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アルア県

索引 アルア県

2001年から2005年のアルア県、南部が2006年以降のアルア県 アルアでのサッカー アルア県はウガンダ北西部西ナイル地方中南部の県。コンゴ民主共和国との国境貿易が盛んで、第二次コンゴ戦争におけるウガンダ軍の侵攻拠点となった。 アルアは西ナイル地方の中心都市であり、県庁所在地であった。1960年代に北東部のマディ族の居住地がマディ県として分割され、1974年にアルール族の居住地の南部が南西ナイル県(のちのネビ県)に分割された。ゴッドフリー・ビナイサ政権時の1979年に西ナイル県が県庁所在地名に改名されアルア県となった。2001年には北部のアリンガ郡がユンベ県に分割され、2005年に北西部のコボコ郡がコボコ県に、2006年にマラチャ郡とテレゴ郡がマラチャ県に分割された。アルア市とアイヴ郡、ヴラ郡、マディ=オコロ郡の4つの郡が置かれている。知事に相当する第5地域議会 (LC5) 議長はリチャード・アンダマである。2002年の国勢調査人口のうち2006年以降のアルア県分は 413,113 人。東にマディ県から分割されたアジュマニ県及びアチョリ地方のアムル県、西はコンゴのイトゥリ州(2005年以前の東部州南東部)と接する。.

14 関係: マラチャ県ネビ県ユンベ県アチョリ地方アムル県アジュマニ県イトゥリ州ウガンダウガンダの行政区画コボコ県ゴッドフリー・ビナイサ第二次コンゴ戦争西ナイル地方東部州 (コンゴ)

マラチャ県

2001年から2005年のアルア県、中部が2006年以降のマラチャ県 マラチャ県 (Maracha District) はウガンダ北西部西ナイル地方中部の県。2006年7月1日にアルア県の北部のマラチャ郡とテレゴ郡がマラチャ県に分割され設置された。しばらくは県庁所在地が決まらず、マラチャ=テレゴ県とされていた。西にマラチャ、東にテレゴの2つの郡が置かれている。マラチャはルグバラ族が多く、テレゴの東部はマディ族が多い。テレゴ郡の東部にはリノとインヴェピの難民キャンプがある。2002年の国勢調査人口は 310,338 人。北西に2005年にアルア県から分割されたコボコ県、北東にユンベ県、西はコンゴのイトゥリ州(2005年以前の東部州南東部)と接する。.

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ネビ県

ネビ県と2001年から2005年の県境 ネビ県 (Nebbi District) はウガンダ北西部、西ナイル地方南部の県。1974年に西ナイル県からアルール族の多く住む南部のパディエレ郡、ジョナム郡、オコロ郡が南西ナイル県として分割され、1979年に県庁所在地名に合わせてネビ県に改名された。西にオコロ郡、中部にパディエレ郡、東にジョナム郡が置かれている。北に西ナイル県の改名されたアルア県、南東にアルバート湖を挟みブニョロのブリサ県、東に白ナイルを挟みアチョリ地方のアムル県、南と西はコンゴ民主共和国のイトゥリ州と接する。.

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ユンベ県

ユンベ県と2001年から2005年の県境 ユンベ県 (Yumbe District) はウガンダ北西部、西ナイル地方北部の県。2001年11月28日にアルア県の北部のアリンガ郡が分割され設置された。2002年の国勢調査人口は 253,325 人。知事に相当する第5地域議会 (LC5) 議長は国民抵抗運動のラシッド・ゴヴレ・イーガである。東にモヨ県、アジュマニ県、南と西にそれぞれアルア県から分割されたマラチャ県及びコボコ県、北に南部スーダンと接する。 住民の多くはアリンガ族である。アリンガ族はカクワ族やルグバラ族などと共に中央スーダン系の民族で、ウガンダ・タンザニア戦争によるイディ・アミン政権崩壊後にアミン政権支持者として迫害された。アリンガ族はムスリムが多く(ルグバラ族のムスリムとされる場合もある)、教育を受けていない率が大きい。その中にはスーダンやコンゴ民主共和国に逃れたり、ウガンダ国民救済戦線や西ナイル岸戦線を結成して反政府活動を行うものもあった。UNRFは2002年6月にクル副郡で停戦し、12月にユンベで和平協定を結んだ。.

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アチョリ地方

アチョリ地方 (Acholiland, Acholi sub-region) は現在のウガンダ北部に位置するウガンダの伝統的地域。 およそウガンダ領内でのアチョリの伝統的居住地域であり、イギリス領とされた際に地方として形作られた。アチョリは他に現在の南スーダンにも居住している。東にカラモジャ地方、南にランゴ地方、ブニョロ王国、西に西ナイル地方と接する。1962年の独立時には西ナイル県、ランゴ県と共に北部州内のアチョリ県 (Acholi District) とされ、1974年に東西に分割され、1980年にキトゥグム県とグル県に改称された。ヨウェリ・ムセベニ政権期以降はランゴ地方と共にウガンダ人民民主軍とその後身の神の抵抗軍の主な活動地域となり、2001年12月にはキトゥグム県南部がパデル県に、2006年7月にはグル県西部がアムル県に分割された。推計人口はおよそ105万人でうち約80万人が国内避難民となっている。.

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アムル県

2001年から2005年のグル県、西側のおよそ2/3がアムル県 アムル県 (Amuru District) はウガンダ北西部アチョリ地方西部の県。2006年7月1日にグル県の西部のキラク郡とンウォヤ郡が分割され設置された。2002年の国勢調査人口は 177,783 人。知事に相当する第5地域議会 (LC5) 議長はアンソニー・アチュベ・アマチ。北にキラク郡、南にンウォヤ郡があり、キラク郡にはグルからスーダンの国境のニムレを通りジュバに向かう幹線道が、ンウォヤ郡にはグルからアルアを通りコンゴ民主共和国に向かう幹線道が通る。白ナイルを挟み西ナイル地方のアルア県、ネビ県、南はブニョロのマシンディ県及びブリサ県、北西にアジュマニ県、南東にランゴ地方のオヤム県、北東にキトゥグム県、北に南スーダンと接する。.

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アジュマニ県

アジュマニ県と2001年から2005年の県境 アジュマニ県 (Adjumani District) はウガンダ北西部西ナイル地方東部の県。モヨ県から白ナイル東岸の東モヨ郡が1997年5月17日に分割され設置された。2002年の国勢調査人口は 201,493 人。南西にアルア県及びユンベ県、南東にアチョリ地方のアムル県、北に南部スーダンの中赤道州ニムレと接する。 モヨ県と共にマディ族の多く住む地域であり、第二次スーダン内戦の難民キャンプも存在する。アチョリ地方に接するため神の抵抗軍 (LRA) と国民抵抗軍 (NRA) の戦争の影響も受けた。白ナイルはアジュマニとモヨの間を西から北へ流れスーダン国境付近で北西に向きを変える。北部は耕地が多く、南部は森である。アジュマニには小型滑走路があり、アティアク、モヨ、オボンギ方面へ道路が走っている。ウガンダ国民救済戦線を率いて西ナイル地方で反政府活動を行い、ヨウェリ・ムセベニと和平合意して副首相兼災害対策相となったモーゼス・アリ中将はアジュマニ県出身である。知事に相当する第5地域議会 (LC5) の議長はマーク・ドゥル。.

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イトゥリ州

イトゥリ州(仏: Ituri province)はコンゴ民主共和国北東部の州。面積は65,658 km²で、2006年までの東部州の東南部に位置し、コンゴ川の支流アルウィミ川の上流部イトゥリ川の流域で一帯はイトゥリの森と呼ばれ、西部マンバサの大半はオカピ野生生物保護区に指定されている。北に高ウエレ州、西にツォポ州、南に北キヴ州、北東に南部スーダン及びウガンダの西ナイル地方、東はムウィタンジゲ(アルバート湖)の対岸にブニョロ、南東にセムリキ川を挟みトロ王国(ルウェンズルル)と接する。1962年から1966年にはキバリ=イトゥリ州が置かれていた。中南部にバントゥ系の遊牧民ヘマ、東部に中央スーダン系の農民レンドゥ、北東部に西ナイル地方と同系の民族、中西部に狩猟採集民のムブティなどが主な住民で、西部にバントゥ系のブドゥ、ンダカ、ビラなどもいる、地域の共通語はスワヒリ語である。アルバート湖の石油や金などの資源を巡り篠田英朗「アフリカにおける天然資源と武力紛争 −内戦の政治経済学の観点から−」pp.161-167,『』IPSHU研究報告シリーズ Vol.35, 広島大学平和科学研究センター、2005年11月。、2度のコンゴ戦争などを通じてウガンダ、ルワンダの軍や武器などが流入し、ウガンダ軍のジェイムズ・カジニ司令官がヘマを優遇してキバリ=イトゥリ州を再設、コンゴ民主連合を使いレンドゥを襲撃澤田昌人「」『立命館言語文化研究』17巻3号 2006年2月。するなどして、イトゥリ紛争と呼ばれる争乱が続いている。州都は南東部のブニアで、東部にはウガンダのネビからマハギ、ファタキ、ジュグ、ブニアを通り北キヴ州のベニへ至る幹線道、南部にブニアからマンバサを経てキサンガニ方面へ向かう幹線道が走る。 2000年代においても、ペストの発生がWHOに報告されている。2009年の患者数は、2001年以降最も低い発生報告数であったものの患者618人、うち死亡者27人となっている。.

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ウガンダ

ウガンダ共和国(ウガンダきょうわこく)、通称ウガンダは、東アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。東にケニア、南にタンザニア、南西にルワンダ、西にコンゴ民主共和国、北に南スーダンとの国境に囲まれた内陸国である。首都はカンパラ。アフリカの中でも難民受入れに積極的である。 ナイル川(白ナイル)の始まるヴィクトリア湖に接している。旧イギリス植民地。.

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ウガンダの行政区画

2017年7月以降の122県(数字は下記の表に対応) ウガンダには2017年7月以降、行政区でない4つの地域(地方とも)に122の県が置かれている。ただし、首都カンパラを領域としている県については含めない場合がある。また2018年に6県(計128県)、2019年には7県(計135県)の新設が予定されている。 イギリス植民地時代に人口を基準に村、教区(ムルカ)、副郡(ゴンボロラ)、郡(サザ)、県が置かれ、1990年代初頭には33県であったが、2000年前半では45に、さらに2006年には80に、2010年3月では112と大きく増加した。県の増加だけでなくその下の地方自治体も増え、また地方議員や行政官も増えるため財政的に深刻な問題が生じてきている。しかし県の新設を求める住民も多いのが実情であり、2015年にウガンダ議会が23の県の創設を承認したが、条件を満たした(必要な書類の送付)にもかかわらず承認されなかった地域からは不満の声が出ている。 2014年8月の国勢調査では、112の県(District)、181のカウンティ(County、郡)、1,382のサブ・カウンティ(Sub County、副郡)、22の自治体(Municipalitiy)と174の町協議会(Town councils)があった。また県の長は第5地域議会 (LC5) の議長である。.

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コボコ県

ボコ県 (Koboko District) はウガンダ北西部、西ナイル地方北西部の県。アルア県から2005年7月1日に北西部のコボコ郡が分割され設置された。県庁所在地はコボコ。コボコを含め5つの副郡に43の教区が置かれている。主な住民はナイル系のカクワ族である。2002年の国勢調査人口は 131,604 人。知事に相当する第五地域議会 (LC5) 議長はダダ・ウィリアム。東にユンベ県、南にマラチャ県、西にコンゴ民主共和国イトゥリ州、北に南部スーダン中赤道州と接する。アルアからマラチャ、コボコ、スーダンのイェイには幹線道が走る。.

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ゴッドフリー・ビナイサ

ッドフリー・ビナイサ(Godfrey Binaisa、1920年5月30日 - 2010年8月5日)は、ウガンダの法律家、政治家。1979年6月20日から1980年5月12日まで、ウガンダの大統領を務めていた。.

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第二次コンゴ戦争

二次コンゴ戦争(だいにじコンゴせんそう、Second Congo War)は、1998年8月から2003年7月にかけて、コンゴ民主共和国においてツチとフツの民族対立や資源獲得競争が原因で行なわれた戦争である。アフリカ大戦(Great War of Africa)とも呼ばれる。.

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西ナイル地方

西ナイル地方 (West Nile sub-region, 元 West Nile Province, West Nile District) はウガンダ北西部の地方。中央スーダン系のマディ族、ルグバラ族、アリンガ族、ナイル系のカクワ族、アルール族、レンドゥ族、ンド族などが住む。.

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東部州 (コンゴ)

東部州 (Orientale, リンガラ語: Etúká ya Monyɛlɛ) はコンゴ民主共和国北東部のかつての州。州都はキサンガニ。北に中央アフリカ、スーダンの西エクアトリア州、中央エクアトリア州、東にウガンダの西ナイル地方、及びアルバート湖を挟んでブニョロ地方と接し、南に北キヴ州、マニエマ州、東カサイ州、西に赤道州と接していた。 ベルギー到来以降、上コンゴ地方と呼ばれた地域で、ヘンリー・モートン・スタンリーが「救出」(:en:Emin Pasha Relief Expedition)の際に「最暗黒のアフリカ」と呼んだ地域でもある。北部は流域で、南東部はイトゥリ地方と呼ばれていた。金鉱山などがあるため、ミルトン・オボテ、イディ・アミン、ヨウェリ・ムセベニなどウガンダの権力者による収奪の対象とされた。1998年には北東部のとの金鉱労働者にマールブルグ熱が発生した。イトゥリ地方ではルワンダ紛争などと同じ構図で、放牧民のヘマ族が「ナイル系」であるとされ(実際はバントゥー系)、農耕民のレンドゥ族との対立が形成され、が起きた。第二次コンゴ戦争では北部の大半をウガンダ軍とその同盟者に、キサンガニより南をルワンダ軍とその同盟者に占領された。 2005年憲法でイトゥリ州、高ウエレ州、低ウエレ州、ツォポ州に分割することが決められ、2006年に国民投票で承認された。新州への移行は2009年までに実施される。2009年、:en:Haut-Uele Districtので神の抵抗軍による(12月14日 - 12月17日)が起こった。 主要な言語はスワヒリ語とリンガラ語、レンドゥ語など。.

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