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アッツ島沖海戦

索引 アッツ島沖海戦

アッツ島沖海戦(アッツとうおきかいせん)は、第二次世界大戦中にコマンドルスキー諸島近海で起きた日本海軍とアメリカ海軍との間の海戦。連合国軍側の呼称はコマンドルスキー諸島海戦(Battle of the Komandorski Islands)#モリソンの太平洋海戦史218頁。.

97 関係: 城英一郎君川丸 (特設水上機母艦)多摩 (軽巡洋艦)大佐大谷内一夫大東亜戦争大日本帝国海軍太平洋戦争実松譲山崎保代巡洋艦不知火 (陽炎型駆逐艦)世界の艦船幌筵島ミッドウェー島ミッドウェー海戦チャールズ・マクモリスチェスター・ニミッツモナハン (DD-354)リッチモンド (軽巡洋艦)レーダーレイテ沖海戦トーマス・C・キンケイドヒューマンエラーデイル (DD-353)ニュージョージア島初霜 (初春型駆逐艦)初春 (初春型駆逐艦)利根 (重巡洋艦)アムチトカ島アメリカ合衆国アメリカ海軍アリューシャン列島アリューシャン方面の戦いアッツ島アッツ島の戦いアウトレンジ戦法キスカ島キスカ島撤退作戦コマンドルスキー諸島スラバヤ沖海戦ソルトレイクシティ (重巡洋艦)ソロモン諸島の戦いサミュエル・モリソン国際日付変更線第二次世界大戦第五艦隊 (日本海軍)粟田丸 (特設巡洋艦)細萱戊子郎駆逐艦...軽巡洋艦黛治夫輸送艦霞 (朝潮型駆逐艦)霰 (朝潮型駆逐艦)防衛研究所防衛省阿武隈 (軽巡洋艦)薄雲 (吹雪型駆逐艦)那智 (重巡洋艦)脳出血野村実重巡洋艦酸素魚雷艦砲射撃若葉 (初春型駆逐艦)雷 (吹雪型駆逐艦)電 (吹雪型駆逐艦)連合国 (第二次世界大戦)PHP研究所S型貨物船UTC+9UTC-10森友一水雷戦隊池田清 (政治学者)河瀬四郎漣 (吹雪型駆逐艦)潮書房光人新社朝雲新聞朝日ソノラマ朧 (吹雪型駆逐艦)木村昌福木曾 (軽巡洋艦)戦史叢書戸高一成昭和天皇海人社海軍反省会海戦浅香丸 (特設巡洋艦)摩耶 (重巡洋艦)時津風 (陽炎型駆逐艦)1943年3月26日3月27日7月5日の海戦 (1942年) インデックスを展開 (47 もっと) »

城英一郎

城 英一郎(じょう えいいちろう、1899年(明治32年)4月1日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵47期。最終階級は海軍少将。.

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君川丸 (特設水上機母艦)

君川丸(きみかわまる)は、川崎汽船の神川丸型級貨物船の三番船。太平洋戦争では特設水上機母艦、特設運送船として運用された。 なお、太平洋戦争後に川崎汽船の神川丸型貨物船(二代目)の二番船として同名の二代目船が建造された。1951年(昭和26年)に竣工後、北米航路で活躍。1972年(昭和47年)にパナマ企業に売却されたが、2年後の1974年(昭和49年)に座礁事故で沈没した。.

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多摩 (軽巡洋艦)

多摩(たま#海軍制度沿革8(1971)p.362、大正6年(1917年)8月20日附達第97号『軍備補充費ヲ以テ建造ニ著手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル 横須賀海軍工廠ニ於テ製造 戰艦 陸(ム)奥(ツ) 佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等巡洋艦 球(ク)磨(マ) 三菱合資會社長崎造船所ニ於テ製造 二等巡洋艦 多(タ)摩(マ)』)は、日本海軍の二等巡洋艦 (軽巡洋艦)。 球磨型の2番艦。 その艦名は、多摩川に因んで命名された#艦船名考(1928)pp.236-237。.

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大佐

大佐(たいさ、だいさ)とは、軍隊の階級のひとつ。.

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大谷内一夫

大谷内 一夫(おおやうち かずお、1926年 - )は、日本の航空評論家。 東京生まれ。学歴不詳。PANA通信記者、日本AMF取締役、月刊誌「航空情報」「エアワールド」編集長、タイムライフ・ブックス日本支局顧問、航空ジャーナリスト協会会員。.

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大東亜戦争

開戦翌年の1942年(昭和17年)に日本政府が発行した「大東亜戦争国庫債券」(戦争国債)。戦後のインフレーションによりほぼ無価値となった。 「大東亜戦争第一周年記念」として日本勧業銀行(現:みずほ銀行)が販売した「戦時報国債券」 大東亜戦争(だいとうあせんそう、、Greater East Asia War)は、大日本帝国と、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。1941年(昭和16年)12月12日に東條内閣が、支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。 「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった大東亜戦争が、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。GHQの指定は現在では失効しているが、1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。一方で、「連合国軍の都合で一方的に使用が止められた『大東亜戦争』の用語を用いるべきである」とする主張も存在し、歴史認識問題などでこの戦争の呼称については議論が多数なされている。.

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大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

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太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた(昭和16年12月12日 閣議決定)、国立国会図書館リンク切れ --> - 国立国会図書館リサーチ・ナビ(2012年12月20日版/2016年9月16日閲覧)。 日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。.

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実松譲

実松 譲(さねまつ ゆずる、1902年(明治35年)11月20日 - 1996年(平成8年)12月20日)は、日本の海軍軍人、著作家。米内光政海相時代の大臣秘書官や、駐米大使館附武官補佐官を務め、太平洋戦争においては情報解析に実績を残す。海軍大佐で終戦を迎え11年半の巣鴨プリズン生活をおくった後は主として海軍関係の書を著し、刊行数は100点近く『昭和史忘れ得ぬ証言者たち』「実松譲」におよんだ。.

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山崎保代

山崎 保代(やまさき やすよ、1891年10月17日 - 1943年5月29日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争(大東亜戦争)中に、アッツ島の戦いを指揮し17日間の激しい抗戦の後戦死した。.

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巡洋艦

巡洋艦(じゅんようかん、)は遠洋航行能力・速度等を生かした攻撃力を持たせた軍艦の艦種。ただし定義は国や年代によって異なる。.

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不知火 (陽炎型駆逐艦)

不知火(しらぬい、しらぬひ)は、日本海軍の陽炎型駆逐艦2番艦#達昭和13年4月(2)pp.11-12『達第六十六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、掃海艇二隻、敷設艇一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十三年四月十五日 海軍大臣 米内光政|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 陽炎(カゲロフ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 不知火(シラヌヒ)(略)』#陽炎型、2014303頁『不知火(しらぬい)』。1939年(昭和14年)12月に竣工した。日本海軍の艦船名としては1899年(明治32年)に竣工した東雲型駆逐艦「不知火」に続いて2隻目。1944年10月、シブヤン海で米艦載機の空襲を受け沈没した。.

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世界の艦船

『世界の艦船』(せかいのかんせん、SHIPS OF THE WORLD)は、海人社の刊行する艦船総合情報誌。1957年8月10日、創刊。月刊のほかに、別冊、増刊、CD-ROM版が存在する。また、同誌を元にした食玩の名称でもある。.

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幌筵島

幌筵島(ぱらむしるとう、ほろむしろとう)は、千島列島の北東部にある島。波羅茂知島(ぱらもしるとう)と表記されることもある。ロシア名はパラムシル島 (о.Парамушир)、英語表記はParamushir。 島の名前の由来は、アイヌ語の「パラ・モシル(広い・島)」「ポロ・モシル(大きい・島)」から。千島アイヌは「ウレシパモシリ(人を多く育てた島)」とも呼んでいた。 ただ、漢字表記で「幌(ほろ)」を「ぱら」や「筵(むしろ)」を「むしる」と読ませるのは無理矢理ではあるが、いわゆる北方領土や北海道本島においてもアイヌ語由来地名の漢字表記にそのような例は数多くあり、こちらは「ほろむしろ」と読む例もあるが一般的には「ぱらむしる」と読むことが普通である。.

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ミッドウェー島

ミッドウェー島(ミッドウェーとう、Midway Atoll)、ミッドウェイ島は、北太平洋のハワイ諸島北西にある環礁で、ミッドウェー諸島やミッドウェー環礁とも呼ばれる。位置は。 アメリカ領太平洋諸島に属し、標準時はUTC-11。.

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ミッドウェー海戦

ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん; Battle of Midway)は、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)6月5日(アメリカ標準時では6月4日)~7日(6月3日から5日とする場合もある)、ミッドウェー島付近での海戦。同島攻略をめざす日本海軍をアメリカ海軍が迎え撃つ形で発生、日本海軍の機動部隊と米国の機動部隊及び同島基地航空部隊との航空戦の結果、日本海軍は航空母艦4隻とその艦載機多数を一挙に喪失する大損害を被り、この戦争における主導権を失った。ミッドウェー海戦はMI作戦の一部であり、この敗北で同作戦は中止された。.

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チャールズ・マクモリス

チャールズ「ソック」ホレイショー・マクモリス (Charles "Soc" Horatio McMorris, 1890年8月31日 - 1954年) は、アメリカ海軍の軍人、海軍中将。アッツ島沖海戦およびアリューシャン方面の戦いでの功績でよく知られる。.

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チェスター・ニミッツ

チェスター・ウィリアム・ニミッツ・シニア(Chester William Nimitz, Sr. 1885年2月24日 - 1966年2月20日)は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は海軍元帥(Fleet Admiral of the United States Navy)。テキサス州出身。第二次世界大戦中のアメリカ太平洋艦隊司令長官兼太平洋戦域最高司令官(Commander in Chief, United States Pacific Fleet and Commander in Chief, Pacific Ocean Areas.

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モナハン (DD-354)

モナハン (USS Monaghan, DD-354) は、アメリカ海軍の駆逐艦。ファラガット級駆逐艦の1隻。艦名は1899年の第二次サモア戦争で戦死した少尉にちなむ。その名を持つ艦としては、モナハン (DD-32) (USS Monaghan, DD-32) に次いで2隻目。 モナハンは真珠湾攻撃の際に特殊潜航艇(甲標的)を撃沈し、珊瑚海海戦やミッドウェー海戦に参加。アリューシャン方面の戦いでも潜水艦を撃沈したが、1944年12月18日に遭遇したコブラ台風で沈没した。.

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リッチモンド (軽巡洋艦)

リッチモンド (USS Richmond, CL-9) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。オマハ級軽巡洋艦の1隻。艦名はバージニア州リッチモンドに因む。その名を持つ艦としては3隻目。.

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レーダー

レーダー用パラボラアンテナ(直径40m) レーダー(Radar)とは、電波を対象物に向けて発射し、その反射波を測定することにより、対象物までの距離や方向を測る装置である。.

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レイテ沖海戦

レイテ沖海戦(レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)は、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピンおよびフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍・オーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。当時の呼称でフィリピン沖海戦当時の戦闘詳報やそれを元にして戦後製作された戦史叢書では『フィリピン沖海戦』としている。「比島」「菲島」はフィリピン島の略字。実際当時の大本営による発表でもフィリピン沖海戦とされ、当時のニュース映像でもそう紹介されている。。.

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トーマス・C・キンケイド

トーマス・カッシン・キンケイド(Thomas Cassin Kinkaid、1888年4月3日 - 1972年11月17日)は、アメリカ海軍の軍人。第二次世界大戦中の1943年から45年まで南西太平洋海域の連合国軍海軍司令官および第7艦隊司令官を務めた。.

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ヒューマンエラー

ヒューマンエラー(human error)とは、人為的過誤や失敗(ミス)のこと。 JIS Z8115:2000では、「意図しない結果を生じる人間の行為」と規定する。.

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デイル (DD-353)

デイル (USS Dale, DD-353) は、アメリカ海軍の駆逐艦。ファラガット級駆逐艦の1隻。艦名はリチャード・デイル代将に因む。その名を持つ艦としては4隻目。.

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ニュージョージア島

ニュージョージア島(New Georgia Island)は、ソロモン諸島・西部州で最大の島。面積2,037kmで西部州で比較的大きな島の大部分を含むニュージョージア諸島のうちの一島である。長さおよそ72km(45マイル)であり、ニュージョージア海峡の南側境界の一部を成している。島西部にあるクラ湾の向こうにコロンバンガラ島が横たわり、東にはブングヌ島、南のブランチェ水道(Blanche Channel)の向こうにはレンドバ島がある。 島は起伏が激しく、深い森に覆われている。.

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初霜 (初春型駆逐艦)

初霜(はつしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年12月(5)pp.6『達第百七十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和七年十二月十日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 初霜(ハツシモ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 有明(アリアケ)/舞鶴要港工作部ニ於テ建造 夕暮(ユフグレ)|潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦/佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦|水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 友鶴(トモヅル)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 初雁(ハツカリ)|掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇/三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇|敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造 猿島(サルシマ)/株式會社播磨造船所ニ於テ検図 那沙美(ナサミ)』。一等駆逐艦初春型の4番艦である。太平洋戦争緒戦では南方作戦・蘭印作戦に従事、以降は北方戦線で行動した。坊ノ岬沖海戦からも生還し、終戦直前に機雷に触雷して沈没した。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初霜」に続いて2隻目となる。.

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初春 (初春型駆逐艦)

初春(はつはる)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』#海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦初春外二隻伊號第六十八潜水艦外一隻水雷艇千鳥外一隻掃海艇第十三號外一隻敷設艇夏島命名ノ件』。 一等駆逐艦初春型の1番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初春」に続いて2隻目。 大改装前の子日と初春.

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利根 (重巡洋艦)

利根(とね)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦。利根型重巡洋艦(二等巡洋艦利根型)の1番艦#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|利根型|利根、筑摩|』。その艦名は二等巡洋艦の命名慣例に従い、関東地方を流れる利根川からちなんで名づけられた。この名を持つ帝国海軍の艦船としては4隻目。艦前部に主砲塔4基を集中し後部を飛行機発進甲板・水上偵察機待機所とした、第二次世界大戦当時としては珍しい艦型である。艦内神社は香取神宮である。艦名は海上自衛隊のあぶくま型護衛艦「とね」に継承された。.

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アムチトカ島

1-5 ニア諸島 1 - アッツ島 2 - アガッツ島 3-5 - セミチ諸島 3 - アライド島 4 - ニズキ島 5 - シェムリャ島 6 - ブルダー島 7-15 ラット諸島 7 - キスカ島 8 - 小キスカ島 9 - セグラ島 10 - クヴォストフ島 11 - ダヴィドフ島 12 - 小スィッキン島 13 - ラット島 '''14 - アムチトカ島''' 15 - セミソポクノイ島 アムチトカ島(アムチトカとう)とは、アメリカ合衆国アラスカ州の南西に伸びる、アリューシャン列島のラット諸島に属する島の名前である。約64km(キロメートル)(40mi(マイル))の長さがある。.

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アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).

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アメリカ海軍

アメリカ海軍(アメリカかいぐん、United States Navy、略称:USN)は、アメリカ合衆国が保有する海軍である。.

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アリューシャン列島

アリューシャン列島(アリューシャンれっとう、Aleutian Islands; 「アレウトの島々」の意)は、北太平洋に弧状に連なり、アメリカ合衆国のアラスカ半島からロシアのカムチャツカ半島にかけて約1,930キロメートルにわたって延びる列島である。.

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アリューシャン方面の戦い

アリューシャン方面の戦い(アリューシャンほうめんのたたかい)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中、日本軍と連合国軍(アメリカ軍とカナダ軍)の間でアリューシャン列島周辺で行われた戦い。.

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アッツ島

1~5 - ニア諸島 1 - アッツ島 2 - アガッツ島 3~5 - セミチ諸島 3 - アライド島 4 - ニズキ島 5 - シェムリャ島 6 - ブルダー島 7~15 - ラット諸島 7 - キスカ島 8 - 小キスカ島 9 - セグラ島 10 - クヴォストフ島 11 - ダヴィドフ島 12 - 小スィッキン島 13 - ラット島 14 - アムチトカ島 15 - セミソポクノイ島 アッツ島(アッツとう、)はアラスカ州アリューシャン列島のニア諸島最西部にあるアメリカ領の島。東西70km、南北30kmの大きさアッツ島迫る「玉砕」…米軍上陸直前の写真残る 読売新聞 2015年7月11日(土)20時48分配信。熱田島(あつたとう)とも呼ばれる。2015年現在、厳しい上陸規制があるため無人であり、アメリカ沿岸警備隊の巡回以外に上陸者はいない。.

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アッツ島の戦い

青い矢印が米軍の進路、赤い矢印は29日の日本軍最後の反撃の進路 アッツ島の戦い(アッツとうのたたかい、Battle of Attu)は、1943年(昭和18年)5月12日にアメリカ軍のアッツ島上陸によって開始された日本軍とアメリカ軍との戦闘である。山崎保代陸軍大佐の指揮する日本軍のアッツ島守備隊は上陸したアメリカ軍と17日間の激しい戦闘の末に玉砕した。太平洋戦争において、初めて日本国民に日本軍の敗北が発表された戦いであり、また第二次世界大戦で唯一、北アメリカで行われた地上戦である。.

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アウトレンジ戦法

アウトレンジ戦法(アウトレンジせんぽう)とは、敵の火砲や航空機の航続距離など相手の射程外から一方的に攻撃を仕掛ける戦術および戦闘教義のこと。.

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キスカ島

島(キスカとう、Kiska)は、アリューシャン列島西部のラット諸島に位置し、アメリカ合衆国アラスカ州に属する島である。 “キスカ”の名は、この地方に居住していた先住民族であるアレウト族がこの島の呼称として用いていたアレウト語(英字転化:Qisxa)に由来する。.

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キスカ島撤退作戦

島撤退作戦(キスカとうてったいさくせん)は、1943年(昭和18年)5月27日から7月29日に行われた日本軍の北部太平洋アリューシャン列島にあるキスカ島からの守備隊撤収作戦のことである。正式名称はケ号作戦。北方部隊指揮官河瀬四郎第五艦隊司令長官が総指揮をとる。 5月下旬から実施された潜水艦による第一期撤収作戦は成果の割には損害が多く、また効率も悪かったため6月下旬をもって打ち切られ板倉光馬 『あゝ伊号潜水艦』 、水上艦艇による撤退作戦に切り替えられた戦史叢書98巻247-249頁「第二期第一次作戦」。第一水雷戦隊司令官木村昌福少将が収容部隊を指揮した第二期撤収作戦において、同艦隊がキスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれず日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。.

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コマンドルスキー諸島

マンドルスキー諸島(コマンドル諸島、、Commander Islands, Komandorski Islands, Komandorskie Islands)は、ロシア連邦極東連邦管区に位置するカムチャツカ半島の東175km (109mi)に位置する諸島である。人口は少なく、木々も生えていない荒涼とした風景が広がっている。全域がロシア連邦・極東連邦管区・カムチャツカ地方・に属する。アリューシャン列島の西の端に位置する諸島であり、同列島中で唯一のロシア領、そして唯一アメリカ合衆国領外の諸島である。 コマンドルスキー諸島は、ベーリング島 (、95km (59mi)×15km (9.3mi))、メードヌイ島 (、55km (34mi)×5km (3.1mi))の主要2島と、15の更に小さい島々(小島と岩礁)から成る。その内、最も大きなものは面積15ha (37ac)のトポルコフ島(、、Tufted Puffin Rock)、及びアリー岩礁()である。この2島は諸島唯一の村落であるニコルスコエの西、3km (1.9mi)から13km (8.1mi)の間に位置している。.

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スラバヤ沖海戦

ラバヤ沖海戦(スラバヤおきかいせん)は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)2月27日から3月1日にかけて、インドネシア・スラバヤ沖で日本軍のジャワ島攻略部隊を連合国軍が迎撃した海戦のことである。日本海軍が連合軍の艦隊を撃破し、これにより日本軍のジャワ島上陸・占領が進むこととなった。.

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ソルトレイクシティ (重巡洋艦)

ルトレイクシティ (USS Salt Lake City, CL/CA-25) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ペンサコーラ級重巡洋艦の2番艦。艦名はユタ州ソルトレイクシティに因んで命名された。本艦はしばしば「スウェイバック・マル Swayback Maru」と呼ばれ、(非公式ではあるが)艦隊のどの艦よりも多くの作戦に参加した艦であった。.

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ソロモン諸島の戦い

モン諸島の戦い(ソロモンしょとうのたたかい)は、第二次世界大戦中に日本軍と連合軍の間で、南太平洋ソロモン諸島の争奪をめぐり行われた戦闘である。一連の戦闘の中で大きなものはガダルカナル島の戦いとブーゲンビル島の戦いであるが、このほかにも多くの陸海空の戦闘が行われた。.

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サミュエル・モリソン

ミュエル・エリオット・モリソン(Samuel Eliot Morison、1887年7月9日-1976年5月15日)は、アメリカ合衆国の歴史家、アメリカ海軍少将。信頼性が高く、しかも文章的に優れた海事史研究の著作で知られる。1912年にハーバード大学でPh.D.の学位を取得し、40年間に渡って同大学で教鞭を振るった。クリストファー・コロンブスに関する伝記“Admiral of the Ocean Sea”(1942年)と、ジョン・ポール・ジョーンズに関する伝記“John Paul Jones: A Sailor's Biography”(1959年)で、それぞれピューリッツァー賞を受賞した。1942年には、フランクリン・ルーズベルト大統領によって、第二次世界大戦におけるアメリカ海軍の戦史編纂担当者に任命された。モリソン編纂の海軍戦史は、1947年から1962年にかけて全15巻が刊行される。モリソンは、1951年に少将で海軍を退役した。また、よく知られた“Oxford History of the American People”(1965年)の著者および古典的教科書である“The Growth of the American Republic”(1930年)の共同執筆者でもある。モリソンはその優れた業績により、ハーバード大学やコロンビア大学、イェール大学やオックスフォード大学を含む11の大学から名誉博士号を贈られている。さらに様々な文芸賞や軍人勲章、アメリカ合衆国政府や外国政府からの国家表彰を受け取っており、2回のピューリッツァー賞のほか、バンクロフト賞2回、バルザン賞、レジオン・オブ・メリット(en)および大統領自由勲章などが挙げられる。.

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国際日付変更線

経度180°付近にある国際日付変更線 地球が丸いために発生する矛盾に対応する 国際日付変更線(こくさいひづけへんこうせん、International Date Line、略してIDL)は、日付の更新の矛盾を防ぐために地球の海上に設けられた、ほぼ経度180度の地点を結ぶ理論上の線。単に日付変更線ともいう。.

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第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

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第五艦隊 (日本海軍)

五艦隊(だいごかんたい)は、旧日本海軍の部隊の1つ。最初の第五艦隊は日中戦争時の1938年(昭和13年)2月1日に新編され支那方面艦隊に所属して華南方面に進出したが、1939年(昭和14年)11月15日に「第二遣支艦隊」に改称された。二代目の第五艦隊は、太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)7月25日に本土東方警備・アリューシャン列島攻略を目的に新編され、1945年(昭和20年)2月5日に解隊されて第十方面艦隊に吸収された。.

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粟田丸 (特設巡洋艦)

粟田丸(あわたまる)は、かつて日本郵船が所有し運航していた貨物船。太平洋戦争中は特設巡洋艦、特設運送船として運用された。.

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細萱戊子郎

細萱 戊四郎(ほそがや ぼしろう、1888年(明治21年)6月24日 - 1964年(昭和39年)2月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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駆逐艦

駆逐艦(くちくかん、destroyer)は、19世紀末に出現した艦種である。.

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軽巡洋艦

軽巡洋艦(けいじゅんようかん、Light Cruiser)は、軍艦の一種。.

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黛治夫

黛 治夫(まゆずみ はるお、1899年10月2日 - 1992年10月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。.

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輸送艦

輸送艦(ゆそうかん)は、陸上や他の船舶に対して武器弾薬や人員を輸送するための軍用輸送船のうち、国際法上の軍艦にあたる艦艇のこと。日本語では、大型のものを輸送艦といい、小型の場合は輸送艇とよばれることが多い。 洋上で他の船舶に武器弾薬や燃料などの物資を供給することに特化した設計の艦は、補給艦と呼んで、輸送艦とは区別する。また、兵士の輸送に使用される船舶を、軍艦以外の徴用輸送船などまで広く含んだ用語としては、輸送「艦」ではなく軍隊輸送船あるいは兵員輸送船と呼ぶ。 上陸戦に使用するための特殊な設計の輸送艦は、通常は揚陸艦と呼ばれて区別されるが、自衛隊では一律に輸送艦と呼んでいる。また、旧日本海軍では、一般的に揚陸艦と呼ばれるような艦艇を輸送艦、一般的な意味での輸送艦にあたるものは運送艦に類別していた。さらに、アメリカ海軍の攻撃輸送艦のように、上陸戦向けの設備を有しながらも揚陸艦とは呼ばれない例もある。こうした例外的な分類をとっている場合がある。 なお、構造的には揚陸艦にあたり公式種別上も揚陸艦とされる艦が、通常の輸送艦同様の後方輸送任務にも使用されることがある。.

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霞 (朝潮型駆逐艦)

霞(かすみ)は、大日本帝国海軍の朝潮型駆逐艦9番艦である。この名を持つ帝国海軍の艦船は暁型駆逐艦「霞」に続いて2隻目。1945年4月、坊ノ岬沖海戦で沈没した。.

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霰 (朝潮型駆逐艦)

(あられ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和11年12月(1)p.5『達第百八十二號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ水上機母艦二隻及驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十二月十四日 海軍大臣永野修身|呉海軍工廠ニ於テ建造 水上機母艦 千代田(チヨダ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 水上機母艦 瑞穂(ミヅホ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 峯雲(ミネグモ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 霰(アラレ)』。一等駆逐艦朝潮型の10番艦(最終艦)である。この名を持つ帝国海軍の艦船としては春雨型駆逐艦「霰」に続き2隻目。朝潮型は速力と航続距離の性能不足の面から霰をもって建造が打ち切られ、以降は新設計の陽炎型駆逐艦が建造された。.

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防衛研究所

防衛研究所(ぼうえいけんきゅうしょ、National Institute for Defense Studies: NIDS)は、東京都新宿区の防衛省市ヶ谷地区にある防衛省施設等機関の一つ。.

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防衛省

防衛省市ヶ谷庁舎を望む 防衛省(ぼうえいしょう、Ministry of Defense、略称:MOD)は、日本の中央省庁の一つである。 「日本(条文上の表記は、我が国)の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的とし、これがため、陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊(自衛隊法第2条第2項・第3項・第4項で規定)を管理し、及び運営し、並びにこれに関する事務を行うこと」と「条約に基づく外国軍隊の駐留及び日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定の規定に基づくアメリカ合衆国政府の責務の日本国内(条文上の表記は、本邦)における遂行に伴う事務で他の行政機関の所掌に属しないものを適切に行うこと」を任務とする(防衛省設置法第3条第1項・第2項)。 日本では防衛省だが、英語での名称は他国の国防省と同じである。.

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阿武隈 (軽巡洋艦)

阿武隈(あぶくま)は、日本海軍の軽巡洋艦。長良型の6番艦である。その艦名は福島県、宮城県を流れる阿武隈川より名づけられた。.

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薄雲 (吹雪型駆逐艦)

薄雲(うすぐも)は日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(特型駆逐艦)の7番艦。雲級(くもクラス)の1隻。当初の艦名は、第41号駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第四十一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 薄雲(ウスグモ)トス』。この名を持つ日本海軍の艦船としては東雲型駆逐艦「薄雲」に続いて2隻目。.

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那智 (重巡洋艦)

那智(なち)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型重巡洋艦の2番艦である。那智級と表記された事もある。命名の由来は和歌山県の那智山に依る。艦内神社も熊野那智大社から分祀された。.

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脳出血

脳出血(のうしゅっけつ)とは、頭蓋内の出血病態の総称であり、一般には脳溢血(のういっけつ)として広く知られている。脳出血は脳内への出血と脳周囲への出血に分類される。医学的には狭義での脳内出血のみを指すことがある。.

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野村実

野村 実(野村 實 のむら みのる、1922年(大正11年)4月16日 - 2001年(平成13年)5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史研究者。専門は日本海軍史。.

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重巡洋艦

摩耶 重巡洋艦(じゅうじゅんようかん、英:Heavy Cruiser)とは、軍艦の一艦種である巡洋艦のなかで大型のものをいう。1930年のロンドン海軍軍縮条約で定義された艦種で、厳密には6.1インチを超え8インチ以下の艦砲を搭載する10,000トン以下の「カテゴリーA」の巡洋艦を指す。重巡と略す。.

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酸素魚雷

ダルカナル島のクルツ岬で回収された九三式魚雷。第二次世界大戦中、ワシントンD.C.のアメリカ海軍司令部の外に展示されていた 酸素魚雷(さんそぎょらい)とは燃料の酸化剤として空気の代わりに、空気中濃度以上の酸素混合気体もしくは純酸素を用いた魚雷である。 日本において単に酸素魚雷といった場合、第二次世界大戦中、唯一実用化され運用された大日本帝国海軍の九三式魚雷もしくは九五式魚雷を指すことが多い。本項では、大日本帝国海軍の酸素魚雷を主題として述べる。 ロング・ランス(Long Lance、長槍)という愛称も知られているが、これは戦後にサミュエル・モリソンがつけた物である。.

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艦砲射撃

艦砲射撃(かんぽうしゃげき)は、軍艦が搭載する大砲(すなわち艦砲)で射撃を実施することである。本来の意味としては、標的が艦船であるか地上目標であるかは問わない。 ただし、昨今では艦砲射撃と言えば軍艦を浮き砲台として使用し、陸上の目標を海上から攻撃するニュアンスを含んでいることが多い。 対地射撃を実施する場合は、上陸前支援や、沿岸部での戦闘における支援射撃に活用される。.

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若葉 (初春型駆逐艦)

若葉(わかば)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』。 一等駆逐艦初春型の3番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「若葉」に続いて2隻目。艦名は海上自衛隊の護衛艦「わかば」(旧橘型駆逐艦「梨」)に継承された。.

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雷 (吹雪型駆逐艦)

雷(いかづち)は、日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(初雪型)の23番艦(III型の3番艦)である。この名を持つ日本海軍の艦船としては雷型駆逐艦雷に続いて2隻目。.

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電 (吹雪型駆逐艦)

電(いなづま)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和5年3月p.10『達第二十四號 艦艇製造費ヲ以テ本年建造ニ着手ノ一等驅逐艦四隻ニ左ノ通命名ス 昭和五年三月十五日 臨時海軍大臣事務管理 内閣総理大臣 濱口雄幸|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 暁アカツキ|舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 響ヒビキ|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 雷イカヅチ|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 電イナヅマ』。一等駆逐艦吹雪型(初雪型)(特型)の24番艦(III型の4番艦)、朧型(吹雪型の後期型)。この名を持つ日本海軍の艦船としては雷型駆逐艦電に続いて2隻目。ロンドン海軍軍縮条約により、駆逐艦は「1500トンを超える艦は、合計排水量の16パーセントまで」という制限が設けられ特型の増産が不可能となり、電をもって建造が打ち切られた。 スラバヤ沖海戦では、撃沈された敵乗組員376名を救助したことで知られている。(詳細は後述。雷、工藤俊作の項目も参照のこと。).

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連合国 (第二次世界大戦)

ターリン) 第二次世界大戦における連合国(れんごうこく、Allies、United Nations)とは、枢軸国(ドイツ、イタリア、日本など)と敵対した国家連合。一般的に連合国共同宣言に署名した国などが該当する。 第二次世界大戦における連合国は、1939年9月1日、ドイツ国によるポーランド侵攻にはじまる欧州戦線でドイツの陣営と戦った国々と、1941年12月8日の日本によるマレー作戦及び真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争(大東亜戦争)において日本の陣営と戦った国々がある。このうちイギリス、アメリカ合衆国、中華民国、オーストラリアを含む大部分の諸国は参戦の時点から終戦までの期間に日独両陣営と戦争状態にあったが、ソビエト連邦が対日戦に参戦したのは1945年8月のことである。 ドイツやその他の枢軸国から攻撃を受けるなどし、領域を喪失した政府が亡命政府となり、戦争に参加している。戦後これらの亡命政府の多くは帰国したが、ソ連の影響力が強い地域の亡命政府は復帰することができない例や、戦後まもなく亡命政府の継承政権が打倒されることもあった。一方でユーゴスラビアのパルチザンなど交戦当時は国家を代表する存在ではなかったが、国家を代表する存在として連合国の政府として承認される事例もあった。 連合国は戦後処理問題などで比較的緊密な連絡を取った。現在の国際連合 (United Nations) は、戦争中の連合国協議によって生まれた国際機関であり、連合国諸国が原加盟国となっている。特に中心となったアメリカ・イギリス・ソビエト連邦・フランス・中華民国は、国際連合憲章によって安全保障理事会における「常任理事国」の地位が与えられ、拒否権などの特権を有するなど、国際社会において強い影響を持つこととなった。.

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PHP研究所

株式会社PHP研究所(ピーエイチピーけんきゅうしょ、PHP Institute)は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助によって創設され、出版事業を主体に行っている出版社。2010年10月1日、政策シンクタンクを標榜する株式会社PHP総合研究所を吸収合併した。 東京本部は江東区豊洲5丁目6番地の52()、京都本部の住所は京都市南区西九条北ノ内町11()。.

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S型貨物船

本項でのS型貨物船とは、日本郵船が運航した貨物船のクラスの一つで、1938年(昭和13年)から1941年(昭和16年)の間に三菱長崎造船所と三菱重工業横浜船渠で7隻が建造された。N型貨物船、A型貨物船に続く日本郵船における高速ディーゼル貨物船の第三世代のクラスとして建造され、一部は優秀船舶建造助成施設の適用を受けた。世界一周航路などに就航する予定となっていたが第二次世界大戦勃発により果たせず、一部の船は商業航海の機会を得られなかった。太平洋戦争では全船が日本海軍と日本陸軍に徴傭され、すべて戦没した。 本項では、主に建造までの背景や特徴などについて説明し、船歴については略歴の形で一覧としてまとめている。単独項目として作成されている船に関しては、そちらも参照されたい。.

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UTC+9

UTC+9とは、協定世界時を9時間進ませた標準時である。.

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UTC-10

UTC-10: 藍-12月前後に適用、濃黄-通年適用、水色-海域 UTC-10とは、協定世界時を10時間遅らせた標準時である。 UTC+14と同じ時刻だが、日付が1日遅れる。.

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森友一

森 友一(もり ともかず/もり ともいち、1893年(明治26年)2月28日 - 1959年(昭和34年)1月23日)は、日本海軍の軍人。操艦の名手といわれ『海軍くろしお物語』「大事を成すはこの時にあり」、太平洋戦争において重巡洋艦・「羽黒」艦長として歴戦。のち第一水雷戦隊司令官を務めた海軍少将である。.

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水雷戦隊

水雷戦隊(すいらいせんたい)は、機雷・魚雷・爆雷などを使った水雷戦を行うことを目的に編成された、大日本帝国海軍の部隊の一つ。.

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池田清 (政治学者)

池田 清(いけだ きよし、1925年3月21日- 2006年4月3日)は、日本海軍の軍人、政治学者。最終階級は海軍中尉。息子に、国際政治学者の池田明史がいる。.

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河瀬四郎

河瀬 四郎(かわせ しろう、1889年7月7日 - 1946年7月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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漣 (吹雪型駆逐艦)

漣(さざなみ)は大日本帝国海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(初雪型)の19番艦。特型駆逐艦。吹雪型の後期型(朧型)#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.160『吹雪型(十六隻) 艦種 一等驅逐艦 艦名考 風波等気象に採る。|朧型(八隻)/朧(おぼろ)【二代】、曙(あけぼの)【二代】、潮(うしほ)【二代】、漣(さざなみ)【二代】、響(ひびき)【二代】、雷(いかづち)【二代】、電(いなづま)【二代】、暁(あかつき)【二代】 (要目建造日略)』。特II型の9番艦。この名を持つ帝国海軍の艦船としては、雷型駆逐艦「漣」に続いて2隻目。戦後、海上自衛隊のたかなみ型護衛艦「さざなみ」が就役した。.

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潮書房光人新社

株式会社潮書房光人新社(うしおしょぼうこうじんしんしゃ)は、日本の出版社。月刊誌『丸』および書籍の出版・販売を行う。.

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朝雲新聞

朝雲(あさぐも)は、防衛省・自衛隊関連のニュースを主とする日本の新聞。朝雲新聞社が発行している。.

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朝日ソノラマ

株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社である。 「ソノラマ」とはラテン語で「音」をあらわすsonusとギリシャ語で「見もの」の意味のhoramaを合わせた造語である。かつて発売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。.

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朧 (吹雪型駆逐艦)

朧(おぼろ)は日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(特型)の17番艦。朧型(吹雪型後期型)の1番艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.160『吹雪型(十六隻) 艦種 一等驅逐艦 艦名考 風波等気象に採る。|朧型(八隻)/朧(おぼろ)【二代】、曙(あけぼの)【二代】、潮(うしほ)【二代】、漣(さざなみ)【二代】、響(ひびき)【二代】、雷(いかづち)【二代】、電(いなづま)【二代】、暁(あかつき)【二代】 (要目建造日略)』。特II型の7番艦。この名を持つ日本海軍の艦船としては、雷型駆逐艦「朧」に続いて2隻目。.

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木村昌福

木村 昌福(きむら まさとみ、1891年(明治24年)12月6日 - 1960年(昭和35年)2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県生まれ。 現場叩き上げの指揮官として太平洋戦争の海上戦闘で数々の武勲を立てたが、特に「奇跡の作戦」といわれた『キスカ島撤退作戦』を指揮し、5千名あまりの日本将兵の無血撤退を成功させた事績で名高い。.

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木曾 (軽巡洋艦)

木曾(きそ)は、大日本帝国海軍の球磨型軽巡洋艦の5番艦。艦名は東海地方を流れる木曽川に由来して命名された。.

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戦史叢書

『戦史叢書』(せんしそうしょ、英題Senshi sôsho)とは防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)によって1966年(昭和41年)から1980年(昭和55年)にかけて編纂され、朝雲新聞社(あさぐもしんぶんしゃ)より刊行された公刊戦史である。A5版、各巻500-600頁、定価2200~4200円。.

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戸高一成

戸髙 一成(とだか かずしげ、1948年4月10日 - )は、日本の海軍史研究家。呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)長、呉市参与。.

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昭和天皇

昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位: 1926年〈昭和元年〉12月25日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)。 幼少時の称号は迪宮(みちのみや)・諱は裕仁(ひろひと)。お印は若竹(わかたけ)。.

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海人社

株式会社海人社(かいじんしゃ)は、月刊誌『世界の艦船』などを刊行する日本の出版社である。.

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海軍反省会

海軍反省会(かいぐんはんせいかい)は、1980年から1991年まで、大日本帝国海軍軍令部、第二復員省OBが一般には公にせず内密に組織した旧海軍学習グループである。.

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海戦

海戦(かいせん, Naval battle, Naval warfare)は、狭義には艦艇同士の海上戦闘をいうが、広義には航空機、ミサイルなどを用いて海上で行われる戦闘の総称をいう。 武力紛争は、それが展開される地域の区分に従って、陸上は陸戦、海上は海戦、空中は空戦とされ、国際法はおおむねこの区分に従って規定されている。火薬や大砲の発達、汽走軍艦の出現、潜水艦、航空機、レーダー、ミサイルなどの新技術が登場するごとに、海戦の様相は大きく変化し、新しい戦略戦術が生まれている。.

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浅香丸 (特設巡洋艦)

浅香丸(あさかまる)は、かつて日本郵船が所有し運航していた貨物船。太平洋戦争開戦前は特設運送艦、開戦後は特設巡洋艦、特設運送船として運用された。太平洋戦争勃発前に、最後にパナマ運河を通過した日本船でもある#三輪「浅香丸」の通過後の昭和16年7月に、運河の修理を理由として日本船を事実上締め出した(#商船八十年史p.321,327)。。.

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摩耶 (重巡洋艦)

摩耶(まや)は、日本海軍の重巡洋艦。一等巡洋艦(重巡洋艦)高雄型の4番艦である昭和3年11月7日付 海軍内令 第313号。#聯合艦隊軍艦銘銘伝110頁。川崎造船所(現在の川崎重工業)神戸造船所にて起工#昭和12年12月1日現在艦船要目公表範囲p.4『摩耶|一等巡洋艦|(艦諸元略)|神戸川崎造船所|3-12-4|5-11-8|7-6-30|(装備略)』。艦名は兵庫県神戸市の摩耶山にちなんで命名された。レイテ沖海戦で米潜水艦の雷撃により沈没、戦艦武蔵に救助された乗組員が翌日の武蔵の沈没を体験したことで知られている。.

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時津風 (陽炎型駆逐艦)

時津風(ときつかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和14年8月p.30『達第百三十八號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ砲艦一隻及驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和十四年八月二十五日 海軍大臣 米内光政|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 砲艦 隅田(スミダ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 天津風(アマツカゼ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 時津風(トキツカゼ)』。陽炎型駆逐艦の10番艦である。 この名を持つ帝国海軍の艦船としては2隻目(初代は磯風型駆逐艦の時津風)。.

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1943年

記載なし。

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3月26日

3月26日(さんがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から85日目(閏年では86日目)にあたり、年末まであと280日ある。.

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3月27日

3月27日(さんがつにじゅうななにち、さんがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から86日目(閏年では87日目)にあたり、年末まであと279日ある。.

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7月5日の海戦 (1942年)

7月5日の海戦は、第二次世界大戦中の1942年7月5日にアリューシャン列島のキスカ島沖で発生した小規模な海戦である。.

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