧国家が成立していた。ロシア革命後のロシア内戦期には、タタール人の独立を求めてイデル=ウラル国が成立していた。 イデル=ウラルはヴォルガ地方(ポヴォーロジエ、Пово́лжье, Povolzhye)に含まれる。政治的には沿ヴォルガ連邦管区に入っている。 Category:中央ユーラシアの歴史的地域 Category:ロシアの地域 Category:ロシアの歴史的地域 Category:テュルク系民族の歴史.

31 関係: マリ人マリ・エル共和国チュヴァシ人チュヴァシ共和国ハザールバシキール人バシコルトスタン共和国モルドヴィン人モルドヴィア共和国ヨーロッパロシアロシアロシアの共和国ロシア・ツァーリ国ロシア内戦ロシア革命ヴォルガ川ヴォルガ・ブルガールテュルク系民族イデル=ウラル国ウラル山脈ウドムルト人ウドムルト共和国カザン・ハン国ジョチ・ウルスタタールタタールスタン共和国タタール語遊牧国家東ヨーロッパ沿ヴォルガ連邦管区16世紀

マリ人

マリ人(Мари́йцы)とは、ロシアのヴォルガ川やカマ川沿岸に伝統的に居住しているウラル語族系民族。その大多数がマリ・エル共和国に居住しており、タタールスタン共和国やバシコルトスタン共和国にも多く住んでいる。かつては、チェレミス人(черемисы、タタール語: чирмеш、Çirmeş)とも呼称されていた。人種はウドムルト人、コミ人、モルドヴィン人に近くコーカソイドに属するが、モンゴロイドの遺伝子も見られる。 現在のマリ人は、.

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マリ・エル共和国

マリ・エル共和国(、マリ語:)は、ロシア連邦の連邦構成主体の1つ。 フィン・ウゴル語派種族であるフィン・ヴォルガ系のマリ人(チェレミス人)による民族自治共和国で、沿ヴォルガ連邦管区に所属する。 首都はヨシュカル・オラ。.

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チュヴァシ人

チュヴァシ人(チュヴァシ語:чǎвашсем, чăваш халăхĕ、ロシア語:чуваши、タタール語:Çuaşlar)は、ロシア連邦チュヴァシ共和国を中心に居住するテュルク系民族。 チュバシ人とも呼ばれる。.

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チュヴァシ共和国

チュヴァシ共和国(チュヴァシきょうわこく、チュヴァシ語:Чăваш Республики、ロシア語:Чувашская Республика)は、ロシア連邦地域管轄区分のひとつ沿ヴォルガ連邦管区に属する共和国である。首都はチェボクサル(Чебоксары)。.

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ハザール

ハザール(突厥文字:、Khazar、ヘブライ文字:הכוזרים)は、7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北からコーカサス、黒海沿いに栄えた遊牧民族およびその国家。支配者層はテュルク系民族と推測されている。交易活動を通じて繁栄した。アラビア語、ペルシア語資料では خزر Khazar と書かれている。日本語ではハザル、ハザリア、ホザールあるいはカザールと表記されることもある。.

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バシキール人

バシキール人・バシュキール人(bashqorts)は、主としてロシア連邦のバシコルトスタン共和国に居住するテュルク系民族。自称はバシコルト(バシュクルト)。1989年のデータで、ソ連領内に144万9千人が居住していた。 人種は、モンゴロイドをベースとするもコーカソイドの血もかなり混じっている。言語は、テュルク諸語の北西語群(キプチャク語群)に属するバシキール語。主要宗教はイスラム教スンニー派である。.

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バシコルトスタン共和国

バシコルトスタン共和国(ロシア語:、バシキール語:、タタール語:)またはバシキリア()は、ロシア連邦を構成する沿ヴォルガ連邦管区に含まれる共和国。 首都はウファ。 面積、143,600km²。 人口、4,104,336人(2002年)。 人口密度、29人/km²。.

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モルドヴィン人

モルドヴィン人(Мордвин, Mordvin)は、モルドヴァ人(Мордва, Mordva)とも言い(日本では「モルドヴァ人」はモルドヴァ共和国に住むルーマニア系の民族のことも指すので、注意を要する)、主としてロシア領内のモルドヴィア共和国に居住するヴォルガ・フィン系民族。コミ人、ウドムルト人、マリ人とは親近関係にある。人種はコーカソイドに属するが、モンゴロイドの遺伝子も持っている。 人口はおよそ120万人で、およそ4分の1前後がモルドヴィア共和国に居住し、モルドヴィアの人口の3分の1程度を占める。 本来はフィン・ウゴル語派のモルドヴィン諸語に属す互いに異なった(しかし、方言程度の差とされる)言語であるエルジャ語とモクシャ語の話し手であり、エルジャ人とモクシャ人という二つの集団に分かれている。ただし、モルドヴィン諸語の話者人口は90万人程度で、少なからぬ人々がロシア語しか使用しなくなっている。 6世紀の歴史家によって東ゴート人に征服された民族のひとつとして記録されたのが史料上の初見。古くはルーシのスラヴ人たちと戦った記録があり、のちにモンゴル帝国に征服された。ロシア帝国の傘下に入ってからは正教が広まるが、言語と民族性を維持し続け、ソビエト連邦下でモルドヴィア自治共和国を立てた。.

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モルドヴィア共和国

モルドヴィア共和国(モルドヴィアきょうわこく、Respublika Mordoviya, Республика Мордовия)は、ロシア連邦の連邦構成主体のひとつ。モルドヴィン人の民族自治共和国で、沿ヴォルガ連邦管区に所属する。首都はサランスク。モルドバ共和国、モルドヴァ共和国とも呼ばれる(ただし後述も参照のこと)。.

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ヨーロッパロシア

ヨーロッパロシア(European Russia、Европейская часть России、略称:欧露)は、ロシアの領土の内ヨーロッパに分類される、西側部分を指す名称である。 ヨーロッパロシアは総面積約3,960,000km2で、2015年現在の欧州連合加盟国の総面積よりやや小さいが、インドの全面積より大きく、ヨーロッパ全体の約40%を占める。東の境界はウラル山脈により規定され、南側はカザフスタンとの国境により規定される。連邦管区としては、中央連邦管区、南部連邦管区、北西連邦管区、沿ヴォルガ連邦管区が該当する。これらのヨーロッパ・ロシア地域にはモスクワやサンクトペテルブルクといったロシア西部の大都市が含まれる。 ロシア連邦の全人口の約77%(全人口約1億4000万人のうち約1億1000万人)がヨーロッパロシアに居住しており、人口密度は約27人/km2である。ロシアの全面積の約75%の領土はアジア側に属するものの、アジアロシア地域には人口の約22%しか住んでおらず、人口密度も2.5人/km2と約10倍の開きがある。 19世紀では「ヨーロッパ・ロシア」という用語はロシア帝国において、伝統的にロシアの影響下にあった現代のベラルーシとウクライナの大部分(ドニプロ・ウクライナ)を含む東スラヴ地域を指す際に使用された言葉でもあった。.

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ロシア

ア連邦(ロシアれんぽう、Российская Федерация)、またはロシア (Россия) は、ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家。.

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ロシアの共和国

ア連邦は85の連邦構成主体に分かれるが、そのうち22主体が共和国を称する。共和国は、ロシア民族以外の民族が郷土としている地域に建てられている。自民族の名を共和国の名にできる民族集団(ナーツィヤ、国民国家を持てる規模の民族)のことをロシアでは「基幹民族」(名義上国民国家の主体となる民族、Titular nation, титульная нация)と呼ぶ。彼らはロシア連邦の枠内で自らの国土や国語を持つことができ、名義上の国民国家を形成している。ソビエト連邦成立後の数十年、あるいはそれよりも何世紀も前からロシア人などが多数移住しているために、こうした先住民族・基幹民族はすでに共和国の多数派ではないことが多い。また、2014年のロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入によりクリミア共和国はロシアに編入され、ロシアの共和国となったが、ロシア以外の国の多数はウクライナに属するとしており、ロシア領と認めていない。.

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ロシア・ツァーリ国

ア・ツァーリ国(ロシア・ツァーリこく、ロシア語:Царство Русское)は、1547年にイヴァン4世がツァーリの称号を帯びて以後、1721年にピョートル1世がロシア帝国建国を宣言するまで用いられていたロシア国家の公称である。.

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ロシア内戦

ア内戦(ロシアないせん、ロシア語:Гражданская война в России グラジュダーンスカヤ・ヴァイナー・ヴラスィーイ)は、1917年から1922年にかけて旧ロシア帝国領で争われた内戦である。 1917年のロシア革命後に成立したボリシェヴィキ政府は、1918年3月にドイツとブレスト=リトフスク条約を締結した。この講和条約はロシア連邦共和国にとって苦渋の選択だった。2月に開始されたドイツ軍の進撃を食い止めることができなかったボリシェヴィキは、現在のバルト三国、ベラルーシ、ウクライナにあたる広大な領域をドイツに割譲しなければならなかった。 ロシアに極めて厳しい条件を課したこの条約に刺激され、ロシアの内外で反ボリシェヴィキ運動が活発化し始めた。このようにして発生した内戦の多くは1920年までに終結したが、1922年に至るまで大規模な反乱・蜂起が散発している。シベリア沿海州における白軍政権の崩壊をもって内戦は終結した。 ソビエト連邦の歴史学では、慣習的にロシアという言葉を用いず、1917年から1922年にかけての内乱、国内戦、諸外国による軍事干渉といった用語を用いていた。これは、舞台となった地域の大半がその後ソ連領となったこと、ポーランド・ソ連戦争やウクライナにおける民族運動、バスマチ運動、中央アジアにおける列強の干渉を含む為である。.

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ロシア革命

ア革命(ロシアかくめい, Российская революция ラシースカヤ・レヴァリューツィヤ, Russian Revolution)とは、1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称である。特に史上初の社会主義国家樹立につながったことに重点を置く場合には、十月革命のことを意味している。また逆に、広義には1905年のロシア第一革命も含めた長期の諸革命運動を意味する。 「二月革命」、「十月革命」は当時ロシアで用いられていたユリウス暦における革命勃発日を基にしており、現在一般的に用いられるグレゴリオ暦ではそれぞれ「三月革命」、「十一月革命」となる。この項目で使用されている月日は1918年2月14日のグレゴリオ暦導入までの事柄についてはユリウス暦による月日で表記しており、13日を加算するとグレゴリオ暦の月日に換算できる。.

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ヴォルガ川

最上流の町・ルジェフ周辺(1909年から1915年頃のカラー写真) ヴォルガ川流域 ヴォルガ川(ヴォルガがわ、 ヴォールガ)は、ロシア連邦の西部を流れる、ヨーロッパ州最長の川で、ロシア主要部(ヨーロッパ・ロシア中心部)を水系に含む「ロシアの母なる川」でもある。全長は3,690kmにおよぶ。.

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ヴォルガ・ブルガール

ヴォルガ・ブルガール(タタール語:İdel Bolğarı、チュヴァシ語:Атăлçи Пăлхар、ロシア語:Волжская Булгария、英語:Volga Bulgaria)は、7世紀から13世紀にかけて、 ヴォルガ川とカマ川の合流点周辺に存在した国家である。ヴォルガ・ブルガールの領域は、今日のロシア連邦内のタタールスタン共和国とチュヴァシ共和国の領域に相当し、ヴォルガ・タタール人、チュヴァシ人は、ヴォルガ・ブルガール人の末裔とみられている。.

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テュルク系民族

世界のテュルク系民族の分布。濃い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている国。薄い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている自治地域。 テュルク系民族の分布。 テュルク系民族(テュルクけいみんぞく、 または、 、 )は、中央アジアを中心にシベリアからアナトリア半島にいたる広大な地域に広がって居住する、テュルク諸語を母語とする人々のことを指す民族名称である。.

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イデル=ウラル国

イデル=ウラル国(İdel-Ural Ştatı)は、20世紀初頭に存在したタタール人の共和国。首都はカザン。この国家はロシア内戦の混乱の中でのタタール人、バシキール人、チュヴァシ人の同盟であった。まれにカザン・ハン国の再興運動と見られる。ロシアやシベリア出身のムスリムの議会が1917年12月12日に宣言した。"イデル・ウラル"はタタール語で"ヴォルガ・ウラル"を意味している。わずか約1年で消滅した短命国家であった。 1917年5月5日、マリ人、チュヴァシ人、ウドムルト人、モルドヴィン人、コミ人、コミペルミャク人、カルムイク人、タタールを代理する800人を超える非ロシア人の代表がロシアのイデル=ウラル地域に独立した共和国を作るためにカザンで会議を行った。最初の具体的措置としてカザン大学に4つの教授職と2つの研究者職を置くことを決定した。イデル=ウラル国の主な概念は小国の緩やかな連合で、それぞれの文化的伝承を強めることが自由であるとされた。最初にムスリムのバシュキール人が参加を主張したが、1917年後半には彼らとヴォルガ・ドイツ人はイデル=ウラル同盟に参加した。 はじめは以前カザン県、ウファ県であったタタール国とバシュキール国のみで構成した。イデル=ウラルの成立から数ヵ月後に、ムスリムでなく、テュルクでもない民族の国家がイデル=ウラルに参加した。この時参加したコミ人、マリ人、ウドムルト人などは、フィン・ウゴル語派のフィン・ペルム語系を話し、正教会、シャーマニズムなどを習慣としていた。イデル=ウラルは1918年4月に赤軍に敗北したが、この地域は同年7月にチェコ軍団によって回復された。しかし、最終的にボルシェビキが勝利し、この国は1918年末までに消滅させられた。これは1919年から1920年の散開的な反乱を引き起こしたが、1921年にはボルシェビキによって粉砕された。イデル=ウラル国の構想は1929年までひそかに存在を続けたが、この年、チェーカーはついにイデル=ウラル運動への潜入を成し遂げ、指導部を壊滅させた。ヴォルガとウラルの少数民族の地域の全域で数千のイデル=ウラル運動の支援者が処刑された。 サドゥリ・マクスディ・アルサール イデルウラル大統領であったサドゥリ・マクスディ・アルサール(Sadri Maksudi Arsal)は1918年フィンランドに亡命した。彼はロシア・ドゥーマでのフィンランドの憲法上の権利と彼の国の自決権の英雄的な防衛をよく知っているフィンランドの外務大臣に快く引き受けられた。亡命した大統領はエストニアの役人に会い、1919年以降はスウェーデン、ドイツ、フランスと続けて西欧の支援を求めた。これらの努力から、イデル=ウラル国は冷戦時代のアメリカ公法で"自由を奪われた国"に連ねられている 。 現在のタタール人国家主義者は、ロシア連邦から独立したテュルク国家再建の正当化のため、過去に独立していたイデル=ウラル国の歴史的前例を頼りにしている。.

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ウラル山脈

ウラル山脈(ウラルさんみゃく、Ура́льские го́ры, Uralskiye gory、Ural Mountains)は、ロシアを南北に縦断する山脈。ユーラシア大陸をヨーロッパとアジアに分ける境界線の北側を形成している。 ウラル山脈は石炭紀後期にできた古期造山帯で、現存する山脈でも最も古いものである。.

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ウドムルト人

ウドムルト人(Удмурт - Udmurt)は、ロシア連邦のウドムルト共和国などに住むフィン・ウゴル系民族。人種はコーカソイドに属するが、モンゴロイドの遺伝子も見られる。 ウドムルト共和国の人口の35%ほどを占め、ほかにキーロフ州、ペルミ州、バシコルトスタン共和国、タタールスタン共和国、マリ・エル共和国、コミ共和国などにも住んでいる。 フィン・ウゴル系民族で、コミ人、マリ人、モルドヴィン人などに近い関係にある。固有言語はウドムルト語であるが、現在ではロシア語・タタール語を話す人が多く、民族としての人口も減少傾向にある(1989年には746,562人、2002年には637,000人)。 自称がウドムルトで、ほかにヴォチャーク、オチャークなどの他称でも呼ばれる。宗教は正教またはシャーマニズムである。.

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ウドムルト共和国

ウドムルト共和国(ウドムルトきょうわこく、ウドムルト語:、 または )は、ロシア連邦に属する共和国。首都はイジェフスク。沿ヴォルガ連邦管区に含まれる。北にキーロフ州、東にペルミ州、南にバシコルトスタン共和国、タタールスタン共和国と隣り合う。.

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カザン・ハン国

ン・ハン国 (カザン・ハンこく、Qazan xanlığı、Казанское ханство (Kazanskoe khanstvo)) は、15世紀から16世紀にかけてヴォルガ川中流域を支配したテュルク系イスラム王朝。ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の継承国家のひとつで、国名は首都はカザンに置いたことに由来する小松「カザン・ハーン国」『ロシアを知る事典』、134頁。.

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ジョチ・ウルス

ョチ・ウルス()は、13世紀から18世紀にかけて、黒海北岸のドナウ川、クリミア半島方面から中央アジアのカザフ草原、バルハシ湖、アルタイ山脈に至る広大なステップ地帯を舞台に、チンギス・カンの長男ジョチの後裔が支配し興亡した遊牧政権(ウルス)。一般にキプチャク・ハン国の名で知られる国とほぼ同じものである。.

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タタール

18世紀のタタールの女性 タタール(Tatar)は、北アジアのモンゴル高原とシベリアとカザフステップから東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動したモンゴル系、テュルク系、ツングース系およびサモエード系とフィン=ウゴル系の一部など様々な民族を指す語として様々な人々によって用いられてきた民族総称である。日本では、中国から伝わった韃靼(だったん)という表記も用いてきた。.

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タタールスタン共和国

タタールスタン共和国(タタールスタンきょうわこく、タタルスタンとも、タタール語キリル文字:Татарстан Республикасы、ラテン文字:Tatarstan Respublikası、ロシア語:Республика Татарстан)は、ロシア連邦地域管轄区分のひとつ沿ヴォルガ連邦管区の中央に位置する共和国である。公用語はロシア語とタタール語。1992年には主権宣言を行った。.

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タタール語

タタール語は、ロシア連邦に属するタタールスタン共和国の公用語。特にカザン・タタール語とも呼ばれる。タタールスタン共和国の外にも、ウクライナやトルコ、中国など広い範囲に話者が分布している。ロシア連邦内の話者は約530万人(2002年)。.

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遊牧国家

遊牧国家(ゆうぼくこっか)とは、遊牧民が支配階層を形成して組織された国家のこと。面的に広がる集約農耕の展開が困難ではあるが、遊牧による牧畜に適した乾燥地帯が広がる中央アジア、イラン高原などに多く存在した。 有史以来、遊牧国家を築いたのは、紀元前9世紀、中央ユーラシアのキンメリアとスキタイである。ただし彼らはその地に安住することはなかったので、国家と呼べるかは謎である。一方イラン高原では、ペルシア系の民族が団結して遊牧国家を築いていく。紀元前6世紀にアケメネス朝が成立し、遊牧国家の基礎が造られた。しかし本格的な遊牧国家としては、8世紀の回鶻可汗国の誕生を待たなくてはならない。回鶻可汗国は遊牧国家としてはじめて都城を建設し、国家体制を整えた。そして、その後に現われたモンゴル帝国の成立によって遊牧国家は完成された。 モンゴル帝国が北ユーラシアを征服し空前の大国家を築いたことは、分裂していた東洋と西洋を結びつけ、世界史と言う言葉が誕生した要因となった。その体制は、パクス・モンゴリカといわれるモンゴル人による覇権と平和の時代を生み出した。しかし広大な国家は、領土が分割相続されたことや、政権を構成する諸部族が分裂抗争するなどにより、緩やかな連合政権の形状を保ちつつも次第に統一政権の形を弱めていき、わずか1世紀あまりで後継諸政権に分裂した。.

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東ヨーロッパ

中東 東ヨーロッパ(ひがしヨーロッパ)は、東欧ともいい、ヨーロッパ東部の地域を指す。時代によって「東欧」の概念は大きく変わる。広義には、かつてのヨーロッパのソ連型社会主義圏を指して「東欧」と呼んでいたが、狭義にはロシア(のウラル山脈以西)・ウクライナ・ベラルーシの三国を指す。以下は「東欧」という概念の大まかな変遷を説明する。.

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沿ヴォルガ連邦管区

沿ヴォルガ連邦管区(えんヴォルガれんぽうかんく、Приволжский федеральный округ, Privolzhskij f'ed'eral'nyj okrug)は、ロシア連邦の地域管轄区分である連邦管区のひとつ。管轄区域のヨーロッパロシアの東部がヴォルガ川の中流域にあたる。本部はニジニ・ノヴゴロド州のニジニ・ノヴゴロドに置かれている。2016年の人口は2967万3644人で、ロシア全体の20.6%である。.

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16世紀

16世紀(じゅうろくせいき)は、西暦1501年から西暦1600年までの100年間を指す世紀。 盛期ルネサンス。歴代ローマ教皇の庇護によりイタリア・ルネサンスの中心はローマに移動した。画像はこの時代に再建がなされたローマのサン・ピエトロ大聖堂の内部。 カール5世。スペイン王を兼ねイタリア各地やネーデルラントも支配したが周辺諸国との戦いにも明け暮れた。画像はティツィアーノによる騎馬像(プラド美術館蔵)。 「太陽の沈まない帝国」。カール5世の息子フェリペ2世の時代にスペインは目覚ましい発展を遂げ貿易網は地球全体に及んだ。画像はフェリペ2世によって建てられたエル・エスコリアル修道院。ここには王宮も併設されておりフェリペ2世はここで執務を行った。.

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